はてなキーワード: アウトプットとは
自分が読めるようになりたいもの、聞き取れるようになりたいものって対象が決まってるじゃない。
雑誌、小説、ニュース、映画、ドラマなど手に入りやすい教材として身近にある。
ところが喋ったり、書いたりって本当に難しい。
文法や単語を知ってたとしても自然な言い回しになってないか、全く通じる表現になってなかったり。
そもそも、いくら調べても結局どうやって表現していいのかわからないこともある。
そんな時にいつもそばにバイリンガルの通訳みたいな人がいて、こんな時にどう表現したらいいか教えてくれて、それを自分のフレーズとして暗記してしまえば自分の表現ストックが増えて次第に自然な表現で流暢に喋ることができるとは思うが現実には難しい。
結局、大量に読んだり、聞いたりして、使えそうな表現を少しずつ自分に溜め込んでいくしか無いとあきらめた。
片っ端から暗記していくわけだから効率が悪いのかもしれないが、長い目で見てほとんどの表現が網羅できるようになれば、逆に近道なんじゃないかと。
そこでDUO3.0を百人一首の要領で日本語訳を見たらサッと英文フレーズが口をついて出てくるまでにしたんだが、まだ足りない。
確かにこの表現であってるはず、という自信を持って英語話者に話せるようにはなったが、これだけではやはり表現したくても何と言ってよいかわからないことが大量にある。
そこでTOEFLのスピーキングのセクションの解答例を片っ端から暗記するというのを始めた。
これらは、例えば「今まで経験したことで一番危険なことは何ですか? 詳しく述べなさい」みたいな問題に45秒で解答するというもの。
利点としては、途切れ途切れのセンテンスではなくテーマに沿ってひとかたまりの主張を流れで話せるようになるということ。
主題→具体例→結論のような構成で喋る意識ができるようになる。
それとひとかたまりの解答例が45秒から60秒なので(以外に短い)ダラダラと喋るわけではないので比較的暗記しやすいボリュームなのだ。
少しはじめてみた感触では、「あーこういえば良いのか。こうすれば文と文のつながりがわかりやすくなるのか」という感じ。
みんなはどうやって表現力を磨いているんだろうか。
世の中には2種類の物事があって、それは
「思っているだけで実現できること」と
「具体的に行動しないと実現できないこと」に大別される。
たとえば「サッカーが上手くなりたいなあ」と思っていても
そう思っているだけで上手くなれるわけはなく、
具体的に何かに取り組まなくては決して上達しない。
「人格を変えたい」なんてのはまさにそっちだと思う。
なぜ思うだけで実現するかというと、それを意識して生活していれば、
「こうありたい」と思いながら毎日を過ごしていれば、
少しずつ内面は変化していく。
もちろん今までの習慣を無理に続ける必要はなく、
関連する本を読み漁りたいと思ったら読めばいいし、
何か新しいことを始めたいと思ったら始めればいい。
それも内面の変化。
変わっていない/悪くなっているなら
そうして理想の水準に近づいたなら
探求をやめればよい(なかなかそうはならないのだが)。
アルツハイマー型の痴呆症の人の脳スキャン画像をみれば、満遍なくあちこちに障害が起きていることが分かる。
最初は、アウトプットが上手く言ってないだけの可能性もなくは無いが、
理性をつかさどる部分が壊れたら、感情むき出しの化け物になるだけだ。
>脳の障害はもしかするとアウトプットに問題があるだけで人格そのものは健常者と変わらないというようなことが多々あるのかもしれない
実際アルツハイマー型を発症した祖母を5年観察してきた人間から言わせてもらうと
そんなものはない
増田は認知症になると人格が変わるというような口ぶりだけど実際どうなんだろうか
自閉症だけどパソコンのキーボードを使ってきめ細やかな意思疎通を取ることができる東田直樹という少年がいるんだけど
彼が言うには自分の思ったように体が動いてくれない、発語されないだけで思考自体は健常者と変わりないとのことだった
自閉症者は思考そのものが健常者のそれとかけ離れているわけでなく、
ただ自分自身でも不可解でコントロール不能な身体の反応を抱えているだけなのかもしれない
まして認知症にまるまる当てはめられることでもないかもしれないが、
脳の障害はもしかするとアウトプットに問題があるだけで人格そのものは健常者と変わらないというようなことが多々あるのかもしれない
俺かよ。
数日働いたら興奮しちゃって寝付けないとかめっちゃわかる。
今もエンターキー押しっぱなしになって意識飛んでた。いつ意識落ちたんだろう。
俺は、なんだかんだ邪魔が入ったりすると絶対100%とか90%の力で仕事なんかできないので、
自分で思うフルパワーの20~30%ぐらいでこなせるぐらいの仕事量になるように調整しておくことで、
なるべく急かされる前に終わらせておいたり、全然ダメで丸一日仕事にならなかったり、やり直したりすることがあっても吸収できるようにしてる。
20~30%の力加減でも普通の人の80%~90%ぐらいのアウトプットができる分野を見つけられたから、
やや無能な人ぐらいの位置付けで留まることができて、なんとかまだクビにならずに正社員でいられているけど、自分で仕事量を調整できない環境だと、あっという間に潰れてただろうなと思うわ。
週末は何かアウトプットしなくちゃと意気込んでるんだけど、
買い物一緒に行ったのは
膝に青あざある子はだいたいポールダンサーでお馴染みのマキちゃん。
何回もあってるのにね。
ご飯に行ったお友だちは、
日本の読み方で、みっちゃんみっちゃんと読んでるの。
まあ、みっちゃんが私にただで仕事をぶっ込むからぶち切れたのよね。
うふふ。
3年降りに会ったわ。
なんか、ひょんなことからの妙な再会だわ。
相変わらずみっちゃん超美人だし!日本語もぺらぺらだし!東大卒だし!
とにかくカッコいいのよ!
みっちゃん、
彼氏と別れたとか言ってたけど、
会社立ち上げたとかで、忙しいらしいわ。
でも、みんな元気でよかったわ。
パワーをもらっちゃいました。
うふふ。
家でカップ麺食べていこうと思ったけどさすがにないわと思って、
もう、朝の段階で超暑いわよね!
空きの季節先取りって感じかしら。
ただ、甘すぎるわ。
まあ、とにかく水分補給はしっかりね!
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
情報を鵜呑みにしてはいけない。なんてよく聞くけどまったく意味ないな。
何のために新聞があって何のためにニュースがあると思っているのか。
どんな分野においても専門的な事柄に対して自分の意見を持たないといけないとしたら専門的なレベルまでの知識を蓄えないと判断なんかできない。
専門家同士で意見が割れているようなことに対して自分が意見しようと思うならそれに見合うだけの調査をしてアウトプットもしてそれを繰り返してやっと人に意見できるレベルになるのにそれをどんなことに対してもしないといけないとしたら時間がいくらあっても足りない。
だから各個人が自分の専門領域をきちんと持ってそれを追求し、それが行われることで社会全体にとって結論や過程が資産になっていくもんだろ。
情報を必要に応じて省略して時間的、内容的にも一般人でもわかるようにしたのがニュースなんだから。
リオオリンピックに向けた日本選手団のユニフォームが発表されたけど、もう絶望的に酷くて吐き気がしている。なんでエンブレムの時はあんなに荒れたのに、こんな糞みたいなユニフォームが発表されても誰も何も声を上げないわけ?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160622-00010002-fashions-life
もうこの時点で意味不明である。高島屋なんて、ファッションのファの字も感じられないBBA御用達百貨店がなんでデザインを担当するわけ?伊勢丹ならまだしも、高島屋って。昭和かよ。供給担当が高島屋とかならまだわかるよ?でもなんでデザインまで高島屋が担当する必要があるんだよ。
最初の東京オリンピックのエンブレムと一緒で、これも何の前触れもなく突然発表された印象。むしろエンブレムの時は条件付きながらコンペを開催することがオープンにされてたけど、ユニフォームについてはいつどんな経緯で選定されたのかが全くオープンにされていない。なんらかの癒着があったと疑われてもおかしくないよねこれ。
【アウトプットが酷すぎる】
最悪、上の二つの条件があってもアウトプットが良ければまだ救いようがある。でも肝心のアウトプットがとにかく酷い。なんだこのデザイン。昭和かよ。別に赤いジャケットに文句つけてるわけじゃないよ。赤いジャケットに白パンツでもいくらでもカッコよくできるはずなのに、時代錯誤な、なんの工夫もないデザインを2016年というタイミングで恥ずかしげもなく出してくることに失望してるわけ。しかもこのだっさいユニフォームを着る選手のほとんどは20代だよ。なんで20代がこんな農協のおっさんが大阪万博に見学に来た時のような格好をしなきゃいけないんだよ。
ちなみに他の国のユニフォームはこんな感じ。
http://www.fashionsnap.com/inside/rio-olympic-uniform/
少なくともどの国も日本よりは遥かにマシだ。カナダとかすごい。
日本には世界の表舞台に出しても恥ずかしくないファッションブランドがいくつもある。有名じゃなくても、いいデザインをするブランドも沢山ある。それなのに、なんでこんなことになるわけ?なんで高島屋がデザイン担当するわけ?何なんだよ日本。一億総クールジャパンじゃねーのかよ。そしてなんでこの酷い状況に誰も声を上げないの?(エンブレムの時はあんなに必死だったのに。)
前提として、全くこれっぽっちも死ぬ気はないです。
ただ躁鬱で何をやらかすかわからないのと(人様に迷惑はかけないようにとは心がけている)、遺書という形に今も気持ちをアウトプットすれば見えてくるものがあるのではないかと思って、このように考えたわけですよ。
さて、私が遺書に残したいことはなんだろう。
真っ先に出てこなかったのが情けないが、感謝の言葉も必要だろう。
死ぬ理由は訴えたら楽になるのだろうか。それを死ぬ前に言おうと言う気にはならないだろうか。
私が泣き言を言うなら、やはり理解して欲しかったという言葉が出てくる。
もう少し遡るなら、過去への恨み言になる。
私が躁鬱を発症した時、親はそれを認めてくれなかった。
親からしたらそれは優しさ…親なりの励ましだったのかもしれないが、私にはだいぶ堪えた。
「そんな子を産んだ覚えはない」という言葉は、「だから(私の子なのだから)躁鬱なんかではない」という意味合いだったと後から言い訳がましく言われたが(言い方に棘があるのを見て分かる通り、私はこのセリフをずっと根に持っている)その言葉に私は見捨てられたかのような絶望を覚えたものだ。
薬を飲んでいれば叱られ、取り上げられ、仕事を休めば「俺は仕事を休んだことなんてない」という励ましにもならないオヤジの自慢話だけを永遠と聞かされた。
その選択は間違っていなかったと信じたいが、やはり一人きりでの闘病生活は苦しい。
正直言えば助けて欲しい。
朝は起こしてほしいし風呂には入れて欲しい。
理解してもらえたら私の心は安らいでいたのだろうか。
わからないなーーー。
真っ先に出てくるあたり、根に持ちすぎていて笑える。
死を選ぶいうことは現状への不満があるはずだ。
現状の不満はなんだろう。
現状
・働いているがクビになりそう(出社率が悪すぎる)
・金がない
・食事は1日1~2食
・風呂は2日か3日に1度
・独り身
そもそもクビになっても生活保護とかまだ生きていく道はありそうだけど、そっちはどうなんだろう。メンタル的に耐えられるのかな。何か、道行く人全員に萎縮しそうだ。
多分、未知が怖いんだ。
状態…
よく幻聴がする…いや、独り身だから、実際に鳴ってるのか幻聴なのかわからないけど。
匂いもたまにおかしい。ものが腐った匂い(部屋が汚いから?)りんごの匂い。
見えるもの。視界の橋に虫。
夢見も悪い。家族の夢を見る。
改めて、これはわりかししんどい。死を選ぶ理由になりえる気がしてきた。
大きいのはなんだろう。周囲とのギャップかもしれない。
私が良かれと思ってやったものを怒られる。
考え方が違いすぎてしんどい。
異星に迷い込んだ気分。
何か中二病みたいなこと言ってるけど、本当に周りと別の生き物のような気がしてつらい。
うまく言葉にできないということは、私がまだこの問題を捉えきれていないのだろうか。
一旦、ここまでにします。
それって本当に「創作してる人」だろうか。
ぜんぜん違う界隈の話だったら申し訳ないけど、アニメ系の二次創作絵師の場合、
「自分が描いた絵をダシにしてコンテンツを消費する輪に加わろうとせずに居られない人」
もちろんその中にも、二次作品なりに創作と言えるレベルの世界観を構築して、
人を感動させられるような人もいる。
けれど大半の人は、キャラをいじって遊ぶ人形遊びの域に収まっているのでは。
でもそう考えたら、だいぶハードルが下がったように感じるし、
創作しない楽しみ方でもそんなに引け目を感じないと思う。
むしろ、他人や作品をネガティブに捉えない品性をそなえていて、
物事を論じるのが得意であれば、人からすると目から鱗の考察ブログなんかが書けるのでは。
つきつめるとその最小形態は、ファン同士の語らいだと思うのね。
そんな感じで。
ぶっちゃけレズ風俗そのものが主題じゃないから、男でも読める。
つらい思いしている人間のタイプに相対的な評価(実はそれは相対的ではなく、結局自分が勝手につくった理想の絶対的な人間像)にたどり付けなくて苦しんでるパターンがある。
自分もそうで、田舎の一人親に迷惑かけたくない、自分と同じ学歴の人間は結構いい生活してる、幸いにもレベルの高い創作している仲の良い人間が多くて、それに辿りつけない自分。
誰もそれを強要したわけではないんだけど、自分がそうなれない、あるいはそうならなくてもいいのにどんどん自分が自分に対してかけてるプレッシャーが強くなって、どんな場面でも「この人生はクソだ、何も生み出してないし、これからもよくならない」という否定をかけてくる「内の自分」がどんどん強くなっていく。
これをつきつめていくと結局のところ承認欲求になる。
作ったものをほめられたい。大学も留年しなかった。不況だったのに就職浪人しなかった。変に休まず正社員でちゃんと労働してる(それなりに会社でも評価されてる。ただ給料はそれに対して増えないからただただ生きるのがつらい)。
でも誰もほめてくれない。自分が自分だけのために頑張るのはもうしんどくなってきた。
そんな時にこれを読めた。
作者の永田さんの場合はアレができない、コレができないというドロップアウトタイプのできごとがたくさんあったみたいだけど、自分の場合実家から出て一人暮らししてるから働かないと即死んでしまうからギリギリなんとかやってるわけで、なにかあるとすぐ自律神経ボロボロになって顔が赤みづいてむくむし、肌荒れも治らなかったりして、勝手にすごいシンパシー感じてしまった。
永田さんも書いてたけど人一倍寒さに弱い時期もあるあるすぎて本当に死ぬかと思った。寒い時期はずっと身体かこわばって全身筋肉痛が抜けなかった。
ただ僕と永田さんの一番の違いは自分の思考や経験プロセスを克明に振り返ってアウトプットしたところだ。
高校の頃いろいろあって「自分のことは自分でなんとかしなきゃダメだ。誰かに相談したって結局誰かが代行してくれるわけじゃないし、相談された方だって迷惑だ」みたいな意識がこびりついてしまって、それ以来自分の気持ちに対して向き合って周りに表現することが本当に苦手になってしまった。日記とか絶対書けない。自分が自分のためだけに読む文章とか絶対に書けない。(日記をつける行為そのものを否定してるわけではないぞ)
ただ自分はそういう相談されるのは大好きで、それは間違いなく「あ、この人は自分のことを信用してくれてるんだな」って思いたいから。個人への所属意識を少しでも持ちたいんたと思う。
永田さんのその辺の心象は知らないけど、ダメな自分を客観視して、ましてそれを漫画にするというのはいろいろと考えるところがあったと思う。
それでもこうしてとても興味深い漫画を世に出して、こういうのが読みたかった人の手に届いたことは本当に素晴らしいことだと思う。
作中、具体的に本当それ!!!って共感したところがいくつかある。
・「とりあえず抱きしめられたい」
整体で人に触られると安らぐというのも本当に理解できるところで、なんなら美容室での軽いマッサージですらその効果があるくらい。
ただこの歳になるとこういうイベントマジで普段の生活にないですからね。
なにをやってもダメ(=自分の高すぎる理想に追いつかない)から、どんどん自分の評価が下がる。
ただこれによるマイナス効果というのは、逆に言えば身の回りをしっかりすればプラスになるという裏付けでもあって、最近は体重減らして既成品の服がピッタリ合うくらいの体型になるとかした。(ただそれにも金がかかるのでそれが厳しい)
永田さんはレズ風俗という手段をとって、レズ風俗に行くために自分磨きという投資に成功してる。
とにかく閉塞感まみれだった自分の生き方の一例が示されているみたいで、もちろん男だからレズ風俗は頼めないんだけど、ははあ、こういう気持ちはこうやって良くなることあるのかと思うと、読後感のすっきり感が半端なかった。
じゃあ普通に風俗行けば?というのはまたそれはちょっと違うけど、万一そういう機会があったら永田さんと似たような気持ちになってしまうと思う。ただそれはそれでバブみみたいな感じがしてキモいな~という感じがしてそれもそれでどうなんだろうという気持ちある。
性欲的な快楽じゃなくて精神的な快楽を得るための合法的な方法ってなんかないの?教えてはてなブックマーカーたち。
読み終わって「とにかくみんなもっと認めてくれ!!!!!!!!!!」という気持ちのアウトプットがすごいすんなり出せるようになった気がするので、今こうして殴り書きしてる。
あーーーーーーーーーーーーーーーーみんなもっと認めてくれーーーーーーーーーーーーーーーーーほめてくれーーーーーーーーーーー
少し長いけどすまん。
誰にも言えない事だし、自分語りでクッソ長いけど、ここでしか書けないような事だからここに書く。
小さいころからよく「空気が読めない」「突拍子も無いことを言って相手を怒らせる」「好きなことにものすごい興味を示すが少しでも嫌いな事は絶対やろうとしない」「ツメが甘い」「ケアレスミスが多い」「朝起きれない」「人の話を聞かない」「人の話をすぐ忘れる」「顔はかっこいいのに喋り出すとただのクソ野郎」と良く言われていた。
そしてそれは大人になるまで続き、大学を出てプログラマーとして就職した時に、当然悪影響が出てきた。
他の人が絶対やらないようなミスを(どんなに対策をしても)繰り返す、空気が読めず場にそぐわない変なことを言い出す、ツメが甘く精密さを必要とする作業で絶対にアラが出て大惨事になる……。
自分なりに再発防止を心がけたり、周辺も怒るだけでなく一緒になんとかしようと協力してくれていたが、一向に改善しなかった。(例えば、忘れっぽさやケアレスミスを改善するためにメモをするよう心がけてもメモをすることを忘れたり、メモした事すらも忘れてしまうので、メモを忘れないためのメモが必要なレベル)
いつしか徐々に上司からの信頼は失われ(元々無かったけど)、同期は結果を出して徐々に重要な役割を任されて年収も上がっていく一方自分は上がらず、どんなに頑張っても結果が出せずに周辺に認められず、末期には鬱の初期症状に苦しんだりストレスによる衝動的な破壊行為で更に周辺の信頼も失い、配置転換を繰り返すようになった。
私生活も、ストレスと承認欲求が入り混じってはしばしば爆発し、タバコと酒と食と性欲にはけ口を見出すことしかできず、暴食に風俗通い、更に出会い系サイトで相手がデブだろうと40ぐらいのおばさんであろうと、ありとあらゆる女性と会っては即セックスしたりと荒れていった。
最終的には自分自身が耐えきれなくなり、上司からも「もう辞めろ、新卒の頃から面倒を見ていたが、ここは学校じゃないんだ。こういうことは言いたくないがもう辞めたほうがいい」と言われた。
いよいよ死を覚悟したが、その時にたまたまツテのある会社にスキルセットを買われて誘われたのを機に新卒で入って働いてきた会社を辞めた。
辞める頃はちょうどウェブ上で「大人のADHD」のバナーが頻繁に出ていた頃で、自分がまさにそういうものに当てはまっていたので、辞めた後の次の会社までの有休消化期間に家の近所の心療内科で相談したところ、ADHDだった。
自分の努力不足、能力の欠如だと思っていたことは、先天的な障害が原因のものもあったということがわかった。
そしてその日からストラテラと呼ばれる薬を処方され、しばらく飲み続けた頃に次の会社が始まった。
次の会社も似ている仕事で、当然精密さを必要とする仕事だった。
「増田さんは慎重な方」
前職では絶対に言われることが無かった(というか、丁寧とか過去の人生で一度も言われたことが無かった)ので、最初はかなり困惑した。誉め殺そうとしているのかと考えた。
でも、ある日薬を飲み忘れた時にどうやら本当にそうらしいことがわかった。
薬を飲み忘れたその日は朝が起きれなくなり、1日中頭がぼーっとして、頭がいつもの半分ぐらいしか働かない状態だった。
その日の仕事のアウトプットや自分の言動をあとで振り返った時に、「自分は今までこの状態で生きてきたのか……」と恐ろしくなった。
そりゃ仕事もできねーわ。
そういうわけで、今はこっそりADHDの治療を続けながら、転職先で頑張ってる。
ADHDだとわかった時は、自分は人と違って劣っているのか……自分のこれまでの人生はなんだったのか……と絶望した。
「ADHDの人は精密な仕事ができない。なのでライン工のようなルーティンワークや、芸術家のほうが向いているのでそういう方面を目指しましょう」といった文章があって悲しくなったりもした。つまりまともな生き方、いわゆる会社に通ってお金をいっぱい稼ぐような絵に描いたような「ふつうの生き方」はできない……低賃金でパンをねじるだけのライン工になるか、美大も出てない絵も描けない人に芸術家になれとな……たとえ発達障害であろうと俺だってお金だって欲しい……というかそもそも既婚者だし家計を維持する責任があるだろう……と絶望したりもした。
「ADHDは他には無い特性を持っているので治療はかえってマイナスになる」といった無責任な文章を見て「うるせー!俺は困ってるんだ!!」と憤ったりもした。
失った過去をやり直すことはできないが、薬を飲み始めてから過去を取り戻した、自分の人生を取り戻したと実感している。
今は仕事が本当に楽しい。できないと思っていた事ができるようになった。過去の自分と違い、何でもできる、できなくても頑張ればできるようになれる、間違えても気をつければ2回目はそれを修正できるという自信に溢れるようになってきた。
薬は高いけど、薬を飲み始めてから、頭が冴えるようになり、世の中が鮮やかに見えるようになった。
「ADHDは作られた本来は存在しない病」といった記事もどこかで見たが、ADHDだろうとなかろうとどちらにせよ俺は病院にいって投薬のお陰で元気になった。
人生はこれからだ。
最近読書が楽しくて、月8冊くらいのペースで読んでいる。小説を中心に、前から気になっていたものやひとから勧められたものなど読んでいる。とても楽しい。
で、せっかくなので感想をきちんとアウトプットしてみたいし、読書感想ブログなどにも憧れるが、踏み切れないでいる。なぜならその感想というのが、どうにもウエメセで口汚い感じだからである。現時点では、いまは黄昏なりしmixiの友人限定公開の日記で毎月の読書感想をまとめているが(ほぼ備忘録である)……。
同時期に発売された漫画版とセットでの物語と言う位置づけらしく、前日譚と後日譚。でも漫画版を読んでなくても話としては独立している。
端的に言って挿絵は非常に嫌いな部類なので,漫画の方を読むことはないだろう。
「小説の合間に,本文に連続して漫画を挿入したらどうなるだろう」という興味は昔からあって,その答えを今回見ることができて勉強になった。
答えは「寒々しくてとてもじゃないが見ていられない」だ。◇◇◇(筆者名)の文章は相変わらず整っていてとても心地よいなあと思いました。読んでいて気持ちがよかったというのが全てで,正直物語やキャラクターはあまり記憶に残らなかった。こういう読書体験は個人的にはとてもすきだ。キャラクター性やドラマ性は,純粋に小説を楽しむにおいてはノイズだと思う。
おもしろかったー,のか?いや,でも面白かった気がする。◇◇◇の能力が超かっこよかったのに一瞬で殺されて悲しい。一巻同様,物語の展開が異常に速く,全体的にライブ感で生きてる感じの小説。すげえよ,まだ2巻なのに主人公属する日本支部が壊滅しちゃったよ。3巻以降はロードムービーと化すのか?……というか,出るのか?3巻。
いろいろと思うところはあったけど(ハーレム描写が不要すぎる,とか),みっつめの機関の名が明かされるくだりがもう熱すぎてすべて吹き飛んだ。3巻出るなら読みたいなあ。展開がぶっ飛ばし気味の話は,正直嫌いじゃない。
なんか妙にお利口でつまんねえ小説だな,と思って読み終えたら,あとがきを読むに既刊に出てくるサブキャラのスピンオフ作品だったらしい。あー,どうりで。内容自体はスピンオフ元知らなくてもわかる話でした。でもスピンオフ作品って,いろんなところへの配慮が透けて見えるから変にお利口に感じるんだよな。まあ,気付かず買ったわたしが悪かったんだが。
登場人物の、修士卒の身で科学館勤務で研究しつつ海外の研究室からもお呼びがかかってる,とかいう意味不明チート設定でむしゃくしゃして内容が頭に入らなかった。せめて博士課程卒にしてくれ。しかも,なんかどうにも受けの思考回路がキャリア形成<恋情で,てめえこらぶん殴るぞ,という感じだった。あれで「理系キャラ」だなんて反吐が出る。
うう,眩しい,話がなんだか眩しい……。
◇◇◇が『作家の魂』を描こうとして書いたというこの作品。面白かったんだけど,割と書かれていることがマッチョな感じで,ちょっと「ううっ」となりました。
個人的には,「お金目当てで書かれた小説」にも,「誤字脱字だらけの稚拙な小説」にも「つまらない小説」にも,等しく作家の魂はこもってるんじゃないかと思うよ。別に速く書けなくても,大量に書けなくても,多産じゃなくてもいいんじゃないかと思うよ。私はね。まあでもこの小説の語り手は中学生で,想定読者も中高生だから,その辺を対象にしているならこれくらいマッチョな方がいいのかもしれん。少年よ大志を抱け。
さすがにこれでブログを書くわけには……
でも、まったく文句のない自分にとってのとても面白い本なんて、20冊読んで1冊あればいいほう。嘘をついて褒めるのもなんか違う気がするし。だいたい面白いか面白くないかわかんないからこそ読むわけだよ。でも感想をアウトプットする以上、ブツブツ文句言うだけなら書かない方がましだよな。他人に不快感を与えるだけだし。読書感想をアウトプットするひとたちって、ホントみんなどうやってんの。
(追記)
もっとボロクソに言われるかと思ってたんだけど、いろいろと具体的な助言もらえて助かるっす。ありがとうございます。
という感じでしょうか。
ポジティブな感想じゃない感想も、求めているひとがいるというのは意外でした。口汚いのはよくないけど、ネガコメにも一応の存在意義はあるのだなあ。
これでいこう。ただやみくもに読むのもどうかなと思っていたので、そういう気持ちで読みたいものです。
ネガティブな感想が多いのは、たぶん根が暗くて愚痴っぽい性格なのでそれが文章に出てるんだろうな。
でも口でする会話と違って文章は下書きを溜めたり添削したりできるので、もうちょっとちゃんと頭を働かして、少しでもよいものが書けるようにがんばるよ。
(追記2)
作品名当てられてて驚きました。なんかすみません。筺底のエルピス待望の第4巻「廃棄未来」は今週末発売です。とお詫びの宣伝。ミケーラかわいいよミケーラ。
面白いと思えるものに打ち込みたい、それを通じて面白いものを作り出したい、人にちやほやされたい、好みのタイプの女の子と付き合いたい、ネットで一目置かれる存在になって他の面白い人達と仲良くなりたい、しかしそれができない。
業界小話系に乗っかってみよう
・訪問契約率20%のブラック企業の真っ黒な営業手法を書いてみる
http://anond.hatelabo.jp/20160526110823
・なぜ家電量販店で凄まじく値引ける(ことがある)のか教えてやる
http://anond.hatelabo.jp/20160412234807
http://anond.hatelabo.jp/20160531150129
MとかBとかの外資系有名ファームでないけどわりかし有名なファームで経営コンサルタント。
30代のマネージャーで営業とプロジェクト推進の両方をやっている。
コンサルタントは資格が不要で名乗ろうと思えば誰でも名乗れます。
他のコンサルは知りませんが、経営コンサルタントは簡単に言うとアドバイス業です。
学術的情報であったり、他社事例であったり、自社ノウハウなどクライアントが知らないことを教えることが基本です。
ただし、知識をそのまま教えるだけではダメで、クライアントの状況を斟酌しながらカスタマイズしていくことが生きていくポイントです。
問い合わせを増やすために、書籍や記事執筆、講演などで会社の名前と自分の顔を売って問い合わせを狙います。
また、自発的にセミナーをやって見込み顧客を作っていき、手法の説明や業界情報などを餌に訪問して提案につなげます。
成功率としては問い合わせの方が良いのですが、こっち思い通りには行かないので自発的な営業もします。
何度か訪問させてもらって意見交換して提案という運びになります。
設備などに比べて効果がわかりにくいので提案・交渉の回数は多くなりがちです。
見積は基本的に人工です。活動を為すために必要な人員と単価表で見積もります。
クラス | 単価 |
---|---|
アシスタント | 200,000 |
シニア | 400,000 |
マネージャー | 600,000 |
日数はクライアントへの訪問日程だけでなく作業日程を含めるルールですが、最近は競争力が落ちてきたせいか作業日程分を取れない場合が多いです。
クライアントへの訪問日程は提案書に明記せずに総額で交渉します。
外資系に比べれば安めですが、コンサルを使ったことの無い企業では結構値段に驚かれます。
交渉としては、値下げの幅にも寄りますが単純な単価の減額や日数減は行わず、対象範囲を狭め結果として訪問日数を減らす方向にします。
受注したら晴れてキックオフです。
アシスタントも引き連れてキックオフして、メンバーと具体的に進めて行き、適宜Pjtオーナーに報告しながら勧めていき、最後に報告会を行うのが一般的です。
進め方はテーマやクライアントによって大きく異なり、先生となる指導型、プロジェクトメンバーとなり一緒に進めるを分担型、クライアントの手足となって作業をする請負型などバリエーションが有ります。
弊社は割とタスク分担で進めて行くパターンが多いです。指導型は楽なのですがクライアントの能力によって活動が進まなくなるリスクが高いので近年は少なくなりました。
請負型はクライアント次第な部分もありますが、好かれていません。
コンサルの説明でも書いたようにあくまでアドバイス業ですので、活動の結果にはコミットしません。
我々のアドバイスがイマイチな場合もあるにありますが、成果が出ないときはお客様の活動量が圧倒的に少ない場合が多いです。
結構、コンサル入れれば安心。後はコンサルがやると思っている方が一定数いらっしゃいますが、成否はむしろPjtメンバーにかかっていると思い直してもらいたいです。
アウトプットが定まりにくい内容のため、炎上リスクは結構ありますので上手に着地させることも結構重要な力量です。
若いうちは固定で、ある職位以上に上がると年俸制にシフトします。
固定給でも成果や評価で賞与金額にバラツキが出ますが、事業会社と同様で倍半分の世界にはなかなかなりません。
年俸制になると、売上比例なので売上が立てば立つだけ給与が増えます。
年俸制は30台の前半から適用され、平均値としては1200-1500程度です。
弊社はトップファームに比べると一段階給与が安くその不満が社内には結構あります。
客観的に周りのファームに比べると業務時間が短かったりするので、時給計算は悪くないと私は感じています。
比較の対象にもよりますが、やはり30代で1000万が比較的容易に出るので悪い給与では無いと思っています。
コンサルって全然違う世界に見えるようで、普通の営業さんやシステム屋さんと同じようなことをやっている世界です。
ただし、投資も少ないし、少数精鋭なので給与が高いということです。
ご参考になれば幸いです。
結果的に予想が合っていることが多いとしても、それはあくまでも結果論
(略)
その通りだと思います。
本当もう、完全におっしゃる通りで、今から長文を書きますが、反論とか俺は間違ってないとかじゃなく、
前のトラバでも書いた通り、本当に反省しないといけない事項だと思っています。
僕の元の増田も、同じ事を書いているつもりで、
こう、議論が活発になっていって、ドンドン相手と意見をかわして行くと、
次第に「次に相手が何を言うのか?」を最初の一言二言ぐらいで、予想して、意見を言っちゃう事があるんですよね。
これは、本当によくないなあ、反省しないとなあ、って毎回なるんですけど、中々治らない。
この部分ですね。
相手の意見を遮ってまで、意見を言うのはよくない、と反省している。
なんだけど、次に
話を最後まで聞かないことはあるけど、その話の予想が間違ってた事が、ほっとんど無いんだよね。
と書いてあるから
増田さんは「てめえ、反省しろや! あってるあってはないは関係ないだろ!」って思われたのかもしれませんね、確かに言葉の選び方がよくなかった。
ただ、さらに続いて
「あれ、あのとき先走って、相手の喋りを中断させなかったか?」って思い返して
ぶっちゃけ、仕事の成果物を作るため、という目的に関しては、別に反省するようなことじゃないんだけど、
一緒にやる人を不快にさせてまで、することでもない、と僕は思ってるので、これはちゃんと反省しないとなあ。
ヒートアップしすぎないよう、気をつけないとね。
と言った感じで、ちゃんと自分でも、それによって出来る成果物に差は出るわけじゃないけど、最終アウトプットを作るだけが仕事じゃないんだから、ちゃんと反省しないと駄目だよね。
と書いていたつもりです。
なので、この辺の文章が伝わらないのも、僕の文章がイマイチなので反省しないといけませんね。
もちろん、それが先走りになって間違いを言ってしまうこともあるんだけど、
僕としては「何故僕が間違えたのか?」も含めて、気づきになるので、間違いを恐れずにドンドン発言をしていきたいと思っている。
俺の部下でもこっちが何か質問するとその回答の先を話そうとしてくる
に通じてしまったのかなあ? とも思いました。
ここでいう
それが先走り
っていうのは、
僕「いいですね、ロコモコバーガーっていう新商品が出たらしいですよ」
上司「うん? それマクドだよね? マクドじゃなくてロッテリアのつもりだったんだけど」
こういう先走りを言ってます。
つまり、相手の質問の先を予想したりとか、意見を遮ったりとかじゃなくて、
質問が足りずに、自分の中で補完して、答えを出しちゃうタイプの先走りですね。
間違いがないようにするには
僕「どこにしますか? マクドならロコモコバーガーっていうのが出てるらしいですよ」
こんな感じの方が確かに良い会話にはなると思いますが、
俺の部下でもこっちが何か質問するとその回答の先を話そうとしてくる
元の、マクドナルドと決めつけるような回答は、この文章でいう「その回答の先」ではないと思っています。
そりゃまあ、先と言われれば先なのかも知れませんけど、
ある程度は阿吽の呼吸というか、今までの会話を踏まえて、進めるべきだと、僕は思っています。
この例で言うと
上司側には
「ハンバーグといえば、ロッテリアという共通見解が共有されていない」
であるとか
「昼ご飯の伝達はジャンルではなく、具体的な店名にした方が誤解を招かない」
当然僕側にも
ただ、こうやって会話をすることで
「片方がちょっと会議が長引いて、店内で待ち合わせ、となった際に、2人とも別々のマクドとロッテリアに行っている」という最悪の展開だけは、回避できるわけなので、
そこまで最低の選択肢だとも思っていません。
そりゃまあ、この例ならどうでもいいですが、実際の仕事だと、
僕「出来ますよ、A画面のa項目のOnClickにメソッドを仕込めば可能ですね」
僕「うーん、α機能があるB画面やC画面とはHTMLの構造が違うので、既存のメソッドを呼ぶだけでは無理ですね。
ただ、画面から取得する箇所が違うだけなので、改修自体は難しくないです」
上司「あーそうかB画面と同じ要領で出来るのか、でも関数自体は増やさないといけない?」
上司「それじゃあ、駄目だわ。HTMLの改修だけで済ませたかったんだよなあ」
こんな感じの流れですかね?
もちろん、この会話の流れでも、
僕には
という問題点があるし、
上司には
「メソッドの追加無しに、HTMLの改修で可能かを伝えていない」
という問題点があるわけですよね。
細かく見て行けば
「α機能をB画面やC画面と同様と決めつけている」とか
「既存のメソッドという言葉を、どの.jsファイルの既存かをすり合わせていない」とか
「既存のメソッド? としか聞かれていないのに、改修の難度まで答えている」とか
そういう、先走りもあるわけですよね、これらは偶々合致していたから、問題なかっただけで。
(推敲してて思ったんですが、改修の難度まで答えるのは、もしかしたら不快に思われる方がいるかもしれませんね、すいません)
とまあ、長くなりましたが、全面的に増田さんの意見には賛成です。