はてなキーワード: 主婦とは
一汁三菜揃った手作りのご飯が並ぶ食卓を用意してくれる人がいるって最高じゃん
汗かいた服も洗濯機に入れるだけで洗って干して畳んでくれるの凄すぎるし
自分は家事嫌いだし絶対なりたくないけど、男に生まれたら稼いで可愛い嫁さん貰って養いたいけどな
ってか家事なんかやりたくなくね?
仕事に行けば許される方がいいじゃん
人がやってくれるなら任せたいけどな
共働きのする家事と専業主婦(夫)のする家事ってお惣菜と手作りご飯の違いなわけじゃん
美味しいもの食べたいじゃん
人が作ってくれたものって美味しいし
個人的に、専業主夫は出産までやってくれるならアリだと思うけど、自分が育休中に相手に収入ないの嫌だし、軽い持病持ちの自分には家族丸ごと何十年も養い続けられるか自信ないから無理だ
だから自分には関係ないんだけど、母親が専業主婦で手厚く育ててくれた事に感謝してるから、叩く人見ると悲しくなる
専業主婦偉いと思うけどなあ
働く人も偉いし
みんな偉いよ
家事が年々楽になってるのはあると思う。だから、その分パートに出たりするのかも
でも、稼ぎ手の仕事量=主婦(夫)の仕事量を天秤に乗せるの必要ないと思う
絶対自分は頑張ってて、相手が怠けてるって思うようになっちゃうし
仕事だって、長く働いて200万しか貰えなかったり、少し働いて千万円もらえたり違うじゃん
お前の年収に(労働時間)合わせて家事をする、とかおかしいじゃん
どれだけ働くか、どれだけ稼ぐか絶対量で比べ始めたらキリないよ
手取り26万
(サービス残業。時間外勤務に全額手当て付いたら額面40万越えるはずなのに。むかつく)
職場の近くの看護師寮(マンション)が家賃1万以下なので、生活費に月10万もかからない。
1年目2年目はとにかく仕事覚えるのに必死。3年目は役割が増える。
プリセプター(新人の教育係。担当は30代の新人でやりにくい。めちゃくちゃしんどい。)
夜勤がやたら増える
受け持ち患者が増える
何のために生きてるのか分からない。
辞める勇気もない。
実家が貧乏で、大学行かせてあげられないからと言われ、高校から看護科に入って専攻科を卒業して看護師に。
元同級生は楽しそうな高校生活、大学生活を送り、土日休みの社会人1年目で楽しそう。
悔しい。悔しい。悔しい。
マッチングアプリで40代後半以上の人と会うことがあるんだけど、この年齢になるとリアルに閉経していたりするのね。
この前も52歳の主婦の人に会ったんだけど、中出ししても大丈夫だって言うんだよ。
種の保存の観点から考えると閉経したら性欲なくなりそうなものなんだけど、なくなってないんだよね。
「今後も会っていい?」って聞いたらOKだっていうからキープしてしばらく楽しむつもり。
自分のなかの最高齢は相手の申告だと57歳なんだけど子ども作れなくなってもセックスはしたいって不思議だね。
男は年齢が高くなったらたたなくなるけど、性欲はあるのかなぁ。
私は推しは受け手にこだわったことがない。ただ、相手は固定しているだけで、その日の気分によって、推しに愛の欲棒を彼の菊門で受けさせたり、たまに荒々しく、私の推しを、相手の菊門に愛の精神注入をさせている。
それもこれも、二人の人間関係の構築があったからこそで、関係の隙間を見て、こんなセックスはどうだろうと、処女が気持ちの悪い妄想をしているに過ぎない。
男女カプは羨ましすぎるから見ない。原作にはない結婚のその後や次世代話、頭がラリってるスイーツ脳の字書きがつけた彼らの子どもたちの名前や家族の交流なんてツバペッペのペーだっ、である。ごめんなさい横道にそれた。
大恩あるYさんは、推し受けのアンソロをするから参加してほしいとおっしゃった。もちろん二つ返事で引き受けた。自分が甘受出来なくて発酵させた妄想でどちゃくそエロく仕上げさせていただきますぞっ!
「あなたの推し受けは素晴らしすぎるから、いつもの相手ではなく、ヤクザ青年と荒々しく組ませているのをみたいの」
「なんじゃとて!」
大恩あるYさんは、推し受け派でも、相手は選ばないタイプだったのだ。結論から言うと、描いた。
大恩あるYさんのために描く漫画も悪くない。
ヤクザ青年が私達の推しを押し倒して敷き引いて荒々しく組ませるホモ漫画を。
だけど、固定派の意地で、ヤクザ青年が愛の欲棒で、推しの菊門にねじ込ませるときに、最愛の相手の名前をうわ言で連呼させておいた。
これが、男女前提の話なら、犯罪である。BLだとエモいで終わるのだ。すげえ。
好きでもない相手と、お金のためにセックスするお仕事の方もいらっしゃるでしょう。
だったらプロですものね、普通のOLやってた主婦なんて太刀打ちできないノウハウありそうだなー。
お相手の方は増田さんを好きなんですね。好きじゃなくて肉欲や興味でも、実際していることがそのような行為だと、わからないですよね。
そのような行為が好きなのか、増田さんが好きなのか。増田さんでなくてもその行為が好きなら出来ますね。
過去に、うちの父もそういう方に篭絡されたんだろうなと思うと、嫌な気分ですね。
大昔の作品だし供給なんて耐えて久しいから、そこそこ絵を描ける自分が、参入してから、そこそこの評価を貰えた。
アフターやイベントのお誘いも貰っているけれど、遠方を理由に参加はしていないし、今後も参加する予定はない。
当方はアラフォーだけど、結婚していないので、いい歳して積まなければいけない人生経験をろくに積んでいないからだ。
仲良くしてくださる、主婦の神絵師神小説書きの方に、私なんぞがあえば、絶対にドン引きされる。
だらしなく肥えた体、親元で親の介護がいつか迫り来ることを知りながらぬくぬくと老親に面倒見てもらえるパートタイマー、リアルの友人からもすっかり相手にされなくなった幼稚な言動と行動、アラフォーと書いたが四十超えてる、不惑だ、不惑、こっちは生きる知識が乏しく惑いっぱなしだというのに。
自分の作品を今後もフラットに見てもらいたいので、そこに「わたし」という存在など邪魔なのだ。
勇気と粘り強さと思慮深ささえあれば、正職員にもなれたろうし、結婚も出来たかもしれない。
けれど、それができた若い頃は、社会が怖く引きこもりだった。努力が足りないのはわかっているが、四十超えた今、外に出て、自分のお金を貰えるようになるまで社会生活を営めるようになるまで、かなりしんどかったんだ。男性に好まれる容姿や行動、生態調査、プレゼンテーションまでの努力に手が回らなかったし、それはしたいことではなかった。それに、自分みたいな不適合者が子供を作ったら、自分に似せまいとするあまり、恐らく虐待に走るだろう。世の人が言う幸せをそこまでして欲しくないし、それをきちんと経験した世の女性や私の母を尊敬している。生まれてきてごめんなさい。死にたいんだけど、死ぬのが怖いんです。
ごめんなさい、話が暗くなった。御察しの通り、処女だ。しかも腐女子。
社会生活を送ろうと思ったのは、イラストを描いて、本やサイトを持って、妄想だらけのこの頭の中を、形にすることができたらなと思ったからだ。そのためなら、年下の人間の蔑んだ目や、あいつの人生よりはまだマシと言う世間からの視線も我慢できる。年上の家庭に疲れた人の言葉のサンドバッグにもヘラヘラ笑っていられる。
そういった視線を、今のジャンルで仲良くしてもらった神絵師さんや神小説書きさんから、注がれたら、あのキモい奴の作品など見れない、悪い意味で見る目変わるわとか思われたら、もう生きていけない。
日常ツイも極力しない、ツイッター内で声をかけられても当たり障りない返しをする、淡々と自分の理想をこめたブロマンス的なホモを描く、たまにプライベッターでえげつない漫画をおく。
交流も最小限でいい。私の裸踊りをしれっと見てくれるだけでいいんだってば。
↑ 「統計的に有意でない」というのは「差がない(=平等)」という意味ではありません。
↑意味不明
↑「医学部とそれ以外の学部で女子の入りにくさに差があるというのには、何らかの原因があるのではないか」ということ。「背景にもっと大きな差別問題はある」からこそこの祝辞は東大の入学式にふさわしい。
↑「女子が男子より優れている」とは言っていない。「女子の合格率が男子のそれより低いのは、女子が男子より劣っているから」ではないと言っている。
↑そうですね。
↑「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」はつまり「翼を折られなければ羽ばたけたはずだった」ということ。
↑突然も何も、祝辞の最初から女子学生・男子学生を一般化して取り扱ってきたでしょう。 性差別を批判する文脈では当然です。
とは言え「東大の男子学生がもてる」という言い方も差別的だというのはそうだと思います。「イカ東」みたいな言葉もありましたし。
↑東大の男子学生は「他大の女は頭が悪い」と思っていそうってことでしょう。ここの部分で何を言いたいのかは僕もよくわかりませんでした。
↑実情を知らないようですが、そんなことはありません。東大女子が入れないようにしているのは東大男子です。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。
↑東大のオフィシャルな場で東大批判をするのがいいんでしょう。「東大合格おめでとう!東大万歳」なんて祝辞気持ち悪すぎます。
↑確かに
↑第1人者を自称しているんですから、そうなんじゃないですか?
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。
あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
↑私立医学部の入試不正なんて差別の一例に過ぎないってことでしょう。
↑「がんばっただけでは報われなかった。まわりの人や環境に感謝しましょう」ということでしょう。こういう趣旨の祝辞わりとよく聞きませんか?
あと毒親から逃げてきた人もいるかもしれませんが、ごく少数でしょう。この祝辞は最初から最後まで「大多数の」東大生に言及しています。
↑そうですね。
↑そういう人たちを助けてやれってことだよ!
↑そんなことは言ってないでしょう。ここでは「恵まれない人々を助けるための学問をやれ」ということではなく、どんな(分野に進もうとも)周りにいる恵まれない人々のことを慮る人間になれということです。たとえブラックホールやニュートリノを研究しようとも。
↑東大生には弱者もいるし恵まれた人間もいるということでしょう。またある面では恵まれていても、別のある面では弱者ということでしょう。
東大祝辞を読んで、どう受け止めたらいいのか考えている兼業主婦です。
いや、東大祝辞はあまり関係ないのかも…ずっと感じていたことのメモ。
まだまだ、男尊女卑があって、女性が評価されない社会なんだろうなと思っています。
その一方で、私のような「学歴」や「仕事」をそもそも選択しなかった「母親」という女は、どこの数にも入れて貰えていないなぁ…といつも感じています。
夫はとてもよく(時に私より)家事をしますし、育児などは子供かわいさで率先してやっています。
兄も、弟も、結婚して子供が産まれて、驚くほど家庭に関わっています。
きっと、昔よりずっと主婦や妻や母は、家事育児を自分だけでやらなきゃいけない、という思い込みを無くせてきているのでは。
それでも、
それでも、やっぱり産むのは母親です。
10ヶ月の妊娠期間、自分の身体は自分のものでないような状態になります。
つわりはじめマイナートラブル、切迫流産、心理的なプレッシャー…、これは産む性として仕方のないことです。
そして産んでから1ヶ月はまともに動けず、そして一年かけて身体を正常な状態に戻していきます。
そしてこの期間、仕事に専念できなかったり、仕事をやめたり、休んだり、重要な立場から遠ざかったり…キャリアは止まります。
夫は育休を取ってくれました。
しかし、産んだ本人の私も身体のために一年半仕事から離れました。
私はまたつわりで休み、産休をとり、育休をとり、キャリアは止まります。
どちらか、を選ばなければいけないと思ったからです。
両方選ぶことももちろん可能でした。しかし以下のことを考えた結果でした。
大学…大学院への希望もありました、研究がしたい、でも卒業して就職して、あっという間に高齢出産の35歳。
きっとその頃には仕事が楽しく忙しい、いや、仕事で苦しんで他のなにも手につかないかも。
10ヶ月妊娠しさらに1年休む…復職してしばらく働きまた妊娠…
これを三回繰り返すことを思うと、院まで進めば高齢出産リスクになるだろうことや、休みながらの専門的な職業は難しいのではと思い、決断したことです。
現在の職業も、妊娠トラブルでも休めるような、辞めるとしても誰でも代わりがいそうな事務を選びました。役職もありません。
多くのフェミニストたちは、進学率や、就職率、管理職比率の男女比を5:5にしたいと思っているのかもしれません。
でもそれは、私のような産む選択をした母親たちにも「進学するべき」「働くべき」「昇進するべき」と言っているようで、時々苦しくなります。
産むという女特有の選択をしたばっかりに、男女平等の足を引っ張っていると言われているようで。
産んでから夫婦の役割として話し合い、納得して専業主婦になる人もいます。
産んでから復職したくて、夫が家事育児をして母親がキャリアを積んでいく人もいます。
でもやっぱり、産む人には妊娠期間と産後は×子供の数だけ、必ず年単位であります。
でも、できればその産む選択をした母親が出産に専念し、身体を休めている間のことを、「女性差別されて進学や会社の中に入れなかった被差別者」としてカウントして欲しくないんです。
その学校のなか、その会社のなか、その職業のなかで男女比が偏っていたとして、女性が少ないことをみんな差別だと感じるのはごく自然だと思います。
でも、社会の構成員として、私たち母親も数えて入れてほしい。働いてないけど、進学してないけど、ここにいます。
女性の半分が産まない選択をして進学やキャリアの道を突き進んで行っても、残りの半分の女性が産む選択をして、そこから自分で下りることを許してほしい。
5:2.5:2.5であることも許してほしい。
祝辞で語られたような女性差別や、男女どちらでも性別による差別は本当になくなればいいと思っています。
その人個人が望む道へ、選択へ進むことに、障害が少なくなればいい。
子供たちが育ったあと、私もまた学問や、専門的な仕事へ挑戦するかもしれません。
あるいは、三人目を産み、専業主婦になるかもしれません。
あるいは、体力がもうなくなりこのまま事務を続けて趣味などで余生を過ごすかもしれない。
ただ、いまは、子供たちを安全に産むことが望みです。その間も、「社会の構成員としての数」に数えてもらえたら嬉しい。
勝手に子供産んだくせにと言われる昨今、それでも私は産む選択をしました。
重大な仕事だと、信じて選びました。
それでも、私という女を、進学させ働かせ昇進させなければ男女5:5を達成できないと言うなら、あんまりにもしんどいです。
しんどいです。
疲れちゃいます。
走り書きでごめんなさい。
※※※※※※🙋
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色々なコメントありがとうございます。
勘違い…気のせい…そうなのかも知れませんね。私の気持ちのなかだけの問題なのかもしれません。
専業主婦と勘違いされている方もいらっしゃいますが、兼業主婦です。
フルタイムで残業なし定時勤務。負担少なめな毎日同じ書類事務。
第一子は女の子ですが、三人産んでもみんな大学へ行きたいと言っても叶えてあげられるように共働きです。
夫は家事も育児もよくします(手伝ってくれる、ではなく自身の責任のように)。
そういう意味で、夫は兼業主夫ですね。話し合い、経済的にも夫は管理職を目指すということで、今後は私が主に家事を担うでしょう。
女性だけが育児や家事を選択できる、または押し付けられる、とは微塵も思いませんし、夫婦間でその割合は働き方や経済力を考えて家族ごと、自由に取り決めたら良いものだと思っています。
なので、「家事育児を私(母親)」という話は記事でもしませんでした、あくまでも産前産後の肉体的な、男性に半分分けられない部分の負担のことです。
育児のこと?と思われた方も多いかも知れませんが、もちろん夫婦二人で分けあっても育児は大変なものでしたが、産前から切迫流産で入院、産後も輸血、子宮復古不全などという肉体的な休息や回復期間のままならない身体…、その間仕事のことを気にしなくていいのは気が少し楽でした。
ご指摘の通り、夫や家族、職場にも幸運にも恵まれて、私の望む選択の結果としてとてもよい環境だと思います。
なので、進学や仕事に関する選択に恨みがあるとか、後悔があるということでは全くないのです。
ただ、もっと大変で不幸で、選択が上手くいかなかった人も、選べなかった人もいるのだから、好運なあなたは黙っていなさい、と口を塞がないで欲しい。
この世で最も不幸なただ一人だけが、望み求めることを許されるのでしょうか。
産んでもキャリアに戻れるような制度、とても大切だと思います。
産みたい、それが仕事でも進みたい気持ちを妨げるものにならないように。
産んだあとに挑戦できる、学び直せる、専門的に働ける、そんな社会がいいなと思いますし、私の周囲にもそんな選択をした人もいます。
休んで止まっている空白のキャリアに、産む選択をせず休まなかった人に劣らない「補填」を求めているわけではいんです。
(もちろん、その補填を必要とする方もいます、出産がリスクだけ、損だけだと思われるのはおかしい)
私の選択は、肉体的、精神的、時間的な負担を仕事に大きく割かない、10年かけて子どもを三人産み、その子供たちが進学の選択をしたいときに選ばせてあげられるだけ夫婦で働く、という選択でした。
この選択と、いまだ試行錯誤している家庭生活、バランスとれてるぞ!とホッとしている産後の自分、これが弱い弱い女性被害者の姿だと数えられたらとても、かなしい。
ひきこもり当事者特集をテレビとか新聞記事でやる時、女性メンバーには必ず「ひきこもり主婦」が混じるのはなんでだろうね。
いくら女性に共感力があっても、就職も結婚も望んでもできないまま中年を迎えた人が、結婚して食い扶持はつながってる人と心を一つにできないだろうに。
↑ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?
↑こっちのセリフだわ
↑ここまでの話をまとめると、私立大医学部ではどうやら不正な入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等な入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大の医学部の問題(もちろん背景にもっと大きな差別問題はあるのだろうが)で、東大の入学式の祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?
↑ここ統計データを示せよ。なんで女子が差別されてる話は具体的な数字出しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字出さないんだよ。
↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。
↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。
↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。
↑てか普通に考えたら 第一:女子は安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。
↑どうやって?
↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ持たれてることはわかるが、それが実情に反して不当ということならレイプ事件の話持ち出す意味がわからないし、そのイメージが正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。
↑男子サークルって書き方からして完全に男子を悪者にしてるけど他大学の女子が競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能性だってあるだろ。性差別か?お?
↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?
↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。
↑これ普通に気になるな
↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれた環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。
↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?
↑これはまあそういう意見もあるよね。
↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?
↑「環境と能力に恵まれた東大新入生はそれを恵まれない人々(=弱者)を助けるために使いましょう。」と述べた後で「弱さを認め生きましょう、フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを求めます。」と締めるの、結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?
↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?
総評として、全称記号と任意記号の恣意的な混同によってデータを自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。
はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点からの評価のつもりでも、科学の世界を脅かすありふれた権威主義の愚か者の集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。
一言で言えばまさにインスタントラーメンのような作品だった。
気軽に食べられるいつもの味。決してまずいわけではないが飽きるのも早い。そう言えば化調の臭さも鼻につく。そんな朝ドラだった。
今回に始まったことではないのだが、朝ドラにおける男性キャラというのは、だいたい描写が薄っぺらである。
話の都合上、女性の主人公を活躍させないといけないので、どこかに明らかな欠点を作らないといけないのはわかるが、それにしても今回の立花萬平はどうなんだというレベルでひどかった。
「自分の興味の向くことにはとことんのめり込み実際に優秀だが、その代わり世渡りがヘタクソで融通も利かない」という、まことにカビの生えたようなキャラクター類型に貶められてしまっている。
これもまた今回に限ったことではないのだが、やはりさらに加速している。
トラブルが発生したり、何かに行き詰まったりすると、決まって主人公が出しゃばってきては無双し、問題が解決するというのが毎度のパターンと化してしまった感がある。
繰り返すが、過去の作品でも同じような状況は少なくない。なぜか現代的感覚と並外れた先見の明を持った女性主人公が作品世界でやたら持ち上げられるというのは、朝ドラにおける一種のお約束である。まずそれを許容しないと始まらない。
しかし、いくらなんでも限度と言うものがある。『まんぷく』ではほぼ全ての場面で、だいたいこの展開に終始するのだ。ここまで来るともはや安易すぎて、異世界転生を笑えないレベルである。
と、ここまで腐してみたが、「いや朝ドラって元からそういうものでしょ?」と言われてしまえば、正直返す言葉がない。
主要な視聴者である主婦層は、時報代わりに気楽に観られて、ほどよく感情移入できてほどよくスカッとする、そういうものを求めているのだから、いちいち突っ込みを入れる方が野暮と言えば野暮である。
実際、『まんぷく』は朝ドラの文法からすれば、極めて無難であり保守的であり手堅い。どっかのアレみたいに、尖ったものを狙いに行って大ハズレするよりはずいぶんマシだ。
だが、そうであるが故に、常に過去作の影がちらつき、新鮮な要素がまるで見られなかったのも確かである。
これなら別の誰かにこのテンプレを当てはめればそのまま別の朝ドラ(大河でもよさそう)ができるし、チキンラーメンの物語である必然性も全くない。
以前これを書いたんだけど、
https://anond.hatelabo.jp/20190204234753
最近久しぶりにスーパーの売り場を見たらまたパッケージがリニューアルしており
白地に濃ピンクから白地にゴールドのラインが上下に入り蓋も金、
ところどころに水色やピンク、濃紺と銀の恐らく乳酸菌をカリカチュアしたマークが散らばるデザインに変わっていた
全体の印象としては白と金で、ピンクのときよりもパッと見の印象が
「無糖」「なんかよさそうなものが入ってそう」な感じのスッキリしたイメージになっていた
以前はなかった手書きのPOPで「こちらは「無糖」です!最近の売れ筋!」といったことが値札の隣に書いて掲げてあり、
やっぱりパッケージが白に濃ピンクの時点では無糖だとわりとわかられていなかったんじゃないか…と思った
この商品はこういうパッケージ、という長年のすりこまれたイメージがあるようなものでは余計ありそうに思う
(観測範囲の問題だろうがパッケージや商品の説明を全く読まない層というのは結構存在する
特に買い物に慣れきっている年配の主婦(母やその周辺)や「いつもの」購入物が決まっている人達はそういう傾向がある気がする)
年度初めからフルパワーで仕事して、くたくたになった。だからスパイスの効いたカレーを食べたくなったんだ。ランチにインドカレー屋さんを見つけて、思わず入った。サラリーマンと暇を持て余した大学生、笑顔のインド人と山盛りのナン、汗を流して食べるカレー。そんなものを期待していた。しかし、それは裏切られた。
間違えて、主婦たちの集会場へ入ってしまったようだった。みなオバサンが2〜6人で連れ立って食事していた。駅のホームでダッシュしたら女性専用車両へ乗り込んでしまったときのような気まずさがある。よく見るとおじさんもいるが、ファミリーか同僚で女性を伴っているぞ。結構盛況みたいで意外だった。一度足を踏み入れたなら仕方がない。毒食らうなら皿まで、カレー食うならナンおかわりまで。
インド人のお兄さんに片言の日本語でメニューを聞かれるのだと思っていた、しかし店員サンは20代後半〜30代と思われる日本人のキレイなお姉さんでした。よく見るとホールの店員さんはみんな女の子だった。なんか気まずい、なんだろうこれ。カレーを食いに来ただけなのに。適当にセットを注文した。カレーが何種類か乗っていて、ライスとナンがセットで、タンドリーチキン込だった。ちょっと欲張りな注文だ。
秒でカレーが運ばれてきた。これは☓☓のカレー、こちらは○○の野菜カレーなどと能書きを説明してくれた。早速食べてみた。
うーん、味が薄い。
カレーというよりスープカレー、ああもともとインドカレーは水分多めだけどスパイスの刺激を圧倒的に欠いていた。なんか、お上品すぎるんだよ。カレーはもっと刺激的であってほしいんだよ。おまけに、スープカレーが冷めてやがる。
ナンが、ふかふかしている。いや、もっとナンはガサガサしてハードな食べごたえのはずだ。コッペパンじゃねえんだぞ。
タンドリーチキンてきなやつをたべた。これつくね、スパイシーのかけらもないつくね。もう一つはかろうじてタンドリーチキン風。しかし、もうこれインド料理である必要あるの??
セットドリンクのチャイが一向こないので、ランチサービスのコーヒーをマグカップいっぱいに注いでがぶ飲みして帰った。