はてなキーワード: 結果的とは
先日出会い系で会った女と飯に行くつもりが結果的に10万円パパ活してしまった話をさせてほしい。無駄に長くなったけど、暇つぶしに読んでくれたら幸いだ。
自分は30代会社員、彼女いない歴はもう思い出せないくらい。出会い系の業者などの情報は調べて理解しているつもりだった。
休みの日、出会い系で飯に行ける相手を探していたら一人とマッチングした。写真はかわいいがどうせ加工だろうとは思っていた。自前の知識からするとプロフィールは怪しくないなというものだった。
しかし待ち合わせして会うまでにおかしいなと思う点はあった。向こうから待ち合わせ場所の具体的な指定があったり、当日着ているという服装の色が数回のやりとりでコロコロかわったり。あと「化粧品がほしいな〜」という発言もあった。
ここで普通ならシカトしてしまえばよかったのだが、最近の世の中の状況もあり「まぁある程度経済回すか」みたいな謎な思考が入ってしまった。ほしいと言っていた化粧品も調べたら6~7000円くらいのもので「まぁそんなもんだろう」と思ってしまった。
で待ち合わせに現れたのはプロフの面影はあるといえばあるふくよかな女。コートには糸くずがめっちゃついている。なんなら化粧品以外のあまり好ましくない香りもする。。。
ここで走って逃げてしまえばよかったかもしれないが、その場でその判断はできなかった。
「先に化粧品買いにいこう〜」と言われデパートへ。確かに事前に調べていたジャンルの化粧品を手にとっていた。それを買うのかな、それくらいなら買ってやろう。と思っていたら「こっちもほしい。そっちもほしい」と手にとって店員さんと相談していた。『は〜こんなにたくさん買うなら自分で買うんだろう』と思っていたら店員さんの前をあけられて座らされた。店員さんが「お会計はどうなさいますか?」と聞くと女がおれに「どうする?カード?」と聞いてきた。
なるほど、俺が払うのかと。
さすがにこの状況、このデパートの中で逃げ出すわけにもいかない。「は〜高い社会勉強代だな〜」と思いつつ払ってしまった。ブースを出ると女は「この化粧品も気になってるんだよね〜」と言い出した。なんだかんだで計6万くらいお買い上げした。支払いは俺。
気づいたら高級焼肉店にいた。お高いランチを食べていた。肉はやはりうまかった。二人で1万円ちょっとか。いい肉はうまい。
女は今度コートが気になると言い出した。またデパートに戻ってきた。楽しそうに試着する女。正直似合ってないぞ。ちらっと値札が見えた。諭吉でサッカーチームが下手したら2チーム作れる値段だった。さすがに無理だと思ったのでめっちゃ断った。そしたら「じゃ小物がいい〜〜」と言い出した。その小物もバスケチームが組める値段していた。頑張って断った。
最後に雑貨屋さんに来た。『さすがに雑貨なら自分で払うやろ』と思っていた。タオルがほしいといっていたし。それくらいなら買えるだろうと。しかし女は次々に買い物かごに品物を入れていった。恐る恐る「払えるの?」と聞いたら「え?払って?」と。思わず「いやまじか〜〜〜〜〜〜」と口に出てしまったが、もう引き返せない。結局2万円ほどの雑貨をお買い上げした。
疲れた俺は「もう帰るわ」とつげると、女は「タクシー代かして」と言ってきた。逆にもうタクシー代くらいならいいやという感覚になっていた。
「今日はありがとね〜」と言い残して女は去っていった。
なんやかんやで10万円貢がされたというかパパ活してしまった。カードで払ったからか、現実味がない。きっと来月再来月に明細を見てつらくなるんだろうな。現実味がないので、これを書いているいまでも「これで日本経済がちょっとでもよくなればいいや」と思っている。
俺の判断がかなり悪かったのは理解している。ただなんかモヤッとしたので吐き出させてもらった。
10万円あれば新型のMacBookAir買えたなぁ。
「ごと」はイベントの頻度を指しているのに対して、「おき」はイベント間の間隔を指定しているのと、1日の解釈が2つあるのが原因。アラームの例で説明する。
「ごと」は1アラーム/時間。例えばアラームが鳴るのが30秒ごととすると、30秒の期間の内1回アラームがなる。1日の場合は24時間に1度なる解釈(開始時間が制限されない)と、カレンダー上の日付で1日の間に1度なる解釈(必ず日付変更で開始)がありうるが、結果的にはどちらも同じなので問題にならない。
「おき」は間隔指定。30秒おきなら、1度アラームが鳴ってから次にアラームがなるまでが30秒となる。1日おきとした場合、複数の解釈があり得て、24時間ごとと解釈すると1日ごとと変わらない。カレンダー上の日付と解釈すると、今日なったら、カレンダー上の1日空けるので、次になるのは明後日となる。
24時間解釈は「ごと」でも同じなので、わざわざ「おき」と指定するからには、カレンダー解釈なのだろう、と解釈されることが多い。
だいたいこのあたりの解釈は文脈で解消されるので、きっかり1日おきに鳴る時計は24時間ごとに鳴るし、1日おきに届く手紙は毎日は届かない、と読めるのではなかろうか。
あつまれどうぶつの森とは、どうぶつの森シリーズの最新作で2020年3月20日にリリースされた。
ご存じの通り、このゲームは借金を背負わされ、それを返し続けるというのがメインコンテンツである。
借金返済はいわば前半戦のようなもので、やりこみ要素は各種ある中で、いち早く金を稼ぎたいという人々がここ数日どのような動きをしていたかを報告したい。
前者は通常通りのゲームプレイの中で借金返済を目指すが、後者はswitchの時間操作やバグ技の使用を行って借金返済を目指す。
配信時間が20日の0時であったことから島内には夜間のみ出現するタランチュラが出没しており、プレイヤーたちは開始早々、捕まえるための網もない状態で襲われるなどしていた。
タランチュラは捕獲に失敗すると気絶させてくるどうぶつの森内でも特殊な昆虫であるが、捕獲して売ると高価である。
スローライフ組のような正攻法であれば、そうした高価な昆虫や魚などを捕獲し売却することで資金を調達する。
今回のどうぶつの森では離島と呼ばれる場所へ行くことで、特徴をもったフィールドを探索することができる。
そんな中、上記のタランチュラが無限湧きする島が発見され、スローライフ組は網一つを持って島へ乗り込み、タランチュラを大量に捕獲、密輸入し始めた。
一方の時間遡行者はチュートリアル後の一日待たなければならない類のイベントをことごとくスキップし、各人で従来のシリーズからあるようなATMにある程度の資金を預けて時空を飛ぶことで莫大な預金利息を受け取るテクニックなどを使用していた。
もちろん、本当の意味でスローライフしており魚釣りなどをして稼いでいた者もおり、この場合、稼げる額は日30~40万程度と思われる。
タランチュラ島の一回の渡航(30分程度)で得られる利益が23万程度であることからするとやや物足りない額かもしれない。(タランチュラ島に行けるかはランダムではあるが)
どうぶつの森にはカブというものがある。一週間で腐る以外は価格が上下する、まあ株だ。
日曜日の朝にはカブを売りに来るキャラクターがおり、そのカブを一週間以内に買値より高く売ることで利益を出すというものである。もちろん市場価格が上がらず大損をこく可能性もある。
当然、時間遡行者は先に株の値動きを見てくることができるので損をすることはない(株を持ったまま時を戻すと腐るが)
一週間で最も高騰している時間帯を把握し、日曜午前に戻り、株を買い付けることで無限の錬金術を使うことができる。これをやれば確実に借金は返済出来てしまうが、こつこつ返していく苦労こそこのゲームの醍醐味であるともいえるのでタイムスリップを使う人と使わない人はゲームの楽しみ方が違うのだ。
しかし、そんないかさまじみた技がありながら、いちいち株を買い付けて時間操作をするのは面倒だと感じる時間遡行者も多くいた。
このゲームはオンライン要素がある。他のプレイヤーのゲーム内へ遊びにいくことができるのだ。そして時空の違う島に移動してもカブは腐らない。
時間遡行者はカブが高騰している時間に自らのゲームを固定し、ウェブ上に買値を公表し売りにきたいプレイヤーを募集する。
手数料の相場は99000を1袋として基本単位としている。(ゲーム内でひとまとめにできる最大額)
個人プレイヤーが思い思いの手数料を設定するためピンキリであるが、概ねカブの買値の高騰具合と相場は比例しており、私がざっと見た感じでは今のところ買値1カブあたり400~500で1往復あたり袋2~3、500~600で袋3~5程度といったところか。(ツイッター市場。よそならもう少し良心的のようだ)
日曜朝の時点ではもう少し乱高下が激しく7袋、9袋を手数料として要求するプレイヤーもいた。
また利益に対する割合で手数料をとっているプレイヤーもいたが、利益をごまかすことも可能なので廃れたようだ。(割合としては3割~5割だった。鬼か?)
3袋だとしても一人一回、30万である。
そもそもカブがどれほど儲かるかを説明する。キャラクターから購入する元値は1カブ90~110程度である。そして持ち込める量が3000か4000カブであるから、利益としては100万以上出る。
手数料は時間遡行者のゲーム内へ行くたびに発生する(一往復あたりn袋である)、一回の渡航で元値と手数料を払っても40万程度は利益が出るのである。
売りたいプレイヤーの中には自分のゲームをタイムスリップさせるのは嫌だが、他人のゲームなら知ったことではないといった一部のスローライフ組もいたため、高い手数料で自ら搾取されにいく光景も見られた。
オンラインでは最大7人まで他人が参加できるので、全自動で7人が30万を手数料として支払っていくのである。
ホスト役は金の回収はたまにやる程度でおそらく別のゲームでもしてるだろう。
オンラインは入退場時にセーブとロード等の行動制限が挟まり、7人も統制のとれていないプレイヤーを集めるとプレイできたものではない。
誰かが入退場するたびにゲームが中断するため、人が集まっている場所ほど効率でいうとものすごく悪くなる。(結果的に回転率も落ちるので手数料も減る)
そのため一部のホストは特定の少人数でカブを高速売買するためにツイッターの水面下に潜り完全な闇市場と化しているなどした。
手数料が安い場所ほどホスト役が善意でやっていることもあり、参入制限を設けないため混雑しゲームに参加するまでの待ち時間自体が長くなるなどといった例もあった。
ちなみにこのあくどい手数料商法はツイッターの一部界隈でお気持ち表明が相次いだ。
完全なグリッチである。一部のゲーム内アイテムを複製できるというバグを利用して、カブの数倍効率的かつ快適に金策を行うことができる。
市場に与えた影響は大きく、複製用の高額アイテムが市場価値を持ち、カブ取引ですでに落ち続けていた金銭そのものの価値がさらに下落した。
物々交換時代の到来である。金は飽和しているため、入手が難しいアイテムが市場に登場し始めたのである。
現在は希少な花や鉱石、初心者でも入手は簡単だが数を揃えるには時間のかかる木材などが価値を持っている。
今後も注視し続けたい。
リンクに申請や通知が必要なんて言ったら笑われた。実態も技術も何も知らないものとして嘲笑された。
時代は下がって、企業Web担当者よりも平均的な個人ユーザーのほうが概ね賢くない時代、
リンクに申請や通知が必要なんて言ったら……おそらく、実態も技術も何も知らないものとして嘲笑されることはないだろう。
…まあ、なんだ、その…、いや、まあ、
どこまで意図されたものかはわからんし、担当の人そこまで考えてないと思うよ的な感じもすごいするのだが、
サーバ負荷も帯域負荷もコンテンツ盗用も全く考えずリンク張ったり埋め込んだり手元に保存してアップロードしたりしたりしてる昨今、
そのサイトをどう利用しようとしてるかを相手サイトに(結果的に)報せて許可もらってきてください、という手順はうまいこと選別の役を果たしてると思う
去年の3月にiPad Pro 11inchのセルラーモデルを買ってからLINE mobileのSIMで運用してきましたが、全くLTE回線を使わない月もありました。
LINE mobileのデータ専用回線も十分安いのですが、新しいものに惹かれてIIJ mioのeSIMに乗り換えてみました。
初期手数料が3,000円とeSIMの発行手数料が200円かかります。
また、使っても使わなくても維持費用として毎月150円かかります。
その上で実際に回線を使うのであれば、1GBあたり300円払って(10GBまで、途中で単価かわります)利用することになります。
そのため、毎月1GB運用するのであれば、初期費用3,200円+450円 x 月数だけ支払う必要があります。
なお、購入したデータ容量は月末までの利用期限があり、翌月に繰り越しはできません。
機種変更など別端末にeSIMの契約を移す場合は、eSIMのアクティベーションコード再発行手数料として200円チャージされます。
1契約あたり1つのeSIMのため、複数の端末でeSIM運用する場合はそれぞれで初期手数料がかかります。
IIJのeSIM専用ページから申込を行います。
UIは良好ですのでそれほど苦労せずに申し込みが可能だと思います。
私は最初はデータ容量は購入せず、オプションも全て入らずに契約しました
申込が完了すると、数分してアクティベーションコード発行の案内メールが来ます。
私の場合はiPadで使う予定だったので、iPadの設定アプリ→モバイルデータ→プランその他でQRコードを読み込むと設定が完了しました。
もともとLINE mobileのAPN設定がされていたので、それをIIJのものに書き換えて使用しました。
アクティベーションコードをiPadに登録したあと、戯れで設定を消してしまったのですが、再登録ができず、再発行することになりました(注意書きにも書いてありました)。
再発行すると200円かかるので消してしまわないように注意しないといけないです。
アクティベーションコードのQRを読み取る際にiPhoneにQRコードを写してiPadに読み取らせたのですが、いまいちちゃんと読み取れているかが不安になるUIでした。
ここにQRコードを持ってこいと言われるのですが、そこに持っていかなくても読み取ったりするので本当にうまくいっているのかどうかがよくわからない挙動でした。
APN設定をIIJのものに変えても最初は3Gにしか接続せず、何度かAPN設定を打ち直しました。
全部消す→再度入力→ほっとくを繰り返した結果、LTEに接続されましたが、少し挙動はなぞでした。
私はいつ外で使うかわからないiPad Proの契約として利用していますが、そういった人は本来はテザリングで十分かもしれません。ただ、私はテザリングで繋ぐ一手間が面倒ということもあり物理SIMを入れていたので結果的にコストパフォーマンス良く運用できる形のeSIMが出てきて満足です。
iPhoneの2回線需要を見越したプラン設定のように思いますが、こういったいつLTE回線を使うかわからないタブレットでの運用にも向いていると思います。
アレ。
別に電通案件でも何でも自分自身は正直どうでも良いんだけど、かなり悪手だってのは分かる。
まず仮に最初から電通案件だった場合。最初から映画を作る事を前提としてるなら、それを隠した宣伝案件なのでPRタグが付いてないとヤバい。
漫画を基礎とするメディアミックスの結果だとしても、どちらにせよTwitterは個人事業主である制作者が宣伝するなら兎も角として企業が絡むなら「Twitterの広告枠を買わずに宣伝した」事になるので、利益を逃したTwitter社が今後の漫画投稿を制限する可能性が有るのでヤバい。
次に、途中から電通やら諸々が絡んだ通常の書籍化&メディアミックス案件だとしても、これはこれで普通にタイミングが悪すぎる。100日目まで溜めてから各種発表するのは無駄な邪推を生むので良くない。
もし仮に今回の炎上を最初から想定した上で行ってる場合は更にヤバい。
Twitter使って漫画をUPしてる人は常にPRでないかどうか疑心暗鬼になるので、今後は同じ手が使えなくなる。つまり次回以降(世代交代等でほとぼりが冷めるまで)自らも同じ手を使えないという焼畑農業だ。
もっと言えば似たような手を使う場合、漫画家への説明として「Twitter社や読者の追及を躱すために」という理由で本契約にせず口約束扱いにし、宣伝効果が見られないなら切り捨てる……とかも考えられる。
ここまで黒い事をされるとクソすぎるが大体そういう漫画家の多くは売れない弱者なので、口約束では動かないようにするのも難しい。なのでジャンプみたいな専属契約を結ばない限り専業の商業漫画家は良いように使われる。専属契約を結ぶのも会社に縛られる可能性が高いのでリスクだらけだ。
ついでに言うと今回の案件は同人の漫画家にも割とダメージ大きくて、今後こういう宣伝を無料でやってる一次創作の同人作家は全て疑心の目で見られる事になる。なので最初から「これは次の夏コミで出します!!」とか同人専用だと宣言しないとヤバい。
つまり結果的に同人関係の市場も地味に縮小しかねない。更にヤバい。
市場の流れに沿えて三流、市場を育成できて二流、市場を新たに作り出せて一流だと俺は思ってるんだけど。
電通関係者は何も考えずにテレビのノリで100ワニという市場を別個に作ろうとしたのかもしらんが……それは漫画市場という中の一つでしかなく、漫画市場は今でも少ない牌を奪い合う状況なのに漫画市場自体を縮小させるヤベー事をしてるってのが今回の流れだと思う。
もう少し厳密に言えば……宣伝関係者は何でも宣伝すれば売れると思ってるが、この宣伝で買う層というのは言うなれば無党派層みたいなモンで、こういうのは宣伝という誤情報を流すと無思考でそっちの方向に傾くだけなのだが。
しかし、こういう層は本来の購買者層ではない為、宣伝が途切れると同時に波が引いていくのが常だ。その中の作品内容なり何かが刺さった一部が市場に足されるが、それは得てして微々たるものでしかない。何故なら宣伝は宣伝の域を超えず、作品自体の魅力が上がる訳ではないからだ。下手すると嘘を吐かれて怒り狂い、その市場から去る人間すら出る。
なので宣伝関係者は自分達が市場を作ってると考えているが、実際には宣伝で動く層を右から左へと動かしているだけなのが実態であり、結果として市場が荒れるだけに終わる場合が多い。テレビ局を断る店なんかは大体こういう一時的需要の被害者だ。
こういった市場が荒れて縮小すると客層を掴めた会社以外はボロボロになるので、日本全体の経済自体が縮小する。そうなると広告で動く層それ自体も減る。バナナや納豆を買い占める無思考な人間を作るのが、広告業の仕事ではないのだ。
広告業とは本来、今や未来の世界に必要な物を客に知らしめる誇りある仕事である。そうあるべきだ。
つまり一流の広告業というのは戦前でいう八木アンテナみたいな「知られざる世界的に売れる物」こそを売るべきで、そういった見えない需要を把握してこそ新市場は開拓される。その為には、広告業の上層は経済を含む全学術知識や、幅広い観点を持ったエリートによって構成されるべきだ。これは広告業でなく社長クラスなら当然の事だ。
なので今回のような生きる死ぬといったテーマ性の高い作品を広く知らしめるのは、その点に限れば観点としては悪くない…………だが現状、やり方が不味すぎる。
これが広告業の習慣から来るミスなのか、営利的悪意的なモノなのかは分からないが。何にせよ担当者は今回、広告の市場的な立ち位置について深く深く反省すべきだと思う。
(20:50改稿)
摂津(西部)・播磨・但馬・淡路・丹波(氷上郡・多紀郡)の5か国が置かれた。
神戸港が貿易で栄え、武器を収める倉ができ、兵庫という呼び名が広がり、いつの間にか合併されてしまったこの5か国。
兵庫県となった今も、この5か国の分断は続いている。
まず地形を見てほしい。日本海から瀬戸内海があるのが兵庫県だ。山も海もある。
隣県は大阪、京都、岡山、鳥取。どれも微妙に毛色の違う県である。
しかし、やはり県境というのは日本人にとって重大なもの。隣県に、いつも仲間に入れてもらえないのだ。
尼崎なんてそこらの大阪より大阪の中心部に近い。なのに、大阪ではない扱いだ。市外局番06なのに。ほとんどの市民が大阪に通って仕事しているのに、だ。
結果的に、地域性や自分がどこの出身かということを強く意識し、そして愛する人が多くなっていった。
自らを「〇〇市民」「阪神沿線」「阪急」「JR」「伊丹空港」「自然学校」などと称する人ばかりになった。
ゆえにケンミンショーという番組が始まるまで、兵庫県民という使い方は一般的ではなかった。
ケンミンの焼きビーフンは神戸の食べ物であり、別に兵庫県民に特別なじみがあるわけではない。
正直兵庫の真ん中、秘境の地(何もないので大河の撮影をしている場所)あたりの方言は、もはや関西弁ではない。何を言っているのかわからない。
淡路島という場所も兵庫県にある。ここもまた、独自の文化で発展した。
「神が生まれた島」ともされている。
それゆえか、いたるところにタコが干されている。タコの印象しかない。
しかし淡路島の玉ねぎが無ければ、日本に淡路島の玉ねぎが無いということになる。淡路島は大切だ。
姫路の人は神戸人のふりをする。姫路はド田舎だ。神戸は三宮以外わりとなんもない。
宝塚なんか松岡修造の祖先が作ったような地域だ。阪急の支配下である。ウィルキンソン炭酸水がとれるくらいしか土地的には面白みがない。
思うに、兵庫県と呼ばれる場所は、戦乱をくぐりぬけ、平和こそが大事だと悟り、大切に、尊重しあった結果、
自国(摂津播磨但馬淡路丹波)の概念は残り続けたのではないか。
それに伴い、兵庫県知事は住民票に基づく兵庫県民に対して「外出を控えるように」と宣言した。
海の、山の、六甲おろしを超えた、また海の、兵庫県民たちがざわついた。
決して、交わることのない兵庫県民が、はじめて一くくりにされた。
はばタン、空を飛ぶ。
「そんなことも知らなかったのか」と言われそうだが、つまりはただの感想文だ。
ソープランドに行くまでは童貞だったと胸を張って自称するにはいささか躊躇いがある。彼女がいたことは何度かあるし、その中で性交渉を持つ機会もあった。ただ、相手に結婚するまでは処女でいたいと言われたり、いざセックスをしようとしても入れられなかったりして、未だ挿入には至っていない。釣りと思う人もいるかもしれない。
福岡に住む高校時代の友人に会いに行った。盆や年末年始に帰省したら会うような仲だったが、相手の家に行ったことはなかったので観光を兼ねて訪れることにしたのだ。
家に泊めてもらって夜に酒を飲む程度の心づもりでいたら、ソープランドへ行かないかと誘われた。いわく、風俗に興味があるが1人で行くのは不安だ、でも同行者が見つからないとのことだった。偶然自分も長らく独り身で彼女ができる見通しもなく、風俗で性行為するしかないが一人だと勇気が出ないと考えていたので、二つ返事でOKした。詳しくないが福岡はソープランドが有名らしく、せっかくだからということでソープランドに行くことにした。
2人のスケジュールの関係で平日午前に行くことにした。店は先に調べて決めていたが、予約をする勇気はなかった。そうしたら、性欲をかきたてられない顔の嬢(好みの話であって決して不細工というわけではない)と初勤務の嬢の二択を迫られ、悩んだ末に経験を妥協した。
とはいえ、初勤務というのはこの店舗でという話であり、十分な経験を積んでいるようだった。おまけに写真より顔が良く、結果的に良い選択だったと思う。
さすがプロだけあって、手コキもフェラも本番も上手く、気持ちよくさせてもらった。しかし、ただ奉仕してもらうだけというわけにはいかない。前戯もなしに挿入が非常識なことはさすがに知っているから、性感帯をいじる。挿入して動く。これが体力的にも技術的にも存外大変だった。AVでいとも簡単にピストン運動する男優がただ者でないことを思い知らされた。
話が脇道にそれたが、そうすると、嬢はいかにも感じているように喘ぐのだ。素人が当てずっぽうに動くだけでそんなに気持ちよくなれるのか。そもそも初対面の顔も良くない男と性行為をしてそう簡単に気持ちよくなるのか。好きでもない男に言い寄られて大層迷惑する女の話がインターネットに氾濫するこの世界で。そういう思いがむくむく湧き上がってきて、心が萎えてしまったのだ。
嬢の接客が悪かったと言いたいわけではない。もしかしたら客観的に見て演技が下手だったのかもしれないが、自分は他の例を知らないので何とも言えない。感じていること自体が本当に思えなかったので、どうやっても心が萎えていたような気がする。でもマグロの方がいいなんて客はおそらく滅多に遭遇しない異常者だと思う。そんな存在を念頭に置いて仕事をしていたら、その嬢は人気が落ちて偉い人に怒られ、収入は減ってしまうだろう。
萎えた萎えたと言ってもちんこの方は萎えずに済んで(これでちんこも萎えていたら嬢に申し訳が立たなかった)、挿入した状態で射精もできた。だから必要なだけ気持ちよくはあったが、同時に虚しさも感じてしまった。
自分の行為が相手を気持ちよくさせられるのだと全く信じられないのだ。だから嬢の反応が嘘に思えてしまう。そうすると自分の気持ちも萎えてしまう。これが例えばピンサロだったら、嬢が気持ちよくなりうる要素がないから、後ろめたさを感じずに気持ちよくなれるのかもしれない。もしくは恋人とセックスするなら、恋愛感情補正で相手が気持ちよくなっていると信じ込めるのかもしれない。
そんなわけで、セックスを楽しむには自分が気持ちよくしてもらっているという感覚と、自分が気持ちよくしているという確信の両方が必要なのだと感じたのでした。
いまあえて主張しないといけない。複数性とは「悪」である──〈らしさ〉のゆくえ #1 千葉雅也|WIRED.jp
https://wired.jp/2020/03/19/hints-for-the-futurist-chiba/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/wired.jp/2020/03/19/hints-for-the-futurist-chiba/
この元記事はもともと「正しさの押しつけ」について論じたというより、世の中を全て善良にしようとする同調圧力と結果的に招来されるディストピアについて述べたもので、フラット化する社会への警鐘ですよ。それは70~80年台に危惧された表の世界での全体主義ではなく、精神的全体主義について述べられている。だけどブコメはラストの2行くらいを取り上げてて、「正義で殴る」ことに注力しているように見える。これって普段からはてなが正義で殴ることを良しとしない、みたいな意見が多くあるせいで、それこそ「全体主義的な」意識で脊髄反射的に反応しているようにしか見えないわけです。「正義で殴る=悪」のテンプレ化。これ自体に対するカウンターがそもそも冒頭の「人間は理想像」に対する段落です。ぶっちゃけ千葉さんの理屈なら、「正義は内在されていても構わない」わけです。
日本のフェミニズムが抱えている問題は複数あって、煎じ詰めれば「思想の善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。
女性の地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構。
しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果が殆ど出ていないことに問題があるのである。
むしろ、結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲からの評価を下げてさえいるのが問題なのだ。
古来より女性は男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。
例えば、近代イギリスの小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性は自分を殴る男性を好んでいる。むしろ、自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。
このような記述は、文脈的に言えば主人公のチャールズ・ストリックランドがタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場で女性を一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。
また、自然主義(人間の本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想)作家の大家である、近代フランスのエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実を標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。
このように、国の内外を問わず、女性に対する男性からの暴力というものは散見される。流石に、このような状況は現代において相対的に改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。
問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズムの評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である。
具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?
以下に論点を纏めていく。
古代ギリシャの劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。
女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」
と、戦争反対のため断固セックスを拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである。
女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。
このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代のフェミニストらにも見られる。
女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会に地位を占めること――その権利を回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀のフェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。
イランのごとき保守的な国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体をベールで覆う必要がある。そのような規則が女性の利益を担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体をベールで覆うことを一般的によしとしない。
女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である。
性はそれまで女性の自由にはならなかった。構造主義の先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性は男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判は推して知るべしだが、女性の婚姻が父権的立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代が存在していたのである。
自身の性を管理し行使する権利が、婚姻の不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性の権利は現代において拡張されたのである。
とは言え、問題はこの延長線上にある。
女性が自身の身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネスの喜劇に見られるように、女性の自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性の権利の実現が確認できる。
しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。
相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。
当然、女性が社会進出をする上で、女性が自身の性を政治の手段として用いることには、危うさが秘められている。
そのような危うさをして、現代のフェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。
これらの分野における女性の露出が性的搾取の危険を秘めている、と現代のフェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。
女性がスキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?
政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性と女性という対照を想起させる。
男性は狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性は狡猾である。男性は暴力を行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性の尊厳を根本から損なうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力の弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティとコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性の尊厳が考慮されることはない。
昆虫や動物らに見られる、コミュニティとコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。
男性は狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。
勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合は存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。
その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。
人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。
我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。
それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。
性的魅力は疑いなく女性の能力である。女性が自身の尊厳を担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。
しかし、その能力を女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。
近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。
例えば、大きな胸を強調したポスター。女性の魅力が強調されてはいるが、不適切な方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。
この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。
とは言え、ここが言わばロドスである。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。
勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論の錯綜するポイントがある。
まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。
女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。
自分の能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である。
例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。
例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なラインで身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。
絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。
これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性の地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである。
例えば、女性歌手が楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。
「媚び」はこの場合、不自然に女性の立場を貶める行為であり、最終的な女性の不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取の対象であると、誰かが指摘する。
例えば、写真家が女性の写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。
例えば、
例えば、例えば、例えば――
女性が魅力を発露すること、それが搾取の対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性の尊厳を担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取の対象とされてしまうこと。
女性が能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。
能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益に帰着すると、その誰かは指摘する。
これが、フェミニズムがソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である。
カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取」であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。
このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代のフェミニズムによって獲得された、女性が自身の能力や魅力を自身の権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。
能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。
このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?
勿論それは不可能である。フェミニズムは矛盾にぶち当たっている。
そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズムの論理が一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在。思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。
結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。
その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである。
昨今のフェミニズム運動の空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾を解決することなくして、現代のフェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。
結論としては以上となる。
投資に見合うのは期間、費用、想定収益が見えるような段階になっているもの。
当然その前に試行錯誤して、客と商品のすり合わせをしないとならない。じゃあ、その間の生活費研究費どこから出てくるっての。
金を出す側も、右も左も分からないから出せない。何よりも右も左もわからない段階で金をもらえるかもしれないと詐欺師も近寄る。真面目にやっても結果的にだめだったと詐欺と思われるかもしれない。
大学の研究としてであれば期間、費用、想定収益が出せなくても、研究結果として示せれば研究はできる。
論文として成果を世に問うことと大学機構を用いた少なくともおかしな用途に使っていないということを示すことができる。
そもそもさ、新自由主義に転換する前の1990年代以前は成果を出せていたんだよ。
新自由主義はすべてのものは投資対効果を図れるというのと、政府の関与は常に非効率だというもの。だから、民間に委ねて民間の投資で運営すればよいというものだった。
早く終わったと伝えれば次の作業が振られるだけで、振られた作業によっては余裕を持った仕事ができなくなるから
まるっきりサボるつもりはない、ただ仕事の余裕を持ちたい、それだけだ
が、上で仕事を振り分ける側に立つと、下のメンバーのこういう内職的なやりくりは正直あまりうれしくない
カツカツのスケジュールにするつもりはないけど、手持ち無沙汰で別のことしてるくらいなら終わったと言ってほしい
こちらはやらなきゃならないが指示まで落とせてない話を何本も抱えているから
そういう意味で、今、仕事を一緒にやってる若い女性はとてもやりやすい
終わったら終わったと伝えてくれる
案件が固まらず手持ち無沙汰な状況になると、定例会議で他の作業でできるものをやりましょうか、と自分から言ってくれる
これはやりやすい
新人で配属されてから契約が切れず、結果的にもう5年目くらいになるらしいがよく分かる
一方で、とても愛想が良い中堅の男性
よくやってくれているが、この内職工数を取りがちだ
サボってるとまではいかないけれど、どうみても終わってるのに報告はしてこない
進捗を確認すると一気にいくつか連絡してくる