はてなキーワード: 担保とは
アイドルは大衆文化。ラノベは大衆文化。鉄道趣味は大衆文化。→だからオタク趣味として扱われることが多い
クラシック音楽は高級文化。純文学は高級文化。→だからオタク趣味として扱われることが少ない
これで話がすっきり整理されてるのに、
なぜか「大衆文化=多くの人が親しんでる文化」という誤認にもとづいて
「鉄道趣味は大衆文化じゃない」とか言い出したのはおまえだよね。
この場で混乱してるのはおまえだけだよ。
併用したほうが精確になりはするが。
これはあらゆる定義に言えるのでどうということもないなあ。
おまえの大好きな内包的定義でも万人が納得する定義をするのは難しい。
現実的には「ある程度の曖昧さをもたせることで多くの人を納得させる」ということになる。
議論が決着してなくても概ね合意が取れていれば意味があるんだよなあ。
高級文化ってのは「社会を上下に分けて上位のグループが持つ文化」のことなの
元増田からの流れの大衆文化は「多くの人が親しんでる文化」であって社会を上下には分けてないんだよ
だから元増田からの流れに対して高級文化って使うのは日本語を理解できてなくて、高級文化の意味も知らずにつかってることがわかるわけw
ガイジで草
そもそも外延的定義ってのは内包的定義によって条件なんかを規定した上で行わないと意味ないんだぞ
外延的定義だけで物事を規定しようとするなら、それは定義ではなくて「例の羅列」でしかないんだよw
すべてを網羅することが出来ないのであればそれは「定義」ではないぞ
何万人何億人といる人と議論して、誰がその議論に決着つけるの?
馬鹿すぎ
実際にそう見なしている奴もいるからな(原義的にはそちらのほうが近いまである)。
あとはその「見なし」に妥当性があるかどうかだぞ。
※この旧版になります。完全版は無料でnoteで公開中ですので、是非そちらの方をご覧下さい。
https://note.com/syosin_kai/n/nb97f2a0a193a
ちょっとゲームの歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉『初心会』。
とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。
そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。
この初心会について、私が調べたことをゲームの流通の歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な!
もともとの任天堂は花札屋であり、そこからトランプやおもちゃを売り出したことは知っているかな? 創業は明治時代だ。
1960年代前半の任天堂は問屋を通じてテリトリー別に小売店を団体で集め、トランプやかるたの特売セールの景品といった形で温泉招待旅行などを行ったりしていた。そうした中、「ダイヤ会」という親睦会が問屋内で自然発生する。このときはあくまでローカルな親睦団体という形でしかなかった。
1973年2月、光線銃といったヒット商品が出始めたのをきっかけに、このダイヤ会を全国規模のきちんとした親睦会の形にしようとして生まれたのが初心会だ。ファミコンが生まれるずっと前だ。そしてファミコンはこの初心会に参加している問屋(59社加盟、その中でゲームに力を注いでいたのは30社ほどだったそうだ)を通じてのみ、流通させようとした。これには理由がある。
ファミコンのゲームはROMカセットだ。ROMカセットはCDと違って作るのが大変だ。発売日の三ヶ月前にはどれくらいつくるか数字を決めなきゃならない。一本つくるのに1000円以上かかる。もちろん任天堂は自前の工場を持っているわけではないから、他社の工場にお金を払って作ってもらうわけだな。(ドラゴンクエストシリーズは京セラがつくっていたらしい)
つくってもらったゲームソフトを売る。売れればいい。残ったらどうするか? ROMカセットはとにかく廃棄しづらい。体積があるから倉庫の在庫としては大変だ。処分するにも金がかかる。そのため在庫なしの売り切りスタイルであることが求められた。第一、このときの任天堂に「日本全国どこでどれほど、どのファミコンゲームが売れるか」という予測を立てる能力はまったくなかった。
それゆえ当時の任天堂社長山内は初心会の力を借りることにした。ファミコンとゲームソフトは全量初心会への返品なし買い切り制。在庫は持たず、追加の注文が重なってきたら再販というスタイルだ。ファミコンの専売権を与えるかわりに返品は勘弁してくれということだ。初心会は全国にその配下の二次問屋があるので、彼らを通じて全国の小売店にファミコンを売りだした。ちなみに当初の初心会参加問屋の意見としては「こんなもの絶対に売れない」だったそうだ。
ややこしいのがこの後、ファミコンの登場に衝撃を受けたハドソンとナムコがサードパーティとして参加することだ。当時の任天堂はサードパーティが現れることを予測していなかった。というか、まさか他社がファミコンソフトを作れるとは思っていなかった。そのためサードパーティ参加用の契約書をあわてて作る羽目になったという。(このときアメリカにてアタリがサードパーティであるアクティビジョンを販売差し止めで訴えていたが、後に和解し、サードパーティが合法化された経緯があるため、そもそもサードパーティを認めない、という選択肢はなかったものと思われる)
このときのナムコは簡単だった。ナムコは自前でROMカセットを作ることができたからだ。アーケードの雄はハードウェアを扱う力に長けていた。ナムコに対しては自社生産を認め、1本100円のロイヤリティを収めてくれれば問題ないという契約を交わした。
ハドソンが問題だった。ハドソンは能力こそずば抜けていたが、なにぶん会社の規模が小さかった。とても自前でROMカセットは作ることができず、任天堂に頼ることになった。
任天堂からしたらさらに想定外の事態だ。どうやればスマートにサードパーティ用のソフトを流通させることができるのか。任天堂はリスクを負うことなく、かつゲーム市場が適正に伸びていくための方法を模索する必要があった。
最終的な仕様は、まずサードパーティは一括して任天堂に製造委託費を払う。その中からロイヤリティを差っ引き、任天堂は工場にROMを発注する。作る数は任天堂、サードパーティ、初心会の3つで相談して決める。初心会はサードパーティが任天堂に委託したROMを全数買取、支払いする。これで決まった。
もちろんこれが全てではない。年末はクリスマス商戦を狙って多数のソフトメーカーがソフトを投入してくるので、思ったような数が生産できないので任天堂が拒絶する場合もある。初心会の見込み以上に売れると意気込んだサードパーティが、自前で在庫を抱えてリピートを狙う場合もあった。ROMカセットは作るのにとにかく時間がかかるから、リピート発注が来てもそのとき在庫がなければ応えられるのは早くて三ヶ月後だ(半導体の在庫事情によっては半年待たされることもあったらしい)。そうなればすでに需要は中古で落ち着いてしまう。そういう理由で初心会の注文数よりも多くつくるメーカーもあった。そのままリピート注文が来ず在庫になった? その場合は大特価で二次出荷するしかない。君はかつてゲーム屋でファミコン版グラディウスが新品980円で売られているところを見たことはないか? あれはつまり、そういうことだ。
この中で任天堂を非難する流れがあった。サードパーティがソフトを出すにあたり、任天堂はなんのリスクもなくロイヤリティを徴収していると。しかしこれはそもそもファミコンという当たるかどうかわからないプラットフォームを立て、リスクを負った会社が得るリターンとしてはむしろ当然ではないだろうか。不満があるならセガのように自社プラットフォームを出せばいい。ナムコも自社プラットフォームを計画していたらしいが、結局世に出ることはなかった。
ファミコン時代の流通はこういうことで決まった。このあたりの動きでは初心会があまり悪の組織っぽくなくて意外かもしれない。こんな証言がある。スクウェアの創設者鈴木尚が2003年岡山大学にてインタビューを受けたときの発言である。
>初心会っていう問屋集団が、ある時期は全くファイナンスの役割を果たしてくれてたわけですよ。あまりに量が大きくなると「すみません、お金ないんですよぉ」って言うと手形をくれるわけです。その手形を担保に銀行からお金を借りるわけです。実質的には、ある日突然ファミコン・ブームが終焉しない限りは、返ってくるだろうという。
この時期はスクウェアがファミコンに参入したての頃を指す。任天堂はROMの製造委託費を前払いで求めてくるので、どこかが銀行の代行をしなければならない。そこで初心会が(正確にはその中の一つの問屋だろうが)その役割を果たしていたということだ。
スクウェアはこの後ファイナルファンタジーで有数のRPGメーカーとして名を馳せることになるが、実は完全覚醒するまでにはもう少し時間がかかった。初代ファイナルファンタジーの初回出荷数は40万本で、これが最終的には80万本まで伸びる。次回作ファイナルファンタジー2にて70万本超えの実績を得たが、実はこれ、途中でかなり問屋内で在庫が残って大変だったという。しかしファイナルファンタジー3では初のミリオン超え(最終的には140万本)を果たす。それに伴い過去作も売れるようになって、リピードがかかったというわけだ。このあたり初心会はうまくスクウェアのバックアップに動いているように見える。
そう見えるのは、それはスクウェアが一流メーカー入りを果たしたからだった。ファミコン末期の他のメーカーはどうだったか? 1990年8月晴海にて「ファミリーコンピュータ・ゲームボーイ展示会」「スーパーファミコン発表会」が行われた。年末発売のソフト中心に初心会や小売店に対して各ゲームメーカーが披露する展示会だ。この展示会自体は1988年からやっている。
しかし1990年ではついに「受注ゼロ」のソフトが出始めたのだ。しかも一つや2つではなく、この展示会で並んだソフト(約100タイトル)のうち、3割が受注ゼロだった。この時点でファミコン市場は売れるソフトと、そうではないソフトの差が尋常ではなく離れていた。
この場合、メーカーには2つの道がある。一つは発売中止。もう一つは「任天堂には最低限の発注を行い、初心会には最大限の営業活動を続ける」というもの。もちろん初心会に対して売る気を見せるために大規模な広告活動をやれば発注はくるかもしれないが、その分当然損益分岐点はどんどん高くなる。もっとも有効なのは卸値自体を下げてしまうことかもしれない。
そうしてギリギリの攻防が続けられなんとか出荷したゲームはどうなるだろうか? 端的にいうと、人気ソフトの添え物として扱われた。初心会問屋は二次問屋や小売店へ向けて1本の人気ソフトに対してこういった不人気ゲームや、在庫の売れ残りゲームが抱合せで売りつけた。このときのレートによって「1対3」「1対4」などという言葉が生まれた。(場合によっては1対8なんてのもあったらしい)
さらにはバッタ屋ルートなるものも存在した。問屋の不良在庫を捨て値で買取、独自のルートで小売店に売る。このときの小売店はゲーム屋とは限らない。スーパー、ディスカウントストア、リサイクルショップと様々だ。なかには「お楽しみ袋問屋」なるものもでてきて、中身が見えないファミコンソフトの詰め合わせが一山いくらの世界だったそうだ。こういった不人気ソフトはワゴンセールをとてもよく賑わしてくれた。
ちなみに抱合せ販売は違法なので、公正取引委員会による排除勧告が初心会問屋に入ったことがある。ドラゴンクエスト4の頃だ。そのためかわりに「新作ドラゴンクエストの受注を行います。なおドラゴンクエストの他にあの大人気ソフト郡(大人気とは言っていない)のリピート販売を行いますので、ぜひ同時注文してくださいね」なんて手法が取られた。
これらの状況を任天堂は当然良く思っていなかった。もともと任天堂はアタリショックを目の当たりにして、「クズソフトの氾濫は市場を殺す」と認識していた。そのため、サードパーティには本数制限をかけた。が、サードパーティ自体が増えれば意味がなかった。子供向けのおもちゃであるために表現規制を敷いたが、クオリティチェックはまだこの時行われていなかった。どんどん増えるソフトと初心会の流通在庫は市場を殺す材料になりえた。どこもが不良在庫を減らそうとやっきになって価格をディスカウントしてしまえば、プレイヤーは適正価格でゲームソフトを買おう、という意欲が損なわれる恐れがある。
そこで任天堂はこの状況を打破すべくスーパーマリオクラブという組織を立ち上げる。一般のモニタープレイヤー2000人超を使い、彼らに発売前のゲームを二時間実際にプレイしてもらい、どこがどう面白いのか、つまらなかったのかを評価をする。評価は項目ごとに点数付けされ、集計されたデータは問屋や小売店に送られる。このデータは雑誌ファミリーコンピュータマガジンなどにも送られ掲載されていたので、知っている人は多いんじゃないかな。そしてこのスーパーマリオクラブはソフト売上の予測も立てるようになった。意外なことにこの素人集団の予測が的中した。後年はマリオクラブの参加者自身が慣れてきてしまい、その予測が外れるようになってしまったが。余談だがマリオクラブはこの後正式な任天堂の品質管理部門となった。さらにその後分社化が行われ、マリオクラブ株式会社となった。
任天堂としてはスーパーファミコンを機に一度市場をリセットしようと試みた。品質管理に売上予測、あまりに多くなりすぎた流通在庫。今ではピンとこない話だが、当時のゲームメーカーは「いったいどれほどのゲームが実際にプレイヤーの手に渡っているのか、どれほど流通在庫が眠っているのか」を把握する方法がほとんどなかった。商売相手は小売店やプレイヤーではなく、あくまで初心会だからこんなことになったわけだ。
当時の任天堂社長山内はこう語っている。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。これは初心会オンリーの流通を自己弁護した言葉と思われた。しかしこの言葉には「流通のプロでもわからないのなら、任せる意味がない」ということを含んでいる。この言葉の本当の意味はこの後判明する。
そうして新たなスタートをきったスーパーファミコン市場だったが、これは結論からいうと、なんら変わらなかった。むしろますますカオスになっていった。このあたりからいよいよ初心会の初心会らしい悪行が目立ち出す。厳密にいうとこの美味しい市場に目をつけた業者が、なんとか流通に入り込もうとし、初心会の中の一部(ここはもしかしたら一部ではないかもしれない)が彼らと手を組んだ結果なのだが。
・スーパーファミコン本体がほしい場合はアクトレイザーとの抱合せで(違法? 知りません)。しかもスーパーファミコン自体の掛け率は98%。場合によっては小売超え。別売りのケーブル(スーパーファミコンはAVケーブルが別売りだった)を売るほうが利益がでる状況だ。
・80万本の出荷実績があるサッカーゲームの第二弾が登場したとき、初心会のとある問屋一社が初回出荷数50万のうち25万を買い占めた。この25万は発売日に大量には卸さず、自前で在庫として抱え、市場在庫が枯渇して小売店や二次問屋が注文してくるのに対し、他のクズソフトとの抱き合わせ(違法? 知らない子ですね)で売りさばいた。
・とある問屋がメーカーに対して「うちは来週から社員旅行にでかけるんで、申し訳ないのですけど一週間早くソフトを卸してくれませんか?」と要望があった。それに応じて一週間早くソフトを送ると、なんとそのまま発売日よりも一週間早く小売店にソフトが並んでいた。社員旅行なんてそもそも嘘だった。
・メーカーに対してゲームソフトを大量に仕入れることを約束する見返りとして、その担当者個人の口座にリベートを送るように要求した。
(続く)
https://anond.hatelabo.jp/20210504185958
「弱者男性」って、色んな角度から議論できるけど、フェミニズム界隈から、ちゃんとした論考が出てこないのが不思議。テーマとしては本質的に新しさは無いしね。
もう、フェミニズムは学問としては事実上終了しているんだろうな。
ジェンダーに関する思い込みを一通り剥がした後、そこから先、学問としてする事があるようには見えない。
萌えキャラ批判で、性的表象がどうとか言ってる人をよく居るけど、心理学や神経科学の観点からデータ取らないと、エビデンスもまともに出ないよね。どうやってエビデンス取ってるの?お気持ちでエビデンスにするの?
また、議論する力も低い。「弱者男性」やTERFといったテーマは、フェミニズムのようなテーマからすると、応用問題と言える。こういう答えの整理しにくい問題について、「専門家」なら論点をサクッとまとめられる力が求められる。厳密さは後で担保するとして、まず論点を整理し、ある程度の水準のメッセージを作ることなど、訳もないはずだ。しかし、読むに値する論考は今のところ見たことも聞いたこともない。期待してないけど、どうせ無いんでしょ?
ま、弱者男性に対して、上野千鶴子ぐらいバッサリやるならそれもそれで芸だけど、上野の縮小再生産する奴しかいないなら、わざわざ分野を維持する必要性も無い、という事だ。上野千鶴子も退官したことだし、学問としてのフェミニズムは終わりにすれば良いのでは無いだろうか。
政治活動しかしないフェミニストなら、わざわざ大学で囲う必要もないだろう。どこか政治団体、幸福の科学とか一水会とか中核派にでも囲って貰えば良いのではないだろうか。
自分の一社目がまさにそんな会社だったのでガチのアドバイスを。
もう 20 年以上前になるが本当に状況が似ていて、メーカー系のグループ会社、2000 人規模の SIer、親会社の仕事ばかり、新卒は 100 人超、コーディングはしない、ビジネスマナーから始まる超絶ホワイトな研修が半年、などなど。
ちなみに言い当てると、月収が 22 万程度で、6月には寸志が 10 万ほど出る。年功序列で毎年少しずつ給与が上がるが、40 歳で課長、50 歳で部長になっても夢のある金額にはならない。そもそも上には謎の名ばかり役職がもりもりあって、部下無し管理職すらいる、そんな感じじゃない?
自分の場合その会社に就職したのは安定感を求めて、ではなく「この業界にいてどこの仕事が一番自分に合っているかを俯瞰して見たいから」だった。ネットで調べたりまあ卒業生に話を聞いたりとかしたところで、学生身分では絶対に見えない部分があるという確信があったので、一社目は言わば仮面浪人気分で、二社目で本気の就職をするつもりでそもそも入った。それを目的とすると、大手 (あるいは中堅) SIer というのはとても良い立場で、うっかり壮絶ブラックな職場を引く事も無く、ちっちゃなベンチャーで井の中の蛙になる事も無く、業界全体を俯瞰し、どこにどんな仕事があるか、何を避けるべきか、その中で自分がやりたい事は何か、自分がやりたい仕事はどこにあるか、などを見ることが出来る。
結局二年半ほどその会社には勤めて、大手の何が駄目か、何が良いかを学び、駄目なところを一応変えようとしてみたりもして (*)、その後、Web 系の自社サービスをやっている小さなベンチャー企業にプログラマとして転職をした。この初めての転職の時点では「何を避けるべきか」「何を優先すべきか」などが二年半の経験で明確になっていたので、面接時にそれらをちゃんと質問する事が出来た。また「面接官のずるいムーブ」も的確に見抜いて、会社から選ばれると同時に会社を選ぶ立場で面接に臨みとても良い会社を引くことが出来た。
本気の就職をした二社目では、今も交流が続き師と仰ぐ素晴らしい上司に恵まれて、システム開発をイロハから学ぶことが出来たし、五社目になった今でも時に一社目の経験が ── 避けるべき事例としてではあるものの ── 役に立っているので、遠回りでは無くあれは必要な二年半だったと自信を持って言える。
ただ技術的な知識を学び力を付けるという意味においては、一社目は全く役に立たなかったと言って良い。その点については自分自身で担保する必要があるけれど「安定感は会社に与えられるものではないです。自身の技術力が担保するものです。」と言い切る増田にあれこれ言うのは野暮だろう。
以上を踏まえて、合計 5 社、足かけ 21 年 IT 業界で働き続け、転職・スキルアップを契機にやれる事や給与を増やし、今なお現役のプログラマとして外資系 IT 企業で日々コードを書いている自分としては、1 ヶ月で判断して転職してしまうのは勿体ないよ、と言うアドバイスを送りたい。今の立場を最大限に生かして業界の知識を蓄え数年後の転職につなげるのは、増田の人生にとって大きなプラスになりうるはずだ。
(*) 日替わりで誰かしゃべる部全体向けの朝礼で、根回しなどもちろん無く、今の会社の仕組みの何が駄目か、どうしたら良くなるかを提案したところ、後で直属の課長から呼び出され「お前、部長から呼び出されるところだったぞ。おれが代わりに謝っておいたやったからな。」などと謎の恩を売られ色々と察した思い出。
転職してえ...
匿名ということで、忌憚なき意見が得られたらと思ってここに書いきました。たぶん、新卒がまた甘いこと言ってるよと思う人もたくさんいると思いますが、それはそれで受け止めます。
ただ、どこにも迷惑をかけたくないので、本質を違えない程度にはフェイクを挟んで書いてます。なんか辻褄合わなくね?みたいなところあるかもしれませんが、そういうものだと思ってください。
まず、私がどんな状況のやつかわからないと話にならないので、ちょっとバックグラウンドを紹介
情報工学の修士持ち、メーカー系のグループ会社のSIをやる会社に在籍。
グループ会社とはいえ、2000人規模で同期が100人近くいるので、そこそこ規模の大きい会社だと思ってくれて構わない。
「某S社に入社したけどミスだったかもしれない」というはてな匿名ダイアリーが一年前だったか二年前だったか少しバズったが、今の僕はこれに近い気分である。(該当記事は社名まで出しているが、前述の通り迷惑かけたいわけではないのでぼかしておく)
文系出身の人もいるので内容がしょうもないのは、仕方ないとは思う。
それでも情報工学の修士を出ておきながら、再び学部1年の授業を水で薄めたような講義を受けるのは非常に苦痛である。一人でやれば数時間で終わるものに1日かけてみんなで足並み揃えてやっているのは、運動会で手をつなぎながらゴールする様を想起させる。
そもそも、IT系の研修はいまだに一週間やったか?程度でしかやっていない。ずっとやってるのはコンプラやビジネスマナー、技術文書の書き方である。
ことあるごとに偉そうに、賃金を貰いながら学ばせてもらってる身なんだからうんぬんと説教垂れてくるのも腹立つ。研修で新しく学んだことなんかひとつもねーよボケ。
もっさりしたパソコンを重たい仮想環境に一斉に接続し、さらにテザリングでオンライン会議につなぐことでまるで水の中で動いているかのようなもったり具合である。非常にストレスが溜まる。
あとこれは、仕方ないとは思うけれど、セキュリティ上の理由で自由にアプリケーションを入れることができない。もっと効率的に作業をこなせるのに、使いにくいアプリや社内製のゴミシステムを使わされるのは合理的を信条とするITを志すものとしてかなりストレスになる。(どうでもいいけどOutlook使いにくすぎませんか?)
まぁ、でもこれは仕方ないと思いますよ。セキュリティ上の理由と言われたら反論できませんもん。
...SEなのにテキストエディタがMS Wordとメモ帳しか入ってないんですよ????!!!!???!!!?????
...ちなみにアルゴリズム研修はフローチャートをパワポで書きました。これからやるデータベース・SQL研修は紙上でコーディングすることがわかりました。泣きそうです。
......ITってなんなんですかね......?
技術力が現時点で低いのは全然構わない。私も当然まだまだだし、上を見れば見るほどキリがない世界だ。
ただし、IT系に関わることをこれから仕事にしていこうという人が「私、プログラム苦手でーw」というのは本当に許せない。
バスの運転手が「いやー私、運転苦手なんですよねーw」と言っているようなもんだぞ?誰がそんなやつに仕事を任せるんだ?自分がこれから何をしていくのかについて、あまりにも自覚というか覚悟がなさすぎる。(あんまり自覚とか覚悟とか人に押し付けたくはないんだけど、他にいい言葉が思いつかない)
キレても仕方ないので、愛想笑いして誤魔化してる自分にも腹が立つ。マスクのおかげで口元が笑ってなくてもいいのは非常にありがたい。
年次で仕事が割り振られるので、成果主義といいながら結局は年功序列である。少なくとも入社3年は足並みを揃えた昇給。
ちなみに、働く前は年功序列もいい点あるよなーとか呑気に思っていましたが今は違います。
会社のルールを決める連中が全部親会社の天下り老人。上がり幅が小さすぎる給与レンジ。若手はやっすい給料で働かせられる。
こんなのを見てしまうと若手のやる気を削いでるのは、お前ら老害じゃないかと思わずにはいられませんでした。
ついでに、年寄りどもが定期的に言う(大学上がり) = (遊んでばかりの怠け者)な価値観は明らかに古いものです。
当初は安定感があるのもいい点だと考えて、現在いる会社に決めましたが、しばらく生きて安定感に対する考え方が変わりました。
ことIT業界に限って言えば、安定感は会社に与えられるものではないです。自身の技術力が担保するものです。端的に言うと、いつクビになっても他に行けるような技術力を持つことが安定感だと考えるようになりました。
そういったことを考えると、他に行った時にほぼ役に立たない社内政治力や、社独特の書類作成能力、使いにくい内製フレームワークの勉強をしていくことに全く興味を持てなくなりました。
技術力が全く身に付かない今の現状を考えると、若いうちの安い給料としょっぱい昇給幅で我慢して働くことに対するモチベーションは無くなりました。
データ菜園、機械学習系、ソフトウェア開発系で職を探しているので紹介してください。
ちなみに真面目に質問なんですけど、転職しようと思う場合やはり少なくとも半年くらいは在籍した上でなければ厳しいんでしょうか?
もういつ辞めるかの違いでしかないので、決めたならできるだけ早く動くべきだと考えて動いてきたけど、結構風当たりが厳しく、今転職活動するのは流石に悪手なのかなと思ってきてます、少し忌憚なき意見が欲しいなーと思ったり...
せめて現職で少しでもコードが書けたらだいぶ気持ち的に楽になるのになー...
5ch感覚でレス飛ばしてましたが追記の方がいいらしいので追記します。
あと、思ったより注目を集めてしまった感あるので、これで基本最後にしようと思います。
以下のことが30歳を過ぎるまでにできていなければ、現代の競争社会から
淘汰されると思っているのですが、どうでしょうか?
・部活、サークルに入ったり、アルバイトをして社会・社交性を身に付ける
→何を言われても気にしない自尊心と自信を持つこと
・会社で「必要とされるスキル」を「必要なレベル」まで磨き、職場で”第一人者”になる
→自分が好きとか得意とかではなく、相手(会社)が求めるスキルであること
・あるいは副業、起業、投資などで生活が担保できるレベルにする
・BBQ、旅行、飲み会、同窓会に参加し、これまで築いたコミュニティを”維持”する
ちなみに私はコミュニティは年とともに疎遠となり、パートナーもおらず、
スキルも求められるレベルに達しておらず、副業、投資もしておらず、
メンタルも弱く、人の目を気にしてしまうので、もうすぐ淘汰されそうです。
これらを満たしていなくても、不安なく生きていくにはどうしたらいいでしょうか。
辛い。
本当辛い。
マネージャーらしき人間がいないカオスな職場だから、この自閉症だかアスペだかわからん同僚は完全に放置状態で本当困っている。
そこそこのプログラムは書けるんだけど、もうトレードオフの考え方がゼロ。やることが何もかも極端すぎ。
なんでユニットテスト書くのに条件判別のための複雑なコードを書くんだよ、これが間違ってないって保証どこにあるわけ?
コードの可読性をまったく気にしない。統一感のあるコードが、このアスペだけは気にせず好きなように書く。
何か気に入らなければ狂犬のように噛み付いてくる。
人の話はまるで聞かない。エゴイストの塊。自分の言うことはどれだけアホなことを言っていても常に正しいと思っている。
アスペ、チームワーク、無理すぎ。
自分はこいつとはこれ以上働けないから職場を去ることが決定しているんだけど、どういう会社なら、こういう人間を面接で落としてチームに健全性や秩序を担保しているんだろう?
これは割とまじめに考えているので、知恵のあるはてなー、是非教えてほしい。
そしたら就職活動までにある程度大きくなってるじゃない?
校医さんもいるしさあ
<追記>
母子ともにリスクが最も少なく、かつ就職前に最も手のかかる乳児の育成が終わる。
そもそも就職っていうのが23歳で男女平等に、ってのがおかしい。
女性は女性の幸せがあるんだから28歳とかに引き上げるべきだろ。
そんときまでに2人でも作っときゃいい。これでキャリアも子育ても両立でみんなハッピー。
なあにが男女平等雇用機会均等法だよ。ていのいい人権無視だろ。アホか。
<追記2>
男性なんでこれまで女性の社会進出と出産育児の両立、ってことにあまり興味がなかった。
結婚出産育児は一大事で、かつ政治からは社会進出しろと迫られている。
こりゃ大変だと。
なのでバイオロジカルな性差に立脚した女性の権利を最大化しつつ、
ソーシャルには平等で公平に才能が発揮できる世界が理想だと思う。
たとえば、原則として28歳までは出産育児をフルサポートする社会にする。
助成金の引き上げや、企業・学校内育児施設の拡充など、やれることはたくさんある。
28歳以降はそうしたサポートは受けられない。
となると出生率は爆上げになるだろう。
税金の青色申告を100倍にしたようなもので、申請すればオトクだし、
申請しなければそれはそれでいいけど後がつらいよ、みたいなもんだろうか。
しかし出生率の向上と早婚・早産によるデメリットが、女性の教育水準の低下
女性がその教育の権利を行使できるようになったのは、つい最近なのである。
なので28歳以下への出産サポートという政策においては、おもに
反論として、「吸収することの多い大学生の間に育児をしたら留学などができない」
といった意見が散見されるが、それは結局「遊びたいから」という言い回しを変えただけである。
結局若いころに遊んでしまったがために、男に捨てられたり相手を決めきれなかったり、
その後の60年なりをフェミとして匿名ダイアリーにぶちまける人生になる。
一方で、出産育児という大イベントを若いうちに早めにすませれば、
バイオロジカルな幸福を担保しつつ、ソーシャルなキャリアは28歳から本格的に開始し、
女性としても人間としても成長し幸福な人生を送ることができる。
企業としても子持ちであればセクハラ問題もなくなり平等な視点で採用できる。
いろんな企業を見てきたが、とくに東京に多いのだが、パワハラ気質な企業は、
新卒の女性を秘書や小娘のように扱う。これに個人的に不満を覚えていた。
もし初期の子育てをすませた女性であれば、そうした問題は避けられるはずである。
匿名ダイアリーを見ていると、本当に女性にとって結婚生活とは一大事なのだと知った。
そして多くのトラブルは、出産育児の負担(とその過去の記憶)からきている。
なんかわかった。
深刻な弱者男性って
「所有している社会的資本が少ない」んじゃなく、「社会的資本になり得ない」人達のことか。
言ってみれば負債のような。
だから誰も「引き受けたがらない」し、「当人同士でも繋がりたがらない」。
とはいえ働けているなら「最低限の健康と文化的生活」は担保できているので、それ以上を行政は与えられない。
与えるとしたら、生活保護、障碍者など全てのあらゆる弱者への支援も同時に底上げしなければいけなくなる。
対策としては「当人達の資本価値を高める」のが最善で、それは女の人権を無視してあてがったところで結婚させたところで全く解決しないよな。
端金を与えたところで解決しない。
経歴や技術みたいなもので、個人がコツコツと経験を積み上げて、自分の価値は自分で上げていくしかないように思う。
もちろん、社会的な価値なんて一切気にせず、今の自分を自分が肯定できて満足できているなら、全然それでいいと思うし理想的だと思うが。