はてなキーワード: 考察とは
よくわからないけど性同一性障害ってだけでジ×しちゃったりするらしいし
叩かれてたのも影響あるかもしれんし
あとなんだ、女になって大事な家族と離婚したってことは、女として好きな相手がいるんではって考察あったじゃん
その相手に振られたとかさ
たくさん読んでくれて嬉しい。元は友人とのTwitterDMが下書きになっていて雑な文章だから申し訳ない。なので以下、こちらの意図が伝わってないコメントに返す。
・この物語の各パーツ・キャラを現状のジブリのメタファとする解釈はこの児童文学作品を矮小化していると思う。あまり好きではない
→全く同意見で、書いた通り普段はテクスト的に解釈するのが好きです。矮小化されてしまってるのもそうなので、これだけが「正解」だとは微塵も思ってないし書いた通り自信はない。今回は宮崎駿の最後の作品、って思いが自分に強すぎて作家周辺の解釈がまず出たのだと自己分析している。作品そのものの解釈は海燕さん他書いているのがよかった。
→お前みたいなやつがいちばんダメ。観ろ。観ずになるほどすんな。
・一般向けではないというけど、次世代へのバトンや家族の話って極めて普遍的で、ジブリや宮崎駿のことを知らなくとも皆それぞれ自分の物語を重ね合わせて見ることができる作品だと思うよ
→この辺りは宮崎駿は自己言及と普遍的テーマを重ねて両輪でやっている気はする。
・あの作品の登場人物を実在のジブリ周りの人物に置き換える読み方はわかるけど非常に下品だと思っているので、する人を否定はしないけど、それが正解だと言って押しつけたりする風潮にならなきゃいいなと思っている。
→おおむね同意見で、自分もホッテントリに上がったことが押し付け風潮の一助になるのは避けたい。作家論は作家論でしかないし、それは基本的に狭い解釈になってしまうから、「正解」ではない。ただ言葉遣いとして、この人が作家論を「下品」としているのは、なんというか令和だなぁと思った。
前半はまぁ、とりあえず置いておいた撒き餌みたいな稚拙な解釈なので、「正解」ではありません。(一貫性の形成願望をとりあえず満たしておくために書いた、と思って欲しい)
むしろ、この作品は唯一解を求めたがることも含めた後知恵的な意味よりも、もっとプリミティブな意味を伝えようとする作品だと思います。だから自分の感想の本質は後半です。そこのところ言葉足らずだったみたい。
追記ここまで
初日に見に行って、いろいろ考えつつ見たが、たぶんほとんどの人が「意味わからん(けどジブリっぽくて面白い!)」ってなるやつだと思ったので、自分なりの考えを書いてみる。ちなみに全然自信はない(その理由は最後に書く)
見た人の多くは、ラストにかけてのメインストーリーラインがよくわかんねえとなると思うけど、同時に物語にいくつもの象徴や比喩が込められていることも、なんとなく察すると思う。
個人的な結論を先に書く。(自分は普段はテクスト論的に物語を読むのが好きなのだが、作家論としてこの作品が見えた。)
まず、内容で感じたのはセルフオマージュの多さ。「紅の豚」の死出の飛行機葬列が海の船になったり、ハウルの泥の人形が殺生できない住人になったり。老人の描き方はジブリの各種キャラを思わせたり。
オマージュ元には特にトトロが印象に残るように思って、抜け道や森から出た暗がりの風とか、ワラワラとか、宮崎駿はトトロ気に入ってたんやなと思わせた。まあワラワラは鈴木敏夫の入れ知恵な気もするし、観客へのサービスって感じかな。
そしてここから感じたのは、宮崎駿の人生が細かく千切られ散りばめられてるということ。
ていうことで、物語の根幹と宮崎駿の人生に準えてラストで明かされる物語の根幹をよんでみる。やっぱりラストについては大事だよな。
結論から書けば、空から降ってきた大岩は宮崎駿の才能、ギフト。宮崎駿は大叔父でありあの世界は宮崎駿によって作られた作品の集合でジブリそのもの。その血を引く主人公は宮崎吾朗や孫だと思われる。ただし、内面は宮崎駿が投影されていて二重のモデルがいる主人公になっている。駿はジブリを継いで欲しかったが、吾郎は拒否した。ジブリは駿の引退宣言とともに崩壊して、皆それぞれの暮らしにもどった。端的に言えば、それら経緯への駿の内面の告白、なんだと思う。つまり、スタジオジブリ(と駿)のために作られた物語なんだと思っている。
昔。降って湧いた才能に取り込まれた駿は、作品の世界から出なくなった(家庭を顧みなかったりしたんだろう)。そして世界の創造に励み、海や森の美しいファンタジー世界と、ユーモラスで残酷な鳥に代表される多くの愛すべきキャラクターを生み出した。
時々挟まれた、大岩が怒ってるとか。あれは才能から来る作品へのこだわり、そこから発される憤怒なんだろうな。時々駿キレてたし。
ただ、老いてきた。積み木を重ねられなくなった。積み木を安定させることも苦労するようになった。だからこの世界・ジブリの後継者を探して、館に主人公ら血族を引き寄せ始めた。(この辺りの傍迷惑さについての自覚が、人生を総括し始めた老境の駿らしい感じがする)
関係ないけど、インコの王は唯一宮崎駿に謁見できて最後に世界ぶっ壊したし、たぶん鈴木敏夫なんだろうなと思う笑
そして物語のラストで吾郎はジブリを継ぐのを拒否し、焦ってしゃしゃり出た鈴木敏夫がぶっ壊してジブリは崩壊した。でもそれを受け入れて?(この表現は適切じゃないかも。ただ眺めて?)老兵は去る、ってことを、ラストで宮崎駿は表したかったのだと思う。
総じて、人生全体を眺めて、ある程度中立的に感情も整理しながら、比喩的な物語と人物に落とし込んだ。そして達人のアニメーションで、それが分からなくとも万人が楽しめる2時間にした。
主人公が、みずから頭を傷つけて、それを最後の最後に告白し、汚れているから自分は継げないとジブリ世襲を拒否するシーン。
あれはなんかほんとに個人的な事件が、駿や吾郎にあるんかなて感じもするけど。いずれにせよ、今まで子どもをイノセントに描いた宮崎駿が、この主人公にはドロドロしたものを罪悪感と共に植え付けているのは、自身や自分の子どもみたいな、客観的に見られないし理想化もできない存在としてマヒトを描いているんだと思う。そしてそれが「真の人」って名前なのが、正直な曝け出しなのかなって感じさせる。
でもここは、ちょっと未整理。
まあたぶんに一義的な狭苦しい解釈なんやけど、とりあえずここまでは言語化できた。
ただ、ここまでこうして書いた考察について、正直自信がないというか、こうして作品が言語化されることを拒否している作品である、ということことを、作品を見ている最中からずっと感じてきていた。
子供のころからジブリ作品を見て、宮崎駿のひねくれた人物像も知ってるから、この作品は明らかに異質だとわかる。観客へのサービス(配慮)が欠けている。
はっきり言って、一般向けではない。大衆、子供に映画を作ってきた宮崎駿やジブリは、今までこんな映画を作ったことがない。上記のような一応に意味の通る解釈を自力でできる人間はとりあえずいいが、そういうことをしない人が圧倒的多数で、それが大衆なのだ。だから、今回のような、作品の展開の速さや密度、抽象度の高い映画は、一般向けとは言えない。自分が見た初日夕方の回は平日なのにほぼ満員で、しかし上映終了後のほぼ全員がタヌキに化かされたような顔をみんなしていたぞ。(正直自分もそんな気持ちだったので笑えた)
しかし、ここでそれを鑑みても面白いのが、この作品の「面白さ」は皆が感じているらしいということだ。
そして、これと同時に、自分のような批評する目線で映画を見る者は、それはそれで大衆客と別な側面で拒まれている気がした。何か見る者の賢しい批評を拒んでいるように感じた。
以下に、その理由を書く。自分の感想としての本質はむしろこっちだ。言語化しづらいのだが、見た人にはなんとか伝わるように書くと
となる。
例えば、食事のほおばり方。たとえば、黙ってうつむく表情。たとえば、真人がうそをつくときの顔。みんな圧倒的に生き物らしい。生命力を感じる。みんないびつで、あいくるしい。(カワンゴがお説教されたアレとは本当に真逆な、きわめて何か、生命に対する賛美を感じます)
これらすべてが、芝居をしている。客に直接的な理解を与える。この人物の感情や、物語における人物の立ち位置(正しい方向かどうか)など。あらゆる情報を、言語での理解を超越して、身体的・ダイレクトに観客へ伝わる。
作劇のうまさや間の取り方、ちょっとした身のこなしや振る舞いの描き方。それらすべてがアニメーションなのに自然で、本当にほれぼれする。達人のアニメーションは今でも健在だし、それはスタジオポロックみたいなのにもマネできてない駿の達人技だと思う。
で、それらの生理的な表現が今作で上げる最大の効果は「生理的な感覚として、見る者に言語の範囲外で意味を伝える」ことだと思う。
(自分は新海誠の映画が昔から好きなのだが、新海誠が「星を追う子ども」でやりたがって、でも全然できなかったようなことを、中盤くらいまでで軽々と全部やり尽くして、更に塗り替えていったような印象が途中した。)
はっきり言って、中盤以降は物語のテンポが速すぎて情報量も多すぎて、物語が何を表現しているのかまったくわからないし考える余裕もなく、何もかもを押し付けられていくだけのように感じるのだが、いち観客として言えば、作劇がうますぎてずっと楽しくて画面にずっと惹き寄せられたままで、一ミリの退屈もなく最後まで面白かった。作品が何を言いたいのか理解できねぇのにコレなのまじ意味わかんねぇ。ユーモアと人物の芝居とテンポと心地よさとその他あらゆる作劇でずっと作品世界へ惹き寄せ続けるの、冷静に考えてすごすぎる。
理解として言えば、言語の範囲外で生理的に伝わってこようとする情報が、最速で理解できる。だから理性で作品に好悪を判断つけたくても、生理的な理解が先に面白さを伝えていて、判断を保留し、物語が表す「意味」が分からない気持ち悪さをいったんわきに置く(打ち消す、わけではないのもポイント)
たまたま映画見る前に考えてたのが、美輪明宏のモロの演技や紅白のヨイトマケの唄なんだけど、あれもなんか、生理的に分からされる凄みがあるよな。あれと同質の、生理に訴えかけてくる理解が、この作品の全体にあった。
だから意味深がセリフが物語上の「意味」として理解できなくても、なんとなくわかっちゃうわけ。ああ、「そういうふうに」感じてるんだなぁ、って。
自分が書いたものも含め、なんか色々考察とか出てくると思うんだけど、この作品に関して自分はもうそんなのに大した意味を感じていない。いや言葉で説明することは俺も試みたと思うんだけど、そういった理解や「意味」は後からやってくるものであって、それより先にあるこの一次的な身体的感触の強さが、現在進行する映画鑑賞の今、圧倒的な作品だった。肌感覚で腹の底から湧き上がる力強さは、言語的理解を拒否して圧倒する。そんなプリミティブさ。
プリミティブな、といえばものすごく情報量が少ないように感じられるかもしれないけれど、ただそこで言う「情報量」ってつまりキロバイト的な情報の多寡でしかなくて、生理的な質感や圧倒的な情報の圧が含まれてない。この作品はそういった生理的な質感や圧、すごみをもってして最後まで観客をエンターテインする作品だった。面白さが言語の範囲外で生理的に伝わってこようとするんだよな。
「語り得ないことに関しては、沈黙せねばならない」という言葉があるけれど、宮崎駿は言語で語りえないことを語れる。対して、自分たち観客は語れないが、しかし生理的に理解している。
自分が最初の考察に意味を感じない、といったのは、考察の当たり外れよりも「こんな小賢しい考察なんぞしてんじゃねー」的なギルティ感覚がするからだ。賢しらぶってることが怒られそう。それこそ、宮崎駿に叱られるカワンゴみたいな、「意味」や思考の中だけに生きて現実に生きる生命を見ようとしていないと叱られている気が(これは完全に自分の勝手な感覚なのだが)する。強いて言えばそれが、本作のタイトルのごとく自分に突き付けられたお説教だったかもしれない。
一般には訳が分からなくてもいいし、読み解く材料も与えないし、理解されなくても面白くしなんか感覚的には伝わるでしょ?みたいな感じが、ただ壁を感じるし、見る人は選ぶと思う。ジブリ作品に壁を作ったことって今まであんまりないと思うんだけど、たぶん風立ちぬで少しやって、「あ、好きにやってもいいんだ」みたいなのを、それこそ庵野秀明とエヴァから知ったんじゃねーかwみたいな気もしていて、そして老境にさしかかりジブリの崩壊を見ながら、いろいろなことを感じ考えながら職人芸ですべて盛り込んだのが今回の作品なんだと思った。だから、一部の人の批評や感想、特に老人の走馬灯とかボケたとかみたいなのには全く賛成できない。
主人公が宮崎駿(親が飛行機工場経営)の少年期をモデルとしていることを表しているが、普通しらんわな
意味がない設定ではない
旧家の立派な入り口から入って洋館の方まで延々と歩く場面は圧巻だった
あの演出だけで見応えがあるので意味がない設定にはなっていない
■謎展開
母親と妹と父親の間には複雑な関係性が隠されていて、あえてわかりにくく描かれていると思う
それに対する主人公の複雑すぎる心情も、わかりやすく描写されてはいない
ここは非常に読み解き甲斐のあるところだ
妹が主人公の助けを拒絶したのは、好きな男を取った姉の子である主人公への憎しみを隠していたからだ
姉が死んで好きな男が自分のものになり、自分が子を身籠ったことにも喜びと罪悪感両方抱えている
主人公は葛藤を乗り越えナツコお母さんと呼ぶ。その心の変化の過程もわかりやすく描かれていない。
着替えや弓矢のシーンもそれ単体で見応えがあり、主人公の複雑な人格を表現する演出になっている。
わかりやすさを求めると失われる複雑さがある。
■ヴィランの不在
わかりやすい役どころを排除しようという意思はここ数作で明確なので、今更そんなこと言われてもって感じ
この程度の認識で失敗作だと断ずるのは乱暴すぎるのでマジでやめてほしい
理解できなかったでいいじゃん
大多数のパヤオチルドレンは石(意志)を持ち帰ってるに違いないなと確信していたのだが・・
数日賛否の分かれる意見やメタファー考察をみるのも楽しみです。
早くみたほうがいいよ。
あと「君たちはどう生きるか」ってタイトルだけど「失われたものたちの本」の方が近いぞ!
公開数ヶ月前になってタイ人に関するなんやかやの報道でどうでもいい悪印象を与えてくれた鈴木Pでしたが、「宣伝を全くしない」という前代未聞のプロモーション戦略のおかげで、「宮崎駿の新作を全く前情報のない状態で見る」という稀有な経験を与えてくれたことに感謝します。
これは実に小学生の頃「両親に連れられて『火垂るの墓』を見に行ったら突然なんか知らないアニメ始まった」以来の驚愕の経験であり、その後のジブリアニメが国民的アニメとなっていき毎回公開前に怒涛のプロモーションが行われていった経緯と、その時に見た「となりのトトロ」が私の生涯において不動のベストアニメであることを考えると、奇跡のような経験であるといえます。
ただ、正直あまり期待はしていませんでした。というより期待しないように努めていました。私のジブリへの信頼感のピークは「もののけ姫」とコミック版「ナウシカ」であり、今ではアカデミー賞に相応しい最高のアニメであると評価している「千と千尋」も終わった直後は頭の中「???」でしたし、ハウルでは「??????」、ポニョでは「????????????」となっていきました。
ゲド戦記とアリエッティは私の生涯のワーストアニメベスト1&2です。
「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」も、「?」は浮かばなかったものの「ピークを過ぎた老境の作家の遺作としては十分以上の出来だろう」というような妥協した評価に落ち着きました。
この作品が制作発表された時にまず思ったことは「本当に完成するのか?」という心配でしたが、鈴木Pの斬新なプロモーション戦略により完成するまでその心配を思い出すこともありませんでした。ポスターが発表されてからもほぼ忘れていたのですが、「プロモーションをしない」という鈴木Pの方針が話題になってから俄に気になり始め、上記トトロ以来の経験をする決意をしたというわけです。
私と同じ体験をしたい人は絶対にこの連休中に観に行くでしょう。連休中に観に行く予定の人はこの先を読まないでください。
行かなかった人はその後普通にどのような作品だったか、情報を目にすることになるでしょうし、少々のネタバレを食らったところで気にもしないでしょうから、ここから私の感想を書いていきます。ストーリーの核心をネタバレするつもりはありませんが前提となる設定などは普通にバラしていきます。
◆面白い?
「カリオストロ」「ラピュタ」のような痛快冒険活劇ではありません。「ナウシカ」のような設定をしっかり作り込んだ異世界ファンタジーでもありません。しかし、見ている最中「最高傑作」という言葉が何度も浮かんだのは確かです。「トトロ」や「千と千尋」を上回るか?と言われると、難解で観念的すぎる部分はありますが、明らかに上回っている部分もあるので、評価を決めるにはまだ何度も見る必要があります。というかすぐにでももう一度見たいです。
◆この作品を見るべきか否か?
文字通り宮崎駿の集大成なので、ジブリ映画で育った人間なら見に行かないという選択肢はありえないでしょう。ハウル以降は見なくてもいいと思いますがこの作品を見ずに日本のアニメのことを語ることは不可能です。というか、確実に「トトロ」や「魔女宅」などと同じように日本人のDNAに深く刻まれる作品になるでしょう。
◆良かった点
・文字通り集大成なので過去の宮崎アニメの要素が全て入っている
風立ちぬ→トトロ→千と千尋→ハウル→ポニョ→コナン→カリオストロ→ラピュタ
と怒涛のようにどこかで見たような風景、展開が続きます。二番煎じではありません。
本人にしかできないセルフオマージュであり、過去作を踏まえた上で、それが国民的記憶として共有されているからこそできる唯一無二の表現です。
そして、あらゆる影響を生み出してきたオリジネイターにしかできない圧倒的イマジネーションがあります。
主人公のモデルは少年時代の宮崎駿自身であり、半分自伝的な物語になっているが故に、少女を主人公とした「千と千尋」などより真に迫ってくる情感があります。
何より宮崎駿がインタビューで度々口にしていた母親に関する憧憬が、作品として昇華されているところが素晴らしいです。
コンテを描きながら公開日を決め、締切に追われながら作られた過去の作品は、若い頃は力技で最後まで渾身の力で作りきっていましたが、近年の作品においては終盤明らかに息切れが感じられました。今回は明らかに時間をかけてストーリーが練り込まれており、「ハウル」や「ポニョ」で顕著だった「えっこれで終わり????」という感覚は一切ありません。
「既存のストーリー構成の枠にはまらない」という手法は「千と千尋」の方法論を踏襲しているので唐突な展開の連続に難解さを感じる人もいると思いますが、終わってみれば一本筋の通ったストーリーになっており、深く考察する価値がありそうです。
「千と千尋」で確立した「ゆきて帰りし物語」のフォーマットを発展させ、導入はよりゆっくりと自然に、異世界に入ってからはよりぶっ飛んだ展開の連続で飽きさせません。結末も「これしかない」という納得感のあるものになっています。
・泣ける
「火垂るの墓」以外のジブリ映画で泣いたことはあまりないですが、様々な要因からくる深い感動で終盤は涙が止まりませんでした。米津玄師の主題歌がその感動に拍車をかけてきます。ズルいと思うぐらい良いです。
◆悪かった点
・なんか説教くさそう
説教くさそうなのはタイトルだけです。少年時代の宮崎駿が「君たちはどう生きるか」を読んで感銘を受けた、という以上のことは原作との関連は読み取れませんでした。原作を読み返し、何度も見て考察したい点です。
ちなみに「君たちはどう生きるか」の小説は未読、過去のジブリは金ローで流し見(ハウル・ぽにょ・風立ちは映画館で観た)、宮崎駿の生い立ちも知らんしインタビュー等全く見てない。
他の人の考察も見ていない。この考察が正しいかどうかは分からない。
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→主人公=宮崎アニメを見て育ってきた(もしくはこれから見る)この映画の観客である我々だと思う。
なので主人公の原風景や心内風景と我々が宮崎アニメで見覚えのある風景を重ねることで主人公=我々を強調する意味がある。
■謎展開
そのたび
→アオサギは主人公が感じている自分の中の嫌いな部分。だから主人公は出会ってすぐ敵対したし、主人公を心理世界に誘った。
自分に誘われて冒険してるんだから主体的と言える。キリコもヒミも自分が作り出した像なので主体的と言えるのではなかろうか。
→「父が好きな人」というのが正に動機を説明していて、主人公は自分の中にある夏子への複雑な気持ちと対峙するために夏子を助けに行く。
複雑な自分の心境に触れることには痛みが伴うので禁忌となっている。
→夏子は主人公を守るためにわざと厳しく接して追い出そうとしている。
厳しくされた事によって主人公は夏子を夏子母さんだと認められるようになり、心の禁忌領域が晴れて夏子も救われた。
→異世界に来たくて来たわけじゃないって劇中で言ってた気がする(記憶曖昧)。呼ばれたんだと思う。
→映画の演出のことは全く分からんが、着替えシーンによってリアリティ出すことで、その後火事の中に飛び込んでいく視界が歪んでるシーンの非現実感が増している気がする(小並感)。
アオサギが主人公自身であることから弓矢にも意味があると思われるがその辺はまだ言語化できてない。
■ヴィランの不在
→アオサギは主人公自身なので主人公を心内世界に誘うし主人公の助けにもなるし主人公と和解する。
で、なにか代償が起きるかというと「なにも起きない」。えーーーーー!?じゃあなんで「触るな」って言ったの?
→これは根拠のない妄想だが、ばあや人形を触って倒れちゃうと、現実世界のばあやになんか悪影響でも出るんじゃないだろうか。知らんけど。
さっき主人公=我々と書いたが、大叔父は宮崎駿を表していると思う。
彼はこれまでの自身の監督作品を通して我々に「積み木」を伝えたかったようだ。
たぶん、「(ジブリ作品を通して)観客それぞれが自分にとって価値ある大事なものを見つけてそれを自分で組み立てろ。」と言いたいんだろう。
即ち「君たちはどう生きるか」と言っている。
インコは何を表しているのか。物語の力を信じないリアリストなのかな?とは思うが、禁忌を口実にヒミを使って何を取引しようとしていたか分からない。なんか大叔父と会話してたかもしれんけど忘れた。
全く何の比喩なのか分からない。インコとペリカンが分かってないということは映画の中の結構な部分が分かってないことになりそうだ。悲しい。
分からない
そんなこんなでまだ分かってないことが多い。記憶から抜け落ちてるとこもありそう。このあと他の人の考察読んで分かったことがあったら追記するかも。
ドメイン駆動設計はエンジニアにとって重要な概念であり、市場価値の向上につながるとされています。
しかし、一部の企業ではドメイン駆動設計の学習と実践に時間を費やしても給与の上昇にはつながらない場合があります。
本記事では、新しい会社に転職しドメイン駆動設計を学んだエンジニアの給与評価について、実体験をもとに考察します。
私は新しい会社に転職し、参画するプロジェクトでドメイン駆動設計を実践することになりました。
入社後、評価者であるCTOから「ドメイン駆動設計は難しい概念であり、エンジニアとしての評価につながる」と言われました。
それに伴い、2ヶ月ほどの研修期間を使ってドメイン駆動設計の基礎を学び、残りの期間は実際のプロダクト開発に携わりながらドメイン駆動設計を実践しました。
2年目となり初めての査定期間が終了した際、評価者であるCTOに自己評価で給与のUPを希望する評価を提出しました。
しかし、結果としては会社の昇給額の最低ラインにとどまりました。相互評価にて他のメンバーからは高い評価を受けており、評価者が適切な査定を行っていない限り、もっと高い評価を受けるはずだと言われました。
この結果を踏まえると、レベルの高いスキルを社内で学習しても社内的な給与の上昇につながらない場合、転職リスクが増える可能性があります。
市場価値を高めるために時間と労力を費やす一方で、給与評価が見合わないと感じる場合、エンジニアは他の企業に転職する可能性があります。
実体験内では「そもそも難しい概念のため、正しく身につけられること自体が評価に値する」というような事前会話もあったため、期待に反して裏切られた感覚はあります。
ドメイン駆動設計はエンジニアにとって重要な概念ですが、給与の上昇を主眼に置く場合、他のアプローチや概念にも目を向ける必要があることが示唆されます。
一部の企業ではドメイン駆動設計の評価が不十分な場合があり、エンジニアは自身の市場価値を高めるために他の選択肢を模索することも考えられます。
まとめ:
本記事では、ドメイン駆動設計の学習と給与評価の関係性について実体験をもとに考察しました。ドメイン駆動設計は重要な概念ですが、
給与アップを主眼に置く場合、他のアプローチや概念にも目を向ける必要があります。エンジニアとしての成長を追求する一方で、給与アップにつながるバランスの取れたスキルセットを目指すことが重要です。
例えば今回の例でいうと正しくドメイン駆動設計の議論ができるようになったのは2-半年程度と考えられますが、その期間があればAWS資格等も視野に入るため、現在世間では何が評価されやすいかを念頭に置き検討したほうが良いでしょう。
レベルの高いスキルを持つエンジニアに対して適切な給与評価が行われることは、企業とエンジニアの双方にとって重要な要素です。
素晴らしい考察はよ
ジブリ公式のTwitterが流れてきて、(カヘッカヘッとかいうやつ)気になってみに行った
冒頭あたり 主人公のキャラデザ良い、火事のところの走るところの作画が良すぎる、ゲタ脱ぐところの表現が流石
疎開から 家豪邸すぎ、背景めちゃ良い、老婆たち7人の小人みたい、隠れてたもう1人いる?おじいさんが別のとこにいただけかな、母の妹腹触らせるのちょっとひく
森の館気になる、アオサギなにのメタファー?、冒険はじまりそう→思ってたよりなかなか始まらない
おばあヒロインなの?ついてくるのわろ
あっちの世界の描写良い、背景や家の中流石ジブリ、海や木の感じ最高
学…死す…みたいな文、考察しがいありそう
わらわらはこだまみたい、かわいさ狙いすぎ感ある
ヒミ、あいみょん棒すぎ声高すぎびみょう…
鳥たちとか産屋とかメタファー多すぎ、大叔父全てがメタファーすぎ
世界の背景雰囲気は最高だけど…バタバタして結局戻って来れてよかったね急すぎエンド…米津の曲は合ってるけどあんま印象に残らない
まとめ
主人公と背景や作画のジブリ感を味わえたのはよかった、ストーリーは無いようなもの、いろんな考察や感想をみるために映画をみたんだとおもう
ネタバレあるぞ。とは言っても、読んでも全く意味分からないと思うぜ。
考察だぞ
めちゃくちゃよかった
とりあえず変な情報入れる前に、自分の目と耳で感じた方がいい。
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○冒頭の火事
お母さんの病院だけ燃えてるし、病気のお母さんが燃やしちゃったんだろ〜うなぁ
○石
これはびっっっっくりした。学校をサボるために石で自分の頭を割る主人公なんて今までの駿の作品には無かったから、お前そんなのも描けるんか……って感動した。新しい駿だった
○時代
正直、戦争系かーーー、ファンタジーから逃げるなよ……って絶望したんですが、早とちりでしたごめんなさい。時代的に戦闘機とか爆弾描写とか入れたくなるはずなのに、ガチ戦争描写は一切なくて、駿のセンスが光りまくってピカピカして眩しかった。
○わらわら
あたち♡
○神描写
多分ごろーだったら、偽お母さんが水になるところは美しい顔が崩れる様を画面いっぱいに見せてくれそうだけど、駿は視点が上で、顔が崩れるところは全部見せないのが本当に本当に本当に美しかった。
○キャラクターが生きてるし考えてる。
あんなに徹底的に足場を切るの、性格が出てて最高すぎる。キャラクターが生きてる・考えてるってこういうことを言うんだろうな。
あの最後に残ったところまで切るところに痺れた。最高だった。
○下の世界
塔は上から降ってきたけど、わらわらは上に行くよな。「上の世界」が私たちの世界だし。
呪いの海とペリカンと謎の黒い人達(死んでいる?殺生ができないのはなぜ?)を考えたい。ペリカンはあとちょっとでいけそうだけど……
あとあのばーちゃんは下の世界の人だったってこと??でも「行きたくないー」とか、沈んでいったのは何でだろ?ってなるから違うんだろうな。
もっと観たい、また観にいきたい
○駿の才能
あの情報量を、あの短時間でまとめあげるのすごすぎじゃないですか??
全部辻褄が合ってるし、全部回収されていくのがストレスもなくて気持ちよかった
「なんで?」って思うモヤモヤも、すぐに自然な流れで「質問」してくれるから流石すぎた。
駿のセンスが光りまくっている。
走る時の疾走感もすごい、
これは確実に新しい作品くるやつですわ…………
できるだけシャットアウトしてるつもりだけどちらほら入ってきてて戦々恐々としてる
声優が豪華とか主題歌が米津とかは別にいいけど岡田斗司夫が喜びそう(考察系
で冒険活劇じゃないとか
でもまあ具体的にじゃあどんなもんなのかまでは入ってないからまだギリギリセーフ
それにしても当たり前とはいえ出演してる有名な人たちはコンプラしっかりしてるんだなといつも立派だなと思う
全然ばらしたりしないもんね
長くやれてる人は当たり前だけどそこらへんコンプラしっかりしてる
とりあえず朝イチで観てきたので走り書き
自分は声優の良し悪しなどには詳しくないので、あくまでそれ以外の観点から。
・主人公の眞人くんが亡母の死を受け入れ、新しい母=新しい生活を受け入れるための、少年の成長物語。
・眞人くんが異世界に消えた新しい母を探しにいき、更に亡母に別れを告げる、まずはこれが一本の軸としてある。
・あの夢のような世界は辛く厳しい現実を忘れるための空想世界(宮崎駿にとってのアニメ)。世界の崩壊=大叔父の死。だからこそ世界の崩壊により、アニメナイズされた鳥たちは本来の姿に戻る。
・つまり大叔父は次世代の人間に自身の創作世界を引き継ごうとしている……が、主人公は自分なりの方法で現実世界と戦うことを選択、これを固辞。これがもう一本の軸。
・この二本の軸に共通するテーマはおおまかに「古い価値観を捨てて、この辛い現実を『どう生きていくか』自分なりに考えていこう!」。
・テーマ自体は他のジブリ作品(ポニョとか)に比べればわかりやすい方。
・しかし、メッセージ性に振りすぎて物語の大筋=考察しなくても楽しめる部分がおろそかになっている印象。
・まず眞人くんと他のキャラクター(アオサギとか)の関係性の構築がほとんど描かれていないので、感動シーンで置いてけぼりをくらう。
・眞人くんは基本的に何事にも直接手を下さない。ペリカンの死も、世界の破壊も、眞人くん以外の手によって為され、眞人くんは常に俯瞰の立場、受動的。
・眞人くんの行動や変化が世界に対してなんの影響も及ぼさない、誰の行動も変えない、関係性も変えない。
・唯一眞人くんの行動によって変わったのは新しい母親との関係性のみ。
・しかし、現実世界へ帰還してからの眞人くんと母親の関係についてほとんど描かれない=眞人くんがこの冒険によってどう成長したか分からないため、肩透かしのままエンディングへ。
【いいところ】
・眞人くんのキャラはかなりいいと思う。
・最序盤の「あ、本気なんだな」と感じさせる火事のシーン
・ジブリ作品に必ず一人は出てくる多種多彩なババアが全員集合、みたいなとこ。
・矢を作るシーン
・下校中に自分の頭を石で打ち付けるシーン、あそこは少年の鬱屈した内面が端的に表されてて素直に感動した。
・塔に入るまでは間違いなく面白かった。
・鯉とガマガエルのシーンなんか最高。
・終盤、眞人くんが大叔父に対して、「それは積み木ではなく、石です」みたいなことを言い返すシーン、あそこはなんかよくわからなかったけど宮崎駿っぽくてかっこよかった。
【ここはどうなのよというところ】
・わたわたが過去のジブリ作品のマスコット枠の中で個人的に一番可愛くない。
あと、余談だけど父親が亡母の妹を嫁に入れているシーンに対して違和感を覚えた人がいるみたいだけど、当時の時代背景的には割と普通だよ。
以上です
以下考察
・星野アイとカミキヒカルは双子。なのでアイは自分の子供が双子とわかって「・・・」となった。
・カミキがルビーを自分の娘と言ったのは二卵性とはいえ非常に近いDNAを持ったアイの子供だから。
・アイとカミキの父親が犯人で、アクルビの父親も同じ人物。(つまり近親相姦)
・インタビューでルビーがお兄ちゃんと言ってるのはカミキヒカル。
・ゆらを殺したのはカミキではもちろんない。
・アクルビは転生してるわけではなく、多重人格と知ったアイによる情報操作されてるだけ。
・謎の少女は他の人には見えていない。
・あかねは殺される。
・アイとカミキとアクルビの父親はゴロー。(これは辻褄合わせられないから無理か)
こんな結末は見たくないね
どうせフェミのせいとか歴史修正してくるからちゃんと記録しておかないとね
ぺこりゅう離婚、なんだかなあ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220826003852
しゃあっ!
ywdc 馬鹿が知ったふうな口で一家言抜かしてたからだろう。奇抜な格好してようがストイックに子育てしてれば誰も何も言うまいよ
Saint-Exupery 金持ちの嫁のヒモとなりガキこさえてシフトチェンジしつつ基盤出来たらサクっと離婚するの沖縄の男らしくて良いよな。あー、すげー沖縄っぽいって第一に思ったわ
iwiwtwy ブスキモが離婚しただけ。云々はどうでもいい。言い訳がましい長文は読まない。
saihateaxis ただの芸能人が離婚したのなら勝手にどうぞだけど普段から大上段に構えて夫とは父親とは と語ってたからな
metamix 父親であることを捨てた人間の語る父親論に何の価値があるのか(あったのか)という事に尽きる。やたら女性側に都合良く偏った言説を繰り返していたのだから尚更だ
rider250 「なぜあんなに上から目線で四方八方に説教かましてたのか?」って「馬鹿だから」に決まってんじゃん。頭激弱いくせに承認欲求は激強だからだよ。しかし俺も正直、二人揃って何言ってんのかさっぱりわからん。
Shiori115 りゅうちぇる個人のあり方じゃないんだよ。彼が対外的に夫や父親としてのあるべき論みたいなのを発信してそれに共感する人もいながら、自分は夫&父親の立場から降りたから発言に対する空虚さを指摘されてる。
metaruna あれだけ「夫とは〜 パパとは〜」と媚びに媚び 夫ハードル・パパハードル引き上げといて、しんどくなったら「僕はLGBTです!夫でもパパでもありませーん」するのは卑怯だろって話。それを持ち上げてたフェミは更に滑稽
chiguhagu-chan 貴乃花の息子と同じレベルの表に出しちゃいけない人間だったってことよ。何故かみんなもてはやしてたけど。
Shinwiki いま性自認どうのこうの言ってりゃ話題になって金になるからだと思ってるが。こう真面目に考察してくれる人がいる限り商売安泰よね。
aquatofana ジェンダーや性指向についてパキッと割り切れる人ばかりではないよ。例えばサム・スミス(ノンバイナリー)は日によって自分の性別自認が揺れ動くと言ってる。とくにマイノリティ抑圧される社会では難しかろう。
white_rose これもたぶんその手のなりすましなんだろうけど、「フェミ」が嫌いなミソジニー男共が言われたことにここまでヘイト溜めて、ここぞとばかりに嬉々として的外れな叩きしてるの見るとぞっとする
krska この件はてなにしては盛り上がってるの、りゅうちぇるの「正しさ」に対して耳が痛い、嫌いだと思ってた人が多かったんだなと思った。みんなそれらしき理由を語ってるけど、結局感情で叩いてるでしょ
vanillayeti りゅうちぇるがゲイだろうとバイだろうと性自認が女性だろうと親なのは変わりないのでは?同性愛者やトランスの人は親やパートナーとしての在り方を世間に発信してはいけないのか?モヤってる人ジェンダーに拘りすぎ
結婚して約3年、共に30代前半で子無し(近々ほしい)、マンションを購入しようと思っている。
条件にピッタリの物件がちょうど見つかり、説明と見学を受け、あとは決断した旨を担当者にメールで送るだけ。
皆さんの様々な意見を聞かせてほしい。その上で自分で判断したい。
主なポイントは2つ。
動機としては単にずっと引っ越したかったから。山手線沿線エリアで2DKの50平米くらい、家賃9.5万の古いアパートに2人で住んでいる。エリアでの相場からしても格安とまではいかないまでも、結構な割安感。そのため他の居住者もあちゃーな家族が多く、トラブルにまでは至らないが、騒音がひどかったのでずっと引っ越したかった。
ただ、そんな動機でこのタイミングでマンションを購入していいのか難しい。
騒音はこれまで我慢してきたし、子供ができたわけでもない。ただ将来を見据えて少しいい部屋に住みたいよね、というレベル。こんな感じで決めていいのか。もちろん自分1人でも最悪返せるくらいの、ちょうどいい価格帯で探してはいるが。
また、思いつきで探し始めて1ヶ月弱しか経っていない。新築のモデルルーム2件と中古マンション3件見ただけで決めて良いのか。相場からして1年で1~2件出てくればいいレベルの物件だとは思っているが、すぐに見つかり不安になっている。もしかしたら思い込みで、数ヶ月待てば同様か少しいい条件の物件が出てくるのでは?ただそうでなかった場合、今の物件は手遅れで、次の希望の物件が出てくるまで下手したら数年は同じ家に住む必要がある。。
難しい…難しい…。
ご時世的?に今購入するタイミングなのか?という疑問もある。不動産は上がり続けており(イメージとしては5年前から+1000~1500万、それ以上のとこも)、年収が変わらないとしたら早く購入した方が選択肢は広い気がする。しかし、空き家も増えてくるという情報もあり、今はバブルの最中だとも言われている。5年したら価格帯が下がる、良い条件の物件が出回りだす可能性も全然あると思っている。素人にはわからん。。
※引っ越す選択肢は今のところない。引っ越しにお金掛けるのであれば、旅行いったり美味しいもの食べたり、物件購入の頭金にしたいという気持ちが両者で強い。子供ができたら別。
新築のマンションなんて買えると思っておらず、当初は中古マンションに絞って、希望の沿線と価格・広さ(70平米で3LDK)・築年数(20年以内)で探し始めた。そこそこちょうどいいのが数十件ヒットしたため、勢いで見学だけさせてもらった。恥ずかしながら知らなかったのだが、中古物件は基本的に自分たちの費用でリフォームする必要があるということを教わった。リフォーム済みの物件もあるが、その場合利益分の金額もおおよそ乗せられているので、自分たちでリフォームを依頼するより少し割高か良くても同程度。リフォームの金額的には3LDKで400~500万程度(壁床水回り総取替)。それに諸費用が物件の金額の約10%程度乗っかるため、あれよと世帯年収の5倍くらいには膨れ上がる。それだけでなく、中古は管理費と修繕積立金が高いので、月々の支払いにもしっかり乗ってくる。。
うーん、中古マンションなら自分1人の年収の5倍程度に抑えたかった、というより抑えられると甘く考えていた。今の家賃+1万くらいで広いとこ引っ越せると思ってたが、不動産の上がり具合舐めてた。。住み替えで売ることも考えると築20年以内がギリギリかなと(なんとなく)思っていたが、予算を同程度まで落とすのであれば、築40年~50年くらいまで条件を落とさないといけない…。将来住み替えたい(売りたい)と思っているので手を出せないし、マンションの治安(住民の層)にも不安が募る。
そんな中見つかったのが今の新築のマンションだ。条件としては沿線・価格(ローン借入金額)・広さが同程度。ポジティブな要素としては築年数が20年近く若くなる、ネガティブ要素は徒歩が+5分強というところ。対新築では価格に対しての広さは破格だと思っている。希望にピッタリかつ新築であれば世帯年収5倍に収まれば少し背伸びしてもいいかなと考え始めた。
SUUMOレベルではあるが沿線沿い調べても一番自分たちにピッタリの物件で、自分としては現時点で他に候補とする物件はない。
※配偶者は+5分が微妙だと思っているが、新築に対する憧れと葛藤している
沿線と広さを固定して考えた時に、築年数(40~50年)を許容して家計の余裕と駅チカを取るか、将来も見据えつつ(リスクはある)現在の住環境を取るか。悩ましや。。
購入か賃貸かは自分の中では結論が出ている。引っ越すなら購入したい。
引っ越す選択肢は現状無いと上述しているが、その理由の一つとしてもう少し広い家に住みたいと思っているからだ。
自分は8割方リモートワークであり、数年でフルリモートになる可能性もある。だからもう一部屋どうしてもほしい(配偶者の要望)。収納も足りなくなってきているので、その面でも広い家がよい。
自分はイビキがうるさいため、寝室も分けたいと言われている…(;;)
今購入を考えている物件のレベル(主に沿線と広さ)で賃貸探すと、月々の返済額の+4万くらいするんですが?賃貸なので築年数を無視してもそのレベル。築20年以内なんて贅沢言ったらまた賃料上がるじゃん。改めて今住んでいる山手線沿線のエリアでファミリーで暮らしている人ってすごいわと実感した。みんな金持ちだなー。
今の生活水準(お金面)で住む部屋のグレードを上げるなら、購入一択ですわ。もちろん購入のリスクはあるけどね。
※ちなみに沿線の変更も選択肢としてない。配偶者の通勤を考えると、沿線変えたら転職しないといけない。あと自分的には都内で遊びたいので、沿線の極端に奥も嫌だ。
■余談
新築マンションは投資の側面で見られすぎていて、見識者(笑)のコミュニティ(笑)のレビューなんて読む価値無い。人気エリア×駅チカ×価格×その他(設備や周辺環境)でしか語ってない。
投資する価値があるか(将来的に相場が上がるか)の目線だけのため、お金持ちの道楽ポエムだったりギャンブラーの考察程度の価値。
自分含む庶民が気にしすぎる必要は無いと思う。もしかしたら中古マンションも同じかも。
※購入したいと思っているマンションのレビューボロクソだったお…(;;)
あと賃貸vs購入の議論(パラメーターは複数あるにせよ)ってまじで不毛だわ。どっちが得だ損だ言っているけど、賃貸が得なことなんて一つもない。
毎月同じ金額出すのであれば、庶民レベルでは圧倒的に購入した方がいい物件で暮らせる。
ただ、働けなくなった時や、動きにくくなったり、資産価値が落ちるというリスクは多分に購入側についてくる。(それを得勘定してるの…?)
どっちが得だ損だなんて、結局金持ち目線の戯言。自分たちの生活を見据えて、それに合った判断するのが良いよね。
購入するための言い訳と不安を長々と書き並べただけになってしまった。。
■追記
トラバしてくれた人ありがとう~!!!背中押してもらえて嬉しいーーー!!
外野の冷静な意見も確かにだし、やっぱりみんな悩みながら決断したり、決断しても悩んだり、不安は少なからずあるよね!
何かしらクソなところ絶対出てくるけど、新築だしで乗り切ろうかな~と思ってる!!
ありがとう~~~^^
違うってば
5人を助けるために線路を切り替えて一人を犠牲にすることは多くの人が許容できるが、横にいる太った男を突き落としてトロッコを止めたり、
5人の患者に臓器移植をして助けるために一人の健康な人間を解体することを許容する人は少ない。
5人を助けて一人を殺すのには変わりないのに、なぜ我々はそのような判断を下すのか?
我々はそれらをどこで分けているのか。
そういう研究。
増田が挙げているイベントは男女逆でも割と起こるし男女の出会いに限らずネット経由の出会い全般のあるあるで、自己評価には反映させる必要がない。軽んじられているのではなく単にここはそういう世界。
みな最初は相当なハイスペイケメンと比較してしまうから増田を切るけれど、いつかは増田が自分に合っていると理解する異性に出会える。(増田側もそれを理解すればだが)そこ切り替えていけないとインターネットを使った婚活はつらい。
まず女性はめちゃくちゃメールが来る(さらにマッチングアプリにいる時点である程度消極的な性格なのが確実)のでとにかく「面倒」というハードルがすごく高い。
土日を境に返事なくなるのは最初の考察が正しいと思う。2、3日おいて自分からもう一度メッセージしてみては。放置されていたことには言及せず会話の続きをする。あともうダメもとで「ちなみに週末会えたりしない?」とかもあり。
候補日提案後放置も「面倒」がかなり大きな理由になると思う。候補日いくつかじゃなくて1つ「今週末とか空いてたりする?」「急だけど今週の金夜は予定あり?」的に提案してみてはどうか。
会って数日後にお付き合いする人ができた……は私もやったことあるんだけど真実だった。そうじゃなければわざわざ嘘つかないでFOしちゃう。嘘の人もいると思うけど。
日付提示ブロック、あるよねえ……これはまじでシンプルに失礼だと思う、試金石だったと思おう。
あと顔に自信がないからといって写真を軽視していたりしないか?枚数少なかったり。顔に自信がない場合こそ写真で雰囲気をアピールするべき。