はてなキーワード: 不正解とは
一番終わってるところが
「みんながそう言ってるから正しいに違いない」
これ本当にやめろ
例えお前以外の70億人が「お前は死ぬべきだ」って意見を出してもお前だけは反対するだろ
箱を空ける前に中の猫が死んでるという確信があったら周りの意見なんてどうでもいいから死んでるってアンサーしろよ
お前だけが気づいてるなら言えよ
この国はとっくの昔に死んだ猫を生きてると言い張ってるから狂っている
俺のミーちゃんは去年の7月31日に死んだ
それとも一人で死なせてほしかったのか
その答えはわかりゃしない
アンサーを出せるだけありがたいと思え
お前が生まれてきた正解を選び続けろ
お前の正しい答えには必ず誰かが賛同してくれる
数が多い少ない関係ない
お前の味方にさえ分かればいい
僕が普段女の子と会話する際に気をつけているポイントやテクニックを書きたいと思います。
皆さん僕に感謝してください。
これらが実践できれば、意中の相手とアンナことやコンナこともできるでしょう。
それでは始めてイキます。
女の子と会話中、「そういえば水素水ってめっちゃ健康にイイんだって!知ってた?」と言われることがあると思います。
この時、「ああ、知ってる知ってる、今話題の水素水やろ?」なんてことは間違っても言ってはいけません。
例え、あなたが水素水に物凄く詳しくても知らないフリをしてください。
なぜなら女の子はあなたが知らないと思っていることを得意げに言っているからです。
そこで「知ってる」だの「イヤ、水素水が健康にイイなんてデタラメやで」と論破しても「な~んだ、知ってるんだ。チェッ」と相手の気分が悪くなるだけです。
ですので正解は「えぇ~っ!知らんかった!マジでそれヤバイな!ってかそんな事どこで知ったん?」です。
こう言えば相手の気分は良くなりますし、「これはね、○○に載ってだんだよ~」と少し会話も広がります。
ただ、注意点が一つあります。
誰でも知ってるようなことを言われた時です。
こういう時に知らないフリをすると、学のないただのアホと思われるだけですので、そういう時は
「さすがにそれは知ってるわ!逆にそれ知らんかったらアホすぎやろw」が正解です。
僕は普段女の子と会話する時に”嫌い”という言葉を使いません。
嫌いという言葉を何度も言われると、潜在意識に刷り込まれ、例え自分のことではないとわかっていても
無意識のうちに脳は「ああ、この人は私のことが嫌いなんだ」と解釈してしまいます。
そうなったらもう手遅れです。
ですので、嫌いの代わりに”苦手”や”好きじゃない”という言葉を使いましょう。
聞かれてもないのに自分から「オレは昔こんなすごいことしてたんや」とか
「今日仕事でこんなことあったんやけどさー」とか言ってはいけません。
よっぽど仲の良い間柄ならまた別ですが。
こんな事を言われても女の子はどう返したら良いかわからないですし、困るだけです。
聞かれてもない事を言っていい時は鉄板の爆笑ネタがある時だけです。
「接客態度が悪い」だの、「あいつはしょうもないヤツ」だの愚痴や批判ばかり言う人ってよくいますが、
ですので、心当たりがある方はせめて女の子と会話する時だけは言わないようにしましょう。
どうしても言いたくなったら、一人鏡に向かって思う存分ぶちまけてください。
批判していいのは、女の子が何かを批判した時に同意して乗っかる時だけです。
僕はよく女の子に「誕生日覚えててくれたんだー♡」や「そんなことよく覚えてるね!」と言われます。
ですので、女の子と話してゲットした情報は全てメモを取ってください。
紙でもいいしアプリを使ってもいいです。
僕は女の子と電話する時はEvernoteを開いて逐一メモを取っています。
さすがに実際に会っている時にメモは取れないので別れた後に思い出して書きましょう。
そして会話中、自然なタイミングで「あの時、○○って言ってたもんなあ」などと覚えていることを伝えていきます。
大抵の場合、相手が質問してくる内容は自分にも聞いて欲しいと思っています。
ですので、例えば女の子が「どんなタイプの人が好き?」と聞いてきたら、
簡潔に素早く答えたあとにすぐ、「○○ちゃんは?」と聞き返しましょう。
あなた「うーん、そーやなあ、何やろ、えーっと、○○で・・・あとは・・・んー、○○で、○○な人かなあ・・・・・・。」
女の子「そうなんだあ」
で会話が終わることです。
ダラダラ話して、質問も返さないこのパターンは一番やってはいけません。
会話で聞かれることは大体決まってますので予め答えを用意しておいて簡潔に答えた後、すぐ同じ質問をし返しましょう。
そうすると女の子は嬉しそうに話してくれますし、話も広がります。
僕はたまに「こんなに喋ったのに○○くんのことまだ全然知らないんだけど!w」と言われることがあります。
これは最初の方に書いた「聞かれてもない事を言わない」ことと似ています。
自分を知ってほしいと思い、ベラベラ自己紹介の如く喋る男性がいますがそれは厳禁です。
自分のことを喋りたいし、聞いてほしいし、愚痴も言いたいし、それに同意してほしい。
ですので男性がベラベラ喋ってしまうと女の子は楽しくありません。
会話の量は女9、男1くらいで充分です。
適切な相槌、ボケ、ツッコミができていれば、この会話量でも会話は盛り上がります。
その時に自分のことを少しずつ喋っていけばいいです。
少し謎めいてた方が魅力的に見えます。
自分が相手に何か話をした時に笑ってくれたり、リアクションがイイと嬉しいですよね。
ですのでリアクションは必ず取らなければいけないですし、少し大げさくらいがちょうどいいです。
女の子が悲しい話をしてきたら一緒に悲しんでください。
あるいは、全く面白くなかったら超眠たそうな顔をして「ちょっとは笑ってよーw」とツッコまれるように仕向けるのもありですし、
「1ミリもおもろないでw」とSっけを出してもいいでしょう。(相手や仲の良さによる)
リアクションに関しては外国人のように身振り手振りで表現してもいいですし、
テンションコントロールや、次に説明する相槌でもうまく表現することができます。
相槌が「うん」や「そうなんや」ばかりだと、本当に聞いてるのか相手に伝わらないですし、
ですので、相槌は色んなバリエーションを使っていきましょう。
「えー!」「マジで?」「嘘やろ!?」「嘘やん!」「うそーん!」「そんなことある?」「さすがにそれはないわ!」「バリひどない?」「それでそれで?」
「うわっ!」「うげー!」「うひょー!」「あちゃー」「やってもうたな」「たしかに」「わかる」「よかったやん!」
これらを適切に使うことで会話のリズムも良くなり、
基本的に女の子はツッコまれるのが大好きです。(2つの意味で。。。)
平凡な男性ならそこで「大丈夫?」と声を掛けますが、これは不正解です。
正解は「え?w今コケるような所あった?w」です。
こう言うことで女の子は恥ずかしそうに「無かったけどw」と言いながらモジモジします。
会話中に女の子が噛んだら、流さずに「え?wなんて?w」と即座にツッコみます。
要は日常生活で起こる些細な出来事を見逃さず瞬時にツッコんでいくことが大事になってきます。
以上、非モテ男のための女の子との会話テクニック10選でした。
参考になりましたら、「感謝します」というコメントを添えてブクマしてください。
よろしくお願いいたします。
東京ニュース通信社の週刊テレビ情報誌『TVガイド』では「週刊スマスマ新聞」というコーナーがあり、1996年の「SMAP×SMAP」放送開始直後から記者が収録現場を取材しメンバーやスタッフにインタビューして記事を掲載している。
2016年1月18日以降放送の「SMAP×SMAP」の中から、特にTV未公開の収録現場でのSMAPの様子やメンバー同士の会話を中心に「週刊スマスマ新聞」の記事を引用しまとめてみた。
なお「SMAP×SMAP」の基本的な放送内容は「gooテレビ番組」から引用させて頂いた。
BISTRO SMAP
今夜は、「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」に出演メンバーが登場した。注文は「自分でも作れる簡単なお鍋」
- 男女混合グループであるAAAをうらやむ中居くん、「いいなぁ、俺らも女の子入れない?」とメンバーに提案を。すると木村くんが「こちらまで募集しま~す(笑)」とカメラに向かってニッコリ。中居くんは「自分でカワイイと思う女の子だけ応募してきてくださ~い(笑)」とシビアな補足をしていました。
- 芸能人にうとい様子の森川葵さんに、「SMAPの名前全員言える?」と尋ねる中居くん。なんとか全員言えたものの、中居くんは「じゃあKis-My-Ft2は?」と追撃し、森川さんを困らせます。そんな中居くんのイタズラ心を、木村くんが「やめとけ、やめとけ。完全に遭難してるぞ(笑)」と止めていました。
- 客席アンケートでは月9チームが勝てばビストロ特製皿がもらえるはずでしたが稲垣くんが正解しSMAPチームの勝利に。「稲垣さんのせいでお皿もらえませんでした~(笑)」といじる中居くんに「何で勝ってこんな気持ちにならなきゃいけないの(笑)!」と稲垣くんナカゴロならではのやりとりに一同爆笑!
- 月9チームが来店したビストロにて。「簡単にマネできるお鍋」というオーダーを受けて用意した鍋を配膳しながら、稲垣くんは「庶民的な味だから中居くん好きだと思う(笑)」と中居くんイジり。中居くんから「バカヤロー、大金持ちだ俺(笑)」と子どものように言い返され大ウケの稲垣くんでした。
- チーズが苦手という有村架純さんですが稲垣&草彅ぺアのおいしそうな料理に「挑戦してみようかな」と乗り気に。木村くんは取り皿に分ける稲垣くんに「チーズ少ないところ作ってあげて」と声を掛け稲垣くんも「チーズ克服できたらいろんなもの食べれるよね~」と。とても優しいシェフたちでした。
- 今回の料理はお手ごろ価格で設定されており、「350円でできるんです」と稲垣くん。その後、少したってから中居くんが草彅くんに「で、いくらなんだっけ?」と試すように聞いてみますが、案の定草彅くんは「380円?」とすっかり忘れており…。「吾郎さ~ん」とお兄ちゃんに泣きつく草彅くんでした。
- "おいしい~"でビリギャルに変身した香取くんは、女子になりきり、スカートをパタパタしたり男性陣にだけ優しくしたりと暴走気味。爆笑の月9キャストに「この人こういう仕事で家賃とか払ってるの(笑)」(中居)、「こう見えて同時期に他局でドラマやるんですよ(笑)」(木村)と上2人が見事フォロー!
BISTRO SMAP
チャレンジ!コップのツヨ子
シャッフルBISTRO
オーナーは木村拓哉。ゲストは稲垣吾郎。オーダーは、「稲垣吾郎に食べさせたい料理」。
- シャッフルビストロで、稲垣くんはゲスト席に座りながら「いやいや、すごいなー。3人はこの気持ちを味わったわけだね」と、いつもと違う景色に戸惑い気味。木村くんも「俺もすっげーヘンな感じ。ビストロの収録で調理服着ないってさぁ」と、久しぶりのオーナー役にまた気構えも違うようでした。
- シャッフルビストロにて。稲垣くんの私服について「今日持ってきた? 着てきた?」と尋ねる木村くん。稲垣くんは持ってきたそうですが、稲垣くんいわく「木村くんは普段のまんまだったよね」。木村くんは「ここに来たまんまで出た(笑)」と、自分がゲストだった時の私服について明かしていました。
- 視力がとてもいい木村くんは、稲垣くんのメガネに興味津々。「結構強いの?」と尋ねながら掛けてみて「おお、強い!!」とビックリ。さらに「夜見えなくていいシーンでは外す」と言う稲垣くんに「見えなくていいシーン!?それってどんなシーンだよ(笑)」とノリノリでツッコんでいました。
- 「年齢と共に好きなファッションって変わってくる」という稲垣くんに対し、「俺ホント変わんない」と木村くん。「あの黒のブーツのシリーズ、20代前半ぐらいから履いてるよね」と納得する稲垣くんに、「あのシリーズは高2から履いてる。今2代目」と、驚きのブレなさを打ち明ける木村くんでした。
- 舞台活動が多い稲垣くんについて、木村くんは「歌収録の始まる5秒前までセリフ言ってるときあるよな」と感心。「でも木村くんも覚えてるじゃない?」と返す稲垣くんに、「量が違うよ。そのシーン終わったら忘れてもいいし」と木村くん。お互いをリスペクトしあうSMAPならではのやりとりでした。
- ベートーベンを演じてからクラシックをよく聴くようになったと語る稲垣くんに、「俺もスマホに(クラシックのアルバムが) 6枚ぐらい入ってる」と木村くん。「スマスマで指揮やったときも相当聴き込んだし」とのこと。稲垣くんも「あのとき楽しそうだったよね」と懐かしげに振り返っていました。
- 木村くんは「長距離の移動中とかずっと本読んでるよね。俺が雑誌を眺めてる横でずっと本読んでてすごいと思う」と、稲垣くんの読書量に感心。それに対し「移動中が勝負だから。でも楽しくやってる仕事だからね」と稲垣くん。「週に1回作家の方と会えるって楽しい」とアツく語っていました。
- 稲垣宅の間取り図を見ながら「ベッドはどんなの?」と興味津々な木村くん。「厚手で高い位置にある。大阪で泊まるホテルあるじゃん? あんな感じ」と語る稲垣くんに木村くんは「あんな高いんだ?」と感心。「今イメージしてくれたんだ~?」「したした(笑)」とキャッキャする微笑ましい2人でした。
- 稲垣くんがシャッフルビストロで優勝した時に木村くんからもらったアートの話題になったときのこと。リビングにそのアートを飾っている様子を、なぜか「今夜メールで送る」という稲垣くん。木村くんは「別に送らなくてもこうして見せてくれればいいじゃん(笑) !」とツッコんでいました。
- オーナートークで朝イチのリハーサルの話題に。草彅くんについて「寝癖とかすごくない(笑)?」と木村くんが言えば、稲垣くんも「すごい。よくゲストの前に出られるよね(笑)」と同意。「ごまかしたり整えたりしないんだよな。不思議なもんだよ(笑)」と、兄2人をある意味感心させる草彅くんでした。
- 「みんな朝とかサングラスするでしょ。剛はしないけど」、「何でしないんだろうな?」、「昔っからしない、あの子は」と語り合う稲垣くんと木村くん。キッチンで聞いていた草彅くんは「えー!?するよぉ」と異を唱えますがそんな本人の主張は無視で「あんまり印象ない」とあっさり否定する兄2人でした。
- 席に着いてから料理をオーダーするまで、稲垣くんと木村くんはしばしおしゃべリ。「メンバーが待機してる後ろ姿ってこんな感じかぁ。今度から気を付けよう」と語る稲垣くんに、木村くん「背中からひしひしと"早くしろ!"って伝わるよね(笑)」とニヤニヤ。背中からも感情が分かる(?)SMAPでした。
- 「僕の一番のコンプレックス」を当てる早押しクイズで、正解が出たにもかかわらず、さらに解答ボタンを押す中居くん。「ちょっと(笑) !」とツッコむ稲垣くんに「え? コンプレックス何百個あるんじゃないの?」とすっとぼけて楽しそう。オーナーじゃない日はとても自由な中居くんなのでした。
- 稲垣くんが体験してみたいメンバーは「香取くん」だとか。白紙からモノが作れるから、という理由でしたが、中居くんは「ドラマも全部アドリブなんでしょ?台本の自分のセリフのとこ真っ白なんでしょ(笑) ?」とニヤニヤ。香取くんは「ドラマは違うけど~」と受け流そうとするも苦笑いでした。
- クイズ稲垣吾郎で2人が同点となり急きょ「僕が最近メンバーにちょっとだけイラッとしたことは?」という問題を出した稲垣くん。答えは「調理中草彅くんの味見が多い」で本人が見事正解。「ヤなの?」と気にする草彅くんに「急に思いついた問題だから気にしないでね」と優しい稲垣くんでした。
- 「クイズ稲垣吾郎」で、「僕がメンバーに最近ちょっとイラッとしたことは?」という質問が。「草彅くんに対して」というヒントで、草彅くん自ら「料理の説明がしどろもどろになったりすること」と解答。そんな草彅くんに「自分で答えるの!?」「それ自覚あるんだ(笑)?」とメンバーも爆笑!
- 僕がメンバーに最近ちょっとイラっとしたことは?」という質問で香取くんは「草彅が料理が終わった瞬間にこうやってストレッチしてること(笑)」と細かいところを取り上げ自ら実演。草彅くんは「同じ姿勢だと腰が固まっちゃうから」と"健康つよポン"ならではの言い訳(!?)をしていました。
- 「クイズ稲垣吾郎」で草彅くんが楽屋でギターを弾いているという話題に。「隣だけど聞こえてるよ」という稲垣くんに、草彅くんは「ちょっと気遣ってるの。聞こえちゃうかなーって」と恥ずかしそう。そんな草彅くんに稲垣くんは「でもうまくなったよね~」と、責めるどころか腕前をほめる神対応!
- 「おいしいおいしい」と稲垣くんに感想を言われ「2回言う時って真実味ないんだって」とすねる中居くん。「中居くんがよく出てるよ」と稲垣くんがフォローするも「俺は稲垣さんにおいしいと思ってもらいたいの」とプンプン。「全く、分かんない人だねー(笑)」と稲垣くんも苦笑いのだだっ子ぶりでした。
- 稲垣くん好みのオシャレなカキのパスタを出した草彅くんに対し、「そんなに好きじゃないと思う」となぜか否定する中居くん。「吾郎さん好きだよー」と頑張る草彅くんに、中居くんは「かっこつけてるだけだよ」と知ったかぶリをするも...「これおいしい~」と稲垣くんにあっさり覆されていました。
- 試食が始まり、草彅くんの料理を味わう稲垣くん。その姿を見て、中居くんは「食べる瞬間さ、こうやって持っていって口の中に入れる時すごいゆっくリなのね(笑)」と指摘。稲垣くんは意識しちゃうよ、そんなこと言われたら」と言いながら、わざと大げさに再現してみせ、中居くんを笑わせていました。
- 熱心に料理の説明をする草彅くんは、「下に敷いてあるのルッコラなの。分かるでしょ?ルッコラ好きなんだよ、吾郎さん」と得意げにニッコニコ。そんな草彅くんのうれしそうな様子にメンバーも思わず笑顔になるほど。稲垣くんも「よく知ってるね~。サービス精神旺盛だね」と感心しきりでした。
- 香取シェフの番が来たときのこと。料理を酬善しながら「ちなみに吾郎ちゃんのその服はディオールですか?」と尋ねる香取くん。「そうだね」と答える稲垣くんに香取くんは「よっしゃ!」とうれしそうで…。服バカ香取くんならではの見事な予測に、お客さんも「お~!」と拍手を送っていました。
- 香取くんの料理は、稲垣くんが田崎真也さんとコラボして作ったワインをフィーチャーしたもの。「へ~!」と感心する中居くん&木村くんに、「吾郎ちゃんびっくりしたんだって。発売されて飲んだ時に、"自分が言った通りの味になってる!"って」と、稲垣くんの感想まで調査済みの香取シェフでした。
- 「お味のほういかがですか?」と木村オーナーに尋ねられた稲垣くん、"おいしい~"の振りだと気付かず、「うまい!」と普通に返答。「お前、この番組さー…(笑)」と木村くんにツッコまれようやく気付き、あわてて「そっか(笑)!おいしいね」と照れた様子。珍しい稲垣くんの天然発言でした。
- 今回"おいしい~"を担当した草彅くん、五郎丸吾郎+ヒロくんというダブルの扮装に挑戦。さらにメンバーからのムチャブリで2回も登場させられ「キツイなぁ」とぐったり。とはいえ「こういうのって(笑って)いいともの特大号を思い出すよね」とちょっぴり懐かしい気持ちにもなったようでした。
スマラブ
鼻うた検索SHOW
- 「鼻うた~」にて。「Let it go」で「これ慎吾余裕でしょ」と木村くんから言われ「俺!?ちょっと待って!」と香取くん。有名な曲だけに、ローラさんにとっては慌てる香取くんが不思議なようで...。そんなローラさんに稲垣くんが「そういうもんなのよ、緊張するの」と香取くんフォローの一言を。
- 「WINTER SONG」に挑戦することになった時のこと。DREAMS COME TRUEの名バラードとあって、ローラさんもメンバーも尻込み。そんなみんなの様子を見た木村くんは自ら「分かったよ」とセンターに出て「体当たりでいきます!」と宣言。見事に歌いこなし、稲垣くんも「いったね~!」と大喜びでした。
普通の大人なら9.0と9が同じ数値を指し示しているのは理解出来る
そもそも9.0と9が同じ数値を示していないと感じてしまう人間はそれなりにいる
例えば0.9999・・・と1が同じ数値を示しているということを直感的に理解出来ない人は多いと思う
小数点を習い始めた義務教育の段階だと9.0という表記が9ではなく,9に特別な何かが足されていると感じている可能性すらある
だからこそ小数点以下の0はちゃんと消して「ちょうど9ですよ」という意思表示をしなければならない
先生は9.0と表記した生徒に対して「これはちょうど9になるんですよ」ということをちゃんと教えないといけない
「最近の教育はこれだから」と言う人がいるけど,私自身30年ほど前に小学生で小数を習ったときに確かに0を消した覚えがある
恐らく大半の人はごく当たり前のこととして記憶に残ってないのだろう
それぐらいごく当たり前のことなのに,それが出来ていないっていうことは,その生徒が根本的に何かを理解できていない可能性があると担当の先生は考える必要がある
平均的な生徒が集まった小学校だとその辺を取りこぼす生徒がいるっていう事実を「ネットが使えるほど高レベルの人」は理解できないんだと思う
排除したいのは「出てきた数字を単に掛け算するだけの生徒」なので,
「鉛筆が3本,消しゴムが2個入った筆箱が5つあります.鉛筆は全部で何本ですか?」
と聞けば良い
「教えたとおりに答えないと不正解」っていうのはゲームに近いと思う
スポーツでもいい
ある一定のルールがあって、それに合っているかを照らし合わせる方式だ
「真実に合っているかより、ルールに合っているかを重視する教育」というのは、たしかに実社会で生きる時には有効かもしれない
そういうふうに子どもたちを教育し、学歴により序列を作り、社会がそれを参考に学生を登用する
だからこそ、「こんな知識一生役に立たないだろうな」という物も受け入れられた
ただ、そういったルールベースの教育を小中高の12年間やらせるのは非常に疑問がある
もう少し、学問よりに寄せてもよいのではないだろうか?
掛け算も足し算も順序はある派。
x+dxをdx+xとか書かれたらキレる。
掛け算も、小学校のルールと逆順に書くときは、「掛ける数は演算子」だと認識するようにしている。
「3.9+5.1=9.0」は減点対象 小学校算数の“奇習”が議論に
これも「9.0は減点」に賛成派。「有効数字ガー」とか言ってるバカがいるが、有効数字を考えるなら、例えば「3.9+5.01」なら8.9を正解にして8.91は不正解にしないと整合性が取れない。算数じゃなくなる。
畢竟これらの議論は、「数学的に同値だが形式的に異なる記述について、それらに異なる文脈的意味を持たせたり、一方のみを「適切」とすることにどれほどの理があるか?」という問題に帰着する。この観点を持つと、「理あり」とされているものは実は多くあることに気づく。
たとえば分数の約分。ふつう最終的な解に「2/6」と書けば減点対象だ。(でも、この書き方だって有用性はある。ピザを6等分した後なら「ああ二切れ分だな」とすぐわかるが、「1/3」だとわからない。)
小学校なら「帯分数」とかいう謎の書き方もあった。あんな奇妙な書き方、中学校以降で書いた覚えがないのだが、小学校少なくともある時期は「5/3」というような答えは減点対象だったと記憶している。
こういった「既約分数で答えよ」「帯分数で答えよ」という暗黙ルールは、「足し算・掛け算はこの順序で書け」「小数点以下の0は省略せよ」というのと本質的に同じだ。数学的に同値な書き方のうち、一方をなんらかの意図で強制させているのだ。
どのルールにも、それを強制する意図がある。「約分できることに気づかせる」「5/3は1+2/3であることを理解させる」「かける数とかけられる数、という役割の異なる数字があることを認識させる」「なるべくシンプルな形で書くことを心がけさせる」など。それに意味があるかないかは、教わった小学生たちが決めることだ。小学生たちから「自分で判断する」ことを奪っちゃいけない。
ネットに渦巻く算数教育への批判には、なんというか愛がない。小学校教員の知性への信頼も、小学生たちの知性への信頼も、全然ない。「こんなことを教える先生は頭がおかしい」「小学生にはこんな教育は混乱を招くだけだ」。そんなはずはない。先生だって交換法則くらい知っている。
小学生にも、もっと自分で考える力があるはずだ。「掛け算は交換法則が成り立つが、割り算では成り立たない。なぜか?」「かける数とかけられる数には違いがあるのか?」こういった問いかけに、自ら考えさせることこそ教育だ。子供が持ってきた答案用紙に×がついているのを見て、「先生が間違っている」という「答え」を教えてはいけない。「君はどう思う?」と問いかけることから教育が始まる。
http://anond.hatelabo.jp/20161122110427
確か、中学生の頃だったか。定期試験で「コンパスで正三角形を書け」なんて問題が出た。試験の持ち物の中に、コンパスとはあったが、そんなことすっかり忘れていたため手許にコンパスはない。そこで試験用紙を少し切り取り、そこに長さを図って鉛筆を突き刺し、即席のコンパスを作った。コンパスとは等距離の線を描くための道具だ。これでも問題なかろう。そして実に美しい正三角形を描画することが出来た。
しかし、答案用紙にはバツの印がつけられていた。図形に関する答案はすべて不正解になっていた。その理由を教師に問うと、「君は当日コンパスを忘れていた。問題にはコンパスを用いるようにと書いてある」と言われた。
納得いかなかった。機能としてはほぼ同等、途中で幅が変わる可能性の低さについてはそれ以上であるはずの自家製コンパスが否定されたこともだが、幾何学的な正しさよりも忘れ物をしたことを罰しようとしてきたことが癪に障ったのかもしれない。
その後、そもそもコンパスとは何かを厳密に定義していない、等距離であることは担保して作図した、これがコンパスではないとする理由を示せと繰り返し何度も毎日授業後に主張した。その結果、バツになった答案はすべて正解になった。
このことに味をしめ(?)他の科目でも似たようなことを始めた。家に帰ったあとは、ネットで授業内容のあらを探すことに大きく時間を割くようになった。鎌倉幕府成立は本当に1192年なのか?とかそんな話だ。教師から反撃されたときに備え、反対意見にも目を通した。使えそうな材料が揃えばこっちのもんだ。安全圏からネチネチ攻撃できる。
そんなこんなをしている中で、痛快に思われたのかクラス内でのカーストは何段階か上がった。おまけにあれこれ調べていた成果で学がついたのか成績は学年上位に入った。ついでに、試験では習ったことを書いて、あとでいちゃもんをつける程度の処世術は手に入れた。あと「実は知ってる?あの話って…」というネタは食いつきが良いのか、交友関係にも不自由することはなくなった。
おもえばあの時、何かを理屈に穴はないのか?に目を光らせることを学んだことは、その後の進学、就職に大いに役だった気がする。
大学入試で、点A,B,Cの座標が実数tによって決まり、三角形ABCが二等辺三角形になるtの値を求めよというような問題があった。
問題を解いていくと実は三角形ABCが正三角形になる場合が含まれてるんだけど、正三角形は二等辺三角形なので当然これを除外したら不正解になる。
教え方としてそちらの方が都合がいいというのは、100歩譲ってよしとしましょう。
ただし、2つ入りのリンゴの袋が3袋ある 全部でいくつでしょう?という問題で
2x3=6が○で3x2=6が× というのはどのように教えようが絶対におかしい。
どちらの式でも表すことができる。
区別できないのにもかかわらず、不正解、あるいは減点とすることはおかしくないですか?
例えば、30日の次の日は何日ですか?という問題に
31日とかいたら間違いで、1日と書いたら正解だったら怒りませんか?
学校では、30日の次の日は1日って教えてるんだ!
30日の次の日は31日って単純に1日足すやつは、月の概念を理解してないに違いない!
世の中では月によって違うかもしれないがな!
って言われて納得できますか?
まぁ、教え方は、100歩ゆずってよしとしましょう。月によって日数が違うのはややこしいですからね。
でも、学校でどのように教えていようが、
31日の次は?という問題で32日と書いたら月の概念の理解を問う問題として、不正解であることは全員納得するけど、
30日の次は?という問題では、31日という答えに対して月の概念の理解を問うことは不適当だと思いませんか?
話を戻すと、
先ほどの問題では、掛け算の概念の理解を正確に判別することはできないにもかかわらず、
そこに配点が置かれていることが一番問題なんですよ。
この問題でわかることは、りんごの数を計算する計算式を立てることと、
その計算が正確であることだけです。それ以上でも以下でもない。
これを不正解にする教師は、この問題では概念の理解を確かめるには不適当であることを、
そして、本当はきちんと理解している子が、でた順に数字を並べるバカの判定を受ける可能性があることが大問題なんですよ。
(算数のテストじゃなくて、先生の言う事に素直な子テストなら不正解で問題ありません)
教え方は好きにしていいけど、それでもこの回答を不正解にすることはできない。
タイトルの通り、恋愛にまったく関心がわかない。こんな人は結構いて、多分悩んでいる人も少なくないと思う。俺も悩んでいて、というのも彼女とかいないの?だとか、なんで彼女いないの?って聞かれても、どうやって答えるのが社交の上で正解なのかわからないからだ。もちろん、会話に正解なんてない、っていうのが、正論なんだろう。俺もそう思う。とはいえ、「俺恋愛興味ないんすよ」と答えるのが不正解、というのはわかる。ディーン・フジオカみたいな顔で困ったように笑いながら言いでもすれば、とりあえずOKなのかもしんないけど、俺みたいなモサっとしたダサい人間がタハハァーってそんなことを言うと、「ダサいお前がそんなこと言うんか???」みたいに思われないか、ちょっと心配になる。
まあ恋人のいるいないの話なんて会話のフックでしかないんだし適当に流しとけばいいんじゃない?っていう考えもあると思う。俺もそう思うのだけど、困ったことにたまぁに「じゃあ紹介してやるよ」と女の子をあてがってくる悪意のない人が出てくる。
モサっとしたダサい人間が「恋愛に興味ない」って言っても何にも問題がない感じになるといいなあ。それかディーン・フジオカになりたい。
たしか2ちゃんねるの市況1か2のどこかで発言したのが最初だったはずだ。
だからといって現在主に使われている用例と照らし合わせてそれらが間違っていると言うつもりはない。
ただ、皆さんには、「ホリエモンのケツの穴をなめられる者」という元の意味が意識高い系にはあるという事を言っておきたい。
そこから派生したり、元の意味を様々に解釈したり、あるいは全く別の意味を創るといった事は各々の自由だ。
そこは作者である私が断言する。
しかし、私が作った言葉についてどれが正解だの不正解だの言い争い、マウントゲームをする事は許されない。
こう言うと、口うるさいと思われるかも知れない。
日々ささやかながら世の安寧を願い生きる者の一人である私自身が、このような争いの種を世に撒いてしまった。
ホリエモンのケツの穴の事はもう忘れてくれたっていい。
ただ、私が作った言葉で言い争うのはやめてくれ。
私が言いたいことはそれだけだ。
増田の解釈はおおむね正しい。次のシチュエーションを想定してみる。
このシチュエーションにおける「自分がされていやなことを人にしないようにしましょう」というルールの解釈についてだが、
(1)Aくんにカブトムシを渡す、はOKかNGか分かるか?
(2)Bさんにカブトムシを渡す、はOKかNGか分かるか?
(3)Aくんにニンジンを食べさせる、はOKかNGか分かるか?
(4)Bさんにニンジンを食べさせる、はOKかNGか分かるか?
(5)BさんがAくんにカブトムシを渡していた。見ているべきか、止めるべきか分かるか?
(6)BさんがAくんにニンジンを食べさせていた。見ているべきか、止めるべきか分かるか?
正解は、
(1)OK、(2)NG、(3)OK、(4)OK、(5)見ているべき、(6)見ているべき
だ。
問題は「行為の内容」ではなく、「『嫌な思い』が発生しているか否か」だ。
受け手に『嫌な思い』が発生する行為はNGですよ、というルールだ。従って、相手の好悪判断が分からないうちは、軽々に行動するべきではない。
あくまで「いきなり通りすがりに殴りつける」みたいな、だいたい人を問わず好悪判断が分かれない事象について、適用すべき格言だ。
まして、「されてうれしいことはする」みたいな、対偶をとったルールについては、さらに慎重な運用が求められる。
よい適用例
「電車で荷物を持っていれば、基本的には座りたい。」→「荷物をもった人が目の前に立っている」→「席を譲られると『うれしい』だろう、と判断して譲る」(正解)
悪い適用例
「ボクはカブトムシが好きで、人からカブトムシを貰うとうれしい」→「Bちゃん、カブトムシあげるよ!」→「キャー!」(不正解)
後者の場合、「されていやなことを人にしてはいけない」というのは、「カブトムシを人にあげてはいけない」ということではない。
ボク「されていやなこと=ニンジンを食べさせられること」
Bさん「されていやなこと=カブトムシを押しつけられること」
だから、「されていやなこと=自分の嫌いなものを人から押しつけられること」であり、「相手が嫌い(かもしれないよう)なものを、自分を基準に判断して相手に押しつけてはいけませんよ」という意味だ。
23歳になってようやく、10歳頃からの慢性的疾患であるところの厨二病が治りかけてきたと思っている。
中二病にも、邪気眼系、暗黒微笑系、尾崎系等色々種類はあるが、ここでは、
「俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。
的類いのものと捉えてくれていい。
2016年6月の終わり頃、Twitterのトレンドに乗じて、「上半期に観た映画ベスト」なるものを自分も投稿したのだが、1位は、「ズートピア」とした。「ディズニーを敢えて1位として褒める、一周回って「アリ」」みたいなひねくれた気持ちでなく、これは純粋に、1位だと思ったからだ。
なので、先日公開された「シン・ゴジラ」も、事前の絶賛感想、また、「庵野…俺の負けだ…」という島本和彦氏のアツいツイートなどを見て、本当に愉しみにしていた。わざわざIMAXの席を取り、また一刻も早く観たいので平日の夜に、そして、若き日の庵野氏が登場する「アオイホノオ」も復習せねば、と息巻いていたくらいである。
という具合に、完全に、自分も、後でツイッターに、「シン・ゴジラ素晴らしかった!!」と書くつもり満々で(観てもないうちから…)、わくわくしていた。
が。
どこもかしこも大絶賛の理由がである。先程の中二病云々の前置きを入れたのは、これは決して、「流行りに反発する俺カッケー」的精神で言っているのではないという但し書きである。
特に不思議なのは、日頃、人権意識の高かったり、リベラル寄りの人も、「日本の戦い方というのを見せて貰った!!」みたいな論調で褒めていることだ。
いいのかそういう着地で?
多数の有名人たちが登場する中で主役として据えられているのは、内閣官房副長官である「矢口」(ハセヒロ)という人物である。
会議会議で誰もビシっと決断出来ない割にはその会議は最初から「想定内」の結論ありきな形式的なものにすぎないという悪しき日本の慣習に侵された人物が多数を占める中、この矢口という人物だけは、最初から、巨大生物の存在(後にゴジラと名付けられる)の可能性を指摘し、会議と、国民の反感や国際社会からの非難を怖れた日和見で政府が迅速な対応が取れなかったことを悔やみ、
派閥争いとか出世から外れた異端者たちを集めたチームや、石原さとみ演じる米国大統領特使(「意識の高いルー大柴」とか書かれていて笑った)と交渉、根回しすることで、何とか、米国などの言いなりの帰結としての「最終解決法」――「原爆投下」――日本にとっては三度目の――を阻止した上で、ゴジラの被害を食い止めるための解決策へと動く。
これは重大そうで重大でないネタバレだが、私が、ごく少ない素晴しい点だと喜んだのは、中盤あたりで、総理大臣(とその他閣僚数名)が躊躇なくあっけなく死ぬところだ。やな奴だと思っていた総理大臣が、突如矢口に、「君のことは、本当に買っているんだ…」みたいなことを言い始めたり(※補足:これはあくまで死亡フラグの例えで、別に私も劇中で嫌な奴だったとは全然思っていません)、「俺、この戦いが終わったら娘の結婚式に…」みたいな死亡フラグメロドラマもクソもない。あれ、死んだ?程度のタイミングで死ぬ。
「新しいリーダーがすぐに見つかるのがこの国の良いところだな」という劇中の自虐じみたないしは皮肉めいた台詞にあるように、この全然劇的でない死亡劇は、映画の一つのテーマともリンクしていて、国のトップである総理大臣でさえこの国にとっては唯一無二でないところは、しかしある意味では強みになり得るという着地だ。
超越的なカリスマ性や能力を持った人物のみの力で成り立っていたり、「その人だけにしか出来ない事」を抱えた人物が各々バラバラにいる組織は、リーダーや、「その人」がいなくなった途端崩壊してしまう。だから、組織や集団の恒久的な存続の為には、「その人だけにしか出来ない事」「その人でなければならないこと」といった唯一無二性を特定の人物に集中させない仕組み作りが重要なのであり、総理大臣が死んでも替わりがいるというのは、逆に言えば、そうした仕組みが機能しているからこそとも言える。
ゆえに本映画や主人公たる矢口は、徹底して「独占」を否定する。まず通常であればフィクションにとってかなり重要と思われる<キャラクター>の独占の否定。総勢300何人だかのキャストということで、ナントカ大臣とかかんとか色々次々に出てくるが、実質的には3つか4つくらいしかキャラクターは存在していない。誰が文部大臣で誰が防衛大臣でというのはこの映画にとってはどうでもいいことで、口調等微妙にキャラ付けされてはいるものの、「大臣」という一つの役割と行動原理と台詞が、10何人に与えられているに過ぎない。(多分普通の映画だったら2、3人にセリフをまとめるはずである)
「はみ出し者の集まり」とされる、ゴジラの正体究明班だってそうで、「学者っぽいないしはオタクっぽい探究心でゴジラについて調べる人たち」という一つの役割を4人くらいで分担しているだけである。(多分これも通常であれば一人にまとめられる)
これは、多数の人物たちが台詞を次々に言うことでテンポ感を出すという演出上の意味もあるだろうけれど、「チームで一つの役割」を持つべしという価値観の現れでもあろう。
更に、情報や知識の独占の否定。矢口は、本来ならば国の重要機密として扱われるであろう、ゴジラの細胞データサンプルなどの情報を様々な機関や国にばらまくことで、問題の早期解決を導く。三人寄れば文殊の知恵、これは自分ないしは自分たちだけが知っていると独占機密化することで情報の価値を上げるよりも、広く共有することでなるたけ沢山の協力を集めた方が得策である、という姿勢だ。
<超越的>存在であるゴジラに対峙した時、この国を救うのは、同じく超越的な存在や飛び道具ではない。目標を同じくする協力集団であり集合的知識であり、つまり<集合>こそが<超越>を「超える」
でもこれって前半あれだけ揶揄していた、「日本には決定を下せる人がいない」っていうのと紙一重であるから前半部の否定と統合性が取れていないし、
むろんこういうのは、思想的な好き嫌い、価値観の問題で、私は所謂ネット上ではブサヨと呼ばれる方の考えに近いから、ともすれば個の否定に繋がるような着地点に、なんだかなーと思ってしまうわけだけれど、問題なのは、というより、問題だと思うのは、「シン・ゴジラ」は、単なる、「集合バンザイ」を主張しているわけではなく、ともすればっていうかともしなくても命に関わる「有事」に遭遇した際について描いているという点である。
矢口は、一刻も早いゴジラの正体究明に必死になっているチームメンバー達が、カップラーメンのみで食事を済ませ滅多に家に帰らず連日泊まり込み、また帰ったとしても翌朝早く来る様子を見て、満足げに、
「この国もまだまだ捨てたもんじゃないな」
とか微笑み(正直、これだけで元・社畜の自分からしてみれば、けっっっっ、って感じなんだけど)
ラストシーン近く、ゴジラを倒す最終的な作戦の前に、自衛隊その他に向けた、
「今回のヤシオリ作戦遂行に際し、
ここにいる者の生命の保証はできません。
だがどうか実行してほしい!
わが国の最大の力は、この現場にあり、
っつー半ば特攻精神的とも取れる演説。(でほんとに作戦決行中戦車みたいなのが幾つかバカスカやられているような)
そして、国連(だっけか)で決定された、「ゴジラには核落とせ」という判断を、何とか食い止めるための水面下交渉について、アメリカ人(のたぶん偉い人)が発する台詞、
「まさか日本がこんな狡猾な外交手段を取れるとは、危機は日本でさえ成長させるのかもな」(詳細は違うと思うがこんな感じ)
映画の素晴らしさは「共感」にあるわけではない。だからこれが、「完全なフィクション」であれば、私もうるさく言わない。
ファンタジーであれば――たとえば、『進撃の巨人』での出撃前の演説、「心臓を捧げよ!」は確かにアツいシーンである。
しかし、「シン・ゴジラ」の場合は、完全に、フィクションの世界観にあるフィクションの人物の行動原理として切り離すことはできない。明らかに、現在の日本を物語に取り込みそして、あるべき日本の姿を提示しているものだからである。
繰り返すが、断っておくと、これはあくまで個人的な価値観の問題である。
しかし私としては、リベラル寄りの人までも、結構絶賛しているのがよく分からんのだ。
もちろん、放っといたらもっと大勢の人が死ぬっていうのは分かるけど、それでいいじゃないか。それでいいというのは大勢の人が死ねばいいということではなく、多くの命が失われるのを防ぐための方法を、という行動原理で十分じゃないか?
それが、いや、登場人物が内閣とか政治家とかだから仕方ないかもしれないが、国のためとか国民のとかこの国はとかやたらと、まあーーーーうっるさい、しつこいのだ。
国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観?
いいのかそれが「これぞ日本の戦い方」で飲み込んで
っていう些か判断や解釈の分かれる思想的な話の他にも、単純にひとつの作品として、映画やプロットの作りとして、鼻につくポイントは少なくないと思う。
これは多くの人が指摘するように、「シン・ゴジラ」の欠点ないしは一部の人にとっては美点の一つは、
「たぶん(本来怪獣映画を喜びそうな)小中学生が見ても分からない」
ことであろう。
次々に入れ替わり立ち替わり出てくる人物、やたらと専門用語や政治用語を並べ、理解させる気あるのか?というくらい早口の会議、応酬、ゴジラを倒すというよりメインは政治劇
「会議が冗長でなくムダがない」「予告では、おっさん達がやたらと会議して退屈そうだと思ったがいざ観てみたら会議もっとってなった」という内容の感想をよく目にするが、
そうか?
前半部の会議会議会議は勿論、指示手続き実行までのリアリティを出すためとかこれだけのプロセスを踏むことの提示とか必要な部分もあるが、社会的風刺になっているシーンも幾つか存在している。主人公が指示を出すと、「それどこの部署に言ったの?」と返されるタテ割り行政とか、とりあえず識者を集める時間の無駄とか、直前までスーツだったのに記者会見を前にして、総理「防護服を持ってきて」というあざといわざとらしさとか、面白いものもあるけれど、風刺したいなら、別に、それだけで、つまり、そういう戯画化したシーンを見せれば十分ではないか。
が、本作では、<その上で>、また、「この国では~」とかいちいち誰かが台詞で言うのだ。これもしつこい。
いや、分かったよ、わかるよ。だって、それさっき見たって。
「難しくて分からないだろうな」とは言うが、わざわざ台詞で補足してくれているところも結構あって、中途半端に親切なのである。その半端な親切さが観客の理解を助けるという方向ではなく、「この国ではあの国ではうるせえ!!」って感じに作用している。自分は、筒井康隆なんかが好きなので社会風刺物はむしろ好物な方なのだが、こういう見せ方はぜんぜん、スマートではないように思う。
更に、後半の最終作戦までの会議やり取り部分は、もっと無駄なような気がする。
物語として分解したときに、小難しい専門用語でなんか凄いものを観た気にさせるないしは(本当はよく分からないが分からないというとバカだと思われるので)褒めておこう!という方向に感想を誘導させる効果しか持っていない。
というのは、2時間映画の構造基本には、
が組み込まれていることこそが、フィナーレのカタルシスを呼ぶ。
小・トラブルとは、物語の世界観を示したり、人物たちの関係性を深めるためにプロット上に用意される障害だが、「根本的に解決されねばならない」問題は別にある。物語として最後に乗り越えるための壁が大・トラブルである。まやかしの勝利、からの喪失とは、今まで向き合ってきた、そして倒して喜んでいた障害が単なる「小・トラブル」で、大・トラブルは別にあることに気付いてしまったり、大・トラブルを解決したないしはできそうだと一旦は歓喜するものの実は全然間違っていたり、
「シン・ゴジラ」の場合、自衛隊が次々に攻撃することが小・トラブル、そして米軍がやってきてダメージを与えられたように見えるのがまやかしの勝利のように見えるが、そうではない。っていうか見えるがって書いたが見えない。
だってあれ見て、誰も「米軍やってきたやったー勝てる」とは思わんだろう。
突き詰めると日本は最終的に日本が守らなきゃねって映画なんだしっていうのがなかったとしても、
根本的なプロット上の問題として、主人公矢口とそのチームが、比較的最初の方で、最終的解決方法にほとんど気が付いてしまっているのである。
ゴジラの動力源が核融合であること、そのために生まれる熱を放熱するために冷却が必要なこと、おそらく血液の循環が冷却として作用しているので、血液を固めてしまえば、ゴジラは活動を停止するのでは……
っていうのが主人公サイドから割と早めに示されてしまって当初は矢口プランとか呼ばれている以上、
「これが正解なのだな」
と思う。思ってしまう。
だから、どんなに自衛隊とか米軍とかミサイルとか出てこようが、それでやっつけられるわけはない。それだと主人公が出てきた意味がない。
これは我々に組み込まれてしまった、フィクション鑑賞時のルールである。
故に、制作者は、その予定調和的思い込みを覆さねばならない。むろん、米軍が出てきて解決しちゃいましたチャンチャンという方向でなく、だ。
というプロット構造に則って言えば、ゆえにこの、当初気付いた解決策は後半部で本来、「覆される」べきなのだ。主人公ないしは主人公サイドは、「解決策」を握り、幾つかの妨害や無理解そのほかに合いながらも、なんとか実行直前ないしは実行に漕ぎつける。やった!!というつかの間の悦びを得るが、そのうち、それが無意味・不正解、根本的解決ではないことを悟り、絶望に陥る。
で、
からの。この、「で、」からが、ラストに向けた助走なのである。
これが、例えば、当初は主人公たちは全然別の方法を思いついてしかし失敗、再度のなんとか成分がとか原子構造がとか動力源がとか分析のアイディアの出し合いにより、「血液固めればいいんじゃね」ということに気づく…とか、苦労してバトルして血液凝固剤注入したけど無駄でした⇒博士の残したデータの解析⇒凝固だけじゃ足りないのかもとか注入方法の工夫が足りないとか試行錯誤して最終決戦、
など少なくとも順番が入れ替わっていれば、
専門用語を並べ立てた応酬、会議会議、チーム内の協力…の配置が、物語に機能していると言えるし、純粋に映画としてのカタルシスと、内容を理解できる者にとっては、そうだったのか!と、謎解き的、知的カタルシスをも生む。
しかし最初に、後半の最終作戦までの部分は、もっと無駄、と書いたように、実際はそういう構造ではない。
主人公たちが序盤の方で気付いた最終解決策がほぼそのまま最終作戦なのだ。博士の残したデータの分析で抑制剤がプラスされはするが大方まあ正解なのだ。そしてちょっとやられたりはするが成功しちゃうのだ。
だったら後半部の、なんとか成分がとか原子構造がとかなんとか博士の分析が云々という難しげなやり取り、本当はいらないじゃん。だって序盤に示された正解が正解ということを補強しているだけである。
つまりほとんど、「米国が核爆弾落としちゃうかもヤバい!どうする!」という物語の都合上、(間に合わないかも!)という時間稼ぎに配置されているだけだが、そんなの、間に合うのは分かる。フィクション鑑賞時のルールとして。
ラストの作戦がショボい、という感想はちらほら見かけるが、本当は、作戦がショボいことがカタルシスを生んでいないのではない。ほぼ最初に示された正解通りのまま終わるから、あれ?となるんである。かつ、人物たちの早口の分析から判明していく真相に、なるほど、そういうことだったのか!という知的快楽も得られない。
以上の理由から、「難しいから子どもには面白くないかも~」と言っている人こそ、本当に理解しているのだろうか、煙に巻かれているだけじゃないの、という感じだが、
「小難しい」というだけで、煙に巻かれて何か凄いものを観た気になる一部の人間、ないしは、凄いものを観た、観客に媚びてない=芸術的=作品の価値が高い と「思いたがる」(言いたがる)(だってつまらないと言ったら理解できなかったと思われる、バカだと思われる)類いの鑑賞者にとっては、演出上の効果はあるのかもしれない。いや、あった。
けれど、
やれ家族の絆だ恋愛だお涙頂戴だ感動だの分かりやすい浅い作りにしなくても、クリエイターが作りたいものを大衆に媚びずに作っても、観客はちゃんと素晴らしいものを評価できることが~
みたいな、自分が一番「一般人」(こういう言い方をする映画マニア、てめえもただの一般人だろって感じだよなマジで)を馬鹿にしている上から目線の物言いで、無邪気にキャッキャッと、ハリウッドに勝ったとか邦画も捨てたもんじゃないとか喜んでいる場合だろうか。いまだに。
同時に、分かりやすいことは必ずしも、「浅い」ことを意味しない。
むしろ、近年、「マッド・マックス」とか、「ズートピア」のような、戯画化によって現在蔓延る社会問題の構造を鋭く炙った作品でありつつ、かつ、子どもでも純粋に楽しめるくらい映画として高いエンターテイメント性を持った作品が海外から出て話題を呼んだ中で、
まだ、大衆に媚びてないから一般人は難しくてついてけないだろうけど~チラッチラッ みたいなことを言ってはしゃいでいる段階って、それこそ完全に「敗北」だと思いますけどね。