はてなキーワード: 個人の感想とは
草枕、徒然草、ファウストはフリーレン的だと思わんかった?ドストエフスキーがニーチェ的だとは全然思わん。夏目漱石を楽しめるならツァラトゥストラも楽しめるはずだと思うけど。あとは古典SFやファンタジーじゃね?四畳半神話大系やシュタインズゲート、ゼーガペインにグレッグイーガンが多大な影響を与えているのは確かだけど、知らなくても説明的だから楽しめるんじゃね?フリーレンは説明も感情も抑制してるから教養ないと楽しめないって言われるんだろね。
草枕、徒然草、ファウストをフリーレンと関連づけるという発想そのものが出てこなかった。
あとドストエフスキーがニーチェ的なのではなく、ニーチェがドストエフスキーの無神論に影響を受けてる。
古典SF、四畳半神話大系やシュタインズゲート、ゼーガペインにグレッグイーガンは一切履修してない。完全にそのあたりの知識は欠落してる。自分が知るファンタジーはゲームのRPGがほとんどかもしれない。それが原因なのかも。
今回、ネットやSNSでフリーレンの感想を漁ってみたんだけど、楽しんでいる人たちの大多数はもっと感覚的なところで素朴に純粋に楽しんでいるように見えた。
なので、教養がないと楽しめないというより、教養があるとより楽しめる作品なんじゃないかな、というのが個人の感想。
それはフリーレンに限らないけれど、フリーレンはどちらかというと起伏があまりない作品なので、その傾向がより顕著になるんではないかなと。
周りで絶賛している声が多かったのと、金ローの人気投票で選ばれたっていうので見た。
感想としては、「刺さる人には刺さるけど、大ヒットとまではいかない地味な映画」という感じだった。
・「魔法」という題材に反してストーリーラインがこじんまりとしているように感じた。
せっかく「魔法」というワクワクする題材を使っているのに、「話が終始ミラベルの家族間のいざこざで完結している」「見せ場であるミラベルと祖母の和解シーンが対話であっさり終わってしまう(その直前に家が崩壊するという派手なシーンはあるが)」なのもあってアニメ映画としてみるにはスケールが小さい作品だと思ってしまった。
特に祖母とミラベルの和解シーンは「どちらも魔法が使えない」という設定のせいで、アニメ映画なのだから本来いくらでも派手な映像に出来そうなのに、地味であまり印象に残らなかった。
最後の家族でのミュージカルシーンや、ミラベルがドアノブを握ることで家が魔法の力を取り戻すシーンの演出も派手ではあったけど何故かあまりピンとこなかった。全体的なストーリーラインが弱い印象があったからかも?
最後のオチの印象が弱く見えることに関しては、結局家族やミラベルの状況が序盤と何も変わらないように見え「がち」なのもあると思う。
序盤の状況とは、家族はこれからも魔法によって村の人々を助けなければならない、ミラベルは魔法を使えないまま。
実際は心理的には大きく変化がある。家族間にあった不和は消え、家族はみんな「家族の圧」に縛られなくなり、おのがままのマインドで生きられるようになった。ミラベルは魔法を使えないのではなく実は祖母と同じような「魔法を管理する」というギフトを持っていたということが明かされる?(これに関しては映像からそう読み取れるという考察をちらほら見かけた、がセリフでは明示されてない)
でもパッと現実の状況だけ見るとそんなに変わっていないようにみえる。
あとは家族と一緒に暮らしていくオチが、ミラベルが家族から冷たい扱いをされる描写が長いために「なんだかなあ…」と思わされてしまう。
ミラベルが家を出て外の世界を知るようなオチ、或いは数年後の家族の姿が描写されるとかあればまた違ったのかもしれない?
ミラベルは序盤から「家族の中で1人だけ魔法が使えなず、家族の大多数にあまりよく思われていない」というキツい境遇だ。最初はこれが底の状態で、てっきりここら家族と和解していくのかと思っていたのだが、その後もミラベルが家族のためにやることなすこと空回りした挙句、「自分のせいで家と魔法の力が崩壊してしまう予言」が家族間で共有され、家族みんなから総スカンを喰らう。ここがドン底。昨日の金ローではこの時点で22時である。
1時間くらいミラベルの辛い境遇と空回りを見せられなんともいえない陰鬱な気分にさせられた。宝石の国のフォスか?
しかもその後の1時間に予言の謎解き、家族の抱える問題の解決、祖母との和解、家の崩壊と復活まで詰め込んでいたためにどの要素も物足りなくなっていた。尺配分をそもそもミスっているような気がする。後半に詰め込みすぎというか。
あとミラベルが家族にキツイ言葉を言われるパートが長かったせい&人数が多すぎで、家族に対して愛着がなかなか湧かなかったのもある。
特に「ミラベルが家族と家を滅ぼすという予言」を家族が言いふらすシーンとか最悪の奴らじゃん……となってしまった。その予言を見たブルーノは「その予言を家族に公にするとミラベルの立場が悪くなる」ために秘密にしていたのに……。
個人的に実写じゃなくアニメ映画なのだからキャラクターは魅力的かつ個性的でいてほしい。それはビジュアル面だけでなくキャラクターの性格や設定も指している。
が、ミラベルは割とどれも弱く見受けられた。
ビジュアル面がパッとしてないのはまあどうも公開前に騒がれまくっていたので言わずもがな。メガネのディズニープリンセスは斬新で良いと思うが、髪型とか他の要素の組み合わせが悪いがために魅力的なキャラデザに見えなかった。
個人的にはミラベル自身も家族にも強烈に印象に残るキャラはいなかった。
特にミラベルに関しては「家族のために役に立ちたい」という主人公に相応しい善性を持っているが、家族から悪い扱いを受けるシーンが多くて「もうミラベル家と村から出て行った方が幸せなのでは…?」と思わざるを得ず、共感があまり出来なかった。
ミラベルのこの心理に関しては、毒家族を持つ人こそ逆に共感できなさそう。
「毒家族故に反抗する機会も与えられなかった悲しきキャラ」と定義してる感想を見かけもしたが、それを制作者が意図しているのはピンとこない。ミラベルが反抗して家を出ていくなどしないと成り立たない気がするからだ。流石に祖母にちょっと怒るシーンはあったが……。
家族に関しての印象が薄くなっているのはビジュアル面の弱さもあるが「人数が多い」もある。もう少し絞ってもよかったのでは?と思わなくもない。
人数が多いせいで個々の抱えている不安や問題などの解決の描写も短めになってしまい、それ故にキャラが弱くなってしまったように思う。
「家族のために結婚する不安」を抱えていたイザベラや、「魔法の喪失=アイデンティティそのものを失う」と思っていたルイーサなどはリアリティがあって好きだった。
個人的にはブルーノとミラベルの掛け合いは面白かったのでこの2人の絡みをもっと見たかった。
(というよりこの掛け合いが来るまでミラベル側の味方があまりいないので、ミラベルの会話シーンがずっと暗い)
Xでミラベルの感想を検索すると「実はこの映像はこういう意味があって!」「こういう設定があって!」というつぶやきをちょくちょく見かけた。
どうも魔法にまつわるアイテムや家族達の動作を非常にこだわっている作品らしく、そのあたりに注目すると作品をより深く楽しめるらしい。家族に対してのキャラの薄さも払拭される可能性がある。
実際初見だと確かにストーリーを追うのとキャラを覚えるのとミュージカルシーンの歌詞を聞き取るので手一杯になっていたため、また見返すと違うのかもしれない。
また、明確なヴィランがおらず(ミラベルと敵対する祖母も周囲のプレッシャーに苦しんでいたキャラとして描かれ、和解する)、日常に重きをおいたドラマ
だったのでそういうのが好きな人は好きそう。
そもそも生命の起源で難しいのは偶然自己複製系ができるところなわけでそこの難しさを云々するのは個人の感想とかじゃなく完全にずれたこと言ってるのでは
一旦神経ができたらあとは早かったのは実際の進化でもそうだし
・論理的思考が一切できない。
正義や人権や大人の振る舞いなどのことを、ロジカルに考える能力が一切ない。個人の感想と区別できないほどに、ロジカルシンキングができない。現代人なら子供でもできるが、日本人は大人でもできない。
・上記のことは、昔の賢い人々が徹底的に細かく理詰めで徹底的に論理的に組み立てている。数学のようなもの。普通の現代人はそれを理論として学んでいるわけなので、普通はロジカルシンキングができる。
・現代人にとって、上の正義、道徳(宗教観の一つ)、人権、コミュニケーション、政治、などなどは「極めてロジカルなこと」である。
・日本人は、そのような一般的教養が一切ないため、感想や思想が土人レベル。現代人とはまともに話すことすら困難。上に挙げた分野の教養レベルが土人なので、「意見を交わす」のは無理。
アニメとゲームとエロと趣味とか、そういう与太話しかできない。
・メンタリティのほぼ全て
・道徳を無駄に信仰してるが道徳がどんな位置付けにあるのかを全く理解してない
・正義が何かをわかっていない
・人権が何かをわかってない
・法律が何かをわかってない
・政治が何かをわかってない
・民主主義をわかってない
・市民社会をわかってない
・全体主義や権威主義など自らの従う規範のイデオロギーを客観視できない
・大人の振る舞いとは何かをわかってない
・コイツらの言ってる「大人の振る舞い」は、たとえば「嘘も方便」「相手に耳心地のいいことを言って気づかせずに状況を転がす」といったような、宗教観とか文化的感情だけで形式的に決まっているだけのもの。所作として綺麗と考える宗教観はあるかもしれないが合理性が一切ない
お金は要らない、餓死してもいい、貧しい生活でもいい、それでもいいから貧乏人のお金を集めてお金持ちをもっと大金持ちにしよう!という政策を貧乏人が自身の権力によって実現している。
お金持ちのお願いは、どんなものであっても(もっとお金を稼いで豪邸を建てたい、とかね)快く大金を渡してくれる、気前のいい人。
関わらなくても大金をジャブジャブくれる。
エロだらけで土人で人を人と思っておらず、論理性がなく、感情的で、慈愛のない人々で、会話は成り立たないので、あまり関わりたくはない。
学べるよ
犯罪者は捕まるし病院や薬局は保険適用で安く利用できるし自然保護区は保護されるし食材は毎日買える値段だし学校は義務教育だろ?
今まで社会のような巨大組織が善悪や正義を判断し続けてるから正しさが基準としてあるから今の暮らしがあるわけで
フワフワな個人の感想なわけないだろ?
そんなに18歳年下と結婚するのって悪いことなの?そんなにだめならなんで法律で規制されてないの?
19歳って自立したと見なされてる成人年齢を過ぎてるよね?クレカも作れるしキャバクラでも風俗でも働けるよね?
個人の感想として気持ち悪いって言ってるだけかもしれないけど世間一般でおかしい事って扱うのはなんかちょっとやだなあ
同性のカップルが結婚するのだって気持ち悪いって思う人もいるかもしれないけど本人が傷つくかもしれないから言わないでしょ
年の差カップルがなんでそれと違うの?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cinra.net/article/202310-oppenheimer_iktay
ほとんどのブコメは公開しろよって内容だけど、ただ、もしなかなか日本での公開が決定されない理由が一部のブコメでも言われているような炎上騒動とかの"厄介避け"だとしたら、その原因にははてブ民的な人達も大いに含まれてそうに感じる。
上位コメに「右翼がうるさいから」ってコメントもあるが、うるさいのは右翼だけじゃなくてお前等もでしょって。
だってはてブ民的な人達、自分達の望んだ描き方で原爆を扱わないと、個人の感想や巧拙の論評を超えた倫理的批判に繋げてすぐ燃やすじゃん。
社会派映画ならそういう倫理面での意見が出てくること自体は健全なことだと思うけど、でもやっぱりアメリカ側から見ると日本から出てくる批判は被害者目線での狂熱に侵された感情論って見られがちなんじゃない?
実際、ネットの安い感想だと日本人から見てもそういう風に見える愚論も少なくないし。
なんなら、批判するために観たいって言っている人もいそうなくらいじゃん。
まあ、炎上避けが公開しない理由っていうのは予想に過ぎないけど、オッペンハイマーに限らない一般論として、「こういう描き方は許されない」みたいな対象表現の排除を求めるような強い批判を繰り返してると、いつか自分の観たい作品も観られなくなってしまうということは、胸に留めておくべきかと思った。
恋愛不要をやたらと叫ぶ人達って日本では本当によく見掛けるけれど、アメリカもなのか
なんでなんだろうな
具体的な作品に関して、このキャラクター、このカップルの恋愛はやめて欲しかったと言うならば、自分もそういう不満は沢山あるしよーーく分かるんだけど(例えば米に出てるゲーム・オブ・スローンズだとブライエニーやアリアのセックスシーンに関しては自分も嫌だと思った)
でもそうでなくて作品名も挙げずにただただ恋愛は不要だとだけ言われても反発しか感じない
恋愛が見たいなら恋愛ものを見るって言ってる人もやたら多いけれど、その理屈も意味不明なんだよね
だって、恋愛って生活の一部だろ…現実の人間だって勉強したり部活したり仕事したり家事したりしながら恋愛してるじゃん
他の事を一切しないで恋愛「だけ」している人なんて存在する?女王蜂と雄蜂の擬人化か?そうじゃなければあまりにも不自然では?
この手の言い分ってあまりにも、恋愛ものを馬鹿にし過ぎだと思うんだよなぁ…
天使なんかじゃないや君に届けでは、進路と恋愛で悩んで希望の進路に進む事を選んで遠距離恋愛を決意した女の子が描かれていたけれど、
恋愛ものが本当に恋愛「だけ」書いているならばこの種の描写はなかったでしょうに。
物語における恋愛ってキャラクターの行動の動機を分かりやすく示すものとして有用だろ
寧ろ思いっきり本筋な事が多くない?
どうしてそれを理解せずに簡単に「恋愛は不要」と言ってしまうのか
例えば天空の城ラピュタはパズーがシータを銀貨で軍に売ってめでたしめでたしになるし、ふしぎの海のナディアはノーチラス号まで辿り着かない、
スラムダンクはバスケを始めない不良漫画になるかバスケ部に入ってもしごきに耐えられずすぐに辞める、名探偵コナンは蘭の家にお世話にならないので眠りの小五郎が爆誕しない、
からくりサーカスはフェイスレスが誕生せずゾナハ病の脅威もなく、NARUTOはオビトがマダラに騙されないので無限月読計画が発動せず、
天気の子はあっさりヒロインよりも世界を選ぶ、東京リベンジャーズはうだつの上がらないフリーター生活を続ける、葬送のフリーレンは人間の仲間の事なんてすぐに忘れて陰遁生活、
ロード・オブ・ザ・リングは王の末裔が種族違いの恋で悩まない、ゲーム・オブ・スローンズは不義の子である主人公も三兄妹も生まれない、
そんな作品面白いか?まぁそれはそれで別のアプローチで面白く出来たかもしれないが、今ある作品とは完全に別物になるじゃん。
今ある作品で恋愛要素があるものは殆ど、それが作品に不可欠な要素として組み込まれていて、抜いたら別物になってしまうと思うんだが。
あと、「要らない」という表現の傲慢さ。恋愛要素が要るか要らないかは表現者が決める事であって視聴者が決める事ではない。
「嫌い」「苦手」「やめてほしい」「見たくない」なんかならあくまで個人の感想だし普通に共感するんだけど、なんでそう言わずに敢えて「要らない」って言うんだろう?
個人の意見である事を誤魔化したいという心理というか、すっげー卑怯さを感じる
不思議なのはこの手の意見を表明する奴等に限って何故か久保帯人の埃だけ食ってろ発言は称賛してそうなんだよな
個人の意見を個人の意見として尊ばないって点では共通してそうだが。
あと、この手の恋愛アンチって何故か友情ならOKな事が多いのがさらに不可解(唯一シン・ゴジラだけはそれも含めて「余計な人間ドラマがなくて良かった」って評価だったけど)
仕事上や偶然の成り行きで組まされたバディなんて、寧ろ恋愛以上に友情が成立する方が不自然じゃない?
フィクションだと特に、年齢や社会階層、時には人種も違ったりするし、そんな間柄で友情が成立するのも大分不自然だと思うんだけど何故かそういう指摘は全然見ない
例えばTIGERandBUNNYとか、そもそもおじさんなんて言わずに礼儀正しく表面上の付き合いだけして波風立てずに他人行儀な付き合いのまま終わるのが現実だよね
年齢や階層の異なる者同士が、仕事上の付き合いで本気で意見を戦わせるってフィクションならよく見掛けるけれど現実では全然なくない?って思うよ
男女バディならばさらにそう。男女だとそれだけで性差別により置かれた環境が異なる訳で、最初は反りの合わなかった男女バディが事件を経て固い友情で結ばれ~なんてあまりにもリアリティないよ
恋愛ならば性的魅力で説得力が出る場面も、友情だとお互い得もないのにどうして?と説得力がさらにダウンする
そういうの一切考えずに「恋愛は低俗!」「恋愛は要らない!」「男女バディ尊い!」だから苛つくんだよな
人気トップになってるGizmodoの記事が原文と全然違うというので比べてみた。
原文(機械翻訳)
NASAは小惑星サンプルコンテナを開くのに苦労している
科学者たちはキャニスターの外から岩やほこりを集めましたが、サンプルの大部分は内部で立ち往生しています。
約1ヶ月前、小惑星からの手付かずのサンプルは、タイトなカプセルの中に閉じ込められたまま地球に着陸した。サンプルキャニスターは、宇宙旅行中に小惑星の主要な塊を安全に保つように設計されましたが、現在、NASAのジョンソン宇宙センター(JSC)のチームは、宇宙の岩にたどり着くためにそれを開くのに苦労しています。
過去1週間、OSIRIS-RExミッションのキュレーションチームは、小惑星からサンプルをつかむために使用された宇宙船の関節アームの端にある丸いサンプラーヘッドであるTAGSAMヘッドを開くのに苦労していました。TAGSAMヘッド(タッチアンドゴーサンプル取得メカニズム)は、小惑星サンプルの大部分がある場所であり、したがって、汚染を防ぐために窒素の流れの下で特殊なグローブボックスを介してチームのメンバーによって慎重に処理されています。
「何度も除去を試みた後、チームはTAGSAMヘッドの35個のファスナーのうち2つがOSIRIS-RExグローブボックスでの使用が承認された現在のツールで取り外すことができないことを発見しました」とNASAは金曜日にブログ記事に書きました。「チームは、サンプルを安全で手付かずのままに保ちながら、頭の中の材料を抽出するための新しいアプローチの開発と実施に取り組んでいます。」
サンプルキャニスターのアルミニウム蓋が最初に取り外されたとき、ミッションチームはキャニスターのアビオニクスデッキに黒いほこりと破片を見つけました。10月11日、NASAはTAGSAMヘッドの外側から収集されたサンプルを初めて見たものを明らかにし、まだサンプルキャニスターを開けていないと付け加えた。「唯一の問題は大きな問題であり、TAGSAMに入る前に予想していたよりもはるかに多くのサンプルを見つけたことです」と、NASAのJSCのキュレーターであるフランシス・マッカビンはライブイベントで語った。
結局のところ、それほど良くない問題もあります。これまでのところ、キュレーションチームは、TAGSAMヘッドのマイラーフラップを押さえながら、ピンセットまたはスクープでキャニスターの内側から材料の一部を取り除くことができました。今後数週間、チームは残りのサンプルを抽出する新しい方法を考え出そうとします。
「頭から残りの材料を抽出するための提案された解決策のためのツールは、グローブボックスの中に収まることができなければならず、コレクションの科学的完全性を損なうものではなく、いかなる手順もクリーンルームの基準と一致していなければならない」とNASAはブログ記事に書いた。
しかし、NASAによると、これまでに抽出された小惑星サンプルは、小惑星から60グラムの破片を集めるというミッションの目標を超えている。現在までに、宇宙機関は2.48オンス(70.3グラム)の岩とほこりを回収しました。ミッションの背後にあるチームはまた、サンプルの分析で有利なスタートを切り、豊富な炭素と水の分子を発見しました。科学者たちは、生命の構成要素がこれらの古代の宇宙岩に乗って宇宙をヒッチハイクするという理論を支持するため、小惑星サンプルに埋め込まれた有機物の証拠を見つけることを望んでいました。
OSIRIS-RExミッションは2016年9月に打ち上げられ、2018年12月に小惑星ベンヌに到達した。2年近くの観測の後、宇宙船はベンヌに着陸し、2020年10月に表面からサンプルをつかんだ。OSIRIS-RExは9月24日にユタ砂漠で小惑星サンプルを降ろした。
ミッションは最近(うまくいけば一時的な)障害に見舞われたかもしれませんが、小惑星サンプルからの初期の発見は非常に有望であることが証明されているので、うまくいけば、宇宙岩の残りの部分はすぐにそのキャニスターから抜け出すことができます。
https://gizmodo.com/nasa-struggling-open-asteroid-sample-container-1850951047
↓
NASA、宇宙から持ち帰ったサンプル入り箱のフタが開かない
宇宙探査機オサイレス・レックスが、小惑星ベンヌのサンプルを回収。サンプル入りカプセルを地球に投下したのが9月。カプセルは無事回収され、その画像も公開されていました。すべて順調と思われていたミッションですが…。
なんと開かないんですって、カプセルのフタが。
くっ、開かない!
打ち上げも飛行もサンプル採取もカプセル回収もうまくいったのに、開きません。カプセルのフタが開きません。中には、大事なだいじな小惑星のサンプルが入っているというのに!
NASAのブログによれば、カプセル開封のため試行錯誤はしてみたものの、フタの留め具35個のうち2つがどうしても取り外せないそう。
地球外サンプルなので、力自慢がこじ開けたり、包丁の背でガンガン叩いたり、絶対開くと評判のシリコンのシートを使うわけにはいかないようです。ジャムのフタとは違います。
地球外サンプルだけに制限多すぎ
オサイレス・レックスのカプセルミッションにおいて使用が許可されたツールでは、どうにもこうにも開きません。今後、大事なサンプルと周辺への安全を確認しながら、新たな開封方法を探るとのことですが。
が、この新たな開封方法(カプセル内部の素材の取り出し方法)は、開封ミッションが行なわれているグローブボックス内でできる方法じゃないとダメ。採取サンプルの科学的安全性も保証されないとダメ。そもそも研究室のクリーンルームの基準も満たしていないとダメ。
さて、どうしましょう。
https://www.gizmodo.jp/2023/10/nasa-struggling-open-asteroid-sample-container-jpn.html
こうして比べるとざっくり要約+ほぼ個人の感想みたいなオリジナル記事になっていると分かる。
お堅い科学ニュースでも笑えるストーリーに仕立てて太字強調や「!」マークで装飾すれば人気記事を作れる。
勉強になるなあ。
ある人は黙示録を読んで予言の書だと考察するし、またある人は少年漫画を読んでこれはボーイズラブだと解釈をします。
今話題になっている介護されたいオタク騒動も、「自分は歳だから介護にみえちゃうんだよね〜」という個人の感想だったら良かったのですが
「これは身の回りの世話をしてほしい高齢オタクを狙った作品ですね〜上手い!」
などという他人へのレッテル貼りに終始していてファンに対しても作者に対しても失礼だと思ったのでこのエントリをあげました。
英語圏最大のオタクコミュニティに MyAnimeList (MAL) があります。MALにおいてもフリーレンは人気で、現在放映中のアニメ210(注)作品中で2位、スコア8.93と高評価をつけています。フリーレンの登録者数は21万人。
MALにおける面白い機能の一つに Rcommendations があります。これは「このアニメが好きならこっちもおすすめだよ!」という作品をユーザーが自由に登録できるシステムです。つまり Recommendation に何が登録されているかを調べることで、フリーレンがどのアニメに似ているとユーザーは考えているのかを知ることができます。
以下、 Recommendation に登録されていた作品一覧です:
ヴァイオレットは戦場で大切な人を失った。兵器として育てられた彼女には、その最後の言葉は理解できないものだった。
戦後、手紙を代筆する仕事に就いたヴァイオレット。人々の手紙を通して様々な愛の形に触れていく・・・
ある日、地上に”球”が投げ込まれた。その使命は地球上の全てを記録すること。球は”不死”と名付けられ人々と共に生きていく
弱く愚かで、時に間違いながらも懸命に生きていく人々。不死の目線から数千年にわたり人類を見つめ続ける。
一人々はあまりにも弱く無力な命たち。それらはやがて集まり歴史となり、伝承となり、文明は紡がれていく・・・
3users 以下は作品数が多すぎるので勝手にカテゴリ分けしてまとめました:
TRIGUN (1users)
魔女の旅々 (3users)
キノの旅 (3uers)
蟲師 (2users)
狼と香辛料(1user)
少女終末旅行(1user)
魔法使いの嫁(2users)
鋼の錬金術師(1user)
以上をまとめると多分こんな感じでしょうか:
(ヒンメルとフリーレン)
必ず置いていかれる運命のエルフと人。それでも人と関わり続けようとするエルフ
魔法の設定周りが魅力
あまり使いたくない表現ですが萌え豚アニメではなく、質アニメとか癒し系アニメ寄りの傾向があります。
kou-qana 逆に、介護されて楽しい!って作品あるんだろうか?介護ほどでなければおにまいとか?あのフリーレン評のお世話され願望説、賛否はともかく何を指してるのかピンとこない…オギャり欲を指してる?
そう、そこが気になっていました。介護されたいという願望がピンとこないんですよね
misafusa 無自覚を検証したらそうなったという話だろうから、本人が『介護物』と捉えているかどうかはこの際無関係。なんかボーッとしてるけど実はスゴい主人公が若い弟子に面倒をみてもらう話を『介護物』と定義しただけで。
楽園の魔女のエイザードとかか・・・ でも、あの手の魅力は「普段はダメそうなやつがいざという時ギラっと強くなる」というところにあるので、お世話してもらいたい欲とは関係ない気がします。弱いエイザーどんとか、頭の悪い後藤隊長とか嫌でしょ?
あーーロキシー先生か・・!あの無表情(?)具合もたしかに・・・
見当違いだったらごめん。ハガレンもどこに入れたらいいかよくわかんない
versatile ここは、BLAME! でしょ!w
の増田だけど、なんと大物はてなブロガーの法華狼さんが色々教えてくれた(https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20231019/1697642206)ありがとう!これにはお礼兼意見を述べておかなければ失礼だと思うのでここに書こうと思う。
(匿名ダイアリーには「言及された当事者から削除の申し立てがあった場合、発信者への意見照会を経ずに削除を行う」という特殊なルールがあるので法華狼さんが削除を希望される場合はお手数だが申し立てていただきたい。)
色々意見・反論はあるが、当該ブログ記事のブコメにてほとんど出尽くしているのでここには書かない。一点だけ反論したい。
はてな匿名ダイアリーが引用しているColaboの声明は2023年3月のものであり、変更された申請方法に対しての主張ではない。迷惑系YOUTUBERなどの妨害に東京都が屈っさないようにという要望だ。
この要望をはねのけることが「厳格化」というのであれば、はてな匿名ダイアリーを書いている人物は「煉獄コロアキ」を支持しているということになるだろう。
とのことなので調べてみた、今年3月の声明は新たな要綱に関してのものではなかったようだ。確かにおっしゃるとおり、ありがとう!
その後、今年6月1日のColaboの記者会見によると、以下のとおりだ。(https://colabo-official.net/wp-content/uploads/2023/06/230601kaiken.pdf)
「私たちは少女の個人情報を守ってまいりましたが、それについて東京都の監査の結果で、「領収書の一部を確認できなかった」という書き方をされてしまいました。」
「東京都には、これ(新たな要綱)を読んで私たちはやはり、私たちのこれまでの対応、少女たちの個人情報を守る、それをさせないようにするものだなと思いましたので、交渉というのはこれまで行っていません。」(()内は増田による補注)
「こういう記録を出すことという要綱に、実はモデル事業のときに、2019 年ですかね、なったんですね。そのときに、これでは困る、支援ができないということで、ただし「支援の妨げになる時にはこの限りではない」という疑義解釈を作って、ほかの団体すべてに適用されるようにいたしました」
とのことで、やはりColaboは個人情報の保護を非常に重要視している様子で、これが担保されなければ事業に参加しないというスタンスのようだ。取り上げた声明は3月のものと6月のもので誤っていたが、前回記事の結論には変わりがなさそうで何よりだ。
これについて、俺は前回「「Colaboのやり方では参入できない状況を作り出す」ことの評価を「打ち切った」と評価する人も居るだろうし、ブコメ主見たいに「打ち切ったはデマだと思うよ。」と評価する人も居るだろうね。まぁ個人の感想だね。」と記載した。また法華狼さんは「東京都がColaboを切ったと表現していいかもしれない。個人情報をさしだすようにという要求はColabo側から切ったと表現すべきだろう。」と解釈している。法華狼さんと同意できて嬉しく思う。
その上で、俺は前回の記事で「もちろんその態様が誹謗中傷だというのであれば別途そちらで決着をつけるべき」と書いたように誹謗中傷も(もちろん業務妨害も)認めていないことは明白だ。
確かに引用した声明のミス(6/1のものが正しい)はあったが、これが軽微なミスであり、ブログ内で事務手続きに極めて寛容な姿勢を示しておられる法華狼さんなら同意してもらえることだろうと思う。
また、前回の記事の当該箇所において、「これまでもColaboは個人情報を明かせないと主張してきたわけだけど、その上で都が新しい事業スキーム(Colabo曰く「個人情報が守れない」スキーム)に変えた」と記載しているように、要綱中の個人情報の保護に関することについて議論していることも明らかだ。
その上で、俺は「しかし、都は会計を厳格化し、Colaboが申請できないようなスキームに変更」と明らかに事業の要綱のことを書いているにも関わらず、「この(警察にも適切な対応をしてもらえなかったことから、改めて対応をお願いしています。という)要望をはねのけることが「厳格化」というのであれば、」という俺が書いていないことを前提において「「煉獄コロアキ」を支持している」などと結論づける法華狼さんの議論は誤っているのではないだろうか。(()内は増田による補注)
妨害に屈したかどうかって内部事情の分からないこちらにはどうでもいいことなので。都が切ったと評価できるってとこが同意できれば十分かと思っただけだよ。
それにColaboが個人情報の秘匿を重視して今年度の事業に申請しなかったことは今年6月の記者会見からも明らかなのであえて突っ込まなかっただけだよ
もともとPythonは世界的に見ればとても成功した言語だった(Python2のころ)。
PythonにはPEPという言語の仕様を決めるための文書があってこいつがOSS開発者の中では非常に受けが良かったんだ、Pythonの開発者であるGuideは「優しい終身の独裁者」などと揶揄されていた。
この時代に作られた多くのPythonによる資産が多くのOS(特にLinux派生のOS)に組み込まれたために、OSにはPythonがプリインストールされることになり、そして未だに存在し続ける理由となったんだ。
プリインストールされているPythonのバージョンを確認すると2系であることが分かるはずだ。
しかしPythonは2から3へのバージョンアップで多くのユーザーを失って死に体になってしまったんだよね、Railsが台東したあたりからプログラミングに興味を持った人からみると死に体のPythonとイケイケのRubyを初めに見てしまったからRubyのインパクトが強くなってしまうのは仕方ないね、でも、もともとはPythonのほうが圧倒的にユーザーもシェアも多かったんだよ。
しかし、PythonにはPythonによる優秀な資産があるので簡単には死ななかったんだ。
中でも数値計算に使えるライブラリを持つ言語としてはPythonが最もポピュラーだったことから機械学習とセットで一気に息を吹き返すことになる。
とはいえ、この頃からは当初のPythonの理念とはかけ離れた金の臭いにつられたようなユーザーが多く参入してきたためにGuideも疲れ果ててしまい開発者の座を退くことになってしまう。
今やPythonは多くのメディアによる祭り上げによって金の臭いにつられた人間が集い金を稼ぐ手段として用いられており、そういった理由からPythonの本やらなんやらが多く夜に出回っているんだよ。
あぁ、私の好きだった頃のPythonはもう帰ってこないのだ!
葬送のフリーレンに関してはどうも海外でエルフはアスペルガー、魔族はサイコパスとか言われてるらしくて、そっちの方が無理だなって思う
アスペルガー(ASD)全然そんなんじゃねーし!って怒りが沸くし
おそらくサイコパスの方も一般的に言われるジャーゴン化した「サイコパス」であって、現実のサイコパスではないよね?
現実のサイコパスって寧ろその特質によって経営者や政治家などで成功している人が多いし、
アスペルガーに関してはよく巷でいわれる感情がないだの人の気持ちが理解出来ないだのは全くの間違いで
寧ろ定型よりも感情は豊かで人の気持ちは分かるからこそ社会に適応出来ずに困っているんだから本当に的外れ
個人的には葬送のフリーレンの魔族の描写って、どちらかというと排外主義を感じるなーと思う
見た目が人間とほぼ同じで同じ言語を話す相手を「理解不能な化け物」と切って捨てる設定には、在日韓国人差別とかそっちの文脈を感じる
母親を慕うか弱い子供の擬態をして生き延びようとするエピソードとかね、子供のように見えるけれど騙されるな、非常になれ、というのが強調されているのが示唆的
普通のファンタジーだと魔族ってもっと上位者として君臨するか騙すにしても戦略的なイメージがあるので、特徴的だなーと。