はてなキーワード: 原宿とは
アメリカじゃファッションなのにってよく聞くけどファッションだから良いとか悪いじゃない
眉間に皺寄せる人も口に出さないけど態度変わる人も全否定してる人もいるし
ファッションってたぶん日本のピアスぐらいの感じで言ってると思うけどタトゥーはタトゥーだし
デザイン・サイズ・場所でインプラントや日本での和彫りと同じぐらい差別的な偏見もある
若い子がやりたいって言ったらステレオタイプで親はたしなめるものだし出来ないし
アーティストや有名人で無いとか見た人がそれを知らないとそういう目で見られることも少なくない
日本で聞くようなアメリカでもレベル低い人がする認識だっていうのはさすがに違うけど
レベルではないけど職業で許される範囲に偏りはあってそれがいいイメージ悪いイメージ両方の職業にあるから
タトゥーする事がレベル低いとかじゃないけどどっちにしても堅実なイメージはあまり持たれないのはそうだと思う
あくまで初対面でだけど
何かメンタリティ強く見せなきゃいけない見せたい人って偏見はみんな自覚無くあると思うし
日本でも映画やドラマ見てればどういう偏見かなんとなく分かると思うけど
タトゥーの人間はそういう風に描かれる事少なくないしアナーキーに見せるためにメイクで足したり
元々ファッション自体でどんな人間か判断される部分もあって日本よりファッションの意味が強くて厳格だから
TPOや職でトゥーマッチだって場の空気読めない人間扱いもあるし
ファッション自体を理由に評価は下げられないけど言い方変わるだけだから
もっと相応しい別のキャリアがあるっていうのは日本のご縁が無かったに通じる
ファッションだから評価に晒されるし直接は言わないけどいない所やSNSじゃ物凄く言われてたりする
基本は主張の社会だしファッションだけどベーシックではないから意味や理由があると考える
日本でもポイントのタトゥーと背中の和彫りで印象が違うのと同じでデザインやサイズは大きいし
日本ではただのライトなデザインでもアメリカではそうじゃないと思われる
でもタトゥーは文化を担う一つでファッションだけじゃなくいいなって所も本当にたくさんあって
偏見もあるけど寛容さも同じくらいあるしそこが日本には足りなくてアメリカと比べて理解ないのもそうなんだけど
私はファッションの持つ開放感では全然日本だから(自由度じゃない)
ファッションて言葉の意味をそんな日本での自由やポジティブな意味であまりにも取り過ぎ
それが凄くもやもやする
夢いっぱいで日本の外はユートピアぐらいで言われると私も日本よくなってけばいいねってつい言ってしまうけど
その後若干の自己嫌悪になる
嘘も悪い事も言ってる訳じゃないしアメリカがそうじゃないって事でもないけど
立場のある(特に日本に来てるような)ショーやメディアが社会でお手本でいる役目から配慮も凄い強いし
求められてる所もあるし
言ってしまえば上澄みだけを日本で見ているなら素晴らしいって思うだろうし
メディア含めて低い所の話通じないヤバさも日本は比較にならないし
上の人たちの意識や意欲の高さはその切実さから生まれてる所もあるから
簡単に向こうが上とか言うの失礼でしょって思う
タトゥーが手放しで肯定されてる社会みたいな誤解もスターがガンガンに入れてるのを見てスターだからいれてるのをスターなのにいれてるって見てるからで
イメージによってはデザインや入れ初めにファンがショック受けるのもあるけど
そういうスターたちが番組で同じようにガンガンの一般人に「あなたのタトゥーステキね」って声かける姿も珍しくなくて
偏見持たれるファッションや髪でもそうだけどスターの役目での視聴者へのメッセージの意味もあって
「それは差別になる/あり得ない」って聞くと思うけど
それも言ってる感覚としてはお手本になる人をモデルとした良い人間に許される範囲での事で
そこに含まれない現実の問題は表してないし自分の言葉や行動が差別だってわかってて開き直って相手を差別されるべきようにする人間もそこにはいるから
分からないとそのままに平均的な感覚に受け取ってしまうだろうし
何が差別・偏見になるのかの正しさ以上に自分の中の理想的な社会をそこに見てしまうのかな
それは原宿の文化生見て日本をファッションの自由の国って思う子と同じで
完全に間違ってるわけじゃないって意味でも
日本に来るそういう子たちのタトゥーやファッションが旅行者だから許容されるのも同じで向こうもそうだから
長く住んでも文化が違う国出身の相手だとそれあるし保守的な人も別の国の話ならどこか関係ないと思っていつもよりスルーする
自分の周りに影響するとそうじゃないけど
それは本当の意味で受け入れてるわけじゃなくて
もしかしたら何の偏見にもあわず思い通りの生活を送れるかもしれないし
それでいいのかもしれないし
書いたような事言うのは簡単だけど別に自由じゃないよ日本と同じだよって言いたいわけじゃないし
そう見えると思うけど
むしろ比べられないのにって
比べたけど
もし日本より酷い偏見や差別の問題があってもそれが自由がない事じゃなくて
だけど日本で見てるアメリカの問題の山とアメリカでの山は同じに見えて違う
日本から見てアメリカも自由ないんだって思ってもアメリカの自由だったりするし
それは逆もだし
話聞いたり見たりしてもし思ってたのと違ってもそれは元々想像してた単位が違うからで
そこで定規で測ってみて数が小さく出てもそれが重さでの数の大きさを否定するものじゃない
わけわかんないかな
説明難しい
アメリカの赤を日本の赤だと思って見ると赤じゃないって思うかもしれない
だけどそれは赤なんだよって
日本とアメリカそれぞれの土地で赤のキレイさもキレイって言葉のイメージもそれぞれ違って
アメリカの赤のキレイさを日本の赤のキレイさと思ってる人には色の違いを説明したいし
それを知らないままアメリカは赤キレイなんだよねって言ってたらアメリカの赤がどんな赤か知ってから言って欲しい
書いた話はそういう意味
それでその人がキレイじゃないと思ってる日本の赤に似てる所があってアメリカはキレイな赤じゃないって思われるのは嫌だけど
アメリカの赤を勘違いされたままアメリカの赤はキレイって言ってる気持ち悪さも嫌で
そういうのを言いたいけどうまく言えなくて
長く書いてもこんなだし
日本もキレイな赤になればいいねって言って流す自分に落ち込む感じ
読み返しても伝わらなさそうだな
伝えられるなら愚痴でこんなの書いてないんだけど
嫌になる
プリパラから数えると筐体で5年以上遊んでいるファンなんだけど、この前のライブ行ってなんとなく疲れてしまった。
プリパラは一応稼働が終わっていて、更新はないのに新曲はバンバン出る。遊びたくても遊べない、ライブで曲を歌ってくれてるのに遊べる筐体は今のところプリズムストーン原宿にしかない。行っても新曲が遊べる訳じゃない。
新規加入キャラ声優はラブライブ!等からの参戦なので新規ファンはなんかもうものすごく飛び跳ねていて怖い。セミファイナルの蝉より怖い。
ライブ聴く曲はアニメと筐体で聴く曲で十分だったのになんとなくついていけないな〜と思ってしまった。
ファンにもいろいろあるしそれぞれの距離感で作品に接していくのがいいんだろうなあ。
とはいえ推しが出てるときだけライブ申し込むようにしようかな、どうしようかな‥‥ととても悩んでしまうキャラを人質に取られてる訳ではない(はずだ)けど‥‥
曲はよかった、本当によかった。楽しかったしチケット取れてる分は絶対に行く。次も推しが出てたらチケットだけ申し込みすると思う。
周りのファンはみんな全通の勢いで行っているしなんとなく腹の底から楽しめない気がして置いてかれていくような気持ちになる、でももうめちゃくちゃ飛び跳ねる厄介オタクの隣でペンラは振りたくないよ〜〜
BLではないですが、好きな作品のファンアート(二次創作)も描きます。
友人には腐女子の方も、そうでない女オタクの方も居ます。腐男子も男オタクも居ます。どちらの性別にも属さない方も。即売会にもほそぼそとスペース参加しております。
今回において「腐女子カースト~底辺同士のマウント合戦~(COMIC維新りあら)」という漫画作品に脅迫的な批判をするつもりはありません。法律や条例に抵触するかどうかを語りはしません。ただ少し倫理的に問うことは一つ二つあります。
また、各配信サイトで無料試し読みで設定された話数が、出版責任者が「つかみ」と判断した範囲とみなし、その中で感じた所感だけにとどめることを事前に断っておきます。
匿名の場所にこうして文書を上げるのも、私自身の「顔」や「作品」や交友関係などのプライベートを見たがる人達に対する、防衛だと了承していただければ幸いです。いかなる名品名作であっても、つつけば必ず「粗」が見つかり賛否がわかれる物だと私は考えております。私は自分の作品を愛していますが、悪意をいちいち気にしてしまう繊細さも自覚しておりますし、大事な友人達に迷惑はかけられません。
なのでこの文書は、ある漫画書きの、ごく個人的な感想として見て頂ければと思います。
誰にでもわかるようにと書いた結果長くなってしまいましたが、よろしければお付き合いください。
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同時に読者は面白くないと思ったものを面白くない、酷いと思えるものを酷い、ノットフォーミー(自分向けではない)な作品はそうだと言える自由も有ってほしいと思います。彼らの感想もまた創造性を持つ表現行為だからです。
そして作品が流行することによって起こる「意見の封殺」と文化の断絶は、人々の自由に害を与え、文化を停滞させるものであるため、避けるべきだと思っています。
この文章は、それが起こってほしくないがために出す私の意見なのです。
以下の諸々の前提について、あなたが再確認する必要がないと思ったなら3.まで飛ばしてください。
今やWEBでの作品公開は、電子化された過去の名作や現代の人気作と同じ土俵で戦うことになるため、無料公開しても「時間と電池がもったいない」と思われては不利です。戦略的に失敗に陥りやすいです。時事ネタについても個人の公開速度には叶いません。
ただただ露悪的な本はただただ露悪的で、熱心ではない、無駄なお金を出したくないライト層だけに消費されて消えていきます。私自身がそれを好んで読み、染まっていた時期が長らくあったために、それらの寿命が如何に短いのかをよく知っております。
外側に居ても内側に居ても不明瞭です。
その文化の多様さや精神性、変容の歴史を、長く迫害を受け分化してきた巨大宗教のようなものだと今の私は捉えております。
そうした点と、物語を見る目が肥えていることも含めて、漫画で描くには「気を付けるべき題材」であると考えています。
今回の作品「腐女子カースト」にはエッセイというジャンルが振り当てられています。
もしも仮にあなたが「作品ジャンルが実録エッセイなら、ヤマ・オチ・意味のない物語でも成立するのだ」と考えているのであれば、それは読者への甘え、ひいては全てのエッセイ作家への侮辱となることでしょう。
そのように考えて行動した時のリスクを、自身のために想像しなくてはいけません。
エッセイとは自らを省みる内観であり、自らの魅力でもって読者を個人的生活に惹き込むものです。『私小説』『ドキュメンタリー』『ノンフィクション』に連なる伝統的なジャンルです。
そこに登場人物を増やすのであれば、名前を出さない通りすがりの人であっても、存在しない架空人物であっても、最大限に配慮しなければなりません。
エッセイ漫画は「画力が伴わずとも描ける」としばしば思われていますが、それ以外の部分での構成力と魅力を問われるものなのです。
エッセイだからと言って、醜い本音を受け入れてもらえると思ってはいけません。空費させてはいけません。
エッセイだからこそ『第一話』の初対面で『印象良く』見えるように、深く考えなければ、思った通りに読んでもらえないのです。
それは化粧にも似ています。化粧に作法手順があるように、漫画の第一話にも作法があるのです。
現実とずれた部分、主人公の欠落した部分、作者個人の主観があるなら、それもまた、納得を得て面白くするために、最初のフックの時点で、注意深く描写するべきなのです。
共感できる相手だけを狙って描くのも間違いではありませんが、共感できない者でも楽しめる工夫、そして+αで得る物が無ければ、買って読むまでもない孤独な見世物的な内容になってしまいます。結果的に長続きはしません。
誰もが作品をアップロードできる現代では、心の底からの叫びを見つめ続けた尖った『自主制作作品』が作者本人の手によってすぐに届けられるのです。それと競争することを考えても、エッセイはますます難しいジャンルになっています。
足すべき部分は足し、引くべき部分は引かなければなりません。本当に面白い漫画はたったの1コマでも、読者を満足させるのです。
技巧や経験とは必ずしも正比例しません。作家が描くべき時に描いた時に輝くのです。
面白くないと感じながら、面白くないと言われながら描くのはとてもつらいことです。それは作家がするべき我慢ではありません。感覚が麻痺してしまいます。
最初から捨てるつもりの名義だったとしても、それを描いたという傷は全人類が記憶喪失でもしないかぎり一生描いた本人に残ります。
本当に面白い作品で、届くべき人の所に届けば、口コミで売れていくという強みが電子書籍にはあります。
そのためには、読者の目を甘く見てはいけませんし、読者の声を額面通りに受け取らないように注意すべきです。
作品と作家が自由であるためには、正しい戦略を立てなければ、生き残ることは難しいのです。
作品内の第一話、即売会イベントへ向かう電車内で、ノーメイクの女性二人連れに主人公が心の中でツッコむシーンがあります。
この時の主人公の思慮の浅さは、エッセイ漫画としても致命的ではないでしょうか。
表情や服装から即売会という目的地を同じにしていると確信しているからこそ、ノーメイクの女性を「同志だ」と確信して、その気を抜いた姿と能天気な様子に、イベントへ向けて気合いを入れて来た主人公は憤慨しているのかもしれません。
しかし、続くコマはただただ妄想の中で、相手が言いそうな言葉を言い訳だと否定し、持論を展開するだけで、相手のことを考えていません。
取材力・想像力ともに範囲が充分でありません。狭いのです。自分の中で完結してしまっています。
たとえば化粧を禁止されている、お小遣いもギリギリの学生かも知れない。
遠征で電車や高速バスが遅延して時間がなかったのかもしれない。
身バレの可能性があり、恥を忍んで素顔に近い顔で来たのかもしれない。
経済的に苦しくて、自分に合う化粧品やファッションに出会えずにいるかもしれない。
家庭事情も経済事情もさまざまです。また、障害を持つ場合もあります。
化粧をしない理由はそれぞれです。
それぞれが努力によって対策可能だったとしても、皆がそれを完璧にこなせる訳ではありません。
私が考え過ぎで、素顔で出歩くことに特に理由がない人もいるでしょう。普段から化粧をする必要がない仕事に就いているのかもしれない。それを「ろくでもない仕事」だと考えることは職業差別です。
もしかしたら彼女達は「ノーメイクで行く」という行動と、互いの美醜を互いにイジらないという暗黙の了解によって、目に見えない友情を確かめあっているのかもしれません。私はそれを尊いと感じます。決して馬鹿にはできません。その感情に、外見も性別も関係ありません。
素顔で出歩く女性を、腐女子というだけで見下してしまうのであれば、もしも、彼女達が会場前の駅に降りず、手前で降りたなら、あるいは過ぎ去ったならどう感じたでしょうか?
腐女子について話すためにここまで考えなければならない理由がわかるでしょうか?
「格好がバラバラな集団がいたら高確率で腐女子」という有名なネット上の言説があります。これはオタバレの指摘でありながら、腐女子文化を捉えることができる好ましい例なのです。
化粧やお洒落そのものが大好きで趣味とする女性は居ます。それと同じくらい、化粧とお洒落をしない、できない女性は決して珍しくありません。この二者は普段の生活では交わらない存在です。それでありながら、ただ「腐女子」「オタク」「アマチュア作家」であるというだけで、同じものが好きというだけで、SNSや作品を通して同志となり話し合えるのです。
本当に「腐女子カースト」は存在するのでしょうか。色眼鏡をずらして、少し観察すればわかることです。実際に腐女子の集まりを見て、外見の美しい人にそうでない人が付き従ってるように見えましたか?
なぜ、かような形で消化してしまったのでしょうか? なんのフォローもなく、嘲笑して終わってしまったのでしょうか?
私は想像力が狭いまま物を作り続ける人間に対して「そのままでは続けられないよ」と教える以上のことはできません。
想像力を鍛えるには『違う価値観』と対話しインプットしなくてはなりません。他人との会話でもいいです。怖いなら文学でも好きな漫画でも、アニメ、ドラマ、映画、音楽。なんでもいいです。時間がある時に良質だと思う作品に、幾度も視点を変えて触れてみてください。でなければ、他人を知ることが出来ず、それゆえに自分を正しく見つめることも出来ず、自分だけの世界に閉じこもってしまいます。
インプットをしないまま作品を描けば、描くほどに、ただ自らが傷つき続けることになるからです。
また作者は最低限の身嗜みを礼儀と捉えているようですが、その最低限ラインも上記の理由で人それぞれだと想像できなければなりません。好みの服装もそれぞれ、地域文化、仕事もそれぞれです。
主人公が綺麗でかわいいと感じた『神』の多くも、自分や買いに来た人の姿を気にしていません。コスプレイヤーだって、キャラに入っていない時の自分の姿は出来れば注目されたくないのです。懸命に作って共感を求めた作品ではなく、日常の延長で作った「最低限の礼儀」の姿を褒められても、彼女達は嬉しくありません。そこがそういう場だからです。
腐女子やオタクが「恥ずかしい趣味だ」という感覚も最近では少なくなってきています。
オタク向けのイベントに行くなら、張り切ってグッズを身に纏って「オタクの姿」をすべきだと判断する人もきっといるでしょう。それもやはりその人なりの身嗜みなのです。
またイベント外なら、服装の奇抜さだけでオタクかどうかを判断する材料にはなりません。ゴスや原宿系等、日ごろから周りに迎合しない、自分自身を出したお洒落を好む人々が存在します。似合うか似合わないか他人の判断基準で彼らは服を選びません。オタク文化と重なる部分も多いですが、その文化をオタクと一括りにするのは、私は違うと思っています。
そもそも即売会は『交流』のためのものです。街の本屋さんとは違います。売り手と買い手の信頼で構成された、本来は技術の見本市なのです。この辺りは運営委員会のガイドラインなどにも書いてある範囲でしょう。
会場において相手の姿を気にする時間はありません。イベント会場はまさしく「戦場」なのです。時には顔すらも覚えておりません(これまで自分のスペースに来てくれてる方、すみません)人気壁サークルでなくとも、友人に頼んで売り子を立てる作家さんも居られます。
時間が限られているのに、車の試乗会で車を見に来たのに、同時にディーラーの外見をいちいち品定めしてチェックしますか?
自社のために技術を持つ小さな会社と契約したあとで、社長のブログに自慢が書いてあっただけで「そういえばあの社長不細工だったな、嫁さんも不細工だろう」などと、いちいち思うのですか?
それらを書いた冊子を、彼らの職種を冠したタイトルで売ったらどうなるでしょうか。
まさにそれこそ、礼儀を欠いた行動ではないでしょうか。
表現の自由の下であっても、不快になった当事者には怒る権利があります。
ここまでの説明によって第一話のあの一連の流れが如何に的の外れた低俗な「笑い」であるか、理解できたでしょうか。
ありとあらゆる多様な価値基準を無視して、己が良しとするものだけに迎合する。そこを頂点に据えて妄想の中でカーストを構成する。
腐女子を冠して発表するには、あまりにも浅く、無防備なのです。
そして、何分の一か、ほんの一部だけ、この作品の主人公のように他人を品定めしてしまう人間も、腐女子は間口が広いがゆえに存在しているのです。
主人公と同じ悪意を秘めた女性達は、この作品を読めば共感するでしょう。
ひっそりと楽しんでいた人もいたのかもしれません。
しかし、この「腐女子カースト~底辺同士のマウント合戦~」はつい最近、無料公開分がツイッターに投稿されました。現在はアカウントごと消滅しております。
広範囲の誰もが評論できる場所に出してしまえば、本を共有してしまえば、彼女達の罪悪感を無理矢理抉り出すだけの結果になってしまいます。
安易な形で発表し、コントロール不可能な批判を浴びたことによって、彼女達は愛想笑いを続けて、怒れる友人と一緒になって作品を叩かなければいけません。作中で一般人に擬態する主人公のように、怒れる腐女子としてその社会の中で信頼を維持しなければなりません。腐女子という世界の中にカーストが存在しなくても、社会は存在しています。愚痴垢や捨て垢で陰口を叩いて共感しあうのとは全く違います。
そうして作品を叩くうちに作者を、版元を本当に憎悪していくか、あるいは交友関係を切って何もかも忘れてしまうというような極端な行動しか取れなくなります。
作品は、発表の仕方まで気を使わなくてはいけません。これもまた貴重な顧客を失う『失敗』なのです。
この主人公のように、見た印象だけで人を判断して遠ざけて来た記憶が、私にもあります。作家デビューした相手に嫉妬したこともありました。自分と交わらない人間の人生を、いかに踏みにじってきたのか。それを考えるたびに私は後悔と反省を繰り返しています。
あんな人間闇鍋のような場所に家具を買いに来る人間なんて果たしているのだろうか?という疑問はさておいて、IKEAに喜ぶ世間を見て、まるで恋人を寝取られたことが判明した夕暮れのようなどこかしょっぱく、やるせない気持ちになったのであった。
IKEAは2020年までに日本国内に14店舗展開する方針だそうだ。
現在IKEAは日本に9店舗。そして現在着工中は10号店のIKEA広島。
になることだろう。
いやいや、ちょっと待ってくれよ。IKEAさん、何かお忘れじゃないですか?
2013年の夏頃、大型スーパーCOSTCOの隣にIKEAが出来る、その報せは群馬県内をからっ風のように駆け抜けた。
群馬県民は皆、外国のお洒落な家具屋が来ることを喜んだ。家具なんかニトリで買えるけれど、スウェーデン発祥という響きこそが都会にコンプレックスを感じる片田舎の人間には喉から手が出るほどに甘美で、それはそれはもう飛び跳ねんばかり狂喜乱舞したとか、しないとか。
休日はこぞってCOSTCOに行くのが良い例である。それこそIKEAがCOSTCOの隣に完成すれば、クルマ社会の群馬県民は喜んで金を落としていったであろう。
そう、「すれば」。
IKEA JAPANが土地を買い取ってからもう5年半が経とうとしている。
さて、IKEA前橋店の進捗につきましては、お手持ちの通信機器で画像検索でもしていただけたらと思います。
グンマーのIKEAはこんなもんだって?いやいや、流石に騙されんぞ。
けれど、信仰心の強い群馬県民にはあの写真にはちゃんとIKEAが写って見えるそうだ。
IKEA11号店は原宿駅前のIKEAだろう。ワクワクとIKEAを信じている前橋市民として、どこか心に風穴が空いたような気持ちになったが、これもまた仕方ないことなのだろう。
焼きまんじゅうとタピオカだったらタピオカの方がインスタ映えするし、井森美幸ときゃりーぱみゅぱみゅだったらそりゃきゃりーだろうし。
全てが摂理で、全てが仕方ないことなのだと思う。田舎はいつだって都会に1000歩くらい遅れて歩いている。たとえ先に踏み出したとて、いとも簡単に抜かされてしまう。
世界って結局そんなもんだ。そんな簡単なことすら忘れて浮かれていたのが恥ずかしいとすら思うけれど、今日も明日も空き地にIKEAを夢見続けるのだろう。
ふと、部活帰りに自転車でIKEAにいこうと約束したのを思い出した。
もう制服なんて着れないのだけれど。
このタイミングで少し思いをまとめたいと思い、匿名ダイアリーを書いてみようと思いました。
長文乱文なのでヒマなときに見てもらえたら嬉しいです。
※この文を読んで、書いた本人のTwitterアカウントを推測できたとしても、本人に尋ねることは控えていただきますようお願いします。もし聞きたいのでしたら「Twitterで繋がっている人」として直接会うときにこっそり聞いてください。
私は昨年3月からドリフェス!のゲームアプリを始め、アニメを観て、ズブズブとハマっていきました。
二次元から入りましたが、YouTubeにある公式がアップした動画やドリフェス!研究室を観て三次元のキャストにもハマりました。
キャラもキャストも皆さん大好きですが、最推しは慎様と溝口さんです。(どちらも青だからというわけではなく単純に二次元と三次元の好みで落ちたのがこの2人でした。)
ハマってから今年の3月5日(プロジェクトの区切りの発表)までは毎日楽しくて、カラオケに行ったときはドリフェス!の曲を入れまくり自然とドリフェス!縛りになってました笑
3月5日以降しばらくはパニックで鬱状態で、私のリアルな状況と相まってとてもつらかったです。
3月5日以降はプロジェクトの区切りを疑うような数のコラボが発表され、行けるコラボは行きました。ナンジャ・アニカフェ・上井草でのコラボが印象的でした。
ハマってからリアルに開催されたイベントに行ってみたかったのですがなかなか行けず、イベントがあるごとにTwitterのTLが感想で埋まり、行けなかったイベントのときはレポにありがたがると同時に羨ましさと悔しさで胸いっぱいになりました。
現時点では昨年12月にDMM VRシアターで行われたライブと先日の武道館ライブ(20日・21日)に行きました。
キャスト出演のライブにめちゃくちゃ行きたかったので、ようやく行けて嬉しかったです。
だいたい私のドリフェス!ファンとしてのプロフィールはこんな感じです。
話が若干戻りますが、私の一番印象に残っているコラボは上井草でのコラボです。
昨年12月からてっぺんさんで始まり、生まれて初めてラーメン屋さんに行きました。そこで食べたらーめんはそれまで食べた中で一番美味しく、私の中で革命が起きました。チャーシューの柔らかさに驚き、その次に行ったときはチャーシューめんを頼むほどでした。
展示されていた原画を見に行くため、美味しいらーめんを食べるために何度もてっぺんさんに行きました。コラボが一旦終わったときも行きました。(4月〜6月はてっぺんさんでらーめんを食べてから原宿に某番組の観覧に行ってました)
初回は友人(非ド民)と行きましたがその後はTwitterの相互さん、母と一緒に行き、最終的には一人で行けるようになりました。まさかラーメン屋さんに一人で行ける日が来るとはドリフェス!にハマったばかりの頃は思いもしませんでした笑
上井草といえばもうひとつ。アオヤギさんでもコラボがありました。
原画の展示だけでなく、脚本・絵コンテも自由に読める、ドリフェス!ファンにとって至れり尽くせりなコラボでした。(オタク心理としては原画展示だけでもお金取って大丈夫なんですよ……?と思えるほどのボリュームでした)
どちらのお店もコラボ専門チェーン店ではなく、個人店で、地元の方に愛されているお店です。なのでオタクが何人も来て大変そうなのに毎回とても温かい雰囲気で迎えてくださいました。
温かい雰囲気・美味しい料理に感動し、いつの間にか両店のファンになっていました。
コラボ終了後、ある夏の日、何気なくTwitterを眺めていたところ、アオヤギさんのスタッフ募集のツイートを見ました。
ちょうどその頃、アルバイトをしたくて何箇所か応募し面接しては落とされ…という状況でした。
上井草は通える距離だったので、採用してもらえたらコラボしてくださったご恩をお返しできるのでは?とも思い、ダメ元で応募してみました。
結果
採用されました。
単純にようやく採用されて嬉しかったですし、しかもそれがアオヤギさんにだなんて、私はなんて幸運なんだと思いました。
バイトを始めてしばらく経った頃、ドリフェス!とのコラボを再びやってほしい・したいという話が出ていることを知りました。
これはファンとお店の間でのお話であって、公式でまだ再コラボをするというアナウンスをする前の話です。
私はこれを聞いて確かにまたコラボしてほしいけど既にけっこうコラボ決まって発表されているからなぁ…けっこうギリギリなんじゃないのか?と思ってました。が
本格的に再コラボが決まり、公式が発表する前に教えてもらったのですが、もう嬉しくて嬉しくて。言いふらしたいのを頑張ってこらえていました。(こういうコンテンツに関わる方って色々ファンに内緒にしているの大変なんだろうな…と思える貴重な経験でした笑)
私は上井草のコラボがドリフェス!のコラボの中で一番好きで一番印象に残っています。
コラボ期間中はファンの方がたくさんいらっしゃいます。同じものを好きな人たちが集まっていることにまず感動しますし、お店の方や他のファンと交流が生まれ、パレードが生まれる。めちゃくちゃほわハピな空間です。
そんなコラボをまたやってくれる。しかも今度はスタッフ側で関われる。
いつか自分が好きな作品のコラボに関われたらいいなと漠然と思ってましたが、まさか夢が叶うとは思ってませんでした。
コラボが始まって初めて出勤したとき、私はお店中に飾ってある原画に感動しました。本当にコラボしてるんだ…ドリフェス!のお客さんがたくさん来てくれたらいいなぁ…と思いました。
コラボメニューを作れることにも感動しました。自分が作ったメニューをお客さまにお出しして、それを見たお客さまが「わぁ…!」と明るくなる。あの瞬間が大好きで、実際にスタッフ側で体験できたのはとても嬉しかったです。
暇を見つけたらドリフェス!ファンのお客さまに話しかけてみました。
これがお店的にどうなのかわかりませんが、おそらくご自分で作られたであろう服をぬいに着せていたり、ネイルをドリフェス!仕様にしていたり、ブロマイドや他のグッズを机上に出しているのを見て、とても嬉しくなり、声をかけざるを得ませんでした。
「〇〇推しなんですか?」「私は慎様と溝口さん推しなんです〜!」というやりとりを何回もしました。
感動オリーブオイルを気にしている方にはオリーブオイルの説明も「デザート系にはオレンジのノッチェラーラがおすすめですよ〜」というように話しかけました。(オリーブオイルについて質問されることが何度かあったので実際にコラボメニューにかけて食べて確かめました。感動しました。)
こんなやりとりに付き合ってくださった方ありがとうございました。
コラボ中、忙しくててんやわんやでしたが、そんな中の癒しのひとときでした。
私はコラボが終わるのが寂しくて、バイト先へ向かう足がちょっと重かったです。
最終日は平日にも関わらず、たくさんのドリフェス!ファンの方にご来店いただきました。何組か外に並ぶお客さまが出るほどでした。
原画シートが切れていたのに、ドリンクの星が色切れで全部オレンジ色なのに、たくさんの方に来ていただきました。
それだけファンの方に愛されているんだなぁと思いました。
ただのファンでは感じられなかったファンの熱や勢いを感じました。
31日は少しでも長くドリフェス!を感じたくて、バイト終わりにてっぺんさんに行きました。
遅い時間でしたが少し並びました。
私が入ってしばらくして、隣にお姉さんが座りました。
お姉さんも襲来記念らーめんを注文していたのでファンだと確信し、話しかけてみました。
話すうちにバイト中にお話ししたお客さまだったことがわかり、とても驚きました。
らーめんを食べながらたくさんお話ししてくださってありがとうございました。
実際スタッフ側になってみて、ドリフェス!ってすごいなぁと改めて感じる1ヶ月でした。
昨今のフェミな方々はキズナアイに噛み付いているようでございます。
人工知能学会、碧志摩メグ、のうりん、宮崎日向のPRなど、ここ数年の、彼女ら(彼ら)の活動実績を鑑みまして、結局誰が得したのか分からんのです。
(太もも展にしても池袋では中止になりましたが原宿で普通に開催されました)
セレクティブエネミーって言葉、ちょっと前に話題になりましたよね。「対立する勢力の中から、とんでもない発言を部分的にシェアして論じている」っていう。
http://blogos.com/article/321033/
言い換えると、対立する勢力から、バカの発言を拾って、自分の意見を補強しようとするのはよくない、ってことですよね。気をつけたいですね。
ところで昨今のまなざし炎上を見るにつけ、バカが代わる代わる文句を言ってきただけで、この勢力にセレクティブエネミーなんて存在しなくて、もしかしたら本当にバカの集団なんじゃないかと思うことがたまにあります。
雑誌の表紙が女性蔑視だといえば、同じ口で男にはマチズモを求めだすし、瞬発的に文句を言ったかと思いきやほとぼりが冷めたらダンマリだし、結局得したのは文句言った人だけで、具体的に何がどう改善されたんでしょうかね。
という話です。
モテたかったので、いわゆるナンパ師だの恋愛工学だのファッション誌だのMBだのB.R.CHANNELなど。
ナノユニバースだの、ヨウジヤマモトだの、ユニクロ、シマムラから、数十万のスーツまで色々買いました。
しかし、全然着れない。ウエスト95で、太もも66で、股下73.
自分は筋トレと格闘技が趣味で、そんなプロみたいにいいからだではなく、相撲選手みたいな。もうゼンゼン服が似合わない。すぐ体型が変わるので、服が着れない。
ズボンなんて、20着持ってますが、まともにキレるのは半ズボンとスーツだけ。他は、ウエストを合わせると股下が長すぎたり。股下を合わせると、太ももが太すぎる。太ももに合わせるとウエストがゆるゆるすぎる。
もちろん、肩幅と胸板も異常なのです。
そのスグあとに、サイズが分かったからネットでいいよなと、「無難 服」で検索します。シンプルな服がいいとファッション本は言いまくってるからです。
僕がまともに買える『シンプルな服』は無いんです。
嘘だろと思って、色々調べましたが、ユニクロだけでしょうか。ゾゾタウンだのナノユニバースだのはウエスト85以下しかないです。
なんと、「ネットでシンプルな服を買うには、ウエスト85以下じゃないとだめ」だったんです!?
実は、ADHDで、体型とか測っても、絶対メモを持ち歩けない人間です。
ですが、1年ほど前から、エバーノートというクラウドでメモを残すサービスを使ってからこれの虜。用事や資料はエバーノートに突っ込めば忘れ物しなくなりました。
さらに、ipad proを買ってからというもの、evernoteはさらに使いやすくなりました。
ですので、体型を一度メモしてevernoteに入れておけば、必要なときにいつでも引き出せるようになりました。
そもそも、ADHDなので、「この服とこのズボンだけ」っていう感じで、365日ジョブズみたいに同じ服だけ着たい、服で頭使いたくないというのが、ファッションに神経注いでる理由です。ファッションにマッタク興味ないからこそ、頭を悩ませたくないわけです。
ですから、体のサイズ測ってれば、いいんじゃない?と思って体のサイズを測りました。
それで、秋も深まってきましたね。さすがに半ズボンでは死にます。ズボンを買わなくては。
過去の思い出を振り返ると、高い服屋ではだめです。
高い服屋はイキリ店員の目が怖い。だってこっちは本当に幼稚園児から服装かわってないチビデブハゲ不細工です。更に、高い服屋のすそ直しなどは数時間かかったり、配送サービスなども、時間指定できないから絶対受け取り忘れますADHDには利用不可能です。
そこで、まず無印に行きました。ここで、メモを眺めてみます。「ウエスト95」。なんと、無印にはウエスト91までしかないのです!?つまり、ここで時間を消費するのは無駄と一瞬で分かります!
過去には、無印で苦い思い出ばかりです。痩せてる時に服を買っても、一瞬で着れなくなります。ですが、その意味が分かりました。そもそも、ウエスト91以下にしないと無印ではズボンを買えなかったんです。
今まで、こういう店で、どのサイズが適切か分からず、かといって店員さんに話しかけるのも面倒くさく、ひたすら自分のサイズっぽい服を試着してました。
自分の履いてる服のサイズあたりで試着するのですが、ウエストに合わせれば股下が、太ももに合わせるとウエストが問題でまともな服を買えたことは無いです。
今回は、なんと、5分で「このサイズ」が決まり、試着して、「これでいいか」で決まります。裾調整も、時間がかかりそうな祭り縫いを選ばず、ミシン縫い。MBさんが激推ししてる、スキニーは、ウエスト91センチ以下なので僕には買えませんでした。
ユニクロは、新宿とか池袋や原宿みたいな大量に人がいるところでなく、どっかのデパートにこっそり入ってるような場末のところのほうが、裾調整にかかる時間は短いと思います。
30分後、無事受け取り。
自分で服を、アッサリ変えました。
5年以上、色々学んだのは何だったんだ。
おしゃれな服の選び方ではなく、「体のサイズの測り方」を教えてほしかった。
「ジャストサイズの服が基本」って言葉、その言葉を吐くなら、なぜ体のサイズの測り方を乗せてないのか。
ファッション本は、まず初めに、『体のサイズの測り方』を乗せてくれよ。それが一番大事じゃないか!!!!
ファッション業界も、「ウエスト85以上の人には基本的に販売してません」とか書いてくれよ!!!それ知らないと無駄な時間を過ごして、買っても不満なだけじゃないか!!!
都会に実家あるやつはその時点で勝ち組。都会生まれは才能。「○○は田舎だよ笑」、○○に埼玉とか入ってたら俺はどんな顔したらいいのか分からない。生まれた場所が違うだけでなんでこんなにできることに差がつくんだろう。遊園地も美術館も動物園も水族館も映画館も、都会の中高生が行きたいと思った時に行ける場所に俺は行けなかった。原宿の竹下通りを歩く観光客ではない中高生たちは、自分が恵まれた環境であると自覚しているのだろうか。俺が興味ある分野の展示やイベントは常に都会で開催されて、それに参加することすらできない。「いいなあ」って思うだけ、そもそも情報すら掴めないこともある。田舎じゃ子供の興味を伸ばすことができない。都会と田舎では趣味も学校も職場も選択肢の数が違いすぎる。