はてなキーワード: ポケベルとは
その違和感をずっと考えてたんだけど「子供は自分たちと同じ程度に裕福な生涯を過ごせなければならない」って前提であるんだと気が付いた。
「いやいや、自分の子供の幸せ願うのは当たり前でしょ?」っていうのは、まあ、感情としては理解できる。でもしかし、その天秤の反対側に「じゃ産まない」ってのが乗っかるのはどうなんだ?
っていうのは、個人の能力や努力とは無関係に、国家が下降潮流にはいるってことはあるでしょう? そういう時代の中にあって、もちろん子どもの才能や運不運や相続の影響はあるけれど、全体のトレンドとして「子供時代の生活は今より厳しくならざるを得ない」という時代。その時代になったら、みんなが同時に子供なしなしやめ! って判断になるの? そしたら本当に国滅んじゃうよね。少子化による消費人口低下云々じゃなく、本当に人種絶滅的にいなくなっちゃうでしょ。
もちろん、自由な個人の家庭の運営判断をないがしろにするわけじゃない。子供産むよりも自分の生活優先っていう、トリアージが行われるのも理解できる。子供の幸福と国の浮沈という二者択一は個人の判断の手に余る(それに自分一人が子供産んだ程度で景気良くなるとは限らんわけだし)。
しかし一方で、その判断ってなんだか非常に気持ち悪い部分を内包しているのも事実だ。そもそもなんで「子供は自分たちと同じ程度に裕福な生涯を過ごせなければならない」なんて前提が置かれているんだ? 子どもに幸せになってほしいという感情は肯定するが、しかし、多少歴史を学べば景気の上昇も下降もあるし、日本にいるとリアリティはないけれど、ある世代では隣国と戦争になったとか、領土が減ったり増えたりとか、そういうのすらあり得るのが「時間の流れ」なんじゃないのか? この世界はそういう世界だと考えるのが当たり前じゃないか? 「景気はずっと上昇していくし、そうでなければおかしい」ってのは非常に傲慢で気が狂った意見に思えるんだけど、どうだろう?
「景気はずっと上昇していくし、そうでなければおかしい」ってのに対して「そりゃ変だろ、歴史の立場に立てばいい時も悪い時もあるよ」っていう人が大半だと思うけれど、なぜその同じ人が子育てに関しては急に「子供は自分たちと同じ程度に裕福な生涯を過ごせなければならない」って目を三角にするんだ? 「子供(に限らず個人の)の裕福さ」なんてのは時代の景気の従属変数に過ぎないというのに。
そもそも、子育てに関して、20年でン千万必要です、とか語ったとして、教育制度や教育費、そして貯金の価値が不変だとなんで信じられるんだ? たかがこの10年で年金の支払額やその可能性が取りざたされているこの現在、なんでそんなに「2016のたまたまの今の常識」を無謬だと信じられるんだ? たとえば、その学資保険はある日紙くずになる可能性だってあるし、大学の学費が大幅に値上がりする可能性もある(未来は不確定という意味では同様に大学無償化の可能性もあるけれど、値上がりのほうが蓋然性は高そうだ)。
30歳から40歳の人間は携帯連絡手段のない時代、ポケベルの時代、PHSやガラケーの時代、スマホの時代と目まぐるしい移り変わりを目にしたと思うけれど、にもかかわらず「2016年の常識がずっと続く幻想」があるんじゃないか? 正確に言うと2016年じゃなく「今この瞬間が過去も未来も延長されているという歴史認識」に近いと思うんだけど。べつに、だから「貧しくとも子供を産め」みたいな話じゃなくて、その(どうにも奇妙に思える)常識感覚を神格化してる部分が気持ち悪いと思う。
結局、子供を産まない、あるいは生活に余裕がないと感じているその感覚の正体は「日常的に下流たたきをしている自分のエンタテイメントスタイル」が逆照射して「下流だと叩かれる恐怖におびえる、あるいは恐怖から目をそらすために必死になる」みたいなものなのじゃないかと感じる。
ただもう、時代は昭和じゃないわけで、多様化するライフスタイルの中で、ある部分の豊かさを守るために、どこか別の部分は切り詰めるというような時代になってるんじゃないのか? そして今この国の文化の中では「家族と一緒に過ごす、子供に囲まれた生活を送るために、子供の豊かさはある程度あきらめる」というのが許されないようになっていると思う。その種の選択は「子供を不幸にする重罪人」としてすくなくともはてブではフルボッコだ。
しかし「富裕層であろうとそうでなかろうと、子供を作り囲まれて過ごすのは幸福の中心である」という判断は国や文化によっては当たり前だ。「多少裕福とは言えなくても子供を産んで育てるのは当たり前だ」という国のほうが世界では多数派だろう。世界の多くの国において「貧困層が子供産むなよ迷惑だ」とか「貧困層に生まれた子供はかわいそう」なんて糾弾は、まったく常識的ではない。
少子化の背景は、国の支援不足のはるか以前に、「子供は自分たちと同じ程度に裕福な生涯を過ごせなければならない」っていう無意識の変な前提と、「一定以上の金額を投資してもらえない子供はそれだけで不幸だ」「投資できないのに産んだ親は子供に対する愛情がない」と断罪する、ある種の下流たたきエンタテイメントなのではないのかな? そういう意味でこの国の少子化は、経済的な問題では全くなくて(だって日本より不景気な国いくらでもあるでしょ)、先進国共通の社会構造の変化部分を除けば、国民の国民たたきの結果に思えて仕方がない。
だがオジサンの言うこともよく聞くといいゾ
時々思うことがある、「なんでこんなに俺は必死に働いてるんだ?」
「若い頃は楽しかったのに、なんで辛い思いをしてまでフリーランスを続けてるんだ?」
「何もしていないのになぜハゲた?」
同級生は結婚したり有給休暇でのんびり旅行したりしているが、よっぽどのことがない限りフリーランスにそのような休みは許されない
周りはどんどん変化する、この20年の間にもポケベルがピッチになりケータイになって写メールが登場し京ぽんからW-ZERO3を経てスマホになった
年収の目安は年齢の2乗だ
雇われていない状態で、30代から先になると、一日も休めないのにどんどん病気しやすい体になるので注意しろ
南無xevra大先生
もう何も怖くない、毛根を失うこと以外は
初代のポケモンが出たときは高校生だった。ポケモンが発売され、高校の教室で休み時間中にポケモンをプレイする連中がいたが、周りの目は「高校生にもなって馬鹿みたい」というようなものだったと思う。そういうのを馬鹿にしていたイケてる連中は、ポケベル・PHSを使って友人とコミュニケーションを取り、授業中は机の下でミニテトリンをして遊んでいた。かくいう僕も、赤と緑の2本展開という初の試みから醸し出すビジネス臭に嫌悪感を抱いていた。そもそも月々数千円の小遣い、自由に使えるお金が非常に限られている中、僕はPlayStationに移行しようとする業界の流れに乗るため、必死で購入資金を工面するのがやっとで、携帯ゲームまでは手が回らなかった。電池代も馬鹿にならないし、画面の質も悪かった。今思うに、当時はまだ携帯ゲームのハードルは高かったように思う。またモンスターを育ててバトルするというコンセプトは自分の好みに合わず、結局ポケモンはスルーしてしまった。
その後、数々新作がリリースされるも、新作ごとに追加され、ますます手を出しづらく得体のしれない存在になるポケモンについて行けず、ますますシリーズに触れる機会を失っていった。スマブラに登場したりもしているので、何匹か名前は知っている程度のにわかだったが、特段気にもしていなかった。
そしてこの騒ぎである。コンセプトはとても興味深く、心から楽しみたいのに、心から楽しめない。どのキャラにもそれほど思い入れがないのだ。ゲームは好きだし、触れる機会はたくさんあったのに、スルーし続けていた。いろんなキャラを知っているようで、でもあまり知らない。やっぱりシリーズ通してプレイしている人や直撃世代の熱狂にはかなわない。自分の好きだったゲームのモンスターが街中で出現なんて、そのすごさが想像できるだけに、にわかな自分がもどかしくて仕方が無い。こんなにすごいゲームが登場して社会現象になるくらいなら、もしそれを知っていたなら。もっとハマっておけばよかった。この複雑な心境、他で例えるなら、年下の近所の幼なじみがアイドルとして芸能界デビュー、じっくり芸歴を重ねて日本を代表する女優、そしてハリウッド進出し、もっと昔から仲良くしておけばよかった的な感じだろうか。
http://mogmog.hateblo.jp/entry/2016/07/25/021253
この記事とか、本当にうらやましく思う。自分がもう少し下の年代だったら、もし発売当時小学生だったらハマっていただろうか。もし発売当時大学生で、お金と友人という環境がそろっていたらプレイしていただろうか。そしてポケモンGOは熱狂していただろうか。「ゲーム・アニメ・漫画に時間をかけるなんて人生の無駄」なんて主張は間違っている。そのファン層が大きければ大きいほど、ファンとつながるきっかけになる。時間を投資する価値は十分ある。街中で友達どうして楽しむ、自分よりも年齢の若い人たちがあふれている中を横目で見るたび、わき上がる妙なむなしさ、そしてひねくれた自分にいらだつのだった。
今となっては昔のことなのだが、20年ほど前俺は池袋西口の地下にある大きなカジノバー(以下Rとする)で働いていた。当時はFromAやanなどのアルバイト情報誌に裏カジノのディーラー募集がごく普通に載っていた。池袋のハコは俺にとっては3軒目で、この店が摘発された後、新宿歌舞伎町の小さなハコで店ぐるみのイカサマに関わったりもするのだが、その話はまた別の機会にして今回は当時の一般的な非合法カジノの話をしたい。
当時はカジノブームが起きていて、表向きアミューズメントを装っているが実は換金しているカジノが新宿・渋谷・池袋・横浜などの都市にはいくつかあった。一般人が可能な非公営賭博としてはパチンコ・パチスロだけが有名ではあるけど、「ゲーム喫茶」と呼ばれるポーカーゲームはカジノブーム以前から今も続いている。「10円ゲーム」などの看板を出して換金できるポーカーだ。裏カジノの業態はゲーム喫茶に近いと思う。
客はチップを$100=1万円で購入する。大体10万ずつ買う人が多い。好きな台で遊んだあと、チェックすると黒服から換金場所を教えてもらって換金しに行く三店方式の店が多かった。自分が当時遊びに行った渋谷や新宿の店はそうだった。Rでもそうだったと思うけど、黒服は最後までディーラーには換金場所を教えなかった。摘発された時にディーラーは善意の第三者であるという建前を守ってくれてたんだね。まあケーサツにそれは通用しないんだけど。前にいた赤坂の小規模な店では黒服が一緒に店外までいってその辺の人目のないとこで換金してた。換金率は100%だったり90%だったり。大きな店は客が入れば儲かるのでここで渋る必要ないと思うんだけどね。
種目はバカラ・ルーレット・ブラックジャック(以下BJ)の3種。BJのお客さんはカジノ初心者が多かった。トランプでルールを知ってるからかな。バカラと違って客対ディーラーになるので、バカラで疲弊した人がBJで息抜きをしたりもする。Rではルーレットの盤面は超ゆっくり回すので、ルーレット大好きな常連さんも結構いた。盤面をグルングルン回すと完全な運ゲームになってしまうが、ルーレットにはボールの落ち始める斜面に4つのピンがあり、どこに当たって落ちるのかを予想しながらやると面白い。盤面は店のオープン前に水平器を使って調整しておくんだけどどうしても日によって傾きが出てしまい、当たりやすいピンが発生する。ディーラーはベルを大音量で鳴らしたりこっそり空気吹きかけたりして客の裏をかこうとする。こうなってくるとただの運ではなくなって来て俄然面白くなる。バカラは要は丁半博打で昔から日本人には大人気。でかい盤面が立つのもバカラ。受けてくれる相手さえいればどんどんベットできるので、俺がさばいた中では最高で1ゲームで200万かけた人もいる。元ヤクザの親分でその日は大負けでヤケになって有り金全部で450万くらい入れようとしたんだけど、受ける相手がいなくてバランス見てカットして200万、顔真っ赤にして怒鳴り散らしてたのにその勝負には勝って微妙な顔をしてた。
普通カジノはタバコ・アルコール・簡単な食事は無料が多かった。これはゲーム喫茶もそう。ただRはアミューズメント気取って大々的にやってたせいか、この辺は厳しくって$10チップ一枚もらってた気がする。もちろん太い客にはタダで寿司とったりしてたけどね。
大きなハコにはだいたいバニーガールがいた。ウェイトレスじゃなくてバニーガール。いわゆる黒いウサギの格好じゃなくて、3ヶ月おきくらいで衣装が変わってた。Rはバニーのレベルが高くて、CMにでてたりグラビアに出てたりするような子が何人かいた。読モなんてこのバニーの中では平均以下レベル。あとお客さん、というかお客さんが連れてくる女の子で元アイドルの子がいて、当時まだ芸能活動してて写真集とか出してたんだけど初見では本当に見とれるくらいかわいかった。芸能界は可愛いだけの子ならいくらでもいるんだろうけど、こんなかわいい子でも大して売れないんだなあって思った。
ディーラーをやってるとイカサマを疑われることがよくあるんだけど、大きなハコで店ぐるみでイカサマをすることはない。どのゲームも確率でいけば胴元が儲かるようにできているので、とにかく客がいっぱい入って場が立っていれば店がマイナスになることはないからだ。危険を犯してまでイカサマをする必要が無い。小さな店とか、大きな店でもディーラー個人がイカサマすることはあって、Rではとあるディーラーが客にチップ横流ししてヤクザに追われる羽目になった。SさんとN村くん、元気にしてるかなあ。
この店が摘発される数週間前、黒服に呼ばれてディーラーの大半がとある居酒屋に集まった。なんでも某月某日に警察の手が入るらしい。黒服には派閥があって別の派閥の人はこのことを知らないらしい。警察と仲がいい人に連絡とって確認したけどそんな情報はないと言われたが、まああっても俺に言うわけ無いだろうし、この事で逆に警察に「情報が漏れてるから予定日を変更する」と思われたかもしれないな。
Xデーはみんな無断欠勤すると言ってた。俺は大事をとってその週ずっと休みにしてた。Xデーの前日が給料日で、俺は休みだけど給料だけ受け取りに店に行った、というか店の上のゲーセンで格ゲーしてたんだ。そしたら黒人の黒服がたまたま俺をみかけて「イマミセイッチャダメー、ゼッタイダメネーイ」え?彼はそのまま逃げていった。
うーん、まあ最悪客のフリすればいっか、と思いエレベータに乗った。店の前で降りると警察に「今ダメだ、帰れ帰れ」と追い返された。しょうがないので店の外で待ってみた。護送車とパトも来てる。チーフディーラーのKさん(大阪人・みんなの人気者)が出てきた。踏み込まれた瞬間に裏口から逃げてきたそうだ。内偵でチーフだということがバレていたらしく警察は「KどこだKはー!」って連呼してたらしい。この人は大阪でヤクザに追われて東京出てきて「もう大阪には帰れない」って行ってたんだけど、別働隊に自宅前見てもらったら警察が張ってるし部屋にあるハッパも見つかるだろうから大阪戻るかあって言ってた。何年も経ってるし警察よりはマシだろって。
別のディーラーも今日休みで給料取りに来たらしいが、裏口ももう塞がれてるとの事だった。しばらくして客が少しずつ出てきた。中で簡単な質問をされたらしい。ある老人客と一緒に中国人の女ディーラーが出てきた。警察が来た瞬間に私服に着替えて客と腕を組み、愛人面してでてきたのだ。頭の回るやつだ。彼女は中国国籍なので捕まって国外退去とかになると確かに面倒だ。俺のタイムカードにも「チーフ」と書いてあったが、Kと違って制服も皆と一緒だし特に探されもしなかったようだ。
ついでバニーガールとウェイトレスも出てきた。夜中になってディーラーも続々出てきた。みんな名札下げて正面と横の写真をとったらしい。いやー貴重な体験うらやましい()。黒服全員と、たまたまその時大きな盤面で撒いてたディーラーが護送車で連れてかれてしまった。しかもかれはまだ入店1ヶ月くらいなのに。その卓はKか俺かその彼くらいしかまかないので、タイミング次第では俺だったかもしれない。ちなみに可哀想なことに21日+α拘束されていた。
Kは友人宅に一泊して翌日大阪に帰るってことでみんな1時頃解散した。俺の部屋は店から徒歩圏内なんだが、夜中3時ごろにチャイムがなった。警察なら俺も捕まるのか?俺は普段部屋に鍵をかけない、ドアノブ回されたら終わりだ。物音を立てないように静かに覗き窓を見たが誰もいない。エレベータはまだ俺の階で止まってる。エレベータで来て階段で帰ったのだろうか?それとも俺が出てくるのは張ってる?家に帰れなかったディーラーなら入れてあげたいがケータイ番号知ってるはずだ。ただ当時はまだケータイは普及してなくて、俺が持ってたのもPHS、大半はポケベルだったから俺の部屋に来たことがあって番号知らないやつもいたかもしれない。
その後音沙汰はなく俺は無事で済んでよかった。給料は後日路上で支払われた。拘束した彼は拘束料上乗せされるべきだと思うんだけど、金がなかったのか逆に少なかったらしい。ひどい。
赤坂の店でのヤリチン韓国人の純情な話とか、歌舞伎町の小さなハコでのイカサマの話とか、10年後にイカサマっぽい店に遊びに行った話とかいろいろ書きたいことがあるんだけど、今日はここまで
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増田の匿名性があるから面白いこともあるとあるけど、続き読むのに不便かなと思ってカクヨミニストになりました。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881140549#table-of-contents
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給料を払ったのはこのメンバー集めて次にカジノを開く予定があったからかな。あとコメントのリンク先に手入れ三回目で閉店って書いてあるけど一回で閉店してるしそのデイーラーをつかって数カ月後に池袋で中型のハコを開いてるので、別のハコと勘違いされてると思います。
あと沼ってのはカイジ?すみません未読です。福本伸行さんは大好きで、特に西原理恵子に「カッコ良かったんだけどあんな頭が絶壁のキャラ書く人が売れるなんて誰も思わなかったからモテなかった」って言われてるところが好きです。
時間は昼の14時頃,雲のほとんど見られない快晴の青空の下,立ち並ぶアパートのゴミ収集場所として機能しているであろうラックの一番上,天板部に僕は「それ」を見つけた。
僕は上背がある方だが,そんな僕の鎖骨くらいでやや高いラックなので,普段であればさして気に留めないようなスペースだ。
そのラックの前を通り過ぎるとき,視界の端が「何か」を捉えた。
1秒もないような時間の中で情報として飛び込んできたのは,XJAPANのギタリストだった故人HIDE氏を思わせるビビッドなイエロー・ホットピンク,そして巨乳ロリという文字,いや,記号だった。
嘘偽りなく,横を通り過ぎたその瞬間には僕は「それ」が何かを認識できていなかった。
だから,強烈な配色も,そこに書いてあった文字も,果てはそれが本であったかすらきちんとわかっていたかは定かでない。
ただ「何か」があるということを僕の本能が感じ取ったことは真実であり,しかして10メートルほど歩いて脳内の処理が終わった僕は足を止めた。
頭の中にあったのは「それ」に対するwhatではなくhowであった。
まず,一つ目の理由であるが,稀有なシチュエーションであることそれ自体が僕を高揚させた。
助平なコンテンツを摂取せんと思えば電子の海にROCKET DIVEして有料なり無料なりのものを存分に堪能し,己が欲望が具象化した白い恋人を限界破裂させれば良いのだ。
そんな時代に,「その種の本が落ちている」という場面に遭遇することの衝撃を考えてみてほしい。
さながらポケベルを使って連絡を取る人とすれ違ったような感覚である。
既に述べたようにデジタル時代を迎えているわけだから,この領域で最も勢いのある表示形式は動画であると言っても過言ではないだろう。
そうした世相において本に出会うという現実は,既に非日常である今この瞬間を一層特別なものにした。
たしかに動きや息づかいを知覚できる動画は簡単に臨場感や興奮を与えてくれるだろう。
しかし,静止画だからこそ得られる視聴覚を超えた別次元の感覚,シックスセンスやイマジネーションと呼ばれるような扉の向こう側の感覚は,男をイージートゥワッチ・イージードゥダンスな易きに流れた存在から,一皮剥けた存在へと押し上げてくれるはずなのである。
そう,「あれ」には可能性がある。
歴史を振り返ればいつだって流行は最新技術とアナログなものとが行ったり来たりしているように,動画ではなく,パソコンの画面でもない,本との出会いはかつて読書家だった幼いころの僕を,今も電子書籍にはどこか馴染めないでいる幼い頃の僕の名残を呼び覚ましてしまった。
これらの理由から,僕は今臨んでいるこのあまりにもアナログで古き良き光景に魅せられきっていて,趣さえ感じている。
極力性的なものを近づけないようにと努めてきたが,作用には必ず反作用があるもので,そう,有り体に言えばムラムラしていた。
三つ目の理由はそう,春の日差しが心地よかった,ただそれだけである。
とにかく,僕の頭は落ちていたブツが何かを理解すると同時に,どのようにミッションを達成するかに切り替わっていた。
とりあえずということで一度地図アプリなりなんなりで調べものをしている風を装って後退し,目標物が本当に僕の認識したとおりのものであったのかを再確認する。
横を通り過ぎがてら目視し,間違いなく想像通りのもの,それも2冊あることを確認して一度道を大きく引き返す。
近くの個人商店で少年ジャンプがフライングゲットできるのでまずは購入,もちろん手提げ袋をお願いして,だ。
今日の鞄は最低限のものしか入らない小ぶりのもの,したがってターゲットを収納することは能わない。
もしジャンプを買うことでもらえるビニール袋が十分に大きければ収納は可能であり,小さくともジャンプを買うことができるということで,最初の作戦はローリスクハイリターンだ。
結果として袋が小さく作戦は失敗に終わったが,回収のチャンスが人目のないほんの一瞬であることを考えるとすぐに次の作戦に移る必要があるだろう。
思わず上着を脱いだところで,これだ,という閃きが訪れた。
上着の中に包み込んでしまうのだ。
今日着ていたのは薄手ではあるがダウンなので内容物の輪郭もカモフラージュしやすい,古典的ではあるものの効果的な方法だと言える。
これで準備は整った。
あとは人通りのなくなった瞬間を見計らって,計画を実行に移すだけである。
ドクン,ドクン,と胸が高鳴った。
かつて多くの漢たちが同じ死線をときにくぐり抜け,ときに散っていったのだろう。
昂る感情とは裏腹に,頭の中は静かにフル回転し,スパイやエージェントのような気分になる。
最高に,スリリングだ。
かくして雷光の如き手さばきで勝負を制した僕は,興奮冷めやらぬままにしばし歩いた。
アドレナリンが大量に出ているのを感じる。
周囲の音や普段目につかないものがよく見える,今,間違いなく僕の脳は活性化しているのだと断言できる。
中身がどうという話ではない,「道端のエロ本を拾う」という体験を楽しむのだ。
よもや20代中盤にもなりこのようなイベントでここまでテンションが上がるとは思ってもみなかったが,「エロ本を拾う」という事象は男を童心に返し,心身ともに研ぎ澄ませ,スリルを提供してくれ,そして獲物はどんなものだったろうと心を躍らせる,そんな狩猟本能を呼び覚ますはたらきがあるのかもしれない。
ひとしきり歩いて人目を忍べる場所を見つけてから,ついに報酬とご対面である。
上着の包みを丁寧に開き,逸る気持ちを制しながら手に取ったその本。
なんと,2冊ともダイジェストDVDがついているタイプの本であった。
趣とは何だったのだろうか。
LINEに代わる言葉は携帯だったりポケベルだったりゲームだったりテレビだったり
もっと古くは手紙だったりするのかもしれないけど、この手の発言をする人の本質は変わってなくて
「テクノロジーの進歩で確かに豊かになったのかもしれないけど、それに苦しめられちゃうなんて若い子たちは可哀相」
悩みの種類が変わってきているだけで、テクノロジーが存在しない時代にも特有の深刻な苦しみはあったものの、それが「古き良き時代」ノスタルジーによって霞んでいるだけじゃないのか。
「自分の学生時代にLINEがなくて良かった」なんて発言は、そこにLINEが存在する世代にとって解決不可能な問題点を高みから突き付けているだけだ。
社内の老獪どもが面倒だという理由で利便性の高いオンラインサービスを使おうとしない。
いうなれば放っておけばE-mailで止まってしまったような状態だ。(あまりに久々にE-mailという単語を入力したせいでEが大文字だったかハイフンが必要だったかすらしばらく考えてしまった。)
スマホを支給してなんとかLINEまで使わせられるようになったが、機密性を考慮してグループウェアに移行したいと言おうものなら怒涛のような拒否感で否定されてしまった。
そうはいっても自分ももう40といい年だ。老獪だなんて大げさな書き方をしたが、彼らだってまだ50になるかならないかくらいなのだ。
古くはポケベル、ガラケーの不便さに飼いならされてきたはずなのに、どうして新しいものを受け入れようとしないのだろうか。
確かに新しい物に取り組むにはエネルギーが必要だしストレスもかかる。やっと手に入れた利便性を手放さなくてはいけない無力感もあるかもしれない。
しかし、その先に新しい価値やより多くの利便性が待っているはずなのだ。
それを未だに就業時間に関係なく電話を鳴らすような神経のほうがよほどどうにかしているとしか思えない。
そうまで考えてみて、テクノロジーの溝とはそのままコミュニケーションの溝になり得ていることに気がついた。
元に、若い子達は様々なコミュニケーションツールを様々な状況に合わせて使いこなしている。
つまり、そうして幾重にもあるレイヤーでコミュニケーションを切り分けているのだ。
しかしそれを苦手だとか不要だとか言う理由で切り離している世代はどうだ。
未だに直接会うかメールか電話でしかコミュニケーションの手段を持っていないのだ。
そんな次元のレイヤーなんて、今の若い人間は支障がなければ切り離してもよいレベルのレイヤーだ。
それを老獪どもは自らが選んでいるような素振りをしているが、何の事はない。どう考えてもギリギリしがみついているレベルでしかないではないか。
昔であれば社交場の違いや隠語がコミュニケーションのレイヤーを作り上げていたが、今は同じ室内においてもはっきりとコミュニケーションのレイヤー分けが行われているのだ。
その事実に気づいてからというもの、少なくともどんなサービスが流行って、どんな使われ方をしているかぐらいには首を突っ込んでおく必要があると思えた。
そうでなければテレビから流される何次ソースかもわからない情報を盲信し、若者に適当にあしらわれた挙句に自分教(といってもメディアに作り上げられたものだが)の教祖を気取って狭く完結したコミュニティで世間から隔離されたまま死を待つだけになってしまうからだ。
それはさ、「キミが」気にしていないという、「主観」の話でないの?
長期連載の漫画では、はじめポケベルを使っていた登場人物が、サザエさん時空で歳を取らないまま、携帯を使い、スマホを使うが、気にする方がアホ。
ギャグ漫画で、「30年後も笑わせよう」というテーマで描いた作品で、「がちょーん」とかの時事ネタをやってたら萎えるが、そういう話でもないんでしょ?
古すぎて古典になれば気にならないという現象もあるけれど、そうすると「ちょっとだけ古いものが登場するとくすぐったい」という、個人の感想の域を出ないよね。
「A・Iが止まらない!」とか、PCの設定も、ネットの環境も、何もかも古臭いけれど、「当時最新」ってのは伝わってくる。
ここで頑張って、当時にしてはあり得ない超技術として「TBのネットストレージ」「一般家庭に光回線」を設定していたとしても、今では当たり前だ。
国民のほとんどが、最新鋭のPCに勝るとも劣らない手帳サイズの端末を携帯し、情報を検索し、買い物し、リアルタイムな文字ベースの通信が会話に置き換わるなんて、いつから「未来」でなくなったんだろう。
「ポケベルが鳴らなくて」という曲があります。
20年くらい前の、今ではAKBで有名な秋元康が作詞した曲です。
好きな人からの連絡を待っている時の気持ちや、その連絡の有無に振り回される様子、かといって自分からは連絡出来ないもどかしさなどが綴られており、
連絡手段がポケペルからスマホへと進化した現代においても、人の気持は変わらないものだなぁと思います。
特にタイトルの「現実よりも愛してる」というフレーズは衝撃的で、それに加えて核心的です。
あくまで私見ですが、不倫をする人、叶わぬ恋を追い駆けたい人というのは、心のベクトルが相手に向いているようでいて、その実は自分の方だけを向いているという人が多いように見受けられます。
そういった人たちにとって大事なのは、「相手が誰か」ということではなく、「その相手を通じて自分がどういった状況に陥るか」なのではないかと思ったりもします。
そして、本人としても自分が思い描く理想としての相手と、実際の相手との間の齟齬に少なからず気付いてはいて、その上でなるべくそれに気付かないフリをしている。
それの行き着く先が「現実よりも愛してる」なのかなと思います。
ポケベルやラインでのやり取りでしたら、実際に会う場合よりも情報量が少ない分、理想に限りなく近い状態の相手とやり取りすることが出来ますからね。
しかしここまで極端ではなくとも、人というものが何かを好きになるというプロセスは、結局のところ、こういった「自分勝手な翻訳」を抜きに語ることは出来ないのかもしれません。
好意好感を抱くのは対象自体にではなく、自分のレンズを通した上で自分のセンサーに感知された、加工された対象だと、言えなくもないですからね。
ボンキュッボンのセッシ盆
ボンキュッボンのセッシ盆
赤子泣いても蓋とるな
ボンキュッボンのセッシ盆
焼き肉焼いても家焼くな
あれは私がまだ幼かった頃、お母さんは夕焼けで父さんは胸焼けだった。
わかってくれるだろうか?皆さんにもお分かりいただけただろうか?
焼き肉屋さんでお代わりをいただこうとしたら中盛りか大盛りか聞かれたことがあった。
中盛りも食べきれなさそうだった私は小盛りを食べようとした。
蝙蝠は雑食性で何でも食べるらしいがフルーツしか食べない種もいるらしい。贅沢な奴め。
カルビ、ロースと食べ進めていたところ、不意に父のポケベルが鳴った。
座敷には私と母と姉だけだった。
そこに先ほど頼んだ蝙蝠の姿焼が届いた。
「お父さんが帰ってくるまで待っていようね」という母の言葉に私は不承不承頷いた。
しかしその日を境に父が帰ってくることはなかった。
毎年この時期になると思いだす幼いころの記憶だ。
ボンキュッボンのセッシ盆
読んでいると、ふと夜の散歩をしたくなった。
春めいて来たので外もそんなに寒くない。おれはつっかけを履いて外に出た。
誘蛾灯に誘われる蛾のようにふらふらと入り込んだ。
ど田舎のコンビニだから駐車場は広い。まばらに車が停まっている。
おれはその駐車場を横切って店内に入ろうかと思った。その時呼び止められた。
「ねえ」
それでその声がした方向を見ると、今どき珍しくゴスロリ姿の少女が立っていた。
夜中なので彼女の纏っていた黒いドレスに気がつかなかったのだ。赤いリボンを
胸元に垂らした彼女は、夜闇に不気味に光る
白い顔を歪めて笑顔で話し掛けて来た。
「いいものあるんだけれど、買わない?」
どうせドラッグの類だろう。おれがそう思っていると彼女は言った。
「そんなケチ臭いものじゃないわよ」と言って掌大の大きさの機械を
もちろん分かるわけがないのでおれが黙って機械を見ていると彼女は言った。
「これ、月を動かせる機械なの」と。「五百円で買わない?」
「悪い。そういうのは間に合っているんだ」
「まさか」と彼女は言った。「月を動かす機械なんて持ってないでしょう?」
「月を動かすのに興味はないんだ」と言っておれは立ち去ろうとしたら
彼女は言った。「ねえ、何だったら負けてあげるわよ。四百円でどう?」
「三百円なら考えてもいいな」
おれたちは交渉の末に、三百五十円でそれを買うことに決めた。
セブン・イレブンで「熟成豚のねぎ塩カルビ弁当」を買って帰ったおれは
少女が売っていた機械をしげしげと眺めていた。だが、どこからどう見ても
それはひと昔、いやもっと昔に流行ったポケベルに他ならなかった。
起動させてみると一応動くが、おれはポケベルなんて使ったことがないから
どうしたらいいのか分からない。それで、貴重な銭を損したことに
腹を立てつつ、その晩は缶ビールを呑んで寝た。
次の日の夜、ネットが何だか騒がしい。異常気象だとかこの世の終わりだとか
そんな話題で持ち切りだ。おれは外に出て空を眺めてみた。
月はふたつになっていた。