はてなキーワード: メインストリームとは
元SMAPの人たちに対して「大人の色気たっぷり」とかいう表現が使われていることに違和感を覚えた。
40歳を過ぎた人にとって「大人の」っていうワードがほめ言葉になるって変じゃないか? いや確かに大人ではあるけども、社会的には20歳、精神的にもだいたい25歳過ぎたらその後はずっと大人じゃん。てことは40代の人に対して「成人後の色気たっぷり」と表現してるようなもので、それって誉めるどころか逆に「色気については成人しているという以外に特筆すべき点がない」って言ってるみたいで悲しくなる。
じゃあなんて表現するのがいいのか考えたんだけど、昨今の40代は熟年って感じもしないしSMAPは渋いって感じでもないし、勿論かといって若いわけでもないし、うーんまあそうだなー🤔 経年感出してみる? エイジング感? エイジングの類語をひいてみたらやっぱり「熟成」って出てきたけど古くさいイメージにはしたくないんだよね。日本のエンタメとかカルチャーのメインストリームにいるのは21〜32歳くらいだと思うからその世代との断絶はしたくない。だから「枯れた」でもないし、そうだなー「深みがある」とか「重厚な」とか「余裕のある」とかかなあ🤔
まあとにかく、若くない人たちの容姿を「大人の」なんてお茶を濁すことなく、かと言って老人扱いもしない表現がもっと増えるといい。いい歳した女性に対して「大人かわいい」とかいうのもやや気持ち悪く感じるので、なんかないのかね、他のいい言い回しが。
オンラインゲーム「マビノギ」に久しぶりに復帰した。私がこのゲームに出会ったのは今から11年も前。マビノギ4周年の頃だったと思う。初めてティルコネイルに降り立った時の高揚感が懐かしい。
久しぶりに復帰したと書いたがメインストリームの進行具合から行くと「マクベス」の途中で止まっていた。もっとも、ガッツリプレイしていたのはシェイクスピア実装前くらいまでで、それからは時々覗いていた程度である。この頃からペットにしても、ストーリーにしても「世界観どうなってるんだ」と思うことが多くなり徐々に心が離れてしまったのである。G1〜G3のリニューアル、エルフとジャイアントの物語の廃止があったのもこの頃だったろうか。私はトリアナサーバーだったが、ルエリに統合になったのもマイナス点だった。要は大きくマビノギが変更されたあたりからやる気が失せてしまったのだ。
さて久しぶりのマビノギ、あまりに要素が多くなってしまった。スキルも増え、クエストも溜まっている。驚いたのはキャラの成長があまりに早いことだ。つまり昔に比べて育成しやすいようなボーナスが増えたのである。数字ランクまでは1時間もあれば余裕。あっという間に1ランクだ。苦労して集めたAPも湯水の如く降ってくる。時間をかけて育成するのはもはや時代遅れなのだろうか。
昔は良かったなどと軽々しく言いたくはないが、やはり私は始めた頃のマビノギの雰囲気が好きだった。ギルドに入り、皆でダンジョンを攻略したり、駄弁ったり、スキル上げをしたり……。メインストリームもやはり初期のドキドキ感に欠ける。物価は上がりすぎているし、スキルは複雑さを増してしまった。そういえば、ムーンゲート、マナトンネルの仕様変更も設定からいくと矛盾しているといえる。便利にはなったが、やはり設定を大事にしてもらいたかった。
ここまで批判的なことを書いてしまったが、今のマビノギが嫌いなわけではない。久しぶりのプレイであったが、やはりマビノギは面白かった。色々変わってしまったし、放置要素も増え、ある種流行りのゲームに寄せている感は拭えないがこれほどまで完成度の高いゲームはそれほどない。昔のようにバイトをしたり、釣りをしたりとまったりプレイするのもまだまだ可能である。生活系スキルを上げるのは昔よりは楽になったとはいえやはり手間だ。新しく追加されたストーリーもなんだかんだ面白味はある。最近私はメインストリームを進めながら、タルティーン農場での作物栽培を楽しんでいる。
そうそう、この間メインストリームを進めるにあたってどうしても1人じゃできないミッションがあり野良パーティーを募集した。何もかも変わってしまったし、自分自身浦島太郎でマビの慣習がどうなったのか分からず心配だったが手伝ってくれた方のノリというかチャットの仕方は10年前とほぼ同じだった。恐らく昔からやっている方だろう。ゲームの仕様は変わっても、人は変わらないんだなと実感した。
フレンド欄は真っ赤であるし、今後昔のようにギルドに入ることもないだろうがまたまったりエリンでの暮らしを楽しみたいと思う。もちろん現実世界の生活とバランスを考えて。
レス職人、AA職人、フラッシュ職人さんたちがいなくなってYoutuberさんになったのかな。
面白くて博学でクリエイティブな人たちがみんなが掛け合いで面白いことして話題になって流行になって、みたいなのはなくなったよね。
アプリとかWEBサイトとかも超便利超すごいこんなの無料でほんとにいいの?みたいなのが減って
広告・広告・広告、そして広告、炎上してもPVがとれれば勝ち、コピペだまとめだ、個人情報集め、ねずみ講、ウイルスまがい、
情弱から1円ずつ集めて大金持ち、ガチャに課金で大儲け、みたいなつまらないもので埋め尽くされてしまったね。
インターネットの中心は今は中国らへんにあるのかな。日本の人たちはインターネットから離れて行ってるような感じがするよ。
GoogleやAmazonはもちろん道具として使うけど、それだけになってきた感じ。
敢えて当てはめるならたぶん田中ロミオがいちばん近いだろうけど、
そのロミオも異端とは言わないまでもエロゲのメインストリームにいる作家ではないわけで。
というか新海誠自身がゲーム文脈の人間ではあっても決してエロゲ文脈の人間では無いんだよな。
確かに終盤の飛躍は泣きゲーっぽいと言えなくもないだろうけど、
そもそも「セカイ系」をエロゲを通して説明しようというのが謎で、
一部では『AIR』だとかをセカイ系とみなすこともあるみたいだけど、
いわゆる「三大セカイ系」のチョイスからしてもエロゲは傍流にすぎないでしょうよ。
はいこちら18歳。初めて投票に行きましたがいろいろ思うところあるので書きます。前半が元記事へのアンサーで後半はポエム
5%から8%になった日に部活の先輩たちとコンビニでウワーッて言い合ったんですが1割ですよ1割
2.年金はどうでもいい
貰えないのはわかりきってるけど私たちに結構な額請求くるんですがそれは。滞納すると差し押さえるぞみたいな手紙くるらしいよ
3.まとめブログの影響
これ今回の選挙で思ったんだけど投票先選ぶのに政党マッチングはおろか候補者とか政党の公式ページで政策確認せずに雰囲気で選んでいる人がほとんどっぽくてそうなんだーって思いました。あと政策選んでくとマッチ度が出てくる系のサイト党によっては部分的に回答してなかったり△になってたりして雑なので必ず個別になってる表見たほうがいいと思った。当落予想みて一票の力を上げるやつは期日前行った後に知った
6.維新も怖い
そうだね
そうなんだ
あとれいわの障害者の人の記事読んで知ったけど障害者も被虐待児とおなじで法もシステムも穴だらけのガッスガッスで例外に対応できていないんだね
私は反出生主義だけど生まれてきた子供には社会が最大限サポートを施していくべきだと思うんだけど。子供は作るものじゃなくて出来ちゃうものだよ
貧富の格差がどんどん広がる、物価は上がっているのに給料は上がんなくて生活が苦しいというのは日本だけじゃなくて資本主義を採用してる先進国(?)の宿命っぽいところがある。歴史を学べばわかるように一つの体制、一つの仕組みをずっと続けていればだんだん行き詰まってきてガタガタになってくる。資本主義と民主主義という枠組みは当分変わらないだろうけど(加速主義はネタだし大澤真幸も言っているように「資本主義が終わった後の世界を私たちは“構想”することが出来ていない」)なんらかの修正をしなければ貧困層がどんどん多くなって今のアメリカみたいなことになるし私たちが定年(一体何歳になるんだ?)を迎える頃には一体どんな社会に成り果てているのか楽しみで仕方がない
確かに投票先を選ぶのは難しい、議会運営やドント式の計算法は義務教育で習うとはいえ党、候補者の政策や実績などを自分で見に行って正解があるわけでも正しい解法があるわけでもない"投票"をするという行為はさながらSFCの小論レベルですらある
おそらくメインストリームで特に苦は感じないような生活をしてる大部分の人にとって別に戦争が起こるわけでもない政治というのはどうでもいいしまとめサイトを見て判断するレベルの重要度なのかもしれない。しかしながら今この日本ではセーフティーネットから転げ落ちた人や虐待される子供達、働いてもまともに生活ができない人などの弱者が増えている。これらは個々の事例ではなく大きな流れだということは社会学を見るとわかるがこれにシステムで対応していくために政策を打つことが必要で弱者にとっては文字通りの生きるか死ぬかの話になってくる。れいわ新選組とかいう自殺者が増えてる生きづらい社会を生きてるだけでいいんだという社会にしますという健康で文化的な最低限度の生活の10歩手前ポエムを掲げる政党が何億も寄付金もらって2議席とるような社会に生まれて本当に悲しい
やっぱ俺らボンボン派は少数派だったんやな、って…
おかしいと思ってた。
ニコニコ動画とかYoutubeとかでアニメメダロットのOP見てるとスゴイ再生数やコメント数に思えるんだけど、それは井の中の蛙だった。
ほとんどの人にとって、アニメメダロットは子供の時に見たことあるアニメで、
弐Coreがプレミアついて高かったのも、求めているマニアが多いだけでみんなが欲しがっているわけではなく、
俺がいくら「やっぱ藤岡がデザインしたメダロットが~」「かみちデザインのメダロットは結構ほるま意識~」とかいっても、
みんなの心の中にあるのはメタビーとイッキと、イッキの仲間たちとそのパートナーメダロットぐらいで、
俺が2でトラウマになるぐらい戦わされたアビスグレーターも良いとこで「なんかロボトル大会にそれ使うやついたよね」ぐらいなんだ…。
今までポケモンとか、艦これだとか、アイマスだとか、ラブライブだとか、いわゆる「オタクのメインストリーム」に近い所を通ってきた時に、「みんなしっている安心感」ってのがあった。ただ突っ走っても周りがついてきてくれた。周りに人がいた。
増田の言うことは非常に理解できる、非常に理解できるのだが現実とは何とも面白いものなのだ。
Youtubeで「VLOG」と検索してみるとなかなか興味深い現実を見せ付けられることになる。
Youtubeで「VLOG」と検索すると多くの素人がカメラ専用機を使って低クオリティな動画を量産しているのだ。
ただ、低クオリティと言っても「カメラ専用機を使っていると考えれば低クオリティ」という意味であって、画質的なクオリティではカメラ専用機を使っていることもあって当然ながらiPhoneよりも上だ。
Instagramでもそうだ。キレイだなと思ったら撮影はカメラ専用機で行われている。しかも明らかにプロではない素人がだ。
「それはそういう趣味の人」と言われたらそれまでだが「そういう趣味の人が日常的に視界へ入るようになっている変化がカメラ撮影文化において非常に重要である」と考えている。
再三言うが、今回のエントリはカメラ専用機がメインストリームを獲るという話ではない。ましてや将来的に誰しもがカメラ専用機で動画を撮影するようになるという話でもない。
話の流れ上SONY信者のようになってしまうが、SONYのデジタル手ブレ補正「インテリジェントアクティブ」はまるでジンバルを使っているかのような補正精度を持つので試して頂きたい(ただし1080pになるがこの制限も時間の問題だろう)。
このインテリジェントアクティブもカメラ専用機からスマホXperiaへ技術転用されているのも注目すべきこと。
三脚が要らなくなって来ており、その証明に観光地を歩くと三脚ではなく一脚を手に持つユーザーが数多く居る上に、むしろカメラ専用機ユーザーの大半が一脚すら持たないという運用をしている。
少し前まではカメラ専用機、特にデジタル一眼では三脚は必須のような感覚があったが、いつの間にか三脚ユーザーが少数派になってしまった。
ところで、勘違いなのか?と一応は強調しておきたいのだが、今回のエントリではデジタル一眼だけでなくコンパクトデジタルカメラでの動画撮影も加味している。
デジタル一眼が重いというのは確かであるが、たいていは首から下げているか手に持っているので意外と面倒臭さは感じない。コンパクトデジタルカメラであれば尚更。
ただし、世の中には常にスマホを手に持っているようなユーザーも居るので、こういったユーザーがカメラ専用機での撮影に面倒臭さを感じるのはどうしようもない問題ではあると思う。
iPhone 3GSが日本で発売されて以降、カメラ市場(特にコンパクトカメラ市場)はスマートフォンに搭載されるカメラに苦戦を強いられてきたという現実がある。
ただ実は昨今、スマホカメラからカメラ専用機へ回帰するユーザーが徐々に増えているのをご存知だろうか。
スマホカメラの利点と言えば誰しもが想像するであろう「1つのデバイスで撮影から編集、そして他のユーザへシェアすることの出来る総合力」が挙げられる。
いわゆる"写メ"に代表されるガラケーの頃から培われたこのソリューションは、ライトにカメラ撮影を楽しむユーザーを多く取り込み、市場を(現在も)席巻しているというのは常識的であると表現しても過言ではない。
スマホ登場以降のカメラメーカーの誤りを挙げるのであれば「ユーザーは画質をシェアしているのではなく思い出をシェアしているのだ」という現実を見ず、スマホよりも高画質であることを喧伝することへ終始してしまっていた。
この流れが変わるのは奇しくもカメラメーカーの努力のみではなく、ユーザーの需要の形態に変化が起きたからであった。
何を切っ掛けにユーザーの需要は変化したのか?と言えば、それは"Youtube"や"SNS"へのシェアだ。
Youtubeへ動画を投稿するユーザーが増え、様々な環境や目的でのカメラ撮影を考えたとき「スマホカメラでは性能不十分である」という気付きがユーザーの中で起きた。
明るい環境でも暗い環境でも何が起きているのかを伝えたい、小さなグッズをより良く見せたい、より画角を自由にコントロールしたい、そんな需要から明るいレンズやマクロ、広角に対応できるカメラ専用機に需要が起きたのだ。
更にこれまたiPhoneが示したポートレートモードに代表される美しいボケ味を常に得たいという需要も起きた。
スマホカメラは間違いなく進化している。より手軽により美しくより幅広い表現力を少し前のスマホと比較しても得ている。
しかしながら"一歩先"を意識したユーザーがカメラ専用機へ目を向けた際、カメラ専用機の進化幅はスマホカメラのそれを圧倒していた。
そもそもを言えば、例えばスマホカメラで高画質と評価されるiPhoneやGalaxy、Xperiaで採用されているイメージセンサーはSONY製であるというのはカメラ業界では有名な話である。
そして昨今急成長を遂げた中国新興スマホメーカーでもSONY製イメージセンサー採用がユーザーの購買理由になるほどの流行を生んだ。
そんなSONY製イメージセンサーである裏面照射CMOSのExmor Rや進化型である積層型CMOS Exmor RSはカメラ専用機にて先行採用されスマホへ技術転用されるという流れを持っている。
手ブレ補正も顔認識オートフォーカスもスマイルシャッターもカメラ専用機が先にあり、昨今のムーブメントを起こしている顔認識オートフォーカスの進化型である瞳オートフォーカスも新型Xperiaで採用されることが予告されているが、これもカメラ専用機で採用されているものだ。
つまり、スマホカメラの未来のスタンダードはカメラ専用機にあり、一歩先を意識したユーザーがカメラ専用機の進化に新鮮な驚きを示している。
カメラ専用機は邪魔という意識もGoProがアクションカメラというジャンルを開拓したことにより低減されつつある。
アクションカメラというラフに扱っても良い安心感と、小型なのに驚くほどスムーズな手ブレ補正は、カメラ専用機を経験してこなかったユーザーにとって敷居を大幅に下げる役割を持った。
SONY RX100Ⅵは前述した積層型CMOS Exmor RSを採用し美麗な画質を得つつも、コンパクトカメラの小型さ、自撮りも可能なフリップ可動液晶、光学ズーム、光学手ブレ補正、瞳オートフォーカス、価格が熟れてきた4Kディスプレイに対応した4K HDR動画撮影、ハイアマチュアユースのRAW静止画やLOG動画撮影が可能というコンパクトカメラなのに全部入り。
更に言えば、女性が嬉しい美顔モードを搭載している上、撮影したデータはスマホ連携機能により無線接続でスマホへ保存できる(流石に有線接続よりは遅いが写真数枚撮って転送程度ならばそう待たされる感覚もない)。
重ねてしまうが昨今のカメラ専用機において特筆すべきなのがスマートフォン連携機能であり、撮影したデータはスマホへ無線転送できるので、片手にカメラ専用機、片手にスマホなんていうことが起きないようになっている。
「Instagramのあのアカウントのキレイな写真をどうやって撮っているのか?」という疑問への解答はココにある。カメラ専用機で撮って無線転送してスマホでシェアしているのだ。しかもそのカメラ専用機は小さなカバンにも入るコンパクトカメラ。
こんなムーブメントをリードしたのは一体どこのカメラメーカーなのだろうか?
前述した通りカメラメーカーの努力のみではなくユーザー需要が変化したからであるが、その需要へいち早く反応したのがPanasonicであり、Youtube専用機とまで言われたPanasonic LUMIX GH5だ。
GH5はコンパクトカメラではなく、ミラーレスデジタル一眼と呼ばれる従来よりも小型化されたレンズ交換式デジタル一眼だが、面白いのはビデオカメラではないのに動画撮影機能を意識したデジタル一眼であるという点。
4K動画撮影機能や自撮りも出来る可動液晶を備え、ビデオカメラ以外では難とされていたデジタル一眼の4K動画撮影ではありがちな熱暴走を抑える優れた放熱性能を持つ(デジタルカメラは熱暴走すると撮影が自動停止する)。
GH5が登場した時期はヒカキンなどで注目され始めていたYoutubeが盛り上がっていく時期と重なっており、Youtubeという需要へ上手くマッチしたのだ。
これを見た他のカメラメーカーも自社デジタル一眼製品の4K動画撮影機能を採用または既に採用していたカメラメーカーは強化するという選択を迫られた。
それでもデジタル一眼は写真機という意識を強く持ってるカメラメーカーは多いが、カメラメーカーの大御所であるキヤノンはEOS KISS M、フィルムメーカーの富士フイルムはX-T100、SONYはα6500やα6400で4K動画撮影機能や自撮り可能な液晶を備えている。もちろんスマホ転送可能だ。
そんなムーブメントに、よりライトなユーザーを対象とするコンパクトカメラが追わないはずがなく、前述したSONY RX100Ⅵやキヤノン PowerShot SX740 HS、ニコン COOLPIX A1000、コンパクトなミラーレスデジタル一眼カメラPanasonic LUMIX GF-10などがムーブメントを体現している。
GH5でも注目したPanasonicのビデオカメラでは可動式液晶へ可動式サブカメラを搭載させたワイプ撮りやマルチカメラ撮りに対応しておりコレもYoutube需要へ訴えかけている。
SONYハンディカムはレンズ自体がグリグリと可動する空間光学式手ブレ補正によって手持ちして全力で走っても驚くほどブレない映像を得ることができ、激しいシーンをフレーミングするユーザーに高い評価を得ている。
空撮を一般ユーザーの手中にしたDJIのドローンシリーズ、VRにも対応した360°カメラのRICOH THETAシリーズやInsta 360シリーズはそもそも撮影時のフレーミングという束縛からユーザーを開放させた。
決してスマホカメラの需要は無くならないだろう。無くならないどころかカメラ撮影のメインストリームは今後もスマホカメラのはずだ。
しかし、スマホカメラが席巻してきた需要の一端がカメラ専用機へ回帰し始めていることをキャッチアップしないと時代に乗り遅れることは間違いないと強く表明したい。
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現在のVLOGで人気の一端を担っているデジタル一眼はGH5であることは間違いない。
これはヒカキンを代表に一部の人気Youtuberたちが使っているからだ。
しかし、VLOGで使われているのはGH5だけでなく、それこそiPhoneやGoProも使われており、他にはOSMO Pocketと呼ばれるジンバル一体型小型ビデオカメラも使われている。
画質へこだわりのある層はGH5の後継機であるGH5sへ移行している。
更により画質へこだわりのある層はGH5sよりも画質的に有利なSONYのα7Ⅲを使っている。
α7Ⅲを使っている層はハイアマチュア以上だという認識で間違いない。最早VLOGとは言えない映像作品レベルのものを公開しているビデオグラファーに採用例が多い。
最近は手軽にVLOGを撮るという需要から携帯性や画質とコスパを考慮してCANON KISS MやSONY α6400が使われるようになっている。
コンパクトデジタルカメラならばSONY RX100Ⅵがなかなか強いが、4Kが撮れて自撮りできるコンデジならば様々に選ばれている印象はある。
ただ、VLOGで最も使われているカメラは間違いなくiPhone、そしてGoProだ。
VLOGを頻繁に撮影しようと考えるようになってくると動画撮影のためiPhoneのバッテリ残量が気にかかってくる。
カメラ専用機を導入すると当然ながらiPhoneのバッテリ残量を気にせずとも良くなる。
そこでカメラ専用機を(ググったりして)最初に検討へ挙がるのがGoProであることが多いのだ。
GoProはアクセサリが豊富で自撮り棒は当然あるし、自動車や自転車、バイクにマウントできたり、ヘルメットへマウントすることも可能であり、カバンへのマウントや自身の首へネックレスのようにぶら下げることだって可能。
しかもGoProはiPhoneやiPadとの連携にも強い。専用アプリがあるので撮影中の映像をiPhoneやiPadでリアルタイムプレビューすることもできる。そのまま編集へ移行することも可能。
自身の撮影スタイルへ合わせやすいのでGoProが選ばれやすい傾向にある。
「GoPro女子」なんていう言葉を見かけた時は「またカメラ業界のごり押しか・・・」と怪訝さを持ったものだが、個人的な感覚では「半分嘘ではない」くらいの印象。
海や山、観光地などへ行くと確かにGoProを構えている女子は居る。圧倒的にiPhoneの方が多いけれど「まぁ・・・嘘ではないかな?」と思える程度には居る。
このような状況なのでiPhoneやGoProと比較するとGH5は人気がないと言って良い。
GH5は人気Youtuberを志す極一部のユーザーから一種の神格化を受けている印象がなくもないのだ。
GH5にはGH5sという後継機がある上に、後継機であるGH5sよりもKISS Mやα6400の方が設計が新しいので、GH5信者か特定のYoutuberへ憧れを持っていない限り旧世代のGH5を選ぶ理由があまりないのである。
従って「GH5が人気」なのはVLOGをやっているユーザーの中でも極一部のユーザーに人気ということになる。
これからVLOGというか「動画による思い出の記録をしたい」と考えるのであれば候補として以下を羅列しておくので検討に活用して頂きたい。
○一番お手軽
○高画質デジタル一眼
上記は単純に「4Kで撮影できて自撮りがしやすい」という独断と偏見的な基準で抜粋したもので、上記から選んでおけば大きな失敗はないという程度のもの(撮れるっちゃ撮れるけど思ってたのと違ったくらいの失敗はあるだろうが)。
つまり、自撮りを考えなければ他にいくらでも候補は挙がり、例えばBlackMagick PocketCinemaCamera4Kのようにデジタル一眼の形態を持ちながらも動画撮影へ強くフォーカスした製品もある。
別の増田がホームビデオ=VLOGと表現していたが大幅に間違ってはいない。語源はVideoLOGだがビデオBLOG的な感覚の言葉なのだからオシャレである必要もなく、BLOGで書きたいことを書いたようにVLOGで撮りたいものを撮れば良い。
ここ最近のシンデレラガール総選挙にみられる世論の流れは非常に興味深いものがある。
ニュージェネレーションで唯一シンデレラガールになっていない本田未央を今年こそ1位にすべく支持集団で投票が行われており、先日の中間発表で1位になったことは誰もが疑いようもなく、この事実は手放しで祝福されていることであろう。
その一方で非常に面白い現象も起きている。それはあの夢見りあむが3位に鎮座しているということである。そう、“あの”だ。
そもそも夢見りあむは平成31年2月7日に新しくシンデレラガールズの登場したキャラクターであり、特定のCVも実装されていない。
シンデレラガールズは人気のあるキャラクターから順番にCVが実装されるという資本主義に基づいた極めて合理的かつある種残酷的な傾向がある。
しかし、登場時からその鮮烈なキャラクターとオタクの原始的な“好き”を掻き立てるような特徴的かつ強烈なデザインで多くのプロデューサーの心を掴み、急激な人気をもって迎合された。
私の観測下では夢見りあむの参入とともにシンデレラガールズの門戸を叩いたものも決して少なくはない。
しかし、夢見りあむのパーソナリティーは既存のシンデレラキャラクターと比較して、決して手放しで称賛を得られるものではない。
人間のクズ性を煮詰めたようなキャラクターは自身の“推し”として公表し易いものではなく、支持していることを隠したくなるようなものであることもまた一つの事実なのかもしれない。
これはかのドナルド・トランプ氏の勝利した大統領選をどことなく彷彿させるようなものである。
サイレント・マジョリティの集団心理として根底に存在していた現体制への不満、怒りが彼を世界最大のリーダー国のトップへと押し上げる力学としてあった。
人間というものは集団としては非常に恐ろしい存在であり、獣である。
人間1人では大したことはできないが、集団となることで途端に爆発的な力を発揮し、世界を食らいつくし、そのまま世界を変える。
そうした革命が起きたことを私たちは知っている。そう、現在のシンデレラ選挙をとりまく状況にもそれと似た力学が存在していることを“夢見りあむ3位事件”は示した。
これは1つの革命なのだ。奇しくも4月で平成という一つの時代が終わるが、今回のシンデレラガール総選挙も結果が出る頃には令和の時代へと突入する。ポスト総選挙のシンデレラガールズは新時代の“シンデレラ元年”ともいえるだろう。
人々が心の中では何らかの変化を求めているのは至って自然なことなのかもしれない。
先ほどサイレント・マジョリティという言葉を使用したが、今回の力学の原動力になっている集団意識は何なのだろうか。
私はそれをあえて悪意と呼びたい。前述したようにシンデレラガールズの既存のキャラクターはアクが強かったり、非常に特徴的であったりはするが基本的には“いい子”である。
夢見りあむも“いい子”であるというエピソードは今後も増えてくることは予想される。
しかし、現時点ではー少なくとも登場時点で言っていることは私たちプロデューサー、ひいてはその担当アイドルを馬鹿にしたような、消費物としてみたような非常に純粋な悪意で形成されたようなものである。
ここでキーとなるのは夢見りあむ自身にアイドルに対する悪意があるかは全くわからないものであることだ。夢見りあむのアイドルへの好意は確かにあるだろう。一定のリスペクトを感じさせるような発言もある。
しかし、『アイドルは使い捨ての嗜好品』という純粋な冒涜は誤解を恐れずに言えば狂気的で原始的な悪意に満ちている。
それゆえに夢見りあむから紡がれるアイドル論は非常に興味深く、私たちプロデューサーを尖った刃で抉るように鋭い。アイドルというものは信仰されるものである。
大衆の信仰対象であり、彼女らは通常、神のように純粋に君臨するものだ。その神を純粋に否定すること、それは悪意以外の何物でもない。
神をも殺すような彼女の紡ぐアイドル論は純粋過ぎるが故に非常に冒涜的かつある種カルト的な魅力をもって私たちの目には映る。
そして、それらは最近のシンデレラガールズに反体制的な考えを持っていたようなサイレント・マジョリティの不満や怒りを鋭敏に反映させるのかもしれない。
先に夢見りあむのプロデューサーの本質として“秘密主義”を指摘したが、以上のような反体制的な考えも同様に秘匿されるべきものであろう。それは当たり前の事実である。
プロデューサーは通常コミュニティを成すものであり、人間が本来持つ協調性という意味では明らかに美徳とされない、全くもって迎合されない考えであるからである。
そのようなコミュニティでみられる田舎の村八分文化のようなものに息苦しさを感じていたプロデューサーもきっといたことであろう。
コミュニティというものは通常保守的な集団であり、それは人間が持つ協調性という美徳においては当たり前の機能であるからだ。人間は保守的な抑圧の中では必ずといっていいほど悪意を貯める生き物だ。
諸プロデューサーにおいても一度胸に手を当てて考えてみてもらいたい。
今までの環境に不満はなかっただろうか。
変化のない、いい子ちゃんごっこのような“幻想郷”は掛け値なしに素晴らしい居心地のよいものだっただろうか。
シンデレラガールズのメインストリームの中で心の中にどす黒い感情を抱いたことはないだろうか。
そうした経験の中で悪意を貯めていったプロデューサーは漠然と考えたことだろう、今回の“夢見りあむ3位事件”は変化のチャンスであると。
プロデューサーの隠された悪意は非常に醜いものだ。どす黒く、誰にも見られないように大切に大切に醸造されていった筆舌に尽くしがたいほどに汚いものだ。
上述のように夢見りあむは“人間のクズ性”を煮詰めたパーソナリティーであり、炎上をある種好ましく考えているという都合の良さもある。
この点でもそうした悪意との親和性が高いというのも挙げられるだろう。
結果として夢見りあむはサイレント・マジョリティの悪意の代弁者足りえ、“夢見りあむ3位事件”という事実として多くのプロデューサーに牙を剥いた。純粋な人気に加えて、悪意の力学が働いた夢見りあむは本当に強い。
このことを念頭に置かない限り、夢見りあむは強力な敵として立ちはだかり続けることを理解しなくてはいけない。
今、私は革命前夜に似た胸の高鳴りを感じている。
今、この瞬間アイドルマスターシンデレラガールズに変化が求められている状況だ。
心地よいけれども心のどこかでくだらないと思っている集団幻想の中に居続けるか、それとも変わっていくか。
これは呪詛だ。
見たくはないだろうか?破壊と再生を経て進化するアイドルマスターシンデレラガールズを。
今のシンデレラガールズに食傷して離れてしまったプロデューサーにこそ、この状況を楽しんでいただきたい。
ログインしなくなったシンデレラガールズとスターライトステージにログインすれば合計で2票を夢見りあむに投じることができる。
1人のアイドルに1人で入れられる票数など全体でみれば微々たるものだが、私たちが力を合わせればそれは巨大な力学になる。
きっと革命だって起こせる。ぜひ夢見りあむに投票していただきたい。
夢見りあむ、私に、いや私たちに新世界をみせてくれ。君ならできる。
最後にドナルド・トランプ氏が勝利したアメリカ合衆国大統領選を分析したイギリス独立党のナイジェル・ファラージ氏の発言でこの文章を締めたいと思う。
『負け犬たちが支配者層を打ち負かしたのだ』私たちクズの負け犬たちに幸あらんことを。ここまで読んでくださって本当にありがとう。
なんか最近って萌・エロコンテンツが好き=オタクって思ってるよね。
そういう意味なら、例えば「資格オタク」「鉄道オタク」って言ったらどういう意味になんの。
言うまでもなく簿記にデレマスの新田さんがアピールする前から資格オタクはいるし、駅メモとかがでるよりも前に鉄道オタクは存在してるのよ。
そう考えたら、オタクって没頭してしまう事だと思うわけよ。それこそ周囲の空気なんてわからずに。
周囲の空気なんてなりふり構わず語り出すから「オタクきもい!」ってなるんだろ。それが本来の「オタクきもい!」のハズだろ。
今のフェミがいってる「オタクきもい!」はなんか違うんだよな。まだ駅乃みちかとかで周りのこと考えてない萌コンテンツキモい!と思ってた頃は理解できたけどな。
最近のアニメ視聴者、スマホゲープレイヤーをTwitterで見てても思うわけ。
イナゴという存在がなんでオタク界隈で忌避されているかって、まさにコンテンツの大きさによって熱意を変えるクソが嫌いなわけで、
FGOやってたらオタクだとか、グラブルやってたらオタクだと、ラブライブだとかアイマスだとか、キリトだとかエレンだとか、推しだとかママだとかえちえちだとか、二次創作だとかロリポルノだとか自由の表現だとか、そういう事いってればオタクだってわけじゃないだろ。
「オタクは空気なんて読まずに、周りなんて気にせずに、好きなことを貫くべきだ」と思っている。だから迫害されたって好きなものを見てれば心が癒えるんじゃねーのか。
それがおまえら「アニメは今の中高生は当たり前にみてる」とか「ヤンキーでみてるやつもいる」とか言いやがって。
そんなに世間に認められたいのか。
一生周りの意見に流されて、好きの感情を周りから押し付けられて、必死になって周りと歩調を合わせて、メインストリームを歩み続けるのか。
俺はゴメンだね。
それは核でも地震でもなく、安価上質なセックスドールだと思う。
婚姻は婚前もしくは婚後における性行為との結び付きが強い(私見、言うまでもないが「全て」とは言っていない)。
性行為に至るには困難がある。
人は低きに流れる。
セックスドールが十分に満たされるものなら、婚姻に結び付く大きなパスが一つなくなり、婚姻数が減る。
精神的充足を求める段階に至る頃には、生殖能力は著しく衰えている。
社会は独身を咎めない(良し悪しでなく)。独身税は制定されるが、単なる税金、そして与党への批判の材料としての存在意義に留まり、婚姻を促さない。
社会はリスクを恐れ世間の「最低視」に合わせ、セクシャルは嫌がらせに限らずレイプと同一視される。
性病リスクが喧伝され、「セックスドール」の正当性が強調される。
既に社会は障害者やブス等、性行為弱者への多様性理解に至り、「セックスドール」は問題解決のためのキーパーツとなる。
セックスのタブーと反比例しセックスドールは市民権を得、青少年にも広く使われる。
■生命の目的の回答として「幸福な滅び」がメインストリームとなる
人口ピラミッドで盛り上がる部分がなくなり、純減していく。
そのため若年層の負担は今よりも軽くなり、「少子化」という問題は「人類の未来への懸念」に絞られる。
生命の目的として、限られた土地に対して拡大していかざるを得ない「種の存続」に対する疑問視が多数派となり、むしろ生命が課せられた欲求を遂に越えることによる「幸福な滅び」こそ生命が究極に至るべき場所という意見で見解がほぼ一致する。
人間文明が地球からなくなる寸前で、濃縮された人類知が死後の世界を観測可能とする。そこで見た景色が人類の滅亡如何を決定する。
まとまんなくなってきたのデオワリ