はてなキーワード: 抜け道とは
http://anond.hatelabo.jp/20141025003943
自分の息子二人には「車の免許なんか取るんじゃない」と教えたという
青山さんは言う
「車なんか危ない、乗らないほうがいい、乗らないことにこしたことはない
車はステアリングをちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう」
自動車の運転なんて、チェーンソー作業や高所作業と同等以上のリスクがあるってのは、なかなか気づきにくいもんだね。
1トンを超える乗り物を、それと同等かそれ以上の乗り物の通行、歩行者、自転車が混在するなかでするというのは
ちょっとでもハンドルやペダルの操作を誤れば、加害、被害とも甚大となる。
そしてこんな言葉もある
住みやすい街ランキング上位は、いずれも自動車の運転が必要のない地域。
そういった地域ほど、高齢化が進むこの先、人口が増えていくことが予想されている。
それに、見えない相手を学生扱いする時点で、あなたの理性と人格の程度が知れるということが自覚できませんか。
ちょっとでも調べれば自動車の運転がいかに割に合わないものかなんて、いくらでも出てくるでしょうに。
自動車免許を持たなきゃいけない、という原理主義者な宗教に染まり、それこそあなたの感情であり、論理のそれには該当しない。
自動車メーカーは自動車を所有し運転することのデメリットをさほど語らず
自動車メーカーはマスコミに多額の宣伝費という口止め料で自動車運転の馬鹿馬鹿しさを語らせない。
学生であろうと、社会人であろうと、そこに気づけているか、気づけないでいてしまうか。その差が決定的になる。
自動車で弱者保護優先不徹底の危険運転により歩行者や自転車に怪我をさせれば下記の通り
危険な運転で人を負傷させ、または死亡させる罪。刑法第208条の2が禁じ、致傷は15年以下の懲役、致死は1年以上の有期懲役に処せられる。
危険運転致死罪。危険運転致傷罪。→自動車運転過失致死傷罪
◆第208条の2は平成13年(2001)に新設。刑法改正前は業務上過失致死傷等罪が適用されていたが、
悪質な交通事犯に対応するために改正された。同条が定める危険運転とは、
アルコールや薬物による不正常な運転・速度超過・技能を欠いた無免許運転・割り込み・幅寄せ・信号無視・煽り運転など。
なお、本罪の行為は自動車の運転に限定されており、自転車の運転では本罪を構成しない。
事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車や救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く
http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
路上駐車の運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円
http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html
http://livedoor.3.blogimg.jp/himasoku123/imgs/9/5/952362b2.jpg
http://www.tkz.or.jp/con13.html
http://fanblogs.jp/sakurabunama/archive/253/0
「その車、本当に必要ですか?」“金食い虫”の自家用車の維持コスト
http://diamond.jp/articles/-/24093
http://kuru-ma.com/page317.html
一体、車を持つと維持費にいくらかかるのか【持たない暮らしで豊かに暮らす】
http://fx-style.boo.jp/car18.html
自動車害 自動車モラル崩壊まとめ なんで日本人は自動車で暴走するのか
なぜ自動車運転手は法を知っていながら通学路でさえも交通犯罪行為を繰り返し暴走を続け、国内外で道路を危険化するのか? 免許制の形骸化
制限速度・・・守らない!エンジン音とロードノイズにより深刻な騒音公害をまき散らし、重量1トンを超える車両で制限速度超え危険運転。『俺が交通の流れだ!』→自動車規制取り締まり強化&自他の死傷や交通刑務所服役へ
横断歩道・・・渡らせない! http://blog.jablaw.org/?eid=1074745 横断歩道で歩行者や自転車を加害し逮捕、交通刑務所で懲役生活へ
横断歩道前の菱型マーク・・・意味知らない!ブレーキランプ無点灯が示す狂気。速度超過も併せて犯す。
歩道・・・安全不確認の我が物顔飛び出しで歩行者、自転車を加害し交通刑務所服役へ http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
歩道&車道&自転車レーン・・・違法駐車で事故誘発。自動車の我が物顔な危険行為により尊い命が犠牲になり、ドライバーに6千万円の賠償命令 http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
子供らが学校へ通う通学路・・・オラオラ!自動車様のお通りだ!プップー!(クラクション) 速度超過xスレスレ追い抜きx異常接近x警音器使用制限違反x徐行義務違反x横断歩行者等妨害?知るかボケ!
上記交通犯罪はすべての道路で日常的に繰り返されている。歩道のない通学路でさえも!
交通犯罪危険運転自動車撲滅のため、自動車規制取締強化を警察、学校、市長や知事、議員等に要請しつづけよう。
それに、善良な大人として子供を守る大人としてやるべきことは、歩行中自転車走行中の区別なく子供の安全を壊している自動車への抑制でしょう。
交通の鉄則は弱者保護弱者優先であり、子供の命は何よりも重い。そう、自動車のわがままより重いのです。
自動車は重量約1トン以上もあり、大勢の児童の命を一瞬にして粉砕してしまうような、爆弾や銃と同等の凶器です。
そのわりに通学路でさえ自分勝手な自動車の抜け道利用や制限速度以下で走らない速度超過暴走行為、
危険なスレスレ追い抜き、幅寄せ(暴行罪として懲役二年以下等)、事故を誘発する違法駐車(ウン千万円の賠償命令も出てます)、
警音器使用制限違反、横断歩行者等妨害(横断歩道場で交通弱者を死傷させられば刑務所行きです)、
これら自動車の交通犯罪が、通学路でさえ、子供が行き来する通学路でさえ蔓延しており日常的になっているのです。
歩道のない通学路でさえ自動車が我が物顔な運転で子供らの安全な通行環境を破壊している。
まずは自動車への規制取り締まり強化、職員らや市民に自動車利用を控えるよう要請したり、
交通弱者保護優先という当たり前の考えを交通政策において実践し、
自動車を不便にしてでも歩行者や自転車を保護するインフラも含めた環境整備が先決でしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20140921170625
ハロウィーンの準備に忙しい季節となりました。
魔法少女の常として、これ以上私について述べることができないことは、元魔法少女のセンパイであればご理解いただけるものと思います。
本題ですが、1人の魔法少女として、センパイの質問にお答えします。
魔法少女規制法が「魔法少女として活動している子供が、より健全で、より安全に活動するためのガイドライン」として制定されてから早5年、状況はかなり以前と変わったと感じています。
この法律を守っている、あるいはこの法律によって守られている魔法少女の子達は、大人によって安全がある程度保証されている環境に身を置いており、センパイの言うように真剣さが足りないというご指摘ももっともかと思います。
しかしながら、責めるべきはこういった魔法少女の子達ではなく、それを食い物にしている大人です。
戦う覚悟のない子を前面に押し出しておきながら、いざというときに自分たちは逃げる大人のなんと醜いことでしょう。
もちろん、そういう大人には真剣な魔法少女が相応のお仕置きをしているようです。
さらにこの法律の悪いところは、規制法を守らない悪の魔法少女もいるということです。
以前からそういった魔法少女はいましたが、規制法による普通な魔法少女の弱体化によって幅を効かせるようになりました。
私利私欲のために法律を破ったり無視したり抜け道を探したりするだけでなく、普通の魔法少女に害をなしています。
ひょっとするとこういう子の中には政府や警察に雇われている子もいるかもしれません。
最後になりますが、僭越ながら悪の魔法少女として、私も直接センパイの魂と魔力を頂きに上がりたいと思っております。
内々定を得た学生はそのことを本システムに登録することができるのですが、一人あたり1件のみ登録が可能とします。
よって、学生は新しい内定を得たとき、その内々定、もしくは以前に登録した内定先かをどちらか一方を選択することになります。
企業は一定期間内に自社を登録することを内々定付与の条件とすることにより、一応内定をキープしておくか程度の学生を排除することができます。
1,学生の内々定の有無、学生が保持している内定先の社名を正確に掴むことができ、面接に活かすことができる
2,一定期間内に登録することを学生に求めることで、踏み絵を行うことができ、内定蹴りを減らすことができる
3,内々定をだらだらと保持されることがなくなり、採用活動の短期化を狙える
1,どの学生も2つ以上内定を得ることが不可能となり、事実上倍率が下がる
2,学生のプロフィールから真の内定先までの情報を一括で把握することができる。
☆問題点☆
1,本システムは多くの企業が使ってこそ力を発揮するものであり、本システムを利用する企業が半端な数では、抜け道が残り、システムが形骸化する
http://anond.hatelabo.jp/20140721195311
基本的に同意なんだけど、これ業界によるかな。給料はいいし、信用では苦労しないのはホント痛感する。
ただ仕事がラクかっていうと、大企業だってキツいところはキツい。
某広告代理店や某財閥系商社に行ったけど激務でやめちゃった知り合いは結構いる。
知り合いで一番幸せそうなのは、ニッチな商品だが世界シェアトップで、年商200億くらいの中堅にいった人。
給料は高くは無いが、基本6時で帰れて福利厚生は結構充実しているらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/local/shizuoka/news/20140715-OYTNT50181.html
県警は今月から、スピード違反取り締まりの方法や考え方をまとめた「速度管理指針」の運用を始めた。住宅街を通る生活道路では、通勤・通学時間帯の取り締まりに力を入れるほか、高速道路では重大事故が多発しやすい区間を指定し、取り締まり頻度を増やす。今後は、各警察署も地域の実情に即した同様の指針を策定するという。
指針は警察庁の有識者懇談会が昨年12月、違反取り締まりが、事故多発場所より、取り締まりやすい場所で行われていると指摘したことを受け、策定した。
指針では、速度違反の車が起こした事故が、制限速度を守った状態で起きた事故に比べ、致死率が8倍になると指摘。これを踏まえ、今後行うべき具体的な事故防止策として、幹線道路の渋滞の抜け道に利用されやすい道路の制限速度を時速30キロに指定する「ゾーン30」などを挙げている。
県警交通企画課の南條保・交通管理調査官は「事故多発場所で重点的な取り締まりを行う意義を理解してほしい」と話している。
指針は、県警のホームページ(http://www.pref.shizuoka.jp/police/anzen/sokudosisin/index.html)で公開している。
nnnnnhisakunさん「白バイ増もネズミ捕りもオービス等も、自治会を動かして地元合意をとらないとまず無理。問題提起して地区の総会で賛同が集まってようやくスタートライン。議員を巻き込めたらちょっと楽かも。」とありますが、個人の声でもひとつあるだけでも全然ちがうもんだと聞きますよ。
もちろん、団体等を通して警察に要請するのが一番ですが、個人個人が思い思いに役所や議員、警察に市民の声として伝えることも大事ですし、それは決して無駄にはなりません。その声の内容が同じような内容で複数あれば、それは立派な『市民達の声』なのですから。
議員にも声として届けたり、その実現のための協力を要請するのも手ですね。
また、上のニュース記事にもあるように、昔とは警察の姿勢もだいぶん変化が見られてきました。これらはすべて市民らが議員や警察に、地域の安全のために自動車への規制取り締まり強化、更なる厳罰化を望み続け、声を届け続け、結果、それが警察の姿勢に反映されたものなのですから。
もはや地域の安全を向上させるためには、自動車の通行そのものを厳しく制限し実効性のある取り締まり以外に道がないということはこれまでの歴史で証明されつづけてきたわけですから、市民らは地域の安全を自動車から勝ち取るための活動に、なんらの遠慮も要らないわけです。
http://www.y-yamasita.com/diary.cgi?no=110
通学路は、学校や家庭では学ぶことができない子供の社会性を成長させる貴重な場であると考えます。
家と学校の移動だけではなく、家と地域、地域と学校とを結ぶ活動の場でもあります。
小学生のとき、通学路の思い出が心の原風景となっているというお話もお聞きし、地域で共有できる記憶としても重要なものと考えられます。
日本は、世界と比較して公園が少ないと言われてきましたが、かつては道路が子供の遊び場でした。
5歳児が自宅の前の道路で遊べるか否かが、その子供の成長と発達に重大な影響を及ぼすという意見は、チューリッヒ・スタディーとして有名であります。
しかし、柏市内では、自動車の交通量が多く、歩道も車道も狭く、ガードレールのない通学路もあります。
伸びた草木枝や落ち葉、ごみでふさがれ、児童が車のすぐわきを歩かなければならない歩道や路側帯もあります。
見通しの悪いカーブや、制限速度が守られずに、子供たちのすぐわきをトラックが通り過ぎていくような通学路があります。
抜け道として利用され、朝の通学時間帯に自動車が飛ばして走っている通学路もあります。写真を使います。
これは、ある小学校付近ですが、この歩道に枝が伸びていて歩きにくくなっていましたり、このように歩道が狭くなってしまっております。
そういうところに、この大きなトラックが通ったりすることもあります。
また、学校のそばの交差点なんですけれども、このように狭い道路もありまして、大きな車がすれ違うときは、ちょっとはみ出てしまって、なかなか、本当にすぐわきを車が通ってしまうような状況です。
これは、手賀の杜から40分から50分かけて、手賀西小学校に通っている児童も通る通学路であります。
そういった状況の中で、京都の亀山市や千葉県の館山市、愛知の岡崎市などで、通学中の児童が巻き込まれてしまうという痛ましい事故が起こっております。
これらの事故は、遠いほかの地域の出来事ではありません。柏市でも一刻も早く対応して、事故を未然に防がなければいけません。
保護者、教員によって、通学路に立ち安全指導が行われてはいます。
その負担もさることながら、いつ事故が起きるかもしれないという不安は大きなものです。
大切な子供の安全な通学路の確保は、最優先の課題であると考えます。
そこで、通学路の歩道の整備、ガードレールの設置、速度制限と大型車の交通規制など、通学路における安全確保について、柏市の考えをお聞かせください。
また、歩道、路側帯の草や木、枝葉などの伐採について、歩きやすい通学路の整備についてもお答えください。
◆三問目 山下洋輔
細かい現実的ないろいろな調整しなければいけないことというのがたくさんあるというのも、お話をお聞きしております。
そういった全体の流れであったり、基本的な道路をどうあるべきか、そういった考えは、先ほどお答えしていただいたような人間中心に移り変わっていくような、
そういった理念を持って、これからも続けていっていただきたいなと思いまして、ここで一つ紹介させてもらいたいことがあります。
デルフト宣言といって、子どもにやさしい都市環境に関するデルフト宣言というのがこのフルタイトルなんですけれども、
ここで子供に優しい都市は、すべての人に優しい都市であることを考慮するということを念頭に置いて、以下のことを提案していくというような宣言があります。
これを、紹介いたします。
「過去数十年の間に世界じゅうの子供たちは、伝統的に子供たちの屋外の居場所とされてきた空間の多く、
このような居場所の喪失は、多分に自動車の増加によってもたらされてきたものである。
子供にとって家庭環境は、健全な発達を遂げる上でも基礎となっている。
国連子どもの権利条約では、すべての子供が身体的、心理的、精神的、道徳的、社会的に発達するための適切な生活水準を享受できる権利を認めている。
そして、192カ国がこの条約を批准しており、各国政府はこの権利を実行に移す責任を認めている。
この宣言は、ロンドン宣言に基づいている。
ロンドン宣言というのは、政策の決定、立案及びそれらの過程への関与方法を考える上で、小さい児童や若者が有している物理的、
社会的環境に関する権利を十分に満たすことを優先して取り組むべきである」
ということが含まれている文章です。
私たちの大人であったり、社会、経済のそういった利便だけに流されずに、
未来を担う子供たちがすくすくと健全に育っていけるような社会を築くために、
私たちはいろいろな障害だったり難しい状況というのがあると思うのです。
そういったことに対してもできないということではなく、
全力でいろいろ知恵を絞って、ここにいる議員であったり市役所の皆さんであったり、
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「記憶媒体を接続してもデータがコピーできないような設定」ねえ。MTPへの対策が洩れていたという解釈がされているようだが、そもそも(物理的にUSBポートを潰す以外に)外部記憶媒体にデータをコピーさせないことって可能なの?
俺の会社ではIT資産管理ソフトを謳う某社製品で外部記憶媒体を使えないようにされているが、msconfigからプロセス殺してサービス止めればUSBメモリを読み書きできてしまう。
おそらくサーバ側で監視できるのだけど、警告とか来たことがない。たぶんPCの電源を落としている状態と区別が付いていないんじゃないかと思う。
予想するのは勝手だけど残念ながらそこまでにはならない。
なぜなら禁酒法は完全に酒が禁止されるのに対し、避妊具の禁止はセックスの完全禁止ではないからだ。結婚すればできる。結婚しなくても子供ができる覚悟をすればできる。
酒が完全にない状態に人間が耐えられないというのは歴史が証明しているが、避妊具の件に関して歴史が証明してるのは、現代までの間ずっとそれ(精度の高い避妊具)が存在せず、それでも人間たちはちゃんと生きてきたという事実。
無論、マフィアの資金源にはなるだろう。しかしそれは全体に影響を与えるほどではない。取り調べ→抜け道→抜け道ふさいで取り調べ→別の抜け道といういたちごっこが続くだろう。それなら問題はない。
インターネットがなかったとき、エロ本やエロビデオには裏本や裏ビデオという、裏ルート(外国からの通販など)でしか入手できない、法律で禁止されているはずのものがあった。
もちろん裏社会の資金源になっていたのだろう。しかしそれは法律を無効化するほどの流通量ではなかったのだ。全体からすれば微々たるものだったのだ。
全体として機能していれば細かなエラーなどはものの数ではない。
人のアイデアを実行させたくない者がよく使う言葉として「意味がない」というのがあるが、意味がないならやればいいのだ。それはやらない理由になっていない。もしデメリットがあるならそれを言えばいいのだし、「意味がない」はデメリットではない。結果に対してコストが割りにあわないというの有効な意見ではあるが、その場合コストの産出が重要になってくる。
頭ごなしにアイデアを実行させたくない場合、このコストを針小棒大に言うことがほとんどだ。これは常に自戒しなければならない。
この場合、アイデアを実行して結果が得られた場合の利益を数値的に仮定し、それが起こる確率をかける。同時にコストも数値的に仮定し、その数値が先ほどの利益×確率の数値より低ければ、そのアイデアは実行されるべきなのだ。
AするためにはBが必要
この単純な公式だけで行動する人は危ない
単純に思いつくのが
・がんばれば結果が出ます
目標:結果
戦技:戦法を選択する理由と成りえる要素
戦力:戦技を使える要素
の組み方ではないか
例
戦術:毎日飲む 毎日のめるものを選択する 毎日のんで結果がでることを確認する
戦法:味量タイミングを確認する 価格入手方法を確認する 自分に効果があるか確認する
戦技:(携帯を持っているので)わすれっぽいので携帯にアラームを仕込む お小遣いをためる 他の同じ成分でも自分にあっていたので効き目があると推測する
戦力:携帯の扱いが苦手ではない お小遣いに余裕をつくれる ダイエット成分について知っていることがある
目的:携帯のアラームでも忘れるなら使用をやめる お小遣いに余裕がなくなったらやめる 成分に効き目がなさそうと判断したらやめる
目標をまず掲げてあとはヤレという教育形態で育った人間は目標と目的だけあれば、あとは行動すれば結果がついてくるといった戦い方をすべて時の運まかせに無計画にすすめるのでサラリーマンは良く育つがリーダーは育たない土壌がある
列挙すると上から順に一つずつこなしていけばいい流れ図のように見えるが、それぞれの段階でそれぞれの取捨選択やそのための要素を収拾、調整する必要がある
図にしたならねずみ講の図のようになるだろう
三日で5キロやせるのにサプリを飲んだらやせる、実際やせましたといわれたら痩せるのかと
サプリが飲みたいのか痩せたいのかお金を払いたいのか何なのかはっきりすべき
痩せたいのであれば戦略的に運動、食事制限、サプリ、その他などからサプリを選ぶべきなのか
戦法的に他の戦術を選択するより有利な条件がすでにそろっているのか
ここまで見て、目標を変えるか戦略を変えるかする必要があるはず
その後はオンゴーイングで現場を調節していく、みため「不可能を可能にする指導者」系や、戦力を準備していて予定を調和させていく「軍師といわれる指導者」系などにわかれる
携帯は日常的につかってるしこれをダイエット×サプリの組み合わせに応用できるなら有利な点が一つふえる、といった形で多く選択の価値があるなら戦略を進める方向で決定づけれるし
戦力的にだれかがそれをしてくれる、またほかに自分が戦略を進める方向にあったときに補助となる問題回避策があればなおよし
これを「やっているうちにみつかる、やっていれば自然とあつまる」といった運のよさだけで乗り切るのは「乗り切った人の後日談」しかのこらない そのため成功率の伝聞は聞いた人としては「かなり高確率」
さらに「やってみなくてはわからない」につなげる人もでてくる 失敗したりもとより無理な可能性が大きいものにただ従わせるだけになることもある
最終的に戦力を投入して実施をした場合、どの段階で続行か中止かなどを検討するのに目的を設置していく
まず飲み始めでまずいとおもったらやめるか、やめないか 二日目では 結果はどの段階で など
三日目にならないと痩せるかどうかわからない(完遂しなくては結果ではない)とすれば、損切りができない
サラリーマンは月ごとに給料がでなくてはやる気にならないし、教育も定期的に点数がでないと将来役に立つといわれても微妙
実施の段階に合わせて実施結果に対する報酬を設定することを行動の目的とし、その結果ごとに戦略の維持や方向転換、中止などを検討する
半年がんばったが戦略を中止することになる などのアクシデントも発生するが、他の戦略立案の際に戦技、戦力として維持引継ぎを考えて戦略を練ることで「無駄ではない」という事が出来る
戦略の立案に際して「やればできる」とその内容関係なく開始をすると、その以前の結果で出来た資産をすべて放棄して取り組むことになる
毎回ゼロからはじめることに対しては大きなチャンスだが、少なからずなにかしらの経験や元手がある人間にそれをいきなり全否定されて、半ば洗脳のように「やればできる、実例がある」で
取り組ませるのは異常でもあるし、現実味がなさすぎる気がするがそうは感じないか?
同じものを食べても日本人はすぐに糖尿病になるが白人はその何倍も許容量がある デブ大国でも糖尿病がすくない現実がある
でも同じ人間だしとか意味不明 人によって結果が違うのだから 取組みも人によってことなるはず それは人種性別関係なくみな違うのだから皆ちがうはず
実際にやって背中をみせて俺はうまくいった それはよかったが それが隣の家でもできるかというのは 家族構成や条件や状況、それまで経過した中での運などもあわせてそっくり同じにできる方法がなければ無理だろう
それをこまかく記録して全部再現できるようにできれば応用もできるだろうけどもそんなデータを集めているのか
集めていないなら、それはたまたま運がよかった おちてた1000円ひろったと同じだろう
1000円の拾い方とか方法が確立できて本がかけるのかといえば 実際に拾ったんだからで通じるのか?
戦術:おもしろい教材をつかう 勉強すること自体が楽しいと思わせる 勉強以外にすることをなくす
戦法:IT教材を選択 勉強すればなにか結果を体感できる 勉強以外の時間を自然と減らす仕組みをつくる
戦技:学校教育と教材について検証と結果のデータ 教育方針の適不適判断 テストを自主的に行いその結果でご褒美を出す テレビやゲームなどの時間制限
戦力:学校教育と教材について幅広い知識の友人がいる 定期的なご褒美でもマンネリ化しないもの 抜け道のない空き時間管理または寄り道回復方法
目的:毎週自主テストの結果により毎週ご褒美 ご褒美がほしいから勉強するだけという単純な行動意識により継続をはかる また勉強させたい期間に対して継続や変更のタイミングをみる
最低限これくらいは考えて勉強の必要性を納得させにいく姿勢なく、エリートになった人をつれてきて勉強すればこうなると見せ、それに興味をもった子供が懸命に勉強した結果
不慮の事故で障害をもって予定していた道のすべてが閉ざされたとき、ふつうに絶望しないか?
はいまたやりなおし、新しいゼロからの戦略でいまからやりなおそう、って助言が救いになりそうか?
天才とよばれて幼少期をすごしてきてただの人になったら、ふつうの人になったときに軽く絶望しなかったか?
過去の経験がなにも役に立たない、再利用がきかない、無駄な時間、ただのたのしい思い出、になってしまっていないか?
また戦略どおりに行動が完遂したとして、出来上がるのは「勉強好きな人」ではないか?
勉強の結果を充分に発揮して「おかねをかせぐ人」になるのであれば「勉強好き」と「お金を稼ぐ」はイコールでつながるのか?
「そんなのやってるうちに」で作戦行動を開始して、その結果が運以外の何で構成されるというのか
べつに何事もがんばれば上手くいくってのなら問題ないしこんな話はきかなくていい 何の意味もない話だろう
もし明日の予定も完全ではなくなにか変わる可能性があるのだとしたら、変わったところで無駄になったところで、それを踏まえてさらに時間をすすめていける対応策は必要ではないか
やったらできる、やったからこうなったって姿をみたから、これだけですむならこんな話は全部無駄で意味がないノイズだ
自分が取り組んだことに対していろんな利益がついてきた、こんな幸運はめったにないだろう
それは姿勢とか考え方とか関係なく、むしろ運がいいと括られるものではないだろうか
資格や英語 の資格と英語に限って取り組む戦略を立てた時点で ほかの情報に対する勉強や交流や投資などを捨てていることになる
毎日早い時間に出社していたら、などの取組をしていない、この例をつかって早起きは大切だという事はいえなくなる
早起きはしていたかもしれない じゃあ新聞は読んでいたか 何新聞だったか どの記事でつかめたはずのチャンスを逃したか
言い出せばきりがないが それは戦略を選択した時点での取捨選択であり 運でもある
フランス語にしておけば利益は倍でとどまらなかったはずなのに などの可能性もあるかもしれない
イタリア語にした場合は家族離散で自殺、ということもあるかもしれない
またほかの人が英語からはじめてみよう、としたところで結果はわからない
それは戦力と目的で「英語が自分にとって武器となる」その効果を選択できるときには大いに力になる可能性はあるが
「そんなものはわからないが、成功例があるので自分にも適合するかもしれない」として
伝聞による情報のみで自分自身の状況と環境を加味せず選択したとすると、成功率は半分ともなれるか不安なところだ
単純な人間製造に貢献した戦後教育のおかげでサプリや情報商材が売れに売れて電話一本で詐欺もできる便利な時代が到来したわけだが
最初に書いたとおり、危ない安直さだが愚直だからこそ結果が大きく返って来るということもいえるだろう
悪くはない、人にやらせたければまず自分がやる、というのは自己の戦略のための戦力を準備する意味でもかなり意味があることだろう
今の時代背景的に、自分がやったから子供がついてきた結果家族円満、というそれだけの内容でも受け入れられるだろう
ただ、その方向で進んできて育成された文化がいまの若者を中心に街にある状況だ
私は、あんまりそれを良しとは思わないな
緑の多い田舎だったので自転車でちょっと走れば潰れた工場や廃屋などがあった。
当時、性に目覚めていた俺たちは、そういうところに捨てられているエロ本を見つけるのがとにかく楽しくて仕方がなかった。
とある夏祭りの夜、おれたちは遅くまで出歩けるのをいいことに、
そこは、大人たちからは絶対に入るな、と言われている防空壕跡だ。
もちろんしっかりと封鎖されてはいるものの、抜け道はいくらでもあった。
そこへ自転車で乗りつけ、俺たちは懐中電灯を片手に探検を開始した。
子供というのは愚かなもので、帰りの目印もつけずどんどん奥へと入っていった。
そして、突き当たりにぶつかるたび、右、右、右、と進路を取っていった。
何度も行き止まりとなり、もうあきらめて帰ろうとした。
その刹那。
なにか声のようなものが聞こえた。
「なんか言った?」
友人Aか友人Bのいたずらだと思ったので、「やめろよ。」と言ったその刹那。
またしても声が聞こえた。
さっと後ろを振り返る俺たち三人。
しかし真っ暗な闇がそこにはあった。
その刹那。
なにかがさっと通り過ぎるのを感じた。
「なんだ今の?」
おれと友人Bが言うと、友人Aはその場でまるで意識を失うようにして、ひざから崩れてしまった。
「なんだよ。」
「脅かすなよ、ばか。」
「ごめん、ごめん。」友人Aはそういうとゆっくりと立ち上がった。
「なんか急に立ちくらみがしてさ。」
友人Aのことが心配になりおれたちは来た道を左、左へと戻っていった。
入ったときはまだ少し明るかったのに、すでにあたりは真っ暗で、遠くから夏祭りのざわめきが聞こえていた。
おれは祭りで両親と合流する予定になっていたので、
AとBとはその場で別れ、すぐに町へと急いでいった。
翌日。
友人Aの姿が教室にはなかった。
つづく
逆に、大阪の31歳だっけ?餓死事件のように本来必要な人に福祉が届かなくなるだけだ。
貧困やトラブルというのはケースバイケースで多様すぎて、一律で防げない。
それに保険制度そのものは大しておかしくもない。問題はそこに寄生する人が増えすぎているだけだ。
小さくてもシステムを作ったことのある人間なら、わかるだろ。完璧は無理だ。
それに、法律による制度づくりでは難しいといっているだけで政府に何もするなとは言ってない。
あとは、なんでもかんでも政府のせいにすると、ただの政府転覆を企む野党の肥やしにされるケースもあるから分離して議論したい。
少し前にテレビで「まっすぐ帰らない男たち」という特集があった。仕事が終わると、ゲーセン、カフェテリア、書店、飲み屋、家電量販店にたたずむ男達の姿を追った内容だった。中には週3回はカプセルホテルに泊まるという男性もいた。
仕事でもない、家庭でもない。とにかく「立場」のない世界に居たいとの言い分だった。あるトレーダーの男性はゲームセンターでメダルゲームに熱中していた。自分の金を使い、ただただメダルを増やしたり、減らしたりする。その結果が自分のみにしか関係がないのが理由らしい。なるほど、他人の金を預かり、殖やすことを目的とされた仕事とはどれだけ殖えても自分のためではないことがストレスになるというか、心の手ごたえがないのだろう。その人の、ただ、結果が自分にしか関係がないことが安心する、と言った言葉がとりわけ心に残っている。
私もずいぶん定時上がりの日々を過ごしている。その後は帰宅せずかならずどこかを経由する。それは今まで意識したことはなかったけれど、やはり、職場でもない、家庭でもない、ただ一人自分で居たいと望んでいるのだろう。そのテレビ番組を見てはっと胸を突かれたように感じた。私は一人になりたいのだ。
私は定時で帰る。まだ職場には大勢残っている。SI屋とはそういう仕事だと思う。いつのまにか、スキルなんて求められず、ただただ時間を注ぐだけの職種になって久しい。そのむなしさ、というか、不安というか、自分の場違いさ、を感じて職場ではいたたまれない気持ちを抱いたままだ。オフィスの大勢はほとんどが協力会社、という派遣社員だ。3月になるとまた減ったり増えたりするのだろう。SI屋の自己保身、というか、互助のようなシステムだと思う。この間の横浜銀行のカード偽造事件を見て暗い気分になった。
話がずれてしまった。職場に居づらい、というのはもう転職のシグナルなのだろう。何を見ても救いはない。SI屋はこれからどうなっていくのだろう。派遣資格の厳格化が言われているが、どうせまたいろいろ抜け道が横行するのだろう。できないことをできると答えることを強要される人たちが、スキルミスマッチの職場で働くのだろう。一人でいるとそんなどうでもいいことを考えてしまう。
職種は違えど、いろんな男たちが、ただ一人になりたい、と望んで、いろんな場所で過ごしている。そんな悲しい現実をみなみているし、男性ならそのなかの一人なのかもしれない。私は録画していたそれをみて泣いた。
私はいわゆる情報システム部門ではないが、社内でIT関係の業務に多少なりとも携わっている。
現状の社内のITセキュリティポリシーはガチガチで外部サービスの利用が表向きには出来ない。
ユーザーは結局、その状況に我慢できずに抜け道を使って様々なクラウドサービスを利用している。
そのような状況に危機感を感じた情報システム部門があるクラウドサービスのビジネス版の利用を開放した。
しかし、サービス内容は同じであるのに、ユーザーは社内で認められたサービスに戻ってこない。
先日、あるユーザーと話す機会があった。
A「うん、使ってるよ。」
俺「社外にデータを出すのは情報漏えいのリスクが大きくなるので使ってはいけないんですよ」
A「俺の周りでは結構あたりまえに使ってるよ。」
A「その言い方かっこいいね。ジャブ程度ですよ。ジャブ、ジャブIT」
俺「ジャブじゃなくて、シャブ、シャブITなんじゃないですか?
やってはいけないとわかっているのに使ってしまう。やってはいけないとわかっているのにやめられない。」
A「そうかもね。その響きの方が使ってはいけないイメージだな。」
会話の中で気づいたのだが、
シャドーITという言葉は、IT関連部署向けの言葉のような気がしてきた。
http://anond.hatelabo.jp/20131102132652
30歳を過ぎた女性と分かれることを、犯罪にするのは難しいとして
では、上記の扱いとする際にどのような理由付けが必要になるだろうか。
多分、強者だからといって弱者を都合のいいように扱うことは許されないとか
強者の力を抑えることが弱者のためになる、といった具合になる。
例外は沢山あるだろうけど、とりあえずはそのような扱いをして、30代以降の
しかし、こうなると、10代-20代前半は女性が圧倒的強者で、男性が圧倒的な
当然、強者だからといって弱者を都合のいいように扱うことは許されないとか
強者の力を抑えることが弱者のためになるという概念を同様に適用する必要がある。
例えば中学校や高校で、原則男性に告白されたら、恋人がいない女性は、憧れて
いる人や好きな人がいても付き合わなければならない、拒否すれば犯罪じゃないけど
周囲から倫理的な非難を受けて村八分状態になる、といったように。
もちろん、付き合っていないけど付き合っていることにしてもらい、告白を断るといった
抜け道も考えられるけど、それがバレた場合は更に酷い非難に晒される社会。
強者への社会的制限、ということを考えると、上記のような形になるだろう。
20代までは、弱者である男性が社会的な圧力で「付き合ってもらえる」
30代からは、弱者である女性が社会的な圧力で「結婚してもらえる」
これでバランスが取れるよね。
何かを制限しようとすれば、関わりのある他の何かも巻き添えになるということ。
理論武装した娘との交渉は困難を極める。
例えば端末の購入。
「どこどこの店だとキャッシュバックがいくらあって、事務手数料と初月オプション加入料を差し引いても1万円以上の黒字。ソースはこのURL」といったことを言ってくる。
子供は親に「買って」とねだっているのではなく、「契約書にハンコを押して」と言っているのだ。
維持費についても「3円運用できる」、「物置に眠っているモバイルルーターに格安SIM挿してWi-Fi専用機として使う」、「今度うちの固定回線のプロバイダー代えるよね? 今ならキャンペーンで……」などと、子供の小遣いでやりくりできる代案をいくつも出してくる。
タブレット端末が教育現場で使われている記事を見つけると「ねぇ」と言ってくる。ポルノサイトよりニュースサイトがある意味有害コンテンツ。
お前はまだ子供だからSNSやソシャゲでトラブルになったらどうするんだと言うと、「炎上ツイッタラーや課金兵たちは大人だよ」と切り返される。
親としてはぐうの音も出ない。
「スマホ 子供」で検索すると、どうすれば成人向けコンテンツと課金サービスから子供を隔離できるかといった議論を親たちがしている。
恐らく問題はそういうことじゃなくて、情報とどう向き合うかなのだと思う。
ずいぶんと抽象的な表現だが、具体的な言葉は生き馬の目を抜くような情報技術の世界においてはすぐ陳腐化してしまう。
拡張性に乏しいiPhoneでさえ、グーグル先生に聞けば抜け道が分かる。Android端末は言わずもがなだ。
娘には今、「父さん提督は“艦これ”に忙殺されていて、契約書にハンコを押す暇もないんだ」とよく分からないことを言ってごまかしている。