はてなキーワード: 主婦とは
普段全くやってないけどイベントだからと作ったその辺の素人主婦よりよっぽど技術もあるわけだし
施設のおじさんから、あの女が死刑になると聞かされた。そして、あの女が私に会いたがっていると。もちろん嫌なら行かなくてもいい、けれども、出来れば会いに行って欲しいと。私はそうすることにした。今までずっと、あの女に会って話を聞きたかった。でもその勇気が出なかった。だけど、これが最後ならば。会いに行かなければならない。
私の母は鬼だった。母に殴られなかった日は記憶にはない。包丁で切られた傷は体のあちこちに残っている。私の右足は少し外を向いていて歩きにくい。母に折られた足だ。
私は母に殴られるたび泣き叫んだ。そうすれば母の気が収まるのが少し早くなることを学んでいたからだ。何度か私の声を聞いた人が通報をしたことがあったらしい。役所の人が来たことがあったが、母は全て追い返した。それだけだった。一時期の母は声を上げると怒ったが、役所の人が何もしないことを知るとそんな事で怒らなくなった。
その日も私は泣き叫んでいた。空腹の時に大声を上げるのは辛かったが、そうしなければ地獄は終わらない。私に馬乗りになった母は包丁を首筋に突きつけてきていた。お願いします、やめてください、何度もそう叫んだ。
不意にガラスが割れる音がした。ベランダの窓だ。母ではない。私でもない。そこにはあの女が立っていた。あの女はすでに怒っていたように見えたが、母と私の姿を見ると形相を変えた。初めて、母以外の女の人を怖いと思った。
あの女は母を蹴り飛ばした。そのまま何度も母を蹴って部屋の隅に追いやった。そうして落ちていた包丁を拾い、母の首を切った。真っ赤な血があたりに飛び散り、母は何度も口をパクパクさせて、動かなくなった。
○○県で昨夜未明、マンションに住む無職***子さん(36)が隣室の主婦によって殺害された。近所の人の話によると、***子さん宅は子供の大声で警察に通報されるなどのトラブルがあり、大声に業を煮やした隣家の主婦がベランダを通って侵入し犯行に及んだ模様。***子さんの長女(13)は無事保護された。
施設に引き取られて迎えた初めての夏。夕涼み会で施設のおじさんは私に話をしてくれた。申し訳なかった、僕に勇気がなかったばかりに、君にもあの人にも申し訳ないことになった。本当に済まない。
あの人はここにも警察署にも何度も通報していた。僕もそれを受けて何度か君の家へ行った。けれども何もできなかった。いや、しなかった。君のお母さんが怖かったんだ。本当に申し訳ない。僕が何もしなかったからあの人は君の家へ行ったんだ。そうしてあんなことになってしまった。ニュースでは誤解を招くようなことしか言っていなかったが、あの人は君を救けるためにああしたんだ。本当に、いくらお詫びをしても足りない。
あれから7年が経つ。あの女の死刑は非常に異例、というより日本初のことらしい。ニュースでは、世論が判例に勝ったとか言っている。ただの騒音トラブルで隣人を殺した非道な女に重い裁きを、ということらしい。どうでもいい。
刑務所であったあの女は、記憶にあるよりもずっと優しそうな顔をしていた。会いに来てくれてありがとう、とまずはそう言った。私も会って話をしてみたかったのだから礼なんて言われる筋合いじゃないけど、うまく言えないから黙ってた。
どうして母を殺したの?
ずっと訊きたかったことは、思ったよりもあっさり言葉になった。それを聞いたあの女は、顔を歪めてこう言った。
あなたには本当に申し訳ないことをした。もっと然るべき手段を取るべきだった。けれども私は怖かった。まっとうな手段を選んでいるうちにあなたが死んでしまうことが。もしもあなたが死んでしまえば、私は一生助けられなかったことを許せずに生きていくことになる。それが怖かったから、あんな手段をとってしまった。本当に申し訳ない。
それを聞いて、何だか自分の心が乾いているような気がした。重ねて尋ねる。
どうして私を呼んだの?
次の質問もあっさり出てきた。女は、真剣な面持ちになって言った。
あなたにどうしても伝えたいことがあった。あなたが荒れていることは施設の方から聞いている。だから、どうしても言わなきゃいけないことがある。わかってほしいことがある。
この先の言葉は、何か恐ろしいもののような気がして、体に力が入った。女は続けた。
あなたから奪われたものの重さに、どうか気づいて欲しい。それに気づいてしまったらきっと今以上に辛い思いをすることになるだろうけど、それでも気づいて欲しい。あなたから奪われたものは人が生きる上でどうしても必要な物だから。あなたの中にはまだその欠片が残ってる。あなたが今も生きていることがその証拠。けれどもそれの大切さに気が付かなかったら、あなたはそれを捨ててしまうかもしれない。それだけは絶対にやめてほしい。それは本当に重たく、大切で、欠片しか残っていなかったとしても、それがある限り生きていけるから。その重さに気付けば、少しずつ取り戻していくことも出来る。どうか、それと向き合ってほしい。
そう、今は意味がわからない。それでいいの。そうした時間も大切だから。でも、いつかは分かってほしい。
それだけで、話は終わったようだった。私は事前に施設のおじさんから聞いた話をした。
ずっと前に赤ちゃんが死んだって聞いた。それと母を殺したことに、なにか関係はある?
女は泣き始めた。しゃくりあげるばかりで、何も言葉が出てこないらしい。この傲慢な女の何かを突き崩したことで、私は満足した。
刑務所からの帰り道、女の話を考えた。私から奪われたもの。無理だ。何をなくしたのかもわからないのになくしものを探すことなんて出来やしない。
何をなくしたのかわからない?そうか、確かに何かをなくしたらしい。そうでなければそんな考え自体が出てこないはずだ。
私から奪われたもの。単純に考えれば、あの女が私から母を奪った。でも、あの女の言葉の文脈からすると母ではないだろう。私の中にまだその欠片が残ってるとも言った。そういう意味でも母ではない。
本当に、あの女は何を言っていたのだろう。
自尊心?ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。一瞬でその考えは苦笑に消えたけど。
ただ、学校のバザーとか、(今風に言えば)意識の高い主婦組織みたいのでバザー用のクッキーだのお菓子を作って運営の足しにするみたいのはあったよ。
(同じような返事がついていたが消さない)
もとは献本の馴れ合い紹介の気持ち悪さを表明していたツイートのわけで、「そういう馴れ合いコミュニケーションがしたいなら出版界でなく他でやれ」というのを相手が女性だという属性を踏まえて皮肉と罵倒を込めた言い方を検討した時に、彼の人は「女の優雅な馴れ合いコミュニケーションの場といえばフリマで手作りお菓子売りだ」と閃いたという話。そら年齢的にアメリカのそういう文化を思い描いてたんだろうけど、日本の主婦は想定してないだろう。日本の主婦にクッキーとフリマのイメージないもん。
日本の高度成長期に「余暇にクッキーを焼いて近所の主婦と楽しくフリマ」なんて文化は元々無いでしょ。
アメリカならまだしも、日本人に言ってもピンとこないのは当たり前(件の記者はアメリカかぶれとかなのかね?)。
日本だと「蚤の市」ならともかく、主婦が楽しむようなオサレ感あるイベントとしての「フリマ」は高度成長期ではなく90年代以降に入ってきた文化だし
当初は基本的に不用品販売の場で、古着好きの若者がやるならともかく主婦がやるのは貧乏くさい(要らないもの売って節約!な)イメージだったし
今は不用品販売の場はヤフオク・メルカリ等ネットに移って、フリマは手作り品売ってる所なイメージが強くなったけど
素人が食品を売るのは禁止されている事が多いし、実際日本で「フリマのクッキー」と聞いて多くの人がイメージするのは
「カフェの出店がコーヒーと一緒に売る」or「福祉施設で障害者が作ったもの」であって、「素人主婦が売るもの」とイメージする人は殆どいないだろうよ。
日本で「フリマで主婦が売るもの」としてのイメージなら手芸品の類だろうが、
それも一般的な主婦ではなく、手芸がプロ並みに得意な特別な主婦がやるもの、扱いだろう。
我が子はいわゆる発達障害児だった。小さい頃から東大を目指してがんばってきたわけではない。周りの子供と同じように田舎の公立小中学校へ通ったし通塾などはしたことがない。本人が「自分と話が合う人が多そうだから」と希望したので高校は私立へ進んだが、受験直前も夜10時には寝ていた。彼にとって、中学までの学校生活はつらいことも多かったと思う。けっこうトラブルもあった。高校では水を得た魚のようで、本当にほっとした。同級生は我が家より裕福な家庭の子弟が多かったが、特に疎外感をもつほどではなかったようだ。
夫はサラリーマン、私はパート主婦で、東大へは「行かせてやれないことはないが余裕はない」レベルの経済状況だ。本人が東大を志望し合格した時は、もちろんうれしかったが不安も大きかった。彼に一人暮らしができるレベルの生活能力があるとは思えなかったし、十分なサポートをするだけの時間的経済的余裕が我々夫婦にはなかった。危惧したとおり様々なことがあった。今も、このまま無事社会にでて自立してくれればと祈るような気持ちだ。
実は、私自身も今なら発達障害者と言われていただろう人間だ。親や周りからぼこぼこにされながら生きてきた、という恨みのようなものも抱えている。反面、「出来が悪い普通の人」として生きてこられた自分は「恵まれている」という思いもある。我が子は、東大に入ったことで、かえって生きる道を狭めてしまったのではとすら考えることがある。
彼は「東大なら自分の能力が生かせる」「自分と同じような人、もっとすごい人と出会える」という希望を抱いて東大に入学したのではないだろうか。しかし、本当にそうだったのか。上野氏の祝辞は、彼に響いただろうか。東大にあの言葉が響く「恵まれた」学生が多いのなら、私は失望しかない。「恵まれた」とカッコ書きにするのは、彼らを恵まれていると思えないからだ。肥大化したエリート意識を持ち想像力が乏しく、東大合格によって自分の将来が約束されたと誇らしく思う人々、上野氏の祝辞で言及された社会の諸問題や「恵まれない人」のことを今まで考えたこともなく、「初めて考えた、心に響いた」と思うほど無知で愚かな人々…彼らは本当に「恵まれている」のか?
いわゆる裕福な家庭で小さな頃から学力を高める教育を受けてきた子、そういう子に負けずに「エリート」へのパスポートを得ようとがんばってきた裕福ではない家庭の子、東大にはその二者しかいないのか? いってみれば「東大くらいしか行き道がなかった」子は少数なのだろうか。学問の道ならば自分の生きるすべがあると希望を抱いて入学する人々は、この大学には数少ないのだろうか。
上野氏の祝辞は少なくとも私には響かなかった。全体に雑で学者なのか疑わしく思う。「自閉症はマザコンのせい」といったとんでも発言で名を馳せた人らしいですね、と皮肉をいいたくなった。「弱くダメな人、他者から恵まれないとみなされがちな人」を社会にどう包摂していくか、そもそも「弱くてダメ」「恵まれない」とみなしていることに間違いはないのか、そこに価値がないのかを考えることが学者の仕事では。
人選をした東大もどうかと思う。コミュ力が高くてはったりが効く外部の人間を人寄せパンダのように登用するのはやめて、大学でしっかりと研究をして実績を積んだ人々を縁故や世間受けなどと関係なく登用していくほうが(されていないとはいっていない。実態を知らないので)、長い目で見れば大学の価値を高めていくのではないだろうか。
twitterでバズってた50代男性の女性編集者への煽り文句「クッキー焼いてフリマで売ってろ」について。
言った側が意図したことって、たぶんアメリカとかの片田舎の主婦もしくはその文化を真似た日本の専業主婦層が、旦那の稼ぎで優雅に暮らしつつ空いた時間で趣味のお菓子作りして、それを利益度外視の近所のフリーマーケットとかで他の主婦たちと仲良く売るみたいな景色のことだよね。
文脈からも、「編集という厳しい仕事を覚悟をもってする気がないなら、家庭に入って趣味で楽しく女らしくしてろ」みたいな性差別意識丸出しのいかにも昭和のオッサン的発想だとわかるし。
それが「クッキー職人を馬鹿にするな」とか「女だからクッキーって言ってだろ」とか、はたまた「男の作家さんは自分でクッキー作って配ってるぞ」みたいな反論してる人がたくさんいて、嫌味というか当初の目的としていたような差別意識そのものが多くの人に伝わっていなくてびっくりした。
いや、伝わってる人もいるんだろうけどコメントしてる人の反論が全く噛み合ってないのが驚きだ。
そもそも「余暇にクッキーを焼いて近所の主婦と楽しくフリマ」という高度成長期の専業主婦像というのが通用しない世代がネットの主流になってきたのだなあとしみじみと思う。
>主婦のフェミニズム→楽したい、旦那にもっと働かせて家事も育児もさせたい、税金投入して主婦を楽にさせろ
女の権利みたいな話が出てきたのって、平和と繁栄と銃のお陰で男の兵士としての必然性が低下して、家電製品と社会保障と義務教育のお陰で女の主婦としての必然性が低下したから、だと俺は理解しているが。
あと少子化の原因って、産業化が進んで晩婚が進むのと、娯楽が増えてサックス以外の楽しみが増えるからだと思う。
不可分というか、原因と結果の関係にあるということ。
フェミニズムで家父長性が崩れたから、とかではなく、少子化の原因とフェミニズムの原因が同じってだけだね。所謂疑似相関。
ちな横。
ただバイトがしたい。カフェとか飲食のシフト勤務じゃなくて、日雇いとか数字だけの期間限定の短期バイトが良い。
学生時代カフェや塾講師とか長期バイトもやってたけど、それ以上に短期バイトを色々やってたからそう思うのかも。
そこで出会った人(学生仲間、主婦、社員のおっさんとか)とかと仕事合間に色々話したりして楽しかったな。
現場とか期間によってはその後飲み行ったりとか。
あと派遣だと行ったことない場所に行って働くのも地味に楽しかった。
勿論今更20台後半のおっさんが現場に行っても学生バイトとは仲良くなれないだろうけど、
仕事して金を稼ぐことと、家で家事育児をすることを対比してどっちが大変か…という話はネットでよくネタにされる。
私は男であるから、仕事するほうが大変だと思っているが、その幾つか理由の一つの派生が題目。
主婦業っていうのは、他人と関わらない、失敗しても誰にも文句を言われない気楽な作業なんだよ。
敢えて言うなら、夫と子にその資格があるわけだが、主婦にはその自覚はないでしょ。
夫が文句言ったところで「申し訳ないな」と反省する主婦は、この日記を読んだりはしてない。うるさい、ならお前がやれ、という開き直った根性の持ち主が読んでいるはず。
子は親の家事に対して正解が分からないから、文句なんか言いようないし、子にビクビクしながら家事しているのならはそれは親として別の問題がある。
幼児に対して死活問題で気楽なわけがない、と反論があるだろうが、幼児に対して問題が起きたとき、一番ダメージを負うのは主婦本人であり、結局「他人に・・・」という話の反論にはなってない。
一方で仕事というのは、どこまで行っても他人と関わらなければならない。
後でやろうと思っても上司、お客に文句を言われ、内容が気に食わないとやり直しをさせられ、そもそもやる仕事自体を他人に決められるという始末。
他人にサービスを行う対価として金を稼ぐのだから、それは当然の話し。だから仕事というのは大変なのだ。
さて、題目に戻ろう。
嫁姑問題というのは、嫁の家事に対して姑が口を出してくるのが一番の原因なんだろう?
今まで自分のペースで自分が決めた目標、過程を好きなようにやれたのに、それに姑という他人が口を出してくる。
一度働いたことのある人間が、本気で「家事のほうが仕事より大変」と思うわけがないと思っているが、バイトやパートしかやったことのない主婦は、絶対に反旗を翻せない姑と常に家事をしなければならないのが仕事だと思えば、その辛さが少しは分かるだろうか。
どうせ脱線気味にとんでも理論で反論してくる輩が湧くだろうから言っておくが、家事が絶対価値で「楽」だとは言っていない。仕事と比べた相対価値の話をしている。
なお私の母は9-17時の仕事をしながら家事をしていた。こういう仕事しながら家事をしている女性も多くいるのだろう。彼女らには尊敬の念を抱かざるを得ない。