はてなキーワード: 不正解とは
どこまで難読化すると読めないかという調査だから一番意味不明な文は日本語として有効でも不正解者が出ることは設計上目的上当然だと思うんだけどなんで日本語を解する人全てが例の調査において全ての問題に全問正解しなければならないような前提でものを考えてるの?
不正解は出るよ。どこまでを「望ましくないが、日本語として許容される程度の理解しづらさ」と定義し、どこまでを「多くの人が読めないと想定すべき」と置くかという議論が当然あるでしょ。その上で「許容される程度」を読ませてみて理解度をチェックすることができるわけでしょ。それをやってみた結果が予想より悪かったというのが例の調査じゃないの?
○と文字数が合っていない。
他はみんな○に1文字ずつ当てはめているのに、それを無視してスタートップだ。
しかし、○が1文字というルールは明示されていないので、一歩譲ってこれはよしとしよう。
「大正ロマンス」
「不」→「大」確かに字の形は似ているが、違う字ではないか。
他のブコメの中には「歪」と解釈しているものがあったが、これはよい(もし笑点なら、ずる賢い小遊三師匠あたりが出しそうな答えだ)。
みなが「一喜一憂」「一長一短」「一朝一夕」などと書いている中で、線を書き足して「一日千秋」「十人十色」と答えているようなものだ。
さらに、「大正ロマン」は聞いたことがあるが「大正ロマンス」という言葉は聞いたことが無い。
自分の無知を疑ってGoogle先生に聞いたら、やはり「もしかして 大正ロマン?」と、俺がバカにされた。
これらは大喜利として許されるのか。
クイズが得意なサイバーめがねの斉藤さん(難しいほうの字のサイトウ)のブログを見て、思い出した。
高校生クイズに当時参加していた。私も。
受験を控えているにもかかわらずクイズ同好会を結成。20人近くいた。めちゃくちゃ水津さんの本や西村さんの本で練習した。早押し機を購入した部員もいた。このおかげで模試の成績が急上昇して先生たちをびっくりさせていたのも事実だ。田舎の学校で全国で2桁が続出とかありえない順位だったらしい。すべてクイズ同好会員の仕業だった。クイズ効果はすごかったが、クイズに出そうな教科に限っての話だ。
超早朝というか深夜に足の踏み場もないほどの乗車率の臨時のクイズ列車に揺られて隣県まで行った。
駅から河原まで歩いて行ってクイズ大会に参加。1問目は正解。2問目は1問目ときに仲間が落としものをしてそれを探しに行って不正解。3問目以降はカメラの後ろから見ていた。そのあとの予選は35問くらい続いたけど全問正解だった。人生そんなものだ。
なんで、35問も続いたかというと、一番遠方から来ていたにもかかわらず、その県の参加チームが多かったからだろう。隣の県とそのさらに隣の県と開催県は、8問で決着がついていた。その県ども3倍の規模の県は35問やっても代表校が決まっていなかった。というか、8問で、1チームに絞れた県と8問で半分も残った県で何が違うのかよくわからないがそういうことだった。
さすがに最後は、福沢さんに指示を出していた彼よりえらい人が、もういい加減に〇と×に別れなさいとキレて決着をつけざるをえなくなり終幕。高校最後のクイズ大会は終わった。
テレビ画面の中では仕切っていた福沢さんは、カメラが回っているときしかしゃべらず、腰が低かった。それ以外のときは、雑な服装をした人がたちが仕切っていた。テレビの中の虚像に気づいたときだった。
帰りは臨時のクイズ列車もなく鈍行帰ることになった。前夜は午前3時に出発の列車に乗ったせいでほぼ寝ていなかった。オリンピックのころに作られたボロ電車の中で寝てしまった。隣の席のおねいさん、おっぱいにもたれかかって寝てしまいごめんなさいでした。終点まで支えてくれたのは何でですか。
別にその欲求自体は誰しもが持ってるものだからその欲求を否定するのは馬鹿すぎる発言だぞ。
言い換えれば「子孫繁栄のため伴侶を見つけて子どもを作り次世代を作り社会を継続させたい」という欲求だぞ。
それが平均以上であることは既婚率が下がりに下がりきった先進国では当たり前だけど、
でもそれは万民に認められなければ社会は成り立っていかないからみんな悩んでるんだろ。
これを高望みすんなで一蹴するってことは即ち、今社会を構成するネイティブの継続を諦めて、
土人レベルの移民を受け入れて既存の文化を破壊していかないといけないってことだぞ。
それも不正解だからこそやっぱりネイティブの出生率をどうあげよっかって課題に戻ってるし
ログインしようと思ったら、スパム防止のために、イカの質問に答えろというので、質問に答えた。ちなみに、イカの足を2桁の数字で答えるように言われたが、イカの足は8本で、2本は腕である。10本ではないが、仕方なく10本と記入した。それと、海のギャングと呼ばれる魚は何だ?と問われてシャチと答えてしまったのだが、不正解と出た。確かに魚じゃないよな。魚なら答えは何なんだ。Wikipediaによると、海のギャングはうつぼやサメなど12種類もあったぞ。それに、海のギャングなんて人によって解釈はそれぞれだ。子供の頃から思っていることがある。テストの答えは一つじゃないんだ。なのに、一つを求めてくる。そのジレンマを先生に言ったら、質問者の意図を汲んで答えろと言われた。あー、めんどくさい。で、海のギャングと呼ばれる魚は何なんだ?
https://www.youtube.com/watch?v=iKcWu0tsiZM
動画”Modern Educayshun”の大まかな日本語訳
※数学の授業という設定。
先生「ようこそ」
白い箱がガタッ
男性「2?」
サイモン「多文化主義(multiculturalism)です」
先生「その通り。よく出来ました」
男性「9?」
ペネロピィ「男女平等(gender equality)です」
先生「よく出来ました」
まぬけ君(サンシャイン)「そうだ!」
先生「さてみなさん、宿題のレポートをみんなやってくれたと思います。そして、最高得点の人には、ニューヨークの世界数学サミットで発表してもらいます」
先生「ペネロピィ。よく出来ました。60点(6/10点)です」
サイモン「おい。気をつけろよ。お前、ペネロピィのこと10秒も見つめてただろ」
男性「は?」
サイモン「女性を15秒以上“ストレート”(連続)で見つめたらセクハラだろ! で、僕が“ストレート”っていうのは連続って意味で、“伝統的じゃない”性的趣向の人を批判してるわけじゃないからな! で、僕が“伝統的じゃない”って言うのは、別に歴史的に“普通”となったことに反対する人たちを批判しているわけじゃ・・・」
男性「わかったわかった」
男性「私はフォーリエ変換を電気数学的手法の中に用いて患者の電気回路を分析し、心臓発作を経験したことがある人のリスクを計算しました。全く新しい手法ですが、これで数千人規模の命を救える可能性があります」
先生「はーっ」(ため息)(レポートを投げて戻す)「70点ね」
男性「は?!」
ペネロピィ「なぜあなたは一つの色にこだわって全てを蔑むの? 人間っていうのは虹色の美と霊性でしょう?」
サンシャイン「そうだ~」
男性「わかったよ。70点でいいよ。だけど、70点でも俺が最高得点だ。サミットに行くのが俺だろ?」
先生「まだ採点は終わっていないわ。さて、私達は“平等”の社会に生きています。ですから、全員の特典を合計して、それを生徒全員で“平等”に分割します」
(ホワイトボード 6+6+1+7=20 20÷4=5)
先生「みなさんよくできました。これで“平等”ですね。これでみんな“平均”です」
サンシャイン「やった~!」
ペネロピィ「まだ“特権ポイント”を加算してないでしょうが! 何も知らないのね」
先生「さて、ペネロピィ。あなたは女性だから、+1特権ポイントね。だけど白人だからそれは-1ポイント」
先生「じゃあ+1ポイント、ということは、合計で60点ね(平均点50+10点)」
先生「サイモン、残念ながらあなたは性的には“ストレート”だし、白人、そして男性だわ」
ペネロピィ「それに“シスジェンダー”よ」(※シスジェンダーとは、生まれつきの身体的、生物学的性別と、自分の性自認が同じこと。あたりめーだ)
先生「そうね。だから-4特権ポイントね。だからあなたは10点(平均50―40点)」
先生「さて、あなた(男性)。あなたは男性で、それにアンタのことは嫌いだわ。だから-2特権ポイントね。だけどあなたは白人じゃないし、ゲイっぽい(直訳:性的に曖昧)から、+2特権ポイントね。だから合計得点は50点ね(平均50-20+20)」
サンシャイン「あー、ボクはゲイだし、トランスジェンダーだし、アジア人だし、デブだし、貧乏だし、頭は悪いし、ブスだし、乳首に毛が生えてるし、体臭はやばいし、ちゃんと走れないし、それに自分で靴ひもも結べないんだ。それに、一回、鳩が死ぬところを見ちゃったんだよね」
先生「サンシャイン、素晴らしいわ。+130特権ポイントよ! 合計、180点だわ!(50+130)よく出来ました。ニューヨークのサミットに行くのはあなたです!」
サイモン「お前ならやれると思ってたよ!」
紙を取り上げる
男性「このレポートなんだよ。“びょうどう”って文字とハートが書いてあるだけじゃないか! 1枚しか書いてないし!」
男性「“びょうどう”のスペルも間違ってるじゃないか!(ekwaLity)
ペネロピィ「あなたは数学や科学みたいな“事実”は得意かもしれないけど、“感情”はどうなの?!」
サンシャイン「そうだ!」
男性「こんなの間違ってる! お前らみんな狂ってる!」
ペネロピィ「傷つけられない権利は意見を言う権利より重要よ! それに、あなたが言葉で私達を侮辱するのをやめなければ、正当防衛であなたを攻撃するわ」
サイモン「許されるんだな」
サンシャイン「そうだ!」
男性「狂ってる」
ペネロピィ「死ぬ用意はいい?社会的正義は勝つということを覚えておきなさい。死ね!」
箱が動く。
(END)
僕も高校時代言葉が流行ったのもあるけどKYってめちゃくちゃ言われて増田さんのような状態だったからすごく気持ちわかるよ
でも大学に行ったらあんまりそんなこと言われなくなって目から鱗だったことある
僕が言うには、増田さん自身の本質は何も変わることはない。文章から真面目さがにじみ出ててきっといい人なんだろうなと思ったよ。増田さんがフラッシュバックを起こさないためには、もちろんお医者さんを頼りにしつつ、思うまま発言しても大丈夫だった成功体験の母数の数増しが大事なんじゃないかなと思う。注意される数は1回でも、10回の発言のうち1回と、10000回の発言のうちの1回じゃ、重みやインパクト違ってくるからさ。
・職場がコミュ力が高い年上の女性ばかりで、KYでも別に怒られることがなかったので心理的安全性の中で仕事できた
・お酒が好きだったので飲み会によく顔を出した。注意されたとしてもお酒の場だし…とかみんな覚えてないし…とか免罪符が多く気にしなくなった あと夜の世界の人は僕みたいなKYの人をたしなめるのがめちゃくちゃうまい
・自分の集団での立ち位置の設定ミスがあった(昔はバンバン回す司会者みたいな人になりたかった)ので訂正した。もうKY部分は治らないのでいじられるようにシフトチェンジした。何かしらKYだと注意されてもえへへへとふざけられるようになった。
こんなことをしていたら、以前だったらマジのトーンの注意ばかりで夜中布団の中で思い出しては奇声をあげるレベルだったのが、ま、しょうがないかと流せるようになった。あと以前だったら注意されてたレベルの発言が許されるようになり、「あ、自分大丈夫じゃん」と思えるようになってきた
例に挙げてくれた女性のlineの件だけど、もし自分がいつも一緒にいるような人たちのグループラインで増田さんみたいな返しがあっても「真面目か!」とかレスがついてゲラゲラ笑って終わってたと思うけどなあ。あとそういう自虐発言した女性もたしなめられてたと思う(返事しづらいこと言うなよ〜とか)
僕はとにかく高校時代生きづらかったので、なんとか生きやすい方法を模索してここまできた。ハタからみたらヘラヘラして情けない大人に映るかもしれないけど、高校の頃のあの常に人の顔色を伺って、自分の発言が正解か不正解かビクビクしていたころよりかははるかに生きやすいよ。
まずこれらを学ぶ機会がない。
どうやら世では、学校やバイト、会社で自然と学べると思われているらしい。
馴染めない、排他的な集団で培った価値観はおよそ何年もかけて歪みつづけて不格好だ。
どうせあなた達一人一人は今までの人生で2〜3000人ぐらいしか関わっていないくせに。
これだけたくさんの人がいる中で、たったそれだけの人の中で醸成された価値観を、「普通」だとか、「常識」だとか言う人がいる。
「普通」とはそんなに簡単に手に入るものなの?そもそも、「普通」にしがみついて、楽しいの?
私はあなたに、「普通」とかいう「普通じゃない」価値観に縛られないで生きて欲しい。
それで多少生きやすくなったら、私は嬉しい。
http://anond.hatelabo.jp/20170602214735
これの元増田です。すごい伸びてる。
世間の結婚圧力といえば、よくある「なんかよくわかんねーけど結婚しないと不幸になるぞ、多分な〜!」みたいな、漠然とした不安を煽ってくる人達が苦手なんだなぁと思った。
未来のことなんて誰もわからない、正解か不正解かわからないことに対して、「どうせ後悔するぞw」みたいな言葉は卑怯だと思う。
なぜなら誰も「確実に後悔しない」と断言できないから。不確実な未来の不安を煽って論破した気になるのは、不安を煽ってものを売りつける商法と同じ。
とはいえ、そんなことを言われるとつい動揺してしまうけど、じゃあ具体的に何が不安なの?って考えた時に、その答えとして書いたのが元エントリ。同じ所をグルグルしないためのただのメモ。
ちなみに私は元から恋愛結婚は否定してない。「絶対に結婚なんてしない!」という意思を固めた訳でもない。損得関係なしに好きになれたら、普通に結婚すればいいと思う。しなくてもいい。扶養控除いらないなら事実婚でもいい。変な強迫観念がなくなって、今はそのくらいのノリに落ち着いた。
"今は良いだろうけど、アラフォーになると友達はみんな家庭に入って疎遠になるよ"
というブコメが多かったからコメントしてみる。実感として周りに非婚は増えてるし、今の友人全員100%が結婚するとは全く思わないけど、自由に動ける友達が減るのは確実なのは知ってる。だからこそ「独身の友達を探せるようなコミュニティがあれば〜」と元増田に書いたんだけど、分かりにくかったか。
今の友人で人脈をクローズさせることは考えてないし所属コミュニティは常に複数持ってるから、新しい友達はすぐ作れると前向きに思ってるよ。一芸あれば友達作りは更に容易になる。インターネットさまさまですね。
「それでは後攻、マスダさん。問題をどうぞ」
あらかじめ出そうと思っていたものを取りやめ、俺は急遽テキトーな問題を出すことにした。
我ながら雑な出題である。
No.1を謳う映画なんて、解釈次第ではいくつも候補があるからだ。
だが、その中でも巷で最も話題になった映画ならば、自ずと選択肢は絞られる。
簡単度はほどほどには行くだろうし、タイナイは間違えるか解答に時間がかかる可能性が高い。
「え~と、『オ・ド・ラント』?」
「マスダさん、いかがですか?」
「そうだなあ、じゃあ不正解で」
「『じゃあ』ってなに!?」
「あ、正解は『複雑な社会問題の詰め合わせ。ノンフィクションに基づく我が半生』ね」
遊びの域を出ないが、このライト・クイズにはこういった戦術もある。
出題者の裁量で、割とアバウトな正解でも構わないのだ。
当然、そんなことをすれば観客や審査員に支持されず簡単度は下がるので、基本的にはやらないほうがいいのだが。
「解答までにかかった時間5秒。不正解ペナルティ。そして簡単度は40。計75点のマイナスとなります」
それでも、タイナイよりはマシな点数にできるわけだ。
それに、あまりにも良質な問題を出すと次の相手の番や、更には他の対戦者たちも真似してくる可能性がある。
あえて雑な問題を出し、手の内を見せすぎないことも戦術なのだ。
まあ、試合前のタイナイの不敵な笑みが癪だったので、ちょっとした意趣返しもあるが。
だが、俺は最初のリードを奪えないことを思い知らせるため、タイナイを真似るように同じレベルの問題を出してみせる。
後攻はこういった風に傾向を探れるし、先攻有利を防ぐために持ち点も高めに設定されているから、俺からすればむしろ好都合だったりする。
こうして数週するとタイナイの持ち点が先に尽き、俺の勝利となった。
「デス・ゲーム、ギャンブルものの主人公みたいにはいかないか……」
タイナイが悔しそうにそう呟く。
そういうのは機転と運に恵まれていることは勿論、ルールをちゃんと把握しているからこそ出来ることだろう。
2回戦。
またも知り合いで、この番組の規模の小ささに他人事ながら不安になる。
「マスダ、生憎だが僕には勝てないよ。このゲームの必勝法に気づいたからね」
タイナイは相対すると俺にそう言い放つ。
どうやら何か秘策があるようだ。
だが、それを2回戦で、しかも対戦相手にわざわざ言うメリットがあるのだろうか。
「それではマスダさん。解答をどうぞ」
会場がざわつく。
タイナイはそれでも得意気といった様子だ。
俺はなるほどと思いつつも、緩む頬を手で覆い隠す。
考えれば分かる問題だが俺はそんな気はさらさらなく、解答タイムが始まるとすぐさまデタラメな解答をする。
このゲームにおいて、分からない問題を解くことに時間を割くほどリスキーなことはないからだ。
「分かりません」
「残念、不正解!」
タイナイの戦法は読めた。
つまり簡単度による減点は捨てて、難しい問題を出すことで不正解のペナルティを狙ったのだ。
仮に答えられるにしても、考える時間がかかるものにすることで減点を大きくできるというわけだ。
タイナイはどうだと言わんばかりに、俺に不敵な笑みを浮かべる。
どうやら、これがタイナイの秘策だったらしい。
「解答までにかかった時間1秒。不正解ペナルティ。そして簡単度は5で、計40点のマイナスとなります」
「……え、減点それだけ?」
解答による減点はペナルティを加味しても、簡単度より低めに設定されている。
今回の俺のように不正解覚悟ですぐさま答えれば、このとおり減点は大したことない。
つまり難しい問題を出して不正解を狙うというタイナイの戦法は悪手なのだ。
まあ、このゲームのコンセプトは「簡単な問題を出し合うこと」であるのだから当然の話だが。
ルールをちゃんと把握していれば、タイナイのような発想は絶対にしない。
裏をかきたければ、表が何かってことをちゃんと知っておかなければならないのだ。
確かに大会前にカーボローディングするけど、普段はタンパク質中心とか聞かないな。バランスのいい食事を三食ってのが普遍だぞ。ターザンでも最近はタンパク質中心とか言わないぞ。
マラソン走ってライザップみたいな身体にしたいならしても良いけど、あの身体じゃ長距離無理だわ。
どうしても炭水化物を悪者にして、とことん摂取させたくないみたいだけど、どんなスポーツでもダイエットでも炭水化物は必要だし、気にするのはカロリーだから。
まったく摂らないんじゃなくて、量を2/3にするとかそういうのじゃ駄目なのかな?なんか糖質制限の本書いてる人たちみたい。炭水化物食べたら血糖値爆上げとかどう見ても不健康でしょ。
増田の子孫にも等しくその価値が認められるかと問われるとそんな保証はどこにもないわけ
お前に価値があって世界がお前に対してその価値を保証するのは当たり前の構図だけど
お前の子どもだからという理由だけでお前の価値を移譲できるかと言えばそんな理屈はないの
なのにそれがまかり通ってるのは世界経済を牛耳ってるロスチャイルド家そのものが血の繋がりで価値を移譲してきてるからであり
社会主義経済が破たんしたのもその移譲行為に対するアンチテーゼだったはずなのに
つまり移譲行為自体が不幸の元凶だけどそれを消すための経済システムはまだ誰も構築できてないの
不正解同士でもさすがに優劣つけれるから一番優れた不正解が資本主義社会なの
なので資本主義社会に対して文句いうこと自体は何もおかしくないの
その反対意見として社会主義・共産主義経済を持ってくるのがおかしいの
自民党の代わりに政治を運用できる野党が皆無なのに共産党や民主党を推してるくらいバカなの
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170511170337
上記記事のコメント欄を見て何度めかわからないけれど「左翼的な言説の限界と言うか気持ち悪さというかなんかもやもやするもの」についてのメモ。
初めに断っておくと、自分個人は穏健な左翼的な人間だと思ってる。この辺曖昧なのは「それそのものの人」に「お前なんかニセモノだ、死ね!」と棍棒で叩かれるのが怖いからであって、内心ではちゃんと穏当左翼だよ悪いスライムじゃないよぷるぷる、と思ってる。再配分はした方がいいと思うし、生活保護の捕捉率は上げたほうがいいと思ってるし、戦争はしないほうがいいと思ってるし、言論や思想の自由は大事だと思ってる。
でも、一方で、それは「俺という個人がそう願ってる」であるとも思っている。
ただ単純に「俺という個人がそういう政治的思想で、つまりは、そういう好みで、そうなればいいなあ、そうしたいなあ」と思っているという意味だ。
でも、政治的な記事へのはてブのコメントを見たり、世の左翼的な言説をするひとの発言を読んだりしていると、割と頻繁にどうしようもない違和感を感じる。
たとえば「再分配しないと社会が歪むでしょ」「再分配しないと治安が悪化するでしょ」「再分配しないと経済が伸びないでしょ」みたいな種類のコメントだ。
それらって、まず第一に、本当に本当なんだろうか?
例えば、社会が歪んだ結果、カタスロフ的なことが起きて世界が滅亡する――というような想定がなされているのであるならば、全人類が私欲を捨てて力を結集するというのにはインセンティブがあるのは明らかだ。しかし、想像だけど「社会が歪むでしょ」といったときの「歪む」って、そういうレベルの大災害を想定していない気がする。
そして第二に、だとすると、それって主観マターなんじゃないだろうか? つまり、歪んでいると感じない人(例えば富裕層)が存在する程度の「歪み」なんではないだろうか?
「治安が悪化するでしょ」「経済が伸びないでしょ」もそうだ。程度の問題で主観マターになってしまう気がする。
ここ2000年くらいの歴史を見ても、相対的に評価すれば、いまは全地球的に豊かで幸福な時代だと思う。歴史上最も格差が広がっているこの時代に、最も幸福なのだとすれば、格差が人を不幸にしているというのは、どういう説得力をもっているんだろう?
最初に言ったように、俺個人は再配分政策に賛成だ。もう少し弱者のケアをしたい。だから、そういう歪みや経済悪化を感じる主観があるってことそのものは、別に問題だとは思わない。ただ、でもそれは「俺はそう感じているんだよ!」でしかないので、他者を説得するに足るものではない。
違和感を感じるのはそこで、はてサであるいは左翼言説でよく見られる「~(は自明)でしょ」「そうすべきなのは明らかでしょ」「それが正解でしょ」という態度だ。
その発言を行った時点で「説得できた」と思っているような態度と言い換えてもよい。
左翼の人たちは、なんだか、「正しさ」に過剰な自信を抱いているようにみえる。「正しい(と自分自身で思っている)結論」を呟けば、それで話は終わるというような、その発言にあるような未来がやってこないのは、政府の/権力者の/資産家の陰謀であるとか、衆愚が正しさを理解しないからであるとか、なんだかそういうニュアンスを感じる。
俺個人は、どうしてもそこで安心して話が終わったという気持ちになれない。
俺が左翼っぽい、福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っているのは、純然に俺の好みでしか無いと思うし、そんな好み程度の発言で誰かを説得できるとも思わない。
日本の社会の歪みについては、歴史的に見ても、今ある歪みを直せば別の種類の歪みが出てくると思う。それは福祉をケアするという変更ですらそうだと思っている。この歪みとあの歪みのどっちがいいかっていうのは、まだそれを実行してないので選べないけれど、「歪みのない完璧社会が来る」なんて思えない。「いまよりましなのはこっちなんじゃないかなあ、好み的な判断だけど」くらいしかいえない。
治安の悪化については、うん、格差が広がると治安は悪化すると思う。でもそれを前提とすると、日本は世界的に見て治安がトップクラスに高いので、まだまだ格差はちいさくて、この先格差をどかーんと広げる余地があるっていう結論になってしまうんじゃなかろうか?
経済の発展については、最低賃金は上げたほうがいいと思う。でも、資産家からお金没収してそれをやるなんてやったら、それこそ経済ぶっ壊れると思う。私有財産権という、民主主義が旺盛や封建制から血みどろで奪った権利を「俺の好み」程度で犯すのは、到底「正義」だとは思わない。
何度も言うけれど、俺個人は福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っている。けれど、それはただ単に俺の政治思想的な好みの問題であって、「俺が正義で唯一正しい結論を言えるから」ではない。当然他の好みの人もたくさんいるのだ。自由主義とグローバリズムは、地球規模で見れば多くの人を救ったと言われれば、そうなんだと思う。俺個人は、そっちの思想の人を「お前は不正解」と断罪できるほどの「正しさ」をもっていない。
さまざまな政治信条の人が暮らす社会で自分の願いの方向に動かすのは、粘り強い議論とか、空気の醸成とか、そして選挙とかを経なければならないのだ考える。
仮にそっち方向に社会が進み始めたとしても、その後やってくるのは、プロジェクトを立ち上げた時に出てくるような、うんざりするほどの運営トラブルと制度バグと、それを一個一個デバッグしてアップデートしていくクソ長い時間だと思っている。
なので、「左翼的な決断が正義でしょ/当たり前でしょ/そうしないと社会滅びるでしょ」みたいな「正解を言ったんだからわかれよ」みたいなコメントを読むとものすごい違和感を感じるし、日本の左翼的な思想の限界ってここ――つまり「俺たちは正しいのでそうならないお前らが悪い」という、政治的対話や妥協を拒否する、傲慢な怠惰さなんじゃないかと思う。
今よりもっと良い社会がほしいのなら、今よりもっと対話のテーブルで汗をかく必要があるんじゃなかろうか。多くの人たちに自分たちの主張を「好き」になってもらえるように。