はてなキーワード: 比喩表現とは
一昨年とあるアイドルにハマり、ファンクラブに入り一年。積もりに積もった自坦への思いを抱えたまま日常生活をおくるのが辛くて、このどうしようもない欲望を漏らしたくて吐き出したくてたまらなくなったので書くことにしました。
見も蓋もなくて明け透けで品がなくて風情もなくてさーせん!!
でもここからもっと本能丸出しで書いていくので、この時点で「気色悪」と思った方はこれ以上読み進めないことをお奨めします。興味本意で読んで不快な気分を持ってしまう方にも先に謝っておきます。ごめんなさい。
あのさ~~~~~~
私は普通の容姿をもった普通の人間で、それなりに恋もしたし今も恋をしているし、男の人に不自由したことなくて、欲求不満というものを抱えることなく今まで生きてきたんです。
なのに!!!
いま!!!
自坦とセックスがしたくてしたくて堪らない。
平たく言えば自坦とセックスがしたい。もう少しかみ砕くと自坦とセックスがしたくて、つまりは自坦とセックスがしたい。要するに自坦とセックスがしたいわけです。
最初はね、自坦のことはただの面白い人ぐらいにしか思ってなかったんです。どちらかと言うとかっこよさやセクシーさよりもトークの面白さを全面に出したグループに所属しているし。
ところがどすこい。
彼の奏でる音が地下なる洞窟を揺らし(比喩表現)河川を溢れさせ(比喩表現)脳に雷を走らせる(直接表現)ほどに衝撃を与えたのです。
もしこれを読んだ人が同坦であれば「あ、これって自坦のことかも」と思ったんじゃないかな。そう、ベーで始まりスで終わる楽器を担当する彼です。
彼をよく知らない人や好みのタイプじゃない人は「へ~? エロいんだ?」って感じかもしれないですけど、彼まじでエロいんです。
とりあえず、まず彼のエロさについて語りたい。
①声がエロい
あ~~エロい~~
彼はもうすんごく優しい声をしていて、甘い歌い方をするんです。
正直、言葉責めとかいらん派なんだけど彼の声だとものすごく盛り上がれる自信がある。なんなら全然エロくないワードでも興奮できる気がする。耳元で「銭湯のおっさん」って言われるだけで昇天できる。(同坦に握手を求めながら)
②体型がエロい
丸みを帯びた肩まわり。
がっしりした首。
大きい手。
すらっと長い脚。
エローーーーー
とりあえず全身がエロい。
いや、もうこれに尽きるかも。
横目で見られるのも、上目遣いされるのも、見下ろされるのもどれも良い。
目の幅がワイドだからね、白目の部分が多めだと視線の鋭さが増すんです。
女性がドキッとする角度よく分かってるよね!
好きだよ!(シンプルに)
知らんけど。
正直、自坦のプライベートを知らないので、女性と二人になった時の言動や本当の性格は分からないです。しょうがない。
なのでインタビューやらメンバーと一緒にいるときの雰囲気から読みとくしかないんだけど。
彼は甘えるのが大好きで甘えられるのも大好きらしい。要はイチャイチャしたがり。濃厚接触歓迎派。
甘えん坊(くっつきたがり)の人って男女問わずエロいと思うんです。体温を感じるのが好きってことだもん。言葉より体温。考えるより体温。馬鹿になってイチャつこうぜ。
私は別にオーラとか見えないし、オーラが何たるかとかよく分かってないです。
ただ、先日初めて番協に参加させていただきまして、自坦をあの明るいスタジオであの近い距離で見させていただいたんですけど、彼のオーラがすごくエロかったんです。
ちょうどドラマ撮影の合間でちょっとお疲れっぽい様子の彼。出てきた瞬間、
って倒れそうになった。
あらためて自坦の魅力に殴られた。
なんかもう、気だるい雰囲気もあいまって、それはもうエロくてエロくてこんなにも色男な男はこの世にいないんじゃないかと咽び泣きました。惚れた欲目ももちろんあるとは思うけど、あのとき世界で自坦が一番エロかった。時を戻したい。
そんな理由で、自坦がエロすぎて私は本当に参っているのです。自坦とセックスがしたい。したくて堪らない。
どうする?
もういっそ自坦とセックスする?
どうしたら自坦とセックスが出来る?
世の中に不可能なんてない。
一般人と付き合うアイドルもいるだろうし、ワンナイトでもいいからアイドルに近づきたくてどうにかコネを繋げて実際にセックスをするファンもいるかもしれない。知らんけど。
私の女としての魅力がどうとか、コネが無いとか、彼を誘惑できる自信がないとか、そんな問題は置いといて。自坦と私が同じ時代を生きる人間で性欲がある以上、セックスが出来る可能性はあるわけです。
どうしたら自坦とセックスが出来る?
自坦とセックス出来ないんです。
こんなにも自坦とセックスがしたくてしたくて堪らないのに、私は自坦とセックスすることが出来ないんです。
「ファン」って何だろうとよく考える。
ファンと名乗る人には、皆それぞれ、自分の「ファン道」みたいな物があるよね。あなたのファン道、私のファン道。みんな違って、みんな良い。一般的な定義は置いといて、私にも私のファン道があります。
一、雑誌やグッズも買うべし
一、番協の時は自坦だけを眺めたい欲を抑え全力で盛り上げることに徹するべし
一、うちわに困らせるようなことは書かない
一、自坦のプライベートは詮索しない
一、自坦と遭遇することがあっても基本的には騒がず接触せず、もし応援していることを一言伝える場合は自坦や周りに迷惑のかからない範囲で慎ましい行動をとること
なのでね、もし自坦と物理的な接触があったとして、ミラクルが起きて自坦がその気になったとしても、自坦とセックスは出来ないんです。セックスしちゃうと、その瞬間に私は私の思うファンではいられなくなるから。私は彼にとって清く正しいファンでありたい。ゆえに無理なんです。
彼のエロさばかりを書いたけども、私は彼のエロくない部分もとても愛しています。ムードメーカーで、自分が疲れていてもつい場を盛り上げてしまうサービス精神旺盛なとこも。洋服や音楽にこだわるのが好きで、いつも珍しいものを探している好奇心いっぱいのとこも。自分を愛してくれるファンに、精一杯の愛情を返そうとする優しいとこも。
ファンであることが幸せなので、私はいつまでも彼のファンでいたい。ファンであるということはすなわち「ファンという名の塊」の一部になることなので、「個」である必要がない。ファンとして彼を支えたい以上、彼とセックスすることはあり得ないのです。どんなに彼を愛していて、彼も愛情を返してくれても、セックスをすることのない関係。とてもプラトニックな関係。NO SEX, YES FAN!
ぴえん!(泣き笑いの絵文字)
だけど、頭では理解していても、セックスしたい欲求は勝手に沸いて来ちゃうからさー。本当に困る。他のファンはこの欲情を一体どうやって昇華しているんだろ。
みんなどうしてるの?
アイドルにハマるの初めてだから、本当にどうしたらいいか分かんなくて困惑中です。出来ないから余計にしたくなるんだろうね。カリギュラ!!!
妄想を楽しむという方法もあるのかもしれないけど、妄想するとなるとそれは自分の好みのセックスになるわけで、自坦がするリアルなセックスとは違うわけじゃないですか。
私の言うセックスというのは単純に甲が乙に丙すれば良い、みたいな話ではなくて、自坦は一体どう丙するのか、自坦の甲はどんな姿形をしているのか、どんな乙に興奮するのか、みたいなことを知りたい!見てみたい!体感したい!という願望なので。妄想や身代わりでは満たされない欲望なのです。
世界でいちばんセックスがしたくて、絶対にセックスの出来ない相手。本能の部分をこんなにも刺激してくる自坦を好きになってしまうなんて。こんなにももどかしい愛の形は今まで知らなかった。
だけど愛してしまったのは私なので、今日も悶々としながら彼の過ごす大切な日について思いを馳せるしかないのです。
こんなこと、周りの誰にも話せなくて。ついつい匿名の便利さを利用して書いちゃいました。
そのうち消すかも。
あー、自坦とセックスしたい。
「バンドリ! ガールズバンドパーティ!」内で2018/08/31~開催されたイベント『新しい季節、その前に』で実装された楽曲ガールズコードに関してのお話です。
ガールズコードはPoppin'Party11th Singleとして2018/10/03にリリースされ、イベントストーリーをそのまま書き出した様な歌詞になっています。
この曲の特徴としては今までのPoppin'Partyにはあまり見られない無い「語り口調」の歌詞で曲が進行していきます。
「明日みんな何着ていくの?」
「そんな事を真顔で言わないでよ」
以前私の友人が以前この様に言っていました。
私もこれには全くの同意見であり「語り口調」ではあまり考察の余地が無いと考えており、正直ゲームにて実装されたワンコーラスを一聴した際の感想としてはイベントストーリーと歌詞の照らし合わせ以上の「余白」が無い様に思えました。
初めてフルコーラスを聴き終えた後、私の楽曲に対する印象が一変しました。
「夜を止めて」
そしてこの曲自体が他のPoppin'Party楽曲に見られる、ある言葉の比喩になっていることに気付きました。
『永遠』
これは中村航氏がバンドリを通して描き続けてきたテーマとも言える言葉。
「昨日が今日になって、明日になって、未来になって、永遠になってた」(キラキラだとか夢だとか ~Sing Girls~)
「CiRCLING! 永遠の途中」(CiRCLING)
「夜空をいろどる 刹那の花 永遠を焼き付けて」(夏のドーン!)
この「永遠」は共有した想い、共有した時間、所謂「思い出」や「経験」それら全てを内包する確定した事象であり、永遠に変えることが出来ない「過去」の事だと考えています。
楽しいや苦しい、嬉しいや悲しい共に過ごし感じた全ての事象が「永遠」であり今のPoppin'Partyを構成する物である。
経験した一瞬一瞬を繋ぎ合わせ、永遠という言葉で表現し歌としてアウトプットする。まさにタイムラプスの様です。
その「永遠」という言葉で比喩された彼女たちが過ごした時間を、より多くの方にわかり易く伝える為の楽曲だと気付かされました。
『新しい季節、その前に』のイベストの各話サブタイトルに必ず「時間」という言葉が入っており、作中の彼女たちにも我々と変わらない「時間」が流れている事を意識させる工夫がされてます。
そしてガールズコードの歌詞構成にも曲タイトルの「ガールズコード」以外の言葉が重複しないという工夫がされており、『同じ時間は二度と無い』という事を意識付け、楽曲が進行して行きます。
決して止めることの出来ない時間。
学校が楽しみであり、夏休みが早く終わらないかと言っていた香澄。
それらを理解しながらも作中で「後十分だけ!」曲中で「後五分だけ!」と過ぎた時間に後ろ髪を引かれる香澄。
その思いが歌詞としてアウトプットする際に、作中では決して言葉にしなかった思いが香澄から溢れます。
「夜を止めて」
『永遠』を願った瞬間でした。
「夜を止めて」
曲中で初めて繰り返される言葉により切実な香澄の思いを感じることが出来ます。
多くの方々が一度は「この時間がずっと続けば良い」と考えたことがあると思います。
だからこそ、この歌詞を書いた時の香澄の心境は多くの方が理解できるものであり、彼女たちが歌う「永遠」という言葉に込められた物の輪郭がとてもわかり易く描ける様になれたのではないかと思います。
批判派は3層目が成立すると思うから1と2を組み立てているはず
なんだけれど、僕視点ではこの絵ではとてもOUTと言い切れるような
まあその最大のものは「オタク差別」と「巨乳差別」(用語は嫌い
だけど、一応使う)じゃないかとはさんざんいわれていて、
やつね)根拠材料があるような心理が生まれてしまったというのも
馬の眼氏のついったがいちばんよかった)、初期(10月頃)の段階で
いやこの件TVはまったく関係ないだろうハイ終了といわれるかも
しれませんがまあ聞いてください。
広告(ここでは、一枚絵かつ消費者広告※に限定)に登場する人物って、
どういう人が登場すると思いますか?
ここまでは、商品やその訴求内容が中心になるような人物起用ですよね。
(ほかにもそういうタイプの広告あるかもですが、ちょっと今思いつかない)
で、そうでない、商品を押し退けて人物を中心にする広告手法がむしろ
世の中ふつうです。
そういう広告に登場する人物のことを一括して何と呼ぶか微妙なところですが
ここでは
と呼ぶことにします。
宇崎ちゃんを広告として見ると、5項目に当てはならない。ふつう、アニメ・漫画
キャラクターは商品そのものか、寸劇・比喩表現として出てくることが(3次元と
比較して)けっこう多いんですが、赤十字は「タレント」として宇崎ちゃんを起用した
形になっています(概念的にいうと、2次元世界上で仮想的な宇崎ちゃんを演じている
女優が存在していて、その2次元女優を起用した、という方が正しいかも)。
ま、2次元の話はいいとして、世の中のマス広告、一枚絵でいうと駅・電車内の広告が
で、広告主が大企業だったりするとタレントのグレードも上がって、
何が言いたいかというと、宇崎ちゃんのポスターにダメ出しをした人たちは、
このTVコンテンツが作り出す秩序に世の中の企業や団体が従っているという
構図が心地よく(なぜならそれは自分たちの民意が作り出した秩序だと思って
いるから)、それに反するものなんておかしい、と思っているのではないか、
ということなんです。
赤十字は知名度も信用度もものすごく高いし、低いグレードの「タレント」なんか
使うはずがないと。
これに反して宇崎ちゃんが起用されているっていうことはなにか理由があるはず
→あっエロか!となって、そこから逆算して巨乳もエロ、表情もエロにみえる、
僕もそうだけど擁護派の人たちはTV離れが進んでいて、その感性をぜんぜん
共有できないのだろうと。
今の時代、TVの視聴率もどんどん下がってきて、広告に起用される「タレント」
がTVゴールデンタイムのイス取りゲームプレイヤーで占められなきゃいけない
必然性はどんどん下がっているわけです。
「タレント」起用の広告自体も長期的には減るだろうけど、その前の段階では相対的に
知名度の低い、TV以外の世界で知名度を稼いだ「タレント」も食い込んでくるはず。
で、そうなる有力な候補が、漫画・アニメ発の非実在の「タレント」なのでは
ないかと思うわけです。
2次元アイドルコンテンツなんかは10~20代に相当食い込んでいて、いま知名度を
蓄積しているキャラクターには今後20年くらいにわたってそうとう明るい未来が
待っているのじゃないかと、予想しているんですけどね。
なんでこんな事を考えたかというと、もう去年だけど4月頃?に「声優の顔出しは
是か非か」っていうトピックが流行して、あのときは批判者がアニメ・声優好きな
ようにみえて、それ以上に言葉の端々からTVどっぷりでTVコンテンツの秩序に反する
声優の進出が許せない、という感覚がにじみ出ていて、というのが強く印象に残って
いて、今回も似た構図なんじゃないかと思った、というのがあります。
本稿は、「女性をイメージモデルとして起用することの問題点を考える延長上で
2次元キャラの起用を考える」タイプの批判者を想定してますが、批判者には
「人間と絵は並べられない、純粋に絵として批判している」タイプも明らかに
います。そういう人は宇崎ちゃんポスターを見ても「タレント」には見えないで
(批判の原因が全然別のところにあるこという話をしたので、解決手段も全然別の
ところにあるかもよ、という話もすこししてみよう)
宇崎ちゃんは話題になる数ヶ月前WEBサイトに大量のディスプレイ広告が出回って
ウザイウザイと嫌われていたというのは事実としてあって、ウザイのが魅力
ポスターの批判者に応えるソリューションはなにか?って考えたとき、これは本質的
な解決にはならないけど、webの広告のやりたい放題は変えていくべきだと思うんですよね。
ほんと、あれの不快感の方こそなんとかしてください。
グレタの母親が「娘は二酸化炭素が見える」とオカルトじみたことを言っている
→ただの比喩表現。「裸の王様」を引用して「子供の目が真実を見抜いている」と言っていただけ。
→グレタを含む十六人の子供たちがユニセフの気候変動サミットに参加したとき、その企画をした法律事務所のひとつが他のところで中国寄りの動きをしていると非難されているだけ。その法律事務所は世界的に環境運動を支援しており、その一環で気候変動サミットにも関わっただけで、グレタを特別に支援しているわけではない。
https://childrenvsclimatecrisis.org/
→根拠となっているのは上記のChildren vs ClimateCrisisで「ドイツ・フランス・ブラジル・アルゼンチン・トルコを非難して排出量トップの中国を非難しなかった」という話だが、この五カ国は「国連子どもの権利条約」の第三選択議定書(権利を侵害された子どもたちが国連に救済を求めることができるというもの)を批准しているからそれに則って名指しされているだけで、グレタはTwitterで「もちろん五カ国だけの問題ではない」とし、この第三選択議定書を批准していない国として「中国・アメリカ・サウジアラビア・ロシアなど」を挙げている。またグレタに影響を受けて気候変動問題の活動をしている中国人の少女を紹介して応援してもいる。
Once again; this isn’t about just 5 nations.
They were named since they are the highest emitters that have ratified the UN Convention of the Rights of the Child, on which the complaint is built. China, USA, Saudi Arabia, Russia etc haven’t.
Visit https://t.co/VxeelgLkDi for more. https://t.co/TKQjJ3KjsR— Greta Thunberg (@GretaThunberg) September 24, 2019
もう一度; これは5か国(ドイツ・フランス・ブラジル・アルゼンチン・トルコ)だけの話ではありません。
彼らは、申し立ての根拠となっている国連子どもの権利条約(の第三選択議定書)を批准したなかで最高の排出国であるため、名前が挙がりました。
グレタは電車のファーストクラスに乗っていたのに床に座ったと嘘をついた
→実際に一部の区間で床に座っていたし、しかも床に座ったことに文句を言っていたわけでもない。もとからグレタは「飛行機ではなく電車を使うべき」というスタンスで、今回の件でも満員電車を「電車の需要が高まっている」と賞賛している。
Our train from Basel was taken out of traffic. So we sat on the floor on 2 different trains. After Göttingen I got a seat.This is no problem of course and I never said it was. Overcrowded trains is a great sign because it means the demand for train travel is high!— Greta Thunberg (@GretaThunberg) December 15, 2019
バーゼルから乗るつもりだった列車は運行中止だったため、2本の列車を乗り継ぐあいだ私たちは床に座っていました。ゲッティンゲンからは座れました。このことが不満だとはもちろん言っていません。満員電車は(飛行機より)鉄道旅行の需要が高いという証拠だから。
新しいポケモンの化石ポケモンが話題になっていて、ずばりギリシャ神話のキマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数の動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。
そいつ「ドラゴン」とか「龍」とかいう呼び名でよばれているんですけど。
個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承のリュウを意識しています。西洋伝承との比較の話題のときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。
ちょっと前にNHKの特集でドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。
テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話でドラゴンって話題に出すときには、地理学を勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というものを話題にすることができるってのは面白いなと思います。
古生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜の化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜の化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。
番組ではルーマニアで有名な翼竜の化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアはドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知の身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情を考慮するならば自ら悪魔の敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付くルーマニアで、空を飛ぶ恐竜の化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事の記述とかあるならそれは想像が捗るので素敵な話だと思います。
比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。
まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴンは想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間は想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。
それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンのイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまいます。そんな絵でした。
ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書の記述すら読み書きの技術を持つ教会の神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして「悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字や言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想の風景を自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンのイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまいますよね。
ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかったことであるように思います。
恐竜の化石にしたって、伝説に語られるファブニールやヒドラそのものにしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんから。そもそも恐竜の化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスはコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜の末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います。
最後に歴史学、人類学、宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人からの受け売りの知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。
まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います。
ドラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴンは悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います。恐竜は人間を食べそうだから怖い、ドラゴンは人間を食べるから怖い、悪魔は地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴンは悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカンの神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回しが日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になります。ぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓に提供し続けている親からすれば、それを子供に台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家庭不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金の単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキルと言語センスを必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教が国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークでティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔、地獄で罪人を責め苛む悪魔がドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴンを悪魔に与えることでみんなが神の御言葉をもっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人が悪魔とドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴンが英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間の勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説は宗教に組み込まれた結果、聖ジョージのドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代や場所があったということです。
この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教も例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型例であるように思いますね。何故地獄が燃えているかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます。日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災に脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人の名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやすい都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます。対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教の地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史を話題にするなら、ロンドンのテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事の被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKのドラゴン特集の受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄のイメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます。火事から助かったとしても家も財産も食べ物も燃えてしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者を瀬戸際で発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいうイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります。火攻めとか言われる戦法で、この場合は侵略者と火事が同時にやってきます。侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢が死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災の惨事の記憶が、架空の風景である地獄のイメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから「悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?
その上で更に別の解釈を交えます。地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石や宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴンが地獄に住まう悪魔のペットであることと、ドラゴンのイメージを形成するのにひと役買ったらしい恐竜の化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山の噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山が噴火しているともなれば人間の生存圏はもっと狭くて、地球は人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間がマグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエの舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山の噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学や考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂をテーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉…温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56
横だけど比喩表現だろ、そんな事言いだしたらきりがない
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
無論、ここでいう“ほぼ同じ”とは、はてな用語に基づいたものである。
君が、ここ匿名ダイアリーや、はてブ等で比喩表現を使ったことがあるのならば、それが私の指す“ほぼ同じ”だ。
ちなみに「+」の部分は「イカスミは美味いが、タコスミは不味い」のとほぼ同じ意味だ。
そして私の答えたことについて君が思考した時間がニアリーイコールとなる。
或いはスマートフォンを使う自分が、それに足りえるスマートさを備えているかどうかだ。
せめてフォンさは身に纏うべきだ。