はじめに:論文の質がどうだのコピペだのといった話が最近よくなされているがそれらは学部の卒論必修文化に端を発しているのではと私は考える。
日本において研究者や学生が初めて論文製作に当たるのは多くの場合、というかほぼ10割が学部における卒業論文だろう。
そして、その大多数ほどが「必修だからやるしかないな」で卒業論文に当たるわけだ。
そうすると自然と今まで過去問に頼ってきた学生達はコピペ的な論文を量産する。
それを大学の講師陣は「しょうがないよね。これが彼らの限界だし大卒じゃないと就職難しいし卒業させてあげなきゃだよね」とそのコピペ系卒論を通していく。
そうして大学の研究室には「コピペみたいな卒論もしょうがないよね」という空気が流れ、
その空気に当たりながら学部生は育ち、やがて院生になり、その空気を脱しきれるかどうか怪しい状態で院も卒業していく。
以上はあくまでも自分のイメージである。自分が通っていた大学のレベルが低いからこういったイメージを持ったのかも知れない。
しかし、日本にある大学の何割かは実際にこうなのではないかと私は推察する。
この状態を止めるには学部における卒論の必修化をなくすべきなのだろうと私は考えている。
研究をして論文を書くべき学生と、そんな事させずにとっとと社会に出してしまった方が良い学生を同じ境遇に置くのは、
腐った蜜柑と新鮮な蜜柑を一緒くたに樽に入れておくような物なのではないだろうか。
PS:そうだよ……俺は学生時代に卒論で苦労した恨みを増田にぶつけてるだけだよ……。笑いたければ笑うがいいさ。でも最近のニュースを見てるとこの考えもあながち間違えとは思えないんだよな。
もうそういうやつはそもそも大学に行くべきではないし、 そういう奴が蔓延する大学でも入らないとまともに就職できないような社会もどうにかせないかんし、 どこから手を付けたらい...
学生時代に苦労したから今一応まともな社会人になってるんじゃねーの? 学部で卒論書かなくたって、院に行けばいずれ書かなきゃいけないし、社会人になったっていつかそういう苦労...
それ何の解決になるの? 必修で仕方なく卒論を書く人が多いのは確かだろうが、普通は「書くからにはより良い論文を書こう」って気持ちが生まれるでしょ。 私だったら、「コピペで済...
学部の卒論必修文化 教授陣が無駄だと思ったら無くせばいいだけの話なので、何かしら有益なんじゃないの。 ちなみに俺の学科(理系)は卒論を英語で書く必要があって死にそうだ...