意識が高く、向上心があり、常に自分を磨くトレーニングをしている人のことだ。
私のSNSのタイムラインの過半数は、インフルエンサーたちの筋肉で蒸し暑い。
自分は世の中についてこう思う。
他の人になにを言われようが気にしない。
などなど...。
自分の筋肉を他人に見せびらかすことは自己顕示欲が強くて気持ちが悪いと、
一時期そんなマッチョたちに嫌気がさしていた。
会社で行っている仕事と自分の鍛えたい箇所が違っていたからなので、自分に合わない仕事で疲れていた。
他の人のことが気になり、自己否定を繰り返す毎日で、彼らの「マッチョな生き方」は息苦しかった。
私の周囲は会社の仕事と自分の鍛えたい箇所がマッチしている人が多い。
別次元の話だから多少きつくてもやっていけるのだ...。自分はなんてダメなんだ。
当初はただ不貞腐れ、ダラダラ過ごしていたのだが、途中で疲れがピークに達し心療内科へ行った。
その疲れは私の現在の抑うつの診断と紐づいていることが分かり、自分の鍛えたい箇所に改めて向き合う必要があると実感した。
診断後だいぶ苦しい思いをしたのだが、吹っ切れたお陰で最近、休日に自主学習や自主制作がはかどっている。
仕事でもちゃんと自分を磨くトレーニングができ、多少の嫌な作業でも栄養と考え取り入れる思考ができた。
今では、マッチョたちのツイートを見ても邪険に感じなくなり、むしろ自分の成長に活力を与えてくれるものだと感じている。
転職に期待することとして待遇が良いこと、福利厚生や休日の量、やりがいなど(大切なことだが)表層的なことばかりで、控えめに言っても頭を使っている転職活動とは思えない。
私自身も鍛えることは嫌であった。
でもそれは自分に合わないトレーニングをしていたからに他ならない。
栄養を取らず、ガリガリになった求職者にとってマッチョな生き方はきっと以前の私と同じく別次元の話だと思うだろう。
不貞腐れ、ダラダラしたままで、仕事を移っても良い結果は得られないのではないだろうか。
現在の転職のサービスは、転職の間口を広げ、限界寸前のガリガリの求職者も転職の市場に放り込まれている状態だ。
結論として「マッチョな生き方」は社会を生きるうえで必要であると私は感じている。
その目的は自分と他人を早く切り離し、己の成長にのみ向き合うために他ならない。
己の成長の結果の対価として、報酬のアップや仕事の業務内容や環境の改善などを転職ではじめて求めることができる。
転職理由に他人を持ち出した時点で、急務であるべきは転職ではなく休職だと私は思う。