はてなキーワード: 病理とは
嫁の妊娠前後に上海移住の話を進めておりちょうど一年前までは現地での出産も視野にいれていたのだが
あいにく分娩予約が取れなかったことと、現地駐在の長い知人たちの反対にあい出産後に改めて移住することとなった
反対の理由の8割が「産院のサービスが比較にならないほど低い」ということだ。
「最悪のケースを想定しろ、やつらは必ずその斜め上をいく」
というのが20人中20人から受けた共通するアドバイスで、とうぜん家内もある程度の覚悟はしていたものの
それでも不十分なのだろうと思い至り東京での出産に切り替える運びとなった。
一方でもうひとつ予想外だったのは、日本での出産を薦めたすべての人たちが
と話していたことだった。
この点についてはなかなか疑問を拭えなかった。
なぜならここでは都心主要駅ですらホームと改札階の間にエレベーターがなく、トイレでおむつの交換台を見かけたこともない。
一級都市の、比較的外国人に対してオープンな上海ですら明らかに育児に対してのインフラ設計が不十分なのだ。
歩道はガタガタでベビーカーも押しずらいこの町で子育てがしやすいなんて(笑)、と嫁と話していたものの
次女が8か月になり移住して12か月が過ぎたいま、彼らの意図が良く理解できる。
エレベーターのないホームでは駅員ではない行きずりの人たちがベビーカーを運んでくれる
満員電車に乗ってもスペースを確保してくれる
子供が裸足でいると目の前からすごい勢いで走ってきたおじさんが靴下を履かせなさいと注意してくれる(足を温めないと風邪をひくという迷信?があるらしい)
こんなハートウォーミングな事象が「たまにある」のが日本だが、
この件
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180813120212
その点については正しい。
すべての親も理解していることだが子供の泣き叫ぶ声は例外なく迷惑なのだ。
そして親が子供の躾や面倒を「完璧こなせていない」」ことも許容しがたい要素なのだろう。
ただ、この「迷惑」や「不完全」を許容できない体質が今の日本人の病理だ
電気自動車メーカーのテスラが日本でModel Sの販売を開始した直後、よくオーナーズミーティングを開催していた。
当初のテスラはカーナビが無い、スーパーチャージャーの設置が遅れる、日本語入力に対応してないなど
高級車にしては完璧からは程遠い状態でそんな中開催されたオーナーズミーティングでは
当然のように、あれがダメだ、これがダメだ、なぜこんなことができない、ここはおかしいという話を
わざわざ全国各地から集まったオーナーたちがグチグチ言い合う会になってしまいお世辞にも気持ちのいい場とはいえない雰囲気だった。
そんな中、隣に座っていたインド人がぼそっと
「僕はこの車のこういう所が好きだ」
と呟いた。
すると少し離れたところに座っていたイタリア人が
「xxが素晴らしいよね、いままでにない体験だ」
と便乗してたたみかけた。
そこからは外国人たちが中心になってテスラの良いところを語り合う場になり
序盤に文句を言っていた日本人たちが少しバツが悪そうに発言を潜めてしまったのを今でも思い出す。
少し話が飛んでしまったが、
経済的に中国が成長したといわれている中、ぼくは現時点で日本が技術・サービス・文化、あらゆる側面で負けているととても思えない
去年流行った「深圳スゲー」ブームも実態を知らない一見様の盛り上がりでしかなく
依然中国の産業は「小さく、速く作る」ことの循環の上にしかない。
ただ、この「小さく、速く作る」サイクルが異常なまでに速い。
エラーもたくさん起こる
日本なら低評価コメントが荒れ狂い袋叩きに会うだろう、アプリばかりだが
「こんな所が好きだ」の一言が寄せられてクリエイティブはサイクルする。
新規市場において日本が中国に対して劣っている"ように見える"のは、現時点で一点、寛容性の欠如に他ならない。
どんな分野でも同じことだが、急成長というのはストロングを伸ばすことであり、ウィークを潰すことでは起こりえない。
それこそ子供の泣き声すら許容できないほどに。
みんなうっすらと気付いているのだが、これからはそれではいけない
みたいな軽やかさから世界的なブランドが生まれているのが事実だ
昨日見に行った映画は総製作費200万円らしいけど最高に面白かった。
ファミレスで1000円払ったら子供はうるさかったけどハンバーグがうまかった、とか
そんな心構えでいよう
<追記>
10年目内科医。ここを見ていると「医者を増やせば解決する、日本医師会が巨悪」「女性医師は医療崩壊の原因」云々…との意見が多いように思う。
恐らく東京医大の事件に関しても、「男女平等の時代に逆行するなんて前時代的大学なのだ」といった感想を持つのが一般的なのだろう。
しかし、この出来事は実は医療崩壊の最終段階の端緒となる出来事のようにも思われる。
他でも議論されているが、まず医師を増やすことに原則的に反対の医師は多くないように思われる。増やせるものならどんどん増やしてほしいと思っている。
しかし我が国の医師の数が増えないのは、医師会が反対しているから、医師らが声をあげないから、等々ではないように思う。
欧米と決定的に違うのは、我が国では国民皆保険制度があり、誰でもどこでも医療を受ける権利がある。ということである。
極端な話、日本最高峰の大学病院に突然風邪でかかっても、数千円のはした金を余計にはらえば見てもらうことができるのである。
保険証の力は絶大で、診療の求めを受けた医療機関は「応召義務」のため診察を原則拒否できない。
しかし国民皆保険のこの素晴らしいシステムには致命的な制約がある。
それは、国が決めた一律の料金で患者を診察する、ということである。ここに「よりよいものを提供し、より大きな対価を得る」という資本主義的価値観はない。
訓練された一流の外科医が胃がんの手術をしようが、3年目のペーペーが手術しようが、病院が手にするのは「所定の胃がんの手術料金」である。
外来で例えよう。A医師は患者の話を遮り、高圧的で、診察は3分。B医師は患者の話に共感的で、優しく、10分間丁寧に診察を行う。
しかし病院からしたら、A医師は一時間に20人分の売り上げを獲得するのに対してB医師は6人分の売り上げしか獲得できない。病院から見てより稼いでくるA医師の評価の方が高くなる。
要するに薄利多売のビジネスモデルを「お上」に強制されていて、回転率が命なのだ。即ち某ラーメン屋風に言えば、ロット乱しはギルティであり、長話する客と、それを許容する店員は退店やむなしなのだ。
以上のように、国民皆保険のシステムと病院の関係を考えると、「高圧的で話を聞かず、3分診療の医師」の需要はとても高いのだ。
B医師は人間的には素晴らしいかもしれないが、殆どの病院が赤字すれすれでやっている現状をかんがえると、「いらない子」なのである。
でもそんなA医師みたいなやつばかりな病院はどうせ患者がこなくなるかというとそうではない。
一つは、医師不足で患者余りであること、もう一つはA医師のような人物は大体特殊な技術や多分野における専門医資格保持者であったりするからだ。そのような、希少価値のある医者は一時間に20人ほどの予約がはいる。そりゃみんな、「優しいけど非専門」より「ぶっきらぼうだけどド専門」の先生に見てほしいからね。こうしてA医師はさらに人の話を聞かず、高圧的になっていくのでした。
以上のように、医療の価格は「お上」に決められているのだ。うちはすごい手術するから+10万円ね!なんてできない。当然、すごい手術をする医師に特別手当てが出る病院なんてのもない。そもそも病院は儲かってないのだから。
そうすると、医師からしたら、腕を磨く必要って何?ということになる。
普通の会社であれば、大きなプロジェクトを遂行し、地位が上がって、給与もあがり、達成感を得るのだろうが。
それがない医師はどうしたらいい?残されたのは「やりがい」のみである。患者さんに「ありがとう」と言ってもらった。助からない人を助けた。そういうことに価値を見いだすしかないのだ。
医師は医科大学に入学し、その段階から世間とは切り離された環境で培養される。総合大学においても医学部とその付属病院は、他学部とは明らかに一線を画している。「頑張って素晴らしいパフォーマンスをあげれば収入が増える」といった極めて基本的な資本主義的価値観を体験することなく研修医となり、医師となっていく。
そういった育成環境によりいわば世間知らずのまま育った医師は次第に先鋭化していく。「医師は人命に関わる特別な職業であり、滅私奉公を基本とし、過労死も厭わない。金を求めるものは、医は仁術の精神を忘れた愚か者だ」と言う奴すらいる(自分は引いてしまうが、どこの医大にでも少なからずいるものと思う。)
いわばエリート意識の塊となり、医療現場に放り込まれるのである。
一人前の医者になってもその「呪いとも言うべきエリート意識」から解放されることはない。技術を高めても、接遇を改善しても、給与に反映されることはないからだ。
しかしこの「エリート意識の塊」こそ、現代医療の根幹を支えている人たちなのだ。
医者には三種類いる。勤務医、開業医、フリーターだ。一番儲かる(時給換算で)のは開業医、次にフリーター、最後に勤務医である。しかし、勤務医は段違いに忙しく、高度な技術を要求され、責任も非常に大きい。しかもこの三種類の形態はお互い自由に行きできるのだ。
それでも勤務医が存在し続けるのは、「エリート意識の塊という呪い」のおかげであり、先鋭化した医師がいるからである。36時間連続フルパワーで働き、土日も働き、下の教育と、病院経営陣との間に挟まれ、寿命を削る(実際に勤務医の寿命は一般人口より短い)。こんなことができるのは言わば「エリート意識の塊=狂信者」だけである。
この「狂信者=勤務医」の呪いがとけて、居なくなるときが日本の医療崩壊が真に実現するときではないだろうか。
医者を増やす事のリスクとしては、①医師数の増加による、医師の社会的ステータスの低下②収入の低下があげられると思う。
①に関して、先に述べたように「狂信者」のエネルギー源は強烈なエリート意識である。数を増やすと言うことは、医師の質は下がるのは必死である(弁護士の例をかんがみても)。今まで医師になれなかった人を、医師にするのであるから。こうした変化は、家族も省みず、収入にも執着せず、すべてをなげうって医療に身を捧げる者の士気を「医師の希少価値の低下」を通じて下げてしまうかもしれない。
②に関しては、医療費はその半分が人件費であり、医師の数を増やすと言うことは、医師一人辺りの給与は下げなくてはならない。これも「医師間で相対的に少ないとはいえ、一般社会人より多い給与を減らすこと」で「狂信者」の、モチベーションを下げ、呪いを解き、開業やフリーター医師への逃散を誘発するには十分な理由になるだろう。
つまり、今の医療崩壊は医師を単純に増やすだけでは解決しない。また増やすことは万事を解決するわけでもなく新たな問題を起こす可能性もある。
これが我が国で医師を増加させることが、医療崩壊の解決にならないであろう理由である。
歪な国民皆保険制度のもと、なんとか医療業界が試行錯誤でたどり着いた妥協案が現在の医療体制なのだ。東京医大の問題もその歪みの一部でしかなく、この問題を小手先のテクニックで解決したように見せたところで、根本の病理はなにも変わらないのだろう。
今この国の最大の病理は子供を産みづらく、育てづらく、そして子供の将来に益々の不安の種しかない事だろう。
老人から子供まで全ての人間へ福祉を行き届けようとした結果、老人よりも人数が少ない子供が割りを食って下記の記事のようなことがしばしば起こっている。
学校の体育館にエアコンが設置されるも『1回で2500円の電気代がかかるから使用しないでください』とのお達しが教育委員会から届く
https://togetter.com/li/1248247
昔よりも気温が上昇し、30度以上の日数が遥かに増え、夜間も熱気に苛まれて熱中症がより深刻な問題となる中で教育委員会がこの体たらくである。
金がないなら子供の将来の不安の種となる年金なんて即刻滅してこっちに金を充てるべきだろう。
年金問題は結局将来一人の子供につき何人の老人の面倒を見させるつもりなのかと言う問題なのだ。
子供が減る国が滅んで行くのは当たり前のこと。
子供のいない家が滅ぶのは当たり前のこと。
老人の延命に金を使って子供のための金がないと言うほど馬鹿らしい話はない。
昔のように金に余裕がなく、子を犠牲にするくらいなら年金や老人福祉などと言うものは捨ててしまへ。
人間なんて60年生きれば充分だろう。あとは自分の金でやっていけ。
お国のために産めよ増やせよと右派めいた国策を主張するわけではない。
ただ、今まで子供のケアに向いて来ず、割りを食わせて犠牲にして来たばかりに、
政治家は票のために大人だの年寄りだのを相手して来たばかりに、
今のこの国は産まれたであろう子供の命を、その機会を幾ら奪ってきたのか、
これからも奪って行くのか、
そしてその責任だけなすりつけあって滅んで行くのかと思うと心底馬鹿らしく、
私、一増田は、今は存在する全ての命を救おうというところから、新たな命を授かれる国へと立て直して行くべき転換期だろうと主張する。
私は物を介して甘やかされていても、信頼と受容の関係という甘えを体験していない子供であった。輝く子どもであることを無意識に要求され続け、しかし際限のない親の欲望を満たすことができず、常に自己が無力化される機構が働いている。
自己不信を中核とした自己意識は常に悪性の抑うつを生み出し続ける。自己不信が生みだす深刻な抑うつを防衛するために、鏡像で映したような、等価の価値のある自分を発展させて自己をバランスしようとする。甘えと愛を断念して手に入れたのは病理的自尊心であり、背後には茫漠たる自己不信が横たわっている。
内的価値は自分の存在が周囲から許され愛されており、無条件に自分という存在には価値があるという感覚があるときに成立する。周囲の人からどう思われるかに敏感であり、常に他人と自分を比較しながら生きざるを得ない。輝く自分を実現するには、他人を蹴落してでも上位にならなければならない。外的価値は結果を出すことでしか得られず、必然的に対人関係は勝ち負けの世界となる。優越している自分は他者を見下す対象にし、転落した無能な自分は見下される対象になり、対等の人間関係を築くことが困難になる。
拒食症患者は例外なく「平凡恐怖」を抱えている。社会で生きていくためには、誰もが目で見てわかるような外的価値を獲得するしかない。学歴、職業、地位、才能、ブランド、そして贅肉のないスリムな体型はその最たるものである。自分を信じることができない彼らは、他人を信じることができない。自分を愛せないことは、他者を愛することを不能にする。
30代女医です。
私の同期(外科)は後期研修医で子どもを産んだ。夫(外科)が育休を取った。出産は女にしかできない、産んでダメージ受けた身体を休めるのも自分にしかできない、けど育児というか育休を女が取らなきゃいけないっていうのはただの呪いだよ。仕事を優先したい、誰かに迷惑を掛けたくない、とかそういう気持ちはもちろん否定されるべきではないと思うけど、自分の人生何がやりたいかを考えた方がいいよ。仕事をメインで回していきたいなら他を犠牲にするしかないのがわれわれ医師だけど、いいじゃん、9時5時患者のこと全力で考えてあとは自分の人生を生きるのは間違ってない。高校の同級生の2倍給料貰ってたって、それは勤務時間に対して払われてるにすぎない。そんなふうに自分を責めないでほしい。マイナー科だって絶対に必要な科なわけで(うちの大学の病理、残業めっちゃある)、タンス免許にしとくより助かる人は増えるんだし。手の届く範囲より広く誰かを助けようとするのは傲慢だし、そもそもそれは行政の仕事です。子どものいる男性医師は、妻の人生から仕事を遠ざけているんだよ。
あと女が下方婚しないとかいう発言は無視していいです。同じレベルの人と出会うと男の方が給料がいい社会だからです。
医師のキャリアパスは、女性のライフステージに合ってないんじゃなく、人間のライフステージに合っていない。あなたは悪くないし、あなたが医療崩壊の引き金になるというならそれは制度が間違ってるんだよ。
他にも同じようなこと言ってる人いるけど、女「が」仕事を犠牲に人生やらなきゃいけないっていうのは誰かの呪いでしかないよ。ガチで仕事やりたければやったらいい。サポートしてくれる人と婚姻したらいい。今交際してる彼ともよく話し合いなよ。みんなで呪いをといてこうよ。私はこれから妊活だけど、育休は夫が取るよ。そうやって後続の女の子の呪いをといていきたいって、私と夫は思っているよ。
育休とろうがいつでもまた働けるのはこの免許の強みです。せっかく誰かを助ける力を得て、使いたいと思えるなら、自分の好きなように使ったらいいよ。それはここまで勉強して資格を取ったあなたの権利であって、そんなことで誰かに後ろ指さされるならそんな指は折ってしまえ。
日本の労働環境が異常で、それが様々な社会問題の原因だと思うのに、それでも正社員という奴隷を好む人が多いのは、なぜ…
終身雇用の正社員という奴隷的な働き方で会社に依存させられ、そういった不自由な人間が、自分が支配できる人間、専業主婦の妻だとかを求める。
自分が会社無しでは生きられないことを忘れるためなのか、自分なしでは生きられない、経済的に依存させられる専業主婦の妻を持ち、支配し。
そういった夫の支配にストレスを溜めた妻は、子供に歪んだ愛情を注ぎ(あからさまな虐待や、虐待と無自覚の過干渉や)それでストレスを溜めた子供は、学校でいじめをする、と…
支配と被支配の連鎖、暴力の連鎖の社会で、その根源は、パワハラ的な働き方が当たり前になっている労働環境と、会社に依存させられる終身雇用というシステムのせいなのに、なぜ、いじめや性暴力や虐待をなくそうと訴える人は、労働環境の改善に目を向けないのか…
ここが変わらないと、多くの社会問題は変わらない、反対に、ここが変わると、多くの問題はマシになる、と思うのに。
終身雇用の正社員も専業主婦も、他者の存在なくして自らが生きられない、自立できない存在にされていて、そういった、他者や組織に依存しないと生きられないシステムが社会病理の原因、と、なぜわからないのかなぁ…
終身雇用ではない、資格職で辞めても正社員での就職が可能な人たちは、終身雇用の正社員より思いつめていない、それほど、終身雇用が異常だって、なぜわからないのだろうか…
他者や環境に依存しないと生きられないシステム以外にも、異常なことが多くて、あるブログで、機能不全家族で育った場合の認知の歪みとしてあげられていた
・同一視
・完璧主義
・感情凍結
・思考停止
全てが日本社会に蔓延してることで、前から、機能不全家族に似てるよな…この社会…と思ってたから、腑に落ちた。
日本社会も機能不全家族みたいな環境だから、中身が子供の大人が多くて、だから、子供が主人公の娯楽ばかり蔓延してて、高校生ぐらいの主人公(男)が中高生ぐらいと恋愛するっていうゲームや漫画やアニメばかりの、ロリコン気持ち悪い…と思うような状況なのか、と。
日本人はロリコンというより子供コンプレックスだと思う、ガチのロリコンもいるんだろうけど、日本人全体が、大人の自分自身を受け入れられてなくて、子供に憧れが強くて、子供が主人公の娯楽作品を楽しんで、現実逃避してるっていうのが、現状じゃないか、と…
大人が大人を受け入れられる、大人の置かれた状況がマシなら(機能不全家族みたいな社会や異常な労働環境ではないなら)他の国みたく、大人が主人公のゲームや漫画が増えるんだろうな、と。
他人と自分の境界を理解していない、みんな同じという幻想にとらわれて、他人に干渉してくる、同一視が激しい社会、
完璧主義で減点主義で、うまくやっても褒められず小さなミスは責められる、だから、組織はミスを隠す方向になる、変化や変革というリスクがとれない社会、
個人より肩書き・立場が優先され、あるべき対応や姿を求められ、感情を抑圧してでもあるべき対応や姿を貫くことを美徳とする、社会、
ルールだからマニュアルだからと思考停止して自分の頭で考えることを許さず、学校でも自分で考えることではなく答えがあることの答えを覚えることを教えられる社会、
そして、上に書いたように、他者や組織に依存しないと生きられないようなシステム、自立が難しいシステムとなっている社会(お互い専門職やフリーランスで共働きなら、働いていて結婚しても自立し合った状態でいられる、けど、大多数の働く人や既婚女性は会社や夫に経済的に依存させられている)
こんな、機能不全家族の特徴に当てはまりすぎる病んだ社会だから、自殺率の高さやメンタル不調の多さや閉塞感は当たり前なんだけど、そんな社会に適応してる人も多いのが、不思議…
自分はこの異常に適応できず、終身雇用の正社員や結婚といったシステムから距離をとって生きているけど、異常を異常と認識せず、生きている人も多いのが、不思議でならない…
一般論として、「反対するなら対案を出せ」という意見をよく聞く。
国会などの政治の世界でよく見るし、より身近なところで言えば、会社の会議とかでも聞く人は多いのではないだろうか。
そして、「意識が高いだけで自分の頭でちゃんと考えない人」は、この意見が説得力あるように見えるのだろう。これを金科玉条のように振りかざし、自分の意見に反対する人に対して「反対するなら対案を出せ」と主張する。これは一種のイデオロギーであり詭弁に近い。そして、日本の伸び悩み(衰退?)に繋がる本質的な問題だと思うので、以下2点で反論しておきたい。
社長が「最近売り上げが伸びていない。競合企業をなんとかしたい。ということで、競合企業の社長を事故に見せかけて殺害しようと思う」と言い出したらどうだろうか。
「バレた時にリスクが大きすぎる(当然、会社が潰れてしまう)」「言うまでもなく違法」
これに対して、「反対するならウチの業績を伸ばす対案を出せ!!!」と社長が逆ギレしたらどうだろう。残念ながら、社員は(社長と同レベルに)そこまで賢くないので、スジの良い対案は出せない。
ということで、粛々と競合会社の社長殺害計画が進むのであった・・・
みんなで 「+」に持って行こうとしている議論をしており、でもなかなか「+1」になるアイデアが出ない。そこに、(本人は「+1」だと思っているけれど)どう考えても「ー1」にしかならないアイデアを主張する人が現れたとする。それに対して対案が出せないからということで、全員でこりゃ無理だよなと分かっていながら「ー1」に向かう。。
アイデアを出す人が正義、ではありません。無能な働き者が組織にとって最悪の結果をもたらすわけで。明らかにダメなものは対案がなくてもダメと言っていいんです。
もちろん、反対するときはちゃんと根拠を説明すべきなのは大前提。
会議の場で、突然スジが悪いアイデアを発表しだす。反論した人に対して「対案を出せ!」と騒ぐ。ありますね、こういうこと。
でも、そんな発表をした人は、あらかじめ色々と調査して、時間を使って練りに練った案なわけです。当然、一瞬で思いついたアイデアなわけではない。
それに反対する人に対しては、今この一瞬で対案を出せ、というのはフェアではない。
反対のための反対みたいなことに終始して、全く建設的な意見を出さずに場を混乱するだけの人がいることも事実。そういう人に対して、「だったら対案を出してください」とあしらうのは効果的ではあります。
また、自分に対する戒めとして、「反対するなら対策を出そう」と肝に銘じることは(自分自身の成長に寄与するという点で)間違ってないし、自分も部下に対して、そうあれ、と言います。
ただ、すべてのケースにおいて「対案がないと反対してはいけない」というのは、絶対に間違っている。「何もやらない」よりも、「間違っていることが分かっていてもやった人が偉い」、というのは、非合理的にもほどがあるわけで。
まず、元増田の“精神病って社会や会社、学校が生み出してるんじゃないか”って考えをもとにするなら、「社会が病理そのものでは」って仮定する方が正確だと思うけど、まあそれは置いとくか
で、なにやら解決方法を2つに絞ったみたいだけど、まずその2つは何に対する解決方法のつもりなの?
そこを先に確認しようよ
「世の中に精神病患者とされる人々が存在すること」がその問題?
それとも、「あなた自身が精神病患者として今現在扱われていてそれに不満があるからその不満を解消したい」ということなの?
自分の解決しようとしている問題が何か突き詰めて考えてからでなきゃ、解決方法なんていくら考えても意味ないと思うよ
あともし「考えてあるけど書かなかっただけ」ってんなら、人とやりとりするのに向いてないと思う