はてなキーワード: タイムラインとは
携帯電話はiPhone XでiCloudで連絡先などの情報を同期するが、写真動画のバックアップはGoogle Photo。テキストメッセージはiMessageとSlackとGMail。
SNSはFacebook、Instagram、Twitter、Mastodon。
Mastodonは自分で建てた。家族や友人など親しい人のみに公開し、ローカルタイムラインは完全に内輪ネタ。インスタンス内の全ユーザの興味が反映される連合タイムラインの話で盛り上がる。
MastodonにRSS/Atomフィード用のbotアカウントを作成し、インスタンス内のユーザなら誰でもRSS/Atomフィードを登録できるようになっている。RSS/Atomフィード用のbotアカウントの投稿はローカルタイムラインがbotだらけになるので未収載。
SNSなど様々な通知系をSlack botにまとめて捕捉。Apple HomePod経由でSlackから家電操作ができるようにもしてある。Apple WatchでもSlack通知受信。
屋内照明はほぼPhilips hue。赤外線制御はNature Remo。鍵はQrio Smart Lock。センサー類はMESH。自動化制御はRaspberryPi3。スマートフォンのWi-Fi接続状況によりMESHの明るさセンサーで屋内の明るさを自動制御などをしている。
無線LANルーターはGoogle Wifi。インターネットは光回線ドコモ光IPv6。
Webブラウジングは基本的にiPad ProかiPhone X。集中した作業のときのみ15インチMacBook Pro2018を使用。
電子書籍はKindle一択。小説はKindle Oasisで読むことが多い。iPhoneではロードバイク乗っているときにVoiceOverで読み上げを使うことが多い。
テレビはSONY、スマートSTBはAppleTV 4K。動画視聴はYoutubeとNETFLIXとAmazonプライムビデオ。ついでに音楽はApple MusicとSpotify。
ヘッドフォンはAirPods、Beats Studio3Wireless、ゲーミングヘッドセット、SONY MDR-900ST。オーディオI/FはApollo Twin MkII。マイクはAston/Origin。
カバンの中へは常にGoProHERO6とジンバルZhiyun Z1-Rider-Mと手持ちできる極小三脚、そしてRICOH THETA V。気になったものをVLOGとして記録し仲間内へYoutube限定公開。
VLOG編集は出先であればiPad Pro12.9インチ。自宅では15インチMacBook Pro2018にBlackmagic eGPUを接続して行う。自宅でのディスプレイは外部4Kディスプレイ。
フォトウォークするときはCanon EOS-1D X MarkIIかSONY α7III。サブ機はSONY RX100m6。
フォトウォークのときもランニングするときもロードバイクで流すときもApple Watchで運動量計測。
調理家電はウォーターオーブンヘルシオ、ホットクック、ミキサーにVitamix。ついでにPanasonic食洗機。
カロリー管理にMyFitnessPalを利用。自炊レシピは栄養情報が見れるので基本的にヘルシオレシピか味の素パークレシピ大百科。
支払い関係はApple Pay、中身はdocomoiDで可能な限り支払う。交通系電子マネーももちろん使う。基本的にキャッシュレスを目指す。
友人とは中高生のころに知り合い、もう10年来の付き合いである。
友人とは席が前後だったことがきっかけで仲良くなり、お互いオタクだったこともあってすぐに仲良くなった。
友人と私含めたグループで昼ご飯を一緒に食べたり、放課後にどこかに寄り道して遊んだり、土日に集まって
馬鹿な事をして遊んだりした。あの時は本当に楽しかった。短い私の人生の中で一番楽しかった瞬間だと、今も胸を張って言えるぐらい。
大学生になっても、社会人になっても、友人との関係は続いた。会う頻度は減ったけれど、集まればすぐに学生の頃に戻った。
友人がおかしくなったのは3年付き合った彼氏にふられてからだ。
私からするとろくでもない男だったが(友人から話を聞いていて正直別れてしまえと3年間ずっと思っていた)
友人にとっては大切な彼氏だったようで、別れた後の友人の憔悴っぷりは凄まじかった。
体調が悪く、精神的に不安定な状態がずっと続いた友人を私は心配していたが、ある瞬間から友人は持ち直し、以前のように元気になった。
元々ミュージカル等が好きだった友人は舞台にはまり、推し俳優ができた。
友人の推しである俳優Aは確かにかっこよく、人気があるというのにも頷けた。
友人は推しの舞台に足しげく通い、パンフレットやブロマイドを買い、DVDをそろえ、TVに一瞬でもうつっていたら必ず録画した。
一時期鬱状態にも近かった友人が元気にオタク活動をしているのを見て、私は良かったなぁと思っていた。
ただその安心は、今思えばかりそめだった。
初めて違和感を感じたのは、友人が旅行に行くのを渋った時だ。二人で旅行でもしたいね、とは昔からよく話していたのだが、
私が「連休の時にここに行くのはどう?」という提案をしたら「高いから無理」と却下されてしまった。
場所は伏せるが金額にして5万である。いわく、最近入り用が多く、一人暮らしの身としては、今は5万すらも厳しいと。
そもそも私と友人の休みを合わせるとしたら飛行機が安い時期にチケットを取れるわけがないので何を今更とは思ったが、
まぁそういう時もあるよなと思い直し、その旅行の話は無くなった。
だがツイッターを開くと、友人は俳優A目当てに同じ舞台を一月に10回以上観に行き、宿泊込みの遠征にも行っていた。
すっと自分の血が冷たくなるのを感じた。
このエピソードに似たことが他にもあり、自然と友人とは疎遠になった。
疎遠になっている間、友人とは一切会話をしなかったが、ツイートはタイムラインに表示されるのでたまに見ていた。
友人はネット上で舞台仲間を作り、どんどん俳優Aに傾倒していった。
舞台を観に行くだけでなく、写真集を買ったり、握手会などのイベントに参加してチェキを撮ったりしていた。
そんな友人のホームは舞台関係のツイートか『彼氏なんていなくても人生楽しい』『結婚しろと言ってくる世の中はクソ』
みたいなリツイートが大半だった。
この前、学生時代のグループで久しぶりに集まろうという話になり、私は友人と再会した。
その時友人は「旦那はいらないけど子どもは欲しいなwだからまぁ…結婚したほうが良いんだろうけど」と笑って言っていた。
誰がお前みたいな人間愛すかバーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!
普段舞台に金ドブみたいにつぎ込んで?リアルの予定全部ブッチして舞台行って?半年とか1年後も舞台の予定が
スケジュールにびっしりだからそもそもリア友との予定が皆無のお前なんか誰が好きになるかバカ!頭おかしいんじゃねぇのか?
舞台以外に金払いたくねぇから今日の飲み会もテメー一人だけ金少なく出したの気付いてんだよバーカ!
何が「おろすの忘れちゃったwごめんw」じゃねぇよクズ!
リア充に対して嫉妬があるなら同じようにすればいいじゃん。舞台に逃げるのやめればいいじゃん。
趣味が無い人間、彼氏がいる人間、結婚する人間、ディスる意味がわからんわ。
舞台を至高の趣味みたいに思ってその他の趣味をディスる神経もわからん。
お前みたいにプライドが高くて周りの人間を下げなければ生きていけない人間、誰が好きになると思ってるの?
女だろうが、男だろうが、誰もお前なんか愛さないよ。だって一緒にいても楽しくないもの。
学生のころはそんなんじゃなかったじゃん。確かに昔からひがみっぽいとこはあったし、片鱗はあったけど、こんなんじゃなかったじゃん。
今のお前、最低だよ。プライドばっか高くて、他人の悪口ばっかり。なんでこんな風になっちゃったんだろう。
お前じゃなくて私が変わったのかな。どっちも変わったのかもしれない。
結婚しても、何歳になっても、ずっと仲良くしようねって、言ってたあの頃に戻ってよ。
がいると思ってノリで「東大医学部」でタイムライン検索してみたら
先に結論を言っておく。女尊男卑という設定と、女性から男性に対する態度と、男性の女性に対する態度のバランスが悪いせいで、ミソジニーじみて見えるというのが私の見解だ。設定と描写のバランスが悪い。それに尽きる。それが悪いとか良いとかそういうことを言う気は全くない。
この見解にいたるまでの経緯は下に書いた。気になる人が以下の長く枝葉の伸びた文章を読んでくれ。いや、クソ読みづらい文章だから読む必要がない。自分が納得するためだけに書いた。言いたいことは上に述べた通りだ。
ヒプノシスマイクを知ったのは春。独歩という語をタイムラインで見かけ、「国木田独歩のことか。文ストか、文アルか。いや、一二三って誰だ。寂雷って誰だ。ヒプマイってなんだ。雰囲気的にソシャゲか。まあソシャゲはいいや」と調べることなく初夏を迎え、「ジャニオタがヒプマイにハマる」というような名前の記事を見かけて「ソシャゲじゃないのか。ラップか。面白そうだな」と調べた結果、見事にハマった。
ヒプノシスマイクにハマった要因は、シンプルに「人間の声ってすげぇな」という感動と、「さらっと面白いことを言っていて面白いな」という感動である。二重の感動。感動に感動が私の首に輪をかけて括ってきた。(輪をかけてを使いたいがために発生したクソみたいな誤用)
これは単なる私の好みでしかなく羅列すればキリがないが、突っ込みどころのある言葉や音がよい。いわゆる音MADで遊ばれていそうなコンテンツ(概念)が好きなので、ラップで人が死ぬ世界観やさらっと繰り出される面白リリックとかがたまらない。
あらゆる人が言及している通り、「俺のベロ見ろ俺はミケランジェロ」に「お前は次郎だ」と突っ込んだし、「君がくれた愛の形」が月収の「12345600円」という生々しさにも笑った。「ガチャーンドゥルルルチリンチリンチリン」で笑ったし、「泣けど泣けどnekkidフルモンティ」の完成度に感動したし、「ハマのしきたり」や「男ならラップができる」などの主語のデカさにも突っ込んだし、どことなく山寺宏一に似た入間銃兎のテンションの高さも気に入っている。ついでに言えば、観音坂独歩がキレると笑ってしまうし、一二三が麻天狼のローテンション曲の中で一人高テンションなのも面白い。何でお前だけ動画で輝いてんだよ。
決してバカにしているわけではない。むしろ、この突き抜けた感じを清々しく思う。かっこよいだけではない絶妙に耳に残る言葉に引っかかってハマった人は多いのではないだろうか。人間の声のすごさも相まってこの言葉たちはハマった人間の頭蓋骨の中で反響していることと思う。中毒性がすごいよね。
また、池袋→横浜→渋谷→新宿にいたるまでにキャラクターが奇抜になっていくのも面白い。アンセムやバトルでは歌う順番を考慮しているんだろうなと思う。人の目を引く(耳を引くか?)方法を熟知しているんだなと思いながら楽しんでいる。だって寂雷先生のときだけ曲調が変わるの面白すぎません? 一二三の合いの手も相まってじわじわきますよね。
さて、ここまで長々と書いたのは、私がどのような観点でヒプノシスマイクを楽しんでいるのかを表明し、立ち位置を設定した方がよいと思ったからだ。これを踏まえて、最近話題になっている「ヒプマイってミソジニー要素があるのでは問題」に入る。
私はドラマCDを聞かない人生を送ってきたので、ヒプノシスマイクで初めてのドラマCD体験をした。曲をから感じられるキャラクターの印象とは違った面が見られて面白く感じた。特に、観音坂独歩に関しては話し方が穏やかだったので意外だった。正直、もっとクソ早口でボソボソしている印象があった。話し方が早くてもキモがられるけど、ゆっくりはゆっくりでイラつかれる現象に見舞われてんのか? 観音坂独歩は。一二三のテンションというか話し方のギャップもよかったし、池袋の兄弟が仕事できていてすごいなあと思ったし、食事のアレで横浜は関係性のできた人間に対しては気遣いを持てるいい人たちだったというのも確認できた。渋谷に関しては夢野幻太郎の剽軽さや有栖川帝統のコミカルなキャラクターに親しみを抱いたし、飴村乱数が人の臓器を売ることに躊躇しない鮮烈さを持っていることに妙な興奮を覚えた。キャラクターに厚みができていく感覚が面白い。渋谷VS新宿のドラマトラックも面白かったですね。ヨコハマの血の気がある人たち「クソボケ」ってワード大好きですね。左馬刻様はチャラチャラしてたり口で自己紹介できない奴嫌いなんだなってのが分かって面白い。多分左馬刻様はメールしたら電話しろってキレるだろうし、電話したら直接会いに来いとか言いそう。あと、一二三はツイッターとかで定期的に礼節欠いて炎上しそう。あと飴村乱数の先生への話し方から「私あなたのこと嫌いだけど気遣って話しかけてあげてますよ」感が滲み出ていて好きです。
では、本題に入る。私はこのドラマトラックにミソジニーを感じてしまった。正直、女尊男卑という設定は読んでいなかった。言葉で戦うという設定に目がいっていた。気付いたのは池袋VS横浜のドラマトラックで山田兄弟が壁に対して税金の話をした辺りだ。その後登場する左馬刻様の件の発言は「そんなキャラなのかな」程度に流していた(乱暴なキャラクターは女をゴミかゴミ箱のように扱うという偏見がある。雑な一般化をしてすまない乱暴なキャラクターたち。)ため、件のはてなブログで確かにと思った。
で、税金の話。男が女の十倍の税金を払っている。その金でこの壁が作られた。この内容に引っかかった。リアルに考えれば、男の方が高い所得であるためにバランスを取っているんだろうなあ(さすがに十倍は現実味がない気もするが)という見解が妥当に思う。それゆえに、ここで税金に言及している山田三郎と観音坂独歩については、彼らは他の男性よりも所得が低いのかもしれない(三郎はまだ中学生なので、一郎の苦労を見てきたのか、大人の話を聞いて知識を得ていたのか、その辺だと思うので、除外してよい気がする。社畜は休む暇がないから金が貯まるというが、このパターンだとより地獄じみてきて観音坂独歩がより幸の薄い(といっても、幼馴染の手厚い保護があるので悲壮感は薄れるもののそういう感じの)人間になりますね。ストロングゼロ飲んでそう)。(ついでに、山田一郎と左馬刻様と寂雷先生も壁について言及しているが、金というよりも権力への言及に感じるので、彼らに関しては所得的に不満があるわけではないような印象を覚えます。)
なぜ、男の方が納税額が多いのかがよく分からないが、男にとっては不条理な税負担なのかもしれない。しかし、その割には観音坂が愚痴る人物はハゲ課長のみであり、女性から不当な扱いを受けているような表現は見当たらない。一二三に関しては特殊なケースのように扱われているため、女性が日常的に男性を虐げることはないように思える。何より、左馬刻様が女に対して直接普通に「クソ女」って言えているというのは、安定して女を罵倒してよい環境にいるってことだもんな。ここぞというときの「クソ女」ではなく日常的な「クソ女」でしょアレは。山田一郎も無花果に対して好戦的に話しているし、(野蛮とか低能みたいな侮蔑は受けているものの、)言葉遣いであれこれ言われて抑圧される描写ではない。言われても反骨するヤンキー的な描写なんだろうか。そういう理由からキャラクター的には不自然ではない感じがして受け入れてしまうよね。
頭に残る女の話は税金の話とヒステリーなストーカーと高圧的な無花果さんくらいである。後は普通の印象があって女尊男卑感はあまりない(私は鈍い人間なんでその辺りは鋭い人が指摘してくれ)。だから、「女という強者によって不当な扱いを受けていることへの反発」というより「女によって搾取されている」というより「女を大事にしなくてはならないせいで要らない負担を強いられている」という感じがある。もっと適切な表現があるかもしれない。なんだろう語彙力がないから分からない。あと、三郎の「ホスト風情」という表現から女性に奉仕する職業は馬鹿にされるものなのかもしれない感じもある。男を支配する女に媚売る裏切者って感じなんだろうか。
何というか、女尊男卑の世界なのに優位な側(女)からの一方的な蹂躙がないのが不思議なんだよ。それが見たいというわけではなく、わざわざ設定を付ける必要があったのかという疑問。だって、税金と壁と可視化されているのって中王区(政治)からの疎外くらいじゃないか。いや、政治から疎外されるって結構な痛手だよね。しかし、入間が結構な権力を持っているのを見ると、そこまで疎外されてなくないかと思ってしまう。いや、あれも男だけの世界だから自由が利くだけだろうか。女子高や女子大にいる女はのびのびと生きているみたいなものと解釈すべきか。しかし、横領したあの人が女である可能性も否定できない。語られていないことは推測しかできず、語りえない。
話の枝葉が分かれすぎてしまってアレだが、要するに、女尊男卑という設定と、女性から男性に対する態度と、男性の女性に対する態度のバランスが悪くって、ミソジニーじみて見える。これは最初に言った。ここに来るまでアホみたいに長い文章を書いてしまった。以上。
早く、内容の全容が知りたい。全て知ってからまた判断したい。飴村乱数さんが何かしてくれそうな感じあるので、どうなっていくか気になるところだ。
ごちゃついたことを考えるのも、何も考えずに享受するのも楽しめるので、特にヒプマイというコンテンツを批判する意図はない。書いてすっきりした。よかった。
意識が高く、向上心があり、常に自分を磨くトレーニングをしている人のことだ。
私のSNSのタイムラインの過半数は、インフルエンサーたちの筋肉で蒸し暑い。
自分は世の中についてこう思う。
他の人になにを言われようが気にしない。
などなど...。
自分の筋肉を他人に見せびらかすことは自己顕示欲が強くて気持ちが悪いと、
一時期そんなマッチョたちに嫌気がさしていた。
会社で行っている仕事と自分の鍛えたい箇所が違っていたからなので、自分に合わない仕事で疲れていた。
他の人のことが気になり、自己否定を繰り返す毎日で、彼らの「マッチョな生き方」は息苦しかった。
私の周囲は会社の仕事と自分の鍛えたい箇所がマッチしている人が多い。
別次元の話だから多少きつくてもやっていけるのだ...。自分はなんてダメなんだ。
当初はただ不貞腐れ、ダラダラ過ごしていたのだが、途中で疲れがピークに達し心療内科へ行った。
その疲れは私の現在の抑うつの診断と紐づいていることが分かり、自分の鍛えたい箇所に改めて向き合う必要があると実感した。
診断後だいぶ苦しい思いをしたのだが、吹っ切れたお陰で最近、休日に自主学習や自主制作がはかどっている。
仕事でもちゃんと自分を磨くトレーニングができ、多少の嫌な作業でも栄養と考え取り入れる思考ができた。
今では、マッチョたちのツイートを見ても邪険に感じなくなり、むしろ自分の成長に活力を与えてくれるものだと感じている。
転職に期待することとして待遇が良いこと、福利厚生や休日の量、やりがいなど(大切なことだが)表層的なことばかりで、控えめに言っても頭を使っている転職活動とは思えない。
私自身も鍛えることは嫌であった。
でもそれは自分に合わないトレーニングをしていたからに他ならない。
栄養を取らず、ガリガリになった求職者にとってマッチョな生き方はきっと以前の私と同じく別次元の話だと思うだろう。
不貞腐れ、ダラダラしたままで、仕事を移っても良い結果は得られないのではないだろうか。
現在の転職のサービスは、転職の間口を広げ、限界寸前のガリガリの求職者も転職の市場に放り込まれている状態だ。
結論として「マッチョな生き方」は社会を生きるうえで必要であると私は感じている。
その目的は自分と他人を早く切り離し、己の成長にのみ向き合うために他ならない。
己の成長の結果の対価として、報酬のアップや仕事の業務内容や環境の改善などを転職ではじめて求めることができる。
転職理由に他人を持ち出した時点で、急務であるべきは転職ではなく休職だと私は思う。
例えば、頭の悪いネトウヨから非難されがちなアベの陰謀を周知し、是正しようと訴えかける投稿も、それを許容するMastodonインスタンスであれば肯定される。
Mastodonインスタンスへの投稿は非公開にしなければインターネット上に公開され、海外資本で日本の事情に理解のないTwitterの無知な凍結などの被害に遭うこともない。
当然ながら他のMastodonインスタンスユーザからフォローされていれば、他のMastodonインスタンスの連合タイムラインへも表示されるので、狭い範囲でしか情報が共有されないということもない。
正しいことを正しく行えるのもMastodonを代表とするOStatus・Activity Pubプロトコルを採用するSNSのメリットだ。
いわゆるBL界隈で目にする言説であるが、MastodonなどOStatus・Activity Pubプロトコルを採用するSNSでは非常に強力なカップリング地雷回避フィルタの掛かったローカルタイムラインを形成することが可能である。
つまり、AxBが至高であることを旨とするMastodonインスタンスが存在するならば、ローカルインスタンスではAxBの情報でほぼ一色となり、逆カプの情報をフィルタリングする必要性を最小化できてしまう。
趣味趣向の合うユーザ属性で構成されたMastodonインスタンスの連合タイムラインは、自身の興味と同好の士である他者の興味が表示されるので、事実上「他のユーザはこのユーザが気になっています」というレコメンドとして働くというメリットがある。
このようにMastodonを代表とするOStatus・Activity Pubプロトコルを採用するSNSは人間関係の摩擦が起きるからこそ活用するメリットがあるのだ。
Mastodonを代表とするOStatus・Activity Pubプロトコル※1を採用するが2018/07/13現在の日本のインターネット上で最もリベラリズムとして先進的なSNSであるというと驚くユーザもまだまだ多いのではないか?と思う。
OStatus・Activity PubプロトコルはSNSサービスの民主的な分散化ばかり注目されるが、OStatus・Activity Pubプロトコルの本質は「ユーザ自身が取得する情報を選択する」ことにある。
1つの組織による管理された中央集権の従来型SNSでは、ユーザが得られる情報は検閲されるリスクがあり、真の意味でユーザが情報の取捨選択をするのが難しかった。
そこでSNSサービスのオープンソース化と分散化によって、ユーザによるより自由な情報の取捨選択を実現したのがOStatus・Activity Pubプロトコル周辺の動きである。
特にTwitterをリスペクトしたGNU social、GNU socialをリスペクトしたMastodonは、Twitterで問題視されてきた「見たくない情報への対策」へ対して、より効果的なアプローチを提供した。
日本人はmixiに端を発する様々なSNSを約15年間使い続けて「交友関係を結ぶ・結ばないに関わらずインターネット上であってもコミュニティへ所属すると人間関係の摩擦が起きる」ことや「氾濫する情報を処理しきれない」ことに気付いた。
それはTwitterでブロックやミュートなどの行動へ現れ、情報の取捨選択を始めるものの、それらは零れ落ちてしまう多くの必要な情報との引き換えであった。
OStatus・Activity Pubプロトコルはオープンソースとして個人が自由にSNSインスタンスを立ち上げ、個人自身と属性の近いユーザと共にSNSを活用することにした(例えそれが1人であっても良い)。
前提条件として親しいユーザ属性を選択することによってフィルタリングコストの最小化を目指したのである。
ただこれは誰もが想像付くように、特定のSNSインスタンスへ所属する母数は中央集権の従来型SNSと比較して激減してしまい零れ落ちてしまう必要な情報を得られにくくなってしまう。
そこでOStatus・Activity Pubプロトコルは相互に接続し「インスタンス連合」を形成することによって、絶対的な母数の少なさを補うこととした。
このようにしてOStatus・Activity Pubプロトコルのコンセプトは完成した。以下にMastodonを例にして3種類存在するタイムラインについて解説する。
ユーザ自身の投稿とフォロー/リモートフォロー※2したユーザの投稿が表示されるタイムライン。
つまり、ユーザ自身の投稿とユーザ自身の興味によって形成されるタイムライン。
ユーザ自身の取捨選択によって見たいものが見れて見たくないものを見なくて済むタイムラインである。
現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿が表示されるタイムライン。
つまり、ユーザ自身の投稿と現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿によって形成されるタイムライン。
親しいユーザ属性同士で形成されているインスタンスであればフィルタリングの必要性を最小化できるタイムラインである。
現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿と、現在ログインしている全ユーザのフォロー/リモートフォローしたユーザの投稿が表示されるタイムライン。
つまり、現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿と、現在ログインしているインスタンスの全ユーザの興味によって形成されるタイムラインである。
現在ログインしているインスタンス以外のユーザの投稿が表示されるためフィルタリングの必要性はローカルタイムラインより高くなるが、表示される投稿は現在ログインしているインスタンスの全ユーザの興味の対象であるため趣味趣向に合わなすぎる投稿が表示される可能性はそこまで高くない。
昨今の日本のリベラリズムではセーフスピーチばかりが持て囃され、あまつさえそれを他者に強要し、リベラリズムの「個人などが自由に判断し決定する事が可能であり自己決定権を持つ」というコンセプトとは逆行する、自身がセーフの判断をするのではなく、他者がスピーチを遮るブロックスピーチ的な言説が目立ちすぎる。
Mastodonはインスタンス毎にルールがあり、例えばその特定のMastodonインスタンスが(法令の範囲内で)差別や倫理に関わる投稿ですら許容するというフリースピーチルールを掲げていれば、それはそのMastodonインスタンス内では正義であり、他のMastodonインスタンスのルールと逆行していようが他のインスタンスのルールを変えられる権利はない。
そのルールが気に食わなければユーザが単独でブロックするか、所属するMastodonインスタンスが連合を解除するという権利を行使できるだけなのだ。
国粋主義的な投稿だろうが、暴力革命の必要性を考慮する投稿だろうが、下劣なセクハラ投稿であろうが、非ジェンダーな投稿であろうが、性的マイノリティをキモいと言う投稿だろうが個々のMastodonインスタンスによって正義にもなれば悪にもなる自由裁量権があるSNSこそリベラルと言って良いはずだ。
そしてそれが出来るのがアーリアダプター達に現在注目されているMastodonを含むOStatus・Activity Pubプロトコルを採用するSNSなのだ。
※1 OStatus・Activity Pubプロトコルを採用するSNSはMastodonだけでなく、GNU socialやHubzilla、Pleroma、Misskeyなどよりもっと多くのSNSが存在する。別のSNSであってもOStatus・Activity Pubプロトコルを採用していれば相互接続できる。
※2 フォローとは現在ログインしているインスタンスに登録しているユーザをフォローすること。リモートフォローとは現在ログインしているインスタンス以外に登録しているユーザをフォローすること。
といっても、そういう単発系は
数と頻度に限界あるわけ
それは勿論他の増田にも
当てはまることで、
埋め尽くされている
そこを常に掻き乱した
やはり大きかったなと思う次第なんですわ
非中央集権を謳っておりユーザはMastodonインスタンスと呼ばれるMastodonサーバ群の中から自らの意志でアカウントを作成するMastodonインスタンスを選択できる
MastodonというSNSはオープンソースで公開されており、Webサービスの構築および運営のIT知識があれば自由にMastodonインスタンスを構築し公開することが可能
Mastodonの上記の特性からMastodonインスタンス運営はMastodonインスタンス運営者の人格や思想、趣味などの影響を受け、各々のMastodonインスタンスは雑談系Mastodonインスタンスや趣味系Mastodonインスタンスなどと分類されることがよくある
非中央集権のMastodonは独立したMastodonインスタンス同士で相互接続が可能であり、相互接続によってMastodonというSNS全体のユーザ数や活性度を維持するようになっている
Mastodonインスタンス同士の相互接続のことを連合と呼ぶ。連合内のMastodonインスタンスの公開書き込みは連合に所属するMastodonインスタンスすべてで閲覧することが可能
Mastodonでは現在ログインしているMastodonインスタンス内の他のユーザの動向登録することをフォローと呼び、Twitterでいうところのフォローと認識して良い
そして現在ログインしていない(もしくはアカウントを持っていない)他のMastodonインスタンスのユーザをフォローすることをリモートフォローと呼ぶ。つまり独立したMastodonインスタンス間を飛び越えてTwitterのフォローのようなことができるということである
ホームタイムラインは自身の書き込みとフォロー/リモートフォローしているユーザの書き込みが表示される
ローカルタイムラインは現在ログインしているMastodonインスタンスの全ユーザの書き込み表示される
連合タイムラインは連合内のすべての独立したMastodonインスタンスの全ユーザの書き込みが表示される
連合タイムラインはその仕様上タイムラインの流速が物凄く速い傾向がある
Twitterでいうところのユーザをブロック/ミュートするのと全く変わらない。これは連合内の他の独立したMastodonインスタンスのユーザへも可能
これはMastodonインスタンス運営者のみが行えるもので、Mastodonインスタンス運営者の判断で、他の特定のMastodonインスタンスとの連合を解除することができる。一方のMastodonインスタンスがブロックすると相互で書き込み内容を閲覧できなくなる
Mastodonインスタンス運営者の人格や思想、趣味などの影響を受ける特性上、ジャンルを絞った会話および情報を表示できることが期待できる
実際、大小乱立する個々のMastodonインスタンスは、そのように期待し運営されており、中には運営者以外のアカウント登録を拒否した「お一人様Mastodonインスタンス」なるものまで存在する
Mastodonインスタンスに特定のジャンルに絞ったテーマを与えることによって、そのテーマへ集中し深堀りできることは政治・社会・思想などの論壇では非常にメリットが多いと予想ができる
運営者以外のユーザの登録を拒否することによって、運営コストを抑えられるメリットがある
更には著名なドメインの保持者(例えば首相官邸のkantei.go.jp)がお一人様Mastodonインスタンスを立ち上げることによって、Twitterよりも本人確認に関して信頼性を担保できるというメリットがある
お一人様Mastodonインスタンスであっても他のユーザはリモートフォローが可能なので、お一人様Mastodonインスタンスの書き込みを閲覧したりリプライなどのコミュニケーションを取ることは可能
連合というシステムがあるため、お一人様Mastodonインスタンスでも過疎状態へ陥ることがない
政治・社会・思想系の論壇のデメリットとしては非公開状態になりやすく閉鎖的なコミュニティへ陥りやすいということが挙げられる
しかし、Mastodonでは連合というシステムがあるため話題が限定化されていても内部の透明性が確保できるというメリットがある
アカウントを持つ特定のMastodonインスタンスでMastodonインスタンス運営者の何らかの判断で自身のアカウントがもし削除されても、他のMastodonインスタンスのアカウントを取得することが可能
それがMastodonインスタンス運営者の人格や思想、趣味などの理由によるアカウント削除であれ、他のMastodonインスタンスで代替でき、完全にMastodonというSNS全体から締め出される心配がない
中央集権のTwitterではTwitterというSNS全体から締め出される可能性がある
Mastodonインスタンス運営者の人格や思想、趣味などの影響を受ける特性上、Mastodonインスタンスにアカウント登録するユーザの人格や思想、趣味が悪い意味で偏る可能性がある
つまり、保守系Mastodonインスタンスや革新系Mastodonインスタンスというのが立ち上がる可能性があり、そのようなMastodonインスタンスを立ち上げる自由に関して妨害することが難しい(自由の観点から妨害は望ましくない)
Mastodonインスタンスにアカウント登録するユーザの人格や思想、趣味が悪い意味で偏る可能性があり、特定のMastodonインスタンスの雰囲気が偏重した際、他のMastodonインスタンスユーザから偏見を向けられる可能性がある
ただ、特定のMastodonインスタンスユーザであるということをアピールしやすいという裏返ったメリットがなくもない
保守系Mastodonインスタンスが革新系Mastodonインスタンスへ、革新系Mastodonインスタンスが保守系Mastodonインスタンスへ向けて議論を投げかけるという際には逆に便利ではある
Mastodonインスタンス運営者が「ウイルスやスパムなど、Mastodonインスタンスサーバの維持が困難になるほどのことが無ければ他のMastodonインスタンスを絶対にブロックはしない」と明言していれば良いが、Mastodonインスタンス運営者の中に積極的に他のMastodonインスタンスをブロックする運営者が現れないとは限らない
この場合、対立しているどちらか片方のMastodonインスタンスがブロックをすると双方向の情報共有は遮断される。
ただ、その場合は特定のMastodonインスタンスだけとは言え、ユーザは他のMastodonインスタンスの情報の閲覧ができなくなるのでユーザが離れる原因にはなりうる
Mastodonは政治・社会・思想系に特化したSNSとして構築することは可能
しかし、それはコミュニティや地域、国家間にある偏見や差別や対立と同じ問題が政治・社会・思想系のSNSへも適用されてしまうという推測ができる
ただ、実際の政治・社会・思想系の論壇と偏見や差別や対立は切っても切り離せないのが事実であり、更にはそういった要素が政治・社会・思想系の議論を深めている側面があるのもまた事実である
歴史修正の戦いとは、どちらの「歴史」が正しいか?ではなく、どちらの「世界線」が生き残るのか?の戦い。
タイムパトロールと時間犯罪者の戦いではなく、種族が生存する世界線を守る戦い。
もともとの歴史がどうであったかは問題ではない。正しいとされている歴史が、現時点の種族に不利なら、改変し、その影響を現在に及ぼす。まさしく歴史修正はタイムラインバトル。
国民の多数が、改変された歴史を正しいと信じれば、改変前の歴史的経緯に基づく政策決定は困難になる。
その意味で、歴史の修正はデモクラティック。攻撃側にとって歴史修正がアカデミックである必要性はまったくない。
もっとメタな状況でもかまわない。国民の多数がまったく信じてもいないのに、世論調査で「改変された歴史を正しい」と回答するだけで、政治への影響は同様に発生する。むしろ、「欠如モデル」がまったき効かないという点で、より強力かもしれない。
今日昼に母親から執拗に夕飯の誘いがあり、気が進まないながらも実家に行った。
HDDに録画されたタイトルの中から現在放送中の朝ドラを選択。
完全に嫌な予感がする。
なぜなら最近タイムラインでこの朝ドラの賛否がたまに流れてくるからだ。
朝ドラ見る習慣がないので流していたけど漫画家の話なのは知っている。
「私は28歳で結婚もしてないし子供も居ない!何にもない!」的なセリフを絶叫。
嘘だろ。
前後関係もわからぬままいきなりダイレクトにここだけ見せるのはもう一種のテロだろ。
無言の父。
なんだこれ。
帰宅してこれを打ってるんだけど、
勘弁してくれよNHK。
冗談みたいな展開だが田舎の年寄りは朝ドラでも真剣に見てんだよ。
影響受けちゃうだろうが。
頑張って仕事して生きてて受信料もちゃんと払ってるってのによ……
一気に疲れ果ててしまった。
再度言うが、勘弁してくれNHK。
とある呉服屋さんが作ったアイヌ文様の浴衣が抗議を受けて販売中止になったそうだ。
知らないうちに起こって知らないうちに鎮火していた。
まぁそれはいい。販売中止は呉服屋の判断でありそこに異議を唱えるつもりはない。
気になったのは販売中止を求める人の多くが自身は『和人』であると自認しており、
これは我々『和人』がアイヌの文化の盗用しているケースにあたり『アイヌ』に失礼だ、という理屈で抗議していた事である。
「アイヌが着るならいいけれど…」というようなツイートを見かけて驚いた。
ここで言われる当事者のアイヌとは一体どういう人を指すのだろう。
このツイートをした人達の頭の中にいる許可を取るべき窓口としてのアイヌ、アイヌ文様の入った服を着てもいい当事者のアイヌとは一体誰なのか。
ひとりひとりに聞いて回るわけ?誰が?
と考えはじめたらなんかイライラしてきて今これを打っている。
「私もアイヌの血が流れているがこれの何が悪いのかわからない。
と言っているツイートを見かけた。
そう。これこれ。
私も同じ気持ちだ。
私にはアイヌの血が流れている。と自認している。
今は北海道には住んでいないが親戚はほぼ道内の一ヶ所に固まっている。
アイヌといってもアイヌ村とかアイヌ町とかに固まってるわけじゃない。
みなさんご存じの通り、残念ながら現在は今流行りの漫画の中に描かれているような暮らしをしているアイヌは存在しない。
単純にアイヌと呼ばれていた人達の血の連なりの中にいる人は、数の上ではそれなりに存在する。
「その血が流れている」という事を認識している“自称アイヌ”達が散り散りにいるだけだ。
と私は思っている。
私はこの年代にしてはアイヌの血について家族から比較的詳しく教わった方だと思うが、
そんなアイヌとしてのアイデンティティがある家族でもこれについては大体同じ感覚だと思う。
もちろん様々な歴史の流れの上でそうなったのだが、そういうのはwikiでも読んでくれ。
その散り散りに暮らす自称アイヌの中には文化研究や普及に熱心な方や殊更民族としての誇りが高いアイヌが居るのも事実だが、
他のアイヌが彼らこそが真のアイヌだ!と思っているかというとそんな事はないし、
逆に彼らのようなアイヌになかなか複雑な気持ちを抱いているアイヌも居るし、
活動家みたいな人もいるね、みたいな印象だった。
でも自称和人の皆さんだって正しい日本文化に精通し研究や普及に熱心な方を見て
これこそが真の日本人だ!とは思わないだろう。
そんな感じ。みんな色んな人が居る中のひとり。
少なくとも血が流れている私はそう思っているんですけど、
抗議した自称和人さんが言うところの当事者のアイヌって結局どこにいる誰の事なんですかね?
当事者に聞け当事者アイヌが見たらどう思うかって言いますけど、
じゃんじゃんやれどんどんやれ、誰がどう着てもいいです!!
個人の感想ですけどね。
指摘されてる方もいるけど実はアイヌ文様の和服は歌舞伎の舞台衣装などではなく、現行品としてすでにある。
なので今更感もある。某漫画が売れてるから便乗商売だろって言いたいわけか?だとしても別によくない?
あとTシャツとかスカートとかもあるからね。私も持ってますが。
でも私自身はアイヌ文様を見かけ親しみを感じデザインも気にいったので購入した。
それだけ。
でも今後着づらくなってくるよこんな流れになったら。
そもそも抗議した人からすれば意味もわからず身に付けてる時点で
私も不勉強で文化を踏みつけにする人間という事になるんだろうから。
もし私のような「アイヌの血が流れているだけ」の人間が自前のアイヌ文様のものを身にまとっている時に
赤の他人にリアルで「お前本当にアイヌか?そうじゃなかったら文化の盗用だぞ!」と迫られるという事態に遭遇したら、
逆にアイヌの血が流れていな人がそのように迫られた時は謝らなくてはいけないのか?
またどこからか正義の人が現れて「当事者アイヌに気持ちを聞いてみよう」と
言い出すのだろうか?
アイヌにも色々いるのですが、なぜ「当事者のアイヌ」なんて言葉が出てくるのだろう。
今回抗議した自称和人が想定している“呉服屋と直にやりとりすべきアイヌ”って一体誰なんですか。
もしや私が知らないだけでアイヌ協会が正しいアイヌ認定証でも発行してんだろうか?
もうはっきり言って今現在普通に暮らしているアイヌの血が流れてるものにしてみれば
『当事者のアイヌ』なんて言葉が自称和人から出た事の方が浴衣より拒絶感があった。
誰がお前はアイヌだと決めるのか。
その時にだけ出てくる正しいアイヌ。
こっちはあなた方一人一人が本当の和人かどうか確かめようなんて思ったことすら無かったのに。
突然「当事者のアイヌに聞いてみよう」なんて正義面して言われる。
正直なんか裏切られたような気持ちになった。いい事してると思って何の疑いも無いんですもん。
「アイヌの職人さんが自覚的に帯として作って収入を得るということならまだ良い」
協力するアイヌ、正しい知識のアイヌ、作って収入を得ていいアイヌ。
これ正しい事言ってるつもりでめちゃくちゃグロいですよ。
それを私が昔話として聞いて「クッソー!ムカつくな!」と思う事と
今現在タイムラインで正義面して我々がアイヌを守ろうという話をされる事や、
謎の反省をされる事や、
そのツイートをいい事言ってる!正しい文化を守ってあげるからね!といわんばかりに
自信満々にRTされる事に「うるせー!!」と思う事は両立する。
ムカついて一気に打ったので正直めちゃくちゃだが最後にもう一度。
今回呉服屋に抗議したような、自分達は政治的に正しいと思っている方々。
一体あなた達が守ろうとしてくれたアイヌって今現在どこにいるのでしょう?
私はその中に入ってますか?