はてなキーワード: 悪魔の証明とは
総会屋2.0というパワーワードの威力は凄まじいが、ぶっこむタイミングも素晴らしく、そういう意味では腐ってもカワンゴ。
本人は否定しているんだが
http://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/13103607.html
この否定の仕方も、結局よく読むとポジショントークであることは否定せずに、指示や金銭のやり取りだけを否定している。
しかし過去のリアルな総会屋だって明確な指示や金銭のやり取りで動いたりはしない。世話をしているケツ持ち企業のためにライバル企業を妨害したり、アドバイザーやコンサルとして力を誇示するために騒ぐというのが基本的な手口だ。
ステルスかどうかは置いておいて、やまもといちろうがソシャゲのコンサルをやりつつ、ソシャゲ広告を扱う企業を批判したのは確かである。しかし、当事者が企業を批判してはいけないわけではない。ポジショントークは立場のみで成立するわけではなく、立場によって偏った発言をした場合に成立するはずだ。
AppBankの件で言えば、反社会勢力の関わりを糾弾したのは社会正義かもしれないが、そのまま追求を止めたことは明らかな偏りだろう。
もし本当に反社会勢力の関わりがあったのであれば、何らかの事情で止める理由があったわけだし、金を受け取ったか脅されているのだか知らないが、とにかくやまもといちろうを黙らせる方法があるわけで、それは今も有効なのだから、彼を同情できても今の発言を信用することはできない。
逆に反社会勢力の関わりが間違いだったのであれば、彼はそれを認めて訂正するべきなのだが、それをしないということは間違いを認めると死ぬ病にかかっているわけで、どちらであっても彼の言動は信用できない。
ちなみに俺の観測筋では、AppBankの件はやまもといちろうの勇み足で、反社会勢力の話は横領して豪遊した犯人が苦し紛れに言った嘘だという可能性が高い。何しろ検察が入っても結果が出ないのだ。今の時代、検察を黙らせれるような権力を持ち、AppBankなんていう弱小会社を守るために大盤振る舞いする暴力団は今時居ない。ドラマのような話は無く、蓋を開ければくだらないものだ。
勇み足に関しては今始まったことではない。
グラブルのガチャを叩いた事件では、やまもといちろうの初期の記事を見れば確率操作を疑っていたことが伺える。何しろサイゲは不思議とリリースしたゲームの売上アベレージが高い。確率操作が白日の下にさらされるのであれば、景品表示法の曖昧な部分なんか飛び越えて刑事事件になる。大騒ぎだ。そうなれば刑事罰に怯える各社は渦中の「専門家」である彼を札束で取り合うだろう。
だが、確たる証拠を握れなかったやまもといちろうは、それを匂わすような記事や状況証拠だけを書きネットを扇動。消費者庁に働きかけ、動かすところまで行ったのだが、なんとサイゲは素直に通信ログを全提出した。お役所の撤退の早さは、タレコミと実状の大きな違いを意味する。何のことはない、グラブルは単純に、パチンコには嫌悪感があるがシコい絵に金を出す30代40代のオタクに支えられていたというだけだった。
おおっぴらにソシャゲのコンサルやりつつ、妙に1企業のゲームだけ叩いてたというのに、誰もポジショントークを指摘しなかったのは今考えれば恐ろしい話だ。結局mixiのモンストは個別確率表示すらしてないんだが、株主である彼は指摘しない。モンストのほうが対象年齢低くて売上ランキングも上だし、SSRの数と割合で考えるとグラブルより絞ってる可能性もあるわけで、常識的に考えればこっちのほうがまずいんだがな。
ネットで嫌われている相手を、適当な疑惑で煽って間違っていたら逃げるというのがやまもといちろうの今までのやり方だ。ツイッターでも勝てる戦いにだけ返信する。免罪がどうとか、あやしきは罰せずとか、悪魔の証明がどうとか言ってるはてなの人間も、敵がソシャゲ関連なら喜んで私刑に参加するし、平等性も気にしない。
しかし、やまもといちろう自身のミソジニーがネット社会のそれと合致しなかったってことは彼にとっての大きな誤算だった。
小池百合子も能年玲奈も、女だからネットの人間は味方しないと思ったんだろう。彼が2ちゃんねるの管理人の1人だった時代ならおそらく正しい目論見だ。しかし時代は進み、ネットの人間はフェミニストに賛同せずとも、ミソジニーも格好悪いよねという感覚を得るに至っていた。
それに、結局はソシャゲコンサルで大きな成功を奪えなかったからか、自分が得意とする分野の外に強く手を出してしまった。そこから剥がれたメッキに、カワンゴが一撃を与えた。だまし絵と似たようなものだ。1度指摘されれば、見えなかったものも見えるようになり、全員が気づいた。
東京に住む妹はそれを聞いて「マジありえない。バイオハザードが起こったらどうするんだ。市長暗殺したい。」とブチ切れている。
だが実家に住んでいる父はその施設に関連している所で働いているので、施設ができる事により研究が捗るみたい。
母親もそれなりに心配しているが、市長を暗殺したいとブチギレるほどではない。
弟はそういうことに関心がないのか何も言わない。
家族が心配だからそんな施設を作るなと言うのはよく分かる話だ。
でも、「地震がテロが、あったらどうするんだ!?」と言ってしまえば、原発も何も、普通の発電所すら作るのは難しくなる
この言葉は正直悪魔の証明に近いというか、反論できないんだよね、日本に住んでいる時点で。
でもBSL4の設備を作ることによって感染症のワクチン研究が進むということは良いことなので、どこかには作って欲しい。
じゃあどこに作ろうか?実家のある街には作って欲しくないし、言ってしまえば日本に作って欲しくない。
もしテロとか地震でウイルスが飛散したらと考えると、どこに作ればいいんだろう。
作らないで研究をすすめるというのは難しいと思うから、人の少ない田舎に作ればいい。
でもその田舎に研究者を呼び寄せるためには、その田舎も生活できるように整備しなきゃいけない。
するとお店なんかが必要になるわけなんだけど、誰がそんな所で働くの?となる。
もしかして「研究者はみんなのために不便を被るべきだ」ということなのだろうか。
そうしたらちょっと給料を多めにあげたほうがいいかなって思うけど、今の御時世給料をたくさんあげるのは難しい。
「お前は信用がおけない」ってみんなから言われたら腹を切るしか無い世界なんですよ。
「ルールは12月中旬から適用とあり、将棋連盟が不正に関する動かぬ物証をつかんでいたとしても、それを三浦九段に対して遡及適用できない」などと
三浦棋士を擁護してるやつは将棋連盟は司法機関でもなんでもないことを思い出すべきですよ。
逆に訊くけどルールの中だったら何でもしていいのか? コンピュータつかったらいけないこと位はルールになってんだぞ?
疑いをもたれない様に正々堂々として信頼を日々積み重ねて行くことでしか将棋連盟と将棋界というのは成り立たないんですよ。
そこに疑義を挟まれたらそれを晴らすのがプロ棋士の本当の仕事なんですよ。
勝敗を分ける指し手を選んだ理由を訊かれて「具体的には分からないけど悪い順が見つからなかった」といった
ちょっと将棋をやっただけの人間でも「え?」と思う様な感想戦やってるわけじゃないですか。
もし本当にその感覚で相がかり指しきったならすげーな天才だわと思うしそうあってほしいですけどね。
相手が指してから離席するとか、明らかに予想外であろう手を指される度に離席するとか
もしそういう挙動までしてたら尚のことですしね。
どうも、id:BigHopeClasicです。
本当はこんな内容、自分ではてなブログに投稿したほうが見た目もきれいになるしいいんでしょうが、持続できないブログを作るのも気後れするので、増田を使います。
さて、掲題の件、はびこりそうな誤解がいくつかありそうなのが将棋ファンとして気になったので書こうと思ったものです。
「日本将棋連盟が三浦九段に対して、カンニングをしていないという悪魔の証明を求めた」
としか解釈できません。つまり、将棋連盟は三浦九段に対して、決定的な物証などを何一つ押さえないまま
この点については続報を待つ必要がありますが、あくまでも現段階での私個人の感想としては
「下策中の下策、愚の骨頂」
なるほど確かに、三浦九段が疑わしいとする複数の棋士からの申し立てはあったのでしょう。
連盟がそれを黙殺すれば、その疑惑が文春砲などで火を噴いた可能性も否定できません。
しかしながら、決定的な物証がなければ、いくら週刊誌が書きたてようが大きなダメージにはならないのは日本相撲協会と週刊ポスト、週刊現代の顛末を見れば明らかです。
大相撲八百長問題が警察からの情報提供で明らかになる前、週刊ポストは30年にわたって角界の八百長を告発する記事を書き続けてきましたが、その内容は元力士らの極めて具体的かつ迫真性のある証言に基づくものとはいえ、決定的な物証をおさえたものではなく、大相撲はそれによってはなんら決定的ダメージを負うことはありませんでした。
週刊ポストに対しては、日本相撲協会は徹底的に無視をし続けることで対応したのです。
また、週刊現代の八百長報道に関しては相撲協会と各力士は、週刊ポストとの対応とは一転して大量の名誉毀損訴訟を起こしそのことごとくに勝訴しています(週刊現代の八百長報道は週刊ポストと比較してもあまりにお粗末だった)。
日本将棋連盟は、こうした大相撲の八百長問題におけるリスクの評価と対策から何も学ぶことなく、あくまでも現段階の報道に基づくところからは、およそ愚劣な対応をしたと言わざるを得ません。
さて、上記とは別にこの問題が深刻なのは、自宅にあるパソコンを遠隔操作するまでもなく、2016年7月におけるスマホ将棋アプリの棋力は、渡辺明竜王、佐藤天彦名人、羽生善治三冠といったトップ棋士の棋力をすでに上回っているという有力な推測があるからにほかなりません。
「対局室へのスマホを含む電子機器の持ち込み禁止、昼食休憩時における将棋会館外への外出禁止」
を定め、これに違反したものは除名を含む厳しい処分を課すことを決め、さらに今週末から開幕する竜王戦では、対局者に対し対局前に金属探知機で持ち物チェックをするという対応を決めていたわけです。
(新聞報道ではこの金属探知機での調査については渡辺竜王、三浦挑戦者双方の同意の下とされています)
(なお、上記のルールは12月中旬から適用とある通り、仮にこの時点で将棋連盟が不正に関する動かぬ物証をつかんでいたとしても、それを三浦九段に対して遡及適用できないことは当然です)
この件を報じた朝日新聞の記事についていたブコメからいくつか代表的な反応を取り上げます。
b:id:temtex 仮に事実としてもだ、たかがスマホアプリでどうにかなるものなのか…と思ったら、別のとこで走らせたソフトの結果さえ判れば良いのか(但し"スマホ搭載"と記事にはある)。プロに勝てる有力なソフトってどんなの?
b:id:namnchichi スマホのアプリでタイトル取れるのか?
b:id:symbioticworm 現時点でスマホで走らせられる将棋ソフトなんてたかが知れてるから、不正があったとすれば外部との通信が必要なはずだけど。現段階では情報が少なすぎる……。
b:id:buu さすがにスマホ搭載のアプリじゃ参考にならないだろうが、協力者と連携すればカンニングは可能だろう。人間よりもソフトが強くなるとどういう将棋界になるのかと興味深かったのだが、こうきたか。
b:id:kaitoster 『対局中、スマートフォンなどに搭載された将棋ソフトを使って不正をした疑い』←スマホの将棋ゲームすでにプロのタイトルホルダーより強いソフトあるのかな?
なるほど、確かにプロ棋士とコンピュータ将棋が戦う電王戦ではコンピュータ将棋が大きく勝ち越しているとは言え、最新の事情を詳しくご存知でなければ上記のような反応は出てくるのが自然かもしれません。また、今回の当事者である三浦九段が電王戦に出場した際の対戦相手が、東大駒場の情報基盤センターの学生用iMac680台をクラスタリングしたGPS将棋であったことも、上記のような反応につながるかもしれません。そこで、これらの誤解を解消するため、コンピュータ将棋の現況について説明したいと思います。
まず、上記の三浦vsGPS将棋が行われて以降、ドワンゴ主催の電王戦では使用されるCPUが制限されています。この制限に基づき電王戦で使われたCPUは、2014年がcorei7 4960X(6コア12スレッド)、2015年がcorei7 5960X(8コア16スレッド)とここまではその時点で調達可能なcorei7シリーズのエクストリームエディションを使用していますが、今年2016年は世代こそ最新のskylakeとなったものの4コア8スレッドのcore i7 6700K、そして来年2017年の使用CPUは同じく4コア8スレッドのcorei7 6700と、使用するハードウェアの性能は年ごとに抑制されるフェーズに入りました。
ではそれによってコンピュータ将棋のパフォーマンスの伸びに制約がかかっているかというと、全くそんなことはありません。将棋ソフトponanzaの開発者の山本一成さんは、2016年電王戦開幕前に「corei7 6700K1台で動くponanzaは、iMac680台をクラスタリングしたGPS将棋より遥かに強くなった」と宣言しています。これは根拠のないことではありません。
現在フリーで入手できる将棋ソフトについては、有志が統計的に有意な手法を用いてその相互間の強さをeloレーティングを用いて計測しています。その一例として、こちらのウェブサイトがあります。eloレーティングの仕組みについては[wikipedia:イロレーティング]を参考にしていただくとして、目安としてはレート上位から見て下位に100差あれば期待勝率64%、以下同じく200差で75%、300差で85%、400差で91%、500差で95%、600差で97%、となります。
ponanzaはフリーで公開されていないため、上記のウェブサイトにはレートは計算されていません。しかし、2016年に電王戦に出場したponanzaは、このウェブサイトで「Apery twig」として掲載されているソフトに対し勝率97%を上げていることが、電王戦に出場した山崎隆之八段をサポートした千田翔太五段の調査によりわかっています。つまりこのponanzaのレートは「Apery twig」の3250に600を足した3850前後であろうと推定できます(なお、上記のサイトで検証に用いているハードウェアはIvybridgeおよびskylake世代の4コア8スレッドメモリ16GBであり、これは2016年電王戦における使用ハードと大きな差はありません)。
一方、2013年に電王戦に出場して三浦九段と対戦したGPS将棋は、この表に掲載されているGPSFish(レート2879)をスレーヴとしてこれを680台クラスタリングしたものでした(厳密に言えば電王戦に出場したGPSfishはこれより一つ前のエディションですが大きな棋力向上はないものと仮定します)。この680台クラスタリングした際の棋力向上幅については、GPS将棋開発チームの田中哲朗東大准教授が、根拠は全く無く経験に基づく推測にすぎないとしながらもレートにして400程度と語っており、これを採用します。
そうすると2013年電王戦のGPS将棋の推定レートは3279となり、2016年電王戦ponanzaとのレート差はおよそ570、ponanzaから見た期待勝率は96%となります。わずか3年の間に、コンピュータ将棋は1台のデスクトップPCで、680台のパソコンをクラスタリングした将棋システムに96%勝利する成長を遂げたのです。
(なお、コンピュータ将棋がかくも異常な速度で成長したのは、ドワンゴが電王戦において「使用ハードウェアの制限」と「提出後対局まで6ヶ月間一切のアップデート不可その間棋士は研究し放題」という条件をつけてしまったからだと考えています。こんな条件をつけなければ開発者はここまでしゃかりきに強化はしなかったはずです。ドワンゴがコンピュータ将棋の大会に出してる優勝賞金の300万円なんて開発費の元手にもなりゃしないし、強いコンピュータ将棋を作ったって売り物にはならないので、モティベーションはこんな厳しい条件のもとで恥をかかないためにはひたすら強くするしかない、ってとこだけなんですから)
もうひとつ、これらの将棋ソフトとプロ棋士の強さの関係はどうなのだということも前提として必要になります。まず、プロ棋士のレーティングについては、こちらのウェブサイトが現在最も信頼され参考にされています。eloレーティングは、基準となる値を何点に設定するかで絶対値はいくらにでも設定できますが、上記の点差と期待勝率の関係は基準値を何点にしようが変わらないので、異なる基準値をとる異なるレート表間での比較が可能になります。
さて、コンピュータ将棋の公開対局場として、GPS将棋の開発チームが開設しているfloodgateというサイトがあります。ここでも参加者の対戦成績に基づいてレーティングが計測されています。また、この対局場は、コンピュータ将棋だけでなく人間も参加することができます。このfloodgateに、一時期上記の千田五段が参戦されていました。その際に記録されたレートは2800ほどでした。千田五段が参戦されていた時期のプロ棋士レーティングにおける数値と、その当時の羽生三冠との数値の比較から、羽生三冠がfloodgateに参戦した場合の予測されるレートは3000から3100程度だろうと見込まれています。また、先に紹介したコンピュータ将棋レーティングサイトのレートは、floodgateのレートの数値と大きく変わらないようにする工夫がされています。なお、羽生三冠のここ数年のプロ棋士レーティングは時期による前後はあれど概ね1900プラスマイナス50程度であり、佐藤天彦名人や渡辺竜王の棋力もほぼこの幅に安定していて、現時点ではこの3人が名実ともにほぼ拮抗した最高レベルの棋力といえます。
ここから考えた際に、2016年電王戦ponanzaと羽生天彦渡辺といったトップ棋士の棋力差はおよそレート差800、ponanzaの期待勝率は99%超、という推測になります。第2期叡王戦本戦PVで千田五段が、羽生のponanzaに対する勝率を0.5%と仮定しているのは、まずこの推測に基づくものと考えて相違ないでしょう。もちろんすべての基準となるfloodgateでの千田五段の数値は、普通のプロ棋士の公式戦ではありえない短い持ち時間の下で行われたものであるため、実際の羽生とponanzaの実力差はこの通りではない、という反論は容易ですが、そもそも持ち時間が9時間に増えたからと言ってレート800の差は埋まるものではなく、コンピュータ将棋も持ち時間を長くすればそれだけ強くなることを考慮すれば本質的な議論とは言い難いでしょう。
ここまで長い前置きを置かないと、なかなかこの本題に説得力が出ないと思いましたが、いよいよここからが現在のスマホ将棋アプリの話題です。
これだけ強くなったコンピュータ将棋ではありますが、これまでは基本的にパソコン上で動かすものでした。スマホ用の将棋アプリも多数出てはいましたが、プロ棋士の最上位に匹敵すると見られているものはありませんでした。
ところが今年の7月、android用の将棋アプリとしてshogidroidがリリースされます。これ自体は将棋ソフトのGUIであって思考エンジンはないのですが、このshogidroidの売りは、今年の6月に一般公開された当時の最強フリー将棋ソフト「技巧」をandroidスマホの上で動かせるようにしたことでした。技巧の強さは先のコンピュータ将棋レーティングサイトで4コア8スレッドで動かした際に3578。ponanzaの3850には及ばないとは言え、今年6月当時ではponanzaに次ぐ2番めに強いソフトで、人間から見れば驚異的な棋力です。
もちろん、この技巧といえど、その棋力がCPUの能力に依存することは言うまでもありません。しかし、スマホも今日日クァッドコアは当たり前、Huawei P9のようにオクタコアを搭載してGeekbenchを用いたベンチマークテストで高い数値を出すスマホもある時代です。第4回将棋電王トーナメントで3位になったやねうら王の開発者で、皆様もよくご存知のやねうらおさんは、2016年9月時点のハイスペックのスマホに、一切のスマホ用のチューニングを行わずに思考エンジンを搭載しても、レートの落ち幅は400程度と推定しています。この推定を当てはめて技巧をshogidroidで動かした時のレートを推定すると3178。やはり羽生天彦渡辺を上回っていることになります。実際にはもちろんやってみないとわかりませんが、あくまでも推測上では、すでに電王戦はプロ棋士対スマホで十分に成立し、それでもプロ棋士の分が悪いことが予測される段階に突入しているのです。
※ちなみに、先の電王トーナメントで優勝し来年の電王戦に出場する最新のponanzaは、今年の電王戦に出場するponanzaに9割勝つとの開発者山本さんの発言がありました。これを信じるならponanzaのレートは4200となり、スマホに積んでも3800で、やはり羽生三冠の期待勝率は1%に満たないことになります。
これが2016年10月における、スマホで動かすコンピュータ将棋の現状になります。恐ろしいことには、shogidroidは無料のアプリであり、その思考エンジンの技巧もフリーウェア。それを最高スペックで動かすHuawei P9は54000円で買える、というところにあります。この状況をどう考えるかは皆様のご想像におまかせします。
さて、お気づきの方もいるかもしれませんが、疑われた三浦九段の棋譜をソフトで検証してみれば白黒はっきりするのでは?と思われるかもしれません。しかしそれは極めて困難であると申し上げましょう。
まず、Shogidroidの上で動かせるソフトは技巧に限りません。その他のソフトも動かすことが可能です。次に、同じ将棋ソフトであっても、ある局面を検討させたときに導く最善手は、CPUの性能や検討させる時間によって異なります。そもそも将棋ソフトにはある特定の局面において常に同じ結果とならないよう検討においては乱数も使用されており、一局の将棋の棋譜からではその人がカンニングしたかを導くのは容易ではありません。
さらに、将棋は二人零和有限確定完全情報ゲームである以上、ある局面における最善解というのが必ず存在します。ということは、その最善解を自力で導いたかカンニングしたかの区別は、着手から「だけ」では判定できないことになります。
以上の理由から、カンニングしたか否かの実験を第三者が行っても、その結果についてはいくらでも疑義をつけることができ、有効ではないと言えましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20160609124904
色々な答え方があると思う。
戦前の軍隊では「故郷では食べられなかった白米を食べられて嬉しい」という兵隊が多くいた。
稗、粟、黍などを主食とする地域、白米を主食とする地域など、日本の農業は多様性に富んでいる。一地域内での多様性という意味でも同じ。
比較史的にみて日本の人口変動がかなり安定的に推移しているのは、そのことと無関係ではないだろう。
日本においてジャガイモは「飢饉対策」として導入されており、要するに「主食の変更」というより「農業多様性の増加」を目的としていたように思われる。
ちなみに最近は「主食」という概念自体があまり普遍的ではない(特定の地域でしか通用しない)概念であるという指摘もされているのだが、ややこしいので略。
2.税と米
こうした多様性にも関わらず、米が「主食」とみなされていることの一因は、いわゆる「年貢」の存在に求められるだろう。
白米が貨幣的な性格を持ち得たのはなぜなのか、「私鋳銭や破欠銭などの悪銭が一般に流通し、貨幣の価値が安定していなかったから」と言われている。
16世紀ごろから戦国大名が年貢を銭納から穀納に切り替えるので、そのころに画期があったのだろうと思われる。
要するに、ジャガイモが伝来した16世紀以降においても、米は作らざるを得ないものだったのである。
「税の徴収」という観点から江戸幕府が農業政策の中心を米においていたとして、
「農民・商人による自発的な変化」としてジャガイモ中心の食文化が生まれる可能性はなかったのか、という疑問は当然生じるだろう。
結論としては、「可能性がなかったことを否定するのは悪魔の証明に等しく、困難」だが、17世紀以降、国家の干渉によらずして自発的に食文化が大きく変化したという事例は極めて稀であり、日本においてもまずなかった、ということになるだろう。
不安定な生活を送る農民にとって主要作物を変化させることは大きな博打である。プロイセン、ロシア、(イギリス支配下の)アイルランド。ジャガイモで知られるこれらの地域は、いずれも専制君主や植民地政府の苛烈な支配のもと、ジャガイモの普及を進めていった(中公新書『ジャガイモの世界史』を参照)。日本においても明治以降、北海道や、満州においてジャガイモの作付が奨励されている。その意味では、日本では明治以降にこそ「ジャガイモの主食化」の可能性があったということになるのかもしれないが、一方では「日本食」という観念が広がりを見せ、他方では食の多様性が増大しつつあったのだから、ジャガイモが「唯一の主食」の地位を占める可能性はもはやなかった。
二つの態度が矛盾していると思ってもらえたら、それで十分なんだわ
その上で「同じ奴が言ってない」って自信が持てるかと言うと俺は持てないんだよね
君は持てる?
もしくは「少なくとも自分は一貫した態度をいつもとっている」という自信は持てる?
<追追記>
うちの母は立派だよ
と言いたいところだが
フフ
<追記>
http://b.hatena.ne.jp/entry/284624645/comment/FTTH
それは「違う奴が言っている」であって「同じ奴が言ってない」ではないですよね・・・
もしくは俺が「違う奴が言っていることをはてなーとして同一視している」ですかね?
俺の不徳のいたすところです
申し訳ありません
本当はもっといいのがあって、休みたい(具体的な言葉は違いましたが)というと、ある人から「死ねばいいのでは」とブコメを貰ったんだけど
こういうふうに追記でツッコミ入れたら消されちゃっててね
彼が毎回「死ね死ね」言ってたら、溜飲も下がりますけど、普段はお高く止まって道徳家を気取ってますからね
フフ
さて「矛盾がある」と思っていただけたら第一歩なんです
悪魔の証明です
「同じ奴が言ってない」と自信を持って言えるかがここでの問題です
はてなスターも駄目ですよ
kiyaさんはよくやってましたが
そういえばどこ行ったんですかね
スポーツの祭典を象徴するロゴの騒動は、辞退した事もあって一応の落ち着きを見せ、総括の段階に入ったようだ。
つまり、アレは一体何だったのかという説明と、それに対する反発の第二ステージに入ってきたと言って良い。
ロゴに関しては、専門家の説明と素人の感情の両方がネットでは読めるので、説明はしない。
ここで触れるのは「自分がもしも佐野氏の立場になったら」という対処法だ。
一番簡単なのは、諦めることだ。
店長を思いローソンカラーに塗ってみたら面白かったので、Twitterに写真を載せた。
「それ、セブンイレブンのパクリでしょ?」「べつやくれいが恐竜に塗ってたのパクった?」
続々とリプが飛んできたとしよう。クソリプとは言えない。適切な感想だし。
ここで、「いや、思いつきで」とか「セブンイレブンのヤツは今ググったけど、みたことない」
みたいな反論は火に油だ。転載されてどこかのまとめサイトにでも載ったら、まあオシマイだろう。
最終的に識者に「著作権的にはグレーですが、迂闊な公開とは言えるかもしれません」とかオチが付いたりする。
相手の意見を肯定しつつ諦めることで、2,3日すれば「消すくらいなら上げるな」的なクソリプも収まる。
ちょっとややこしいので、まず分類しておこう。
「パクリ」と「似てる」には明確に差があって、
「パクリ」は「誰かのに似せる」という「行為」を問題視される。盗用や盗作等、黙って使うと非難される。
「似てる」は「誰かのに似ている」という「結果」を問題視される。途中経過は、あんまり関係ない。
「パクリ」とは「似せる」という「行為」を問題にされるので、やってるやってない双方で証明は異常に難しい。
これは「所有権を主張するなら、譲ってもらった相手が譲ってもらった相手のそのまた譲ってもらった(以下略」と最初まで遡って証明せよ、と言われていたいわゆる所有権の悪魔の証明みたいになる。
そして、対処法も法律の枠組みと同じになる。証明責任を転換させる「権利推定」という手法だ。
「この事実があるんだから、この権利があるものと推定する」という方法。
プロセスに沿って仕事してましたよ、と説明すれば良くなる。(というか、良くなることにしないと進まないのでそう決めてる)
先行技術調査、なんていい方をするけど、似た特許がすでに無いか調べてから出願する(特許を出す)のが一般的だ。
この場合、特許庁に登録されているもので調べれば、少なくとも仕事の上では、以後問題になることはない。
プロセスに沿って仕事していれば、特許無効審判で潰されても、賠償問題にはならない。
ポイントは大きくは2つあって、まあ「格」と「情緒」と言っても良い。
人間の屑であってもクレバーな人間は多いし、サイコパスだからこそ社会的に成功するなんて論文もある。
冷静に考えれば、「人間性」と「その人が行った成果」は、全く関係ないんだけれども、世の中そうはなっていない。
「格式」は、服装振る舞い挨拶儀礼ほぼ全てについて回るので、まあ、根強いし仕方のない面もある。
「情緒」は、論理性とかは特にないので、同じように情緒的に対応するしか無かったりする。
こういう場合、特許情報プラットフォームで調べると、出願されてるかは判る(例えば「はてブ」は、登録5672858で登録済み)
例えば、全くの天啓で「アノニ増田」を思いついたとする。(これは商標登録されてない)
こういう時は、弁理士か弁護士に依頼して、商標出願してもらうのがプロセスになる。
こうすると、「パクリじゃない」と調査してくれた上で、「似ている」場合のリスクの報告もしてもらえる。
そして、法律上の問題点をクリアした上で、「格式」として、類似に見えるサービス展開はどうだ?みたいな話になる。
なんで言質をとって関係者展開で事実を積み上げるかというと、次への布石になるからだ。
「格式」や「情緒」しか問題がない場合は、明らかな「難癖」は、見た目で判りやすくなるからだ。
(仕事で良くある「それは法律上の」とか「それは盗作や盗用のリスクが」という批判を潰せる)
まあ仕事でもないと、プロセスに則って何かをやるってのは難しい。
個人では弁護士に依頼して調査してもらう(お金で責任の肩代わりをしてもらう)ことはまずない。
そうすると、言質をとって対応するのが次善の策になる。
「パクリだ!」→「これはこういうことで」→「そういうことを言ってるんじゃない!」というのを、前提とするってことだ。
特に、発言の多様性で意味を変えてくる(大抵謝ったりしない)相手に対応するときの基本方針になる。
これは、コミュニケーションを繰り返すという意味ではなくて、想定しておくという形になる。
この深津氏の説明が優れているのは、「言質をとって切り分ける」想定問答集として理想的な形になっているからだ。
たいへん雑で恐縮だが、「対処法」に絞って整理すると、説明としては以下のようになる。
途中、デザイン寄りだったり、秘匿性の話が挟まっていたりはするものの、きちんと切り分けされている。
「オマエのことが気に入らない」とストレートに言う人間は、実は非常に少ない。
「俺は、なんとなく、気に入らない」は、ほぼ無敵で対処法が存在しないけれども、
「みんなは、法律的に、問題視するのでは」という「第三者批判」は対処法がある。
その為、深津氏の説明は、
という流れで、以下の結論に持って行ってる
反論しようとすると、法律の問題か感情の問題かのどちらかをハッキリ言わないとバカに見えるようになっている。
(オリジナル部分が違えばパクリではないと規定しているが、妥当な前提だろう。似てるだけなら全部ステンシル書体のパクリになるし)
(「著作権的にオリジナル主張が難しい」という弁理士や弁護士やその他デザイナーが指摘はできる構成)
仕事上で諦められないなら、プロセスに沿って仕事してた、対応は粛々としますと切り返せ。
仕事でネット上で炎上したら……感情の解消と、法律面の対応は、両輪。
「情緒」の解消は、基本的に当事者間の話し合いになるので、そこをクリアするとネットは沈静化するよ。
(法律面は粛々と対応。「格」対応は、週刊誌ゴシップで蓄積有るはず。基本根回しとコネ)
……上記は、難癖対応であって、弁護士が代理人としてやってきたら、ちゃんと対応しよう。
まあ、今までは週刊誌で盛り上がるだけなんで抑えも取引も効いただろうけど、ネットから燃え広がるとコントロール難しいからねー
連日のパクリ騒動について静観決め込んでたけど、デザイナー連中が一向に本音を吐こうとしないからそろそろ苛ついてきた。
デザイナー連中はいつまでオリジナルが大事だとかすました顔で言っているつもりなのか。
それならば聞くが、君たちはいつピカソやダリや北斎を超えたのか?
自分たちが過去の作品に習って学校で体系的に学んできたことが自分たちのデザインがそもそもパクリの上に成り立っていることを示す確固たる証拠ではないか。
それが何か。
「一部のパクリデザイナーを見て全員をそう思わないでほしい。」「一生懸命に素材を撮影したり手で書いたりしている人がかわいそう。」
笑止千万。ヘソで茶を沸かしてやるからまずはこれ飲んで落ち着け。
それなら手書きしたり自分で素材撮影したりすればそれはオリジナルだと言えるの?
その構図にモチーフやインスパイアがあってもそれはパクリとは言わないってわけ?
それなら聞くが、既存の素材を取り込んでフォトショで加工することと何が違うの?
だからもうみんなではっきり認めなさい。そんなことは全て綺麗事だということを。
一度でもデザインに携わったことのある人間に聞くが、自分が創りだしたそれが全く何の影響も受けてない完全無欠のオリジナル作品だと言い切ることができますか?
だったらなんでライターが持ってきたどっかで見たような写真と文章を、デザイナーはどっかでみたようなレイアウトで配置しつづけるの?
まともにデザインなんてしたことがないような連中がいうならまだしも、プロ連中がそれをいってちゃダメだろ。
だったらインスパイアされた相手にいつも許可とってライセンス料払ってるの???
パクった佐野研二郎が悪いんじゃなくて、デザインはパクリなんてない崇高で潔白なものじゃないとダメって思っている世の中にあるわけ。
パクリ問題の本質は、パクることの是非ではなく、ライセンスの支払いやら法的効力に全て帰結することにあります。
だって違法じゃなければデザインなんてみんなパクりなんだから問題にしようがないんだもの。
それを世の中がパクリそのものが悪なんて顔してるから、世の中のデザインは窮屈でしょうがないんだよ。
例えばスペインの片隅にある劇場にどうやってアポとってライセンス料契約とかを結べばいいわけ?
どんなに似てようが、国も違ければ法律も違う上で、違法になり得ないなら別にかまわないのよ。
だって、デザイナーはそれよりも重要な使命を負っているのだから。
彼らがやっていることはもっと崇高なの。
世界中から集めた数多あるデザインを適切な場所に適切なデザインで再構築と再配置するという大きな使命を担っているんだ。
世論に押されてだんまり決め込んでないで、デザインなんてパクリだ何が悪いってさっさと開き直ることだね。
どうせ事なかれ主義の法律が追いついていないだけな瑣末な問題だ。
現に中国で生まれたラーメンが日本で姿を変えアメリカに持ち込まれたことで多くの人が喜んでいるではないか。
自分たちの行いが正しいと信じているなら、変えるべきものは法だ。それこそ一国の首相が認めていることではないか。
問題提起してさっさと法改正させないと、それこそデザインの死が訪れてしまう。
パクリ問題でもとのデザインがあればだれでもデザイナーになれるって言ってる奴いたな。
だったらお前はなんで世界的デザイナーになれてないだ?デザイナーにかぎらず、少なくとも実業家くらいにはなっているはずだろ?
くだらないこと言ってる暇があったら自分の足元よく見ろよ。
世界をめぐる情報は、早さ、量、質ともに人類がかつて経験したことのない水準に到達しているのだ。
その世の中で自分以前にオリジナルが存在しないことを証明するのは、いわゆる悪魔の証明というやつで、証明する労力と見返りが釣り合うことのない問題だ。
結局はそれが違法であるか否かという点でしか問題として取り上げることは困難なのだ。
そんなことにリソースを割き続けることは人類にとって単なる損失だ。
今の世の中で高く評価されるべき能力は、世界中に点在する様々な要素を、今、それを求めている場所に求めている形で再構築する能力だ。
そういう意味ではいつまでもデザイナーなんて呼び方に酔いしれてないで、さっさとコーディネーターとでも名乗り直すことだな。
いずれにしても君たちの行いは求めてられていることなのだ。
性格を数値にするのって難しいし、ばらつきも大きいだろうから、相関がないことを証明するのって悪魔の証明に近くなっちゃうじゃん。
サンプル数増やしたり統計手法をちゃんと用いても、自己評価の性格と周囲からの評価が違うかもしれないし、サンプル自体の信頼性が評価しにくいじゃん。
でさ、糖鎖が違うだけでそんな影響が出るわけないって言ったってさ、糖鎖がエピジェネティックに遺伝子の発現に影響しているかもしれないじゃん。
それと性格に遺伝性があるか寡聞にして知らんのだけど、性格に遺伝性があったとするとさ、血液型は遺伝するからさ、緩やかな相関関係があるかもしれないじゃん。
そういう緩やかな相関関係が、ほぼ単一民族で血液型の種類も程よく分かれてる日本では強めに出るのかもしれないじゃん。
○朝食:納豆卵掛けご飯
○昼食:なし
○間食:焼き鳥の缶詰、どら焼き、カルピスサワー、サワークリーム味
○調子
というわけで、大好きなカレーを食べて、久々にビールも飲んだ。
例によって一本で良い気分に。
その後、レンタルビデオ屋さんで、DVDを借りてきて、見ながら遊戯王タッグフォーススペシャルをプレイ。
マジシャンと補給部隊のシナジーが脳汁でる、ドロー山ほどできるデッキって楽しいね。
僕は、アイドルマスターっていうコンテンツを、今田舎村で落ち合おうの解散までで、
それ以降は蛇足だと思っている。
僕にとっては、今田舎村で落ち合おうが絡まないという時点で、ゼノグラシアだろうがアニマスだろうがぷちますだろうがニコマスだろうが、全部等しく蛇足だなあ、としか思えない。
ただそれでも、あの時の熱量を思い出して、興奮して涙してしまう。
なんていうか、あの世界のどこかにゆりしーボイスの雪歩がいるかもしれない、と考えただけでもう感動してしまうのだ。
(だから、ToHeart2のダンジョントラベラーズの展開も大好きだよ)
この楽しみ方は、はっきり言って無敵だと思う。
悪魔の証明じゃないけど、作中の登場人物が「ゆりしーの声の雪歩はもういないよ」なんて言及をするわけがないので、
缶ビール一缶とカルピスサワー一缶だけで酔ってるから、なに書いてるのかよくわかんなくなってきたけど、
とにかく、シンデレラだろうとミリオンだろうとサイドMだろうと765だろうと876だろうとインペル(ペだっけべだっけ、もう忘れたや)だろうとぷちどるだろうと