はてなキーワード: お客様とは
違う。文字通り、ホモ=単一の ソーシャル=社会 で、同質性がベースになった集団の事をいう。例えば村社会的な。
ジェンダー分野では男性だけの価値観が共有される共同性の事を言う。そこに女性が入ると外様、お客様扱いとなる。女性が女性同士の関係性を保持したまま入ると拒絶される。
そう言う関係性は「外部」を扱うことが出来ないから公共的ではない。
この男性同性愛者=ホモソーシャルという安易な連想は上野千鶴子もやっていた。
あと、好きなもの、擁護したいものを批評するにあたり批判的な感想を持ってはいけないというルールはこの15年のネットでのオタク批評だけの約束事が拡大されただけに過ぎない。
当初のオタクは社会からの迫害の意識が強かったのでそれがルール化した。それ故アンビバレントな感情を扱うという事が出来なくなった。
一番極端だったのは全共闘世代でわざわざ己らに対して否定的で挑発的な批評を好んだ。村上龍の「我々の前に道はない我々の後に道はある」なんてのが有名。
90年代ベンチャーの募集広告等でも好まれ、会社説明会で「この会社は明日にも倒産します」とぶつのが流行したりした。
文学者の福田和也は「血塗れた女衒の倅だる我ら日本人」というような言い回しを評論でして反日扱いされていたが、当然これも挑発的な批評だ。
緊急事態宣言も出たし、東京はかなりヤバいことになってるしで、ついにこの地方の住民も危機感が出てきたのか、店が少し暇になった。帰宅ラッシュ時の混み具合はさして変わってないし、ピークを外した時間帯に家族連れとマスクしない民がわざわざ来店するのも変わらないけど。でも、21時過ぎに幼児を連れてくるお客様はいなくなった。
Aさんが注目している外国人のお客様が来店。そのお客様は何人なのかよくわからないのだが、何か羽振りが良さそうなのと日本語をよく理解している(喋るのは苦手らしいが)のとで、一体何の仕事をしているのか、Aさんは気になるのだそう。
そもそも、「日本で働いている欧米人以外の外国人=貧しい」というのが、ものすごい偏見だけれど……。
Aさんに注目されている外国人のお客様は私のレジのところにやって来て、公共料金の支払いを数件していかれたのだけれども、払込票が全て会社名義であることから、そのお客様は経営者だということがわかった。
海外で起業した日本人が世界中にいるように、日本で起業する外国人というのもまたいるのである。ということが、Aさんには衝撃だったらしい。
鬼滅の刃のお菓子の新商品が入荷。新アニメ合わせで、煉獄さんが消えた代わりに宇髄天元がメンバー入り。宇髄天元パッケージの菓子を手に取ったAさん、
「なんか、今度のヤツは地味ですね」
なっ! ド派手と祭の神に、なんてことを!!
連投になるがアレか、つまり、きちんとチャイナ語読みしてたら相手もきちんとチャイナ語読みで返してたが、
読み間違えてたからお客様感情に配慮して敢えて日本語読みで返してくれたという可能性!!
めっちゃ恥ずかしいなおい!!
引っ越ししてネットの開通が遅れてる。不動産会社にやられたのか
原因は引っ越し先にあると思った「光コンセント」がなかったこと。よって開通予定日が2週間遅れ、工事費1.4万円くらいプラスで請求される。
これまでの経緯を言うと、引っ越しの4週間前に不動産会社に光コンセントの有無を確認。担当者からあると回答貰ったのでプロバイダーに工事なしで入居の翌日に開通を依頼した。
引っ越しの前日に工事後の家を確認したら、あるはずの光コンセントがない(管理会社には工事後の内見前に入金済みで、工事終わる10日前が支払い期限日)。→「え?なんでないの?」と慌てふためく不動産会社の担当者。
話にならんと思い、契約書に書いてあった財閥系の管理会社に問い合わせると、「光コンセントは残地物として当社では処理している」「工事後内見して契約いただいてる形なので工事費はお客様の方でお支払いください」とのこと。
いやいや、光コンセントがあるから即日開通できると思って契約したんだよと。チャーシュー追加でトッピングして、箸つけた後に「あれ?なくね?」って気づいたら、箸一回つけたから交換できませんって言ってるのと同じだぞと。追加でチャーシューくれればいいのよ。追加で早く仕事で必要だからネットが必要なんだよ。
不動産会社の担当者とその上司曰く、上司も光コンセントが入居前のクリーニング工事で撤去されたのは見たことないとのこと。悪いのは管理会社か、その施工した会社と間接的に指摘。
管理会社は工事後の内見後に契約したのだから知らんこっちゃないという対応。我が社では光コンセントを残地物として処理することが普通なんだと主張。
これはやられたわ。みなさん引っ越しするときには気をつけて。ネット開通2週間遅れることになり、現在ポケットWi-Fiレンタル中
前者は真っ黒。ニトロほか明確に禁じてるところもある
1.創作性があること
2.直接販売であること:
お客様が配布行為の直接の主体となる場合。すなわち、イベント等での対面販売、もしくは通信販売であっても自身のHP等、小規模な案内のもと、自ら受注を確認し、配布物を梱包し、発送の手続きを行うようなものは直接販売とみなします。委託販売やオークション等、第三者を仲介し、または不特定多数に向けることを目的とし、継続的かつ反復的に販売を行う行為は、認められません。
なお、上記例は例示的記載であり、たとえば内容や対象等が特殊な範囲内において、特定可能性が高い対象に対して、結果的にその活動が小規模となりうると推測しうる範囲での行為であれば表面上委託販売であっても、直接販売と判断しうるような場合もございます。
コロナ感染による相次ぐ職員の休職、増える残業時間、予算の都合上支払われない残業代、適応障害で倒れる先輩、何故か政府の対応に対する非難を市役所の税務課にかけてくる猿。
元々金は使わないし、こんな生活続ける程なら生活保護でも受けていた方がよっぽどマシだと本格的に嫌気がさしたのと、趣味が興じてメー子で働いてる友人の紹介が重なって転職が決まった。提示された給与みてビビった。今の1.7倍ぐらいになる。友人の話ではそれプラス残業代がつくらしい。民間すげえ。地方公務員の行政職が薄給すぎるのか。職場に泊まり込みとかしないでいいらしい。民間すげえ。
ご時世に仕事仲間たちを残して職場を離れるのは本当に心苦しかった。上司は「こんな状況じゃ仕方ないよなぁ、俺がお前だったらお前と同じことするよ。頑張れよ」と背中を押してくれて思わず涙ぐんでしまった。
今まで公僕として身を粉にしていたが、もう今更懲戒免職だろうがなんだろうがどうにでもなれ、俺は次が決まってるし、もう糞みたいな事にリソースを割きたくは無かった。
ある日、年配の住民が課税証明の発行を窓口で頼んできた。急ぎの県の委託業務を処理で忙しかったが、なんせ周りも対応中だったり余裕が無さそうだったので俺が対応した。威圧的な頼み方。よくある事だ。発行した証明と領収書を手渡すと「良いよなぁお前らは、世の中今こんなに大変なのに椅子に座ってるだけで金貰えてよ、なぁ!!」
今までは「えぇ、はぁ、いえ……」とか適当な相槌を打っていたが、休みの日に見舞いに行った適応障害の同僚の顔を思い出して思わず真顔で「そうだよ、あんたもやったらどうだよ」と言ってしまった。隣で対応してた同僚が間仕切り越しに驚いた表情をしていたのが視界に映りこんだ。
「なんだとてめえおいゴラ!もう1回言ってみろ!こっちはわざわざ足伸ばしてんだぞ!おめえ増田ってんだな!責任者だせ!てめえじゃ話になんねえ!」
パイプ椅子から立ち上がり窓口で凄んでくるおっさん。胸ぐらでも掴んできたら正当防衛で掴んできた腕を引っ張ってカウンターに頭を叩きつけてやろうかと思った。
つうか、証明書発行しに来ただけだろ、何の話だよ。
「〇〇様(おっさんのフルネームの周りに聞こえる大きさの声で呼称)ですね、しっかりと覚えておきます。他のお客様のご迷惑になりますので、警備の者を呼びます。このご時世に大声を出されると先日のように警察が取り押さえに来るので(警察が来たことは過去にない)御遠慮下さい。」
そういいながら内線に手を取り受話器に耳を当てるモーションを取ると「共産党の議員に知り合いいるからな、お前の首なんで飛ばすの簡単なんだよバカが。馬鹿だから市役所でしか働けねえんだよな。馬鹿が」と言って去っていった。
糞みたいな相手に糞対応するのってこんなにストレスが貯まらないものなのか。感動した。4年間市役所で働いてて初めて知った。
隣で対応していた同僚に「ビックリしちゃいましたよー、でもあんま大きな声じゃ言えないんすけどスッキリしましたよ。ああいう客きたら増田さん呼びますね」と笑っていた。
こんな対応しても許される風潮があれば、抱えるストレスってもっともっと小さくて、転職なんて考えてなかったのかもしれない。
俺は今月いっぱいで仕事納めで来月から有給消化に入るんだけれども、コロナ禍の行政職の人の負担が人一倍わかるので、本当に体に気をつけて欲しい。頑張ってください。一日でも早い収束を祈ります。
オーナーに15分早く来いと言われたので、早く出勤したら、昼勤のシフトリーダーがいて、「夏休み中は何時まででも残業出来るから、気にしないで定時に出勤してきていいよ」と言った。いやシフトリーダーは鬼のようにオーナーに反撃してもクビにならないけど、私は逆らったらシフト減らされちゃうだろ。夕勤なんかただ「晩飯時なのに出勤してくる」ということにしか価値がないので、これまで少しでもワガママとかやる気ない奴はサクッとクビに追い込まれていたぞ!
シフトリーダーがいつまでも残業出来る理由がしょっぱかった。最近、よく店に来るヤカラみたいな客と付き合い始めたら、家族に邪険にされるようになってしまい、家に居場所がない、という。そりゃあ、何があったか知らないけど旦那さんとど派手に離婚して実家へ戻ったというのに、より一層おかしな男と付き合い始めて、いい顔する親も娘もなかなかいないと思うよ……。
「娘なんかね、『付き合うっちゃ何よ。気持ち悪い』なんて言ったきり全然話ししてくれないの。まだ10歳の癖に生意気いうでしょー?」
ならせめてコンビニ店員の女をチャラチャラナンパするド金髪のチンピラみたいな奴なんかじゃなく、もっと真面目そうな男と付き合ったらどうか。元旦那さん、娘さんを時々預かったり面倒見てくれてるらしいし、娘さんも離れて暮らしててもちゃんとお父さんしてくれてるお父さんがいれば他にチンピラのパパなんかいらないと思うよ、知らんけど。
壁の、天井に近いところにハチのような虫がいた。モンシロチョウの青虫を網目のスカスカな虫籠に飼っているといつの間にか籠の中に侵入してきて、青虫に卵を産み付けるヤツに似ている気がした。たぶん、人間にとってはただそこにいるだけの無害な虫だ。青虫を飼育する趣味がない限りは。
その、ハチっぽい虫がただ壁に貼り付いているのを、フリーター女子アルバイトさんが「気になってしょうがないんです」と言い、踏み台を出して来てその上に乗り、ハエたたきで叩き落とそうとするので、「いや、ただ生きてるだけの虫なんだし、わざわざ殺すことないじゃないか」と言ったら、
「虫にまで情けをかけるなんて、すごいですね!!」
と、フリーター女子アルバイトさんは言った。この人の倫理観は鬼滅の刃過ぎる。悪鬼滅殺! 悪鬼滅殺! でも炭治郎だったらただそこにいるだけの無害な虫を殺したりはしないとおもうの! 知らんけど……。
ドリンクの補充とウォークイン冷蔵庫の中の片付けをやった。清々し気分になるので好きな作業だけど、一時間もかけたのはちょっとやり過ぎだったかもしれない。
緊急事態宣言が出ても、客足はむしろ増えるばかり。だけどオーナーは「どうせ売れない」といって夕方の納品を少なくしたので、スカスカの棚を見てさっさと帰るお客様が多かった。
https://www.e-yuzawa.gr.jp/sys/
「FUJI ROCK FESTIVAL‘21」における感染防止対策の徹底について
2021.08.11
8月20日(金)から22日(日)まで、苗場スキー場においてフジロックフェスティバル‘21が開催されます。今回のフジロックは、感染防止対策を徹底した「特別なフジロック」として開催するために、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室及び感染症の専門家の方々、新潟県防災局危機対策課、医療機関、地区医師会などからのアドバイスを基に、地域医療に負担をかけないよう対策が取られています。
当機構では湯沢町、湯沢町商工会、他関係各所と連携し、町内事業者への感染防止対策認証制度の実施、ワクチン接種の促進を図るなど、安心安全に開催するための地域の環境整備を進めて参りました。また、お客様をお迎えする町内事業者に対しては感染防止対策の徹底を呼び掛けております。
感染拡大防止対策の内容は、主催者ホームページにガイドラインが掲載されていますので、ぜひご覧ください。
デパ地下には来ないでくれ。
ノーマスク運動だかなんだか知らんが、入口に「マスクつけてね」って書いてあるの読めんのか?
小さい子供連れの夫婦がマスクせずにベチャベチャ喋りながらこっちに注文してきた時はマジで恐怖を覚えた。
そうかと思えば、百貨店にコロナ対策関連のご意見が死ぬほど来てる。
そりゃ咳もするだろ。人間やぞ。
知らんかもしれんが、百貨店従業員の喫煙率は異常だ。全員喉がイカれてるので諦めてくれ。
気にする人は死ぬほど気にしてるし、気にしない人は死ぬほど気にしてない。
最悪の掃き溜めがデパ地下だ。
従業員もどうかしている。
牢屋みたいな休憩室に、ペラペラの申し訳程度のパーテーションがあるが、その内側で飯食いながらふつーに楽しそうに喋ってる。つーかそのパーテーション1年以上前に付けて、掃除してるの見たことない。
お客様の喫煙所は閉鎖だが、従業員の喫煙所は閉鎖しない。喫煙所はもっとすごいぞ。喫煙者には独特のコミュニティがあって、大変楽しそうに盛り上がっていらっしゃる。煙草吸いながら。
どこもそうだけど、従業員は人間じゃないので別にどうでもいいよな。代わりはいくらでもいるし。
来るならせめて1人で来い。
家族連れで来て子供が絶叫しながらフロアを走り回ってるの本当にどうかしてる。
この前もどっかのフロアで陽性がでて清掃してた。
清掃とかでどうにかなるもんなの?知らんけど。
とにかくデパ地下には来るな。
俺らはいつでも最高に美味いメシ用意して待ってる。
デパ地下には来ないでくれ。
ノーマスク運動だかなんだか知らんが、入口に「マスクつけてね」って書いてあるの読めんのか?
小さい子供連れの夫婦がマスクせずにベチャベチャ喋りながらこっちに注文してきた時はマジで恐怖を覚えた。
そうかと思えば、百貨店にコロナ対策関連のご意見が死ぬほど来てる。
そりゃ咳もするだろ。人間やぞ。
知らんかもしれんが、百貨店従業員の喫煙率は異常だ。全員喉がイカれてるので諦めてくれ。
気にする人は死ぬほど気にしてるし、気にしない人は死ぬほど気にしてない。
最悪の掃き溜めがデパ地下だ。
従業員もどうかしている。
牢屋みたいな休憩室に、ペラペラの申し訳程度のパーテーションがあるが、その内側で飯食いながらふつーに楽しそうに喋ってる。つーかそのパーテーション1年以上前に付けて、掃除してるの見たことない。
お客様の喫煙所は閉鎖だが、従業員の喫煙所は閉鎖しない。喫煙所はもっとすごいぞ。喫煙者には独特のコミュニティがあって、大変楽しそうに盛り上がっていらっしゃる。煙草吸いながら。
どこもそうだけど、従業員は人間じゃないので別にどうでもいいよな。代わりはいくらでもいるし。
来るならせめて1人で来い。
家族連れで来て子供が絶叫しながらフロアを走り回ってるの本当にどうかしてる。
この前もどっかのフロアで陽性がでて清掃してた。
清掃とかでどうにかなるもんなの?知らんけど。
とにかくデパ地下には来るな。
俺らはいつでも最高に美味いメシ用意して待ってる。
先日、店で警察沙汰が起きてその対応にてんやわんやだった時間帯にちょうど店が混雑して大変なことになった。
で、その大変の嵐が去った頃にバイト仲間のDさんがふらりとやって来たのだけど、なんか事務所でもさもさと菓子を食っていた。
そんなタイミングで、用があって事務所に入った私は、Dさんに何しに来たの? とマイルドに聞こうと思って少し考えたんだが、実際口から出た言葉はというと、
「えーっと、何しに来たんですか。」
しかも意図せずめっちゃ冷ややかな声出た。驚いた様子のDさんは、菓子をモグモグしながら、
「Aさんに何か用があって来たんですけど忘れちゃったー、えへっ」
と言った。まあいいですけど……。
しかし、あの時みたいに直球の暴言をいつもスラスラ言えるくらいの反射神経を持っていたら、人生楽しかろうなあと思った。
今日も雨降りだったが、こうも雨が毎日降り続けると、「雨が降っているからコンビニに行くのはよそう」と人々は思わなくなるし、むしろお出かけしたいけれどコンビニくらいしか行く所がない、という感じで、コンビニは混雑しがち。今日も混んだ。
しかも、みんながみんな、「ピークを外せばコロナにかからない」とばかりにピークを外して来るので、いつもは混まない時間帯に混むのだ。
そんなわけで、普段は暇な時間帯にAさんが休憩に入った頃に混み始める。しかもそんな時に変な動きをするお客様が現れて、レジ対応が止まる。
そのお客様は結構来店する人なのだけれども、今回は商品をいくつかと同時にインターネット支払い三件を持って会計に来た。全部現金で払うというので、うっかり現金払いしか出来ない支払いのために高額のプリペイドカードチャージを先にしてしまって揉めるということはなかった。
ところが、そのお客様は何故か支払いのお金をすごく細かく封筒に小分けして持って来たのだ! たった三件のインターネット支払いと、菓子パンだのを買うためのお金を、封筒五袋と小銭入れと財布と財布の中に忍ばせたジップ袋(絆創膏とか入ってるようなやつ)に別けていて、全部の封筒等から小銭ばかりを出して自動レジに入れていく。封筒の一つからは千円札が数枚はみ出ていて、それを全部使えば余裕で払えるというのに、お客様は、
といって、テーブルの上に封筒を散らかしたまま外に走って行ってしまった。
その状態で次のお客様のお会計をすることは出来ない。商品と封筒を隅に退けて、鬼のようにお金を小分けしているお客様のお会計を「保留」にすれば次のお客様の会計をすることは一応できるのだけれども、支払いの祭にワケの分からないムーブをした挙げ句に「ちょっと待ってて!」と言って車にお金を取りに戻る人というのは、何故か元のレジに戻って来ないことが多い。別のレジで「さっきのお金払いたいんですけど」と駄々をこねて店員を困らせるのが定石。だから私は次のお客様を呼ばずに休憩中のAさんを呼び出して、隣のレジで後から来たお客様達の対応をお願いした。
ちょっと待ってて! と言って車にお金を取りに行くお客様が戻って来るのは遅いの法則、無事発動。すみませんねと言って長財布を開いたお客様だったが、財布の中にあるお札には手を着けず、財布の真ん中にある内ポケットから苦労してすごく小さいジップ袋を取り出す。勿論、ジップ袋を取り出すのに苦労した原因は、ジップ袋の端を内ポケットのファスナーが噛んでいたからだ。
親指と人差し指を入れるのもままならないような小袋から、10円玉を親指と人差し指で摘まんで取ろうと奮闘するお客様。やっとのことで10円玉だけを取り出し(100円は取り出さなかった)、レジに入れ、テーブルの上に散らかした五枚ほどの封筒を一つ一つ取り上げて小銭をちゃりちゃり入れていく。車までわざわざ取りに行かれたお財布の中のお札は手付かず。小銭をいくばくか入れたあと、お客様は先に手に持っていた折り畳み財布から千円出そうか出すまいか逡巡したあと、お財布をハンドバッグに仕舞い込み、今度はハンドバッグの内ポケットを漁ったがお金は出さず、そしてテーブルの上に散らかっている封筒のうち、千円札が数枚チラリズムしている封筒から千円札を出そうか迷った後でやっぱり出さず、封筒を一つ一つ逆さまにして小銭を振り出し、ハンドバッグの内ポケットを漁り、小さなジップ袋からまた小銭を出し、洋服のポケットに手を突っ込んで小銭を出すなどしてやっとのことで払い終えた。そして時間をかけて封筒をハンドバッグに入れたり、長財布に入れようとして封筒の端がファスナーに噛まれたりなどして、最後にはゆっくりとハンドバッグに財布を仕舞うと、
「どうもすいませんでしたね」
といって、都会の駅の改札口を走り抜ける人のような素早さで帰って行った。Aさんのレジの混雑はいつの間にか終わっていた。
22時より15分ほど前、私がトイレ掃除をしている間に子連れのお客様が来店して、チャッカマンを買って行ったとAさん談。
「これで花火ができるねー!」
とはしゃぎながらお子さま達は店を出て行ったそう。その子連れのお客様達の車は店の真ん前に停められていたのだが、車内にも子供が何人も乗っているのが見えたとAさんは言っていた。ちょうど、雨が止んだ、この隙に大勢で花火をするという発想は、私にはなかったぁ……。
すごく久しぶりにコンドームが売れた。なんか、コンドーム買いに来るお客様って、どや顔でコンドームの箱を突きだし、誇らしげな顔でフンッて鼻息を出しがち。
ソース:https://www.animefeminist.com/history-not-with-a-bang-but-a-letter-violet-evergarden-rewrites-traditional-world-war-i-narratives/
暁佳奈のライトノベルを原作とする京都アニメーションの名作、ヴァイオレット・エヴァーガーデンがネットフリックスで公開されたとき、初見の私が想像していたのは、Foreignerのヒット曲さながら、愛というものを知ってみたい少女の無邪気な物語だった。まさか号泣することになるとは。
ものの数分でその予想は裏切られた。
この作品は涙なしには観られない戦争ドラマであり、スチームパンクな歴史改変モノだったのだ。しかし、何よりもトラウマにまつわる物語だとわかった。
PTSDの歴史、1900年代初頭の文学作品における定形表現、そして人気ジャンルである「戦争物語」を、本作は、少女兵士を主人公とした上で見つめ直している。第一次世界大戦の歴史、とりわけ女性の歴史を振り返り、再解釈することで、かつての物語に対してフェミニスト的なテーマを根底に据えた新たな息吹をもたらしているといえる。
戦争物語という切り口からヴァイオレット・エヴァーガーデンを解説している人は珍しくない。例えば「Mother’s Basement」というYoutubeチャンネルでは、人情味を持って共感を表現し、ヴァイオレットの成長を描ききったシナリオの妙について見事な考察動画がアップされている。だが、トラウマや障害を抱えた少女が自信を持って活躍できるようになっていく様子や、いかにPTSDがリアルに描かれているかという点については、あまり取り上げられてこなかったように思う。
この点を踏まえた上で、テルシス大陸における戦争のモデルとなった、第一次世界大戦の基本事項を整理するところから始めようと思う。ざっくりと言えば、この大戦は1914年から1918年の間に起こったもので、何がきっかけとなったかは諸説ある。開戦とともに急速に戦火が拡大したけれど、1914年の冬までには終結するだろうというのが大方の見方だった。
その目算が外れたのは言うまでもない。戦争は4年も長引き、フランス、ドイツ、イギリスを中心とした各軍のインフラは、塹壕戦と呼ばれる、この時期に流行した新しい兵器や戦法に対応するための装備が圧倒的に不足していた。
兵士の多くが若く経験不足だったこともあり、戦いは想像以上に過酷なものになっていった。戦争から帰還した兵士たちの間には、「新しい」病気が蔓延した。俗に「シェルショック」と呼ばれ、後に「PTSD」や「PTSS」 (心的外傷後ストレス障害、外傷後ストレス状態)として診断されることになる、「男性ヒステリー」という病だ。
「ヒステリー」とは、当時、性別役割分担に厳格だったヴィクトリア朝時代に用いられた医学用語で、今で言うところの鬱病、不安神経症、心的外傷後ストレスといった精神疾患全般を表すものだったが、適用対象はシス女性がほとんどだった。そのため、「ヒステリー」扱いされた兵士たちは周囲から男失格のレッテルを貼られ、つまはじきにされる結果となった。
兵士だけではない。第一次世界大戦に参加した国々とその植民地は、集団的なトラウマに苦しんでいた。とりわけ顕著なのはドイツで、戦争への参戦とその後の経済低迷の影響から、ナチスの台頭を許すほどだった。フランス、イギリス、ドイツのメディアでは、この大戦は未だ主要なテーマであるし、世界各国の兵士とその家族が残した手紙は今なお読むことができる。
この大戦が世界に与えた影響は計り知れず、文学や歴史、そして現代の戦争にも様々な影響を及ぼしている。だが、ここで重要になってくるのは、戦争にまつわる有名な物語や歴史で描かれるのは男性ばかりなのに対し、本作の主人公であるヴァイオレット・エヴァーガーデンは女性兵士ということだ。
男性ばかりなのは当然、当時の軍隊で中心的な役割を担うことができたのは男性だけだったからだ。例外としては、第一次世界大戦において戦闘に参加した唯一の女性イギリス兵、フローラ・サンデス(セルビア軍所属)や、マリア・ボチカリョーワという若い女性が隊長を務めた、「ロシア婦人決死隊」と呼ばれるロシア軍の小隊などが挙げられる。
だが、第一次世界大戦で軍隊に従事した女性の多くは、戦場で看護師として働くか、工場で働くなどが一般的だった。例えば、アメリカの「ヨーマネッツ」や「ハローガール」と呼ばれる女性たちは、銃こそ持たなかったが、電信技師やカモフラージュデザイナー、魚雷組立工など、幅広い仕事によって戦争を支えた。
軍に従事した女性たちにも多くの物語があったにもかかわらず、戦争物語のフィクション作品はほとんどが男性中心となっている。女性はもっぱら脇役として登場し、戦死した兵士を嘆き悲しんだり、恋人役だったり、あるいは…良からぬことをされる。言ってしまえば、男性キャラクターを成長させるための舞台装置であり、そのためだけに殺されてしまうことも少なくない。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界においても、戦闘や戦争は男の仕事であり、女性はもっぱら「受動的」な役割に追いやられている。だが、ヴァイオレットは他とは異なり、女性であるだけでなく、兄ディートフリートから弟ギルバートへ「プレゼント」として押し付けられた「道具」という扱いであることから、注目すべき例外と言える。ヴァイオレットはモノ化されているのだ。殺人こそがヴァイオレットの生かされる理由であり、ギルバートの命令に従うことが唯一の生きる意味なのだ。
こうした虐待と、戦争でギルバートを失ったトラウマ、そして戦場で目にした暴力が相まって、ヴァイオレットは明確なPTSDを抱えることになる。作品を通して、ヴァイオレットは次のようなPTSD特有の症状をいくつも示している。
これらの症状は、娘を亡くして嘆き悲しんでいる作家、オスカーのために手紙を書いた後、はっきりと立ち現れてくる。戦いの中で自分がしてきたことを理解し始めたヴァイオレットは、戦場のフラッシュバックに苛まれ始める。
最終的に、ヴァイオレットはギルバートを探すために戦地を訪れる。ギルバートを見つけられなかったことで深い絶望に陥ったヴァイオレットは、自殺を試みる。退役軍人の自殺リスクは現在も高く、自殺者数は戦死者数を上回っている。
第一次世界大戦の歴史を描いた物語の多くがそうであるように、ヴァイオレットが抱えるテーマも、いかにして心的外傷後ストレスに立ち向かうかという点に重点が置かれている。このことは、作品の構成にも反映されている。
ストーリー序盤におけるヴァイオレットは、戦地での負傷から立ち直ろうとする、感情を失った少女だった。しかし、第7話でホッジンズが警告したように、ヴァイオレットの記憶は「(自身を)燃え上がらせる火」であり、いつか「たくさん火傷している事に気付く」ことになるものだった。そして、ヴァイオレットはそれに気づいてしまう。戦場で過ごした日々を思い出すたび、ヴァイオレットだけでなく、視聴者までもがフラッシュバックを体験することになる。
しかし、「女々しさ」とか「弱さ」といったPTSDに対する従来の見方とは異なり、ヴァイオレット・エヴァーガーデンはヴァイオレットのシェルショックを丁寧に扱っている。ヴァイオレットが自動手記人形の仕事を通して他人に共感してきたのと同じように、この作品は視聴者にもヴァイオレットへの共感を求めているのだ。
ギルバートの死を否定するのをやめ、自身のトラウマを受け止めたヴァイオレットには、PTSDから立ち直るための長く険しいプロセスが待ち構えていた。トラウマ研究では、これを「心的外傷後成長」と呼び、ネガティブなもの(停滞、衝動的な行動、否定)と、ポジティブなもの(前進、対処法の獲得など)の2種類に分けられる。
ヴァイオレット自身にとっても視聴者にとっても幸運なことに、ヴァイオレットの心的外傷後成長はおおむねポジティブなものだった。自動手記人形として人と一緒に働くうちに、自分の感情を受け入れ、なぜそのような気持ちになるのかを考えて納得できるようになったことで、ヴァイオレットは回復の道を歩み始める。
さて、本作のいわゆる「今週のお客様」エピソードの中には、「戦争で失った恋人を恋しがる女性たち」というお約束的展開をそっくりそのまま踏襲しているものがあるが(OVAがその好例)、一応付け加えると、この展開自体が本質的に悪であると言いたいわけではない。OVAでは、第一次世界大戦中に多くの女性が体験した出来事がリアルに描かれており、膨大な量の手紙が世界各地に送られたという点も史実に忠実となっている(手紙の多くは歴史的資料として残存している)。
しかし、ヴァイオレット自身は、作品を通して、そのような歴史的・文学的な流れに逆らっている。
ヴァイオレットは家に帰ってきたが、想い人は帰ってこなかった。
兵士は、新たな傷を負って帰ってきたのだ。
そして、ヴァイオレットはその生い立ち故に、想い人を亡くしたクライアントと、亡くなった想い人の両者に共感することができる、いわば、境界的な立ち位置の人物といえる。「民間人」と「軍人」、「女性の世界」と「男性の世界」、「家庭」と「軍隊」、そういった境界の中でこそ、ヴァイオレットは真に花開くことができるのだ。
ヴァイオレットの境界的な立場は、自動手記人形の仕事においてユニークな強みとなっている。作中の時代設定と同時期に当たるヴィクトリア朝時代や第一次世界大戦期は、タイピストやゴーストライターになる女性が急増した時期であり、ヴァイオレットも当時の女性たちと同じく、この波に乗っていると言える。
こうした女性たちは、「媒体としての女性」というお約束的表現として文学に登場するようになった。彼女らは、タイプライターや電信機、さらには速記法を用いて、人々の思いを目に見える形にし、様々なメッセージを伝えるという役割を担っていた。哲学者で文学理論研究者のマーサ・ヌスバウムの言葉を借りれば、「目的のために使われる道具」としてモノ化されることも多かったが、家父長制の世界を生きる多くの女性にとって、この種の仕事は、生まれてはじめて主体性を獲得できる場でもあった。
ヴァイオレットの当初の動機は、初めて手にした主体性を社会で活かそうとしたヴィクトリアン朝の女性たちとは若干異なっている。自動手記人形を志したのは、他者を理解したい、そして何よりも、少佐の最期の言葉を理解したいという目標を叶えるためだった。そして、人々の思考や感情の「媒体」としての立場を通じて、自分の感情をよく理解し、虐待やトラウマを乗り越え、主体性を獲得することができるようになっていく。
第一次世界大戦や、そこに至るまでの過程を題材とした文学作品によく見られる、「媒体としての女性」という定形表現とは異なり、ヴァイオレットが主体性を持つことができたのは、その境界的な立場ゆえである。戦争に巻き込まれる家庭の立場、戦争を戦う軍隊の立場、その両者に対して共感、理解できるという強力な武器を生かすことで、戦争をテーマにしたアリアの歌詞を書くために戦死した兵士の手紙を研究したり、嘆き悲しむ父親のために文字通りの意味で媒体となったり、兄弟の絆を取り戻す手助けをしたりと、ヴァイオレットは単に人の気持ちを左から右に渡す中継役ではなく、自らの手で変化をもたらす主体となっている。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンと史実の違いは、これまでメディア等で描かれてきたタイピストや媒体役の職業人たちが受け身の存在と見なされてきた一方で、ヴァイオレットは周囲の人々の物語に積極的に関わっているという点にある。こうした活動を通じて人々の成長を助けていく中で、ヴァイオレット自身にも成長が見られるようになっていく。
第11話では、その成長がはっきりと見て取れる。過激派の部隊を立ち退け、銃弾に倒れ死に瀕している兵士、エイダンの最期の言葉を記録し、訃報の知らせと最期の言葉を家族の元へ届けに行くという、物悲しいエピソードだ。戦争の両側面への共感を要するこの仕事を全うしたことで、ヴァイオレットはようやく自分や他人に対して素直に悲しむことができるようになる。ギルベルト少佐の死をきちんと悼むことができるようになったのも、ここからである。
単なる道具でしかなかったヴァイオレットが、今や積極的に自らの心的外傷後成長を促進しようとしている。これは、従来の戦争物語や、シェルショックや女性タイピストにまつわる歴史に対する新鮮かつ現代的なアプローチといえるのではないだろうか。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは第一次世界大戦に大きく影響を受けており、史実によるものから、文学から引用されたものまで多岐にわたる。PTSDに対する思いやりあふれる描写然り、「媒体としての女性」という定形表現に対する批判然り、この作品は、歴史上の極めて重要な時代—最後の退役軍人が亡くなり、徐々に記憶から忘れ去られつつある時代—との対話の上に成り立っている。
だが、家庭内の物語と戦争の物語をブレンドし、両ジャンルに共通する定番の展開を巧みにひっくり返したという点で、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのファンタジー世界は、オマージュ元の戦争物語と趣を異にしている。スチームパンクなファンタジー世界という舞台の上で、使い古された展開を別な角度から見つめ直すことで、進歩的な物語を紡ぎ出しているのだ。
退役軍人の描かれ方、精神疾患、女性の物語、こうした事柄を尊敬の念を込めて丁寧に扱うことで、戦争やトラウマにまつわる従来の物語をいかに語り直すか、その基準点をこの作品は確立したと言える。戦争やトラウマにまつわる物語も、より包括的で、健全で、私たちに活力を与えてくれる存在たりえるのだ。それが、従軍した兵士や亡くなられた方々に対する、せめてもの追悼でもある。
「戦争は決して変わらない」とよく言われる。だが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが示してくれたように、その語り方を変えることができるのは確かだ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/123794
この件ね。まぁ動画は見たいところだけど
入管の職員は医者ではないので点滴を打てないのは当たり前だよ。それも気づかず叩いてるお前らがアホみたい。
非常勤の内科医が来てたタイミングならよかったんだろうけどね。まぁ毎日医者は誰かしらいろよとは思うけど。
同月下旬朝にはベッドから落下。23回も助けを求め職員2人が来たが、手足を引っ張るだけでベッドに戻そうとせず、毛布をかけその場を去ったという。
まず、なんでベッドから落下した?この時点でかなり衰弱しているならほとんどベッドから動かないだろ。
これはさすがに、わざとベッドから落下して「私は入管で虐待されているというポーズ」を取るためにやったとしか思えん。
23回助けを求めたというのも、すぐに助けに行けない事情(声が聞こえなかった、見回りが遠かった、朝方なので対応できる人数がいなかった)があったかもしれないのに
まぁベッドに戻さなかったのはこちらの落ち度か。二人で持ち上がらないほどの重さだったり、セクハラを恐れてできなかったのかもしれない。
いや、「入管に収容された人間は犯罪者」だから、みんながみんな「収容された人は迷惑で面倒な人間」だと思ってるよ。
だって正規の手続き取っていれば厄介になることもないし、違法に滞在するような行為をしなければこんな世話をする必要がない人達だから。
あと不法滞在者はあの手この手で逃げようとするし、口だけはよく回るからあれこれないことをまくしたてて居座ろうとする奴だよ?
面倒だよ~「適法でいれば問題ないのにわざわざ法を犯した上に自分を正当化する奴」の世話って。
頭だけずる賢い4歳児みたいなのを世話するイメージをしてみ?俺は無理。
擁護する奴の気が知れないわ。
これに乗じて家族とそれを取り巻く団体は入管の環境を変えようとしてるけど、絶対に日本は受けてはいけない。
入管の力が弱まって違法入国違法滞在やり放題の国になってしまう。
それだけはマジでなってほしくない。
違法に入国や滞在する人は国民でもお客様でもなんでもないってことをみんなにわかってほしい。
俺が言いたいのはそれだけ。
「ロリポにログインできないそうです。IDとパスワードを教えて下さい」
誰に作業させているのか知りませんが、ロリポのアカウントは貴方が作ったものです。なぜ私が教えるのでしょうか。
「修正済みのステージングを確認しましたが全体的にあまり変わっていませんね」
貴方の指示はトップページのデザイン変更でした。バッチリ変わっていると思うのですが、どこの何を確認したのでしょうか。
なぜ貴方が難易度を判断できるのでしょうか。また私の予定は無視ですか?
「私だってこんなことで連絡したくないんです。でも、ロリポにログインできないんです」
もっと追加の情報をいただけないですか?その一言だけ送られても何をどう直せばいいのかサッパリです。