はてなキーワード: 病理とは
・宗教がないこと
その依存先がないから、男は会社(仕事)に依存したり、子供がいる女性は子供に依存したり。
その結果、長時間労働で、仕事を辞めたら何も残らない男が沢山、母子関係が不健全で母親との関係に悩む人が沢山(親が1人で子育てしてた家庭、母子家庭や父子家庭、事実上の母子家庭や父子家庭な家庭に、親との関係が不健全な人間が多い。男の長時間労働のせいで、事実上の母子家庭が多すぎる
子供がいない女性はアイドルや二次元や恋愛(モテ)に依存、仕事に生きたくない若い男は、アイドルや二次元に依存(最近増えてきた。これまでは男の依存先は仕事ばかりだったのに
宗教があれば、長時間労働や、機能不全家族が蔓延る現状を変えられるのでは、と思ったり。
人間は弱いから、何か依存する先が必要で、宗教という健全な依存先がない日本人は、仕事や子供に依存して、それが社会病理の原因になってるのでは、と思うから。
宗教があっても、長時間労働が当たり前の社会なら、家庭に父親不在で実質母子家庭になって、親子関係が歪になるのかなぁ、韓国とか。宗教ありそう、キリスト教、浸透してるのかな?
宗教の有無より、長時間労働前提の働き方が社会病理の原因かな…
・学歴差別、性差別という、自分でどうしようもない属性での差別が当たり前になってる
性差別は許されない、は、万国共通だとしても、学歴差別は、自分で学歴を変えられる環境なら、あっても仕方ないのかな、と思う。より多く努力した人が良い思いをできるのは当然、と考えれば。
けど、日本の場合は自分の努力で学歴を変えられない、生まれた家庭(親の経済力)によって学歴が決まるから、自分でどうしようもない属性によっての差別がある、という点では、日本で当たり前の、学歴差別も性差別と同じぐらい酷いと思う。
大人になってから大学に入り直せたらいいのに、新卒一括採用と終身雇用のせいでそれもできないから、そして、新卒一括採用のせいで就職先は大学卒業の時点で決まるから、その大学卒業という学歴は家庭の経済力で決まるから…という、自分ではどうしようもない生まれた環境によって、学歴が決まり、就職先の選択肢が決まり、年収が決まる、理不尽。
当たり前に大学卒業してる側の人間は、低賃金・底辺の人間を見て、なんでわざわざこんな仕事をするんだろう…と思うけど(少なくとも私は思ってしまう。なんでわざわざこんな低賃金で割りに合わない仕事をするんだ、とか)それは、選べる人間の考え方で、肉体労働しか選べない、低賃金の仕事しか選べない人間もいるから、そうやってわざわざ低賃金で割りに合わないような仕事をする人間がいるのかな、と。
選べる側の人間からしたら、選べない人間の存在は想像しにくいけど、学歴がないから頭を使う仕事に応募できない(応募しても採用されない)、そもそも、頭を使う仕事をしたくても頭が使えない、って人間がいるのかなぁ、と…。
頭を使う仕事をしたくない、って人もいるだろうけど。その人たちにとっては、低賃金でハードで割りに合わなくても、頭を使う仕事よりかはマシ、ってことなのかな…わからん。
大卒の中でも学歴差別があるけど、それよりも、大卒と大卒以外で大きな差別があることと、その大卒という属性は個人の努力ではなく、親の経済力によるもの、っていう、学歴差別は問題だと思う。
そういう分断があるから、大卒と大卒以外で罵り合ったり、男と女で罵り合ったりしてるけど、そういう分断を生み出す社会構造に怒りのエネルギーを向けた方がいいと思うんだけど。
高学歴と低学歴とか、男と女とか、都市と地方とか、分断がある同士で喧嘩してるだけじゃ何も変わらないだろ…と、ネットを見ててよく思う。
そもそも変えたいわけじゃなく、差別のある理不尽に怒りたいだけだけなのかな、そういう人たちは。
それなら、いつもいつも、争いあってるのは仕方ないのか…
流産が発覚してから手術日まで4日。その間に子どもは自然に流れてきてしまった。
既に出血が始まっていてこのまま自然に出てくるかもと言われたけれど、前回の流産はまったく出てくる様子がなく結局手術になったので、まさか本当にそうなるとは思っていなかった。
出血し始めて2日後、だんだんお腹が痛くなってきた。常に痛いわけではなく、数分重い生理痛のような痛みがあり、その後10分くらいはなんともなくなる。そしてまた痛み始める。その繰り返し。
次に痛み始めたときにスマホを見て時間を見、続く時間を測る。そして収まった時間と、再度始まった時間を見る。
間違いなく規則正しく痛みがきている。そしてだんだんその感覚が狭まってきている。
医者にお腹がいたいときはもう鎮痛剤を飲んで良いと言われていたので、ロキソニンを飲んだ。生理痛のときは毎月お世話になっている。
わりかし重い方なので飲みなれている。だいたい15分くらい耐えれば効いてくる。
今回は陣痛みたいなものとはいえ赤ちゃん自体の大きさは6週目。2cmくらいだと聞いたので鎮痛剤が効くだろうとタカをくくっていた。
いや全然効きませんがな。飲む前が10だとしたら9くらいにはなったけれど全然痛いですねこれ。
世の中のお母さんはすごいな。
布団の上でのたうち回る。脂汗ダラダラ。だめだとは思ってたけれど、耐えきれない痛みに涙目になりながら、収まったすきをみて最強の鎮痛剤であるボルタレンを飲む。
そういえば生理痛を癒やすためにロキソニン飲んでからお風呂に入ったりしてたな、と思い出してお風呂を沸かす。
あとで掃除が大変になるとはわかっていても入らずにはいられない。
暖かい湯船に入るとなるほど確かに少し収まったような気もする。ただやっぱり痛い。のたうち回る場所が布団からお風呂に変わっただけだった。
顔が汗びっしょりで気持ちが悪い。また痛みが収まったすきをついてシャワーで洗顔する。泡立てている間にまた痛み出してうずくまる。
うぐっ!!!!と声が出るほど大きな痛みがきた瞬間、さっと痛みがひいた。
何かが流れ出てきた。
間違いない。これだ。
腹痛はウソのようになくなっていた。
その後手術日に術前診察を受けると、やっぱり赤ちゃんはいなくなっていた。出てきたものを病理検査に出すからと言われていたので私はもってきていた。
先生がそれを見ると、ああこれだね。よくがんばったね。
1番いい形で終われたね。手術をするより自然なほうが体には良いしすぐに子作りできるから。と励ましてくれた。
虚しかった。
1回目の流産はそこそこ自分の気持の整理がつくのが早かった。私の母、祖母、叔母、そして義母も1度は流産経験があったからだ。その話を聞いていたし、流産の確率は15%と結構高いということも知っていた。
不妊じゃないだけいいじゃない、って義母は言った。そうですねと笑いながら私は心の底でどす黒い感情を押さえつけていた。
酷い話だ。
それから1週間経ったけれど私は回復できていない。出血もそれから数日続いたけど止まり、お腹の痛みもつわりも消えたけれど、今回は精神の回復がうまくいかない。
前は手術だったから生まれた赤ちゃんを見なかった。でも今回は見てしまった。完全にトラウマになっている。
暗くなるまで外に出れなくなった。買い物は旦那と一緒じゃないと行けない。妊婦さんや小さい赤ちゃんを見るとその場で泣き出してしまう。
前はそんなことなかった。今回も覚悟してたしまさか自分がそうなると思ってなかった。
テレビやネットで妊娠・出産のニュースを見るとどうしても耐えきれなくなってしまう。
ついには旦那とおしゃべりするのも嫌になってきている。何気ない会話ができない。YesとNoで終わる会話なら声を出さずに済むけれど、他愛もない会話ができない。
LINEでなら話せるので今はそうしてもらっている。
妊娠が発覚してからとても良くしてくれたのに、なんでこうなっちゃったんだ。
私が手術を受けずに終わったことで旦那も喜んでいたし、早く良くなるように家事は代わりにやってくれているのに感謝の言葉の1つさえ出てこない。
夜になると、所詮他人事にしか思えないよね、あの痛みも、あのショッキングな光景も目にしてないんだし、だから普通に笑えるし仕事も行けるしスマホでゲームだってできる。
なんて酷いことばかり考えてしまう。口がきけなくなってよかったのかもしれない。
でもあんなこと私だけで良かった、経験させたくないなとは思うし、そもそも男だからできないし。頭ではわかっているのだ。
もともと不眠気味だったのも加速して今は夜に寝れず、日中細切れの睡眠でなんとかしている。
オタクは、自分たちの好きなマンガが幼児性愛であること、女性蔑視のコンテンツであることを認めたら、表現規制しろと言われるんじゃないかと恐れている。
なので、議論ではそのような土俵にあがることを避けて、ひたすら「表現の自由」を言い立てる作戦に出るしかない。
彼ら・彼女らは、女性専用車両が男性を排除していることを差別だと認めたら、ただちに女性専用車両の廃止につながると恐れている。
そのため、さまざまな理屈をひねりだし、何が何でも差別だとは認めないのである。
どちらも共産党のような無謬性を志向しているのであり、自分には一点の非もないと言い張る潔癖な人たちだ。
まあ悲しいことに、世の中には「相手に非があれば叩いてよい」という風潮がある。実際にもし一歩でも譲ってしまうと、敵の陣営が増長して、そこから百歩の後退を余儀なくされる場合もある。
潔癖症を患っている人たちは、このような社会の被害者なのだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20180225105423
追記
「マンガに描かれているのは架空のキャラクターであり、実在の児童、実在の女性が被害を受けているわけではない」という論理にオタクが固執するのは、そのマンガの表現内容が小児性愛かどうか、女性蔑視かどうかという土俵で勝負することを回避するためである。
現代社会では「差別である」という評価を受けたらバッシングされるし、是正を求められる。それと同様、マンガの表現が一旦「小児性愛」「女性蔑視」というネガティブな評価を受けてしまったら、表現規制派がそこにツケこんで攻勢を強めるのは明白だ。
リベラルやフェミニストは差別撲滅に邁進しているが、その熱心な活動ぶりを見たオタクたちが保身に走って、左派のことを警戒するという現象は不思議ではない。オタクは自分の趣味にネガティブな要素があると認めた場合、それを端緒に叩かれて萎縮に追いこまれる不安があるのだろう。
そして、この病理はそっくりそのまま左派自身にも当てはまる。左派はある物事が差別かどうかを決定する際、自分たちの運動にどう影響するかという観点を優先しがちである。運動の訴求力を落とすことには強い不安を感じていて、そのため自陣営の方針を無謬だと主張するしかなくなる。だが、そのようにして内輪の論理をふりかざす姿は、外部にいる者の目から見れば、不誠実で欺瞞に満ちた態度にうつるだろう。
自分のことを何か別の生き物としてイメージしてみろ、と言われたら、
私は自分が脱皮に失敗した蝉の幼虫だと例える。
多分小学生の時だ。
蝉の抜け殻は美しくて好きだった。
夏になると私は、公園の木の幹を抜け殻を集めて回った。
それを見つけた時は、なんだか奇妙な抜け殻だと思った。
半分が白く濁ってその上に飴色の皮がかぶさって居るように見えた。
私はその時、多分まだ低学年で幼かった。
喜んで、その珍しい抜け殻を手にとって、母に自慢しようとした。
すごい抜け殻を見つけたよ、と。
ところが母は、少し顔を歪めて、
かわいそうだから、埋めてあげましょう、と言った。
そう、それはなんらかの原因で、脱皮の途中に息を絶えた蝉の幼虫の死体だった、というわけである。
その時は、おそらく幼すぎて、脱皮に失敗した死骸ということは、よく理解できなったのだと思う。
でも、それは無意識下で私に強く印象付けられて、
今は脱皮に失敗した蝉は、強い嫌悪感とともに時折私の中に蘇ってくる。
あのくすんだ灰白い体、奇妙な手触り、かぶさった幼体の殻。
いつしか私は、まるでそれが自分のようだと考えるようになった。
大人になるはずであったのに、大人になれず、子供にとどまって居る事もできず、
脱皮を試みようとしたまま息絶えた蝉。
長い幼年期の果てに、脱皮はできずに、大人でもなく子供でもないまま息絶える生き物。
こうして実家の一室に三十代を迎え、とある長い修行時代の果てに失敗しようとしている自分が、
別に誰が悪いというわけでもない。
不幸な生い立ちどころか、人が見れば、ひどく恵まれた人生に見えるかもしれない。
人は、不全の状態を様々な原因に去来するものとして分析しようとする。
これまで原因不明だった社会的な不全、あるいは存在的な不幸が解体されようとしている。
それを目の前にして、もしかしたら私はもしかしたら自分は傲慢なのだろうと思う。
そのような一般的な病理的説明で私の不幸を説明することを許したくない、というのが本心だ。
https://anond.hatelabo.jp/20180204120214
こういう意識高い馬鹿が未だにはびこってるのが日本の病理なんだろうなとは思う
普通に考えてもみろよ、金持ちのライフスタイルって金持ちだからできるんであって、一般人や金持ってない若者がやったら破産一直線だぞ
ゲリラ部隊が正規軍相手に正規戦仕掛けたら、なすすべもなく粉砕されるのと同じだよ
お前ら普段は英語覚えたての中学1年生のアホみたいに横文字使う癖に、コアコンピタンスという意味も知らんのかと
俺らがイケメンアーティストやイケメン俳優の真似して女口説いてみろよ、10秒で110番されてポリスメンが召喚されるわ
逆に普通の女性が、超絶美人だったり美少女の真似をして立ち回ったりしてみろよ、3秒で白い目で見られてスマホで映像取られてツイッターで晒しものにされてニコニコ動画で例のアレタグ付きで一生ネットのおもちゃ確定だよ
勉強さえ頑張れば一番簡単かつ確実に上流階級入りできる方法なんだから昨今の医学部人気も当然ではある
でも、AIが進歩したら病理判断なんか全部AIに任せればよくなるだろうから、余程の技術を持った外科医以外お役ごめんになりそう
膨れ上がる一方の社会保障費を考えれば喜ばしいことなんだろうけど
でも頑張って医者になっても雇ってすらもらえず確実に金持ちになれない時代になると、誰も医者なんて目指さなくなるのではないか
実際、司法制度改革で弁護士が増えすぎた結果、弁護士の年収の中央値は1000万から400万に下がったとかで(なにかで見ただけなので正確な数字かは知らない)、法曹志願者も年5万人近く(16年度の旧司法試験の出願者数)から2万人近く(28年度の予備試験出願者数+法科大学院出願者数)まで激減してる
遅ればせながらあけましておめでとうございます。
振り返れば成績が良いため医者になったようなアラフォー世代の勤務医です。
特に親が医療関係者というわけでなく、医学部に入らされたというわけではありません。
もともと他大学の理学部にいましたが、人生に挫折して医学部に入り直しました。
学生時代はバイト三昧でろくに勉強していないので偉そうなことは言えませんが、働いてからのスタッフや患者さんからの評判はそこそこよいように思います。お世辞を真に受けているだけかもしれませんが。
医学は決して一本道なわけではありません。
外科に向いてないと思えば内科もあるし、その逆の場合もあります。
自分はマイナー科(内科・外科以外の科)ですが、この中でも向き不向きは様々です。例えば、精神科と眼科とでは求められるスキルは全く違いますよね。
人とのコミュニケーションが苦手であれば、病理や基礎研究という道もあります。
また、大部分はそのまま医師になりますが、同期の中には出版社や製薬会社に入ったり、官僚や議員になったものもいます。
指導をしていると、性格やコミュニケーション能力的にちょっと厳しいかな…という研修医も時々お会いします。
でも数年後に出会ってみると意外と適応していたり、自分にあっている道を見つけていたりするんですよね。
成績がよいだけで医師に向いていないと思われている同級生も、働いてみると意外に向いている面もあるかもしれません。
学生のときの勉強も重要かもしれませんが、むしろ働いてからの方が大事だと考えています(自分が学生時代に勉強をサボっていたためかもしれません)。
日々新しい薬や治療法が開発されており、知識をアップデートしていない医師は、患者さんにとってはむしろ害となることもあります。
勉強や努力が苦にならない人であればこのあたりは有利なのではないでしょうか。
同級生にも色んな人がいると思いますが、未来のことはもう少し気楽に考えて良いんじゃないかなとおじさんは思います。
世の中は「友達を作ろう」「恋人を作ろう」「家族を作ろう」と言い、はじめから誰かと親しくなることはよいことだ、という前提で話を始める。だが長く社会人をやってきて思うのは、生存にとってもっと重要なのは、とりあえず表面上はそつなく交際することと、カネを稼ぐことだ。職場や近所における、必要最小限の付き合い以上の人間関係は、社会で生き残る上では特に必要ではない。
親しい人間関係は、つかの間の喜びに後に、どっさり面倒事を持ち込んでくる。親しい間柄では、付き合い方に明示的なルールがないから、いろんな不条理が起きやすい。恋人や家族での関係性の病理はその一例だ。
そう考えると親しさとは何なのか。カネだけでは生きていけなかった過去の遺物にすぎないのか。ただ、生存にはもはや必要ないものの、やはり多くの人たちが親しさを求めているのも確かだ。たぶん、それは本能なのだろう。ただ、食欲や睡眠欲が生存に直接役に立つのに比べて、親しさへの欲求というのは、かつては必要だったのかもしれないが、社会構造の変化によって不要になってしまっているということなのだろう。
ますます多くの人たちが恋愛も結婚もせず、家族を作らず、子供を持たなくなりつつある。その一方で、より簡易・安価・安全な形で、ある種の「親しさ」を供給するビジネスが興隆してきている。たとえば、アイドルグループに対する熱心なファン活動。流行中のユーチューバーもファンのコミュニティをインターネット上に提供して、それをマネタイズしている。これらの新しい形の「親しさ」は従来のドロドロした恋人や家族間の親しさに比べるとずっと手に入れやすく制御しやすいのだ。
ブコメで誰かが指摘してたと思うが
病理医の仕事は技師が予めチェックして怪しい所に印付けた所を確認するだけ
それも、必要人数は減るだろうが
https://anond.hatelabo.jp/20171217013541
https://news.yahoo.co.jp/byline/mamoruichikawa/20171217-00079287/
優勝した、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学の研究チームが開発したAIのAUCは0.994。11人の医師の平均値である0.810を大幅に上回りました。
経験をつんだ病理医が、時間に関係なくとことん見た結果、AUCは0.966と大幅に上昇し、優勝したAIともそん色ない成績になりました。
乳がんの転移を調べる、レントゲンで画像判定は既にAIが医者より上だそうで
そもそも画像認識はニューラルネットワークのAIの得意分野だから、当然の結果のような気もする
まあ乳癌なんてハトでもみつけられるただ単純で時間がかかるだけのものだから、人間よりAIのほうが向いているのかもしれない
https://www.cnn.co.jp/fringe/35073804.html
じゃあAIにまかせればいいんじゃね?
そこでういた時間と労力は別の病気の治療にリソースをまわせばいいじゃん
しかしこのヤフーの記事の解説の人も、まだまだAIは未熟だから人間の医者は安泰みたいな論調だけど、
慢心、環境の違いにうつつをぬかしてる場合じゃないと思うんだけどな
つーかAIにとってかわられる仕事の人は職を失う、だから反対!、なんてラッダイト運動は勘弁してください
心理学では箱庭療法という治療法を用いる事がある。空の箱の中へ好きなフィギュアを用いて自由に配置させ箱庭を作らせる。これは、表現療法でもあるらしい。だとすればどうぶつの森というゲームもその一種だ。
頭の中に空想を描きながらまるで盆栽でミニチュアの世界観を作るかの如く、和気藹々と動物たちを暮させる。これには対象の心理が自ずと現れてくるものだ。落ち込んでいるものは何も配置できない。几帳面な者は整然とした箱庭を作る。こうして内面が表に出てくるものだ。
はじめは荒涼なる大地に魔法をかけるかのように、物を増やしていき創造主のような面持ちで世界を作っていた筈だ。
twitterで拡散される事を目的に、劣悪な環境を作り上げるものもいる。その行為ですら、人間性や心の闇の一部を浮彫とさせる。
他人の承認を得たいが為に構築された世界観。どうぶつの森は心の病理も含む一切を詳らかにする。面白さはその点にある。箱庭を通じた他者理解が可能なのである。
どうぶつの森の世界観には、創造主を認める自由な雰囲気があり、解決出来る程度の問題があり望ましい関係がある。遊びを通して、自分自身を表現していきたいものには打ってつけだ。
その金は誰が出すの?
つか本人が金を出しさえすれば今でもいくらでも保育サービスは買えるよ?何故自分で買わないの?
誰が病「児」保育やシッターを「手軽に使える」値段でやるの?
誰かが金を出してくれればいいのに。
そんな都合が良い「誰か」なんていないよ。
https://anond.hatelabo.jp/20171026223119
>その相手の増田は、自分が楽したいという意味ではなく社会的な問題提起として言っているかもしれないのに。
ここ、そうなんです、私もそう思ってます。
ただ、私が言いたかったのは、辞めざるを得なかった人と、権利使うだけ使って辞める人をごっちゃにして欲しくない、ということなんです。
そこの切り分けは他人からは難しいのかもしれませんが、ちょっと環境を整える援助(保育園、学童など)をするだけで、働き続けられる人を減らすことについては、これからも継続して社会全体で考えていく必要はあると思います。
他の女の時間使って産めなくしている、っていう考え方が、そもそも私は違うと思っていて、それこそあなたが仰っているように、社会的な問題提起とするなら、そもそも男女関わらず、家庭やプライベートを大事にしたい人が時間外労働をすること自体が問題なんじゃないの?という所に目を向ける方が効率的なんでは、と思う次第なんです。
もしくは手軽に使える病理保育やシッターがもっと増えれば、多少の残業などにも柔軟に対応できます。
私個人としても、権利使うだけ使って辞めるとか、個々の事情はあるとしても何だそれ、、、というのはとても同意なので、そういう点で適切な評価をされていないと感じるのならば、さっさとそういう場所を去って、お荷物で稼働率の低い社員だけ残させてそんな会社潰してしまえ、ということです。
自分はそもそも時間外の労働をしたくないのか、金銭面や昇格の面でで評価されさえすれば喜んでリカバーするのか、は人によって違うと思うので、自分の考えに合った評価をしてくれる会社を探す方が精神衛生上良いのでは、と。
そういう風に、自分の働き方を能動的に選ぶ人が増えれば、企業も終身雇用でお荷物でもイキイキのんびりーな人が切りやすくなると思うんですよね。
そういうなかから、行動化を防衛機制の一つとする見方も出てきています。
本来の防衛というのは、そういう「不適応行動」をしないための手段であって、その主たる目的は「自分の内面を平穏にする」「自分の中で葛藤が起こらないようにする」「自分の内面に葛藤を抑えてもっていられる」ということなのです。
もっていられる能力は人によってかなり違いますけれども、もっていられないものをなんとか始末してしまう方法というのが防衛機制であるわけです。
(中略)
つまり、行動で発散してしまうので自分の中で葛藤を溜め込んでもっていないで済む。
防衛的な観点から言えば、そのやり方によって自分の内面の葛藤状態を予防している、または解消しているといえるわけで、
現代において、精神医学もしくは臨床心理学の対象が「葛藤を抱えていられない」になりつつあることは諸家が指摘する通りだと思う
社会的に「自由」というものが認められず、人々が単一の規律や常識などに従わなければ生きられなかった時代においては
治療者の対象は「自分を抑えてしまう」ことが成因になるような病理が対象であった
利便性と選択肢の増加は、欲求や葛藤の解消をインスタントなものへと変化させた
「辛くなればやめても良い」「苦労しなくても退屈は紛れる」「ネット越しなら誰かを批判しても、見なければ反論は来ないし直接的な被害はない」「自分の歪んだ欲望も受け入れ、肯定し、賛同・共感してくれる場所がすぐにみつかる」
しかしその一方で、いざ職場に行けば規律を守ることを要求され、規定時間以上の労働に駆り立てられ、下手をすれば休日も返上して出勤する
私生活における幼児的万能感の世界と一転して、社会生活で要求される自己への規制は非常に強いものとなっている
このアンバランスさは、時として人を分裂させる
「私生活としての私」と「社会に生きる者としての私」は、かつてないほどに乖離し始める
もはや、「社会人としての私」は「本来の自分」から離れ、自我親和的とはいえない
48時間チャレンジの記事を見て、「これ、ボーダーの子の試し行為じゃん」と思った人もいるだろうか
素直に甘えを表現することへの葛藤も処理できず、かといって甘えたい欲求を別の形で処理することも出来ず
明らかに不適応な形で自らの親密・依存欲求を満たす行為のように見える
自立と依存の葛藤を維持し、家族ではなく他者に親密さと依存の対象を広げていく過程にある青年期において
家族へ依存欲求を失踪という試し行為の形で達成するのは、どこか歪んでいるようにみえる
満員電車というのは、名前も勤め先も知らない人々が密着した状態で、強制的に一定の時間を過ごします。辛いから何も感じないように、大抵は自分の感情のスイッチをオフにした無の状態になる。そんな異常な空間の中で、ふいに女性に触れてしまうと、それが予想もしないくらいの衝撃的な体験になってしまう。
私はこれまで200人以上の痴漢常習者をヒアリングしてきましたが、彼らの多くはその最初の感覚を『身体に電撃が走った』と言います。本人が意図せずに触ってしまって、そこから『あ、こんな柔らかい感触があるんだ』と衝撃を覚えてしまう。少し言葉は悪いですが、痴漢の始まり方はこの“ビギナーズラック”のパターンが一番多いんです
公私での混同を許さなくなった社会では、時として人格の解離が状態化する
「辛いから何も感じないように、大抵は自分の感情のスイッチをオフにした“無”の状態になる」という一文は示唆に富む
私では過剰に発散し、公ではひたすらに抑圧し何も感じないようにする
自我自体は脆弱なままなのに、その空間に他者の柔らかい感触が侵入してくる
そうすると、脆弱な自我はもはや「触りたいけど触ってはいけない」という葛藤を維持できず、行動化に移る
現代においては、そうした前エディプス的な段階での病理が多いように思える
物質的に富、自由と自立が個人の裁量で賄われるこの時代においては
社会的な規律によって自我機能が助けられていた時代より、葛藤処理が個人の自助努力にのみ任ぜられるために、かえってバランスを欠いた人間性が生じやすいのかもしれない
まだ正確なことは何も分からない。
父が大腸検査のためにクリニックにいった。内視鏡カメラで様子を見ようにもポリープがS字結腸のところで5cm程度に膨らんでいて詳しくは見れなかったらしい。
結局そこの小規模クリニックでは検査を受けることができなくて私立の大きめの病院で無理やり検査をして貰った。
ポリープは1cmを超えるとほぼガンらしくて、今がステージ3か転移しているステージ4なのかはまだ分からない。週明けに入院をして詳細な検査をするらしい。
父の自営業のことやら、親が死ぬのか?とか、自分は今年から無職をしているので今度を継ぐのかとか、別で就職するかとか、考えることがいっぱいだな
たぶん継がないけど、いや、今は上手く考えが纏まらない
2017-10-18追記:
追記してコメントをくれた人に通知が行くのかとか、よくわかりませんが追記します。
検査の結果としては、他の箇所への転移はありませんでした。一部肺に怪しい箇所もあるそうですが、腫瘍かどうかは分からないそうです。職業柄で粉塵を吸ったりするのでその影響でしょうか・・・わかりませんが。とりあえずは静観して後の抗がん剤治療で無くなるかもしれないとのことです。
今週手術をして、もう翌日には歩く訓練をするそうです。今は手術後歩かせるみたいです。
今後なんどか通院する必要はあるそうですが、早ければ今月末~来月初に退院予定です。
とりあえずは、無事のようです。
もちろん、開腹手術中に何かあるかもしれないし、大腸部分の転移?侵食?が強いかもしれない。まだ分かりませんが、とりあえずは一安心というか落ち着けます。
検査の結果が出るまで短い間でしたが、色々考えました。
事業を継ぐ気は元々ありませんでしたが、癌といってもすぐに死ぬわけではないので、事業収縮・廃業するのか、もしくは父の遺志を継いで仕事をするのか。
継ぐというのは会社の従業員の事とかもありますが、父が病魔に侵されながら最後の、何か形に残せる、もしくは目に見えないけど本当に遺せるものだとしたら、継いだ方が良いのか?とかも考えました。
親は死ぬんだ、それが改めて感じられたと言いますか、僕らが成人した時には親は50~60程度だと思いますが、そこで突然死しても「そんな、まだ若いのに。早かったね」程度でいつ死んでも可笑しくないですからね。
何もできないし、結果を待つことしかできなくて、祈ったところで検査の結果なんて変わらないと分かっているのに祈るしかありませんでした。
2017-11-03追記:
ステージは2でした。ですが大腸がん以外にも膀胱がんも見つかりました。他の部分にも癌があるのにステージ2なのか?と疑問が沸くかもしれませんがリンパ経由で癌が増えると?ステージ4となるそうです。今回は大腸がんの細胞が侵出して膀胱がんになったのでステージ2とのことです。
実は術後すぐの報告の際に膀胱がんあるのでステージ4ですと伝えられました。その後大腸がんの細胞を病理に出してリンパの転移がないと判明した訳です。
これは医者側の話術というか、希望を持たせて落とすよりは、一度落として上げてからの方が本人や家族が安心するからだと納得しています。
あとは人工肛門(ストーマ)を設置することになりました。腸の手術をすると一時的にストーマを設置する事があるようですが、父の場合は永久的ストーマになります。
2日に一度程度の周期で糞便が収納される袋を交換する必要があります。死ぬまでです。何とか人工肛門を外せないかとも思いましたが神経に触る?て間違えてしまうと糞便垂れ流しになってしまうようで、自己排便は難しそうな雰囲気を出していました。
今後は放射線治療と抗がん剤の投薬で残った膀胱がんを寛解させていきます。
最初の一ヶ月は入院をして、その後は容態を見て入院して治すか通院で治していきます。
父は大酒飲みで毎日お酒を飲んでいました。その結果がコレです。もしかしたら膀胱がんが駆逐できずに他に転移して死ぬかもしれません。もしくは膀胱がんが寛解した後に再発するかもしれません。膀胱がんは再発し易いそうなので。
自分は大酒飲みではありませんが飲み過ぎることがママありました。今後気をつける、というよりお酒を飲みたくなくなりました。翌日残りますし。
やだなーって思ってた。
髪抜けるのが嫌だった。
髪質が、自分にとって希少な長所の一つなのよ。黒髪の中で浮かないほどの焦げ茶色で、巻かなくても毛先がエレガントにくるんってなるの。
でもまあ、命には代えれんよなあ。
って覚悟決めたら、案外そうでもないんだよね。注射もそうだし、手術もそうだった。事前の想像に比べて、現状はいっぱいいっぱいで、もっといろんな大変なことがあるもので、後から考えると、あんまり大したことじゃない。
でも、もしも。たまに悪魔がささやく。でも、もしも、つらい思いしないで簡単に良くなる方法あるって言われたら…。
正直言うと、噂の水素は何度も調べた。そして、わからなかった……。圧倒的に知識不足なんだよねー。どういう理屈で、何が効果的なのかわからなかった。
親がハマっていて、すすめられては何度も断ってる。拒否していると言ってもいい。
母の説明では、「水素が細胞を正常化させる。カプセルなので水素水と違って飛んでかない。副作用はない。ガンに効いたって話もきいた。厚生省のお墨付きがー……などなど」
典型的っすね。でも、一つ一つ否定したんじゃだめだと思ったの。だから、
「心配さ、してぐれる気持ぢはわがっけども、おめえも、昔、じいちゃん(父の父)の健康食品、愚痴ってたっぺよ。そん時なんつった? んだら、わかっぺな?」的なことを言ったわけよ。ほんだら、なっどぐさ、いがねでも、わがっだーってごどになっで、そんどぎは、おわっだんだげんども、私の誕生日ん時にな、水素の吸入器あげっからー♪って言われて、もうね…… 絶望したよね。説明途中で、察して、いらない!って言ってその場を去った。
何でわかってもらえないんだろう。それは、きっとお互いに思ってるんだろうけどもな。
まだいいのは、現状の私の選択に関しては母は意見してこないこと。
彼女は、色んな手段試しましょうという。でもね、それね、治ったら水素のお陰と吹聴しますよね? 私、色々頑張ったよ。まー、実際頑張ったのは医療関係者の皆様と体内の細胞とかだけども。
あんまり、母に痛いとかつらいとか言えない関係だから、言っても、なんか、わかってもらえない感じがする。痛いとか疲れやすいとか、見た目ではわかりにくくて、できるでしょ、なおったでしょって言われる。これは、結構つらい。さすがにまだだよーと笑って言いながらも、なんだか悪いことをしている気分になる。だって、違和感はあるのだもの。それは、私のお腹の縦が赤道が証明している。こんなに切ったんだなあと、手術跡を見て毎回思う。
現状を見てもらえない、実状をわかってもらえない、っていうのがつらいよねー。でも、現状を知って悲しまれるのはもっとつらい。相手の悲しみに傷つくんだよなあ。それはしょうがないことだけどもね。
脱毛に関しても、自分がなるのはまあ、覚悟つくけど、その姿を見せて、優しい母なり義母なり、悲しい思いさせるのは、本当に心苦しい。
またこの状況をギャグにできるほどタフな性格でもないんだ。後日、「実はね、あの時ねー」って言うんで精一杯…。
思いの外、ながくなってしまった……。
でもね、ひとつわかる。
絶対治るっていうどこで何をしてるかわかんない長い肩書の人と、現場で実際に病気と戦う医療関係者の言葉、どっちを信じるか。
ガン治る人は、ガンなら何でも効きますとかいう。でも、このガンなら対処方法こういうのがありますって方が私は安心する。
副作用はないって、ガン治る人は言うけど、副作用はありますが、症状によって、その都度対処しますって方が私は安心する。実際、吐き気もなかった。
自分の場合は、比較的早い段階なのも心理的に良かった。ステージ1Aなんだ。術後、リンパの腫れがあって、3を覚悟してくださいと言われたが、病理の結果、採取した全てのリンパ節に見つからなかったので、最終的に1Aとなった。
なのに、抗がん剤なのは、まー、あれよ、ガンちゃんが部位の外に逃げ出したかも、チェックに一つだけひっかかったのだー。
でも、それが終わればなんとかなるのだと、先が見えているのもちょっと治療に前向きになれている要因だと思う。
正直、心配してくれたり優しい親の気持ちはうれしいけど、ちょっと、困ってもいる。
それよりも傷もみて、つらい説明一緒にきいてくれて、できることはやらせてくれて、できたら良かったねーっていってくれて、できないことはお任せできて、現状を受け入れて一緒に頑張ってくれる、旦那のような態度の方が、今は一番ありがたい。えへへー 前職が保育士で今が介護職の優しい旦那様なのよー。
実家も、婚家も、家族に恵まれているから、今は安心していられるのだろう。治るための努力も耐えられるのだろう。
また、だからこそ、幻術のような幸せにはあまり興味がないのだろう。
つくづく思うのは、人生は経験だよなって。やなことも、経験することで、たくさん考えて、たくさん調べて、たくさん学んでいる。それを今後にどう活かせるかなんだろうねー。