はてなキーワード: フィルターとは
コロナで暇になって前から気になってたコーヒーの自家焙煎をはじめた。
豆を家で挽いてドリップした時も大概感動したものだが、焙煎して時間が経ってないコーヒーを家でずっと楽しめる喜びはそれを上回っていた。
他の食べ物ほど鮮度が重要視されてない気がするけど、焙煎翌日〜5日目ぐらいのコーヒーは最高だ。
適当に買ってきた豆とは比べ物にならないぐらい膨らむし、香りも段違い。
煎り具合によって酸味や苦味をコントロールでき、挽き方や抽出方の違いも組み合わせれば一種類の豆でかなり楽しめる。
酸味が強いと言われてるグアテマラを深めに煎ってみたら酸味苦手でもほどよく酸味を楽しみつつ美味しくいけたり、とにかく毎日の試行錯誤が楽しい。
豆を栽培するのは無理として、生豆を手にしてからはプロと同じプロセスを経ることができるのもテンション上がる。
Amazonに出店してるdr i gamaという店がおすすめ。不良豆が少なく、1キロで1300円ぐらい。不良取り除いても900は余裕で残る。焙煎したらもっと減るけど1300円で50〜60杯淹れれる。ブラジルとグアテマラとスプレモ買ったけどどれも美味かった。
そして意外とハードルは高くない。
この方法の良いところは色々ある。
・ダイソー500円鍋で出来る
・蓋をするから薄皮が飛ばない
・ムラになりにくい
・再現性が高い
安くはじめられ、家を汚さず、慣れれば安定した味を出すことができる。
別の動画で解説されてた情報として、煎る豆と同じ量の水を沸かしてみて、2分で沸騰する火加減でやるとちょうど良いそう。
リンク先の動画は中深煎りだが、浅煎りや深煎りの動画もあった。
うちはIHでやってる。10段階の8で、傷汚れ防止マットを挽いて浮かさずに前後に振る。最初はカセットコンロでやってたけどこのやり方で同じように出来ることがわかった。
他の家の鍋でやるYouTubeも色々見てみたけど、フライパンでかき混ぜる方式だとムラになりやすそうだった。温度が上がることで焙煎が進むから、蓋をして満遍なく加熱しつつ振るのが一番合理的なんだと思う。
最初は失敗して時間が長くなりすぎたが、飲めないことはなかった。ただ20分超えて長くなりすぎると日ごとにみるみる風味が落ちて焙煎後4日後ぐらいから雑味が出始めた。
15分以内に中深煎りまでいけたら翌日〜1週間後までがピークという感じ。
5回もやれば火加減も振るリズムも覚えるから毎回同じように出来るし、時間で煎り具合もコントロールできるようになる。
今は週に1回100gずつ焙煎してるが、いうても15分で終わるし週末の楽しみとしてちょうど良い。
道具を使う方法だと定番の「煎り上手」も使いやすい。これは直火の上でしゃかしゃか振るだけなのでより再現性は高い。
網直火系は焦がさずに時間内にやるのが難しかった。くるくる回すのは楽しいんだけど、皮が飛びまくるのも難点。
ちなみに上にリンクした動画では普通のペーパードリッパーでやる浸漬式の解説がされてる。別の容器で挽いた粉とお湯を混ぜて3分浸透させてフィルターを通す。
プレスしないからフレンチプレスとの比較は出来ないが、すっきりかつコクもしっかり出る抽出法で煎りたてコーヒーにはかなりおすすめ。
焙煎をしなくても惹き具合、抽出法、お湯の温度と変数が多いのがコーヒーの醍醐味だ。
35歳で競プロを始めて橙になるまでにやったこと - Kiri8128の日記
megumin1 いい話ですけどタイトル等に年齢をいれるのはもう一切やめたほうがいいです。この業界全体が年齢や性別や出身による差別等をいっさいなくす方向で努力しているのですから。年齢を出す必要性は基本ありません。
嘘でしょ?
chokudaiのツイート見てる?
30過ぎて学歴しか誇るとこがない人はちょっと……って思ってたけど、機密で仕事内容が一切話せなくて、実は立派な仕事をちゃんとやってるんだけど、会社知名度ないし内容も話せない、みたいなケースがあるっぽくて、それはなんか学歴の次に誇るものがアップデートされなくてちょっと可哀想— chokudai(高橋 直大)🍆 (@chokudai) February 18, 2021
ただ、30も過ぎれば、学ぶフェーズは過ぎて、働くフェーズになります。となれば、もう「どれだけ勉強したか」が誇れる時代は終わるので、東大卒業して何もやってない人より、例えば高卒でコンビニでバイトして生計を立てている人の方が評価したいです。学んだもので何かを生み出さないと仕方ないので。— chokudai(高橋 直大)🍆 (@chokudai) February 19, 2021
歳をとって、昔と比べて成長速度は間違いなく遅くなったけど、新しい事を始めたら十分成長出来てるなーって感じがあるし、自分の体験で語るなら、30前半はまだまだ色々新しい事を始められるな、って感触がある。当然今から競技的にトップを目指すのは無理だけど、そうでなければ十分行ける。— chokudai(高橋 直大)🍆 (@chokudai) October 7, 2020
まぁ競プロ界隈は30超えると高齢者って呼ばれるんですが……。— chokudai(高橋 直大)🍆 (@chokudai) June 10, 2020
凄いストレートな話として、「RedCoderだけど競技プログラミング以外何も出来ません!35歳です!」って人材を雇うべきかと言われたら、99%以上の場合において雇うべきではないと思うw— chokudai(高橋 直大)🍆 (@chokudai) April 6, 2015
曰く、YOASOBIのアルバムを聴いて「このビートの単調さと音色・音圧のショボさが世間で許容されてるのはちょっと信じたがたい」とのことだ。
実は私もこの評については概ね同意なのだが、考えをまとめるために「夜に駆ける」を題材に少しだけこのことについて書いていきたいと思う。
見当違いな点もあるかとは思うが、素人ながら20年以上音楽をやってきた人間の一意見だと思っていただけると幸いだ。あと、あくまで音に関する話だから、歌詞とかについては割愛。
●メロディについて
特に変なメロディだとは思わないけど、ドラマチックさには欠ける気はしている。目新しさも特にない。が、キャッチーではあると思う。冒頭とか思わず口ずさんでしまうインパクトはあるし。
●アレンジ面
正直ここが一番ツッコミを入れたいところだ。かの音楽評論家の言っていた「音色・音圧のショボさ」はここに主な要因がある。
無駄を省いた、と言えば聞こえはいいかもしれないが、多分Ayase氏はまだそこまでのテクニックを持っていないだけにすぎないのだろう。音の緻密さはなく、だいぶ荒削りだ。
キックは4つ打ちに重要なローのスピード感がいまいちだ。だいぶもっさりしているように思う。
ピアノのボイシングも工夫がない。低音で3和音を鳴らしているのは編曲の理論としてはあまり好ましくないし、それが結果的にピアノのローをEQでごっそりカットするということに繋がっている。
ギターについてはまぁ職人な立ち位置だなとは思った。サウンドメイクはもうちょっと頑張って欲しいけど。
全体の構成としてもだいぶのっぺりしていて、場面場面での厚みにあまり変化がないのが気になった。
●ボーカルについては
正直あまり印象に残らない、というのが個人的な感想だ。ややのっぺりした歌い方は最近のシンガーソングライター系のそれに感じたが、声に強烈な個性があるわけでもないのでそれが逆効果になっているように思った。
歌に表情をつけるためのテクニックがまだ途上なのかな、全体のサウンドがのっぺりしているのにボーカルものっぺりしてるから、いまいち曲に抑揚がないように感じてしまう。コンプがどうとかって話じゃないよ。それが私の感じた「つまらなさ」に繋がっているのかな、と思った。
●エンジニアリングについて
とにかく平面的で一直線上に張り付いた、奥行き感のないサウンドに感じた。レンジも狭いし。
デジタル系ビートにも関わらず、キックのボトムエンドの量感が感じられないのはかなり気になるところだ。4つ打ちなのにノれない…。
あと、とにかくピアノの音がパッツパツなのが気になりすぎる。曲調が曲調だからなのかもしれないけど、それにしたってそんなに音数が多いわけでもないアレンジの中でこんなにダイナミクスのない音にするのはどうなのかな、と感じる。
ボーカルもほやっとして抜けにくい声質だからなのか、パッツパツのしゃりっしゃりになっていて、もうちょいナチュラルに仕上げてもいいんじゃないの?っていう感想だ。
で、ここまでパッツパツになっていながらも、全体的に音圧感はない。
はい、ここで勘違いされそうな単語「音圧」が出ました。音圧っつーのはマスタリングにおける海苔波形がどうとかって話ではなく、一つひとつの音色がもつ太さやスピード感、ヌケ、煌びやかさのことだ。パワーというか。
全体的に音が細いんだよね。圧倒的な素人感というか、ちゃんと音作りしてないなーってのがすごく分かる。
で、ここまでいろいろ書いてきたけど、例のプチ炎上したツイートに関連して「スマホとかで聴いてる層をターゲットにしてるからそういう音なんだよ、そういうマーケティングなんだよ」という意見が見られた。
いや、違うでしょ。どう考えてもAyase氏が
「いいサウンドを知らない、いいサウンドの作り方を知らないだけ」
でしょ。
確かに彼が作る音楽を好んで聴く層というのは中高生が多いのは事実だ。そして当然高価なオーディオ機器など持ってはいない場合がほとんどだ。今の時代なら、スマホとワイヤレスイヤホンで聴くという人が多いだろう。
だが、だからといってそういった層が気づかないような部分のこだわりを捨ててしまうというのは、作品としての完成度を下がるだけでしかない。もっとも、この場合はそのこだわり方もまだよく知らない段階だと思うが。
私は「スマホ向けのサウンドに仕上げる」ということには普段から疑問を感じている。クリエイターたるもの「どんな環境で聴いても最良と思えるものに仕上げるべき」と考えているからだ。それに、スマホのフィルターに通してしまえばそれは勝手にスマホの音になるわけで。
過去の名曲をスマホで聴いたら、その魅力は劣化するか?そうではないはずだ。Steive Wonderの曲はグルーヴを失うか?浅倉大介のアレンジは煌びやかさを失うか?Dream Theaterのサウンドは分厚さが薄れるか?
つまりあれよ、クリエイターたるものクオリティは追求し続けてほしい、という話だ。
じゃあどんな環境においても最高のサウンドに聞こえるようにするためにはどうするか?何よりもまず、作る人間がそれをしっかりジャッジできるモニター環境を構築する事だ。
Ayase氏の制作環境がMacBookにヘッドホン直挿し、というツイートがバズったことを知っている人は多いと思うが、私はそれを見て非常に納得した。
誤解してほしくないのだが、私は別にそんな環境で曲を作ることが悪いと言いたいわけではない。お金なければその中で頑張るのは当たり前だし。
ただ、もう一つ誤解してほしくないのは「いい曲を作るための環境構築にお金をかけなくても良い」というわけでもない、ということだ。
例えばいいオーディオIFやスピーカーを買うことによって、それまで聞こえなかった音が聞こえるようになる、というのは当たり前だがよくあることだ。私もそこまでお金をかけられているわけではないが、現時点でミドルクラスくらいのモニター環境は構築できているとは思うので、その実感は何度も味わってきた。
つまり「できることを増やす」ためにある程度投資した方がいいということだ。SEに置き換えれば、シングルコアCPUにメモリ2GBのクソスペPCじゃ仕事にならないのと似ていると思う。
ただまあ、直近のインタビューではある程度機材を導入したりしているような回答もあったので、これからAyase氏の作る音楽がどうクオリティアップしていくのかは…………別に興味ないか……。
私もそのうち気が向いたら「夜に駆ける」のアレンジでもやってみるかね。
画面の横幅いっぱいに文字が並んでる。笑う。
ユーザID | 属性名 | 値 |
A | 性別 | 女 |
A | 身長 | 160 |
B | 性別 | 男 |
みたいに。
それをBIツールにいれて属性名でフィルターかけて分析してる。
ユーザID | 性別 | 身長 |
A | 女 | 160 |
B | 男 | 170 |
ってデータの形を知らないのかJOINをしらないのかわからない。笑う。
as a
as b
とかあっていつも同じ。笑う。
50分が5分で終わるようになったり、cpuが90%から30%に減る。修正のやりがいしかない。笑う。
それでもアウトプットのBIツールしか基本見られないし、人当たりがいいし他人からの評価がいい。
「信用してるから伝えるけど」と在宅勤務中にサボってることを白状される。
でも、私は先輩に評価される側で下手にチクれば自分が犯人になるし、なんかもう笑えなくなってきた。
クエリの書き方も指摘するけど、「習ってないんだよね〜」と流される。私も習ってない。
しまいにはついに、依頼者に「やります!」と言ったのにうまくいかないクエリの作成を投げられる。
渡辺直美の件もそう言えるんだけどねぇ。
コメントから読み取れるように、渡辺直美本人は特に強い不快感なんてのは感じていないようなんだよね
https://www.sankei.com/tokyo2020/news/210318/tko2103180007-n1.html
「事務所フィルターかかってるだろ」みたいに言われるとそれまでだけど、事務所フィルターの存在それ自体は「所属事務所関係なく特に不快には思っていない」という可能性を否定するものではないんだよね。
はてなブックマークって話題が集まるところなんだから大衆の注目が集まる作品の話が集まる想像なんて容易につくのに
「シンエヴァネタバレすんな死ね」とか書いてる奴ってブコメで書いてる奴、正気か? ネタでやってるのか、本当にアホなのか。
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まあ普通の人だったらはてブを見ないという選択を取るか、はてブフィルターみたいなフィルタリングができる拡張機能を利用するとかして自衛すると思うので
ちょっとヤバい人だと思う。そういうヤバい人のコメントなんて読んでも何も参考にならないと思うので、非表示にすることをオススメしたい。
で、このタイトルに引っかかって最後まで読んでシンエヴァのネタバレが書いてあったら、こういうコメントする奴ってどう思うんだろうね。ほんと、笑えるよ。
30年以上前の「やおいは死ね」論争の頃からずっと性的少数者を妄想ネタに使ってることを実際の性的少数者から批判されていたじゃん。数が少なくて声が小さいから無視していただけで。
男同士を絡ませることを、女性の社会的地位が男より低いことを理由に正当化していたけど、実際にはマジョリティーかつ強者として今で言うLGBTをネタに使っていたわけだから、普通に宇崎ちゃんより搾取の度合いは上だと思うよ。
ついでにフェミニストの大御所は昔からLGBTに冷たい(批判的な)人が多い印象。ゲイはミソジニーでトランス女性は男の考える女を演じることで男尊女卑を再生産している男社会の手先だと叩いていた。そういうことを言っていた人は今も反省してない。
なかなか心に刺さる記事雑な仕事が嫌い。を発見したので、それに対して感じたことを書いてみる。
自分は元増田が大嫌いなタイプの人間だと思う。大雑把なので、細かいことに気が付かないし、昔からケアレスミスが多い。
職場にも、元増田みたいに仕事を完璧にこなすタイプの人がいるし、そういう人からしたら「テキトーなことばっかりしやがって」と思われていると思う。(実際、そう言われた)
記事を読んで思ったのは、元増田は「雑な仕事に腹が立つ」っていうよりも「間違ったこと(=雑な仕事)をしているのに、それを反省せずにヘラヘラしている」態度に腹がたっている様に感じる。
あとは、何度も注意しているのに、反省も努力もしてないことにも。
そりゃ腹もたつわ。自分も失敗ばかりしている人間だけれど、目の前にそんなやついたら、イライラが止まらんだろう。
ただそのイライラって、根っこは「自分はミスがないように努力しているのに!!」っていう、自分の努力が否定されたような、「なんで自分は頑張っているのに、こいつは改善しようと努力しないのだ!」っていう感情があるのではなかろうか。それって、要は自分の問題だよねっていう。いや、仕事に支障がでているなら、会社として問題なんだけど。
これは何にでも言えることだけど、自分が感じていることって、結局自分のフィルターを通してしか見ていないんだよね。だから増田が部下を「反省しない、改善の努力もしない」って思っていても、部下は部下なりに何かしら感じることや、行動をとっているのでは?ただそれが、増田基準だと努力の範疇ではないレベルだってだけなのでは?とちょっと思った。
まあ、自分は増田の部下なんぞ知らんから、想像でしかないけどさ。
自分の話をすると、自分も「注意されても何も響いていない、なんの努力もしていない」と思われている(上司にそうはっきり言われた)。それを聞いたときは衝撃が走ったよね。こっちからすれば全くの見当違いのことを言われたんだから。
まあ、その上司に見る目がないってのは、他の同僚たちも同意しているので、そういう人なんだとは思うんだけど、思うに反省の色の見せ方や、努力の量がその人の基準と違うっていうのが原因なんだと思う。その人からすれば、なんでもないことでも、注意力欠如障害レベルの自分からすれば、何倍下手したら何十倍の注意力を要することなんだよね。他の人が言ってたけど、もうこれは本人の意志でどうこうなるレベルじゃないんだよ。だから例えば、「おめー3つもミスしてるじゃねえか!」って言われても、普段の自分なら5つはやらかすから、努力の結果2つミスを減らせたんだよ。
あと、注意されても平然としている様に見えるのは、あえてそうしてるだけであって、なにもヘコんでいないってわけじゃない。何度も帰りの途中で泣いたこともあるし、ストレスで突発性難聴になったこともある。注意と人格否定は違うでしょ?だから別に傷つけようとして言ってるわけじゃない(はず)なんだから、指導してくれた人に傷ついた態度をとったら失礼でしょうが!と思うようにしているので、なるべく注意されてもその後は普段どおりに接するよう心がけている。それ見て何も響いていないと思われているのか?違うか。
備品の最後の1個を使っておいて総務課に「注文お願いします」って言うだけのことをしないとか、
ホワイトボードに翌日の予定を書いておいて日付は直さないとか、
自分からすれば「なんでしないの!?」って逆に不思議に思ってしまう。
全部誰かがやってくれると思ってるの?
もし元増田の部下が、自分と同じタイプの人間なら、誰かがやってくれるなんて思っていない。それは元増田の勘違いだ。
単純に、気がついてないだけなのである。注意力散漫人間というのは、往々にしてこういうもんなのだ。
備品が最後の一つと気がついていない、そもそも備品がもう残っていないことに気がついていない。
日付を直さないのではなく、日付が書いてあることに気がついていない、もしくは予定を書くことに頭を取られて、日付のことまで考えが至っていない。
キャパシティの低い人間は、他のところまで頭がまわる余裕が他の人より無いんだよ。だから、絶対ミスできないこと、この場合備品を持っていく・予定を書く、ってことに集中力を全振りしているので、それ以外のことは頭に入ってこない。それはもう努力とか気をつけるとかでどうこうなる問題じゃない。
あとは単純に、元増田が気になるポイントと、部下が気になるポイントが違うってだけなのでは。
いやいや、キャパシティ低いの自覚してんだったら、それをどうにかするように、なにか努力しろよって言われると思う。いや違うんだよ、元増田レベルの努力には足りないだろうけど、自分なりに色々考えたり、反省したり、策をこうじてみたりしてんのよ。ただそれがミジンコの移動レベルの変化だったり、それでもいつもの癖で抜けちゃったりしてるだけなのよ。
言いたいことは、元増田の部下に対する評価は、結局自分基準のものであって、見えているものが全てではないってことを、頭のどこかにおいていてほしいんだ。
それぞれがそれぞれの評価基準や価値観に従って、人を評価するしかないんだから、所詮は正しい評価なんてありはしないのは分かっている。矛盾しているが。
ただそれを自覚しながらなのとそうじゃないのとでは、大きく違うと信じている。
①本当に頭が良い人はわかりやすく教えてくれる
わかりやすく教えてくれないと馬鹿が「頭が良い」と認識できないだけ。大学教授に会ったことないのか。
東大卒は普通レベルのスキル持ってたらお前の目にはいるステージにいない。お前が認識できるような職場に行かざるを得なかったやつは東大の中でも仕事が出来ないやつらなだけ。
③非高学歴(この場合学校名単位)者からの「学歴なんて関係ない」
実際学歴はかなり精度の高いフィルターであることは間違いない。家に潤沢な教育資金があったはずなのにMARCHレベル以下にしかいけないようなやつに、まともな議論が出来るはずがない。
わかりみ。
ミルについて、ナイスカットミルは一生物とまでは言わないけれど一般家庭で使うぶんには10年とかで壊れるものではないので、はやく手に入れると人生がはかどります (とはいえ、以前はアマゾンで15,000円くらいで買えていたことを思うと、今の値段は釈然としない…)。
器具について私感ですが、
自分は水出しの味にこだわりがなく、製氷時間も水出し時間も待てないのでロックアイスを買います。アイスコーヒーは労力のわりに一瞬でなくなるのがつらい。
抽出行為が楽しめるならネルもアリなんじゃないかと思います。ネルの管理がひたすら面倒だけど、日々自分のためだけに淹れるんなら茶色く染まっていくネルを「まあ、こうなっていくよねえ」と割り切れそうな気がする。
あと豆はエチオピアとかの豆でいい匂いのものをたまに楽しんでみるのもよいかなーと思います。テラコーヒーとか通販でサクッと買えていいかも (淹れるのに変なテクニックもいらず、きれいにおいしい印象)。
どんなに雑な抽出方法でも、手順にセレモニー的な楽しみを感じる生活続けていきたいですな。ちなみに自分はペーパーの耳を折るのが好きです。
少し前に新しく入ったコミュニティで思ったことハッキリ言うよねとか毒舌とか言われた。言葉をマイルドにするフィルターをとれば、それって失礼だよねとか礼儀がなってないって言われているんだと思う。
人とどう話せばいいのかわからない。弟がアスペルガーと診断を受けててたぶん父親もだから、自分もそうなんだろう。アスペルガーの症状である人の気持ちがわからないってやつなのか。
小さい頃は人に自分の内面を見せたくないあまりに考えすぎて喋っていた。だから親しい友達もいない。そんな自分を変えたかったけれど結局上手くいかない。あまり考えないようにして話すと言葉がどんどん短くなってキツイものになる。他の人から見たら自己満足の言い訳だけれど。
このままだと周りから人がどんどん離れていってしまう。人に好かれたいのに。悪口や陰口を言われたくない。ここから跡形もなく消えたいなあ。
いや、説明が足らなかったのは俺も悪いけど俺が言いたいことは違う
しかしレベルが低い職場に来る高学歴というのは能力が低い場合やモチベーションが低い場合が多い
学歴フィルターがあるにも関わらずレベルの低い職場にいるというのは相当パフォーマンスが低いことが予想される
レベルが低い職場しか観測していない場合、観測できるのは能力が低い高学歴が殆どになり「高学歴は無能」という感想を持ちやすい
レベルが高い職場に来る高学歴以外は能力やモチベーションが高い
学歴などのフィルターを突破してその職場にいるくらいなのでそこらの有能より有能である場合も多く、「才能あったり天才っぽいやつは結構学歴高くないことも多いんだよな」という感想が発生する
後者の職場で「クソコード書くのは高学歴が多い」という意見は出ない、なぜなら皆高学歴だから「高学歴」を話題にしない、人間しか居ない職場で「クソコード書くのは人間が多い」なんて言わないだろ?
ツイフェミを観察して大まかな生態が分かってきたので記したい。
https://anond.hatelabo.jp/20210223230157
上記を書いた増田だ。変な意味で反響を頂いたので続編を記したいと思う。
まずは前回ありきの内容なので上記をまだ読んでない人は先に読んで欲しい。
映画というフィルターを何十層もかかりまくったコンテンツに触れる事で海外を知ったような気分になり
そんな私は先進的だと錯覚してしまう生態がいる。それが洋画ツイフェミである。
この生態は海外が生みだしたコンテンツを妄信してしまう傾向が強いように思える。(洋ドラマと韓国の映画やドラマも含む)
ハリウッド映画はポリコレ的にもLGBT的にも配慮するようになってきたのは事実ではあるが(とはいえエンドゲームで女性ヒーローだけいきなり集まるシーンは不自然だったと個人的に思う)
それはあくまでも映画内の話であって現実ではまだまだ差別や偏見が強く蔓延っているのは海外ニュースを見ていれば痛感するはずだ。
それでも洋画だけ見てその現実を直視せず海外は先進的だと思い込み、このまま日本は遅れており家父長制だとかホモソだとかの批判を始めてしまう。
これは昔から海外に留学や滞在して「これだから日本は・・・」と帰国してから言い出す症候群のようなものでもはや伝統文化でもあるが
ずっと日本にいて海外に行った事ないのに洋画だけ見てコレダカラ日本ハ症候群を患ってしまうのはちょっと落ち着いて欲しいとは思う。
邦画も嗜む人もいるが基本的に邦画は女性を搾取する要素が多いと(そう思い込んでいて)見下しているのだが
こないだ「テネット」という映画が公開され、俺も観に行ったのだが下手に口するとネタバレになるので超大雑把に言うと悪党が家庭内DVを振るっている場面があった。
これに関して洋画ツイフェミはどう反応したのかというとスルーなのである。スルーした上でテネットの出演者の画像やgifをペタペタ張り付けて尊い…と言って終わりである。
映画好きな人はなんで画像はともかくgifを貼りたがるんだろう?と思いつつ、映画の中でも都合の悪い現実は見ないのだろうかと思い知らされた。
あと女性蔑視に対してはとても敏感なのに映画の中で男性が辛い目にあったり、男性ではならの苦悩に苛まれているシーンに対して「苦しんでいる姿が素敵…」とウットリするのは何とも謎である。
鍛えている男優は多いのでムキムキだと「雄っぱいありがたや…(合掌マーク)」と、もし男が女優のおっぱいありがたや…と言ったら叩くよねそれ?と先進的でありながら性欲に介しては後進的なのも謎である。
ハリウッド業界で活躍する俳優は実力主義の世界で勝ち取り、ルックスもキャリアも素晴らしく自立した人間として完璧でこれ以上のない理想像であるのは間違いない。
しかしその理想像はその俳優の頑張りであってあなたの頑張りではないのだ。それにおんぶ抱っこするのは俳優に対して失礼でもあり
自分を成長する機会も見失ってしまうので俳優の画像を張り付けて満足して終わらないようにしてみてはどうだろうか。
正直言うと難しいのである。どう難しいかと言うと彼女らは間違いなく性的に消費されている立場なのだが
事情が本当に一人一人違うので「わかっててその道を選んだよね?」なんて言葉は言えないのである。
自業自得な人もいれば本当に運がなくてこの道を選んでしまった人もいるからだ。
商売とはいえ客を選べないのが辛い所で様々な男性の嫌な面を見てきて男性嫌悪が悪化してしまうケースは少なくない。
そこは同情もするのだが男性嫌悪が行き過ぎて客からのLINEをTwitterで晒し上げたり客からのプレゼントをそのまま売ってレシートを公開するのは
ストレス発散として多少考慮する所はあるとはいえ、それをTwitter上で行えて特に批難されないというのは女性特権を行使しているともいえる。
客からの指定が来るまでは待機なのでその間にスマホ触る時間が多いからかTwitter上ではとにかく男性嫌悪やフェミニスト的なツイートをRTをしまくってるのだが
正直これもストレス発散であり、思想としてそこまで強い拘りがあるわけでもなくただ男性を叩くツイートをフリスクを食べる感覚でRTしているだけのように思える。
男性を嫌悪しながらその男性を性的に奉仕するという矛盾は精神衛生上よろしくないのは間違いはないし本人の為にもならない。
金銭的に困っていなければ風俗を引退して一人の人間として見てくれる相手を探して欲しいのだが、結局ホストに走ってしまう。
エコーチェンバーについてはググって調べて欲しい。もし俺の口から説明したら矛盾するからだ。
俺が最初に出会ったツイフェミであり、俺がツイフェミを観察しようと思ったきっかけでもある。
そしてTwitterにいるツイフェミの大半はこれなんじゃないかと俺は思う。
恐らく最初は軽い気持ちでフェミニスト関係の人をフォローしたかRTしてきっかけを持ったに過ぎないと思う。
しかしその最初にフォローしたフェミニストが発信する情報の中に別のフェミニストがいてそれに関心を持ち始め、またフォローしていく。
そうして連鎖的に増えて行ってついにはフォローしているフェミニストの割合が3割超えた辺りから、その人はツイフェミと化してしまうのだ。
最初はフェミニストに関心もなかったし、趣味の事で話せたらと始めたはずのTwitterだったのに気が付けばツイフェミと変わり果ててしまった人は少なくはない。
実を言うとこれは他人事ではない。身内が陰謀論に目覚めたとか、反ワクチンやアメリカ大統領選挙の不正などを信仰してしまうように
ネットに触れる事で変わり果ててしまう人は昔から存在しており、今もなお増加しているのだ。
ここで勘違いして欲しくないのがフェミニズムを陰謀論と同じ扱いにしているのではない。情報が偏り過ぎてバイアスが起きてしまっていることに対して警鐘を鳴らしているのである。
ここからは個人的な話になるのだが上記の話は俺のフォロワーでもあった人の経過でもある。最初は趣味を通して知り合ったはずなのだが
気が付けば彼女はツイフェミに変わり果ててしまった。彼女はようやく本当の自分になれた気がしたと呟いたが、趣味を楽しんでいた時が一番貴方らしかったと思う。
趣味の呟き頻度は少なくなり毎日男性に対する攻撃ツイートにRTが続いていき、ついに俺はブロック解除してしまった。彼女は悪くはない。
そうして最初にリストにひっそりといれ、少しずつ増やしていったのが俺の観察の始まりだ。
ひとまずはこれで記すのは以上にしたいと思う。
リストの中でもツイフェミから離れて自分らしさを取り戻せた人はたまにいて
お前はインターネットの中にいるからこそ、「プロじゃないのに」というフィルターを通して見れるから価値があったのに。
オフラインに進出したら、他の歌手崩れと同じなんだから、歌い手名乗るのやめろ。
って思う。
読む限りだと、
であってるよな?
昆虫図鑑しか手元になくて、「僕昆虫博士になりたい!」っていう子と、
昆虫図鑑と魚図鑑が手元にあって、「僕昆虫博士か魚博士になりたい!」っていう子がいたとき、
というような。
この前提で間違いないよな?
その前提で話すと、
確かに、将来の身の振り方を決めるに至る程の、価値観を変える劇的な出来事は、田舎には全然なかったな。
あのときの〇〇さんとの出来事が人生変えました!っていう出来事は田舎にはほとんど起こり得ない。
起こり得たとしても、田舎にいる人々、即ち、先生とか医療職の方々との間でしか起きないな。
人としての輝き方の種類が少ないというか。目に入る輝いてる?人たちが公務員か医療職以外にまじでない。だから、それ以外になりたい!という大志を抱く機会が、田舎で過ごすとまじで少ないと思う。
で、そんな中で育ったおれが文化資本(キャリアの幅を広げるキッカケ)にどうやってアクセスしてきたか?って話を今からする。
おれは2つ幼少の頃なりたいと思ってたものがあった。いわゆる、「こういうキャリアを歩みたい」と思える文化資本と触れ合う機会が2つだけあった。
で、
1.「ポケットモンスタールビー」
2. 「遊戯王」
っていう話。
ポケットモンスタールビーはコロコロコミックで見て欲しいと思ったんだけど、コロコロコミックは母親がある日唐突に買って来てくれて、そこからハマった。
だから、
1.雑誌とかYou Tubeとか、文化資本に繋がりやすい媒体 or 文化資本そのもの(図鑑とか、解体できる四駆とか)を手が届くところに置いておいてあげる
2. 本人が興味がある分野が出てきたら、金積んで何でも体験させる
とかだな。
キャリアを広げるという意味の文化資本は、モノベースであれば、田舎には住んでいても割と金で買い与えられると思う。いわゆる図鑑とか雑誌の類だな。
スケートリンクに連れてって、子供にスケーターになる将来を連想させたり、サーカスに連れてって、パフォーマーになる機会を連想させたり。
だから、意識すべきは、金積めば与えられるモノ由来の文化資本と並行して、体験に依存する文化資本も意識的に与えることだな。
あと、中段に、
「田舎で育てられた自分は文化資本が与えられなかった」と落ち込んでほしくない
とあるな。
これはハッキリ言う。増田が定義する文化資本に限っていえば、それは思ったことはない。
東京に出て来て初めて見た職業はたくさんあるが、別に今からでも成れるものが多いので、
「あー、昔自分も魚図鑑買ってもらってたら、今頃魚博士だったのになーーー」
なんて言うことは全く思わない。
---
ただ、田舎で育って損だったと思うのは、世の中に学歴フィルターなるものが存在することを知らなかったってことだな。
東京来てみて、商社マンとか、外銀とか、そういう職業を知った。
こういう職業だけは、今から努力してもなれないよな?(中途とかは抜きにしてだぞ)
こういう機会に直面したとき、
「あーーー、高校時代、いや中学時代に学歴フィルターのこと教えてくれよなーーー、そしたらめっちゃ頑張ってたのにーーー」
ってのは思った。
なんでみんな東大を囃し立てるのか分かんなかったし、恐らく田舎の高校生はMARCHとかすら微塵も知らない。俺も知らなかった。
これだけは今もめっちゃ思ってるな。
「選択肢が削られた!田舎に住んでたせいで!」と思うのはここくらいかな。
---
とか。
要は趣味を共有できる友達が居なかったことと、趣味までの物理的な距離が一番しんどかったかも。
文化資本与えられたあとで、それに勤しむ機会がないのはしんどかったな!
文化資本も担保してあげつつ、こういうところも気にかけてくれ。
趣味があるようだったら自分も同じものを買ってライバルになってあげるとか、東京までの物理的な距離を金で解決してあげるとかそういうやつ。
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で、ここから話変わるんだけど、おれの文化資本の定義を話すぞ。
おれは「文化資本」を、走馬灯で見ることので切る、人生最後の映画の厚みだと捉えてる。
俺に言わせれば、ロックしか聞かないやつより、ロックとクラシックを聞くヤツのほうが、人生最後の映画のサントラは充実してると思う。
田舎だと、
船釣りとか、海だとか、庭で焚き火したりとか、近所の畑の仕事手伝ったりとか、畜産農家の牛とか鶏見に行ったりとか。ボロいトタン集めて秘密基地作ったりとか。死ぬ前の走馬灯は、間違いなく都会育ちの人よりは長い(分厚い?知らんけど)と思うな。それはホントに親に感謝してる。
個人的には、後者の定義で文化資本を捉えるなら、都会の文化資本は大人になってからいつでも回収できるけど、田舎の文化資本は大人で回収するのはむずいな。仕事の都合で大概都会に住んじゃうし、成熟した脳みそじゃあ、釣りよりネットサーフィンのほうが楽しいだろうし。
とりあえず益田に言いたいことは、文化資本を前者の定義と捉えてるなら、それなりに努力は必要だな。ただ、後者の定義で捉えるなら、田舎への移住はポジティブにとらえていいとおもうぞ。
創作物、ずっと応援してきたもの、にわかファンごときにわかられたくないし、自分が一番の理解者でありたいみたいな気持ち。
これが、良いのか悪いのか。
なんかわかったような。
たとえ作者が犯罪を犯していても、作品そのものに罪はないし。作者がいけ好かなくても、作品だけは良かったりはしばしばある。作者が気に入らんからと、作品まで毛嫌いするのはアホのやることなんだと。
それが正しいと思ってたし、結論、それが正しいと思う。
でも、その理論を信仰するのであれば、創る側に立った時も同じことを唱えなければならないと気がついた。
たとえば僕の作品愛しさに、作者である僕に嫌なことを言ってくる人がいる。続きみたいから早くかけよ、別の物を創るな、俺の欲しいもんを創れと。そういう人にはそもそも僕の作品を理解できる素質ないとか思ってた。僕がそういうことを言われるのが嫌で、だから人にもそういう言葉はかけない。それゆえにどうしても、そういった行動は作品内でも間違った行動であるという価値観で評価されてしまう。
そういう、僕が間違ってると思うことを平気でやるような人間に、僕の価値観をベースに創られた作品など、僕の世界など理解出来るはずないのだ。善悪の考え方が違うし。
って思ってたけど。
それはつまり、僕のことを理解できてなければ僕の作品を理解することはできないということにほかならないじゃん。
言ってること真逆じゃんな。
あーこれだわ、と思った。僕が創作物を公開するのに、足りてなかった心がまえ。
創作物に対する解釈の正しさ、というのは個人の中にしか存在し得なくて、それが「正しい」という価値観も、その人の中でしか通用しないこと。
Aさんには目の前の絵の中の鳥が赤に見えて、Bさんには青に見える。それを描いたCさんは、緑で塗ったと言っている。
この中で、誰が正しいのか。
創作物は、僕が僕ではない誰かにそれを見せた瞬間、その誰かの主観というフィルターを通して解釈される。例えそれがどんな解釈であろうと、その誰かにとってはその解釈が一番正しい。
僕が、極力作者本人を知ることを避け、不純物の混入を防ぎながら他人の作品を自分の主観フィルターで濾すように、僕の作品を見る人にはみな等しく僕の作品を解釈する権利をもっているし、それがこの世で唯一正しい作品の解釈、と信じる権利も持っている。
もちろん、そのフィルターの性能によって作品は悪に見えたり善に見えたりする。でも仕方ない。僕が持ってるフィルターと同じものは、この世のどこを探しても存在しない。
僕が「正しい解釈」を発表したところで、その正しい解釈すら他人のフィルターを通してから他人に入っていくわけで、それはもはやまったくの別物であり。
「正しい解釈」として何かを発表することが不可能である以上、正しい解釈というものはこの世に存在することができないものであることになる。僕以外のだれにも、観測不能なのだから。
だからこそ、どこまで作者ことを知り、作品をどう解釈するかは自由。作者もまた、作品を発表した時、その作品はもはや作者の手を離れて、見る者一人一人の中で展開され、その人の回路で理解される、その人の中でもう一つの作品ができてしまうようなものだと考えた方がよいのだと思う。
自分の作品なのだから自分の解釈が正しくて、文句をつけてくる人は理解できてなくて、褒めてくれる人は理解できている、みたいな考え方は、創作をする上でメンタルを守っていくためには正しいけど、向き合い方としては正しくないのだと気づいた。
心がまえ、間違ってたなって話。