はてなキーワード: 内見とは
内見の時にほとんど向かいといっていいくらい近くにスーパーがあることがわかっていたから、確か引っ越して初日にそこに行った
そして入居日に届くように設定してた荷物の段ボールを机がわりにして食べた記憶がある
あんまりうまくはなかったし、いきなりソースをビチャビチャにこぼしたりもしたんだけど、なんか妙に楽しかったなあ
マットレス買うのまで手が回ってなかったから床にバスタオル敷いて寝たなあ!
意外と床で寝るほうが腰にいいみたいな記事を読み漁って自己暗示かけたし、季節も夏だったから案外余裕だった 人は床で寝れるんだよな
結局1週間以上床で寝てた記憶ある
冷蔵庫が来た時の無敵感すごかったな
RPGで言えば船を手に入れたくらいの自由度変化があった その日じゅうに食い切れる惣菜以外の選択肢が加わったことで食生活の可能性が発散した
ベランダに出るのも楽しかったな いい景色だ 今でも出るくらいだし
また新生活したいな
今度は北の方がいい
逆に沖縄とかでもいいな
上司が昇進に伴う海外転勤になり、住んでいるファミリー向けタワマンに住まないかと言ってくれている。
自分は30歳ちょうどの独身。普通の1Kマンションに住んでる。フルリモートになって、家にいる時間も長いから、なんとなく広い物件に引っ越したいなーと思っていた矢先のお話。
実際に何軒か内見したけど、条件に合ういいなーと思える物件は、今の家賃の1.5倍はする。よく言う「家賃は給料の1/4〜1/3が目安」を超えてしまう。
おそらく上司の家を普通に借りたら、今の家賃の3倍はする。けど、「今と同じくらいの家賃でいいよ」とのこと。ただし、転勤から帰ってくる2年後くらいには引っ越さなきゃいけない。
これまでの人生、ついてないことが多いし、自分の努力で這い上がってきた人生だったから、こんな美味しい話に乗っていいのか怖くなっている。
あと、「仕事頑張って、稼いで、良いところに住む!」ってモチベーションがなくならないか心配(ここは2年後に追い出されるから問題ないかな…)
この次に引っ越す時のハードルが高くなりそうだし、地震火事等何かあった時のリスクはある。
ただ、家賃据え置きで、タワマン高層階の広さ3-4倍の部屋に期間限定で住める。今後の人生でこんなところ住めるか分からない。
なんの努力もしないで、こんなに良いところに住んで良いのかな…。「一度甘い蜜を吸ってしまうと…」って感じで、不幸になるかな…。
みんなならどうする?乗る?この話。
今、私は二年目で大学院を中退して、既卒生として就活をしている。学部も大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較的知名度の高い大学だ。受験勉強をしたことがない人でも知っているような大学に所属していた。
大学院を中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかもコロナに関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれていたことに起因することは、断言できる。
さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。
企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解も共感もできる。
が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。
当記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定の人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷な経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。
私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。
中退という部分を隠して読めば、比較的キレイな学歴をしていると思う。
ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ、中退をすることとなった。奨学金で生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。
就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代に友達のウェブテストを替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ESや面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。
そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人が自発的に就活をすることはなかった。
さて、私は無事に大学院の合格通知を得ることができた。確か9月か10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。
そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。
ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。
結局、私がした就職活動は、企業分析・業界分析、自己分析、ESの推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズに上場している中規模投資銀行と三井住友銀行に応募してみることとした。
三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったことから、結果に関してはもういうまでもない。
投資銀行については、説明会兼選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。
さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語、飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接は私の履歴書に打ち出された単語が面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。
そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。
と、学部時代は比較的わかりやすい就活をできていたので、既卒就活も既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。
既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りである。そもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。
学部時代より、より入念にESを作成するようにしていた。就活のハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテストは学部時代の経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。
他に落ちる原因は何か。ESとウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符は24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか。
さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。
というのも、まず、既卒生の就活記事やハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである。既卒生の就活成功談を見ない。
そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったことである)、「既卒で大企業に就職できた」という記事は見ない。クラシックなオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒で就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。
勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしいものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界・職種でないことから断っていた。
話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。
学業においては、学部上位5%以上の英語のクラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングはからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。
二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授に奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。
ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文を執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価で単位を授与してもらえた。
学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。
課外については、私は文化系のサークルに所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。
役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル内研究会の会長を務めていた。
サークル内研究会会長については、基本的に後輩の勉強の指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。
ただ、企画系については、一筋縄ではいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿の企画発案や、旅行会社・ホテルとの交渉、参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職に関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。
大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。
…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルのパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。
さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りでパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージを飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。
精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会から当サークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生でバイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織の移譲に伴ってするべき後輩への引継資料の作成が本当に苦痛だった。当然、在学生の参加者を募るための広報もしなければならない。
このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンやプリンターといった周辺機器も一新してもらえた。大変有難かった。
さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシートが既卒だからという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。
勿論、就活では上記のエピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論→理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。
成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。
ウェブテストやESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。
でも、シンプルに留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。
形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である。留学やインターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプルな留年であっても、新卒は新卒である。既卒には劣らない。
私は、大学を四年間で卒業し、大学院で一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。
但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれて大学院を退学をせざるを得なかった。
それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。
新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。
この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。
特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分のキャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別は残酷なものとなっている。
非科学的なので放っとこうと思ってたけど、年々時間が経つごとに忘れていくので備忘録書いとく。
昔、救急病院で働いてた頃のこと。
当直中、病棟ナースから電話がかかってきた。いわく、病棟まで来てほしいとのこと。
急変ですか?と聞くも「いや…緊急性はないと思うんですけど…」とはっきりしない。
こういうことはたまにあって、緊急性なさそうだけど微妙に気がかりなケースだったり、地味な困り事だったり、こっそりアイスを食べる共犯にされるとこだったりする。
とりあえず行ってみる。
消灯中の病棟は真っ暗でしーんとしていて、ひとまず急変という雰囲気ではなかった。暗いリノリウムの廊下に非常灯の緑のランプがぼーっと光ってて、左右の病室からたまに患者さんが寝返りを打つ音が聞こえた。その中でナースステーションの明かりだけが煌々と白く灯ってて、近づくにつれて遠隔心電図モニターのプップッていう規則的な音が聞こえてきた。
夜勤の看護師さんは二人。見回りは終わったとこみたいで二人ともナースステーションにいた。その日の担当は一人は中堅さん、もう一人は、年齢は中堅さんと同じくらいだけど最近新しく採用された新入りさん。とりあえず声をかける。
「あの…子供が走ってるみたいで…」
は?
脱走か?解熱して元気になったやんちゃ盛りの子かな。ちゃんと巡回してるはずだし、ここ小児病棟とだいぶ遠いけど。
「いや…」
新入りさんが言い淀む。中堅さんは苦笑いしている。からかわれた?
「いや…なんか子供がいて」
耳をすましてもモニター音以外何も聞こえない。救急車のサイレンもナースコールも誰かの叫び声もない、穏やかな良い夜だ。…寝ていたかった。
一応ダメ元で小児病棟に問い合わせる。「いなくなってる子いませんか?」PHSの向こうの声が怪訝そうに「はぁ?」と言った。一応見回ってくれてるらしき靴音が電話の向こうでちょっとだけ響いて「みんな寝てます」。
だよね。
「あの」
新入りさんが言った。
「幽霊だとおもうんですけど」
今度は私が「はあ?」となった。何でこのクソ眠い時間にオカルト与太話聞かなならんのだ。
たぶん露骨にイラッとした顔してしまったんだろう(ごめん)。中堅さんが新入りさんと私の間に割って入った。
「や、私もパタパタって足音?みたいなの聞いた気がしますし。一回だけ念のため病棟内見てもらえませんか?いやホント、一応」
はーーーーーー?????
こんな静かな夜は珍しいのに。起こされなければ寝てられたのに。いや苛立ってはだめだ。一緒に働く人のメンタルは大事。腹を括って「分かりました」と言う。
新入りさんが何か準備するものないですか、と言った。ナースステーション内を見回すと、お昼に学生さんが実習したシリンジやら針やらが目に入った。
若干腹立ち紛れに50ccシリンジと18G針を手に取り、空のシリンジに『カラ』と書く(使ったシリンジには即中身を書かねばならないので)。人間か幽霊かとかこの際知るか。人の安眠邪魔しやがって。見つけ次第刺す。絶対に刺す。朝まで刺す。
(悪い子には注射するぞーーー!!)
廊下だけじゃなくてリネン室や車イス置き場、トイレ、ストレッチャーの影まで鬼の形相でペンライトを向ける。誰もおらん。当たり前やけど。
可能な限り穏やかに整えたつもりの顔でナースステーションに戻ると、看護師さんが二人ともニコニコしながら私を出迎えた。
「誰もいませんでしたよ」
「みたいですね」
「もう(宿直室に)戻っていいですか?」
「はい!」
二人ともさっきのぎこちなさが嘘のような上機嫌。
新入りさんが笑顔で私の持つシリンジを指差した。捨ててくれるらしい。
お礼と共にシリンジを渡して、私は寝た。
ここまでなら割とよくある、怖がりさんが怖がったけど何も起きなかった話だ。すぐ忘れる。
記憶に残ったのはこの後の展開のせい。
数日だか数週間だか経った頃、たまたまこの病棟で仕事をしていた時のこと。
何気なく目にした看護師さんのカートの上に、筒状の変な布切れの塊?みたいなものが載せてあるのに気付いた。
好奇心で近づいてみると、私があの時持ってた50ccシリンジだった。「カラ」って書いてあるし。お札やらお守りやらでびっしりぐるぐる巻きにされている。
怖!!!!
こんなん感染源やんけ!!
院内感染の元をカートで持ち歩くなよ!!!誰だよ!新入りさんか!!
ごめんけど捨てた。
その数日後だったと思う。(ずっと病院にいすぎてあんまり日付の感覚がない)
血相変えて新入りさんが私のところに来た。半分寝ぼけながらパソコン叩いてた私に小さな白い箱を押し付け、彼女は言った。
「あの、これに祈ってください」
「はい?」
よく見たら箱は18G針100本入りの箱だった。封を切ってないディスポの注射針が箱の中に整然と詰め込まれている。
「祈るって何……」
「念じるだけでもいいので!」
状況が分からず困惑する私。あんまり話したことはなかったけど、新入りさんは割と穏やかな人という印象だった。それが徹夜明けみたいなぼさぼさの頭と化粧っ気のない顔で、目を血走らせてこっちに箱入りの大量の注射針をぐいぐい押し付けてくる。
「握りしめてくれるだけでもいいんです!ぎゅって!!」
いや ぎゅっ じゃねえ。
助けを求めて周りを見回す。(やべー)の顔をした研修医がそそくさと部屋を出て行った。おいやめろ置いていくな。
ヒートアップする新入りさん。
困る私。
脳炎じゃないよな、薬か?精神疾患か?こんな病態あったっけ?何だどうしたどうしよう、と思ってるところに病棟師長さんが来た。師長さんは私に「ごめんね」と言うと、新入りさんの肩を抱いてどこかに(たぶん控室に)行った。
しばらくして、新入りさんが辞めたと聞いた。
いまだに思い出しても謎。
書くの結構大変だな
思い出したらまたメモする
作業したくないよおおお
やらなくちゃいけないことが
①振り込み確認してクライアントに連絡(14時間後回しにしてた)
④派遣会社になんか扶養にはいる紙を記入して送る(1年後回しにしてた)
なんだけど何故かすっごくやりたくない。
①をしようとして銀行のページ開いた途端に動悸がして舌が痺れて酸素が薄くなって混乱して即閉じたしパソコンの電源切った。
なんでこんなにやりたくないの…?
ただログインして確認して「確認いたしました」って書くだけじゃん…
鬱なの?ADHDなの?元気に増田に書き込みできるし落ち込みもないし絵の作業自体は続けてできることもあるけど…
医者になんて言えばいいの?
もうやだもうやだもうやだもうやだああああああああああああああああ
ちゃんとしなきゃなのに嫌だああああああああ
普通にやらないデメリットすごいじゃん。ていうか逆にやらないメリットって何?
でも嫌。もう布団に横になった。何もしたくない。
でも増田は書いてるじゃん。
嫌だ嫌だ嫌だ…
うううううしんどい。何で何で何で…
やだ、つらい、かなしい。
やだ、つらい、かなしい…
一軒目
大量のヤスデ出現
不動産屋は適当にガムテープで侵入経路であろう箇所を塞いだが以前変わらず 夢にまで見るようになり引っ越し
二軒目
壁がまあ〜薄い この時期はネットを鵜呑みにしていてRC=防音性が高いイメージだけで選ぶ(ヤスデが完全にトラウマになってて早く引っ越したかったというのもあったが)
こんな話し声がはっきり聞こえるのかとただでさえ薄い上に隣人の民度が低く重低音の音楽が鳴り響く
不動産屋に仲介してもらって色々話してもらったが解決せず 引越し
三軒目
RCマンションでも硬い壁とそうでない壁があることを知り内見で異常に気を使いようやく硬い壁のマンションを見つける
…が上階の音が滅茶苦茶うるさい 足音何かものを落とす音が自分の部屋で落とすより聞こえる 脳に直接叩きつけられるような
部屋のひどさもそうだが不動産が大手にも関わらず今までのどこよりも動きが遅く手紙だけでも二週間はかかっていた
不眠がひどくなり目にクマを初めて作った 包丁を手にとって上階のやつを大真面目に殺そうとしたことがあった 階段で盛大に転び冷静になって引き返したが まあそのぐらいブレーキが効いてなかった
貯金もこんな立て続けに引っ越せばすぐなくなる でも何回かまだ引っ越す余裕はあった でもまた次で失敗してお金をなくすとと考えると行動できなかった
ラストチャンスだと思い引っ越す
四軒目
引き戸がうるさい
内見は数え切れないくらい行った 不動産屋の言うことは信じずにRC最上階、壁が固く音が反響するような所、床はクッションフロア
そんな物件を見つけるには苦労したがやっとのこさ見つけられた
ただ懸念点が一つ引き戸があったこと 今まで住んでいた所にはないものでこういうのの音ってどうですかねと聞いてしまった たまたま不動産屋の年齢が近く親しみ易さが合ったからだろう
答えとしては鉄筋なので安心してもいい 苦情がはいったこともありませんと
なんでか分からないが信用してしまった 自分でも相当心が疲弊していたと思う
住んでみてやっぱり引き戸うるせーじゃねえーか!!
どっちかっていうと閉め方の問題な気がするがパアンッ!!って音が家中に鳴り響くんだよ異常だろ
現状に関しては今からまた不動産と相談となるが解決するかは分からない
クレーマー、神経質なのかと思われるかもしれないが音に関しては全て耳栓をしてそれでも防げなかった上で抗議している
正直もう疲れた 不動産のあのニコニコ顔を見るだけで吐き気を催すレベルまで来た
どうして自分だけどうしてこんなに運が悪いんだと四六時中考えてる
こんないい加減な紹介の仕方しかしない不動産になんで金払ってるんだ なんでいい加減なやつらを通さないといけないんだ
やってること詐欺と一緒じゃねえか
こいつら○した上で捕まって警察の自供で同じようなことを話してそれがニュースにでも流れるなら世の不動産は少しでも変わるのだろうか
何軒も何軒も不動産屋が推してくる内見に引っ張り回されるより、オンラインで見て良さそうなところを選んで最後に決めるために実際に足を運ぶんなら十分合理的な気がするが
今朝TVを見ていたら、オンライン内見とか言うのを取材したものを放送していた。
不動産屋が顧客の希望する物件に行って、中継するという手法である。
今でも物件サイトに載っている360度見られる動画ではなく、顧客からのリアルタイムで細かい要望に応える撮影をする手法である。
コロナ対策、なのだろうが、それを見た瞬間にいの一番に思ったことは
「それぐらいは足を運べよ」
である。
そもそも内見をするという事は、近隣の様子、音や実際の質感など、写真では分からない部分を確認するために行うものであろう。
その取材では、不動産屋が押し入れの大きさを自分の身長と比べたり、浴槽に実際入ってみたりとしていたが、それで納得するのであろうか?
感染が怖いというのであれば、マスクをして少人数(この場合顧客と不動産屋の2人)で、現地集合で極力会話を減らせばいいだけではないのだろうか?
人間として生きることの意味、存在の価値が失われていく気がする。
よくマンガや映画で、人間が滅びた後、AIやロボットだけが残った世界なんてものが表現されることがあるが、そういう世界もあながちただの妄想ではない気がする。
便利を追求するために、進化した結果、人間いらないじゃん、という結果。
それは本当に「便利」なのか?
結果、決めてから物件に行ってみて、思ってたのと違うと言わないと言い切れるのか?
そもそも不動産屋が足を運んで、手動で撮影して、やらなくて良い事までやらされて・・・
どちらもプラスになるのが「便利」なはずなのに、これは「感染怖い」を言い訳した過剰要求のような気がする。
闘いはまだ、終わらない。
ということで、部屋探し2日目スタートです。
文明の利器、素晴らしい。
昨日ぶりの担当さん。
さすがプロ。
とマウスを渡された。
え、それでいいのか?
カチカチ…
「これはダメか…」
「これ…も微妙だなぁ」
なんて言ってたらしばらくして
「ほんとですね。昨日はなかったのに…あ!今日掲載された新着ですよ!!」
歓喜!
さっそく内見へ。
少し遠いので車で向かう。
結構いい感じのお部屋。
「こういうありきたりな造りの部屋の方が住みやすいんですよ」
と担当さん。
昨日の反省を踏まえてとりあえず店舗に戻る前に管理会社へ再度確認。
「もしもし。今、内見終わりました。まだ申し込みはされてないですか?…ええ、はい。まだ物件の前で、店舗に戻るまで少々時間が…」
あれ、ちょっと不穏な感じ…?
「ちなみに1時間以内にお送りできると思うのでその間ストップできたりなんてしない…ですよね?…ああ、そうですか。分かりました。失礼します。」
聞いてるこっちがめちゃくちゃ緊張するじゃん。。どうなんだ??
「今、7社から申し込みしたいと問い合わせが来てるみたいで…どうしても早いもの勝ちになってしまうので急いで戻りましょう。」
ひぇ〜…
敵が増えとるやないかい…
物件まで車で大体20分くらいかかってたし、今から急いで戻っても間に合わないだろうな…
と半ば諦めながら車に乗り込む。
「今内見終わって、管理会社に確認したら7社から問い合わせ来てるみたいで…はい、多分もう終わると思います…」
とか言ってて、いやそれ、私の前で言うか??
諦めと疲れで車内で無言になってたら、
「万が一の可能性もあるので急いで帰りましょう!」
とスピードを上げる。
(え、カッコいい…やるじゃん担当さん!!)
と半分以上妄想なのに勝手に見直しているくらい私も疲弊していた。
どうか間に合ってくれ…!!
なんとか店舗に到着。
着いて早々書類を渡され書き始める。
ペンを握る手に力が入る。
「もう申し込みってされちゃいましたか?…あ、そうですか。分かりました。」
え、それは…どっちなの??
「まだ申し込み来てないみたいです!急いでください!!」
え、まさかの?!
ちょっとびっくりして固まっていたら
「手動かして!!」
と急かされ、いや私お客様だけど?!と思ったりもしたけど、
って感じで殴り書きの書類を、書き終わった瞬間に奪い取って送る担当さん。
束の間の沈黙…
「今申し込み書をお送りしたんですけど、何番目に届きましたか?…本当ですか。ありがとうございます」
電話してる姿を固唾を飲んで見守っていた私に、親指を突き立てて笑う担当さん…!
「ギリギリ間に合いました!!」
おおおお!!!
目と目が合って指が触れ合うその時全ての謎が解けるのよ〜♪
緊迫したカーチェイス(何も追ってないし追われてもない)、ギリギリに滑り込むハラハラ感。
「店舗でご契約いただいて、一緒に写真を撮っていただいた方に抽選で10万円当たりますのでぜひ。撮った写真はあんな感じで店舗に飾ります〜」
と言われ、
多分、高揚と安堵で緩み切っただらしない顔をしていたので
知り合いが同じ不動産屋で部屋を探しに来ないことを切に願う。
私はトム・クルーズが好きだ。
今回は先日海外旅行へ行った際に、飛行機の中でようやっと観れた最新作についてのレビューをば。。
……ではなく。笑
これは、一人暮らしのための物件を決めるべく不動産屋に訪れたときの目に見えぬ敵との仁義なき闘いの記録である。
時は2月も終わりを迎えるころ。
というわけで、浮足だった田舎者の私は新居を契約するため意気揚々と不動産屋の扉を叩いた。実際には自動ドアだったので叩く間もなく開いたわけであるが。
恥ずかしながら、私は生まれてこのかた一人暮らしを経験してこなかった“一人暮らしビギナー”である。
大学も割と遠かったが、
入学して間もなく、1限に出るには5時半起きしなければならないし、終電は22時ジャストだから飲み会も1次会で帰宅という苦行に過去の自分を呪うことになるのだが。
なぁにが、「通っちゃえ☆」だ。このド阿呆。
と、まあそんな訳で
『田舎者、家を借りるってよ。』
である。
時刻は11:00。
と期待を胸に抱いていた。
「あ、ここ、いいですね。駅近いし。」
…
「もう申し込み入っちゃってるみたいでした。」
「ここは安いし良さそう」
…
「じゃあここ!ちょっと遠いけど綺麗」
…
「まだ入居中なので内見できないみたいです…」
せっかくボンビーガールで予習してきたし、部屋探しの醍醐味と言っても過言ではないのに、そもそも内見できる物件が見つからないという事態。
「僕らどんだけ日頃の行い悪いんすかね~ワハハ」
なんて担当さんも若干投げやりになってきました。
この時点で時刻は13:00を回ったところ。
もうことごとく空振りで終わっているので、ついに管理会社への確認の電話で枕詞が
になった担当さん。
つらい。
もうパソコン画面の何たらコーポとか建物の名前がゲシュタルト崩壊し始めたころ。
「え、ここ良くないですか?」
「ほんとですね。確認してみましょう」
…
「内見、できるみたいです!!」
ついに!内見できる部屋見つかりました!!
もう部屋決まったレベルの喜びだったんですが、冷静に考えてください。まだ、内見です。
とまあ、2軒ほど内見できるところを見つけていざ出発。
1軒目。
もう外観が好き。
この時点でさっき店舗で死んだ魚の目でパソコン画面を見ていた田舎者と同一人物とは思えないほどテンションが上がっている。
部屋に入った瞬間、
「え~すごい!」
「すごい!凄い!スゴイ!SUGOI!!すg…」
この時点で「もうここにする!」と心は決まっていたけれど、とりあえず2軒目へ。
ほとんど覚えていないが、
「「ワハハ」」
(やっと決まったよ、長かったなこいつ…早く終わらせてお昼たーべよ☆)
とでも言いたそうな安堵の表情を浮かべて
と再度電話を。
もうあの部屋で始まる一人暮らしライフに思いを馳せつつ書類にペンを走らせる私。
担当さんが戻ってきた。
「あの…」
「内見してる間に、申し込み入っちゃったみたいです…」
「…へ?」
Oh...
あの高揚感は?
社会の酸いも甘いもともに乗り越えると誓ったはずの私の部屋は??
憧れは、憧れのままの方が成就するより幸せなこともあるということですね…
イーサン・ハントも驚愕の不可能ミッション。目に見えぬ敵の存在を知ったところで、部屋探し1日目、終了です。
仁義なき戦いは続く…
超ハードなのに対して街の安全に寄与していないんじゃないか?って思ってました。
でもみんながんばっているしそんなことを言うのは失礼なので言えませんでした。
というようなもの。
とくに操法大会に向けての訓練は身体的負担がものすごく大きく、激しい動作を伴う訓練を期間中繰り返し行うもの。
スポーツ選手でもない一般人がやりこまされる故に体を痛めることも珍しくないイベント。
消防団活動の熾烈さは枚挙にいとまがないのでご興味のある方は調べてみたり知人に聞いてみたりして。
で、ここまでやっているのに町の安全性に関係がない、なんていうことはない。
でも、実質活動停止して3ヶ月。
どうですか?日本。
何も変わってないですよね。
賃料→わかる。
管理費/共益費→まあわかる。
敷金→ギリギリわかる。修繕費がかかるなら都度請求でええやんとは思うけど。
礼金→一番の謎。契約するだけなのになぜ礼をしなければいけないのか。調べたら戦後に家の供給が極端に少なかった時代の名残だとか。
クリーニング代→家主が負担すべできでは。裁判所の判断ではクリーニング代は家賃に含まれているという判例が出ているが、家主は絶対なので逆らえない。
鍵交換代→クリーニング代に同じ。
仲介手数料→まあ分かる。仲介業者がやっていることはレインズという不動産ネットワークの情報を客に転送することと内見の付き添い。賃料の半額〜1ヶ月分というのは少々高い気もするが成功報酬だから仕方がないか。
損害保険/火災保険→保険なのに何故か強制で付けさせられる。そもそも何に対する保険なのかわからない。
更新料→どんな役務に対する対価なのかまったくわからない。賃料1ヶ月分というのも高すぎる。