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はてなキーワード: 綺麗事とは

2021-04-11

車椅子騒動リベラル限界が見えたよね

今回の件駅員いじめパフォーマンスした社民党の裏で

自民党が地道に活動して無人駅バリアフリー化してるって事実がほんと笑える

野党左翼共が綺麗事言うだけで何もしないのがよく分かるわ

日本リベラル派って労働者いじめしかしてなくない?

センセーショナル炎上騒ぎで綺麗事口にするだけで

地道に環境を良くしていこうって活動リベラル全然してないよな

車椅子炎上騒ぎも無人駅バリアフリー化に取り組んでるのは実際に自民党だったし

なんでリベラル野党が負け続けるのか、大衆ちゃん理解してる

2021-04-10

車イス騒動自民党選挙で勝つ理由がわかった

社民党車イス障害者パフォーマンス無人駅を狙い撃ちして

駅員をいじめ事前連絡はしないくせにマスコミには手際よく連絡して叩かせようとしてたけど

そんな中ではてなの連中が嫌ってる自民党議員たちが働きかけて無人駅バリアフリー化を成し遂げてることを知った。

なんだかんだで自民党ってこうやって陳情すれば動いてくれるんだよな

理想論で凝り固まって意味のない綺麗事しか言わない社民みたいな連中とはこういうところが違う

から選挙で勝てるんだろうね

男性の性欲は汚い

汚く見えるその理由は、

男性視覚先行で女性に興味を持ち、色欲が強く見えるからではないか

人格男性を好きになるタイプが多い女性に比べて、

男性は綺麗、可愛い、体型がよいなどあればどんな女性とでも性行為はできるだろう。

いくら口では綺麗事を言っても、そうでなければアダルトビデオあんなに出ない。

アニメオタク人達等が持っているグッズにしても、女性向けに比べて

男性向けは肌の露出がある物が多いので、

パッと見て色欲が強い様に見えるし実際そうなんだろう。

でもそれは本能なんだから仕方なくないか

男性は種の保存の為に色々な女性に興味を持つ様にできているのだから

男性の性欲が気持ち悪いとされるのもジェンダー意識としておかしいと思われる未来であって欲しい。

とここまで書いて思ったが、それを気持ち悪いと思う女性気持ち本能として自然な事なので認められるべきなのだろう。

かなしいね

anond:20210410094758

あれは実際のところ自死ではなく腹をくくった少子化対策だ。

綺麗事を言おうが多産してくれる集団でも招き入れない限り共同体が保たない。

日本こそその覚悟はあるのか。

2021-04-09

anond:20210409103528

片親のマザコンサイコパスから

普段綺麗事言ってるけど心の底では結局人間は育ちで決まるし、育ちの悪い人間クズだらけって知ってるんだよ。

anond:20210409102542

今回の彼女みたいに地道に草の根的に訴え続けるしかないんだよ

障害団体は金がないかアイドル美男子を使って宣伝するのは無理だし

聲の形みたいな虚構綺麗事ではないのだし美男美女宣伝はすべきでない

これをやったら一気に改善といった手法はないから「罵声」や「無意味」といった妨害があっても地道にやるしかない

2021-04-08

車椅子の件でなんで野党左翼が負け続けるのかよくわかった

理想論綺麗事を説いてるくせにそれがどういう形で実装されるかというと現場労働者に詰め寄っていちゃもんをつけ

できなければ即座にメディアを読んで袋叩き

これ見てお前らのお仲間以外誰が支持すんの?

そりゃ世論じゃ現場側に同情するよな

だってそうする

から君たちは勝てないんだよ

「あてがえ論」って「理解のある彼くん」に対する皮肉でしょ?

なんかいわゆる「あてがえ論」が

性欲解消の権利を訴えるものみたいな扱いされてて自分感覚とだいぶ違うんだよな

もちろん純粋にそういう理由から主張してる人もいるとは思うけど

「あてがえ論」ってもともとは「本当に男女平等だというのなら(あるいは男に苦しみはないというのなら)男性に『理解のある彼女ちゃん現象』を起こしてみろ」という皮肉からきてると認識してた



どんなに綺麗事言っても

経済的に恵まれてるわけでも、心身が健康なわけでも、性的魅力があるわけでもなく、特別努力をしているわけではないが

理解のある彼くん」や「オタサーの姫」に代表される

「女」というだけで有利な立場となれる現象存在することは事実なわけで

そういう事実に対して

「男というセーフティネット」に心理的経済的、あるいはその両方を守られてる分際で男はイージーモードなので弱者男性は甘えてるみたいな態度はなんなんだ

本当にそう主張するなら俺の前に「理解のある彼女ちゃん」を出してみろ(ほら、できないだろ?)

ってのが「あてがえ論」のスタートだと思うんだよね



もちろんそれって裏を返せば男は「セーフティネット」になれる力を得やすいってことでもあるんだけど

セーフティネット」としてのポテンシャルもつ女性が増えてきたにも関わらず、「女というセーフティネットに守られる男」はそこまで増えず

また女性のいう「男女平等」の先に、女性が「セーフティネット」に足る力を持とう、力を持っているなら「セーフティネット」にもなろうという意識が見られなかった

少なくとも弱者男性主観ではそう見えた


結果、男に守られながら「女は辛い、男は恵まれてズルい」という女性に対するカウンターとして「あてがえ論」が爆誕したわけだ


そこから派生して性欲の解消やモテに囚われてる結果「あてがえ論」を主張する人間もでてきたが

根本的な部分は上記のようなものなので、そのへん理解してない批判

なんか噛み合わねーっ

弱者男性の一人として思うのである

一応言っておくけど

タイトルについては「理解のある彼くん」という言葉の方が「あてがえ論」より後に発生したものかもしれないけど、「理解のある彼くん」という現象自体は昔からあったよねって認識によるものから

念の為

2021-04-05

高校車椅子生徒の補助係をしていた話

JR車椅子乗車拒否記事を見て、内容的にはあまり関係ないが思うことがあった。

私が入学した高校の1年生のクラス、出席番号後ろの子車椅子ユーザーだった。先生からはその子身体障害についての説明と、高校生活での関わり方をクラス全員に話された。

の子にはヘルパーさんが付いており着替えやトイレの補助はヘルパーさんがしてくれる。だか常にヘルパーさんがいる訳ではなく、移動教室などは生徒が手伝う必要があった。

入学して1週間後、クラス内のグループもある程度できた頃、先生に移動教室の補助を手伝うよう言われた。出席番号が前後で授業で関わることも多かったからだろう。グループ友達2人も着いてきてくれて、4人で話しながら移動教室へと向かった。

それから自然ヘルパーさんのいない時の手伝い=私となった。最初のうちは嫌でもなく、むしろ他の生徒とは違う選ばれた私、のように愚かに優越感を抱いたりしていた。しかし、それも1ヶ月、2ヶ月、半年と続いていくと次第に疲れというか面倒くささが湧いてくるようになった。初めは一緒に居てくれた友達も、「先行っとくね」と言うようになった。移動教室にはエレベーターを使うのだが、東棟の奥にしかないため移動に時間がかかるのだ。予習や課題を授業前に慌ててするタイプ友達にとっては煩わしい時間だっただろう。もちろん私だってそういった時間が欲しかったが、他の子に頼もうにも厄介者押し付けるようで気まずかった。その子は私以外にあまり話す人がいなかったのも一因ではあるが。

担任との面談の機会も何回かあったが、その子の補助係については何も触れられなかった。大変だね、ともいつもありがとう、とも。逆にそう言う事でその子差別している事になると思ったのだろうか。そういえば担任は、健常者が障害者を補うことが当たり前になって欲しいと入学当初語っていた。私がその子の補助をすることを、喜んでまでとはいかないが、まさか嫌がっては無いだろうと思っていたのだろう。面談で補助係嫌です。疲れました。と言えたらよかった。言えなかった。言ったら差別になるから?不親切不道徳?わからないけど、他者から評価は悪くなるだろうという事は悪い頭なりに理解していた。別の日に、周りの子に手伝い大変だね、と言われたことがあった。そこでもそうなの!本当はやりたくないのに押し付けられてるの!と言ってはいけないこともわかっていた。愚痴る事すら憚られた。相手社会的弱者でこっちは強者から

私の高校は3年間クラス替えが無かったので、結局私の補助係は3年続いた。

文化祭で、3年生は体育館で出し物をするという伝統があった。私たちクラスダンスがしたいという話になった。しかし、出し物は全員参加のため、ダンスだと車椅子の子が参加出来ないという事で却下され、結局舞台劇をする事になった。

これには本人も申し訳なさそうにしていた。決してその子存在が悪いんじゃない。けれど、結果としてその子クラス足枷になってしまった。

だって移動教室の前に購買に駆け込んでパンを買いたかった。友達とだらだら話しながら歩きたかった。小テスト勉強をしたかった。高校のこともその子のことも嫌いではないが、どうしても私は3年間"貧乏くじ"を引かされたような気がしてならない。きっとその"貧乏くじ"を引くのは誰でもよかった。健常者なら。それが今の社会である

最近社会が"差別"に非常に敏感になっていると感じる。障害差別性差別人種差別etc 弱者側に目を向けるのはいい事だと思う。差別を無くそうとするのも。けれど、その差別に敏感になるあまり、"強者側"の権利が虐げられるのはどうなんだろうか。

(自分の書いた文を読んで思ったが、1番差別に囚われてたのは私かもしれない。思い切って補助係を断ってもよかったのかも。てへ)

追記 4/6

沢山の反応があってびっくりしてます。私は障害者の否定差別がしたいわけじゃないです。ただ高校でこの様な経験があって、障害者の存在を疎ましく感じてしまたことも事実で、これ以上このような出来事が増えないといいなと思っています綺麗事じゃない、経験した人にしかからないことを伝えたくて書きました。今思うと高校かなりクソだな。学校のあり方社会のあり方個々人の意識を変えてかなくちゃならないよね〜〜

一つ訂正すると、その子は一応自分でも車椅子は漕げました。けど万一こけた時とかの為に誰かが傍にいる必要があったんです。坂道や段差もあるし。実際その子が漕ぐのと私が押すのは半々くらいだったかな、これについては私の書き方が悪かったです。その子が漕いでる時は周りからしたらよくある友達同士の移動中の風景に見えたかもね。。。

2021-04-02

他人大事にするために、まず自分大事にする」なんてただの綺麗事

自分よりも他人を優先しろ」って言われ続けるんだ。

研修

数年前のある日、僕と後輩は上司に呼び出された。

研修に行くから明日●時、羽田空港に集合ね」

「行先は今は教えない」

その「研修」は以前にも一度開催され、僕達の後輩が行っていたのだが、彼等も行先を教えてはくれなかった。何となく嫌な予感を抱えつつ、翌日、僕達は羽田空港から鹿児島へと上司に連れて行かれた。空港近くでレンタカー手続きをしている間、免許のない僕は何気なく周辺マップを見て、「ここじゃないといいんだけど……」と思った。目的地は、まさにその場所だった。

知覧特攻平和会館

その名の通り、大日本帝国陸軍航空隊特攻に関する資料が展示されている、歴史博物館である

…え、何で?

当時の職場戦争歴史平和事業等とは一切関係のない企業だ。どうしてその場所に連れて来られたのか、意味が判らなかったし、行先を秘密にしていたのも謎だったし、到着した僕と後輩は戸惑いしかなかった。

一通り見学した後、帰りの車で上司から、「会社研修としてこの場所見学した意味を踏まえて、レポートを書いて提出すること」を僕と後輩は申しつけられた。飛行機の席がなく、上司は先に東京へ帰った。

空港内のレストランで夕飯を食べながら、僕と後輩は、「コレどういう意味ですかね?」「いや知らん!わからん会社のために働いて死ねってことか?」ふたりで頭を抱え、「もしかして他社でも研修で利用されているのだろうか……」と検索してみたところ、一応、いくつかのレポート記事発見した。そこに書かれた模範解答のようなレポートを、自分が書ける気はしなかった。

結局、僕はレポートを提出しないまま、その会社を辞めた。その理由はこの一件だけに限るものじゃなかったけど、僕があの会社で「もう無理」と思ったエッセンスが凝縮されていた。

平和会館自体は、膨大な資料で見ごたえがある、すごいところだった。戦争の愚かさ、若くして命を無駄にすることになった人々の無念さに、「ひとりの人間」として向き合うための場所だ、と感じた。僕は、この場所を、「会社研修」に利用されることが耐えがたいと思った。

そもそも僕は、政治思想的には、いわゆる「右寄り」の価値観をあまり受け容れられない人間だ(かといって左翼自称できるほどではないけど)。しかしそのあたりは、仕事をするうえでは関係のないことだし、持ち込む気もないし、そのことで議論を戦わせる気もない。ナイーブ話題から職場どころか、友人間でもあまり持ち出すことはない。行先を教えられないまま連れて行かれた「研修」は、そのナイーブ領域を、事前告知も無く荒らされたような不快感があった。

おそらく当時の上司たちが望んでいたレポートは、「日本のために勇気を持って散っていったひとたちの想いを無駄にしないよう、素晴らしい未来を築いていくために努力します」みたいな内容だったのかなと思っている。だが、第二次世界大戦や、特攻という作戦自体問題点や疑問点を持っている僕には、どうしてもそんな綺麗事美談めいた内容を書くことが出来なかった。

しかしあのとき検索したように、他社でも同じような研修はあるみたいだから、このインターネットにも同様の体験をしている人はいるんだろうし、この研修を素晴らしいと思う人もきっといるんだろうな。結局、会社部族みたいなもので、そこの掟や価値観に合うか合わないかだよな、と思う。

anond:20210402115120

4chanとかreddit見てるとどこの国もインセルは似たような思考しとるしな。

経済力一緒なら大体同じところに行き着くんだわ。

アメリカヨーロッパは長期のデフレに陥った日本と違って富裕層がより豊かになり続けてたからそういう日本はいないレベル金持ちにはめちゃくちゃ心の余裕があって綺麗事が言えるってだけよ。

からリベラル富裕層の遊びだと思われてるし、それで反感買った結果ちょっと前までトランプ大統領やってたわけでな。

anond:20210402105621

やっぱり

口で綺麗事言ってても社会的に無理な制度なんだよな

自分の家だけは利益を確保しようとするから

2021-03-26

20代中盤イケメン高収入マッチングアプリをしてみた

■前書き

巷ではマッチングアプリを利用している女性に対して、下記のような不満がある。

女性からいいね」が来ない。

・せっかくマッチングしたのに返信がそっけない。

・たいしてビジュアルが良くないのに選り好みをするな。

平たく言うと、なんでそんなに偉そうなんだよ、となる。

実際、そんな話を聞きながらマッチングアプリを始めたので私も覚悟はしていたが、結果は「しょうがないんじゃ?」と感じた。

スペック(飛ばして貰っても構わない)

その内容に触れる前に、私のスペック説明させて欲しい。

まず、タイトルではイケメン高収入と称しているが、正直そこまでスペックは高くない。

顔は、友人から冗談混じりに「お前はイケメンからいいよな」と弄られ、竹下通りを歩けばスカウトはされるため、イケメンではあるのだと思う。

ただし、そのレベルテレビ映画に出演する俳優アイドル達には遠く及ばない程度だ。

嵐の二宮菅田将暉に似ていると言われた事がある。

収入も、世代収入割合で見た際に上位であるだけで、大台に乗っているわけでもない。

年代の上位5%程度、クラスに1人はそのぐらい稼いでるよね。程度だ。

ただ、昨今の日本の情勢だとフツメン年収500万を普通男性定義すると、「そんな奴いねーよ」とバッシングされる。

そのため、どちらの条件もそれなりに引き離している私は高スペックであるとさせて欲しい。

自分ですら自分を高スペックと称するのは片腹痛いが許して欲しい。

■本題

まず初めに、マッチングアプリを始めて感じたことは「普通女性からいいね来るじゃん」だった。

アプリを始めてプロフィール入力し終えて、一旦休憩するか〜と思った瞬間に「いいね」の通知が灯る。

非常に残念ながら、私の求めている方ではなかったためお断りさせていただいた。

せっかく「いいね」してくださった方をお断りする罪悪感で後ろめたかったため、1日目はそれにて終了。

そして、2日目の朝に起きてアプリ確認すると10件の「いいね」が灯っていた。

急いでそれぞれの方のプロフィール確認し、マッチングするかお断りするかを判断する。

結果、2名の方とマッチングさせていただけて「よし、メッセージを送るぞ!」と意気込んだ瞬間にまた灯る「いいね」。

……。

…………。

ありがたい事に、それから毎日2,30人の方からいいね」を頂いた。

だが、どんなにアプローチしていただいても私の体は1つなため申し訳ないが、お断りさせていただくボーダーラインを引き上げるしか無かった。

1番初めにマッチングさせていただいた女性も、今「いいね」されたらお断りしていたと思うほどにボーダーラインは上がった。

それでも、素晴らしい女性の方ばかりで、メッセージのやりとりをさせていただく方は増え続けて2桁を超過。

その結果、メッセージを返信している最中に他の方からメッセージが届き、そのメッセージへ返信しようとすると……とループが始まってしまった。

そして前書きへと戻る。

女性からいいね」が来ない。

→ 正直、届く「いいね」への対応で手一杯。こちから動く時間が取れない。

・せっかくマッチングしたのに返信がそっけない。

メッセージが続々と届く状態で、会話が盛り上がるように努力するのは難しい。当たり障りのないつまらない話をしている方に時間を割くよりも、面白い話をしてくださる方に時間を割きたい。

・たいしてビジュアルが良くないのに選り好みをするな。

→ 選り好みをしなければパンクしてしまう。あなたよりも条件の良い方からいいね」がやってくる以上、言い方が悪いが分不相応なのはあなたの方だ。

理解してしまった。

しかも私の場合は男なので、どんなに「いいね」がやってこようと2桁である

心を鬼にしてスパスパお断りすれば、好みの女性に「いいね」する事も可能ではあった。

しかし、人気な女性は3桁をも超えてゆく。

彼女から見えているマッチングアプリは、まさしく別世界であろう……。

■男たちへ

ここまでの文を読まれた方はこう思うだろう。

「自慢してんじゃねーよクソ野郎

自分で読んでいてもそう感じる。モテる自慢かよ。

ただ、女性目線に立った考え方を少しは感じて欲しい。

山ほどくる「いいねから自分を選んでもらうにはどうするか。

綺麗事を言ってもしょうがないのではっきりと言うが「第一印象を良くしろ」。

痩せろ。肌荒れを治せ。眉毛を整えろ。髪は美容院流行りの髪型にしてもらえ。服はアパレルショップマネキン買いしろメガネならコンタクトしろ

自撮りするな。さわやかな場面の写真しろ笑顔を忘れるな。

ここまですれば、ボーダーラインは超えられると思う。

整形しろとは言わない。巷でよく言われている「清潔感」これを手に入れろ。

プロフィール

埋めれるところは埋めろ、書ける趣味は全部書け。

1度でも旅行に行った事があれば趣味旅行って書け。

いたことは無いか

「女は共感

まり「おっ!お前も旅行趣味なん?」と思わせなければならない。

クラスの人気者のイケメンくんが萌えアニメを見ていた時のオタクくんのように親近感を持たせろ。

趣味なんてなにもない? なら今すぐに旅行に行け……とはコロナ禍だから言えんが、旅行サイト見まくってエア旅行してこい。

ここまでやればマッチングするのはそんなに難しくないだろう。

次にメッセージそっけない問題だ。

男「マッチングありがとう旅行趣味なの?」

女「はい

みたいな事はしていないか

プロフィールに書いてある事をいちいち聞くなよ童貞!」

となる事間違いなし。

いやいやいや、そんなことしてないよ!と言うあなたはこっちのパターンかな?

男「マッチングありがとう旅行趣味って書いてあるけど、どこが印象に残ってる?」

女「京都

結局これも童貞に毛が生えた程度しかない。

そんな質問10人居たら7人ぐらいは送ってくる。

こちとら7京都目だわ!

どうせ次は「京都行ったことないかオススメ教えてくれ!」 か 「京都行ったことある大文字すごかった!」だろ!?

となる。

工場ベルトコンベアーに乗ってやってくる童貞への単純作業しかない。

ならどうするか?

男「マッチングありがとう! 僕も旅行趣味なんだ! 毎日電車神奈川から東京旅行してる!笑」

女「それ旅行じゃなくて通勤でしょ!笑」

男「バレたか笑。本当は福岡京都札幌海外だと台湾旅行した事があるよ」

女「私も去年台湾行ったよ!」

まぁ、これは今ハナクソほじりながら書いた適当な文だから寒いと思う。

ただ結局、付き合いたいのは面白い人だ。

「ふーん。おもしれー男」と思わせたもの勝ちだ。

「馴れ馴れしいメッセージ方はお断り

的なプロフィールが書いてある女性もいるが、あれは

「チョリース! 君かわいいね? どこ住み? 会える? てかLINEやってる?(笑)

的なヤツである

基本敬語使っておけば大丈夫

とまぁ長々と書いたが結局は人と人だから正解なんてない。

ただ、周りと同じことやっても私みたいな優良物件には勝てないか差別化狙った方がいいよ、という話である

2021-03-24

anond:20210324192335

なるほど、よくわかった。

では、パワハラ定義を、業務外の職務従事されるとせにゃあかんのでは。

ジェンダー差別が解消されてもいろんな差別が残ってるし新しい差別がうまれるよ。人間差別する生きものなんだよ。もう綺麗事はイヤだよ

2021-03-21

Twitterに書けないことを書く

人間が生きることって、いくら取り繕っても汚いし醜いし有害だって気づいた

から自殺したら排泄物垂れ流しとか遺体が醜くなるとか他人迷惑かけるとか言われても……それ普通人生あんまり変わんなくね……?って思っちゃった

迷惑云々の話をするなら

自殺しなくても

町中で婆さんを殴ってトラウマを与えた人とか

若者をこき使って廃人状態に追い込む人とかもいる

植物状態になれば、身内か病院の人に排泄の世話してもらわないといけない

だってここ20年、環境破壊して他の動物の肉を食べながら生きてるし

勿論他人迷惑もかけた

こうしてみると、

いつかどこかで自殺する迷惑

自殺しない人間が一生のなかで他人に与える迷惑

どちらが大きいかとかそんなん誰にもわからないはずだ(異論は認めます)

から、生きるにしても死ぬにしても迷惑はかけちゃうからある程度は仕方ないと思う

ま、こんな綺麗事は、自分の使う電車飛び込み自殺で止まったことがないから言えるのかもしれない。

……はい、以上。

思うだけです、普段なら言いません。Twitterにも書かないけど、ここなら見る人そんなおらんやろ!の気持ちで書きました。

今更ですが、ガイドライン抵触してたら申し訳無い。

蛇足かもですが、タヒにたいじゃなくて消えたいって言う人の気持ちが分かったような気がしました。

見返して気づいたけど自分遅めの中二病発症してないか? もういいや

2021-03-19

anond:20210319070403

”口では「反・権力」等の綺麗事を言いながら本人は他人搾取したり抑圧したり”

これそんなにおかしくないだろ。

後輩の尻をバットでたたく野球部員がいたとして、そいつが先輩の尻もバットでたたくと思うのか?

成績の悪い後輩社員衆人環視の中で吊るし上げる奴が、上司に向かって「ろくに働いていないのになんでお前はそんなに高給もらってるんだ?」て詰めたりすると思うのか?

先輩部員上司には手をあげたり文句を言ったりしないと思うだろ?

それとも常識では逆なのか?

雑誌映画秘宝』の記憶(14)

雑誌映画秘宝』の中で「ボンクラと云う『甘え』」が蔓延るようになった原因について、少し考えてみます

デルモンテ平山が、レンタルビデオ屋全盛期に某誌からレンタル専用作品を視聴して短文レビューを書くように依頼されたはいものの、どれも余りに駄作ばかりだったものから平山苦し紛れ適当文章を書き散らしたところ予想外の反響を一部で呼び、その反応を見た町山智浩が「これらを一気読み出来るようにすれば受けるぞ!」とまとめて掲載したのが、他ならぬムック時代の『映画秘宝』でした。

似たような例として、中原昌也とかが適当な事を言ったのが切っ掛けで注目を集めた作品があって、実際に観たら「聞いた話とだいぶ違うぞ!」と言いつつも、それなりに『映画秘宝ファンは楽しんだりもしていました。

他にも、アルバトロス叶井俊太郎が、適当直感で買い付けたら予想外にヒットしたのが仏映画アメリ』だったなんて裏話も『映画秘宝』は記事にしていました。

こんな感じで、要するに『映画秘宝』には、誰かのイイ加減だったり無茶苦茶だったりする仕事ぶりを、面白おかしく取り上げて楽しむと云う風潮が早い時期からあった訳です。

しかし、この風潮に関して公平を期すと、これは何も『映画秘宝』だけに限定される話ではありませんでした。つまり、より広く言えば、日本映画業界及び映画ファンの中には全般的に、業界無茶苦茶な話を面白がるような風潮と、業界入りした人間は諸先輩方を見習って無茶苦茶なことをする人間に成長するのが「理想的業界人」の在り方だと考えるような風潮が古くから有ったように思います

したがって、傍目にはドン引きするだけのエピソード群を、町山智浩らが悪びれもせずに面白おかしく語りたがるのは、彼らの中に「古き良き(※現在の私は『良き』とは思いませんが)映画業界人の理想像」があって、それに近づきたいと云う「願望」の顕れなのだと思います

それで、その日本映画業界人はと言えば、全ての人間がとまでは言いませんが、反・権力言動を示したり、政治に関しては革新派政党政治家を支持する姿勢を示したりと云うのが、戦後多数派だったと言ってもそれほど間違ってはいないと思います。まあ、津川雅彦みたいな人もいましたが。

その一方で、現実日本映画業界は、今で言うところのセクハラパワハラに満ち溢れた世界でした。監督や大物俳優が、助監督以下のスタッフらに対して物理的・精神的な暴力を行ったり、演技指導名目に性暴力セクハラを行うことは日常茶飯事でした。

現場空気をピリッとさせる為に、常習的に助監督らを怒鳴りつけていた若松孝二

安全管理対策をしないまま、鎧甲冑を身に付けたスタントマンを滝壺に飛び込ませて、溺死させた井筒和幸

所有するプレジャーボートターゲット女優を乗せて沖合の海に連れ出し、逃げ場を無くしてから女優に無理矢理に性行為要求した梅宮辰夫

この文章を読んでいる人の中にも、すぐに同様の事例を思い出せる人がいることでしょう。

梅宮辰夫は兎も角、口では「反・権力」等の綺麗事を言いながら本人は他人搾取したり抑圧したりと云う、まるで現在町山智浩高橋ヨシキらを彷彿とさせるような映画業界人が探さなくてもゴロゴロ存在していた訳です。

したがって、こういった業界人たちが現に大手を振って生きている(たとえ警察沙汰になってもヌケヌケと復帰できている)上に、彼らが「理想像/お手本」となれば、町山智浩を筆頭とする『映画秘宝関係者らが無茶苦茶をする人間になっても何も不思議ではないのかもしれません。

ボンクラと云う『甘え』」の源流の一つが、日本映画業界のものにあるのではないかと云う話でした。

次回も「ボンクラと云う『甘え』」について述べる予定です。

2021-03-15

[] #92-12サイボーグ彼女

≪ 前

こういってはなんだが、当時の母はシックスティーンを倒すためだけに戦う復讐マシーンと化していた。

それは偏に、シックスティーンが母から大事ものを奪っていったからだ。

もちろん、復讐を果たしたとしても、失った身体が戻ってくるわけではない。

だが後ろ暗い感情ではあっても、それが母の背中を押してくれていたんだ。

からすれば、それがどこか儚げで、酷く痛ましく見えたのだという。

まあ、邪推するなら“個人的理由”も多少は含まれていたんだろうけど。

「俺もネガティブ感情のもの否定する気はないよ。なんだったら、復讐否定はしない。そういったものは、綺麗事を超越した先にあるものから。そこまで否定してしまったら、本当の意味でヒトじゃなくなる」

「じゃあ、あなたは私にどうしてほしいの」

「俺じゃなくて、君がどうしたいか。それが重要なんだ」

「それは、ちょっとズルい言い方じゃない~?」

「……ごめん」

「ま、分かるけどね。要はポジティブ理由で生きられるなら、それに越したことはないって話でしょ」

なにはともあれ、父との出会いで母の復讐心は徐々に薄れていった。

いや、薄れたというよりは“これからやりたいことが他にもできた”というべきか。

今までは復讐心でハイオク満タンだったけど、他の燃料でも十分に動けるようになったってことなんだろう。

その燃料がエコなのかは知らないが。

「……毎週、医療ラボメンテするんだけど、あれが面倒でさ」

「確かに毎週は面倒そうだね」

機械に詳しい人が近くにいたら、行く頻度を減らせるんだけどね」

「それって……分かった。頑張って勉強するよ」

「いやらしいこと考えてない?」

「考えてないよ」

「それならいいんだけど…結構グロいよ? 私の内部」

「だ、大丈夫。慣れてみせるさ」

こういうやり取りを聞いている時に感じる痒みって、科学的になんていえばいいんだろうな。


固い誓いを交わしてから後日の戦い。

心機一転した母は、これを最期にするつもりだった。

最後に全力を出して、晴れやかな気持ちで退場しようと。

「え……もう終わり?」

しかし、勝敗はあっけなく決した。

いや、あまりにも“あっけなさすぎた”んだ。

母が今まで戦ってきた中で、最も手ごたえの無い戦いだった。

もはやシックスティーンに、マトモに戦える機械は作れなかったのである

この時にいたシックスティーンロボットは、どれも子供のように小さな人型だった。

「……ムカつく」

いくらコストがなかったとしても、四足歩行ロボットなどはいただろうだし、そっちの方が勝負になったはず。

まり、これは同情を買おうと、わざと弱いロボットをよこしたってことだ。

母は、そのことにすぐ気づいた。

あなたたち、自分たちが何をやったか覚えてる? そもそも、なぜこんなことになっているか分かってる? 本当に分かっているなら、少なくとも“こんなこと”はやらないでしょ!」

このやり方は、母の感情逆撫でした。

だが、しかし、それでも。

腕に備え付けた高周波ブレードを、母は静かに収納した。

もし父と出会っていなければ、シックスティーンは跡形も無く消え去っていただろう(物理的な意味で)。



それからほどなくして、シックスティーン倒産

いくつかの元所属チームが新たな企業を起こし、今も密かに活躍してるって話をたまに聞くくらいだ。

そして母と父はというと……これは言うまでもない。

非業な出来事翻弄された母が、それ故に父と出会い、今はこうなっている。

そう思うと感慨深い気もするし、この話から復讐は虚しいとか教訓を得られなくもないが、俺から言えることは一つだけだ。

思春期の息子に、親の馴れ初め話は勘弁してくれ。

(#92-おわり)

2021-03-13

anond:20210313234128

そうなんだよ

綺麗事元増田を追い詰めるこの残酷

俺らがきれいな見た目でありたいか元増田の心情も汲み取らずどんどん追い詰める

「そんなことない。お前の気のせいだ。」

肯定する増田が現れたことでどれだけ救われたんだろうな

アフリカウイグルのような遠い現実には自分環境外のことを想像し「こんな現実を知らなければならない」と言うけど、

自分たちが加害者になり得る場合には「自分の周りではそんなものは見たことがない」と言う

あのブコメはどれも醜悪だったね

anond:20210313121204

綺麗事を言いながら美人とばかり付き合う男、あるいは綺麗事を言いながら強者男性ばかりと付き合うエマワトソン、に対する反発を見てればなんとなく分かるのでは。

2021-03-08

馬主様のお気持ちを考えて、みたいな綺麗事じゃなくて、馬の出演を拒否されたら嫌だよね、いろんな馬に出てほしいよねっていうことだから

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想

この記事が注目を浴び、多くのブコメが集まっている。

"カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ"

https://toyokeizai.net/articles/-/414929?display=b

まず、私は自分が大別すれば「左翼」かつ「リベラル」の立場にあることを自覚している。左翼定義リベラル定義の困難さ、特に現在日本で「リベラル」が「左翼」の言い換えのように使われて混乱が生じていることは十分承知しているが、そのあたりに触れるといくら前置きをしても足りなくなるので、要するにここを見るような人間たちがイメージする「左翼」であり「リベラルであると考えてもらえばいい。ただし、左翼かつリベラル、というように私はこの両者は区別している。区別した上でどちらでもあるということだ。参考までに、最近やってみた下記サイトポリティカルコンパスでは、

https://www.idrlabs.com/jp/political-coordinates/test.php

61.1% 左派, 72.2% 自由主義者

という結果だった。これを見てもわかるように「左派」と「自由主義」(リベラル)は別軸である混同している人は気をつけてほしい。

そういう一人の人間として、件のイシグロ氏の発言への感想や疑問を書いてみる。

まず、社会制度の大枠を議論したり決定したりする際に、感情より科学的なデータエビデンスが重視されるべきだというイシグロ氏の意見には私も異論がない。陰謀論フェイクニュース似非科学歴史改竄代表されるような事実軽視は、それが誰によるものであれ批判したいと思う。私は左派だが、左派の中にこの種の問題がないとも言わない。

たとえば近年では、日本共産党などがHPVワクチン副反応被害者立場に寄り添うあまり、反ワクチン的な言説を許してしまっている(自分で言わないとしても、運動内部のそういう言説をはっきり否定しない)ことを歯がゆく思っている。誤解している人もいるようだが、日本共産党本来ワクチン否定的ではない。HPVワクチンについても、むしろ導入を行政要求したりしてきた。しか副反応被害を訴える声が上がり、裁判になってその原告支援する立場となると、原告側の科学的根拠が弱い言説に対しても必要以上に寛容になっているように見える。それが被害を訴える原告の「感情」を優先したためなのか、あるいは裁判運動を進める上での利害を計算したためなのかはわからない。そのあたりは人によっても違うだろう。しか現在出ている科学検証の結果が原告側に有利ではない以上、主張はデータを軽視しつつ苦痛の強調など感情に訴えるものになりやすい。イシグロ氏が言う「科学エビデンスより感情が優先される」問題として私が連想したのはこのような例だ。

この件で一応私の意見を言っておくと、副反応を訴える人にはなるべく広く補償適用しつつ、HPVワクチン自体は普及を進めるべきだと思っている。副反応裁判原告団体については、補償範囲を広げる運動としては支持するが、同時にHPVワクチンの勧奨再開に反対したり、さらには反ワクチン的な主張をする人物が混じっているのが支持できない。また便宜的に日本共産党名前を出したが、私は共産党員ではなく関係も薄い。共産党に限らずHPVワクチン訴訟原告支援する左派政党や団体に共通する問題として挙げた。

しかし多くの部分で、私はイシグロ氏の発言同意できず疑問を感じる。そもそも現状認識が私とは大きく違うように思うからだ。たとえば次のような部分だ。

"小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思いますリベラル側の人たちはこれまでも本や芸術などを通じて主張を行ってきましたが、そうでない人たちが同じようにすることは、多くの人にとって不快ものかもしれません。

しかし、私たちにはリベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です。つまり多様性ということです。これは、さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく、例えばトランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性です。

リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです。"

ここは私には非常に疑問が湧くところだ。何よりわからないのは、いったいいつどこの世界で「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許」になったのかということだ。

シグロ氏が住むイギリスのどこかにはそういう特殊場所もあるのだろうか。まあおそらく、イシグロ氏が属するコミュニティの大半が教養ある「リベラル」で、そこでは「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」はほとんど目につかず、その声が抑圧され死に瀕しているかのように錯覚してしまったのだろう。しかしイシグロ氏自身が言っているように、アメリカでは半数近くの人が一時的にであれトランプを支持し、イギリスではブレグジット派が不正ではない投票で多数を占めてしまったのだ。「リベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声」は十分に力を持ち、各国の舵取りに影響を与えている。

語ることがリベラル専売特許に見える世界とは、イシグロ氏を取り巻く知的文学芸術を愛する少数のインテリ世界のことでしかないだろう。イシグロ氏もそれを自覚はしているようで、だからこそ「縦の旅行」というようなことを言う。しかしその狭いインテリ業界での経験一般化し、世界全体がそうなっているかのように語ることこそがまさにインテリ傲慢であり、相変わらずその狭さに無自覚発言だとは気づいているのだろうか。

シグロ氏と違い、私は左翼でありリベラルである自分のような立場日本社会で主流になり、語る権利を独占しているなどと錯覚できたことは一瞬たりともない。たしかに近い考えを持つ人の集まる場所というものはある。しかしそういう場に足を運びながら、その場を一歩踏み出せば「世間」は全く違うのだと常に意識している。「縦の旅行」などするまでもなく、日本社会で「普通に」暮らせば、全くリベラルでない人、左翼蛇蝎の如く嫌っている人、そもそもそういう言葉も、そういう違いがあることも知らない人などに電柱並みの頻度で出会うのである

たとえば私は天皇制廃止すべきだと考えているが、世論調査では天皇制に反対する人はずっと一割を切っている。周囲の人間ランダムに選べば十人中九人以上はこの点で私と考えが違うわけである。まあ日常生活でいきなり天皇制の話をする機会は少ないが、先日の代替わりだの改元だのの騒ぎの時には、自分が少数派であることをあらためて意識させられた。特に天皇問題については、過去右翼の襲撃のような直接的暴力による脅迫があり、言論の自由が大きく損なわれたことを知っておくべきだろう。「じゃあこっちはどうなんだ」をあまり振り回したくはないが、ポリティカルコレクトネスなどによる言論不自由懸念するのであれば、日本社会にはびこる天皇をめぐる言論不自由にも一通りの知識と関心は持ってほしいと思う。

自由民主主義」の社会享受してきたと語るイシグロ氏は、部屋で文章を書くだけでなく、デモに参加し、街頭で語ったりビラを撒いたりしたことがあるのだろうか。それは自由民主主義を維持するための不可欠な活動の一つなのだが。やってみるとわかるが、街頭では温かく応援してくれる人だけでなく、口汚く罵ってくる人にも出会う。私の知人の中には、突然殴りかかられてけがをした人さえいた。手渡したビラを一目見るなり舌打ちして破り捨てる人もいる。私たちはその断片を拾う。それでも受け取ってくれるだけましとも言え、多くの人は避けるように通り過ぎていく。「自分とは違う世界がある」どころか、周囲の人の大半は自分とは違う考えだが、それでも少数者として声を上げていくことは無意味ではないはずだ、と私は自由民主主義社会で日々自分に言い聞かせている。

日本左翼をやっていると、自分投票した候補者当選することも少ない。民族的性的、その他さまざまなマイノリティ権利擁護運動に関わっていると、そもそも多数決に任せれば無視されるのが当然、そういう世界いか存在認識させ、主張を届けるかというのがあらゆる活動第一歩になる。言うまでもない前提だ。

上記のイシグロ氏の発言で何度読んでもわからないのは、「多様性」についてわざわざ「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく」と言っていることだ。これは何なのだろう。イシグロ氏はここで、「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」と「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」をあえて対立させ、前者より後者多様性重要であるように言う。前者の多様性と同時に、それに加えて後者多様性も、というならまだわかる。しかし、少なくとも多数決投票勝利したことのあるような「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」の声を「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」の声より優先して聞こうというような提案が現状の「多様性」をどれだけ高めるというのだろうか。

また、「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語る」という記述を読んで私が疑問に感じるのは、これはいったい誰が、どの立場から語るのだろうか、ということだ。翻訳問題などもあるのかもしれないが、これを読むと、その人々の世界を外の人間が「誠実に」語ることのように読める。たとえばイシグロ氏のような作家ブレグジット支持者の内面世界を誠実に想像して描くというようなことなのだろうか。

しかしそれは、その傍で言われている「誰もが語る権利」と矛盾する。「語る権利」と言う時、マイノリティ運動の中などでは特に当事者が自ら語ることを重視する。当事者心中を非当事者想像して代弁することは推奨されず、場合によっては本人の言葉を奪う行為として非難される。トランプ支持者やブレグジット支持者にしても、たとえばイシグロ氏のようにもともと思想立場の違う作家いかにも理解ありげに、「あなたはこんなふうに思っているのでしょう」とばかりにその思いを代弁したら多くは反発するのではないか。だから原則としては、その声に耳を傾けたいなら、非リベラルと言われる人々に語る場を保障し、自ら直接語ってもらうのが正しい。

その上でイシグロ氏は、そうして語る場を提供して耳を傾けた時に飛び出してくる言葉が、「○○○人はゴキブリ、この国から出ていけ」や「同性愛者は天罰を受けて死ね」だったり、静かな口調で確信に満ちて語られる「あなたがたは皆ディープステート洗脳されているのです、ぜひこの資料を見てください」だったりした時にどういう反応をすべきか、どこまで現実感をもって考えているのだろう。この発言が単なる綺麗事に見え、それゆえ面白くないのはこのあたりの現実に何も触れていないからだ。

シグロ氏は「誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と言うが、これは理想論原則としては全くその通りであるしか現在問題になっているのは、その「誰もが語る権利」を尊重した結果次々と湧き出してくる陰謀論ヘイトスピーチへの対処現実的にどうするかということなのではないか。先日話題になったツイッター社のトランプアカウント凍結なども、この原則現実の間で行われた苦渋の選択だった。こういうリベラル原則現実とのジレンマは、「寛容は不寛容に対して寛容になるべきか」といった形で長く議論されてきたテーマでもある。それで言えば、トランプ陰謀論支持者に向き合いつつ、あえて寛容の原則に立とうと語る下の記事の方に私は感銘を受けた。

"「トランプ陰謀論」が今なお5000万人を魅了するワケ。『白人ナショナリズム』著者、渡辺靖に訊く"

https://finders.me/articles.php?id=2529

私はリベラルだが、この問題についてはここまではっきりと「寛容」に立つとは言い切れない。ヘイトスピーチ規制にも慎重派でありつつ、現実的にやむを得ないとも思っている。各国の法規制方針を見ても、それぞれの背景に基づく大きな違いがある。現時点で何が妥当判断しにくい難しい問題なのだ。「私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と書斎で言い放つだけでいいならそんなに楽なことはない。

また、いくつかのブコメが触れていたが、たとえばトランプ支持者が陰謀論を信じるのはそもそもシグロ氏が言うような「感情優先」のせいなのかというのも疑わしい。選挙の敗北を認めたくないという感情陰謀論を信じさせているのだ、というのはあくまでも外から解釈で、本当に信じている人にとっては陰謀論は「事実」そのものだ。実際、陰謀論を広めている人はしばしば「まずは事実を知ってください」と言う。誤情報さらされ、修正機会がないまま信じ込んでしまうという現象特に感情からまなくも起きる。平凡な思想感情的に主張する人もいれば、陰謀論を冷静に信じる人もいるのだ。トランプ支持のような現象を「感情優先」として批判するのは、陰謀論フェイクニュースのような誤情報の浸透をどう制御していくかという問題に対してあまり有効でないように思う。

ちなみに、トランプ支持者やブレグジット支持者に向き合ってその声を聞こうとした研究取材はすでに数多く行われていて、下の記事のように日本記者によるものさえある。

"トランプ支持者はなぜ熱狂的に支持しているの? とにかく彼らに会い続けた記者が、これからも語り合う理由"

https://www.nhk.or.jp/d-navi/note/article/20210208.html

シグロ氏が自宅でなぜリベラルは非リベラルの声を聞かないのかとぼんやり嘆いている間にも、実際にトランプ支持者の家を訪ねて話を聞こうとしているリベラル寄りの人間は山ほどいるのだ。イシグロ氏は「リベラルが」ではなく「自分が」ご近所の非リベラルの声さえ聞いてこなかった、と言うべきだろう。主語を大きくしすぎてはいけない。

続きはこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213813

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