はてなキーワード: 気概とは
色々と問題点はあると思いますけど、個人的に気になったところを少々書きます
まずはマンネリ感について
デレステももうサービス開始から三年経っていますし、マンネリ感が出てくるのは仕方がない部分もあるのですが……
ただ、マンネリ感が出てくるのは仕方がないとは思いますが、それを改善しようとしないor出来ない、また、したとしてもどこかズレているのはデレステにおける問題の中でもかなり大きな部分だと思います
よく言われてもいますがコミュ(シナリオ)の内容や、各種追加機能、新キャラについてのあれこれとかですね
まずはコミュについてです
これについてなんですが、デレステは復刻イベントをやって時間を稼いだり、休憩期間がほとんどないので、常に新しいシナリオのあるイベントをやっていかなくてはいけないですし
デレぽのような毎日更新していっているものありますし、営業コミュの追加もある以上時間がたりなくなり、シナリオのチェック体制が万全ではなかったり、しっかりとシナリオを練り込む時間がなかったりするのではないかとは思います
しかし、まがりなりにもアイドルゲー、キャラゲーなのでここは中核になる部分ですししっかりしてほしい所です
改善案は人員を増員するか時間をかけるかくらいしか思いつかないですが…
個人的には、しっかり作れず不満が多くなっていっているのであれば、多少立ち止まってもクオリティの向上に目を向けるべきだと思いますね
どれだけ間を開けずに作ろうとも、キャラクターの設定に矛盾が起きたり、一般的に見てモラルに欠ける行動をとったり、陰湿でカタルシスのない内容だったり、単純につまらない、クオリティが低いのではお腹は満たされません
また、イラストも同様に時間をかけられないのかもしれませんが同じような構図だったり、横一直線に同じポーズで並んだり、体や顔がコピペトレスであったりではやはりあまり嬉しくないものです
個人的には、雑な紙吹雪や葉っぱの多様、のっぺりした背景、何故か常に空いている上と左右の空間、全身を写そうとしているのか常に遠目に描かれるキャラクターも気になります
画面全体を使ったアクロバティックなものや独特の雰囲気を出せるイラストは少なく、これでは新鮮味に欠けますしマンネリは加速していくと思います
イラストもコミュと同じように時間をかければそれなりに改善できるものだと思いますので、こちらも今のままが続くのであれば一度立ち止まってしっかり描いていくことでマンネリ感を破ることは可能だと思います
次に、各種追加機能についてですが……
というのも、例えばドレスショップでは追加間隔が長かったり、順番的に作られるはずのものが作られなかったり
フォトスタジオではポーズや、楽曲追加もそのクオリティの割には追加が遅く感じます
またメダルに追加予定の未所持確定チケットもあれから半年以上経つのに追加されていないところをみるとやはり、
それぞれ追加しすぎて手が回っていないように感じます
個人的には、色々な方向に手を出しすぎて回らないのであればどれかは切っても良いのではないかなぁと思ったりします
新アイドルについては色々な方が詳しく語っていたりしますけど、マンネリ打破をしようという気概はいいことだと思います
ただ、やるのならわざわざ声をつけたりしなくても良かったのではないかなぁとも
というのも、出番周りの運営に対する不信感は今やかなり強くなっていますし、そんな中でここまで大々的にやられてはその不信感や不満が大爆発するというのは簡単に予想できたことだと思います
なので、あえて不満を煽るようなやり方はしないでも良かったのになと…
案の定これを期に引退しますって人も結構な量出てきていましたしね
それに、最初からここまで恵まれてはキャラクター自体にヘイトが溜まることも考えられますし、既存のアイドルにあったような自分が支えなきゃというような人も少なくなるのではないかと思います
また、そういった批判的な人達や、自分達は受け入れないぞ!という空気はあまり心地の良いものではないですし、そこに定住したり、そんな中でわざわざ地雷に突っ込むような人はそれほど多くはないと思います
そして、これでは古参層を追い出してまで追加しても元が取れるとは思えないんですよね
とはいえ、追加してしまったものは今更取り消せませんのでこれからはどうにかして付き合っていかなければいけないわけです
ただ、ここで否定的な人達を切り捨てるのは得策ではないと思います
もしも一度切り捨ててしまえば残った人達には「今度は自分が切られるかも…」という不安が芽生えるはずです
そうなれば今度はその残った人達がねが
1文にまとめると勉強を頑張る為に同人活動を休止してツイッターを消すことにしました。
というだけの話です。
ただ自分にとっては同人活動もツイッターも、生半可な気持ちで断てるようなものではなかったのでここから語る事の経緯は自分の感情を整理するための自己満足です。
えらく長い上読んでもこれっぽっちも楽しいものではありませんが、それでもお付き合い頂ける方は読んでみてください。
勉強を今一度頑張ってみたいと思いました。
思ってみたもの、今まで散々頑張ってこなかったことなので正直既に全然自信がないんですけど。
本当に自信がないです。散々頑張らなかった人生なので。
ただ、自信無いなりに、まず頑張る為に今まで頑張れなかった原因たる要素を外的要因から潰していこうと思ったのです。
その1つが自分で学費を持った上で、勉強をする為に学校に入ることでした。
ざっくり勉強と申し上げましたが4月から資格を取得するために専門学校に通うことにしたのです。
同資格を取得するにあたって大学に行っていたのですが、親の金で通っていた当時は正直な話どこか甘えていた部分があったと思います。
実家から独立して社会に出て数年、時間もお金も有限なんだと本当に今更痛感しました。
勉強する為にお金を出して与えてもらった時間を使って勉強をろくにしてこなかった今まで、本当に勿体ないことをしてきたなと思いました。
大学当時、資格取得の試験に落ち、翌年仕事をしながら自主学習しても身が入らず結局試験は以来受けていませんでした。
フルタイム勤務に月20~40の残業が発生した状態で実際時間もなかったのですが、結局仕事をしているから、と勉強から逃げていたと思います。
今一度、腰を据えて勉強する為に学校へ行きたいのだと親に伝えたときも父親からは甘えていると言われました。
本当に、その通りだと思いました。
私が社会に出て数年働いても全く届かない数百万というお金を出してもらい4年間大学へ通い、試験には落ち、卒業しても得られたものは何もない状態で社会に出てのんべんだらりと数年を過ごした私には2、3年だとしても学校へ通う為の資金などはなく。
またどこか親に頼ろうという気概が自分の中にはあったように思うので。
実際、学費と学校へ通う間に生計を立てていく問題を本気で考えたのはその後でした。
まず、今年から資格取得の為に受けられる給付金制度が拡充したことを知りました。
次に、検討していくうち決めた4月から行くことになった専門というのが本来2年制の学部でしたが、大学で同資格取得の為の科目を専攻していた関係で前例もある特例として1年制として受け入れて頂けるということでした。
資金的にも現実的な額面になってきたこと(それでも情けない話ではありますが結局親に前借りする形になりましたし、口座の残高はパート勤務でもしないと工面できない程度にしか残せていませんが)、
特例の1年制というのは学費的にも大きかったですし何より親の金で無闇に過ごした時間が多かった大学での4年間が少しでも無意味にならないように思えたこと、
新年に引いたおみくじが末吉にしてかつて類を見ないレベルの手厳しさであった上で「学問:自己の甘えを捨て全力を尽くせ」と言われていたこと、
年齢も正直先日27になりまして、あと数年で三十路というところまで差し掛かっている身としてはあまりにも将来性のない日々を送っていたこともありました。
ともかくその他いろいろ踏まえても今踏み切らないともうどうにもならない気がしました。
フルタイム勤務はもう無理なので今の仕事は今月いっぱいで辞めます。
前述の通り隙間時間で入れるバイトを探して当面はやっていきます。
学費を振り込んだ今残った口座の残高数十万円は試験半年から数ヶ月前にはバイトも辞めて勉強だけ集中するためのお金なので来年の今頃には本当にほとんど一文無しの予定です。
口座に余裕がなくて本当に良かったです。
長い目で見ればリターンがあるからとか言って本でも作れば向こう数ヶ月はご飯が食べられなくなる寸法です。
資格が取れなければ本当に何も残らない状況で、これで頑張れなければ本当にただの屑だと思います。
要は、自主的に意欲を持って頑張れない自分が頑張る為にまずあらゆる退路を断つ必要があったのです。
もう後が無い環境を意図的にでも作って追い込まないと自分は間違いなく何かに甘えてしまう人間だったので。
そんな感じで経済的・将来的な逃げ道を絶つ環境を整えることを決めたからにはしておかなければいけないと思ったもう1つ。
この文面を此処まで読まれる方でしたら私が見事なまでの限界同人オタクなことはご存知のことと思います。
高1頃から同人活動を少しずつ始め、彼此10年以上同人誌を作ってきましたが、作成ペースは年々悪化の一途を辿り、前年では15冊発行してましたし、もうここ何年も年間10冊超ペースで発行している有様でした。
正直、学生時代勉強に身を入れきれなかった大元の原因が同人活動にあったと思います。
原稿をしている間は人間的な生活が送れない、みたいな限界同人オタクあるあるも私からしてみれば「人間的な生活を送らない理由にするため原稿をしている」ような節がありました。
自己解釈をアウトプットすることが人生で何よりの生き甲斐なのは間違いないのですが、それが同時に生活を怠る免罪符にもなっていました。
イベントに参加して自身の本を取ってもらう、気の合うオタクと喋る、時として感想を貰う。
同人イベントにサークル参加されたことのある方であれば分かる方もいると思うんですけどこの一連の流れって本当に癖になってしまうんですよね。
ただでさえ自己解釈のアウトプットが生き甲斐だった私に関してはもはや本を作ってイベントに出る行為は依存症みたいなものだったと思います。
原稿にかける時間が人生で何よりの優先事項で、次点が最低限の生活を成り立たせるための労働、あとは気が向いたときに行う基本やれなくても仕方のないこと。
自分の中では完全にそういう考え方ができていました。
自己の思考をアウトプットすることそのものが生き甲斐な自分にとってツイッターでのツイート行為もまたある種の依存行為だったと思います。
自分の交友関係は社会に出ている間に学生時代の関係がほぼ残らず、今やツイッターで形成されているものでほぼ占められていたのでツイッターを完全に消してしまうことは自分の人間関係の大半を喪失させてしまうことのように思っていて、それが余計に自分の中でこのツールを離しがたいものにしていたようにも思います。
というか消すまでしなくても程々に運用したらいいのではって話なんですが。
物事を切り替えていくのが本当にへたくそで、特に一つの思考に耽るのが楽しい性分だったことも助長してツイッターでひとたび1つの話題を見つけると数時間でも半日でも延々とそのことについて考えてはツイートをして時間を浪費する日々でした。
共通の話題で盛り上がる人が居ると余計に、自分以外の誰もその話題をしていなくても一人でもいつまでも。
やらなければいけないものできればやりたくないことが後に控えている程にその傾向が強かったように思います。
その手軽さが現実逃避すらも容易にさせてしまっていたと思います。
自身の思考に共感を得てくれる存在が数値として見えるこのツールでは欲している感情が簡単に満たされてしまって、少しでも苦しさを感じる現状に対する手軽な逃げ場になっていたと思います。
息抜きと現実逃避というのはニュアンスとして紙一重だと思うんですが私は息抜きのつもりで一度楽しいことを始めるとそのまま本来の楽しくない作業には戻れなず逃避になっているタイプでした。
人生において欲している感情を与えてくれる要素は現実から逃げる為の要素でもあると思います。
自身にとってツイッターと同人活動は人生において欲している感情を与えてくれる要素のほぼ全てでした。
だから、本当に本当にすべきことを前にツイッターを、同人活動を並行するという可能性を少しでも残せないと思ったのです。
今生の別れでも何でもない、本当に一時的な措置であって数年後の私が目標を達しているいないに関係なくきっと私はツイッターも同人活動も再開すると思うのです。
人生の中でみれば些細な制限に対してここまで長文の記事を作るなんて自分でも正直馬鹿げているなとも思うのです。
これは少しでも隙があればきっとまた今までのように現実にある目前のすべきことから逃げだしてしまう自分に対して仕方ない、仕方ないと言い聞かせる為の文章です。
ここまでしないと、ここまでしても尚駄目かもしれないどうしようもない自分をせめて戒める為にこの文章を作っています。
いくら生き甲斐だったとしても生き甲斐を続けるだけの人生に将来性なんて何もありません。
自分の生き甲斐はあくまで趣味であって、万に一つでも趣味を続けた先にそれが将来性のある何かに繋がるとは微塵にも思っていません。
自分の中で此処まで分かってるなら私は学生時代からもっと勉強をする習慣に慣れておくべきだったと今更のように思います。
結局、その場で満たされる感情やもしかするとなんて夢を見ることでこのままでは良くないと分かっていた現状から逃げ続けていただけだったんだと思います。
手遅れだと諦めるには何もしてこなかったですし半端な気持ちで居続けて「もう手遅れだろう」とか「どうにかすべきだった」なんて言う前に、私はまだどうにかなるものならどうにかしたいと思っています。
逃げ道をいくら塞いだところで1日寝て過ごせば日々は過ぎてしまうわけですから自分が本当に頑張らない限り、どうにかしたいと気持ちだけ口にしたところで結果には何も繋がりません。
ここまで包み隠さず全部言って、それで1年後試験に落ちたら何かもういよいよどのツラ下げてという感じなので正直、どう転ぶにしても後々くまなく喋りすぎたことを後悔すると思ってるんですけど、こうして状況を明記すること事体が退路を断つ一環でもあるので致し方なかったのでした。
最後に「頑張ろうと思います」なんて口だけ言っても仕方ないので自分では言わないでおきます。
(今見直したら冒頭1行で言ってましたけど)
なので此処まで読んでくださった方におかれましては「頑張ってください、応援してます」なんて軽はずみにでも本気でもどんな心づもりでも言えるその言葉を自分に向けては出来れば言わないで頂けたら助かります。
それでも結果を残して戻ってこれたときには軽はずみでも良いので「おめでとう、お疲れ様、おかえりなさい」などのお声を頂けたらとても嬉しいです。
最後の最後に、これからの1年、このブログやフォロー数0のアカウント、もしくは本垢そのものが浮上しても息抜きレベルだと思えるものでしたらどうか見逃してください。
最後まで現金な感情にお付き合い頂いてしまってすいません、ありがとうございました。
それでは。
ちなみに、母もはやる前から染めるのを拒否して今はグレイヘア。
髪色は良いとしても、ファッションがね。。大幅な肥満だし、店でシルバー向けのサービスを勧められてショックを何度もうけているのを側で見てた。
その都度「失礼な」って怒ってたけど、たぶんそれ髪のせいだけじゃない。
髪が白くてもセンスのいい人はとても「おばあさん」に見えない。
むしろその色に染めてるようにすら見える。
白髪=お年寄りのイメージは強く、グレイヘアは一歩間違うと女捨てた人に見える。
意志を持ってその髪色にするのであれば、それ相応の気概が必要。
それか、どう見られても気にしないでいるか。
「おばあさん」扱いに怒る前に、やるべきことがあると、同じ女として私は思う。
その都度フォローするのも面倒なんだよなー。
染めるの面倒なのもあるし、何より、ずっと黒髪だったから、グレイヘアなら違うファッションが楽しめそう!
いつかのためにセンス磨いとこう♪
この世の明るく社交的な人間のうち誰かひとりでもこの文章を読んでくれることを切に願う。
陽キャは匿名はてなとか読まないって言われたらそうですねとしか言いようがないけど……
私は根暗でいわゆるコミュ障の大学生だ。基本的に平日は毎日授業に行く。中にはグループワークやチームプレゼンをする講義があったりして、その時はもちろん同じグループの学生と話し合う。ゼミにも出て教授と研究について話したり他の学生と発表についてディスカッションしたりする。サークルに参加してメンバーと活動内容について話すし雑談もする。バイト先でもレジ打ちだから基本は定型文とはいえ普通に接客業をしている。
会話しているのだが、そのとき私は「ここは会話する場だから」と心構えをして出てきているので会話が出来ている。グループワークもゼミもサークルもバイトも、人と人とが何かをする場所だからえいやと気合を入れて他人と会話をしている。その延長で帰り道に雑談をするぐらいまでは頑張る。なるべく話を広げようと努力するし、趣味も合わない興味すらそそられない自慢話にも頑張って相槌を打つ。
でも、本当のところは根暗コミュ障なのでなるべく趣味も合わない他人とは話したくない。気合の入っていないときはでいさせてほしい。例えば朝電車に乗っているときとか。講義終わりの帰りに歩いているときとか。
なんで1人でいるときに話しかけてくるんだよ!!話しかけてくんなよ!!!!
お前が話しかけてきたら答えなきゃいけないじゃん!!!話題も無いのに!!!シカトできないじゃん話しかけられたら!!!話弾まないのわかってるしそもそも気分じゃないから見えてない聞こえてないふりして素通りしたのになんで発見するんだよ!!!ほら話弾まなかったじゃねえか!!!しかもお前が話しかけてきたのになんでお前が黙るんだよ!!!なんで話題無いのに話しかけるんだよ!!!ほら気まずい!!!あと6駅この気まずいのやるわけ?!!!!つか私イヤホンしてたじゃん!!!音楽よりお前の方が優先されると思ってんの自信がすげえな!!!私お前と待ち合わせしてたか?!してねえだろうが!!!!ほっといてくれ!!!教室着くまでに人間と会話するための準備するから!!!今話しかけんな!!!死ね!!!今お前が死ねば会話しなくて済む!!!
これ最悪なのは話しかけてきた側の「会話したい(話弾まない相手を捕まえてでも)」というワガママは一般的に肯定されるのに私側の「人と会話したくねえ」を押し通したら白い目で見られることだよ。納得いかないこの非対称性。
分かる、分かってるんだよどうやって趣味の合うやつ悩みの合うやつを探すのかって言ったら他人と会話するしかないんだよ。でもそれは気合の入ってる時にやらせてほしい。気力の無い時に一生懸命頑張らせないでほしい。そこまで四六時中血眼になって探さなければいけないならこれ以上新しい友達はいらないです。
社会人になったらそうはいかない?うるせええ!!!!!!!!!!!!!!!!
他人にゲリラ的に会話を切り出すときは「例え相手が一言も喋らなくても20分は保たせてみせる」という気概で話しかけてほしい。
1980年代当時、尾崎豊を愛聴していた人間の大部分が、本当に盗んだバイクで走ったり、校舎のガラスを割る不良だったわけではない
むしろ、不良っぽいノリに憧れつつ実行できない良い子ちゃんがこっそり聴いていたという面もあった
今となっては、ネット上ではみんな不良ヤンキーDQNをバカにする
だがしかし、単純に「そういう事実があった」という客観的傍証で言えば
1980年代当時、学校秩序に順応してるだけのよい子にとって不良は「大人」に見えた
そしてそれゆえ、悔しいが世間からは格好良い連中であるかのように思われた
なぜか?
中卒や高校中退で働いている不良は自分で働いて稼いだ金でバイクや車を買って
自動車なんて動く個室だもんね、その中に異性を連れ込むことも出来る
そうはいっても尾崎豊が生きていた1980年代当時、ケータイもネットもなかった
学校の内側しか知らないよい子ちゃん(成績優秀とは限らない、単に親と教師に逆らう気概がないだけ)にとって、不良は悔しいが外の世界を知ってる大人に見えた
無論、学校の中だけで世界が完結してて外の世界なんか興味ない奴は不良なんかうらやましくなかったろうさ
オタ学生自体が少なかったしその手の部活やサークルが存在するのはごくごく一部の都市部の高偏差校のみ
教師は簡単に体罰を振るうし、「そんな態度じゃ社会に出てからやっていけないぞ」「
君らは外の世間を知らない井の中の蛙だ」みたいなことを言う癖に
アルバイト禁止とかでその学校の外の世界を知ろうとすることを断固阻む
そういう学校の空気に反発を抱くと、ロールモデル像が不良しかない
21世紀の現代でこそ、不良にもならず、IT技術とかyoutuberとか歌い手とかオタ才能でフリーで食っていく生き方もあるだろう
ところが、1980年代にはそういうロールモデルが本当になかったんだ
うっかり、尾崎豊みたいなのが地方で孤立してる社会不適合者にとってのイメージ的理想像になるしかなかったんだよ
くり返すが、俺個人は不良ヤンキーDQNは嫌いだ、尾崎豊も1980年代リアルタイムではちっとも好きではなかった
が、1980年代当時はぱっとせず地味に学校に順応したフリして生きるしかできなかったのに、あれから30年以上経って大人になってから、今さら不良ヤンキーDQNや尾崎豊を矮小化して勝った気になるのは、ちょっと不誠実じゃないかと思ってる
・プレミアムへの差別化が「機能の追加」ではなく、一般会員への「機能の制限」である点。
無料体制のYouTubeは「どうぞご覧ください(ただし広告は見てもらいます)」なのに対して、ニコ動は「月額料金支払わない? あなたは下級民です」であり、ときには「お帰りください」である。
ニコ動ではいろいろな有名投稿主や生主が運営に囲われ、「公式化」させられる。ニコ動の「主」という存在、その存在への感覚は「Tuber」とは異なり、そもそものニコ動の成立過程から「アマチュアっぽさ」が求められる。「公式化」はそれを無価値にさせるものであり、奴隷化・陳腐化に映ってしまいがち。
公式生放送はテーブルに組まれて定期的に配信されるため、TVと同等の配信形式となっている。これが「生放送をオンタイムで見られる」というメリットより、「気が向いたときに見られるというネット性をわざわざ損なわされている」というデメリットに感じられる。人気の生放送では一般会員が蹴り出される「下級民扱い」とのコンボも効果的にはたらいている。
日本独自のサービスであることがメリットであると感じられるより、「日本のものしかない」というデメリットに感じられてしまう。また「動画投稿サービスとしての合理性」より、「独自性」や「サイト・運営会社の存続」が主点に置かれた「ガラパゴス化」された仕様により、動画制作者が疲弊する。
・バラマキ
一般会員でもニコニ広告の配布など、「ニコ動の反映に貢献しろ」という本営からのお達しが定期的にあり、公式化への加担を強調される。
・金払いが悪い
ニコ動は動画制作者へのサポートがなっていないため、仕事として収入を考えるとYouTubeに流れてしまう。
もともと俺はゲーム実況系の動画をメインで見てるんだけど、いわゆるeSports系のゲームタイトルに手を出すと生放送はTwitchに流れがち。Twitchの「お前日本人?ふーん」感と日本人コミュニティが英語ネイティブコミュニティより活発でないというデメリットより、ニコ動の「さびれ」感のデメリットのほうがずっと大きく感じられて、昔馴染みの配信者がきまぐれにニコ生するときに行くくらいになってしまった。まあ俺はおっさんなので「新しい配信者」を探す気力には乏しくなってきたが、それでもニコ生の配信者を新しく開拓しようという気概はもはやゼロと言って等しい。
ニコ生では「枠」として30分制限をずっとしてて、それを解消するのも遅かったね。
細かいところでは、アプリ連携や有料アニメなどの「付加価値」に重きを置く形態が「昔は違法アニメアップロードサイトだったくせに」という意識に拍車をかけるのもある。おっさんだからね。
もはや「ニコ生」「ニコ動」というブランド名に田舎臭さ、泥臭さが漂うようになってしまった。もちろんTuberはTuberで地獄でもあるんだろうけどさ。Googleはシンプルなんだよ。そこをつらまえると「ニコニコは日本企業として判断の遅さ、付加価値への信仰を捨てられない時代遅れサービス」としてのシャッター街のような侘しさすら感じさせる。
俺はゆっくり実況も好きで、SCP解説系とかは未だに見てるけどね。専ブラで見るのが好きなので、今はMnMnってヤツ使ったり。
動画見る上で俺は「川上量生がどうこう」みたいに運営者を追ったりしないのでよくわからんが、体制変えない限り「二流感」はそうそう払拭できないだろうな、って思う。
(2)
当時の惑星開発委員会はオタク界隈ではけっこう話題になっており、それを象徴するのが岡田斗司夫の来訪です。
4月12日(金)
逃避でネットを覗いていたら「惑星開発委員会」というサイトを見つけた。
http://members.tripod.co.jp/toumyoujisourin/rvtop.htm
惑星開発大辞典コーナーに僕の名前もあったので掲示板に挨拶したら、さっそく管理者の方からメールをいただく。
返事で「なぜ岡田斗司夫は作家を自称しているのか、については次の日記で答えましょう」と約束してしまうけど、なんでオレは仕事でもないところで働こうとするのか。とほほ。
その後、岡田さんはこのサイトを気に入り、定期的に掲示板に書き込みをしたり、知り合いに紹介したりしていたみたいです。
8月13日(火)
「ロスノフスキ家の娘」、あっという間に読了。
しょっちゅう覗いてるサイト「惑星開発委員会」にこんなテキストがあった。僕も今、格闘技オタクたちが嫌いで嫌いでしかたないので、思わずここに紹介してしまう。
(中略)
あああ、俺の言いたいことを俺より上手く書いている~!もう俺、物書き引退しようかなぁ。
相当宇野さんのことを買っています。当時の日記にはこんな記述もあり「これは善良な市民のことでは?」と言われてました。
知り合いから「就職活動に失敗した」というメールを受け取る。彼に「就職なんかせずにライターになれ」と忠告したばっかりなので、これはなんとか編集者に売り込んであげなければいけない。
まぁ僕よりは才能もある人だし、なによりまだ20代前半という若さなので、ライターとして喰っていくことぐらいはできるだろう。しかし彼を「こういう人生」に引き込んだ責任というのは、あるのかな?
僕は「自分への責任は、他者には移譲し得ない」という考えなので、あんまり悩んだりしないけど、これが唐沢俊一さんのように責任感の強い人なら、あとあとまで面倒見たりするんだろうなぁ。
この日記も宇野さんのことですね。実際に会って話したようです。
10日(水)
朝、マクドナルドでハンバーガーを食べる。ついに一個まるまるを完食できるようになった。まだ喉の痛みは残っているけど、まぁ一安心。
おもしろ会の武さんと5年ぶりぐらいに会う。なにかと思えば「物書きになりたい」という相談。彼女の同人誌を預からせてもらって、編集さんを紹介する約束をする。
続いて京都から宇野くん。彼とは初対面だけど、昔に彼が浅羽通明氏に説教された話を教えてもらう。浅羽氏の書き下ろし本『教養とはなにか』を院生たち取り巻きと話してるときの浅羽さん「これで革命を起こす」と叫んでいたらしい。当時10代だった宇野君がこれに疑問を呈したら喫茶店で閉店まで説教されたらしい。やはり浅羽さんは熱くて面白い人だ。
そして、岡田さんは惑星開発委員会のオフ会にまで顔を出すまでに。その時のことを日記でこう書いています。
27日(火)
木曜のオフ会に向けてリビングをかたづけ、そのあと覚悟を決めてついに北歯科へ。
もうずっと前に神経を抜いた歯なので、おそらく歯茎が炎症を起こしているのだろう、
ということで今回は様子見。
ブックスルーエで宮脇檀の『男の生活の愉しみ』(PHP文庫)を買う
20年近く前、仕事で一山当てたら宮脇氏に自宅を設計してもらおう、と思っていた。
不幸なことに宮脇氏は98年に他界し、僕はいまだに一山当てれずにいる。
でまぁ、書店で氏の本を見かけたら自分の果たせなかった夢への供養だと思って
買うことにしている。
……その後、岡田さんが惑星開発委員会に言及することはなくなりました。「あんなもん」だったので飽きてしまったんでしょうか?
惑星開発委員会の更新をやめ、善良な市民のキャラを捨てて2003年8月頃にはてなダイアリーで新たに始めたのがヘルシー女子大生(id:kurosawa31)と言われています。挑発的な言動、サブカルへの豊富な知識、そして女子大生であることが話題になり「はてな界の斎藤美奈子」と称されたりします。
と書かれているのである程度の騒動を起こしたことがわかります。
しかし、今となっては日記はプライベートモードに設定されており、internet archivesに残っている断片的なものしか読むことができません。
それによるとヘルシー女子大生は京都在住ということになっており、宇野さんは立命館大学卒業後、京都で就職したのではと推測できます。
2ちゃんねるの過去ログを追うと初期から善良な市民との類似性が指摘されているのが面白いです。その時は「言っていることが似ている」と言われる程度ですが、しばらくして2004年3月に「オトコノコ」「キャラ売り」「同じ穴のムジナ」「ブンガク」などのワードの相似性、話してることが一緒などの指摘がされヘルシー女子大生=善良な市民なのが濃厚となります。この指摘に伴って日記の更新頻度は落ち、プライベートモードとなったわけです。
この頃の宇野さんは旧・惑星開発委員会のような「有名サイトになろう」とか今のような「ライターとして成りあがろう」という気概はなく、ネカマして周りを翻弄させて楽しみつつ、趣味としてドラマなどの評論を書いていこう、という印象を私は持ちます。
頭の奥の方が締め付けられているみたいに痛む。たぶんもうすぐ生理がくるんだろうけど。
ずっと男になりたかった。男に憧れていた。見た目とかそういうことではなくて、男みたいな生き方がしたかった。ずっと好きで見てた配信者が少し前、悪いけど男楽しいよ、女はかわいそうだから男が養ってやるんだって言ってた。その通りだと思った。だから悲しくて一晩中泣いてた。女らしく。まるっきり女みたいに感情を垂れ流して泣いて、そんな自分を受け入れていた。
男みたいになりたくて、男みたいな話し方をしてきた。男みたいになりたくて、男に惚れないようにしてきた。恋愛は悪だと決めつけてきた。男みたいになりたくて、男との関わりを絶った。男と関わると、自分が嫌でも女だって言われてる感じがした。男みたいになりたくて、出来ない女を内心馬鹿にして、上を目指して、ここまできた。男に負けない強い女になりたかった。本気で男になりたかったわけじゃない。それでも、女なりに、男みたいにバリバリ働いて、男みたいに稼いで、そういう女になりたかった。
年々、綻びが増えていく。男になりたかった自分が少しずつ、女に染まっていく。生理は嫌でも来る。勝手に男に惚れる。もういいかなって思い出す。ひたすら上を目指すことにも嫌気がさす。馬鹿にしていた「温かい家庭を守る専業主婦」に無意識に憧れる。大嫌いだったヒステリックババアに近づいていく。そんな自分に、諦めがついてくる。
男に憧れていた自分にも、いつか寿命がきてしまうのだろう。わたしはフェミニストではないし、立派な思想を掲げて闘っていくような気概はない。生まれたときからずっとそう。男みたいになりたいって気持ちも、すごくよくある女らしい感情だったと思う。男という存在に夢を見ていることも含めて、とても女性的だ。知っていて、見ないふりをしていた。でももう限界。もう、解放してあげたいと思う。
自分がこういう人間なんだっていうのを、男だなんだ、女だなんだって、そういう議論にすり替えたいだけなのかもしれない。それももうわからない。でも、そういう自分も受け入れてあげたい。
男になりたかったんだと思う。そういう、どこにでもいる女のひとり言。
右翼系のツイートには漏れなく胸糞悪くなるようなヘイトスピーチと人権蔑視発言がぶら下がり。
左翼系からはそんな右翼へ対抗するという気概が感じられたが、良くも悪くも素人感が強く、理想論を現実と絡めた理論まで昇華し切れていない印象が強く。
無論一枚岩じゃなし、全員鬼畜とか全員お花畑とか言うわけじゃない。
ただ右翼の有力論者が女は全員死ねとか言ってる垢のツイートをRTしててあーあーあーとなるし左翼は左翼で現政権批判に極振りしたようなヘイト垢が全てに群がる始末。
見たくないようなもんばっか。
新聞だけ見てろったって深読みしたくなればネットで調べるしかない。基本どこのコメント欄も地獄。
ネットで政治追ってるとちらちら目に入るヘイト発言。ハイハイそういうのマジで無理無理私はここにお呼びじゃないのね。
嘘、そんな冷静ではない。もうやめろよ……つら……ころす……と怨嗟渦巻く。
「感情的にならず事実だけを冷静に見ろよ」とか中立と正論の皮被っても、無数に出てくる有象無象の感情論をハイハイと流せるかどうかは、結局その裏のイデオロギーにある程度、迎合出来てるかどうか、或いは無関心かじゃねえのと。
事実だけを追うのが政治じゃない。政治は人々の感情と一体になるもんってのは嫌という程に大学でやったし最近は特にその例に富んでいる。