はてなキーワード: ssとは
カプコンのアクションゲームに胸を熱くさせ、任天堂で育った人間だ。
それでもまだまだ新作PVを見ては心ときめかせて、今はFF7Rを少しずつ進めている。
歳のせいか、リメイク版ではクラウドが可愛くて仕方ない。そんなゲーマーだ。
格闘ゲームを初めて触ったのは、ストリートファイター2だ。
幼少期、友達の家でわちゃわちゃ騒ぎながら対戦した。
波動拳を打つことができるTくんが猛威を振るったが、友達同士の対戦は無性に楽しかった。
負けるたびにコントローラーを交代して、みんなで打倒Tくんと、一丸となった。
キングオブファイターズ、ギルティギア、鉄拳やバーチャファイターなど、
ただ、どれもひとりで遊んだことはない。
友達の家や、ゲームセンター。あくまでも、その場で遊ぶだけの対戦ツールとしての楽しみ方だ。
だから、ひとりでうまくなるために一生懸命努力したことはなかった。
昔から勉強も、授業を聞いているだけでそれなりにテストの点は取れたから、
きっと、似たような感覚だったのかもしれない。
もちろん新作が出ると手を出して、オンラインで対戦したこともあったけれど、
画面の向こうの誰かの存在を感じることができず、
「昔遊んだ格闘ゲームとは、なんだか違うゲームだな」と首を傾げたりして、
それよりデビルメイクライでお手軽簡単なかっこいいコンボを試したり、
無双シリーズでバッタバッタとザコ敵を薙ぎ払うほうが、遥かに楽しくて、気持ちよかったのだ。
そんな折、『グランブルーファンタジーヴァーサス』という格闘ゲームが発売した。
ソシャゲのグラブルを題材にした、2D格闘ゲームだ。(ストリートファイター2みたいなやつだ)
格闘ゲームは自分にとって敷居の高いものだと思っていた私だが、
グランブルーファンタジーヴァーサス(以下GBVS)については、ちょっと手を出してみようかな、と思った。
理由は3点。
ひとつはネット上の付き合いのある友達が、何人かプレイすること。
近年はDiscordなどのボイチャ環境が整ってきたため、小学校の時のあの間隔を味わえるのではないか、と淡い期待を抱いたのだ。
これなら格ゲーの浅瀬をちゃぷちゃぷしていた自分でも、そこそこ戦いを楽しむことができるのではないだろうか。
3点目。これが大事だった。そもそもグラブルをやっていた自分にとって、
あのかわいいキャラを操ることができるのは、非常に楽しそうだったのだ。
ジータちゃんが最初から使えないことには憤慨したものの、それはじゅうぶん手を出すに足る理由だった。
プレイするたびにすぐ辞めるのが、いつもの私の格ゲーにおけるパターンだ。
今回もそうなるんだろうな、という予想が、どこかにあった。
ともあれ「またすぐ辞めてるw」と友達に冷やかされるのも、悔しいので、
続けるための努力はするべきだろう。
さて、始めるとなれば、キャラ選びだ。
これが大事であるということは、今まで数多くの格ゲーに挫折していた私は痛いほど知っている。
まるで永遠の伴侶を決めるかのように、慎重になるべきだった。
私はペルソナ4が大好きで、その格ゲーが出るということで、狂喜乱舞したことがある。
その際は、最愛の伴侶として千枝ちゃんを選んだ。千枝ちゃんと添い遂げようと思ったのだ。
けれど……私は、挫折した。
キャラ愛だけではどうしようもならない壁が、そこにはあった。
私は千枝ちゃんを愛することができなかったのだ。
その反省から、今回は好きなキャラにこだわるのはやめよう、と思った。
できるだけ気楽にお付き合いができるような、そんな人だ。
私は『カタリナ』という女騎士を選んだ。
本家グラブルにおいて、カタリナさんはそれほど人気の高いキャラではない。
女性キャラとしてはむしろネタ枠で、グラブル内で連載されている4コマ漫画でも散々弄り倒されている。
私自身も、ヴィーラさんは好きだったけれど、カタリナさん自身にはいい印象も悪い印象も、なにも抱いていなかった。
なので「まあ、ジータちゃんが追加されるまで、お付き合いをお願いします」という気分で、彼女の手を取った。
彼女はこんな不誠実な私にも、「よろしくな」と微笑んでくれた。
交際を始めると、カタリナさんは確かに動かしやすいキャラだった。
必要なパーツはなにもかも揃っている。炊事も洗濯も掃除もできて、さらに素直な性格だ。
実際、カタリナさんはどのプレイヤーからも「強いキャラ」と言われていて、
自分がうまくなればなるほど、誰にだって勝てるポテンシャルを秘めているらしかった。
一緒にゲームを始めた、格ゲーに詳しい友人は「君がカタリナを選んでほっとした」と言ってくれた。
間もなく、格ゲーにおいて、操作が簡単である、ということの重要性を私は初めて思い知ることとなる。
少し話は変わるけれど、
誰もがグー、チョキ、パー以外に、
ギョス、メランダ、ポポポチーノ、アラモ、ショポーリ、スイギョー(適当)などなど、
30個ぐらいの手をもっている。
スイギョー、ショボーリ、パー、ニャフ、など4つの手に勝てる。他の24個の手とはあいこだ。
こういったことを、毎瞬毎瞬、頭の中で考えながら、試合を進めていくゲームだ。
難しいのだ。
複雑なルールが覚えられない私にとって、カタリナさんは救世主だった。
カタリナさんは、グー、チョキ、パーの三つさえ覚えれば、だいたいなんでもできた。
他キャラが30個の手を使いこなしてくる中、カタリナさんの手は三つで足りた。
初めて見る相手に、「えっ、なにその技!? どうやって対応すればいいの!?」と度肝を抜かれる攻撃をされても、
自分で調べてみれば、「なるほど、これは実はチョキで勝てる手だったのか……」とすぐに答えが用意されている。
対戦して、一方的にやられて、自分で調べ物をして、そしてまた対戦をする。
すると今度は、相手のゾゾゾジゾという手に勝てるチョキを用意した私が優勢に戦える。
対戦相手も私がチョキを連発するようになると、そのチョキに勝つ手を用意してくる。
これを繰り返していくと、私はいつの間にか、さっきまで手も足も出なかった相手と五分に渡り合えるようになった。
楽しい。
楽しくて、毎日GBVSをやった。
昨日あれほどボコボコにされたフェリに対して、一晩練習しただけで、それなりに勝てるようになるなんて。
すごい。
どんなに強い相手でも、カタリナさんがいれば「いずれは勝てるようになるかも」という希望を抱いた。
今まで私は格闘ゲームを誤解していたんだ、と気づいた。
私は格闘ゲームはゲームの上手い人がやるゲーム、という認識でいた。
バイオハザードでゾンビに一度も捕まらないようにスイスイとプレイする人が遊ぶものだと思っていたのだ。
けれど、違った。
格闘ゲームというのは、非常に複雑なジャンケンで、相手の行動に対してこれをすれば勝てる、という手を用意しておくゲームなのだ。
こんなにシンプルなゲームだったのか……と目からウロコが落ちた。
もちろん、それを教えてくれたのは、カタリナさんだった。
「カタリナさん、本当に強いね」
「なあに、私を上手に操ってくれる、キミがいてこそだよ」
カタリナさん……。
いつの間にか、私にとって彼女はかけがえのない大切な存在になっていた。
よくよく見れば、顔もめちゃくちゃ美人だった。
(余談だが、先日本家グラブルにおいて開催された水古戦場においてカタリナさんが使えて嬉しかった)
私はカタリナさんとともに、反復練習、そして調べ物を続けた。
負けては調べ、負けては勝てる手を考える。
少しずつ成長していった。
共に初めた友人はSSランクというメジャーリーグみたいな場所に旅立っていったけれど、
私もAランクというマイナーリーグでそこそこ戦えるようになっていった。
なによりも、自分が徐々にうまくなっていくのが楽しかったのだ。
私の実力があがると、カタリナさんはますますその力を発揮し、期待に応えてくれた。
いや、違う。私がカタリナさんの期待に応えれるようになったのが、嬉しかったのだ。
私のそばでは「キミは日々強くなっていくな」とカタリナさんが微笑んでくれていた。
彼女は出会った頃よりわずかに……いや、明らかに綺麗になった。(私は強めの幻覚を見るようになった)
途中のバージョンアップでもともとの本命であるジータちゃんが追加されても、
私はカタリナさんのまま、GBVSを続けていった。
「本当に、私でいいのか……?」と恥じらうカタリナに、私は大きくうなずいた。
「当たり前だよ。私にとって、カタリナさんがグラブルなんだ」
社会人ゲーマーになると、とにかくゲームの時間を捻出するのが大変だ。
積みゲーもたくさん増えてきた。
そんな中、回転寿司のように、次々と新しいゲームに手を出してはクリアーしていくのが、私の最近のスタイルだった。
ストーリーのないゲームに時間をかけるのは、無駄だと思いこんでいた。
けれど、GBVSは違った。
それだけ多くの時間、私はカタリナさんと共に過ごした。
そして、4月28日。
バージョンアップの日がやってきた。
先に言っておくと、カタリナさんは確かに強かった。
「仕方ないさ。格闘ゲームというものは、バランスが大事なんだ」とカタリナさんは寂しそうに微笑んでいた。
だから、ある程度の弱体化が入ることについては、私も納得していた。
「しょうがないよね。調整ってよくある話だし」
といっても、これは『頭で』納得していた、というだけの話だ。
よく格ゲーでは「修正しろ」だの「弱体化はよ」だの、声が多く上がる。
実際に私も、スマブラDXで友人のフォックスに宇宙の果てまで蹴り飛ばされた際には「修正しろ!」と叫んでいた。
だけど、私は本当の意味での『修正』という言葉を知らなかったのだ。
なぜなら今まで、本気で格闘ゲームに向き合ったことなどなかったからだ。
カタリナさんが弱体化された。
私の顔はたちまち青ざめた。
唖然とした。
メインで使用する近Bがなによりも、破格の弱さになっていたのだ。
近Bという技は、どんな状況でも万能に使える最強のチョキであった。
多くの手に勝つことができて、コンボでも重要な役割を担う、カタリナさんの愛刀であった。
なによりもモーションがかっこいい。レイピアを高速で振り下ろすと、空気を切り裂くようにそのしなりが見て取れる。
カタリナさんの力強さ、そして剣に懸ける想いがこれでもかと伝わってくる、袈裟斬り。それが近Bだ。
その近Bが、死んでいた。
『硬直を増やしました』『認識間合いを狭くしました』というそのたったふたつの言葉で、
カタリナさんの手触りはまったく変わっていた。
私は震える声で問いかける。
「カタリナさん、カタリナさん、大丈夫……?」
するとカタリナさんは笑顔でこう言うのだ。
そう、気づいた。
たったひとつの技が弱くなったそれだけで、カタリナさんは、
私が2000試合も共に歩んできたカタリナさんは、
まったくの別物になってしまったのだ。
私の結婚したカタリナさんは、もうどこにもいない。
これからは近Lという、漫才のツッコミみたいに手の甲をぺちっと突き出して柄で殴る技を、メインに使わなければならない。
「近Bか? しかしあの技は、使ったところで仕方ないだろう」
このカタリナは苦笑いをする。
「ガードされて1フレーム不利だ。立ち回りで振るような技じゃない。私はそういう戦い方はしないんだ」
違う。私のカタリナさんはそういう戦い方をする人だった。
私のカタリナさんはどこにいったの?
ちょっとずつヒット確認ができるようになっていった遠Cが弱体化されたことなんて、どうだっていい。
色んな所からヘイトを集めているJUなんて、削除してくれたって構わない。
だから、近Bを、近Bを返してくれ。
せめて微不利じゃなくて、五分にしてくれ。
私のカタリナさんは、2000試合で少なくとも近Bを2万回以上は振り回した。
その技が、処刑されたのだ。
格闘ゲームの『調整』がどれほど恐ろしいものなのか、私は初めて味わった。
セーブデータが消えるんじゃない。自分が今まで積み上げてきた『努力』が無かったことにされるのだ。
ただ受け入れることしかできない突然の交通事故に遭ったような気分だ。
有名プロゲーマーが「なによりも調整を恐れている」という発言をした際に、私は「そういうものか」と思っていた。
弱くなったキャラを捨てて、すぐに強いキャラばっかり使う人のことを「キャラに愛着がないんだなあ」と思っていた。
バカだった。
私のカタリナさんは、間違いなく近Bを主軸に攻め込むカタリナさんだった。
だけどもう、そのカタリナさんはどこにもいない。
別物だ。
「でもどうせ弱体化されるんだろう」という想いを抱いて、遊んでいくのだろうか?
ただ、ひとつだけ言わせてほしい。
ありがとう、カタリナさん。
あなたのおかげで私は、強くなるために努力することの大切さを知りました。
あなたのおかげで私は、格闘ゲームの楽しさを初めて知ることができました。
あなたがいなくなったグラブルを愛せるかどうかは、まだわかりません。
もしかしたら別の恋人を見つけて、恥知らずにグラブルを続けるのかもしれません。
ありがとう、カタリナさん。あちらへいっても、元気に近Bを振り回してください。
まあいうて、新しいカタリナさんでも、それなりに戦えそうではあるんだけどね……。
操作感が変わる調整は、やっぱつれぇわ…………。
2010年くらい?に連投規制や行数規制がやたら厳しくなった時期があってSS系のスレは苦境を強いられることになった
創作系だとかゲーム系スレなんかはアフィで儲けようとかじゃなくて保管庫として有志が無料Wikiやブログに作ったものや情報をまとめてたけどそれも一律で禁止になった
(今のまとめサイトがやたらTwitterを取り上げるのは2chをまとめるのを禁止されたから。掲示板のまとめは今でもあるじゃんと思われるかもしれないがあれは記事のコメント欄やおーぷんとか2chの類似サイトを使ってる。掲示板まとめで金儲けたりステマしたり煽動するような奴らを潰すつもりが元々無料で細々やってた人だけが損をする形になった)
PCからMSPゴシックで見ること前提だったのが、スマホの普及で改行位置が変わったりブラウザの多様化でフォントが変わったりでAAが崩れるようになったのがとどめじゃないか
(やべー増田をまとめるという行為にいろいろ限界を感じたため、次回の番付発表は未定です。→前回の番付)
(昭和時代やイオン、ぷちくらちゃん(誰?)などごく一部の例外を除き、森羅万象を罵倒する増田。罵倒の対象をよく「お前」呼ばわりするが、誰かは不明。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬやべー増田筆頭。
文頭をスペースで空けることから「字下げ増田」と呼ばれており、今回からこちらの四股名をメインとした。
「子供に虚を突かれて殺された」という、確認されただけでも2015年の増田まで遡るフレーズを用いることから、実はかなりのベテランだった説がある。
得意技は怪文書じみた判決文。その文体と自分語りの内容から、****で**された****である可能性が極めて高い)
(THEクソ増田。自己顕示欲は旺盛だが、それにユーモアが全く追い付いていないのが悲しい。「ポリコレ」ではなく「パリコレ」が正しいと勝手に主張し、文中に「ポリコレ」が含まれた増田に「パリコレ」とトラバを繰り返したのが名前の由来。
他にも猛虎弁・トラバ誘導・KKO増田に金正恩など他人のパクリも含めた様々なネタを操る(以下の増田もこいつと同一人物と思しき奴がちらほらいる)が、つまらなすぎてただの荒らしと区別がつかない。技のデパートならぬ技のバッタ屋)
(増田で音楽関係のネタを出すと「ゴミを○○するな」と言及を飛ばす音楽嫌いな増田。たまに他のものにも噛みつく。↑のパリコレが同一人物と主張しているが真偽不明)
(「でもキモくて金のないおっさんは……」と、KKOに対する差別や無関心を訴える増田。実際、あまり共感されている様子はなく、それどころか複数の定型文で罵倒されている始末)
(他人の増田に 上から目線で クソリプを繰り返すが 他人からの言及を 恐れているのか すぐ書き込みを消す チキン野郎でもある。
やたらモラルを 訴えることもあるが 自分こそが相当 ウザい存在であることに おそらく気付いていない)
(ひたすらIT関連と思しき意味不明な愚痴ポエムを垂れまくるメンヘラ系増田。登場間もないにも関わらず、文句なしのウザさで先場所優勝を果たした令和の怪物。
やたらとひらがなを多用するのが特徴。他人の増田にいきなりクソリプをかましたかと思えば、その後に自演トラバを延々と伸ばしていたりする。以前は「寄付する聖人」というカテゴリーをつけることがあったが、これどういう意味だったんだろう)
(パンティー)
(同カテゴリー参照。厨二臭い上に意味不明なSSをひたすら垂れ流し続ける増田。質より量を体現する増田の三峯徹的存在。でも正直なろうかどっかでやってほしい。その面の皮の分厚さの割に意外と沸点は低いらしく、クソリプに反論することもある)
(左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」などと、意味不明なクソリプばかり飛ばす。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらに自演を疑うこともあった。最近では「他人の投稿を何の脈絡もなくパクってコピペトラバする増田」が出現し、この増田の関与を強く疑わせる。
id:Ereniおよびid:iteau両氏の名前を出すことが度々あり、おそらく本人の脳内では毎回特定の相手に粘着しているつもりなのだろうが、実際には明らかに政治や思想と無関係な増田に因縁をつけていることも多く、結局のところ噛みつく基準がよくわからない。
(無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田が嫌いな話
愚痴らせてほしい。
タイトルや人物を隠して、作品や気に食わない同人作家などの悪口を言う増田がいる。
それを見て私は本当に悲しくなり、涙が出そうになった。
特に腐人気の高い作品とか同人界隈とかジャニーズとか、どうしてこういう陰口ばかり多いんだろう。
あと総選挙の時期にはアイマス長文が湧くけど正直やめてほしいです。
ここまで読んでくださりありがとうございました)
※こういう流れの文章が多い
(文字通りのクソリプ。特定の増田に限らず流行し、増田ミームと化した。「ドラゴンうんち(通常よりさらにうんちなものが対象?)」や「リベンジうんち(再投稿のものが対象?)」などのバリエーションがある。
現在はおそらく複数人が同時にやっており、長文自分語り増田など「うんち」がつきやすい増田に一定の傾向はあるものの、基準が統一されているわけではない。うんち同士がかぶることもたまにある。
一方、この増田自身もうんちだね増田やミソジニー連呼増田(前述の通りそれに限らない)など、複数の増田から粘着されている。同様のミームに「しゃぶれよ」なども。こちらは一応励ましの意図はあるらしい?)
(「日本の医師と専門家は飛び抜けてレベルが低い」という謎の使命感にかられ、医師免許更新制などを唱える青汁増田。コンプでもあるのだろうか? 最近では新型コロナにちょっとでも関係する増田に無差別トラバを飛ばしてきており、もはやコロナの大先生と化している)
(とにかく自衛隊を叩きたいらしい増田。某議員の件がよほど癪に障ったらしく、何度も何度も蒸し返してくるのが特徴。最近では「ブルーベリーフランペチーノ(?)」や「24億円」などの連呼も始め、ますますビョーキの進行に歯止めがかからなくなっている)
(同カテゴリー参照。あらゆる事象を「ってマ?」という語尾で検証しようとするが、大半は単なるダジャレ。やはり質より量の増駄)
(疑問形の増田を嫌い「ママに聞け」という言及を繰り返したクソリプ系増田。たまにママ以外も登場した。本人と思われる引退宣言以降は姿を消していたが、最近になって復活を果たし、当番付に対し4000字超の謝罪文を要求するなど意味不明な行動に出ている)
(「池田」なる人物を憎む増田。過去の投稿をよく消す(消える?)。名字のみならず下の名前や他の情報もよく漏らしており、粘着対象の人物がモロに特定できる状態。大丈夫か?)
(こちらも当該人物に粘着し、同じ内容の書き込みを繰り返していた増田。以前は毎日2回の投稿を欠かさなかったが、最近は投稿が途絶えている)
(プロテインの「ザバス」をなぜか「サバス」であるとしつこく主張する、高速道路逆走系増田。この他にも上のパリコレや「ADHD」を「AC/DC」に訂正しようとする増田など、増田には同様のしょうもないネタが多すぎる)
(こちらも「GSOMIA」ではなく「GOSMIA」が正しいと主張する逆走増田。増田によれば新聞社も政府高官もみな間違えているらしい。んなわけあるかい)
(何の前触れもなく「ワイは~」と誰も聞いてない自分語りトラバ爆撃を繰り返すなんJ臭い増田。横綱・パリコレ増田も同じネタを使うことがあり、元々この増田をパクったと称している。よって正確には何人いるのか不明。
特定の増田として、体重100kgという設定の増田、カテゴリー「今日のワイの餌」で日々の食事を記録する増田などがいる)
(↑の増田に対して「関西弁を使わないでください」と主張する増田。関西弁というか猛虎弁やぞ)
(何の話題でも強引に新自由主義叩きを展開し、毎度おなじみの長文を投下する増田。反緊縮などの話題が出た時は文体からしてだいたいこの人)
(こちらも「非モテの女は『いないこと』にされている」というのが大好きな青汁増田の一人。なお、同様の主張をしているidがあり、現在も活動中)
(ジェンダー論関係の増田ども。そもそも増田はフェミも反フェミもやたら多く、個別の増田を挙げるのもめんどくさい)
(最近活動が特に目立つ反フェミ増田の一人。Togetterの記事を引用してフェミ・リベラルを叩くことが多いが、山田太郎議員や赤松健氏も頻繁に攻撃の対象としており、いわゆる表現の自由戦士としては一貫している?)
(こちらも(自分で作ったと思しき)Togetterのまとめを増田で拡散しようとするフェミニスト。なぜか「全員同じような文体で」「同時に同じ人物ばかり叩く」特定の3垢から引用しており、おそらく3つ全てを一人で使っているものと思われる。
ちなみに垢の1つによると反ヴィーガンでもあるらしく、たまにそちらも叩いている。ネトフェミには割と珍しい組み合わせかもしれない。
なお、Togetterに書いたコメントとはてブのブコメがしばしば完全に一致するため、はてなidがバレバレだったりする。以前は該当するidが2つあった(つまりはてブでも……)が、いつの間にか両方消えた)直後になぜかよく似た人が現れている
(これも「うんち」同様、増田ミームの一種。一方で毎日のように毒親叩きが投下されるのもまた事実。こちらは一応オリジナルの増田が存在し、Twitterの男女ネタなども拾っていたが、最近は活動が減っている)
(同カテゴリー参照。かつての「Bluetooth変態オヤジ日記」同様、こちらも増田本人が以下略)
(質問系増田に対する定型文トラバ。ストレートすぎる。ママに聞け増田の後継者的存在)
(変なリンクを貼る増田。最近は他の増田を無差別にコピペして巻き込むもの、さらにそれをトラバするものが現れるなどウイルスじみた変異を繰り返しており、冗談抜きでヤバい)
(めぐみんに罵倒されたい増田。こちらも最近はパンティーに匹敵するレベルで増えた)
(うんちトラバを見かけるや「ミソジニー」とトラバせずにはいられない増田。ブクマの新着からうんちトラバを求め彷徨う姿は哀愁を誘う。自称フェミ男らしいが詳細不明。
なお、実際には男性と思しき増田にうんちトラバがついている例も多々あるのだが、やはりそれにも雑な認定を下してくるあたり、おそらくミソジニーの意味を理解していない)
愚痴です。
基本的に、複数キャラでいろんな人と遊ぶプレイスタイルでしたが・・・いまはほぼ相方としか遊べていません。
・一緒にいる鯖以外のキャラで遊ばないでほしい。(他の鯖に行く場合は申告する。帰ってくる時間を言う。ただ、これを守って遊びにいったがずっと機嫌が悪かった。半年前だが未だに言われる。)
・他の鯖のキャラの話はツイッターでしないでほしいと言われた。(する場合は別垢をつくりブロックするため連絡して欲しいと言われた)
・何かやりかけでも、急ぎでなければ自分に会いに来るのを優先する(以前、しなかったのを根に持っている。ツイッターでいう。装備強化より自分を優先するべきらしい)
・自分が知らないフレと接触しないでほしい(さんざんグチグチ言うので元々別鯖で知り合いだった人達のフォローをはずしました。)
・記念日のSSはアップが一日あくと、不機嫌になり、どうせ特別に思ってないと言われる。(寝落ちギリギリまでインしてるの平日はアップする余裕がない)
・忙しくてインが遅くなると、その分ゲーム内納品物がいくつできたか報告される。
・休日が被った場合、できるだけ午前中からイン。してない場合はツイッターで「まだ寝てるのかな」って呟かれる。放って置かれていると愚痴る。
・基本的に否定的なことを言うのはNG。肯定がベストだが、嫌味に取られる事がある。(機嫌しだい。)
・別の鍵アカに、自分への愚痴と誹謗中傷をしてるらしい。(内容が見れないので不確か)
キャラは気に入ってるし、思い出もたくさんあるし。
まあ、相方解消すればいいんだけど、解消したらキャラ削除しましたとかのあてつけと、こんな酷いことをこの人にされましたみたいなのを言いふらされるのが怖い。してないことまで言われそう。
実際、前に仲良かったひとと、ちょっと意見ぶつかっただけで逆上して、ブロックののちずっと悪口いってたから、こうなるんだろうなって。
正直、ずっとこっちが悪いみたいな言われ方しかしないし、まわりはだいたいあっちの味方だしで、
よくわかんないというか、思考が停止して、うんうんって聞くだけになってる。
せっかくのオンラインゲームなのに、いろんな人といろんな遊びがしたいだけなのにな。
書きたいだけの愚痴でした。
ニコニコで好きな動画を見ていても、好きなジャンルの二次創作SSを読んでいても、楽しんでいるふとした瞬間に「ま〜ん」「これだから女は」「女はクソ、劣等種」とか見るし、毎日毎日女叩きまとめ記事が乱立してるのを見させられて、自己肯定感がゴリゴリ削られたよ。
女は劣ってる劣ってる劣ってるって何度も何度も何度も何度も何度も形や手段を変えて聞かされ続けてきたから自信なんてこれっぽっちも残ってないし、根っからの卑屈さが身に付いて一時期は普通に笑えなかった。
リアルでもネットでも、痴漢にあったと言おうものなら、自意識過剰なんじゃねえのwお前みたいなブスがw女扱いされて良かったなwって茶化されるから言えなくなったよ。
男に優しくされてときめいても、「男が女に優しくするのはヤりたいからだよw女の体にしか価値がねえんだよw勘違いすんな!」って何度も何度も見た文句が蘇ってくるんだよ。
性的な需要があるから女は自己肯定感が高い?男は自己肯定感が低い?
だったら何故、あそこまで男は優れてる優れてると自慢できるの。
男達が自分自身の属性にあそこまで自信が持てている理由が分からない。
自分達のことを、劣等種の女どもと違って冷静沈着で、論理的で、頭脳明晰で、肉体的に優れてて、マナーをよく守り、人に優しくサバサバしてて、世間の為に貢献してるなんて、どうして男は言えるんだろう。
その自己肯定感の高さが羨ましい。
私は腐女子の文字書きです。いまのジャンルにきて何冊か同人誌も出しててイベントもでてる。
いまのジャンル同人活動このジャンルが初めてという方が多く、そのせいかイベントにでる、という発想がない人が多い。
前のジャンルは同人誌を作り慣れてる方が多くて、アンソロ企画とかもたくさんあった。でも、いまのジャンルはネットで満足終わり〜って感じ。
若い子が多いからかなあ?(しらんけど自撮りあげてる子が多いから、若い子が多いと勝手に思ってます)
私は本作るの好きだし、イベントっていう雰囲気が好きなのでみんなもイベントでて本出してほしいな〜って思う。
でもそんなん個人の勝手だし、イベントにでるのってお金かかかるし本作るのたいただではないし気安く参加できるものでもないってのもわかる。地方の方は遠征するだけで大変だし。私も地方組なので遠征費にはいつも苦しい思いしてますし。
でも、イベントでないけど本作って通販だけやります〜とかなんか違くない??と思ってしまう。こういう思考がもう古い?
あとそれが成り立つのって人気がある人だからなんだよなぁ。人気がない目立ってない文字書きがイベントでもなくBOOTHで本だしたってまず売れない。
通販だけでしかもそれで本が売れるってのは人気があるからできることなんだよ。それを自覚してるのかしてないのか。人気ある目立つ人がそういうことするから他の人もイベント出ないで通販だけでいっかーってなってる。
人気の人がイベント出てくれるとその方目当てのサークル参加と一般参加が増えてにぎわうんですよね。だから出てほしい。
私が、あなたがイベント出るから私もでようって思いました!って言われるくらい神作家になれればいいんですがね。全然だめ。
私がなんでイベントでるかってのは、まず第一に欲しい本があるから。締切がないと自分の本を出せないからイベント申し込んで退路をふさぐ。あとは実際に自分の本を手に取ってくれる方見れるの嬉しいし、隣のサークルさんと仲良くなったりできるから。
でもさーいまはもうツイッターで友達できてていまさら輪に入れないんだよねぇ。イベントで出会いを求めるのは間違ってるのか?
ツイッターだと相手の顔見えないからどんなトーンで話せばいいか、距離の詰め方とかわかんない。SNS弱者。だからこそ作品で勝負!ていうか、こんな素敵なの書いてる人と仲良くなりたいって思ってほしい。いやここまで自分で書いててわがまますぎて笑える。自分はなにもしないでまわりから話しかけられたい褒められたいってどんだけ受け身だよって話ですね。
前置きが長すぎた。
嫌いな人の話。嫌いっていうか嫉しすぎる人。
その人はめっちゃうまい小説書く(しかも友達も多い)が、「もっと感想欲しい」「みんなお世辞だと思ってる」「自分の小説はだめだ。下手」「うまい文字書き摂取したい」みたいな自分の小説を卑下するようなこと言う。じゃあそれ以下の評価しかされてない私は一体なんなんだ!?って鬱ってしまう。感想だってめっちゃもらってるのにそういうこと言うの感想送った人にたいして失礼じゃない?自分の書いたものを正当に評価できないのはわかるけどいいねとかブクマとか数値化されて目に見えて評価されてるんだからそういうこと言わんでもよくない!?嫉妬に狂って毒マシュマロ送ってしまいそうだよ。
その人さ言葉のセンスがすごくて私がじゃ絶対に思いつかないような表現で殴ってくる。すごい。でも書いては消すっていうか、ちょっと書いてみた〜ってツイッターにあげてみんなに褒めてもらって、でも続きは思いつかないから書かないって平気で言う。私だったらちょっと反応もらえたら嬉しくて何がなんでも無理してでも書き上げようって思うのに。
書き上げてアップするとか、本にしてイベントで売るっていう発想もないらしい。感想欲しいってことは承認欲求はあると思うんだけど。本出せばいくらでも感想もらえるだろうに……。なんでそこでやめれるんだろう。
私が彼女くらいの表現力、言葉のセンスがあればイベントでて本にしてみんなに褒めてもらって、また調子乗って本出すよ。
書けば絶対に感想もらえるのに書かないで、ちょっと書いて褒められて、でも書かなくて。みんなが本出してくれること期待してる人が書かなくて、誰も待ってない私が命削って本だしてるのなんかたまに馬鹿らしくなる。私の印刷代全部上げるから本だしてくださいって土下座したいくらい。そのほうがみんな喜ぶのは目に見えてるし。
でない神本より、でたくそ本っていうけど、でもでた神本だったらそっちのがいいわけじゃん?
まあその人はどんなに魅力的な文章が書けても小説を最後まで書き上げる能力、本にする能力がないってことで、その点においては本出した私すごいじゃんって慰めてる。逆に誰も待ってないのに命削って本出すってドMじゃん。感想フォームのQRコード載せても感想来ないのに本出し続けてるってある意味才能じゃん?
他にもツイッターでSS書いてるいいねたくさんもらう人いるけど、本だしたいって口ばかりでだしたことない人多い。
実際本を出してる分、その点においては私のほうが優れてるって自分を慰めてるけど、そもそもそんなとこで勝手に優劣つけてなんとか相手を下に見ようとしてる私ってレベル低いな……。性格悪い?っていうかなんかもうダメ人間すぎて自己嫌悪の嵐。なんかもっと素直な人間になりたい。同人って趣味だし、楽しいから書く!本をだす!以上!!って感じで生きたい。
同人活動ってか、ツイッターで交流しようとするのがむいてない〜〜〜〜!!!!
承認欲求ありありのくせに、そこまで上手な小説も書けず、でもプライドだけ人一倍の人ってどうやって自分納得させて生きてる????そんな人間私だけなのか……。
色んなコンテンツに触れてきた。ゲーム、漫画、アニメ、小説、Vtuber、ボカロ、二次創作…。
最初は見るものの全てが輝いていた。煌めく世界がインターネットの先に広がっていて、私はその虜だった。
そのうち、恐る恐る二次創作をするようになった。元々本も絵も好きで、小説もイラストも書いた。(といっても絵はお世辞にも上手とはいえず、小説が主だったが。)
自意識モンスターは多分、このころから心の中にいた。そうして小説に多少の評価がつくようになると、ブクマの数を養分にモンスターはむくむく育っていった。
有り難いことにTwitter、pixivの両方でフォロワーはどんどん増えた。仲良しのフォロワーも増えて、それに伴って投稿後のブクマやファボも増えた。
しかしこのころ、生来の人間嫌いも相まってTwitterでのフォロワーとのやりとりの全てが面倒になってきていて、ある日いきなりアカウントを消した。
とはいえオタク趣味が消えたわけじゃない。心機一転、新しいアカウントを作った。小説を投稿したり、くだらない妄想を呟いたり。昔と変わらない、楽しいオタク活動だ。
そう思った。思おうとした。だけど私の心は満たされなかった。ファボが、ブクマが、つかない。悔しい。
それだけのことが私の【楽しい】を奪うのだった。肥大化した自意識に吐き気がした。つまり、私は、「私の小説は、呟きは、もっと評価されるべきだ」なんて馬鹿なことを思っているのだ。
多分、人間嫌い、なんて言って人との関わりを面倒臭がっていたのも、高いプライドのせいなんだと思う。だから私は#繋がりたい #RTした人全員フォロー なんてこと死んでも出来なくて、Twitterでの人との繋がりに興味もなくて、そんな神絵師でもない私のアカウントに、フォロワーがつくはずもなかった。(最初のアカウントでは、初期に所謂繋がり活動をしていた。当時私は幼くて、モンスターはここまで肥大化してはいなかったから)
これだけならまだいい。満たされなくなったモンスターの矛先は、他人に向かった。TLで回ってくる人気の絵師さんやSS作家さんの作品が、素直に読めなくなった。
つまりこういうことだ。「私の作品(ないし呟き)は、そもそもの閲覧数が少ないから評価の絶対数が少ない。それなのにコイツは、繋がり活動でフォロワーを増やして、閲覧数を増やして、そうやって評価の数を上げてる。私のと作品の質は変わらないのに。こんなのは不等だ」
あまりに愚かで、醜くて、可笑しい。そんなこと誰よりも私が分かっている。大体私のようにひねくれていない人間は、ただ同好の仲間と楽しみを共有したくて繋がり活動をしているだけだ。私だって繋がり活動を同じくらい積極的したっていい。だからこれは不等じゃない。作品の質は同じ、なんて、それを決めるのは私じゃなくて読者だ。そんなこと分かっている。冷静に分かっていて、それなのに私はモンスターになってしまっているから、憤りを抑えられない。
だけど推しのことは今日だって大好きなのだ。推しの二次創作が読みたい。そう思って小説を開いても、少しでも粗が見つかれば自分の作品との評価数の差が悔しくて話に集中出来なくなって、最後にはブラウザバックだ。狂っていると思う。「この人は天才だ」と思った数人の作家の小説しか読めない。それにしたって、上手い文章を見つけると、天才じゃない自分が悔しくて涙が出る。作品が大好きだから二次創作や呟きをして、そのせいで作品が楽しめなくなる。こんな馬鹿げたことがあるか?ない。わかってる。分かっているのに感情が止まらない。苦しい。いつかオタク趣味からすら離れなければならなくなるのが怖いし、誰かに迷惑をかけてしまうようになるのも怖い。
愚かで、醜くて、間違っているのは私です。それでもこの文章を投稿したのは、一人で自分のなかの化け物に向き合うことに疲れたからです。それから、もしも私の他にもこのレベルの自意識モンスターがいるのなら、とりあえず世界にもう一人はお前みたいな人間がいるよと教えたいと思った。何の慰めにもならないかもしれないし、お前の目にとまるまでにこの文章についた何らかのレスポンスにさえ苛立ちを感じているかもしれないけど、救いになるかも知れないと思って。私は、人間なんてこんなもんだよ、隠してるだけなんだよ、って誰かに言われたくてたまらないから。