はてなキーワード: MOSとは
皆さんの案を下さい。
私の両親は3大疾病の内2つをクリアしている面々なので、リスクは必然的に高くなる。
また介護が必要になったときに最悪殺しかねない程の毒親なので、あまり長くは続けたくない。
最近読んだ「気味悪い、君」というブログの主も、死ぬためにバイトするなんて言いながら亡くなったし。
日本の自殺者の大半はフリーターとかだと思う。勝手な想像だけど。
これが一番現実的かも・。・;;;
税理士や会計士なんてハイレベルで何年も勉強する資格なんて取れるわけないし。
自分は集中力が狭い範囲でなおかつ短いので1年以上勉強できるとは思えない。
・Webデザイナー検定(職業訓練に行かせられたので買ったけど、結局1Pも読むことなく職業訓練自体が消滅した)
・MOS、VBAの類(前働いてた会社の経費で買った 当然1Pも読めてない)
40代フリーターと30代フリーターの先輩が同じ職場に居たことがあった
40代フリーターは大卒で、普通に就職したらしいがなんやかんやで退職して流れ着いたらしい。資格は運転免許すら無し
30代フリーターは俺と同じで特に目的が無かったのでフリーターを続けているらしい。資格は運転免許のみ
言い方が悪いが、同じフリーターの身分でも先輩のようにはなりたくないなぁ。と漠然と考えていた
40代でフルタイムで働いても少ない手取、少ない年間休日、代わり映えしない仕事内容と、正直何が楽しくて生きてるんだろうと思ってた
年下の正社員に指示をされたり、怒られている姿がなんだか情けなく見えたのも大きかった
そして5年ぐらい同じとこでフリーターを続けて、重い腰を上げて正社員になった企業はブラックだった
労働通知書に書かれていた契約とは異なる給与、60時間働いても出ない残業代、そのくせ日中はやることが無さ過ぎて先輩に仕事をもらおうとすると怒られた
暇なクセに拘束時間だけは無駄に長く、タイムカードも無く上長が勤務時間を記帳して本社に提出する形だった。ひどすぎて2か月で辞めた
勢いで辞めたはいいが、田舎故に求人も少なく、当時は車はおろか運転免許すら無かったのでまともな職にありつくのも無理だった
結果的に老人ホームの厨房担当として、またフリーターに逆戻り。しかも今度はフルタイムですらない
ここまで落ちると、もう何しても悪化することはねえな。と開き直ってアホみたいに勉強を始めた
まず人に使われる側ではなく、人を使う側に回りたい。と思ったので管理部門を目指そうと思った。今考えるとだいぶ意味が分からないが当時は真剣だった
次にブラック企業でお金の大切さを叩きこまれたのと、学生の頃は政治経済の経済が好きだったので経理を目指してみようと思った
あわよくば公認会計士か税理士を…とか考えてたが、まあバカの考えだった。俺レベルだと日商1級のデリバティブ取引で吐きそうになった
そもそも経理とか以前の話として、正社員として採用されるには何が欲しいのかと考えた時に、運転免許が必要だと思った
田舎なので車が無いと移動がままならず、生活に支障はなくても仕事には支障が出まくりだった
だからなけなしの貯金を全額崩して、自動車教習所に通った。一括で全額払えなくて、残りの数万円は一か月待ってもらった。我ながらマジで貧乏だった
当時の稼ぎはフルタイム勤務じゃないので、手取で10万前後だった。社会保険は当然未加入だし、国民年金も払えなかったので免除してもらっていたレベルだった
20代半ばに差し掛かろうとする頃に、ようやく人並みに努力をして半年ぐらいで運転免許と格安のオンボロ車を手に入れた
今考えると大した努力でもないが、やれば出来るんだという謎の自信に満ち溢れていたので
次はMOSを取得してみることにした。管理部門といえばパソコン、パソコンといえばExcelだと思ってた
一ヶ月ぐらいで取得できて、俺って天才じゃね?と思ったが、今考えるとテキスト薄いし内容は初心者向けすぎて時間と金の無駄だなと思う
求人だとたまに、MOS取得者歓迎!とか書いてあるけど逆にこの会社大丈夫か?って心配になる
運転免許、MOS(ExcelとWord)を取得した俺はついに本丸の日商簿記に手を付け始めた。気がつけば27歳、フリーター歴7年になっていた
まず3級。当時は5か月ぐらいかけて取得した。この時点で経理の求人に応募してみるが全滅
悔し過ぎて2級。6か月かけて挑戦するも、不合格。2回目の試験を受けようとするも定員オーバーで受験できず、1年かけてようやく合格
28歳、フリーター歴8年に差し掛かろうとする頃にようやく就職活動を開始
とりあえずハローワークに行ってみたら「経理は経験が無いとねぇ…」と言われた。そんなことは知ってるんだよ、と思った
次に転職エージェント、20代に強いエージェントや大手、とりあえず使えそうなエージェントは全部使ってみたが
未経験が足を引っ張ってほとんどのエージェントは求人を紹介しなかった。登録すら断られたところもあった
次に無料で求人を載せている転職サイトで、経理系の求人を片っ端から探した
大手の有料で求人を載せる転職サイトだと求められるレベルが高すぎて書類選考すら通らなかったから
立地が僻地、給与は格安、福利厚生は最低限でも良いのでとりあえず経験を積みたかった
一日足らずで選考結果(不採用)が分かる企業、そもそも応募を無視する企業、とりあえず書類だけ郵送しろ企業、色々あった
こっちもガムシャラに応募していたので、とりあえず面接に行きまくった。多い時は一日に3件入れていて、営業マンの外回りってこんな感じなのかなとか考えてた
退職、休職が相次いで穴埋めに大手派遣会社から新しい人に来てもらった
元々多忙で退職休職が出た流れもあって、手順書もある単純作業で誰でもできる感じの作業は新しく来た人に頼むことになった
…んだけど、マジで毎日毎日ミスがあって、再確認やら修正やらにめちゃくちゃ時間を取られてる
いくつかある作業の一つを例に挙げると、
・書類に記載された形式番号に紐付くサーバー上のフォルダに格納する
上記は自分が前任者から手順書と共に引き継いだ内容で、手順書には画像とかも用意されててわかりにくいと思う箇所も特になく、引き継いだ初日から特に問題なくやってる
なのに手順に書いてある通りのことをする、っていうのができない人間がこんなにいると思わなかったし手順書でわからないところは「ない」というのに日々何かしら間違ってるし、間違う箇所もバラバラ
同時に三人増えたんだけど全員そんな感じ
パソコン使った仕事の経験はあるしMOS持ってるという話だったけどそれ以前の問題だよ…
世の中こんな単純作業すらできなくても生きていけるんだな…
独学でExcelマクロとウィンアクター組める程度の28歳事務って転職できるんだろうか
在宅勤務したいってずっと言ってるし職場でコロナ陽性者出てるのにさせてくれないし、土曜出勤とかみなし残業時間とかあるし上司のでかい独り言とおっさんの鼻すする音や咳払いうるさすぎだしで職場に不満ありまくり、仕事なくて暇すぎて就業時間の2/3はサボって増田してる
別に仕事にやりがいとか求めてないし楽できるのは最高だし改めて転職活動とかするのもめんどくさすぎるからしてないんだけど、今の職場5年目で給料は千円とかしかあがってないし考えつつある
完全リモートの転職情報見てみるとたいていITエンジニアとか、なんらかの言語での開発経験1年が応募条件って書かれてるし
社長の思い付きで会社補助で資格試験受けさせてあげるよって言われたときあれとこれ受けたいですかかる費用はこれくらいですって調べてまとめて提出したらそこから一切なしのつぶてになりなかったことになったので資格は秘書検定とMOSしか持ってない
在宅勤務にさえしてくれればなんも不満のない職場になるんだよ 頼むよ
エクセルで世界トップ 学生大会、日本の高校生初 北九州の高2
MOS世界学生大会のエクセル部門で世界1位になった八幡高2年の中園愛美さん=北九州市八幡東区の八幡高で、2021年12月23日午後1時35分、宮城裕也撮影
2021年11月にあった米マイクロソフト社のパソコンソフトの操作技術を競う「マイクロソフト・オフィス・スペシャリスト(MOS)世界学生大会2021」で、福岡県立八幡高(北九州市八幡東区)2年の中園愛美(あみ)さん(17)が、表計算ソフト「エクセル」部門で世界1位となった。日本の高校生が同大会で世界の頂点に立つのは初めて。「目標に向かって努力を続けたから本番で実力を発揮できた」と喜んでいる。
大会には108カ国の高校・専門学校・大学生ら20万人超の学生がエントリーし、11月9~11日の決勝戦には各部門合わせ33カ国の160人が出場した。新型コロナウイルスの影響で初めてオンラインで実施され、エクセル部門は3時間半の間に、操作の正確性や、データを収集・分析し図表などを用いてリポートを作成する技術を競った。
「誰もがパッと見て伝わる資料作りを心がけている。ここまで準備したから大丈夫と思い不思議と緊張はなかった。高校生の自分の体験を交えた視点が良かったかもしれない」と中園さん。
小学校の頃からパソコンインストラクターの母が勤める教室に立ち寄り、自然とパソコンに親しんだ。小学6年の時にタイピングの早さと正確さを競う「毎日パソコン入力コンクール」(毎日新聞社など主催)の全国大会で優勝し「努力する楽しさをこの時に学んだ」と振り返る。
八幡高に入学直後、1週間ほどの入院や新型コロナウイルスの感染拡大による臨時休校で部活動に入りそびれた。部活に励む同級生がうらやましく「自分も頑張れるものを」と21年春、マイクロソフト社のパソコン資格認定試験に挑戦し合格した。その試験の合格者は世界大会に出場できる。「世界を舞台に力を試すことなんてめったにない。チャンスを逃して後悔したくない」と出場を決意した。
学業と並行して毎日1時間の大会対策を重ねて多くの関数やグラフのパターンを習得し、トップに輝いた。「将来はまだ決まっていないがスキルを生かして人の役に立つことができたら」と新たな希望を抱いている。【宮城裕也】
備忘録なんかの意味も込めて、10年近くお世話になったネットの海に青臭い駄文を放流させて頂きます。
俺が今まで歩んできた人生は、他人からしたら微妙な人生でしょう。
人並みに反抗期になって母に手を上げ、
ネットの友達が祝ってくれるから誕生日は起きて過ごしてたけど、今回は寝てたら20歳になってた。
20歳になっても自覚や実感はないし、きっと今日もいつも通りだと思う。
今日も相変わらず授業があるし、あと10日ほどで国家試験が待ち構えてる。
ここまで生きてこれたのは引きこもっても面倒見てくれた親のお陰だけど、面と向かって言うのは小っ恥ずかしいのでネットの海に流しておきます。
俺の人生を振り返ると、人間関係を作るのは得意でも、維持するのは苦手かもしれない。
維持するのが面倒になってくると、嫌になって全部投げ出してしまいそうになる。
現に何回も作ったグループを破壊しそうになったし、最近もそうだった。
自己中で、人の前に立って自分の都合が良いように意見を言うこともあれば、適当な指導や意見を言って周りを困惑させる時もあるし。
ストレスのせいなのか、会話が聞き取れない時もある。
それでもなんやかんやでここまで生きてきた。
ここまで面倒見てくれたネットの友達には、やっぱり面と向かって言うのが恥ずかしいので感謝の気持ちをネットの海に流させて頂きます。
社会人とうまくやっていけるだろうか。
でも、俺はそれなりの準備はした。
いつも思っているけど、人間なるようになるという気持ちで就活も挑むつもり。
さて。俺は正直、ここまで半分は惰性で生きてきた。
半分は希望的観測でも、希望を持って生きてきたと言い切れない人生。
でも、16歳になった頃に気付いた。
今、学校でいじめを受けてたりする人は、学校に行かない選択肢があることも忘れちゃいけない。
ちょっと考えてみれば、いじめてくるクソみたいな奴らのために自殺するなんてバカバカしいと思うはず。
今の学校の風潮じゃ「いじめはなかった」で終わりにされて当たり前。
どんな恨み辛みが籠もった遺書を書こうとも、
親が心配してくれないなら、目の前で心の内をさらけ出せば良い。
泣いたっていいし、叫んだっていい。
大学を卒業した方が給料が上がるから、仕事をする上で大学は行く方が良い。
バイトで培った社会経験だけど、学校で学んだ90%の知識は仕事に使わない。
それなら後々仕事に役立つことをしてもいい。
パソコンが好きならMOS Excelとかの資格を取ってもいいし、
資格にこだわらなくても、食い扶持を探すことなんていくらでもできる。
いじめられて学校に行ってない人は、その分だけ他人より時間がある。
その時間だけ将来のことを悩んだって良いし、自分が将来生きていけるように頑張ってもいい。
これだけは言っておくと、大人になってから勉強するのは死ぬほど辛い。
勉強した内容が頭に入ってこない。
だから親の小言のようで申し訳ないが、学生のうちに勉強はした方が良い。
惰性でこうやって生きてきた成人男性が、そこそこ希望的観測も持てるようなくらいまで回復しました。
なので、今学校でいじめられてる人は、一度逃げてみるのも手なんじゃないかな、って思います。
ただ休んでから自分が苦労しないように、出来るだけ自分で努力すること。
と言うことで、そろそろここらで締めさせて頂きます。
週5・8時間、月5時間残業程度の労働しかしていないのに、疲れ切って土日はほぼ寝たきりになってしまう。
平日も帰宅後はほぼずっと横になってツイッターとはてブしかできなくなる。
普通の社会人は資格取得のためやスキルアップのために勉強をしているんだよね???え???無理では????
私も事務仕事だからMOSくらいは取っとかないとな~~とか、業務で使いたいね~と話をされるRPAを触ったりしてみようかな~~と考えたりするんだけど
ほんっっっと何もできないんだよね。好きだった小説すら読めなくなっちゃった。
ここ何年もこの調子だからうつ病にしては長すぎるような気もするし、まあ単純に身体的な持病があるから、体力がないだけなんだと思う。
そうはいってもデスクワークだし、8時間しか働いていないし……。
正社員じゃないから今頑張って資格とか取っておかないと、将来職にあぶれてしまうのもわかっているんだけど…へとへとなんだよね~~~何もできない。
こんなだから結婚に逃げようにも彼氏を維持する体力もないし、そもそも出会いの場に出向くこともしんどい。それができるなら勉強くらいできるわ。
周りの20・30代は平日に飲み会しても平気だったり、3時間睡眠でゲームしても翌日の仕事に響かないような人ばかりだから、体力がない人間が自分以外に見えない。
そういう人たちはどう生きているんだろう?
まあ……社会的に死んでいるのかもしれないけど。
デザイナ会社のweb部隊でディレクション・マークアップ・JS書いてる三十路前の女
30代後半~50歳手前のおっさんばっか。
入社当時は、10人ほどいた部隊はこの4年で6人辞めた。私も辞めたい。
社内でそれなりに評価は貰えてると思う。
同年代平均よりも貰ってるだろうし、出身地方の月給15万とか見るとこの道進んでよかったなぁと思う。
だけれど、仕事が楽しくない。
ディレクションが増え、実務でコーディングする時間が徐々に減ってきて..あれなんでここ会社居るんだっけ?と思うこともしばしば。
IT技術の勉強でもするかと奮起するが、何を勉強していいかいつも悩む。
情報系専門学校卒で、資格だけはとにかく持ってる。知識でっかちの豆もやし。
実際に手を動かすと、全く何も出来ない。
なにがしたいかわかんねぇ。
ノリと勢いでweb業界にいる私に、次何を学べばいいかおしえてちょ☆
保持資格
・Oracle bronze
基本情報午後のCASL勉強してた10年ぐらい前と応用情報受かって、ネットワークスペシャリスト受かるぞと燃えてた頃が、1番楽しかったな。
日商簿記2級
ここまでは取って、今は総務経理として働いてる
経理として働く前は1級も勉強してたけど、途中でやめた。正確に言えば止めたというか中断したまま今に至る
理由としては、税理士・公認会計士を目指してるわけじゃない(動機がない)から。経験に+αできるから、持ってて損はないだろ!と思ってたけど
まだそこまでのキャリアを積めてるわけじゃないので、多分要らない。ていうかよしんば1級合格したとしても、1段階すっ飛ばしてもっと良い会社に転職できると思えないのでモチベーションが湧かない
未経験、経験の浅いやつが弾かれるのは既に嫌というほど味わったので、特にそう思う
社労士とかその辺はどうかな、と思って少し調べたけど社労士は社労士で需要が減ってきているそうで、うーんって感じ
そもそも経理としてのキャリアに社労士を足したところで、汎用性が上がるだけで専門性は増えなくね?って思う。実際どうなのかは知らない
働きながら勉強して日商簿記3級と2級とMOSと運転免許っていう
誰でも取れるけど、誰でも取れるが故に大して評価されない欲張りセットなら俺が持ってるよ
この中で一番評価されてるのってマジで運転免許(とマイカー)じゃねえかな。車社会な場所に住んでるからどこも運転免許必須でつれえわ
面接で「簿記の勉強って独学ですか?スクールですか?」ってたまに聞かれるから「独学です」って答えるとすごいですねって言われるけど、お世辞感すごいぞ
本当にすごいと思うなら採用しろやああああって何度思ったか分からんぞ
あと日商簿記3級でも評価してくれるところはありますよ!って言うやつ居るけど大抵はウソな
たまーに経理の求人で3級(or3級相当の知識)が要求されるけど、そういう求人って大体「経理の経験」が必須だから資格だけ持っててもダメ
2級持ってる人大歓迎!!とかいう求人に勇んで応募したこともあるけど、2級あっても書類選考の時点で落ちるとか当たり前にある。まあこれは俺のスペックの問題かもしらんが
「増田くんは若いからさぁ、2級ぐらいは欲しいよねw」って過去に何度か面接で言われることもあった。だから勉強して2級まで取ったのにこの様だよ!
まあ何が言いたいかって、ネトゲちょこちょこやる程度の時間で取れる資格なんて言うほど価値は無い
400時間ぐらいかけて日商簿記2級取ったけど、日常生活で使うかって聞かれたらべつに使わないし、商業簿記はいざ知らず工業簿記なんて工場の経理とか管理職でもなきゃ一生使わん
じゃあ日商簿記1級取れば?とか言うやつ居るけど、これはもっと分かってない。1級は1,000時間(+α)の時間が必要だから試しに勉強するかで気軽に取る資格じゃない。しかも実務経験ないと大して評価もされない
1級単体で評価される可能性があるのは税理士とか公認会計士が開いてる事務所でのみ。逆にこのレベルだと簿記論・財務諸表論が欲しいとか言い出す始末だけど
不動産関係で働きたいなら宅建とか、何に使うのか知らんけどFP2級がやたら知名度高かったり、社労士がまあ有名だけど
宅建は不動産界隈限定、FP2級は知らん、社労士は関係事務所で実務経験積めないと意味がない、っていう状況らしいぞ
つまり勉強したいなら、「目的を達成するため」の勉強をやっとけ
古の時代より1,000,000,000回言われてるけど、資格持ってるだけじゃマジで意味ないぞ。持ってるだけで評価されるクラスっていうのはそれこそ超難関資格クラスだけ
あとは全部条件付きで評価される。特定業界で働いてる、特定の経験がある、が主な例な
一応、未経験業種や職種に突っ込みたいなら、資格はあった方が便利ではある
便利ではあるが水戸黄門が出す印籠ばりに効果があるのかって聞かれたらそんなことはない
時間かけてまで取る価値があるのかって聞かれると、今のところは無かったとしか言えない。なので資格勉強が必要かどうかは自分で判断してくれ
あとあれだ。関連職種の資格があると、面接でやる気アピールできる。そもそも面接まで辿り着けないことの方が多いが、辿り着けた時は資格を絡めて話せるから未経験でも良いアピール材料にはなるぞ
俺は昔、はてなブログでブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。
1級身体障害者の炎上ブロガーって言えば、古参のはてなーなら知っている人もいるかもしれない。
元フジテレビアナウンサー・フリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。
もう過去の記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログを運営していた。
そんな俺は今、大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている。
知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressにブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。
だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークからの流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。
Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入で生活をすることが困難になった。
ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事を執筆するライターなんかもやっていた。
ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人のブログの記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。
でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。
もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田で記事を書いている。
ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社に就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。
20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態で20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。
そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業に就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。
まず、俺のスペックを書いていこうと思う。
・性別:男
・年齢:30代半ば
・職歴:ほぼ無し
・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等
こんな風に、俺のスペックはボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。
しかも、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。
一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?
こんなボロボロのスペックでどうやって大手企業の障害者雇用枠、しかもリモートワークという狭き門での就職を成功させることが出来たのか。
その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。
まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。
幸い、ブロガーやライターをやっていた時の収入は殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。
そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。
それが、
という方法だ。
障害者職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。
でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーでライター、個人事業主だったからな。
答えは「NO」。
障害者職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。
貰える金額は障害の等級によって違うが、1級身体障害者の場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。
都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。
幸い、俺は九州の田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。
そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。
ちなみに、俺が通っていた障害者職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。
通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。
そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。
でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題を殆ど説くことが出来なかったんだ。
「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」
そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマー、しかも1級身体障害者で残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。
この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。
それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。
あとはやはり、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
を抱えているという部分だ。
でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。
でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。
職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。
でも、問題点が。
俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。
俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者で病院をいくつも通っている人間は、遠い地域へ引っ越しをする場合、病院を全て1から探し直さないといけない。
特に、人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。
病院との相性もある。
週に3日、1日5時間も延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレスで精神がやられてしまう。
実際、俺が今通っている人工透析の病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。
そういった事情もあって、最初は就職に前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。
その頃、今世界中で流行している感染症が流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。
俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。
それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。
恐らく、毎日が病院と会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。
そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社へ就職しなかったというのもある。
こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体や精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い。
これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。
だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症の感染者数が増加していっていた。
でも、俺の通っていた学校は建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。
それと、どうしても知的な部分に障害がある人達もいるから、感染症対策をちゃんとしない生徒もいた。
しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分が感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。
家には高齢の親もいる。
だから俺は、絶対に感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。
俺はそうやって学校を辞めた。
ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、
「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」
みたいに言ってきた奴がいた。
お前はお前、俺は俺だぜ?
お前はリスク管理が出来ていない。
俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。
お前は勝手に感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。
人の命だってかかっているんだ。
俺は自分が感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。
俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入が学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。
障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないから障害年金の殆どを家に入れていた。
正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。
すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。
以前のようにライターの仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。
ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害者職業能力開発校に入るとき、
といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、
「カニの人」
として周知されている。
その人がまた、ライターの仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。
その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人の社長ではない。あくまで個人事業主だ。
クライアントが個人事業主だと、どうしても将来的な収入が不安になる。
でも、俺は感染症のリスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入が不安だ……。
そんな葛藤をずっと抱いていた。
ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェントの広告が目に入ってきた。
取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。
そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。
俺は、
「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」
みたいなことを、エージェントの就職担当者に話したような気がする。
へ流れで登録することになった。
なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体験から分かっていた。
今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。
でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社へ登録だけ済ませた。
リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。
個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。
ちなみに、就職エージェントの就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書を添削してくれた。
そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。
俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。
ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害や病気のことはしっかりと書くように言われた。
書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃんと理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。
話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。
でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。
心が折れそうだった。
だけど俺は諦めなかった。
俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業へ事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。
俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接の練習をしてそれを録画。
動画にして自分の面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。
そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。
パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。
晴れて俺は、大手企業で障害者枠でリモートワークで就職が決まった。
後編へ続く。
俺は昔、はてなブログでブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。
1級身体障害者の炎上ブロガーって言えば、古参のはてなーなら知っている人もいるかもしれない。
元フジテレビアナウンサー・フリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。
もう過去の記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログを運営していた。
そんな俺は今、大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている。
知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressにブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。
だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークからの流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。
Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入で生活をすることが困難になった。
ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事を執筆するライターなんかもやっていた。
ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人のブログの記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。
でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。
もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田で記事を書いている。
ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社に就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。
20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態で20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。
そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業に就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。
まず、俺のスペックを書いていこうと思う。
・性別:男
・年齢:30代半ば
・職歴:ほぼ無し
・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等
こんな風に、俺のスペックはボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。
しかも、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。
一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?
こんなボロボロのスペックでどうやって大手企業の障害者雇用枠、しかもリモートワークという狭き門での就職を成功させることが出来たのか。
その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。
まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。
幸い、ブロガーやライターをやっていた時の収入は殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。
そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。
それが、
という方法だ。
障害者職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。
でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーでライター、個人事業主だったからな。
答えは「NO」。
障害者職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。
貰える金額は障害の等級によって違うが、1級身体障害者の場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。
都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。
幸い、俺は九州の田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。
そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。
ちなみに、俺が通っていた障害者職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。
通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。
そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。
でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題を殆ど説くことが出来なかったんだ。
「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」
そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマー、しかも1級身体障害者で残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。
この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。
それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。
あとはやはり、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
を抱えているという部分だ。
でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。
でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。
職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。
でも、問題点が。
俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。
俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者で病院をいくつも通っている人間は、遠い地域へ引っ越しをする場合、病院を全て1から探し直さないといけない。
特に、人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。
病院との相性もある。
週に3日、1日5時間も延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレスで精神がやられてしまう。
実際、俺が今通っている人工透析の病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。
そういった事情もあって、最初は就職に前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。
その頃、今世界中で流行している感染症が流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。
俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。
それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。
恐らく、毎日が病院と会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。
そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社へ就職しなかったというのもある。
こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体や精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い。
これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。
だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症の感染者数が増加していっていた。
でも、俺の通っていた学校は建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。
それと、どうしても知的な部分に障害がある人達もいるから、感染症対策をちゃんとしない生徒もいた。
しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分が感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。
家には高齢の親もいる。
だから俺は、絶対に感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。
俺はそうやって学校を辞めた。
ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、
「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」
みたいに言ってきた奴がいた。
お前はお前、俺は俺だぜ?
お前はリスク管理が出来ていない。
俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。
お前は勝手に感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。
人の命だってかかっているんだ。
俺は自分が感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。
俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入が学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。
障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないから障害年金の殆どを家に入れていた。
正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。
すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。
以前のようにライターの仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。
ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害者職業能力開発校に入るとき、
といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、
「カニの人」
として周知されている。
その人がまた、ライターの仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。
その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人の社長ではない。あくまで個人事業主だ。
クライアントが個人事業主だと、どうしても将来的な収入が不安になる。
でも、俺は感染症のリスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入が不安だ……。
そんな葛藤をずっと抱いていた。
ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェントの広告が目に入ってきた。
取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。
そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。
俺は、
「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」
みたいなことを、エージェントの就職担当者に話したような気がする。
へ流れで登録することになった。
なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体験から分かっていた。
今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。
でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社へ登録だけ済ませた。
リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。
個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。
ちなみに、就職エージェントの就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書を添削してくれた。
そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。
俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。
ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害や病気のことはしっかりと書くように言われた。
書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃんと理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。
話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。
でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。
心が折れそうだった。
だけど俺は諦めなかった。
俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業へ事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。
俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接の練習をしてそれを録画。
動画にして自分の面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。
そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。
パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。
晴れて俺は、大手企業で障害者枠でリモートワークで就職が決まった。
後編へ続く。
"Microsoft Office Specialist(マイクロソフト オフィススペシャリスト、略称 MOS)は、マイクロソフトが認定するMicrosoft Officeに関する国際資格である。日本では、オデッセイコミュニケーションズが運営・実施している。"
まぁOfficeソフト使えまっせ!!の証明なんですけど…個人的にOfficeソフトって使ううちに覚えたり誰でもそこそこは使えるソフトって認識なのでわざわざ1万円以上の金払って「Office使えまっせ!!!!」アピールするのはダサいなぁ…学生なら許されそうだけど……としか思ってなかったんすよ…
ただ転職先の資格手当てにOfficeがあって人事考課で「いっちょとってみますか〜!!」ってやり取りがあり…昨年からチマチマ受験生してました。
増田の基礎力が無いのもあるけどexpert以外は1ヶ月くらいテキストと模擬テストやればパスできてたんですよ。
で、Outlookも一ヶ月前に試験日抑えて勉強してたんですがOutlookは他のとかなり異質で…
・一番簡単な科目と言われてる
MOSって公式が認めてる試験対策テキストがあるんですよ!増田はFOM出版のを愛用してます(手に入りやすい、模擬テストが受けられる、一回FOM出版ので受かると験担ぎで他の科目も買ってしまう)
Outlookだけ対策テキストシリーズになくてググったら2017年のYahoo知恵袋で公式が回答してんすよ https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13179776728
え??!??そんな告知方法ある??と思ったけどこれで公式が推してるテキスト知るのOutlook試験受験者あるあるっぽい。
でも知恵袋テキスト読んでぽちぽち操作しただけじゃダメでしたわ……
今までは対策テキストのほうがややこしい問題が多くて本試験は肩透かしが多かったのに…マジで問題が複雑(当社比
正確には試験のとき後回しにしたい問題は「スキップする」を選べば後で解けるんですけど他の科目のようにうっかり「次のタスクにうつる」ボタン押しちゃって1問無駄死にしました。これは不注意すぎました…すいません…他の人は気をつけて
会社の人からもネットの口コミも簡単だったって書いてありましたよ!!!!!!!
でもよぉ!!増田はよ!初めて試験時間も足りなくなったし普通に今までで一番難しかったわ!
落ちてから「MOS Outlook 落ちた」でググって初めて仲間を見つけたよ!!
他の人の感覚なんか信じるな!
スケジュール管理機能使ってないし高度な検索機能も使ってない増田は受験するとき試験範囲バッチリにしとけ!!
同じようなナメプの人がいたら言いたい…Outlook試験は魔物だと…勉強しすぎな事は無い…
ただOutlook試験は仮想メールボックスを操る試験が楽しすぎる…知らんOLと入れ替わった気分を味わえる…ちょっとそこだけ楽しくて関係ないメールとか見ちゃったよ。浮気を匂わすメール無いかとかワクワクしちゃったわ
とりあえず解答できなかったところを再勉強して来月また受けますわ…2回目までは会社が受験費用負担してくれるからぜってぇ受かりたい
東京外大出た友達は就活でスベって去年、客先常駐としてITの世界に進んだけどもう辞めると言ってた。
そこらへんの中学生より見込みがないと笑ってた。
「高校時代、歴史とか英語とか『同じ程度の努力でほとんどの人より抜きん出た成績』を維持できた。
大学時代は英会話がそれだった。そういう分野に関しては取り組み始めた段階でもう『大抵の人より上手くやれるな』って察しがつく。
でもプログラミングは本当に無理。中学生以下。なんならEXCEL前にしてもフリーズする。
MOSだって地元の寺子屋みたいなパソコン教室通ってかつ3ヶ月猛勉強してようやく受かったって有様だし」
聞いたこともない私立大出た同期より圧倒的に向いてないんだとさ。
スポーツと違って数学それからプログラミングの適性は学歴との強烈な相関があるとばかり思っていたから衝撃だった。
恐ろしいなプログラミングって。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/av.watch.impress.co.jp/docs/series/dal/1248155.html
>過去50年間の通信品質評価の研究成果・標準を全無視。通信品質には、音質の他に遅延・輻輳回避・パケ落ち回復など様々な要素が絡み、それらを考慮したPESQ値・R値・MOS値等で評価しなければいけない。
あれ?コメント直したのか?もっと攻撃的な感じだった筈だが…罵倒もしてた記憶が。誰か残していない?
たかぎひろみちゅ氏とかにも感じるんだが、自分の知識に対する圧倒的な自信と、それに反する相手への徹底的な攻撃性「ウソつくな!」「ば~か!」みたいな罵倒も躊躇しない感じ。「言っている事は正しいんだろうが、こっちに付きたくはない…」と思わせる排他性とエリート意識。それが私のはてブ感を感じるブコメ。