はてなキーワード: 人形とは
「専門家は言い切らないが、インフルエンサー的存在は断言するので後者を信用する」人もいる事をどう考えればいいのか
https://togetter.com/li/1762519
インフルエンサー的存在を求めることの行き過ぎがまさに専門家を翻弄する競争的資金とイノベーション周りとはまこと皮肉なことで。
悪いものは「インフルエンサー的存在」なるものをちやほやしてきた近年だろうがな。
調べてみないとわからないし、調べた結果適応できる範囲とできない範囲が明確になる。そして、イノベーションとして商品にするには適応できる結果がたまたま市場と合致しているべきなんだけど、一発で確実に成功させないと詐欺師となる。
一発で確実に成功させるとインフルエンサー的に断言することを強いられ、もしだめだったら詐欺師として指弾され、新しいイノベーションとやらがなくなった。
ただ勇気がなくなっただけだとアホに夢を煽り感覚を麻痺させることだけをする。体力がなくなってきたら足元を見て引っ掻き回そうというゴミが増えてくる。
その結果失敗したら「能無しのくせになぜこんな道を歩んでるのだ?お前が愚かだっただけだろう。オレたちは間違ってない」と石を投げる。
年収400万ちょっとでマイホームじゃないのに複数ローン?がある状況って何?
車?奨学金?どんな生活して借金背負ってるの?月々の返済金額は?
家計管理してたなら、食費どれくらい?通信費は?家賃は?自分の小遣いと嫁の小遣いはいくら?
東京で住宅手当なしの収入400万世帯が専業主婦は厳しいと思うけど、地方なら専業主婦でも家買えるレベル。
うちは地方暮らし400万いかないくらいだったけど子供2人いて普通に家買ったし車は中古だけど一括で買ったんだよなぁ。
子供に習い事はさせられてるしなんなら一緒に習い事して、貯金も増えてる。
子供を引き取った場合は協力を求められるほど近くに実家があって、マイホームもないのに複数ローンもちってのが全然わからない。
奨学金なら就職後数年実家暮らしして返しておけよと思うし(奨学金返済中に出ていけと言われるような関係性なら子育ても協力的とは思えない)、車ならローン使わないと買えないようなもの買うなよと思う。
お祝いとしてもらった金額が50万なの?お祝い返しして50万なの?(出産祝いとしては100万もらったってこと?)
50万ってわりと多いと思うんだけど誰からもらった祝い金?
純粋に50万溶かしたなら使いすぎ感はあるけどお祝い返しして約25万になってたのなら溶かしたってほど溶かしてないと思う。
うちは出産準備や育児用品だけでけちってけちって軽く15万ほどはかかってた。
出産祝いいただいて、ブランドのベビー服買って食事会開いて祝ってくださった人をもてなすって、お祝い金の使い道としてそこまで間違ってるようには見えない。
乳幼児連れでランチ豪遊三昧がそうそうできるとも思えないんだけど、元嫁は友人との食事でいくら使ってたの?
その友人はお祝いをいただいた人ではないの?
それに出産祝いって検索したら産婦に贈る品もたくさん出てくる。
それって出産祝いには赤ちゃんに対してだけでなく、産婦も健やかに幸せに過ごせますようにって気持ちがあるからだと思う。
私が子供(男)に出産祝い渡して、嫁が産後整体に通うのに使いましたとか、お祝いに豪華な外食しました、エステに行きましたって言われても出産お疲れ様そしておめでとう!存分に癒されてね、としか思わん。
実際私も夫からの出産祝いとして医療脱毛やら温泉やら行かせてもらったわ。
使い道がギャンプルとかならドン引きだけど、産婦が自分のために使うのがそんなにおかしいとも言えないんじゃ?
そして養育費についてなんだけど、離婚すれば嫁にかかる費用は不要となりそれだけでも軽く4万はあるだろうし、一人暮らし用の家に引っ越すもしくは実家暮らしになりゃ15万は無理でも10万ほど家計に余裕ができるでしょ。
どう見ても家計管理は主もうまくないと思われるのに一方的に元嫁の金銭感覚批判とか、(書いてある内容だけでは)出産お疲れ様の気持ちが見えないところとか、養育費を決める際も支出を減らすこともせず頑なに算定表中央値から譲らないところとか、そのわりに目の前で笑顔を見ることのできる誕生日だけ物で釣って満足感を得ようとするところとか、全然理解できない。
子供に会わせないと養育費は渡さないと脅してくる人間に対してはそりゃ他人行儀になるよなぁ。
子供が笑顔で接してくれて懐いてくれりゃそれで主は幸せなのかもしれないけども、子育てってアンパンマンのプレゼントあげるだけじゃ育たない。
元嫁と連絡とれるなら、離婚の話し合いの最中でも、今困ってることはないか、必要なものはないか、服や靴を買って送ってもいいかと聞くとか、図書カード送るから絵本でも買ってあげてほしいと頼むとか、いろいろできることはあっただろうに。
元嫁憎しで子供巻き添えにしても構わないって態度が透けて見える。
まあ、これだよね。育児だけじゃなく。
男脳、女脳というとフェミがギャオるが、実際に性差はあるわけで、それを踏まえたうえで社会をデザインするべき
だから男が稼いで女が家事するってスタイルは実際理にかなっていて、歴史上女が支配していた社会というのはない。ことごとく男社会なわけ。古代文明にフェミニズムが花開いたとかもないわけ。フェミが大好きジェンダーギャップが一番小さいアイスランドで0.9ないわけだし。現代のリベラルな西欧人社会の小国が長年にわたりクオータ制とかで下駄履かせて努力しても完全に平等とはならないわけじゃん。
そのうえで女に譲歩をしないといけない。クオータ制導入したとして本当に女はバリバリ仕事したいの?女で何人が工学部に入る?あるがままではない社会をデザインするならひずみが生じるよね?せめてそのひずみを受け入れる覚悟をしろよ。女も過労死しろ。
つーか現時点で日本は女の方が幸福なんだから別にいいじゃんね。家事育児で過労死した女おりゅ?自殺した奴はいるかもね。最初から産まなければよかったじゃんとしか思わんけど。反出生主義者だし
ある日突然出張から帰ってきたら荷物をまとめて実家に帰ってて、以後はLineのみのやり取り。
まずは子供に会わせてくれという要望は一切無視、子供の写真を送ることすらせず、更には元嫁両親からの「実家に近付いたら警察を呼ぶ」という宣告。(元嫁が暴力を振るわれて追い出されたと言っているらしい)
当初元嫁は何か入れ知恵されたのか、肉体的なDVの証拠が無いことを指摘された後も「経済的DVが~、精神的に追い込まれて~」など色々のたまわっていたが、調停の担当者がこの時はまともで協議時の履歴や発言に一貫性が無いことであくまで『性格の不一致』という形での離婚には落ち着くことができた。
親権は協議時に決まらなかったので、子供が小さいこともあってかほぼ強制的に元嫁側が取ることになり、そこから養育費の話で泥沼になった。
通常はお互いの年収から算出される表で決まっているのだが、慰謝料が取れないと確定したからか表の金額では少なすぎると文句を言い始めた。
「こんな額じゃ習い事一つさせてあげられない、子供が可愛くないのか」「あなたはお金を渡して終わりなのに、少しでも多く払おうと思わないのか」そんな言葉を元嫁からも元嫁両親からも終始投げ掛けられ、調停担当者も「算定表は必要最低限の金額なので、今の子育てにお金が掛かる時代では少なく感じる金額ですね」と元嫁側の肩を持つ感じだった。
そんなに経済的に不安があるなら離婚しなければいい、親権も取らなければいいと思っていた、こっちが一方的に殴られているのに「お前を殴った手が痛い、責任を取れ!」と言われてる気分だった。
結局調停が平行線で続いても自分は算定表金額の中央値で絶対に譲らず、担当者の最終的に裁判したとしても金額は変わらないという言葉に元嫁も折れたようだった。
全てが終わる頃には2歳だった息子は3歳を目前にしていた。
初回の養育費は息子の3歳の誕生日に手渡しする、それ以外は認めないと言ったこちらの要望に、嫁は意外なほど素直に応じた。
誕生日プレゼントは山程用意した、当時好きだったアンパンマンや緊急車両のおもちゃ、少し大人になったから好みも変わるかと思いネットで色々調べて3歳に人気のおもちゃも沢山見繕って、買い物している時から高揚する気持ちを抑えることが出来なかった。
元嫁の実家での面会だったが、当日は義両親は出掛けているとのことで、少し気が楽になった。
呼び鈴をならし、元嫁がドアを開ける、そこにはずっと会いたかった息子の姿もあった。
前までなら帰る度に大声で「パパ!パパ!」と飛びついてきたはずの息子は、元嫁の脚にすがり付いて、こちらを静かに見つめていた。
あまりの態度の違いに茫然自失になりながら、リビングへ向かう元嫁と息子の後ろを力無く追いかけた。
「増田さんがプレゼント買ってきてくれたよ、お礼言わなきゃ」とまるで遠い親戚が来たかのような物言いの嫁に合わせて、息子は少し照れながら「ありがとう」と言った。
今までの息子のお礼と言ったら大人の真似をして全身を使ってお辞儀を繰り返してニコニコ笑うもので、それが可愛くて一緒になって同じ動きをしたりして二人で笑い合っていたのにな。
一緒に座ってプレゼントを開けながら、絞り出すように「パパだよ、覚えてる?」と息子に精一杯の笑顔を見せた。
「パパ、おぼえた」と言う息子の「パパ」は、元気一杯で全力で世界に一人だけのパパを呼ぶ今までの言い方ではなく、この人はパパという呼称の人なんだ、という呼び方で、同じように呼ばれているはずなのに全く違う言葉のように聞こえた。
そこからはもう堪えることができず、2時間の面会の予定だったけれど、15分で切り上げて養育費の入ったアンパンマンの小袋を嫁に押し付けて、飛び出す様に家を出た。
車に乗って、少し離れたコンビニの駐車場に車を停めると、大声で泣いた、子供の頃だってこんなに泣いたことは無いと思うぐらい嗚咽した、人生で初めての経験だった。
悲しかった、悔しかった、寂しかった、情けなかった、自分が意地を張らずにもっと調停を早く終わらせて会いに行ってればこんなことにならなかったのかと死ぬほど悔やんだ。
次に怒りが沸いた、また実家に戻って元嫁を殺して子供を奪い取ろうかと考えた。
でも今の息子からしたら他人が来て、大好きなママに酷いことをする人間にしかなれず、結局自分が捕まれば子供は両親を失ってしまうと思うと何も出来なかった。
その後も泣き続けた、自分の中の水分が全部出尽くしてしまうんじゃないかと思った、そのまま渇れて死んでしまえばいいと思った。
そのまま泣き続けて、気がつけば外は真っ暗になっていた。
そこからどう帰ったかは憶えてないけれど、どこを見ても息子との思い出だらけの自分の家を何も見たくなくて、倒れるようにベッドに入ってまた泣きながら寝た。
元々冴えない人生だった、生きてる意味があると思えたことがなかった。
それでも子供が出来て、この子のための人生だったと思った、自分に出来ることは全部してあげようと思った。
どれだけ疲れて帰ってきても、息子とお風呂に入るだけで癒された。
どれだけしんどいことがあっても、寝かしつけている時にうとうとし始める息子の顔を見れば何だって出来ると思えた。
面会はまた半年後に予定されているけど、1年に2回だけあえる得体の知れないパパでいることが子供にとって良い影響を与えるのだろうか。
【追記】
ここまで見られると思わなかった、考えを整理出来てないままでも吐き出さないとおかしくなりそうで書きなぐった、日本語が所々おかしいのは申し訳ないです。
自分でも「これは嘘の話で起きたら隣に息子の寝顔がある朝が戻ってくる」と馬鹿みたいなことを考えているので皆にも嘘だと思っていて欲しい。
一応、目についた疑問とか、ちょっと反論したいことにだけ答えます。
元嫁の実家は経営者で、金銭面での苦労はしたことなかったらしい。(結婚後はあんまり甘やかすのも良くないと言われて大っぴらな援助は無かった、というか男は自分で稼いで家族を喰わすもんだみたいな思想の人だった)
一方で自分は30前半で年収400万ちょっとなので、正直贅沢な生活とかはさせられんかった。
元々恋人時代に「お肉買って帰ってきて」って頼んだら黒いパックに入った国産和牛とか選んでくる人だったのと、子供が産まれた時に貰ったお祝い金50万をブランドのベビー服や友達とのお食事で一瞬で溶かしたこともあって、家計は自分が管理してました。
元嫁には子供のために使うという名目で月3~4万渡してたのと、必要であればその都度別に渡してた。
加えて元嫁は父親の会社で時折パートはしてたが、その給料も家計には加えなかった。(そもそも幾ら貰ってたのかも分からん)
当然家計は火の車で、カードを駆使しながらやりくりしてたんだが、件の出張の直前に「もっと広くて綺麗な家に引っ越したい」「マイホームが欲しい」みたいな話をされて、支払いに頭を抱えていたこともあって「頼むからもう少し現実を見て欲しい」「もっと色んなことを諦めないとダメだよ」と軽い言い争いなってしまったのが原因かと思っている。
·子供を育てられる自信あったの
もちろん一人では無理だと分かっていたので、自分の実家で両親の援助を受けれることを確約し、その上での提案でした。
·何で養育費を出し渋ったの
前述した通り生活がかなりカツカツだったのでいくつかのローンなどもあり、そもそも生きていけない⇒養育費を支払えなくなるという状態を避けたかった。
ちなみに元嫁の希望した当初の養育費は月額15万、相場の3倍でした。
月額15万を要求するような感じだったので全然話がまとまらずにとにかく長引いて、調停から裁判に移行する一歩手前だったけれど、弁護士を雇うようなお金も無かったので何とかして調停で終わらせたかった。
そして3歳の誕生日にも会えないというのも避けたくて少しでも早く解決したいと焦っていたところで、「もうじゃあ養育費は相場通りでいいから、会うのは盆正月ぐらいにして」と溢した元嫁の条件に後先考えずに飛びついてしまった結果です。
·15分で帰ったり、殺したいって言ったりヤバいでしょ
「色々あったけど誕生日の日は家族としてお祝いしたい」という相談を事前にしていたのにも関わらず、息子に自分が来ることは一切伝えていなかった。
夫婦の頃には元嫁もパパ呼びだったのに、当日は子供の前であてつけのように終始「(苗字)さん」呼びをされたため、こちらが息子に「パパだよ」と伝えているのに、その後にわざとらしく元嫁が自分のことを名字で呼ぶことで息子にまで「(苗字)さん」と呼ばせようとしたことに本当に腹が立った。
後、息子の今までと違うパパの言い方にとても平静でいられなくなり、折角の楽しい誕生日を言い争いする元両親や涙を流す父親の姿にしたくなくて、逃げ出すように家を出たことを分かって欲しい。
「殺したい」なんて書いたけど、少しよぎったくらいの話で、緻密な殺人計画を考えるようなことはしていないよ。
皆さんは余程の人格者なのでそういう感情が沸くこともないのでしょうけれど。
·これからどうするの
実は皆さんの言葉で結構救われました、「時間が解決する」系の内容には淡い期待を抱いています。
少しは落ち着いたと思っていたけれど、仕事から帰ってきて少し横になろうとしたら、息子が大切にしていたはずのアンパンマンの人形がおきざりにされているのを見てまた号泣するぐらいには情緒不安定なので、そんなんだから離婚されたというのにも否定できずにいる。
まずは自分の生活を立て直さないと子供に何かあった時に何も出来ないので、節約生活を頑張ろうと思います。
ソース:https://www.animefeminist.com/history-not-with-a-bang-but-a-letter-violet-evergarden-rewrites-traditional-world-war-i-narratives/
暁佳奈のライトノベルを原作とする京都アニメーションの名作、ヴァイオレット・エヴァーガーデンがネットフリックスで公開されたとき、初見の私が想像していたのは、Foreignerのヒット曲さながら、愛というものを知ってみたい少女の無邪気な物語だった。まさか号泣することになるとは。
ものの数分でその予想は裏切られた。
この作品は涙なしには観られない戦争ドラマであり、スチームパンクな歴史改変モノだったのだ。しかし、何よりもトラウマにまつわる物語だとわかった。
PTSDの歴史、1900年代初頭の文学作品における定形表現、そして人気ジャンルである「戦争物語」を、本作は、少女兵士を主人公とした上で見つめ直している。第一次世界大戦の歴史、とりわけ女性の歴史を振り返り、再解釈することで、かつての物語に対してフェミニスト的なテーマを根底に据えた新たな息吹をもたらしているといえる。
戦争物語という切り口からヴァイオレット・エヴァーガーデンを解説している人は珍しくない。例えば「Mother’s Basement」というYoutubeチャンネルでは、人情味を持って共感を表現し、ヴァイオレットの成長を描ききったシナリオの妙について見事な考察動画がアップされている。だが、トラウマや障害を抱えた少女が自信を持って活躍できるようになっていく様子や、いかにPTSDがリアルに描かれているかという点については、あまり取り上げられてこなかったように思う。
この点を踏まえた上で、テルシス大陸における戦争のモデルとなった、第一次世界大戦の基本事項を整理するところから始めようと思う。ざっくりと言えば、この大戦は1914年から1918年の間に起こったもので、何がきっかけとなったかは諸説ある。開戦とともに急速に戦火が拡大したけれど、1914年の冬までには終結するだろうというのが大方の見方だった。
その目算が外れたのは言うまでもない。戦争は4年も長引き、フランス、ドイツ、イギリスを中心とした各軍のインフラは、塹壕戦と呼ばれる、この時期に流行した新しい兵器や戦法に対応するための装備が圧倒的に不足していた。
兵士の多くが若く経験不足だったこともあり、戦いは想像以上に過酷なものになっていった。戦争から帰還した兵士たちの間には、「新しい」病気が蔓延した。俗に「シェルショック」と呼ばれ、後に「PTSD」や「PTSS」 (心的外傷後ストレス障害、外傷後ストレス状態)として診断されることになる、「男性ヒステリー」という病だ。
「ヒステリー」とは、当時、性別役割分担に厳格だったヴィクトリア朝時代に用いられた医学用語で、今で言うところの鬱病、不安神経症、心的外傷後ストレスといった精神疾患全般を表すものだったが、適用対象はシス女性がほとんどだった。そのため、「ヒステリー」扱いされた兵士たちは周囲から男失格のレッテルを貼られ、つまはじきにされる結果となった。
兵士だけではない。第一次世界大戦に参加した国々とその植民地は、集団的なトラウマに苦しんでいた。とりわけ顕著なのはドイツで、戦争への参戦とその後の経済低迷の影響から、ナチスの台頭を許すほどだった。フランス、イギリス、ドイツのメディアでは、この大戦は未だ主要なテーマであるし、世界各国の兵士とその家族が残した手紙は今なお読むことができる。
この大戦が世界に与えた影響は計り知れず、文学や歴史、そして現代の戦争にも様々な影響を及ぼしている。だが、ここで重要になってくるのは、戦争にまつわる有名な物語や歴史で描かれるのは男性ばかりなのに対し、本作の主人公であるヴァイオレット・エヴァーガーデンは女性兵士ということだ。
男性ばかりなのは当然、当時の軍隊で中心的な役割を担うことができたのは男性だけだったからだ。例外としては、第一次世界大戦において戦闘に参加した唯一の女性イギリス兵、フローラ・サンデス(セルビア軍所属)や、マリア・ボチカリョーワという若い女性が隊長を務めた、「ロシア婦人決死隊」と呼ばれるロシア軍の小隊などが挙げられる。
だが、第一次世界大戦で軍隊に従事した女性の多くは、戦場で看護師として働くか、工場で働くなどが一般的だった。例えば、アメリカの「ヨーマネッツ」や「ハローガール」と呼ばれる女性たちは、銃こそ持たなかったが、電信技師やカモフラージュデザイナー、魚雷組立工など、幅広い仕事によって戦争を支えた。
軍に従事した女性たちにも多くの物語があったにもかかわらず、戦争物語のフィクション作品はほとんどが男性中心となっている。女性はもっぱら脇役として登場し、戦死した兵士を嘆き悲しんだり、恋人役だったり、あるいは…良からぬことをされる。言ってしまえば、男性キャラクターを成長させるための舞台装置であり、そのためだけに殺されてしまうことも少なくない。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界においても、戦闘や戦争は男の仕事であり、女性はもっぱら「受動的」な役割に追いやられている。だが、ヴァイオレットは他とは異なり、女性であるだけでなく、兄ディートフリートから弟ギルバートへ「プレゼント」として押し付けられた「道具」という扱いであることから、注目すべき例外と言える。ヴァイオレットはモノ化されているのだ。殺人こそがヴァイオレットの生かされる理由であり、ギルバートの命令に従うことが唯一の生きる意味なのだ。
こうした虐待と、戦争でギルバートを失ったトラウマ、そして戦場で目にした暴力が相まって、ヴァイオレットは明確なPTSDを抱えることになる。作品を通して、ヴァイオレットは次のようなPTSD特有の症状をいくつも示している。
これらの症状は、娘を亡くして嘆き悲しんでいる作家、オスカーのために手紙を書いた後、はっきりと立ち現れてくる。戦いの中で自分がしてきたことを理解し始めたヴァイオレットは、戦場のフラッシュバックに苛まれ始める。
最終的に、ヴァイオレットはギルバートを探すために戦地を訪れる。ギルバートを見つけられなかったことで深い絶望に陥ったヴァイオレットは、自殺を試みる。退役軍人の自殺リスクは現在も高く、自殺者数は戦死者数を上回っている。
第一次世界大戦の歴史を描いた物語の多くがそうであるように、ヴァイオレットが抱えるテーマも、いかにして心的外傷後ストレスに立ち向かうかという点に重点が置かれている。このことは、作品の構成にも反映されている。
ストーリー序盤におけるヴァイオレットは、戦地での負傷から立ち直ろうとする、感情を失った少女だった。しかし、第7話でホッジンズが警告したように、ヴァイオレットの記憶は「(自身を)燃え上がらせる火」であり、いつか「たくさん火傷している事に気付く」ことになるものだった。そして、ヴァイオレットはそれに気づいてしまう。戦場で過ごした日々を思い出すたび、ヴァイオレットだけでなく、視聴者までもがフラッシュバックを体験することになる。
しかし、「女々しさ」とか「弱さ」といったPTSDに対する従来の見方とは異なり、ヴァイオレット・エヴァーガーデンはヴァイオレットのシェルショックを丁寧に扱っている。ヴァイオレットが自動手記人形の仕事を通して他人に共感してきたのと同じように、この作品は視聴者にもヴァイオレットへの共感を求めているのだ。
ギルバートの死を否定するのをやめ、自身のトラウマを受け止めたヴァイオレットには、PTSDから立ち直るための長く険しいプロセスが待ち構えていた。トラウマ研究では、これを「心的外傷後成長」と呼び、ネガティブなもの(停滞、衝動的な行動、否定)と、ポジティブなもの(前進、対処法の獲得など)の2種類に分けられる。
ヴァイオレット自身にとっても視聴者にとっても幸運なことに、ヴァイオレットの心的外傷後成長はおおむねポジティブなものだった。自動手記人形として人と一緒に働くうちに、自分の感情を受け入れ、なぜそのような気持ちになるのかを考えて納得できるようになったことで、ヴァイオレットは回復の道を歩み始める。
さて、本作のいわゆる「今週のお客様」エピソードの中には、「戦争で失った恋人を恋しがる女性たち」というお約束的展開をそっくりそのまま踏襲しているものがあるが(OVAがその好例)、一応付け加えると、この展開自体が本質的に悪であると言いたいわけではない。OVAでは、第一次世界大戦中に多くの女性が体験した出来事がリアルに描かれており、膨大な量の手紙が世界各地に送られたという点も史実に忠実となっている(手紙の多くは歴史的資料として残存している)。
しかし、ヴァイオレット自身は、作品を通して、そのような歴史的・文学的な流れに逆らっている。
ヴァイオレットは家に帰ってきたが、想い人は帰ってこなかった。
兵士は、新たな傷を負って帰ってきたのだ。
そして、ヴァイオレットはその生い立ち故に、想い人を亡くしたクライアントと、亡くなった想い人の両者に共感することができる、いわば、境界的な立ち位置の人物といえる。「民間人」と「軍人」、「女性の世界」と「男性の世界」、「家庭」と「軍隊」、そういった境界の中でこそ、ヴァイオレットは真に花開くことができるのだ。
ヴァイオレットの境界的な立場は、自動手記人形の仕事においてユニークな強みとなっている。作中の時代設定と同時期に当たるヴィクトリア朝時代や第一次世界大戦期は、タイピストやゴーストライターになる女性が急増した時期であり、ヴァイオレットも当時の女性たちと同じく、この波に乗っていると言える。
こうした女性たちは、「媒体としての女性」というお約束的表現として文学に登場するようになった。彼女らは、タイプライターや電信機、さらには速記法を用いて、人々の思いを目に見える形にし、様々なメッセージを伝えるという役割を担っていた。哲学者で文学理論研究者のマーサ・ヌスバウムの言葉を借りれば、「目的のために使われる道具」としてモノ化されることも多かったが、家父長制の世界を生きる多くの女性にとって、この種の仕事は、生まれてはじめて主体性を獲得できる場でもあった。
ヴァイオレットの当初の動機は、初めて手にした主体性を社会で活かそうとしたヴィクトリアン朝の女性たちとは若干異なっている。自動手記人形を志したのは、他者を理解したい、そして何よりも、少佐の最期の言葉を理解したいという目標を叶えるためだった。そして、人々の思考や感情の「媒体」としての立場を通じて、自分の感情をよく理解し、虐待やトラウマを乗り越え、主体性を獲得することができるようになっていく。
第一次世界大戦や、そこに至るまでの過程を題材とした文学作品によく見られる、「媒体としての女性」という定形表現とは異なり、ヴァイオレットが主体性を持つことができたのは、その境界的な立場ゆえである。戦争に巻き込まれる家庭の立場、戦争を戦う軍隊の立場、その両者に対して共感、理解できるという強力な武器を生かすことで、戦争をテーマにしたアリアの歌詞を書くために戦死した兵士の手紙を研究したり、嘆き悲しむ父親のために文字通りの意味で媒体となったり、兄弟の絆を取り戻す手助けをしたりと、ヴァイオレットは単に人の気持ちを左から右に渡す中継役ではなく、自らの手で変化をもたらす主体となっている。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンと史実の違いは、これまでメディア等で描かれてきたタイピストや媒体役の職業人たちが受け身の存在と見なされてきた一方で、ヴァイオレットは周囲の人々の物語に積極的に関わっているという点にある。こうした活動を通じて人々の成長を助けていく中で、ヴァイオレット自身にも成長が見られるようになっていく。
第11話では、その成長がはっきりと見て取れる。過激派の部隊を立ち退け、銃弾に倒れ死に瀕している兵士、エイダンの最期の言葉を記録し、訃報の知らせと最期の言葉を家族の元へ届けに行くという、物悲しいエピソードだ。戦争の両側面への共感を要するこの仕事を全うしたことで、ヴァイオレットはようやく自分や他人に対して素直に悲しむことができるようになる。ギルベルト少佐の死をきちんと悼むことができるようになったのも、ここからである。
単なる道具でしかなかったヴァイオレットが、今や積極的に自らの心的外傷後成長を促進しようとしている。これは、従来の戦争物語や、シェルショックや女性タイピストにまつわる歴史に対する新鮮かつ現代的なアプローチといえるのではないだろうか。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは第一次世界大戦に大きく影響を受けており、史実によるものから、文学から引用されたものまで多岐にわたる。PTSDに対する思いやりあふれる描写然り、「媒体としての女性」という定形表現に対する批判然り、この作品は、歴史上の極めて重要な時代—最後の退役軍人が亡くなり、徐々に記憶から忘れ去られつつある時代—との対話の上に成り立っている。
だが、家庭内の物語と戦争の物語をブレンドし、両ジャンルに共通する定番の展開を巧みにひっくり返したという点で、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのファンタジー世界は、オマージュ元の戦争物語と趣を異にしている。スチームパンクなファンタジー世界という舞台の上で、使い古された展開を別な角度から見つめ直すことで、進歩的な物語を紡ぎ出しているのだ。
退役軍人の描かれ方、精神疾患、女性の物語、こうした事柄を尊敬の念を込めて丁寧に扱うことで、戦争やトラウマにまつわる従来の物語をいかに語り直すか、その基準点をこの作品は確立したと言える。戦争やトラウマにまつわる物語も、より包括的で、健全で、私たちに活力を与えてくれる存在たりえるのだ。それが、従軍した兵士や亡くなられた方々に対する、せめてもの追悼でもある。
「戦争は決して変わらない」とよく言われる。だが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが示してくれたように、その語り方を変えることができるのは確かだ。
ホームレス死ね発言でメンタリストDAIGOって奴が絶賛炎上中だが、意識高い系不労所得民なんて生き方してる奴のテンプレみたいなもんだ。
10年前にその一歩先のホームレス殺人を唱導して名を馳せたAutomatons Hacking Guideというはてな日記があった。
ブロガーは「華殉」というビジュアル系っぽい名前を付けた自称東大卒国内一流会社勤務で大学院に通う20代後半という設定の男性。平成初期のトレンディドラマの設定みたいな生活をする人がこの世には居るんだね。
「Automatons Hacking」のAutomatonはオートマタとも言い自動人形のこと。原爆とコンピュータの父、ノイマンが提唱したセル・オートマトンという概念があり、これはそのままライフゲームのアルゴリズムなのだが、フランス現代思想が流行するとこれら情報科学の概念を借用してこねくり回す議論が流行した。
その過程で個人を特定アルゴリズムを持って社会的活動をする自動人形と扱う社会学的手法などが出来た。この辺まではAIの自動学習のベースでもある。
するとこれが人文系に逆輸入されて罵倒や見下しに使われるようになる。自分で考え経験してアップデートし続ける人生を送る人間じゃなくて、与えられたアルゴリズムに社会的入力(引数付き関数)を与えると安定した反応を出す人形として扱う。それは群衆のアナロジーでもある。群衆に属さず上から俯瞰する観察者が自分だ。だから「俺は他の大衆とは違う」と思いたい意識高い系の若者はこのソーカルにコケにされたポモの概念無断借用的な考えに靡きやすい。
ビジュアル系みたいな名前でトレンディドラマみたいな生活を送る華殉は人文家ポモの薫陶を受けている事が判るね。
ハッキングはコンピュータハッキングの事だからこのオートマタに普段の処理とは違う入力を直接与えて愉快犯的に恐慌状態にしたり自分の思うままに操縦する事を表す。
おや?メンタリストっていうのに似ているね。やってる事も知的スノッブの基礎もフォロワーを釣ったり釣られたりする部分も。
オートマタハッカーを名乗る華殉だったがかなり誠実な性格だった。自意識に。
実存の強さ、自意識の高さ故に「群衆の俯瞰者」に惹かれるのであるから自意識に誠実なのはありがちだ。
例えば
・批判されてメタから見ている姿勢は崩さないが相当数のレスをする。
・「安全地帯から言うだけで実際には殺せないだろう」と挑発され熱くなり「自分は実際ホームレスを殺す」と言ってしまう。
・ブログ副題に「〇〇劇場」と書いていたのだが、ホームレス殺人エントリなどで風呂無駄氏にはっきりと拒絶を受け、直後に外してしまう。
・Twitterで「痛い」ツイートをした直後に「ちんこまんこちんこまんこ」というツイートを十数回して流す。
そういえばメンタリスト君も動画の炎上コメントを数百個削除しているようだ。コメントが数百になると閲覧も大変なのに熱心だよね。
華殉はそもそも最初はgoogleの開発がどうとかアップルの製品哲学がどうとか、ニーチェの超人がどうとか、今では意識高い系のテンプレみたいな事ばかり書いていた。でもPVが伸びなかった。そこに「ホームレスの人権なんて行使される事も無い状態だろ」佐川ニキ「ホームレスに人権無いとかいい年してバカじゃねーの」という誤解みたいな論争があり、そこにホームレス殺人エントリで割り込みPVを浚ったのであった。
こんな華殉だったが最後はギーグ精神論的なものにシフトしてフェードアウトしていった。ホームレス殺人や偽善批判などの挑発的エントリから手を引いた理由は増田が見たところ以下による
善への挑発をしたらはてなのリベラルが直情的にひどいと吹き上がる反応をする事を期待していたがネットには宮勤め以外の人間も居り特に不良の経験を持つ人間は喧嘩慣れしている。更にポモ以前の思想の素養がある人間は同系の人間の実存をむき出しにして効果的に怒らせ誘導する術を持つ。これらによって「劇場」が状況劇場になってしまい、実存を開陳しすぎ、刺さり過ぎた。思想系の人間が実存の剥き方を知っているのは自分がその動機(実存のカバー)で思想なんてものに惹かれているから。
・自分への賛同者に底辺のテンプレネトウヨみたいなのが多かった。
ニーチェ援用したりしてるのにルサンチマンで歪んで挑発されると安定した出力する連中に擦り寄られたら立場が無い。というかなまじっか思想なんてやってるので羞恥心で「あ゛あ゛あ゛ー」となる。同意されて懸命に距離を取りたがる姿は侘び寂びが漂っていた。でもこれは華殉も悪くて過去エントリやTwitterではテンプレ的なデマや「自分の税金が外国人の生活保護に吸われて」みたいなテンプレを良く書いていた。そもそもそれってニーチェのルサンチマンそのものじゃね?
子供の主体にとって世界は暴力であり規範を強制してくる装置だ。特に「若者」になり大学や院に進むと知で征服した自分の世界と隷従を求められる外の世界の格差は大きくなる。オートマトンハッキングとメンタリストの行動が似ているのは共にこの需要を相手にするものだからだ。
知ってる。
なんせ作中で「かわいくてみんな欲しがるお人形」つって「ピッピ人形」ってアイテムあったもんね。
ぶっちゃけ当時は普通に本物のピッピよりピッピ人形のほうが可愛く見えたけど。ピッピちゃんはね、お目目があんまり可愛く見えなかったんだよね…
リデザインといえばピカチュウも大概だけどミュウツーもなかなかだと思う。
ゲーム中の初期デザ、これぞモンスター!意思疎通とか無理!超強い危険な生き物!!正直ちょっと気持ち悪いぞ!感がすごかった。
「ミュウツーの逆襲」はマジ偉大だと思う。あんなドラマ背負わせて、ついでに脚やしっぽをスラリと長くしつつ小顔にしてイイ声のイケメンにしたらみんなミュウツー好きになるっしょ。私も大好き。
掃除中に拾ったお局の髪を人形につかったり、定番の藁人形を夜勤の時に交代で打ち付けに行ったり。
少なくとも一ヶ月は帰ってこない。更年期や持病悪化もあったそうなのでもしかしたら退職するかもしれない。
でも私達は複雑だ。
人を呪わば穴二つってこれなのかなー。
今お局がこっそり溜めていた仕事で私達が過労で死にそう。
しかも医療事故の隠蔽にも関わっていたとの噂が出ていて、連日事情聴取ばかりで仕事が終わらん。
患者さんのケアにも回らないといけない。元々お局のせいで鬱っぽかったAさんは今躁鬱っぽい感じで逆に明るくて怖い。
呪いってほんとにあるのかなー。
でもやっぱりお局にはそのまま死んで欲しいな。
パワハラにならない絶妙な言い方をする上に何故か一番絡まれたBさんは切迫流産した。
産業医に鬱って言われたAさんを「こんなこと医療現場では当たり前」と罵って休職を取り下げさせたこともあった。
掃除中に拾ったお局の髪を人形につかったり、定番の藁人形を夜勤の時に交代で打ち付けに行ったり。
少なくとも一ヶ月は帰ってこない。更年期や持病悪化もあったそうなのでもしかしたら退職するかもしれない。
でも私達は複雑だ。
人を呪わば穴二つってこれなのかなー。
今お局がこっそり溜めていた仕事で私達が過労で死にそう。
しかも医療事故の隠蔽にも関わっていたとの噂が出ていて、連日事情聴取ばかりで仕事が終わらん。
患者さんのケアにも回らないといけない。元々お局のせいで鬱っぽかったAさんは今躁鬱っぽい感じで逆に明るくて怖い。
呪いってほんとにあるのかなー。
でもやっぱりお局にはそのまま死んで欲しいな。
パワハラにならない絶妙な言い方をする上に何故か一番絡まれたBさんは切迫流産した。
産業医に鬱って言われたAさんを「こんなこと医療現場では当たり前」と罵って休職を取り下げさせたこともあった。