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はてなキーワード: 欧米人とは

2012-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20120807211616

ボクシング清水とか、増田的にはどうなの?

個人的には理想筋肉だと思うのだけど、増田的には細すぎて話にならないのかな

オリンピックメダルとるくらいに鍛えててあの細さですんでるのだから

スポーツで名を成すわけでもない欧米人のむっきむきに太い筋肉なんてほとんど無用長物に見えて逆にかっこ悪く思えてしまうのだけど

2012-08-07

イケメン()が全然イケメンじゃない件。

びっくりするほど知り合いに賛同を得られなかったので、記録しておきます

世間イケメンと呼ばれている芸能人やら一般人やらにまったく食指が動かない系女子

筋肉が足りねぇんだよ筋肉が!!

こちとら男兄弟に囲まれて、ジャンプ黄金期後期を読み、ハリウッドアクションを見て育ったんだよ!

さすがにあそこまでは求めないけど、筋肉大好きなんだよ!!

ごつごつ太い二の腕とか、それだけでもーたまらんのですよ!!

何だ、その細っこい腕!肘逆折りにすっぞ!

何だ、そのうっすい、つるっつるの胸板!マネキンかなんかか!!?店頭オサレ()ファッションでも着せ付けられて棒立ちしてろ!!

何だ、その腹筋の筋より肋骨のほうが目立つ腹は!!たかゴボウで突いても、ウッとか呻いて蹲るんじゃないか!?

何だ、そのほっそい脚と貧弱な膝関節!鯖折りにすっぞ!

別に全盛期のシュワルツネッガーとかスタローンとかは求めてないんだよ!!

海外ドラマで「ガリオタ」呼ばわりされてる男性にすら、日本男性筋肉が追いついてないという事実が残念なんだよ!!!

…わかってます人種的に欧米人のような筋肉は平均的日本人には望むべくもないことなど。

しかし、日本人イケメンの皆様の筋肉のなさは本当に目にあまるものがあると思うんですよね。

まったく、セックスアピールの欠片もない。

すらっとしてつるっとして、女かと…そういうベクトルルックスを求めるなら、素直にモデル可愛い女の子を愛でます

男くさすぎるのがモテないご時勢なのもわかりますが、男らしさを脱臭しすぎです。

男が女に女らしい外見の美しさを求めるなら、女は女で男に男らしい外見を求めてます

……いや昨今の世間イケメン認定のついた人見ると、もうそういう時代じゃないのかもだけど。

どうしてこうなった

ムキムキになってくれとは言わないから、女の私をして、うわっこの人の腕細すぎ…!?脳内で逆関節決めるのを連想させない程度に、

ちょっとでいいか筋肉質な男性が増えてくれないかなぁ…。

ちょっと鍛えただけで、スーツ着たときのシルエットとか劇的に変わるのに、しょぼくれた背中ばかりでもったいないです。

2012-07-30

僕は悪いのでない。悪いのは君である

はてなブックマーク - もう格安航空に乗らない…3度目欠航に不満の声 : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

LCCを使ったら欠航が相次ぎひどい目に合いましたという記事。そんでブコメが「自己責任」「情弱」とか

酷いいわれようだった。特にコイツらは酷かった。

id:rakko74 さすがファミレスファストフード店に高級レストラン並みの接客を要求する国の人々の言葉価格相応のサービスというものを理解しなきゃね。

id:Elekt_ra これで公務員出張では確実性を、でANAの特割とかを使ったら「役人のくせに高いメガ

キャリアを使うとは、税金無駄遣いだクタバレ」と抗議が殺到するのが美しい国のあるべき姿(笑)

id:clclcl チケットが安いんだから、単なる自己責任だし、ニュースにする価値もない。広告出稿の少ない格安航空を叩くのが、マスゴミ様のお仕事です

id:tydk27 こうゆうことを言うクソ日本人連中がいるから、何時まで経っても日本クズ社会として世界から笑われ続けるし、経済活性化も見込めない。ダメだな、この国。

id:gimonfu_usr 「★★★発送電力分割による競争主義と再エネで簡単に★★★コスト削減と安定配電が実現できる」と主張する紳士は、格安航空の欠航などに文句をいわないと思う。思うけれども飛行機利用をやめて人力車にするべき。

なんだろうね。だれと戦ってるんだろう。確かにLCCでの遅延や欠航は仕方ないけど、ここまで客側を叩くのはね。。。

話はそれますが、今回のこのブコメにかぎらず世間では、何か不満があったら「これは日本のせい」「政治が良くない」

既得権益のせいだ」とかブーブー文句言う人が多いけど、お前らそれでいいのか?

とまぁ僕がなんでこんなに不満を増田に書くかというと、前からもそうだったけど最近そういう人が僕の周囲に

多いのでつい愚痴りたくなった。

 

収入が少ない・結婚できない・恋人がいない、これらは社会のせいだとか責任をなすりつけてる人が多くて悲しくなる。

確かに今の社会構造の変化が急務で、かつ着実で大きな変化を強いられてる。その壁として確かに、政治の混乱や

まだまだ不自由といえる市場日本人国民性と国際間のギャップ。これらは大きの問題で一人では解決できない、みんなで

取り組んでゆかねばならない問題だけどさぁ。。。何でもかんでも社会日本のせいするのは間違ってる。その反対に

なんでも外国のせいにするのも間違い。

今まで出会った残念な人たちをあげるとこんなのがあった。

ある人は中国出張に行った時の話をしてくれた。最近中国の街なかで電動バイクが多く見られるらしい。でも日本はあまり見かけない

それに対してその人は『これは日本安全性ばかりを重視してるからだ。普及を優先せず安全ばかり考えてる日本電動バイク市場

において中国に追い越されてしまう。もうダメ日本は。』とか言ってた。

あるキリスト教徒日本人お話日本人宗教の話について話していて最後の締めくくりに『まぁ私は日本人の優位性はもうなくなった

と思ってるので、もう日本宗教には関心がないんですけどね。』

雑談日本ビニール傘の消費が世界で一番多いという話で、なんで海外では傘が売れないんだ?という話になりある人はこう言った

『我々日本人は濡れないように傘をさす努力をする。しか欧米人はそういう努力を怠る』

ある時は日本製の電化製品が壊れた時に『なんだよ。品質重視の日本製はこんなもんか日本のモノづくりはオワコンだ』

などなど。最初に聞いた時にみんな冗談かなと思ったけど本人はいたく本気。

でもね、この人達仕事場ではすごく優秀らしいんですよ。僕よりずっとたくさん稼いでると思います。でもなんでそんなふうに

斜に構えてるか分からず見てるのが辛い。おめーら俺より立派な生活をして何憎んでんだよ?

こう言うと「社会の閉塞感」「若者の生きづらさ」「若者未来を見いだせない大人たちのせい」という言葉で問題をすり替え

自分のやるべきことや問題を直視しないようにしてるように思えるけど、僕の考え間違ってるかな。

自分の憎しみを他人にすり替えはいけない」これはいつも僕が思ってること。何か問題があると安易に国や社会を持ちだして

責任押し付け安心しようとするのが僕は嫌い。

 

最初LCCの話からかなり飛んでしまって申し訳ないが、なんかね。。。このように日本若者が他者を責めて自分から

何もしなくなったのは、売国在日政権民主党になってからだと思う。野ブタ総理総理の座から降り。解散総選挙をして

正義自民党与党になり麻生さんが総理に復活すれば円高なんかすぐに解消されるのに。そのためには法律無視してで

もいいからマズゴミを討伐し報道規制をし、パチンコを廃止して在日朝鮮人を排除し、竹島尖閣諸島自衛隊を送り込み

中国韓国との武力衝突を辞さない態度を示し、靖国神社を国教と定め神の国日本を目指す他はないよなぁ。。。

でもそれが出来ないこの国はもうだめぽ・・・はぁあなんでこんななっちゃたんだろうこの国は。

2012-07-26

森博嗣小説の中にこんな言葉があった。

日本では、一緒に遊ぶとき、混ぜてくれって言いますよね」

「混ぜるという動詞は、英語ではミックスです。これは、もともと液体を一緒にするとき言葉です。外国特に欧米では人間は、仲間に入れてほしいときジョインするんです。混ざるのではなくて、つながるだけ……。つまり日本は、液体の社会で、欧米個体社会なんですよ。(以下略)」

有名作家意見をそのまま拝借して申し訳ないのだが、最近いじめ問題ひとつのアンサーになっていると感じる。

からといってこれがすべての要因ではないが…。

日本人ときとして水と油で分離するが、欧米人レゴブロックだ。接続点がひとつしかないブロックでも巨大なブロックでも"ジョイン"できる。

奴らにコミュニケーションで勝つことはこの概念を理解できない日本人には難しいだろう。

2012-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20120705222712

黒船もまた、軍艦であるということが、増田は今ひとつ理解していない。

軍隊は各国それぞれに特徴があるが、軍隊軍隊である

兵士に与えられた自由は限定されている。

増田の経歴がはっきりと書かれていないが、予測してみる。

新卒として日本の大手出版社正社員として勤務し、そのあと出版系のベンチャー企業転職したものの、そこが潰れたため、外資系金融業広報派遣社員として働き、そのあと再び日本出版社で、契約社員として働いて3年目に入ったのではないか

大手出版社ドロップアウトした人々が時々たどるパターンだ。

その経歴では、外資系のいいところしか見ることはなかったのだろう。

この予測に基づいて、増田を批判してみたい。

まず、増田は業種の違いを敢えて無視している。

出版社と金融業は、異質のものだ。

今時、金融の大手企業なのに、パワハラセクハラなどが蔓延している職場なんて、あるのか?

銀行保険会社証券会社などでは、コンプライアンス研修が毎月のようにあり、訴訟の芽は事前に摘まれる。

それは、この15年近くで劇的に変わった。

パワハラセクハラが無かったのは、外資系だったからではなく、金融業からではないのか?

そもそも出版社マスコミなどは、現代日本の中では意識改革が相当遅れた業界としても有名だ。

同族企業の悪いところで、身内の罪はかばい合い、隠蔽する。

いまだにパワハラセクハラ蔓延していて、例えば有名作家や取材対象の政治家などに遅くまで女性社員接待したり、大手出版社社長地方支社に愛人がいるのが当たり前だったり、部下をしかるのに灰皿を投げつけるようなボス猿がのさばっていたりする。


サービス残業が当たり前の本当に糞のような業界が、日本出版社マスコミの姿なのだ派閥も多いし、くだらない足の引っ張り合いも日常茶飯事。

そして、同業他社は、お互いの短所を知っていても、かばい合い、罪の追求をすることはない。

製造業官僚の罪は追求するワイドショースタジオで、ADが失敗してボコボコに殴られていても、注意するくらいで加害者を処罰することすらしないのが、この業界なのだ

そりゃ、増田もつらかっただろう。

それに、増田外資系では派遣社員だった。日本でも、派遣社員処遇は相当に守られている。

彼らが残業を強いられることはそうそうない。

なぜなら、契約書で、残業代をきっちりと払うことが明確に定められていて、例外を認められていないからだ。

しょせん、他社の人間であり、身内のようにムリを効かせることはできない。

増田が今の職場でそれを強いられているのだとしたら、契約社員という、正社員を餌にされた準社員の地位にいるからだ。

派遣社員契約社員立場の違いが、増田処遇の差になったとは考えられないか


さらに、外資系人間関係天国のように増田は評価するが、外資系正社員同士の社内政治いかに大変か、増田は知らなかったのだろうか。

2年弱といえば、長いようで短かったのかもしれない。

ハリウッド映画を観てほしい。

何故彼らは、頻繁にホームパーティーをするのだろうか。

あれは、日本仕事帰りに上司と部下が飲むようなものだ。

欧米人は、それを週末におこなう

会社を離れたら友人だよ、というスタンスで、フレンドリーに接するのが欧米流。


だが、そんな訳があるはずがない。

上司であっても、友だちとしてつきあわなければならないのは、義務だからだ。

こちらの方が、逆にきつくないか


プライベート仕事を持ち込みたくない、という人間は、少しずつ疎外され、出世から外れていく。

「俺と君とは、会社を離れても、人間として友人なんだ!」

とアピールしあい価値観が違う者同士なのに、相手の趣味に合わせて笑い、会話をし、お互いの家族について相談を「しなきゃならない」。


日本武道を習いに来た欧米人に、日本の道場のどういう点がいいか、聞いたことがある。

日本の道場は、上下関係がきっちりと決まっているからとても楽で居心地がいい。欧米では演技が必要で、フレンドリーに接しながら腹を探り合わねばならず、ストレスたまる

……これは、数人の欧米人から聞いた感想だ。

このような接待方法に近いことを、日本だとMRがやっている。彼らの顧客医者は、ロジカルで欧米的な個人主義者が多いのも関係があるのかもしれない。

医者は、仕事帰りに居酒屋で飲むのをあまり好まない(中にはキャバクラ大好きの医者もいるけれども)。

それよりも多いのが、週末のつきあいだ。

そこで、週末、医者野球チームのメンバーになったり、バーベキューを開催したりして親睦を図る。

MRをやっている友人曰く、「自分だけでなく、時には妻にまで、バーベキュー場で顧客のために肉を取り分けさせたりせねばならないのがつらい」とのこと。


増田は、お客様として外資系の上澄みだけに浸り、外資系の賛美者となってしまった。

外資系で本格的に働くと、相当に人間関係で苦労する。それは日本の非じゃありませんぜ。

しかし、文化の違いを乗り越えて、彼らに仲間として認められた時の喜びは、それ以上のものだ。

それは、社内政治を勝ち抜き、圧倒的な業績を上げ、奴隷以上に長時間働いてのち、得られるものだ。

増田のような人間の賛美は、外資系イメージを上げるという点ではい宣伝になるけれども、外資系で戦力となる仲間を必要とする者にとってみれば、ありがた迷惑だ。

2012-01-31

初めてインドっていうかケーララ州へ旅立つ人へのアドバイス

http://samuraibp.com/column/first-india-trip

この記事を見て、去年の2月に3週間ほどインド南部のケーララ州+インド最南端のカニャクマリを回ったことを思いだしました。そのことをかきます

たぶんリンク先の記事は、インド北部のメジャーどころを念頭に置いて書かれてるんだろうと思います自分10年前にデリーやバラナシを巡りましたが、その時は確かにこんな感じでした(IT化は全然してなかったけど)。でも、同じインドでも場所によって結構空気が違うんですよねえ。リンク先の記事はコンパクトなのにツボをおさえていて良い記事だと思いますが、地方を巡った経験からの、ちょっと異なるアドバイスを敢えて書かせていただきますよ。どっかしら観光地として日本ではマイナー感漂うケーララを推すべく。

オートリキシャ、サイクルリキシャ、人力リキシャ、タクシー

何故かケーララ州ではぼったくりが(あまり)ありませんでした。全般的に、デリーやバラナシの人たちと比べてギラギラしたがめつさが希薄しかも、どうやらリキシャ運転手同士で客引きルールが設定されているらしく、長距離バススタンドや駅といった場所では日本のようにリキシャが客の順番待ちをしていました。僕が間違って列の後ろの方の運転手に話しかけると「俺の順番じゃないから先頭に行ってくれ」と言われました。信じられますか。インドでですよ。3週間滞在しましたが、金のことでもめたことはほぼありませんでした。

(ここからは推測。ケーララはインドで唯一共産党政権とってる州でして、そのせいか妙に皆の団結力が強いそうです。リキシャの運転手たちも、全員で示し合わせてストをしたりしてるそうで。上記の話もその土地柄の一環なのかもしれません。彼らに直接聞いたわけではないですが)

(あと、田舎に行けば行くほど、観光客向けの商売人からギラギラさが薄れる気がしますね)

市街ローカルバス

ムンバイコーチンではよく見かけましたし利用もしました。

でもこの町では、バス結構難易度が高かったです。なんせ、バスの路線番号表示がアラビア数字じゃなくて現地語なんですよ。読めねえ。安いし、車窓が高いので町の見物にもってこいなんですけど、目当ての路線を探すのに手間取る可能性があります。あと当然車内アナウンスはないので、おりたい場所に近づいたら結構必死で町並みを観察していないといけません。もし自信が無ければ隣に座ってるおいちゃんに教えてもらうか、諦めてリキシャるかするといいと思います

鉄道

ケーララは長距離バス網が異様に発展しているので使いませんでした。

ちなみに鉄道はほぼ予約必須なんですが、最近ネット経由で予約ができるそうです。わざわざ駅に行って朝から窓口に並ぶ必要がない。すばらしい。はずなんですが、なぜか自分クレカ(viewスイカ)は使えませんでした…。使えるカードと使えないカードがあるみたいなので、渡航前に実際に予約サイトに行って、使えるかどうか実験しておくといいとおもいます。予約の件は日本人から教えてもらったので、日本クレカが全部ダメってわけでもないんでしょうけど。

長距離バス

公営バスがちょう整備されてます。ケーララを旅するためのメイン交通機関です。まちがいない。

うっかりデメリットの説明の方に力が入ってしまいましたが、便利だったのは間違いないです。ケーララは鉄道の本数が少ない土地なので、うまくバスを使いこなしていただきたいところです。

余談ですが、公営バスは全部、黄色と赤の共産党カラーで統一されてます。窓から見える風景には、鎚と鎌のあのマークがよく落書きされてるので、共産趣味の人は楽しめるはずです。

国内飛行機

前述の僕のクレカは、こちらのオンライン予約ではなぜか通りました。べんり。

携帯

SIMロック外したあいぽんと現地で買ったSIMカードとの組み合わせ最強です。foursquare普通にチェックインできます。でも、何故か、SIMカードを売ってくれる店と売ってくれない店がありましたね。コーチンなどの都会では、店はたくさんあるけど何故か売ってもらえず、地方都市のクミリーでようやく買えました。

噂によると、外国人SIMカードを買うためには、パスポートと、住所の確認が本当は必要で、住所がないバックパッカーは売ってもらいにくい、とのことです。とはいえ僕の英語力に問題があった可能性も大なので、本当かどうかはわかりませんが……。もし携帯を現地調達するなら、パスポートの写しと滞在ホテルの住所を持って行った方が吉かも。

ちなみに日本SIMカード海外ローミングを使っても通信はできます。当然一日1000円以上の高価な通信料がかかりますが、極めてお手軽なので、なんかあったら使えます

あ、それと、あいぽんコンセント形状さえなんとかすれば変圧器なしで充電できます

現地人とのおつきあい

子供の物売りやコジキは、引き際を知らないので大人より扱いに疲れます

他の旅人とのおつきあい

ケーララは日本人ぜんぜんおらんかったですよ。多分地球の歩き方で割かれてるページ数が少ないからだと思います。クミリーの動物保護区でトレッキングに参加したら「おれのツアーに参加した日本人はお前が始めてだ」と言われました。そのあとサファリツアーに参加したんですが、欧米人リア充カップルの群れに混じって、ぼっちジープに乗るのは辛いものがありました。ケーララは風光明媚だし商売人がギラギラしてなくてゆっくり過ごせるので、もっと日本でもメジャーになってもらいたいものですよ。

2012-01-09

考えてみれば、ディズニーってよく欧米で受け入れられてるよな

洋ゲー女性キャラはもう少し可愛らしいキャラデザにしろよwwwwww

http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52517669.html

1 :名無しさん必死だな:2012/01/08(日) 18:59:38.19 ID:dy4lMpb40

萌えろとは言わないが

ディズニーライクなデフォルメくらいしないと日本では売れないぞ

日本アニメ/ゲームキャラは目が大きすぎて、欧米人には受け入れられない」という話をよく聞くけど、

ディズニーキャラクターだって大概だよなあ。

それで、受け入れられているんだから、この違いは何?って話。

2011-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20111130151510

東洋人と言っても、

結局は中国日本韓国人にほぼ限定されるわけで(日本人が「白人」と言うと欧米人無意識にでも指すように)、

向こうから見れば文化経済も大して変わらんだろうという。

2011-11-21

どうやらおサイフケータイの敗北が決まったらしい

今日日経産業新聞に、電子マネーにおける日本勢の世界戦略が紹介されていた。

それによれば、北米等ではFelICa外しが進んでおり、日本勢はdocomo中国に、KDDISoftbank韓国に、実験レベルでの提携を持ちかけるのだという。アジア連合を作って欧米に対抗する戦略らしい。

これでは敗戦は確実だ。

まずアジア連合という発想は2つの点で誤っている。第1にiPhone5その他の欧米端末による圧力に対抗できない。第2にアジアの主力となるべきサムスンは既にGoogleウォレットを搭載したGyalaxyを出しており北米陣営に属している。

次に、経済圏を作ろうにも手遅れだ。北米おサイフケータイ来年中に相当数が出回り、再来年末までにキラーとなる機種(例えばiPhone5)が発売することで、情勢は決定付けられるだろう。アジアで今から実証実験をしていても間に合わない。

そもそもアジア参入障壁を作って対抗するというのが筋が悪い。ましてそれを国内3社等がバラバラに行うのだから勝てるわけがない。

この戦略を採れば、5年は日本国内でだけ海外の潮流に抵抗できるだろうが、それだけだ。世界が追い付き追い抜いた後に、ようやく諦めて海外端末の後追いを始めることになる。

 

おサイフケータイ戦争に勝とうと思うなら、なりふり構わぬ手を使うべきだ。

私は、Appleに大きな利益供与をしてiPhone5Felica(のみ)を採用させるべきだと考える。

AppleGoogleウォレットと敵対関係にあるからGoogleウォレットの普及を阻む利益がある。また欧米人には初めての実用レベルでの電子マネーとして画期的に映るからAppleイメージ戦略に合う。

そして日本側の利益は大きい。

重要なのは現在iPhone世界的な影響力を有し、かつその影響力は4,5年後には凋落することだ。Appleへの上納金のデメリットは長くは続かない。

国内企業・業種を跨ぐ総力を投じて、北米市場を掌握する必要がある。

決済の支配にはそれだけの価値があるし、逆に支配を受ければ恒常的な富の流出を招く。

時間は長くてあと2年しかない。

2011-09-18

http://b.hatena.ne.jp/entry/netouyonews.net/archives/6037813.html

関東大震災朝鮮人暴動を起こしたデマが流れた件だが、

関東大震災の4年前に三・一独立運動朝鮮人が暴徒化してたことを考えると、

災害に乗じて朝鮮人暴動を起こす」というのも、ある程度リアリティがあった話なんだろう。

当時の日本人にとっての朝鮮人は、今の欧米人にとってのイスラム教徒のような感覚で、

いつテロ暴動を起こすかわからない犯罪者予備軍にように思われてたんじゃないか

この辺の、「なんでそんなデマ信じちゃったのか」という背景を教えずに、

ただ「根拠のないデマ虐殺が起こった」だけ教えても、あまり教訓にはならないと思う。

無警戒すぎて暴動犠牲になるのもダメだし、過剰防衛で虐殺に至るのもダメで、

情報の真偽をどうやって見極めるか、デマに踊らされず自分たちの身を守るにはどうすればいいかを教えるべきだろう。

2011-08-14

たとえば女の人が痴漢を訴えにくいのって

日本人欧米人に大きく影響される。日本人は彼らの清潔さ、綺麗さ、美しさを取り入れ、それを自分たちの常識とする。

一方、それに対する価値観までは取り込むことができない、場合が多い。

美醜感だとか、汚潔感だとか、善悪感だとか、そういったものが相対的に不十分であるのだ目指している、憧れている善、潔、美に対して。

から、その裏返しとして、悪、汚、醜へ上手に対峙することができない。

それらを漠然と、暗いものタブー、語るべきでないもの、と見做してしまう。これはどういうことか。

まり、悪、汚、醜に立ち向かうことをせず、謂わば見て見ぬ振りをしておしまいにしてしま事なかれ主義に安んずるということだ。

逃げているのだ、おかげで戦いもせず、乗り越えることもできない。

結果として、このような悪、汚、醜、に関する不具合、問題が生じても解決できないのである、それどころか見て見ぬ振りする逃避が主な解決策であると思い込み始めてしまいすらする。

この例は、日本人という蟻(専らよく働くから働き蟻、といったところだろうか)の身近に在る蟻地獄であり、

それはたとえば性犯罪である被害者が訴えてもその声が聞かれないのは、そもそも周囲が聞こえない振りを大いにしている可能性が考えられる。

と、こんなことは日本人の間には無いだろうか。

2011-05-04

就職して一日8時間以上週5日も拘束される人生ってどうなの?

http://hamusoku.com/archives/4631584.html

を読んでみての感想

明治時代は、労働関係の法律がなかったから、もっと働いていたという。

その頃に比べれば、楽にはなっただろう。

でも、なぜ日本人生産性あんなに低いんだろう。

なぜGDP世界3位でいたいと思うのだろう。

適度にがんばって、適当なところで満足してればいいのに、

それができないのが日本人

気候的にも耐えて忍ぶのが体にも精神にも染み渡ってんだろう。

歴史的にも自由を自力で勝ち取ってきた欧米人とは違う。

物質的に豊かなのは明白。だが、自殺者が年間3万人をゆうに超える

ようなこの国の運営方法には、大いに疑問を感じる。

あと、起業しろとかいってる奴は起業した企業の何%が数年後

残ってると思ってるんだ?

痛覚も持たなくて、木に縛りついて、自我もない昆虫

そんなものに私はなりたい。脳を進化させてしまった生き物の宿命だと

言われると辛すぎる。

とにかく、日本労働環境は両極端すぎる。欧米の働き方を学びたい。

2011-03-30

英語公用「後」論~日本人英語に対する8つの雑感~

はじめに

本題に入るために二三言っておきたいことがあります

まず、今回の東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々のお見舞いを心から申し上げます

次に、僕のスペックです。都内の大学に通う学生(新二年生—ちなみに一浪—)です所属学部のカリキュラムによって、ほとんどの授業を英語で行って、レポート英語でたくさん書きました。といっても、僕の英語能力はだいたいTOEIC700点前後だと思います(TOEICはうけたことがありませんが、学校で受けさせられたテストなどで換算するとこのくらいです)。700点前後なので、あまり大したことは言えた身ではないのですが、英語については昨年度かなり自分でも悩み、考えたし、また、TOEICなどのスコアだけで英語の実力のすべてが測れるとも思っていないので、僭越ながらも英語についての意見を述べさせてもらいます。(ちなみに未だ日本から出たこと無いです)

最後に、書こうと思った動機について。主に二つ。ひとつは、日本人英語熱が、去年のユニクロ楽天英語公用語方針表明から、加熱の一途を辿っていることを受けて、自分英語公用語の学部で学んでいる自分—が何か良い意見を述べることができればいいなと思ったから。あとひとつは、自分英語に関する考えを今の時点言語化して整理しておきたいという考えがあるからです

Ⅰ.「”英語”がうまくなりたい」なんて言うことなかれ

 英語学習者の多くは「英語ができるようになりたい」や「英語上達!」などと言います。が、少し待って下さい。その宣言って少し漠然としすぎではないでしょうか。ここで、試しにあなたが今思っているその「英語」に修飾語を二つ付けてみて下さい。例えば、ある会社員場合は、practicalと businessを足して、”Practical business English” (実践的ビジネス英語) となります。こうすることで、あなたが必要な英語がもっと鮮明になるでしょう。さらに対策だって立てやすくなると思います。子供語学を身に着けながら成長するときの様に、日常の様々な場面での遍く英語表現を身に着けることは大人には困難ですしかし、範囲をうまく絞れば、そこに特化して勉強することで仕事で困ることが少なくなると思います。

Ⅱ.発音、アクセント以前の問題がある,それはattitude

 僕は昨年度、英語を話す日本人を数十人ですが見てきましたが、およそ二つのグループに分けることができます。それは、日本語を話すときと同じ感覚英語を話している人と、英語を話すときは全く別の口の開け方や筋肉の動かし方、さらには呼吸法でする人たちです(帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます)。タピオカドリンクを飲むときは、コーラを飲む時に使うストローじゃ飲めないように、英語を話すとき日本語用の発声方法を脇に置いて、英語用の発声フォーマットで話さなくてはならないのです。先に示した前者の人々はだいたい、声が小さいぼそぼそしたしゃべり方をします(もちろん発音は滅茶苦茶チョッピです)。これは、はっきりいって意識の問題だと思います。発音やアクセントの前に態度(attitude)の問題だと思います。

Ⅲ.英語で羽ばたいている者の翼を折ること無かれ

 これは上とだいぶ関連があるのですが、英語真剣に話そうとすると多かれ少なかれ「欧米人っぽさ」や、悪く言えば「ネイティブかぶれ」が現れてしまいます。だが、これらに対して嘲笑したり、からかったりしてはいけないと思うのです日本人の間で「かぶれ」に見えてしまうことも、英語話者同士では普通の事なのです。だから、間違っても日本人によるつまらない価値観から、その人の外国語に向かおうとする態度を軽蔑してはならないと思います。お互いにとってマイナスしかなりません。

Ⅳ.英語力不足で理解ができないかは本当か

英語がわからいから話が理解できない、と思ったことがある方。それは本当に英語が問題でしょうか?例えば、去年流行った「ハーバード白熱教室」。この番組iTunesYouTube無料で見ることができます。僕も、視聴していて三周目も終わろうとしている頃ですが、まだよく理解できているとは思えないです。『これからの「正義」の話をしよう』も、その原著である”Justice-what’s the right thing to do-”も持っていて一通り読みましたが、未だ理解できたという確信がありません。なるほど、「テメエがアホなんだよm9(^Д^)プギャ―」という意見もあるでしょう。しかし、サンデルの授業内容がそれなりに高度なことも事実はないでしょうか。日本語で聞いたとしてもそれなりに高度なことには変わりません。それをさらに外国語でとなると余計に理解が難しくなってしまいます。自分英語読解/聴解能力を疑う前に、言語に拘わらずそれを理解できる知的基盤が備わっているか。それをただ「英語が分からない」と悲観する前に、確認する必要があると思います。

Ⅴ.ロールモデルを見誤らない

経済評論家などを「達人」と見做している英語学習者は、いつまでたっても英語ができるようにならないと思います、失礼ながら(インタビューもそんなにあてにしちゃいけない)。そもそも、本当に英語できる人間は、日常のほぼ全てのタスク英語でこなしているような人たちではないでしょうか。論文であれ、企画書であれ、会議であれ、学術発表会であれ。そういう本当の「達人」らは、われわれ一般人指南するような立場を超越していらっしゃいます。さらに、そういう人たちはあまり表に出ない人たちです。なぜなら、一流のビジネスパーソン週刊誌英語特集に顔だすくらい給料安くないし言語学など学問分野の一流たちもそんなところに出て自分の株をさげるようなことをしないでしょうから

では誰をロールモデルにするのか。はっきりいってツールである英語ロールモデルが必要であるとは思わないのですが。強いて言うなら、『英語達人列伝』の中から探すといいと思います。これを読めば、「日本人英語ができない」といった言説が神話であると思え、すこし勇気が湧いてくると思います。

Ⅵ.発音は関係ないということなかれ。

英語学習において、発音を磨くことは何かと批判の対象になります。恐らく、それは英語学習における贅沢品と受け取られるからでしょう。目玉焼きも焼けない人間が高級イタリア料理カルパッチョソースのデミグラス和え 地中海の新鮮な貝の奏でるムースとともに」(※こんな料理はありません)を作ろうとするように捉えられてしまうのかもしれません。

しかし、僕は発音も大切だと思います。磨けるなら磨いた方がいい。じゃあ、どのくらいまで磨くか。もちろんネイティブレベルとは言いません(発音向上批判がネイティブ信仰批判と結びつけられることも多い)。が、強いて言うなら「自分の発音に自分で酔えるくらいまで」としておきます英語を話している時の自分がいつもと少し雰囲気違うな、とか仕事できそうだな、くらいに思えるくらいです。語学学習は基本的に孤独な作業であると思います。周囲に誰も人がいない部屋で黙々と音読…そんな状況で心を支えるものが、わずかながらのナルシシズムだと思うのです。ここで注意しておきたいのは、自分の発言を瞬時に考えて話す「スピーキング」と音読教材を見ながら話す「スプリクト読み」の際の発音能力は個人の中でも違いがあるということです(ここでは詳述しません)。

Ⅶ.もっといい方法があるはず…というラビリンス

NHKで「英語会話」の講師をしていた東後勝明氏はこう言っています。

「発音が大切だ」と言えば、すぐに、「本国人のような発音の必要はない。日本人なのだから日本人の発音で十分」と反論が返ってくる。「単語を覚えたほうがいい」と言えば、「単語だけを覚えても何もならない。その使い方を覚えなければ駄目」と言われてしまう。うっかり「会話ができなければ」などと言おうものならたちどころに「ただペラペラしゃべれるようになるだけではかえって人間が軽薄に見えて困る」と一蹴され、「それより、内容のあるものが読めることだ」とか「話す内容が大切」ということで会話の重要性は影をひそめてしまう。

  「文法をしっかりやりなさい」と言えば、「文法に頼る英語力には限界がある」とか「文法を教えすぎるから英語が使えなくなっている」と、これにもまた反論が出る。それでは「実際にありそうな自然な対話をそのまま暗記してみれば」と言えば、「会話はそんなに準備されたせりふ通りにはいかない。そんなものをいくら暗記しても役には立たない」と誰かが言う。…  ( 東後勝明 「聞き、覚え、使う」 現代新書編集部 『外国語をどう学んだか』 講談社 1992)

要するに、唯一絶対の方法なんてありませんよ、ということであり、たとえ少し間違った勉強法をしてしまっても、それほど差はないですよ、ということ。やりかたで戸惑って学習不安なんて愚かだと思いませんか。ネット情報収集だけに一生懸命になっている方、とりあえずブクマして満足している方。

Ⅷ.英語勉強しているのに世界を見据えないとは

世界に飛び出ていく為のツールである英語を、日本企業学校の基準に合わせてどうするのでしょうか。会社学校の要求に応えることが重要であることは言うまでもないですが、これから英語勉強して身に着けるということは必要不可欠であるということ。すなわち、グローバル化によってかつては「あった方が有利」だった英語から「ないとダメ」というように変化してしまったのです。だから、これから英語学習する人――特にビジネス面の方々――は、外国、とくに韓国中国ライバル意識を持って外国語を学ばなければならないのではないでしょうか。

おわり

英語に関することで今問題だな、(というか、もったいないな)と思うのが巷の「英語学習」と、学問としての「英語教育」との乖離です。この春休みに入ったころに、集中して現在刊行中の「英語教育学大系」シリーズ(大修館)を読んだのだが、個人的に得るところが結構あった。そういった学問分野での研究成果をうまく巷の「英語学習」に反映させればいいと思うのだけれど、実際「英語学習」者たちの間でウケてしまうのはTOEIC900点をとった人たちのアドバイス記事。もったいない

これ500B!超えたらblog再開させようかな…なんてw

最後まで読んで下さった方、有難うごいました

訂正

3/31,19:12

帰国子女の方々は生まれつき後者姿勢が備わっているきがします→帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます

↑生まれつき備わっているというのは誤りでしたので訂正しました。 

2011-03-16

日本を賞賛してる外国人さんへ

「ソトヅラ」だけは良くする日本の腐った文化を賞賛するのは勝手だけど、

人間本質日本人だろうが欧米人だろうが大して変わらないってことを忘れないでね。

原発の安全基準しかり、ガソリンスタンドの事件しかり、被災地窃盗しかり。

この世のどこにも「素晴しい民族」なんていないんだよ。理性を取っ払えばみんな野蛮な動物だよ

2011-03-04

アメリカ人は本当にタコが嫌い?/怖いという感情宗教は関係ある?

 

 「族長の初夏 : 日本人はなクトゥルーを怖がらないのか」

 http://umiurimasu.exblog.jp/12210453

 この記事のブクマhttp://b.hatena.ne.jp/entry/umiurimasu.exblog.jp/12210453/)が300を超えたので、逆張りというか、疑問に思った2点、『アメリカ人は本当にタコが嫌いなのか?』『「怖い」という感情に「一神教」と「多神教」は関係あるのか?』ということについて、考えてみる。

 ブログ主のumiurimasuさんに対する反論というよりかは、ブックマークコメントの傾向に対する反論である


 

 >>ちなみに、魚介類を食べるのがあたりまえな島国文化圏の人からすると、アメリカ人のタコ嫌いというのは、それこそ冒涜的なまでに理解を絶する感覚ですね。

 イタリアスペインポルトガルギリシャ韓国……などの国々は島国ではな半島だが、タコを食べる。中国でも食べる。

 また、アメリカには昔からイタリア系、スペイン系、ギリシャ系、中国系の移民は多かったし、ポルトガル系や韓国系も少なからずいた。彼らはアメリカでも昔からタコを食べる。

 しかも、いまでは寿司日本料理イタリア料理スペイン料理ギリシャ料理中国料理はすっかりアメリカ全土に定着した。だからイギリス系やアフリカ系のアメリカ人でもタコを食べる人は多い。

 なので、これは「アメリカ人のタコ嫌い」ではなく「ラヴクラフトのタコ嫌い」にするべきではないか

 

「昔のWASP白人アングロサクソンプロテスタント)のタコ嫌い」にしてもいいような気もするが、やはり、「食べない」からって「嫌い」には直結しない。

 タコが全面的に禁忌(「食べてはいけない」)とされているのはユダヤ教であり、キリスト教では一部の宗派のみ。

 

 そもそも、「アメリカ人(あるいは、欧米人)はタコを悪魔の使いとして忌み嫌っている(忌み嫌ってきた)」という説は日本に広く流布されているが、本当なのだろうか。

 この説の傍証は、タコは英語で「devil fish」と言われること、および、「クトゥルフ神話」や「宇宙戦争」などでタコが人間に敵対する悪役として描かれているから、ということである

 まず、「devil fishであるが、現代のアメリカでタコを示す言葉のうち、一般的に使用されるものは「octopus」である

「devil fish」でgoogle画像検索をすると、真っ先に表示されるのはエイ画像で、タコが出てくるのは10番目以降である

 さらに、「devil fish」だからといって「タコ=悪魔」だと思っているとは限らない。

 すくなくとも、エンゼルフィッシュ天使だと思っている人はいないだろう。

 クトゥルーにタコが出てくるのはラヴクラフトが(個人的に)タコが嫌いだったから。

宇宙戦争」の火星人がタコなのは原作者ウェルズがタコを怖がっているからではなく、「火星重力が少ないから頭が大きくなって手足が退化して、タコになる!」という疑似科学的な理論のため。

インデペンデンス・デイ」などの宇宙人映画でも宇宙人はタコとして描かれていることがあるが、それは「宇宙戦争」(と、もしかしたら「クトゥルー神話」)へのオマージュのためではないか

 というわけで、「アメリカ人のタコ嫌い」という言葉は、「伝統的なアメリカ人」と「最近アメリカ人」、「主流派(WASP)のアメリカ人」と「少数派のアメリカ人」のタコに対する態度の違いなどを考えたうえで使うべきであると思う。

 アメリカ人日本人に対して間違ったイメージ(「忍者ゲイシャ」「エコノミックアニマル」「イエローモンキー」)を抱いていることが多いが、それと同様に、日本人アメリカ人に対して抱いているイメージも、その多くは間違っている可能性がある。

 さらに、「アメリカ人」という言葉文化論において使われるときは、WASPを指すことが多く、黒人黄色人種アフリカ系アメリカ人や先住アメリカ人カソリックヨーロッパアメリカ人などを無視する場合が多い。

 たしかに、一面では、アメリカの主流文化WASP文化であるが、マイノリティ文化の一部が主流になることも多いしWASP文化マイノリティ文化が影響しあってできた新しい文化が主流になることもある。

 だから、「アメリカ人」という言葉をつかうときは、その言葉はいたい何を指し示しているのか、自覚的になるべきである

 このような問題(主流文化とは何なのか?「〜人」は何なのか?)は、移民国家であるアメリカ」を論ずるときには特に注意されるべきだと思うが、日本イタリア中国ブラジル南アフリカ共和国など、どこの国を論ずるときでも、注意したほうがいいことである



  ブログの記事内では、『ともあれ、そうした文化的理由でクトゥルー神話を本来あるべきように怖く感じられないのだとしたら、やはりちょっと残念ですアメリカ人はほんとうに、日本人よりも怖さを感じているのだろうか。それとも「いや別に、全然怖くねーよ」という感覚なのか。アメリカ人に直接聞いてみないことにはどうにも。』や『こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。』と書かれていて、慎重な姿勢が保たれている。

 しかし、ブックマークコメントでは、「キリスト教文化圏では、何を考えるにも常にキリスト教の神を超越者・絶対的存在としていちばん上に置くというものの見方が根底にある」や「日本人場合、神も仏も混ぜこぜに、かつあいまいに信じていて、絶対的な何かを世界観のよりどころにしていないからでしょうか」という文章ばかり注目されている。

  そもそも、欧米文化芸術作品・物語が紹介されるときには、「キリスト教的」「一神教世界観」などのマジックワードを持ち出し、日本の「多神教世界観」と対比させて論ずることが多い(そして、往々にして、「多神教世界観」の方が寛容で複雑で高度なもの、と優劣をつける場合が多い)。

 しかし、例えば日本の文化芸術作品・物語についても、「神道的」「仏教的」「多神教世界観」だけでは論ずることはできないだろう。

 文化芸術作品の成立には、もちろん宗教世界観も大きく関わるが、それだけではなく、自然環境経済環境歴史政治・偶然など、様々な要素が関わっているはずである

 

 また、フィクションに対して「怖がる」という反応は、宗教よりも時代と個人的な経験に左右されるものである

 ホラー小説の「人を怖がらせる」技術は年月を重ねるにつれて蓄積されるものであり、現代のホラー小説過去ホラー小説より「怖い」、ということは一般論として言える。

 スティーヴン・キングの作品は、ラヴクラフトの作品と同じくアメリカ人作家によって書かれた、キリスト教世界観の影響の強い作品であるが、日本の読者でもスティーヴン・キングの作品を「怖い」と思う人は多い。

 「雨月物語」は過去日本人作家によって書かれた作品であるが、そこに収録されている「吉備津の釜」は江戸時代日本人が読んでも「怖い」と感じたであろうし、現代の日本人が読んでも「怖い」と感じる人は多い。

 しかし、現代の日本人である鈴木光司によって書かれた「リング」は、おそらく「雨月物語」よりも多くの日本人読者を怖がらせると思う。

 だがスティーヴン・キングの「シャイニング」や「クジョー」と鈴木光司「リング」のどれが一番「怖い」か、ということは、現代の日本人でも読者によってそれぞれ違う。

 さらに、「リング」アメリカ人が読んでも「怖い」という評価を得ている。

 ここにラヴクラフトを代入すれば、ラヴクラフトが「雨月物語」よりも怖いと思う日本人もいれば、「リング」ラヴクラフトよりも怖いと思うアメリカ人もいるだろう。

 彼らの「怖い」という感情には、多少は「一神教世界観」「多神教世界観」が関与しているかもしれないが、それよりも個人的な趣味感性(「ホラーに慣れているかどうか、じわじわとくる恐怖に弱いかびっくりさせるような恐怖に弱いか」「日常的な恐怖に弱いか、非日常的な恐怖に弱いか」などなど)の方が強く関与しているだろう。

 つまり、ホラー小説の話題で、「キリスト教世界観」「多神教世界観」にばかり注目するのは、適切ではない。

 

 また、ホラー小説の話題に限らず、欧米文化芸術作品・物語について考えるときに、「キリスト教」「一神教世界観」に還元させるのは適切ではない。キリスト教の影響はあるかもしれないないかもしれない。あったとしても、強いかもしれないし、弱いかもしれない。

 「一神教世界観」というマジックワードで説明されることで、安易に「理解した」と思いこむのではなく、宗教世界観以外の、他の側面からも考えることが必要である

2011-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20110219002824

欧米人の顔って似たりよったりだよね」というレベルで言ってるのなら同意する。

ラノベマーケティングに凝るところがあるので、どうしても売れ線狙いに収束してしまうし、

対象年齢を上げれば「一般文芸でやれよ」、下げれば「児童書でいいじゃん」ということになって、

良くも悪くもニッチなところで生き延びざるを得ないんだよね。

ルールは緩いんだけどフィールドが狭い。

2011-01-18

海外旅行をしてわかったこと

海外旅行をしてわかったことは何ですか」http://i.2chblog.jp/archives/2006258.htmlというまとめスレを見て、色々思い出したので

自分海外旅行をしてわかったこと、思ったことを書いてみる。

○あらゆる面における自分固定観念経済の発展度とか、携帯の浸透具合とか、人がどんな感じで生きてるかとか、冬でも泳げるってことのどーでもいい実感とか。

○「12日間の旅」というのは日本人からすれば「長いですね」だし、欧米人からすれば「短いねー」。

ネット依存オナニー依存は旅に出れば簡単に脱出できる。

ネット価値観の間違い。タイ台湾でもK-POP捏造でもなく人気だったとか、SAMSUNG製の浸透ぶりだとか、何回も中国人に親切にされただとか。

歴史に対する考え、あるいは国のイメージというのは、こっちはもちろんあっちも持っているが、結局、人と人、一対一。

○「~人はこう」なんかなくて、あえて言うなら「~な奴が~人だった」ってこと。

○とはいえ、デリーやばいぼったくりがいるよ、じゃなくて、ぼったくりじゃない人もいるよレベル

ぼったくりの手段、雰囲気は世界共通。

○「1000円払えばこのうざったさから解放されるなら払おう」という、その「1000円」は彼らにした大金。かくして、ぼったくりは消えない。

○300円で泊まれる清潔なシングルルームがある。LCC最高。もはや海外旅行は特別な贅沢じゃない。

お金で買えないものはない。それが売られていれば。

○すべてが決められ連れ回わされるパック旅行は驚くほど記憶に残らない。

○どこでも寝られる、なんでも食える、誰とでもしゃべれるという能力が旅に出ると目覚めることもある。

英語ができるか、できないかで旅の経験がまったく違う。現地でも若い子は結構しゃべれる人がいるし、バックパッカーはどこの国の奴も大抵しゃべれる。

受験勉強だけじゃ全然喋れない。でも、コツつかめばその基礎がガンガン生きる。

コミュニケーションツールとしてのタバコライター

ネットが旅のあり方を変えたということ。

Facebookの浸透ぶり。

○円高最高。パスポート最強。感謝とある種のフリーライダー感。

日本が最高と思ってたのは、ただ単に日本しか知らなかったから。

日本が最低と思ってたのは、ただ単に日本しか知らなかったから。

○一週間の旅だけでその国が分かったなんて言えないこと。

○一週間の旅だけでもなんとなく分かることもあること。

自殺したくなったら、自分を縛ってる色んな価値観捨てて、どっか暖かい国でまったりすればいいやと思えたこと。

2011-01-02

書評 高橋亀吉戦後日本経済躍進の根本要因」

 

1976年、日本経済新聞社刊。

 社会が大きな変化に直面しているとき、渦中の人々がその重大性に気づかないというのはよくある。高度成長期日本もそうだった。「どうして日本戦後奇跡的な成長を遂げたのか」という国内的な疑問も主として欧米の人たちが最初に投げかけたテーマだった。本書の刊行は1976年、終身雇用とか、組織への忠誠心とか、メインバンク制、官民一体とかそんな日本経営論が新鮮な響きをもって受け入れられていた時代に、このころまだ珍しい日本人エコノミストの手による”日本経済奇跡”に対する論考である

 「もはや戦後はない」(昭和31年経済白書)という有名な一言がある。これはもともと「もはや戦後復興需要は一巡したのでこれからの高成長持続はいっそう難しくなる」という文脈で使われた表現だった。このように昭和30年代初頭、今まさに経済的な飛躍を実現せんとするタイミングにおいてすら、日本国内では慎重論・悲観論が渦巻いていた。しかし、蓋をあければ昭和30年代を通じて政府の期初経済成長率見通しを毎年上回る実績を上げた。

 根本的なドライバーは「重化学工業革命的発展だった」と高橋は言う。戦前から国策として奨励していたがなかなかうまくいかなかった重化学工業がこの時初めて開花した。鉄鋼増産の結果、国産価格戦前においては欧米よりも2割高かったが、昭和30年代には欧米よりも少なかず低廉となった。鉄鋼価格の下落を通じて、鉄鋼を素材とする機械自動車、造船などの産業発展も促した。それが昭和39年の貿易収支黒字転換という一大事を達成させる原動力となった(100p)。また、重化学工業化はこれまで輸入に頼っていた製造機械国産化を通じて、産業裾野を熱くすることにつながり、これまで2重構造と称されてきた日本経済所得平等の解消(したがって、内需のさらなる拡大)に寄与し、スパイラル的な発展を促した

 高橋は本書のなかで、重化学工業に対する日本経営者達の基地外じみた設備投資意欲に驚嘆し、しばしば呆れる外国人研究者の声を紹介している。多くの欧米人研究者が当時の日本企業を、足元の収益よりも銀行から莫大な金を借り入れて生産拡大を重視しているリスキーな奴等、と評している。今では信じられないが高度成長期日本ではあまりにもアニマルスピリットが旺盛すぎて、「当時、日本経営者にとっては投資抑制するものが資金不足以外にありえなかった」(p183)」だったのだ!GDPにおける設備投資比率は2割をしめ(現在は15%弱)、日本経済の最大の成長ファクターになっていた(150p)。

 現在は、資金調達環境は多様化している分、当時より新興企業が金を調達しやすい環境はなっているだろう。しかし、高度成長期日本には今と違って、①ガンガン金を借りれる若き経営者がわんさと存在していた。そして、②我先に、と投資に走れる機会が国内存在していた。①は、大企業解体されることで保守的な旧支配層から進取性のつよい年齢層への大規模な人材の交代が起こったことが大きかった。②は戦時の破壊によって最新鋭の設備スンナリ導入できる環境にあったことと、中東から安い原油の輸入が重化学工業プロミシングな産業にさせていた。

 本書の重要インプリケーションは、高度成長の主役は政府はなく、ひとえに民間企業の熱烈さにあったということだ。政府は高度成長を予見してすらなく、官僚の主導権も(戦後こそ強かったが)重化学工業がそのものが飛躍する30年代後半には衰えを見せていた。

 欧米人は、当時の日本企業の果敢さをこう賞賛したという。「日本の造船の特徴はきわめて大胆であること。低コストであること、そして競争相手たちより、はるかにスピーディであることだ」(p136)。まるで、今の日本韓国企業を称するようではないか

http://twitter.com/#!/zaway/status/21446713415831552

2010-11-02

母の苛烈すぎる性格

母親性格が苛烈すぎる。

いままで色んな趣味に手をだしてきたが、ドクターストップ人間関係不和破綻している。

スポーツ系のドクターストップならとにかくとして、およそ怪我のしようがないインドア趣味でさえドクターストップがかかるまで熱中する危ない人だ。

書道ヘルニア家庭菜園で疲労骨折だ。

飲まず食わずではないにしろ、一旦没頭しはじめると水分とカロリー補給の時間以外は止まらない。

当然、家事は手につかなくなる。

家族から文句は出るが、

母の趣味友は

あなたが頑張ってる姿をみて、みんな勇気付けられるんだから」

他人事だと思って適当な励ましを与えてくれる。

そんな母の友人たちも母の激しすぎる性格を嫌って、遅かれ早かれ去っていくわけだが。

今度きたブームは海外旅行だ。

国内温泉巡りの時もかなり危なかった。

苦行のようなスケジュールで出かけては疲れ果てて帰ってくることを繰り返していた。

車の運転が出来なくなって帰れなくなったりもした。

車の運転が出来ないってのは、故障とか、眠気とかじゃなくて、俺には理解できないんだけど頭の中が沸騰しすぎて運転出来なくなるらしい。

そして、今度は海外旅行の熱が高まってきている。

ヨーロッパをさらっと巡る旅をした。

得意気に添乗員に説明された文化遺産にまつわるエピソードなんかを家族にしたものの、たまたま母以外にとっては常識だった。

なんか悔しくなったらしい。

そして、俺の高校の世界史教科書を読み始めた。

久々に帰省したら、教科書最初の数章の余白にはびっしりとメモ書きがされ、付箋が挟まれ。ページは擦り切れかかるほどだった。

ヨーロッパの次はエジプトだった。

世界史勉強したら行きたくなったとか。

最初の章の勉強を終えるなり即現地に行く行動力がやばい

次は、インド、その次はパキスタンだった。

エジプト文明インダス文明ときたら、メソポタミア文明イラクは渡航できないだろうし次は中国あたりかな?っと思ったが甘かった。

エジプトパキスタンイスラムの魅力にとりつかれたようだ。

せめて英語が通じる国とか、せめて先進国とかいう発想はないらしい。

いつの間にか教科書イスラム世界の章まで進んでいた。

イラントルコ、そしてこの間はレバノンに旅立った。

レバノンイスラム国ではないが)

次はシリアパレスチナに行きたいと言っている。

もちろん、どの旅行も友達も家族も連れ立たず、一人でツアー参加だ。

「夫の稼ぎで暮らしてる専業主婦なんだからもう少し大人しくしとけ」

っと誰かいうべきなんだろう。

あるいは言ったのかもしれない。

しかし、言ってどうなるというのだ。

言って聞くような、理性的人間じゃないことは誰よりも知ってる。

そして、母がいない家は母がいるときよりもずっと平和なのである。

母の存在雷雨であり台風であり活火山なのだ。

欧米人ってさ、たまに極端な人がいるじゃん。

毎食ずっとビッグマックしか食わないアメリカ人とか、ヒョウに憧れて裸で暮らすフランス人とか。

たぶん母親はそっち側の人間なんだろうね。

そして、少なからず自分と弟にもその病的な凝り性の血は流れてる。

声を上げた記憶がないのに、ジム

「バーベルを上げ下げするときに叫ばないで下さい」

と注意されたことがある。

反動をつけずにゆっくりストレッチをしていただけなのに、肉離れするまで伸ばしてしまったことがある。

弟は考え事があると左右を確認せずに道路を渡る。

気付いてないだけで自分もそうなのかもしれない。

なんか怖い。

2010-11-01

欧米人にとって浴衣オバケ

ハロウィーンです。仮装・扮装しましたか。

ハロウィーン欧米お盆、ではありません。確かに、死者がこの世に帰ってきて、教会ではミサがあります。しかし、日本お盆は死んだ家族が帰ってくるだけです。一方ハロウィーンの扮装では魔女・骸骨の仮面などなど。つまり、10月31日には、この世とあの世の裂け目がぱっくり開いて、あの世のものがどっとやってくる。そういうことです。

・さて、近頃流行りたるもの。ハロウィーンで「ジャパニーズキモノ」を着ることがどうやらあるようです。もちろん、着物そのものずばりではなく、欧米人に着やすい、あるいは「それっぽい」ものに加工されてはいますが、しかしハロウィーンの扮装の一パターンとして「女が浴衣っぽいものを着る」があります。

・すなわち、欧米人にとって浴衣オバケ。彼らにとっての日本文化の異質さはそういうものだということの、いい象徴です。

ハロウィーンでは、グダグダ浴衣もどきを着る欧米人に対抗して、似合わないグダグダ帽子タキシードを着る男子・ヨレヨレのドレスもどきを着る女子、が日本にいてもよろしいのでは。欧米人にとって「浴衣」が異形の象徴なら、日本人にとってタキシードドレスは立派な「異形」ですから。

2010-10-18

ネトウヨこそ反日

http://togetter.com/li/60267

http://togetter.com/li/60259

http://togetter.com/li/60262

昨日、アキバ行ったんです。アキバ

そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで怖いんです。

で、よく見たらなんか垂れ幕国旗持ってて、ソフマップオノデンから尖閣諸島を取り戻すぞ、とか叫んでるんです。

もうね、アホかと。馬鹿かと。

お前らな、デモ如きで普段来てないアキバに来てんじゃねーよ、ボケが。

だいたい意味わかんねーよ。

なんか親子連れとかもいるし。一家4人でデモか。おめでてーな。

よーしパパ日本のこと守っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。

お前らな、1円もやんねーけど黙ってろと。

アキバってのはな、もっとなごやかであるべきなんだよ。

路上で踊ってるメイドに群がるカメラ小僧をほほえましく見つめる外国人バックパッカー

そんな雰囲気がいいんじゃねーか。近くの欧米人びびっちゃってるじゃねーか。ネトウヨは、すっこんでろ。

で、やっと収まったか思ったら、他の奴が、犯罪者シナ人は日本から出ていけ、とか叫んでるんです。

そこでまたぶち切れですよ。

あのな、シナ人なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。

得意げな顔して何が、シナ人、だ。

お前は本当にシナ人って言いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい

お前、シナ人って言いたいだけちゃうんかと。

中国通の俺から言わせてもらえば今、中国通の間での最新流行はやっぱり、

ジョングオレン、これだね。

ニーシージョングオレンマ。これが通の言い方。

ニーシーってのはあなたはって意味。そんで反り舌でジョングオレン。これ。

で、それにマって軽くそえて聞く。これ最強。

かしこれを発音よく言うと中国人だと思われて猛烈な勢いで話しかけられるという危険も伴う、諸刃の剣

素人にはお薦め出来ない。

まあお前らネトウヨは、2chに書き込んで脳汁でも垂らしてなさいってこった。

2010-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20101009121803

ノーベル賞」の研究室日本にもたくさんあります。

というかそもそも、ノーベル賞研究者は毎年3人どころじゃないペースで存在してるので、ノーベル賞をもらった人と同等の実力の人はもっと沢山いると考えた方がいい。

それを言うなら例えば野依研のメンバーはほとんど日本人で、欧米人なんて短期留学生が1人いるだけなんだが、それを見て欧米基礎科学はもうダメだということになるのか?ならんだろう。

http://noy.chem.nagoya-u.ac.jp/noy_j/People-now.html

2010-09-23

SFロボットアニメが陳腐化しつつあるのは、

21世紀の現代に対応できた新しい「未来像」を提示できていないから。

これが最大の問題。

少なくともガジェットに関してはあの頃の未来技術はだいたい実現化してしまった。小さな通信端末はもちろん、ファーストガンダムアムロがいじくっていた電子書籍端末も今年Ipadが出てきた。

また登場人物も、昔は「地球人」の代表キャラはだいたい欧米系の人が占めたが、今の社会欧米人ではなくアジア系が優位に立ちつつある。

消費者の目が肥えてしまったのも一因だ。空気のない宇宙でバキュンバキュンする銃撃戦は15年前までならOKだったが、今そんなことやったら恥ずかしくて目も当てられない。ネットでも炎上する。

かといって00のように、やたら現代の社会構造技術に擦り寄ったかたちにするのもそれはそれで問題。

それは単純な現代の延長であり、SFが本来やるべきワクワクするような「すこしふしぎSF)」的な意味未来ではないからだ。

http://twitter.com/zaway/status/25318053691

2010-09-06

日本人家族観

国柄探訪: 日本人家族観

 先祖から子孫への連綿たる生命リレー

中間走者として自分がいる。

転送歓迎■ H20.07.13 ■ 38,373 Copies ■ 2,891,505 Views■

無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/

  • ■1.「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」■

 秋葉原での無差別殺傷事件で逮捕された青年の両親が自宅前で報道陣に取り囲まれ、会見をした。父親が「謝っても償いきれない」などと謝罪の言葉を述べている途中、母親は急にひざから崩れ落ち、頭をうなだれ土下座するような形でそのまま動けなくなった。

 両親に法的な責任はないが、こういう子どもを育てた道義的責任はある、というのが、日本人常識的な感覚であろう。

 かつて神戸中学生小学生を殺し、その首を校門の前に晒す、という異常な事件が起きた。これに関して、儒教研究家加地伸行大阪大学名誉教授は、こう書いている。

 ・・・もし私が加害者中学生の父であったならば、自裁(自殺)をする可能性がある。私は日本人であるから、親は親、子は子、別の独立した人格であるというような、欧米人流の個人主義的行動をとることはとてもできない。それに、自裁する前に、罪を犯した子を自らの手で処置する可能性さえある。[1,p6]

 殺人を犯した我が子を手にかけた後で自殺する親がいても、日本人感覚からは、同情こそすれ、「狂気の沙汰」とは見なさない。

 加地氏は、これを「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」と呼び、「欧米個人主義の立場からは絶対に生まれない感覚意識」だとする。

 こんな所からも、日本人家族観が現代においても欧米とはまったく異なるという事が窺われるのである。

 日本欧米との家族観の違いは、我々の日常生活でも随所に姿を現す。

 たとえば、最近では日本でもキリスト教式の結婚式が広まってきているが、神の前で互いに相手を伴侶とする宣誓をするのは良いとしても、さらに契約書にサインまでするというのは、どうにも違和感がある。日本人普通感覚では、「契約」とは他人行儀のビジネス行為であって、それが家族の中で行われるというのは、どうしてもなじめない。

 欧米キリスト教的な家族観では、家族とは男女の個人間契約を基盤としている。そして神の前での契約こそが、神聖なものなのだ。

 また欧米の家庭では、子どもが生まれて大学生にでもなれば、もう親とは別の独立した「個人」となる。ある小説で親が成人した子どもに「これからは友人としてつきあっていこう」などと語るシーンが出てきて、こういうセリフ日本人では思いつかないな、と感じたことがある。

 当然、子どもの方にも、年老いた親の面倒を見なければならない、などという義務感は薄い。子や孫との家族的関係を持ち得ないアメリカの老人たちはいかにも淋しげである。

 実はヨーロッパにおいても、ギリシア時代やローマ時代など、キリスト教が栄える前は、人々は家毎に祖先の神霊を祀り、それが家族の基盤をなしていたのである。それは古代日本も同じであり、現代日本人家族観はその伝統を色濃く受け継いだものである。

  • ■3.先祖の霊は「草葉の陰」で子孫を見守っている■

 古代の多くの民族は、亡くなった祖先の霊は、子孫が祭祀してくれれば、いつでもこの世に戻って来られるものと信じた。日本語で言えば、「草葉の陰」で子孫を見守ってくれるのである。

 「死んだらどうなるのか」というのは、常に人間不安にする疑問であるが、死んでも自分の魂は存在を続け、子孫とともにある、というのは、生死の安心を与えてくれる信仰であった。

 また残された子孫にとっても、自分を愛し、育ててくれた祖父母や両親が、死後も見守ってくれる、というのは、その死の悲しみを和らげてくれる物語であった。

 先祖祭祀というのは、先祖キリスト教的な唯一絶対神として祀る、ということではなく、先祖の霊とともに生きている、という生活感覚なのである。それがわが国においては古神道となり、中国においては儒教に発展した。

 キリスト教では、死者の魂は最後の審判を受けて、魂は天国地獄に行く。仏教では、魂は輪廻転生を続け、解脱をしない限り、次は蛇や虫として生まれ変わる恐れがある。

 よくキリスト教仏教を「高等宗教」とし、先祖祭祀などは未開の宗教であるかのように言うが、死後の魂がどうなるか、ということについては、それぞれが違う「物語」を持つ、というだけのことであって、どちらが高等かなどと比較できるものではない。

 魂が輪廻転生を続け、解脱をすれば浄土に行ってしまう、とする古代インド仏教が、先祖祭祀を信ずる中国日本に入ってきた時、その死生観の違いが文化的衝突を引き起こした。

 インド人にとって見れば、魂は他の人間動物に生まれ変わるか、浄土に行ってしまうので、肉体はその乗り物に過ぎない。だから焼いて、その灰はインダス河にでも流してしまう。これが本当の火葬である。

 日本火葬というのは、遺体を焼却した後に骨を拾い、墓に収める。これは本来の意味火葬ではなく、土葬の変形なのである。古代中国では、人間精神を支配するものを「魂」と呼び、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んだ。人間死ねば、「魂」は天に上るが、「魄」は地下に行く。「魄」を地下で大切に守るのがお墓である。

 これと同様の感覚日本人も持っており、遺骨には死者の「魄」を感じる。戦後アジア太平洋の島々にまで戦死者の遺骨収集に行くのも、骨を故郷の地に埋めなければ、死者の魄を供養できないと考えるからだ。

 これについて興味深い話がある。昭和45(1970)年日航よど号ハイジャックして北朝鮮に逃亡したグループリーダー田宮高麿が平成7(1995)年に亡くなり、「祖国の地に骨を埋めたい」という気持ちから、田宮の遺骨は北朝鮮にいる妻子と日本家族とに分けられ、新潟県内の家族の墓に埋葬されることになったという。

 共産主義者は無神論者のはずだが、異国で死期が近づくと「祖国の地に骨を埋めたい」と願うのは、心の底には日本人死生観が根づいている証左である。

 輪廻転生を信ずるインド仏教中国に入ってきた時、遺体は焼いて川に流してしまう、という生死観は、先祖祭祀を信ずる中国人にはとうてい受け入れられるものではなかった。

 そこで中国における仏教は、魄を納める墓や、先祖の魂を呼び戻して依り憑かせるための位牌を取り入れた。

 わが国に中国から仏教が入ってきた時には、このように先祖祭祀を取り入れて換骨奪胎したものになっていたので、比較的抵抗は少なかった。

 それでも日本にも仏教輪廻転生をそのまま信ずる人はいた。鎌倉時代初期の親鸞である。親鸞阿弥陀仏衆生を救おうという本願にすがって、浄土に行けば輪廻転生の苦しみから脱却できると説いた。となれば葬儀も墓も先祖供養も不要になる。

 しかし、親鸞弟子たちはその教えに背いて、葬儀・墓・先祖供養を続けた。その後裔たる現代の浄土真宗本願寺派も、墓を作り、葬儀先祖供養を行っている。

 今日日本では、大方の人々が仏教に求めているのは、墓・葬儀先祖供養である。そもそもの輪廻転生からの解脱仏教に求める人々は例外的であろう。これほどに先祖祭祀は日本人の心の奥底に根付いているのである。

  • ■6.仏壇に向かう■

 仏壇も、墓や葬儀と同様、仏教本来のものではない。中国においては、一族の長の家に宗廟(そうびょう)という別の建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。これが後に、祀堂(しどう)や祀壇(しだん)となり、それを仏教が取り入れた。

 日本では、これが部屋になって「仏間」となり、さらにはそこに置かれた仏壇が、一般の部屋に置かれるようになった。各家に仏壇を置くという習慣は、中国朝鮮にもない、日本独特のものであるそうだ。[1,p191]

 仏壇には、灯明と線香と位牌がおいてある。灯明は先祖の霊が降りてくる場所を間違えないよう、明るくするためのものである。線香に火をつけると、その香煙に乗って、霊が降りてきて、位牌に依りつく。

 そこで子孫たる我々は、降りてきてくださった祖霊に対して「ご先祖さま。おはようございます。今日も一日よろしくお願い申し上げます」などと挨拶をするのである。

 今日自分たち家族が生きていられるのも、亡くなったご先祖様のお陰であり、そのご先祖様の恩に応えて、自分家族のため、子孫のために今日も頑張ろうと、心を新たにする。これが先祖祭祀に基づく生き方だろう。

 核家族化が進んで、仏壇のない家も少なくない。しかし、仏壇のある祖父母の家に里帰りした時などは、幼い子どもとともに、仏壇に線香を上げると良い。幼い子どもは遊びのように喜んで仏壇に向かう。自分がここにあるのも、ご先祖様のお陰だということを教える何よりの機会である。

 もう一つ、インド仏教中国日本先祖祭祀と衝突した点は、出家を説いた点である。「出家」とは文字通り、家を出て、財産への執着や家族への愛着を振り切って、個人の解脱を求めることである。

 しかし息子に出家されたら、その家は断絶し、先祖の霊を祀る子孫がいなくなってしまう。個人的な解脱のために、先祖の霊をさまよわせ、子孫の未来を奪うのは、先祖祭祀の立場からは、とんでもない「不孝」と考えられたのである。

 そこで中国日本においては、「在家」すなわち家族の実生活の中で仏教を奉ずることが理想とされた。聖徳太子在家の長者・維摩が教えを説いた「維摩経」、および、同じく在家女性信者である勝鬘(しょうまん)夫人が仏道を説いた説いた「勝鬘経」をとりあげて注釈書を書かれた。

 前述の親鸞は、聖徳太子を「和国の教主」と仰いでおり、その在家主義を受け継いで、結婚し、子をもうけている。今日でも日本の多くの仏教僧は、結婚し、家庭生活を営んでいる。

 オウム真理教インド仏教を受け継いで、出家して修行を積めば、輪廻の苦しみを脱して解脱できると説いた。それを信じて家族を捨てて教団に入った子どもたちを、親が返せと叫ぶ。これも「出家」と「在家」の衝突の一例である。

 「在家」とは、家族の一員として生きていくことであるから、まことに不自由なものである。「出家」のように好きな所に行って、好きなだけ座禅を組む、などという気ままは許されない。

 しかし、その不自由な家族の中で、我々は生まれ、育てられて、大人としての生活を送る能力を身につけていく。まず家族の中に生まれて、育てて貰わなければ、大人として自由な生活を送る事も、そもそも不可能なのである。

 さらに成長の過程で自分を育ててくれた親への感謝や、その恩返しとして今度は自分子どもを立派な人間に育てる義務を学ぶ。このような事が人格の基盤を構成するわけで、感謝や義務の心のない人間は、自由を与えられても、自分利益しか考えない利己主義者になってしまう。

 西欧に発展した近代個人主義においては、ひたすらに個人の自由と権利の拡大を図ってきた。しかし、キリスト教社会においては、神に対する畏れがあり、それが野放図な利己主義に転化する抑止力となってきた。

 わが国においても西洋的な自由と権利の主張を鵜呑みにして、家族制度を「個人の自由を抑圧する封建的制度」などと罪悪視する思潮がある。

 しかし、わが国においては家族制度が、利己主義への抑止力となってきたのであり、それを破壊することは、利己心の抑制を持たない人間に野放図の自由を与えることになる。都会の雑踏で無差別殺人を行う青年とは、その極端な姿ではないのか。

  • ■9.「なぜ生命は大切なのか」■

 こうした事件を防ぐべく、子どもたちに単に「生命を大切にしよう」とだけ教えるのでは、「なぜか」が伝わらない。

 それがわが国の家族観に従えば、「生命を大切にしよう。生命とは何代ものご先祖様から君たちに伝えられ、そして君たちから何代もの子孫に受け継いでいくべきものなのだから」と教えることができるのである。

 先祖供養とか仏壇、お墓参りなどは、すでに形骸化した「葬式仏教」の遺産であると考えがちであるが、それらは我が先人たちが産み出してきた工夫なのである。そこには先祖から子孫へと連綿とした生命リレーの中で人間を捉える伝統的な家族観が生きている。

 その家族観の深い思想を知らずに、単に古くさいの一言で片付けながら、新しい家族観を産み出すこともできずに、社会的混乱を招いているのが、現代の日本人ではないだろうか。

 これではご先祖様も草場の陰で嘆いていよう。

(文責:伊勢雅臣)

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

  →アドレスクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 加地伸行家族の思想』★★、PHP新書、H10

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569603084/japanontheg01-22%22

2010-08-19

現在朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。

亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。

そして併合相手は日本しかない。

欧米人朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。

日本日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。

そして、日本人朝鮮人を導き、世界人類文明に参加させてくれる唯一の適任者である。

それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。

日韓併合が問題になるのは、変な話だ。

我輩の併合観は欧米人朝鮮人観を基に考察したのだ。」

 

朝鮮全権大使 李成玉 「李完用侯の心事と日韓和合」

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