はてなキーワード: アウトプットとは
経験年数が長いだけで水準に達してないような人がレビュアーをやっていて、コードの水準を低い方にそろえる役割しかないわ。
ブログで技術系のアウトプットをしてるような意識高い人の企業は、レベル高い人材が揃ってるだろうけど、日本の現場の9割以上はレビューできる人材なんていないでしょ。
以前増田に「今回のプロジェクトは変なコーディングルールとかなくて自分で好き勝手にやれるから、美しコードが書けてるわ」みたいなことを書いたら「嫌な予感」「コードレビューしてもらえ」みたいなコメントが付いてた。
「自分で自由にかけるから美しいコードが書けてる」って話なのに、それに対して「人にレビューしてもらえ」って、とにかくレビューさえしてれば良いコードになるって思い込みだよな。
初心者だと自分のうけてるレビューが良いレビューかどうか判断できないだろうから、見分けるポイントを書いておくと、コードを人数分印刷して、レビュアーとコーダーがテーブルを囲んで、紙を見ながらコーダーにコードを説明させてペンでチェックしながら指導するみたいにレビューをやってるところは100%ダメ。
紙なんかでなくて自分の端末で、エディターやツールを駆使してコードを調べてレビューしてるところは、ヘボでない可能性がある。
Qiitaがサービス開始される前から細々とはてなブログで日々技術的にハマったことや、試してみたことを書いてきた。
何度かホッテントリ入りしたこともあり、同僚が関連技術でググった際に時折私の記事がヒットするようで、それが「あー、ブログ書いててよかった」と思う小さな誇りだった。
しかし、プライベートでいざこざがありインターネット上で別IDで活動する必要ができた。
そこでここ最近、新規に作り直したブログで書き溜めてるのだが、TwitterやFacebookと紐付けていない所為もあって昔のブログ程はてブが稼げない。
新しい方のブログは流入を増やす施策が適切に行えていない為、Google検索でも上位にはなかなか来ないようだった。
別にアフィリエイト目的ではないのだが、転職活動する際に職務経歴書にブログURLを書きつつ「私はこういうブログをやってまして、こういう風に常にアウトプットを続けており、世間からも(PVやはてブ, いいね数など)このように反響をいただいております」と胸を張っていいづらい。
数ヶ月前に書いたエントリが、たまたま誰かが検索経由でブクマしてくれたその日の内に拡散されてホッテントリ入りしていたので、中身の無い記事ではないつもり。
しかし、いくらいい記事を書いたとしても、面接官がエンジニアだとしても、はてブ0, いいね0の記事をすべて目を通してくれるはずも無いので、世間の評価を集める努力が必要なのではと悩んでいる。
昔のID名義でQiitaに書いた時にはそれなりにストックもしてもらえたので、新しいIDでもQiitaに書き続ければそれなりに世間一般の評価が得られるのでは淡い期待をしているが、技術以外のネタを書けないQiitaとはてなブログの両立をどのようにすべきか分からない。
自分の得意な分野の仕事が宙ぶらりんになっている状態を目敏くみつける。
そこで、徹夜覚悟で短時間で、できるだけいいアウトプットをする。
→ おおこいつはやるじゃないかと印象づける
日常的にエライ人とタバコ友達、飲み友達、休憩時間友達になって、おだてて、その人の持っている意見、見識をたくさん引き出す。
これを複数の人とやる。
上記で得た見識を元に、仕事の場で他人の検討に対して、 隙あらば反対意見を述べて、潰せるだけ潰す。
その上で、上記で得た見識をミックスして(場合によっては、上記のお友達からうまいこと助言を引き出して)、さも自分の意見であるかのように述べて、できるだけ自分の意見が通ったという実績を残す。
本業がつくる会社で、自分がつくれない人間であっても気にしない。
上記を繰り返していれば、こいつはデキる奴だと勘違いしてくれる。
学ぶのが嫌いでも、人とうまくやれる奴なら、この方法でOK。
後は、立ち回りをうまくやることに細心の注意を払って、気を付けること。
以上。
その結果、会社がどうなるかは知らない。。どうなるんだろう。。
http://togech.jp/2016/05/27/36354
これだよね。
そもそもなんで批判されてるかわかってないし、
批判されたからと言ってすぐ萎える程度なのが一番腹立つわけですよ。
無理に反論しろとはまったく思わないけど、もっと本気さ見せろやとは思います。
確かに
「新参=まだあまり興味を持ってない人」の話だからそんなんもとめるのは酷だよとか、
やる気をくじくようなことを批判するのはどうかって提言自体には一定の正当性があると思います。
でもさ。
最近「新参らしくない新参」っていますよね。「新参って扱われたいと思ってないよね」って感じの人。
最初からフルの権利を主張したり、あげくほかの人ですらやらないような方法で目立とうとする。
そこまでして出してくるアウトプットが極端にずさんだったり、他人に対して攻撃的だったり、なんかいろいろと「いい加減にしろ」って言いたくなる要素がある。
こういう人って、周りの人としては「いやもうちょっと頑張れよ」って思いますよね。
そういう状態なのに、そこで本人が「新参叩くな」ってお題目を唱えたり、周りの人がそうやって保護したところで誰が幸せになるの?
これって会社や部活で言ったら態度だけでかくて仕事できない新人を一切否定せず甘やかして何でも好きにやらせてやればいいじゃんって主張してるようなもんですよね。
その「保護」が働かない場所では一秒だって生き延びられない希少生物をみんなで無責任に飼育してるだけですよね。
99.5%の人は好きにすればいいと思って放置しますが、0.5%の人が違和感感じてツッコみいれるのは当然ですよね。
なんというかね。
ただ内輪でキャッキャウフフやりたいというだけなら、クローズドなSNSでやるか、目立たないように工夫するじゃないですか。
つまらないもの、視界に入らなければ別に誰もなんも言わないですよ。
でも、なんでそこではてブつけあって目立つようにして、わざわざ視界に入ってくるようなところに出ようとするの?
あげく、粘着されてるだの、村批判だの、バカじゃないの? まず自分の行動をかえりみるって発想がないの?
それがほんとに理解不能なんですよ。
「やり取りに使ってるだけで目立つ意図はなかった」とほんとに思ってる人は、
でも、一部の人間はそうじゃないよね。 あれこれ言ってるけどまだやってるよね。
ああいう不思議な生き物に対して、ひはんするなってそりゃ筋が通らんでしょ。
ネットなんだからブログなんだから何かいても自由だろって主張もアホすぎる。
他人の最大幸福にマイナス効果をもたらしてまで自由を追及することは許容されてねえよ。
エンタメの対極にあるものとはメッセージ性であるような気がしている。もちろんメッセージ性が皆無のものは少数であるから,この場合のメッセージとは「説教くささ」くらいのニュアンスだと思ってもらいたい。メッセージ性が強いものは精神に負担がかかるのだ。イライラしたり悲しくなったりしてしまう。単純にワハハと楽しむのには,メッセージ性は少ない方がいい。たとえばアニメや漫画などで背後に高度なメッセージ性を備えた傑作などもあるけれど,でもそういった作品だってその作品の「面白さ」の本質は,そういったメッセージ性ではなくもっと原始的な点にあると思うのだ。とかくこの世の中はメッセージに溢れている。自分だって,もっと気安く生きていたいのに気がついたらこうしてメッセージを発している。メッセージを発するのは楽しくはない。そこにはリスクがあるからだ。メッセージ性の少ないアウトプットをもっとしたいと思う。でも文章でそれをするのはあまりに難しい。文章を書くと,気がつくとそれがメッセージになってしまう。そしてそういったメッセージは多くの場合無価値だ。だいたい漠然とした不特定多数にしかつめらしく自分の思っていることを訴えたところでなんになるというのだ。そんな時間があるならば自分の身近な場所にいる人間に正しく言葉が通じるよう努力する方がよほど有益と言うものである。もっとやまなしおちなし意味なしな馬鹿みたいな文章をかけるようになりたいものだ。
先日書いた下記の記事に対して、増田にて大変丁寧な補足と指摘を頂いた。以前はブログに思ったことを書いても、なんの反応もなく随分と寂しい想いもしたが、個人的に最大の関心事である『原価』について、ここまで多くの人が関心を持っている状況に感無量である。
御礼も兼ねて、記載された内容について、本稿に関係する箇所につきコメントさせて頂きたい。
まず本記事は、
と私が勝手に理解している点を対象とし、詳細な計算プロセスは除外した。本稿は、今後投稿予定の記事の前提となるものとして記載したが、想定読者は
を対象としたものであって、『工業簿記初学者』を対象とした、『ゼロから学ぶ』ではない。やや不十分に思われる箇所や、過剰に思われる箇所も多いかと思うが、記載の狙いとしてはそういった点にある。
私の書き方が不味く、上手く伝わらなかったのかもしれないが、私の意見としては『この例において、カレーの原価は工程別総合原価計算にて算出されるべき』である。記載の趣旨としては、
たまに、『総合原価計算はどんぶり勘定、個別原価計算こそ正しい原価計算』なんて言っているコンサルが居ます。確かに、製品ごとに費用を集計する個別原価計算のほうが、より正確性が高い気もします。しかしそれは、最終的な完成品に対し、投入した原価が紐付けることが『妥当』であると言える環境での話になります。
であり、それぞれの生産形態・管理方法に合わせた計算方法を選択すべきである。では、総合原価計算と個別原価計算をどのように選択するべきであるのか?は、指図書単位で集計することが妥当か工程単位で集計することが妥当か、ちょっと別の例を挙げる。カレーでは無いが、カレーっぽい液モノ系のお客様でこういった事例があった。
こういった生産体系にて『ある生産要素の投入と生成物との関連性』が明確である場合、個別原価計算法は原価管理の観点からも有益な情報を得ることが出来る。
一方、個別原価計算が不向きなのは『ある生産要素の投入と成果物との関連性』が不明確である場合、例えば中間品にストックポイントが置かれる場合だ。今回のカレーの例のように、共通の中間生成物(カット済み野菜って言えばいいのかな)が存在する場合、中間生成物への生産要素を投入する段階では、最終製品が不明確である場合も多い。その場合、投入時点ではどの指図に対して実績を計上すればよいかわからなくなる。
もっとも、製品だけではなく(工業簿記の教科書には何故か最終製品の指図書のみ記載されている例が多いような気がするが)中間生成物に対しても指図書は発行される。その場合、投入時点での費用計上対象は当該指図でよいが、今度は製品に中間生成物を投入する際、どの指図書での生成物であるのかを一々記録していく必要がある。その為には、在庫は指図書に紐づく形で管理しなければならないようになる。トレーサビリティの観点から厳密なロット管理を行っている場合、インプットとアウトプットの関係が明確になり、実現不可能ではない。ただ、細かく計算を行ったところで、最終的な管理の単位が工程に置かれる場合、苦労したところ特に意味は無い。
これが、
例えば、いっぱいのカレーを作るのに、『今回はnグラムの人参を使いました』ということをいちいち記録するでしょうか?記録を取ったとして、それは正確と言えるのでしょうか?
の意図だ。記録を残すことは重要であるが、それは指図に紐づく形で残す必要はない。工程での消費数量として正しく捉えられていればそれでよい。無理な数値を計算して『個別原価計算をしたら、このカレーとあのカレーの原価の違いが、指図書別に正しく計算できます!!!』なんて言っても、信ぴょう性は無いし、そもそもその情報は必要なのだろうか?結局は、どういった単位で管理を行いたいかによる。勿論、原価標準を策定するにおいては、原単位は最重要事項であることは言うまでもない。
こうやって書いてみると、概ね元増田氏と同意見に達したように思わるるので、全ては誤読を招きやすい文章を書いた私の落ち度である。
原価計算基準は『ガイドブック』(という言い方も変だな。ガイドラインだな)であり、『ルールブック』ではない。改めて思えば、記事の性質から入ってもその点は記載すべき内容であった。生産手法は、各企業の鋭意に常に新しいものが生まれるため、例えば『セル生産方式下での原価計算』なんて考えてみるとワクワクするね。
『一般的かどうか』については、普段担当する企業をベースに考えて書いたが、原価計算の計算手法については、各大学がかなりしっかりとしたアンケートを行っているので、その結果も参照した上で記載している。面倒臭がって省略したが、そのあたりの調査結果もおいおい記載していきたい。
評価者である。パートの人件費はライン長にとっては管理可能だが、ラインの償却費は管理不可能。しかし、工場長にとっては管理可能。本来原価情報は、工場内で広く活用されるべきものであるが、費用の分類によっては評価する者によって異なる可能性がある、ということが書きたかっただけである。操業度は生産量と常に一致するものではないが、『操業度』と書いてピンとこない人向けの説明であるので、生産量と置き換えて理解を促す目的で記載した。
正直、こんな会計のテクニカルタームの違いについて特にあれこれ言うつもりはなかったのだが、ステップとして
という文章の組み立てにするため、このタイミングで入れた。『今期分に調整』という視点は、財務会計寄り過ぎて良くないような気もするし、既に前段で取り上げているため、やや冗長だったかもしれない。
という3製品を製造する工場を想定していた。が、いらすとやに辛口と甘口が無かったため、2品目も寂しかろうと、とりあえずみつけたカレーパンにしてみたんだが、指摘の通り『パンはどこから出てきたんだろう?』という感想は生まれるだろうから、辛口・甘口に戻そうかな・・・。
説明のため必須と判断したので記載した。本稿は、最小量で説明することが目的ではない。一般的な会計システムとの連動・整合の観点から書いておいた。
総合原価計算の小分類一々かくの面倒だなあと想い、どこかのサイトからコピーしたときに混入したものだが、検索してみると『連番品原価計算』という用語を使っている人は存在するらしい。改めて『基準』の当該箇所を眺めて見ると、『連産品原価計算』(ガソリンとかの計算するあれ)は書いていないし、何者なのか俺も分からん。(最初は、『バッチ原価かなんかのことを言うのかしら』と思っていたが)
色々と好き勝手書いてみた。別に回答を記載する義務はないと思うので、アンサーになっていない箇所もあるかもしれない。なんにせよ、原価計算というテーマが話題になって大変満足。その話がたくさんかけてすごく嬉しい。記事本文はおいおい修正していく。また今後も、ごちゃごちゃ書いていくので、その節はよろしく。
■ インターンを雇って失敗した話 | MTRL BLOG.TOKYO
多くから批判を浴びたのに対して、社員の一人yutaishikawaさんという人物が社長を擁護する記事を書いて、火消しに失敗しているという。
■ 「インターン」ですがなにか? | MTRL BLOG.TOKYO
二人の記事の要旨は、インターンとして雇った学生が戦力として使い物にならなかった、金が無駄になった、彼らは批判をされて当然であり、今後インターンを雇わないのも今回のインターンのせいだ、というもの。
読んでたまらなく嫌な気分になった。そして、学生の心情を思い、ため息が出た。
あなたを励まそうと思って、この記事を書いた。「MTRL」「インターン」というキーワードであなたがネットを検索することがあれば、この記事がいつか、あなたの目に留まるかもしれないと思いながら。
どうか、自分を過度に責めることがないように。
まず、あなたの元ボスは、かなり特殊だという認識を持ってほしい。
日本には約260万の企業がある。それだけありながら、元社員をインターネットという公共の場で悪しざまにののしる企業はたまにしか出てこない。さらに言うならば、その中でインターンを採用している企業は4600社ほどになるのだが、インターンシップ制度の趣旨をわきまえていれば、いくらインターン生に不満を持っていようと、それを公言する事はまず無い。
つまり、佐野 恭平さんという人物が、一般的な社会通念を犯しているということ。
何十人とインターンを雇う企業の社長が、その年のインターン生をまとめて批判するのとはわけが違う。その場合は匿名性が守られるからだが、MTRLという企業ではたった二人しかインターンを採用していないというじゃないか。インターンには多くの人が関わっている。親、斡旋業者、大学などなど。そのすべての人が、この学生の「評価」を知ることになる。経営者として社会的地位もあり、信用される人物が、社会人となる前の一個人を、公共の場で口を極めておとしめた場合の危険性を、長年マスコミで働きながら知らないはずがない。
インターン生の成長を願って記事を書いたと、この社長は言い訳するかもしれない。だが、動機が正しければ過失責任すべて免れるわけではない。
子供を虐待する親は、「子供のため」「しつけのため」「わが子の成長のため」と言って虐待する。
教師が生徒を虐待する場合も、「教育指導の一環としてやった」と言い訳する。それが許されるかどうか、考えればわかるだろう。
コンプライアンスをわきまえた普通の企業では、個人を特定できる形でここまでその能力や人格を毀損することはしない。
「ブレストがろくにできたことは一度もない」
「アウトプットを形にすることができなかった」
「口だけであり行動が伴わなかった」
「仕事なんてたいして任せてもないのに、目の前のことにいっぱいいっぱいになり過呼吸になる」
「黙って座っているだけで5000円」
「『ファッション鬱』を着飾って」
社長と社員がよってたかって、教育の失敗、ジョブトレーニングの失敗を棚に上げて、元インターンだった人間を、ここまでくそみそによくぞけなすもんだ。
この記事を書いた社長は、主婦と生活社の月刊誌『JUNON(ジュノン)』に連載も持っているという。
日本全国に流通するメディアに寄稿している人間が、「社会常識を知らなかった」では済まされまい。
yutaishikawaさんは、「あいつら機能してないと思うんで、早々に切ってください」と社長に進言したという。まともな会社の常識のある先輩ならば、半人前の学生を育てようとしても、その芽をつぶすようなことはしない。大学を中退したから社会常識がない? そんなことはあるまい。こんなことを公の場で口にしたらいけないくらいはわかりそうなものだ。社長にしてもこの社員にしても、人間の尊厳や人権をなんと思っているのだろう?
日本では、人権がともすると軽んじられがちだ。キリスト教の「神の前ではすべての人間が平等で、等しく神から愛されている」という確信をもとに西洋では人権思想が根付いたが、日本にはその土壌がないからだろうか。本来ならば、仏教の「一切衆生悉有仏性」という思想に人権思想を接ぎ木しなければならなかったのに、明治維新の神道重視のため、日本の思想の根幹にある仏教が人権をサポートできなかったのが原因だろうか。
戦後70年で、人権思想が大きく根を張り花を咲かせつつある。しかしながらときおり、大企業の社長が労働基準法を守らず土日も忘れて働くべきだと放言したり、新卒採用した人物を過労死させながら反省しなかった人物が議員として選ばれることがある。残念なことだと思う。こうした日本の人権軽視が、ブラック企業を生み出す遠因となっている。
精神疾患を訴えるまでに追い込まれながら、会社ぐるみで中傷されて傷ついたあなた方へ。
初めての社会経験だから、そこでいろいろなことを言われたかもしれない。その通りだと思って、今、自分を強く、強く責めてしまっているかもしれない。それは大きな誤りだ。
もしも一生懸命に頑張ってもうまくいかなかったとしたら、その場所があなたに合わなかっただけだと、まずは思ってほしい。無能だとののしられていても、職を変えたことで大きな成果を上げて、人生が好転した人を私は何人も知っている。正しい場所にいなければ成功することはないのだ。もしもスティーブ・ジョブズがラジオ局で働いていたとしたら、あのように成功しただろうか、と考えてほしい。こうした思考実験を重ねてほしい。
などと追い込むが、それに騙されないでほしい。
そして、一人で悩むのではなく、こうした問題に詳しい人に悩みを打ち明けてみてほしい。そうすれば、心が軽くなるかもしれない。
たとえば、b:id:dennou-kurage氏は『脱社畜ブログ』というブログを書いていて、ブラック企業全般について詳しい。あなたが会社の中でどのように扱われたのかを、情報提供してみてはどうだろうか。
また、「はてな」には多くの論者がいる。彼らの意見に触れて、洗脳を解いてほしい。たとえば、常に弱者の目線に立ち、日ごろ感じる憤りを長年ブログに書き続けているkyoumoe氏の『今日も得る物なしZ』や、揉め事に詳しいhagex氏の『Hagex-day info』という著名ブログ、様々な難問を冷静に斬ることで有名な女性ブロガーtopisyu氏の『斗比主閲子の姑日記』などをのぞいてみるのもお勧めだ。彼らの正論の中で、常識を取り戻してほしいと願ってやまない。
それにしても問題は『JUNON』という雑誌である。次代を担うべき、貴重で弱い学生を数か月で精神疾患寸前まで追い込み、辞めた後も侮辱するような人間に執筆の場を与えるということは、彼の行動を支援するということに他ならない。「主婦と生活社」はどうお考えなのだろう?
こんな雑誌に広告を載せている企業もまたしかりだ。現在の号や次号に広告を載せている企業には(時間的に)責任はなかろうが、次の次の号に広告を載せた企業は、今回の社長の行動を黙認していると考えて間違いなかろう。それはどういう企業なのか、機会があれば追ってみたいと思う。
毎日100以上記事読んで、ブクマして、スターつけて、Twitterやらfacebookにシェアして。
自分は情報を大量にインプットしてるつもりだった。なんとなく勉強して偉くなったつもりになってた。
でも、そうやってため込んだ知識は他の人と話すときに何の役にも立たなかった。
つまり、これはインプットじゃあなかったわけだ。だってアウトプット口がないんだから。
少なくとも現時点では、ただの消費になっているのは間違いない。
一日の時間の大半を費やしている作業がただの消費で終わってしまうのではまずい。
そうそう、ずーっと頭にあるんだよね、仕事でもプライベートの予定も
他トラバにもあるけど、ToDoリストや携帯のスケジュールなんかにアウトプットするのがいいんじゃないかな
アウトプットして管理すると頭が楽だし、管理するものが多くなったり・年とって記憶がおいつかなくなったり
一昔前だとクイズ王なるものがテレビに出る時代もあったが、この界隈も冷え込んでしまった。
最近ではクイズと言いながら、芸能人が(おそらく台本通りに)茶番を繰り広げる番組ばかりになっている。
それは一般人の個人情報云々というのももちろんあるが、情報のインフレ化というか、
手元のスマホでググれば大抵のものは出てくる、という今の状況とも無関係ではないと思われる。
情報を情報として知っているだけでは、今の時代別にすごくはないし、従って何の価値もない。
ガキの頃から言われていた話だが、本当にそうなったのはつい最近のことのように思える。
もちろん、それ自体は技術革新の成果だし、決して悪いものではない。
何かを聞くにあたって、相手の顔色を伺う必要も、余計なうんちくを押しつけられる危険もなく、
安全に情報を手に入れることができるなら、そっちの方がいいに決まっている。
そしてそうなれば、情報そのものの価値が低下するわけで、相手をいい気分にすることができる人間や、
リテラシーの低い人間にもわかりやすく説明できる人間がもてはやされるのは、当然といえば当然の流れだ。
ただ、そういう能力というのは、鍛えようにも鍛えられる部分ばかりではなく、
在宅勤務ってさ、働き方の選択肢としてすごくいい制度だと思うよ。
会社来ている時は夜遅くまで働いといて、在宅になったら定時に仕事終えるって何、それ。
残業代払われない中会社行ってその分仕事している人からの怨念を受けていると認識しろ。
会社は、在宅推進してまーす、ジェンダージェンダー女性大事にしてまーす、言いたいからな。
そこだけ利害が一致してるわけだ。
だから元増田には「知識は身に付く」って書いてあっても、アウトプット力を身に着ける方法は分からないから、
誰かまとめてくれって言ってるやん。
多分、その気になれば、そこまで難しいことではないと思う。
以下、列挙していく。
ネットはリアルタイムでトップに来る項目が変わるため、「その瞬間」のニュースに惑わされる。
それより、「昨日一日何が起こったのか」をまとめられたものを読んだほうが良い。
リアルタイム性にこだわるより、きちっと、毎日何が起こったのかを、把握するほうが良いし、
そこまで「瞬時にニュースを知らなければならない必要は、あんまりない。株取引とかやってなければ。
あと、何をトップに持ってきて、見出しをどの大きさにするのかは、新聞社のニュース価値の判断を示しているので、
蔑ろにすべきではない。
産経は、思想や主義主張以前のレベルで、誤報や事実誤認が多いので(他紙に全くないわけではないが、産経よりまし)
あまりお勧めしない。
「読売と朝日」、「日経と毎日」とか、傾向の違う新聞を併読すると尚可。
とくにビジネス方面に強くなりたければ、当然、日経がメインになる。
それぞれのジャンルの入門書や、最近話題のトピックについての概説書が毎月出ているわけだから、
うまく活用すべし。
池上氏が選挙特番でお得意とする「創価学会ネタ」なんかも、十分新書レベルで手に入る。
で、ちゃんとした著書のちゃんとした書籍ならば、参考/引用図書とかでてるから、さらに深堀りしたければ、
そこから入るのが近道。
とりあえず、自然災害からテロ、科学上の大発見まで、大きなトピックはたいていNHKスペシャルで「最新報告」をしてくれる。
受信料に対する怒りが軽減される。
ネットの情報が玉石混交なのは今更いうまでもないが、けっこう使えるのは、「議事録」とか「発表資料」とか
「記者会見の映像」とか、その他、いろいろな「原典」に直接当たれるのが、最大の強み。
多分、これくらいのことを継続していけば、
「あの人、いろんなこと知ってるねえ、池上さんみたいだねえ」と尊敬される程度の知識は身につくと思う。
ただし、これはあくまでインプットの方法なので、アウトプットの仕方を間違えると
ただのウザい人になりかねないが。
池上彰という人は、抜きんでた専門分野もないし、
ジャーナリストとしても、ものすごいスクープをとったことがあるとか、そういう実力はないと思うけれど、
情報を取捨選択してわかりやすく伝える能力と、選挙特番に見られるような、瞬時に判断して的確に質問する力がハンパないと思う。
残念ながら、こういうアウトプット能力の磨き方は、うまくまとめられないので、
どこかの増田さん、まとめてくれないだろうか?
オタク向けコンテンツで有名になった漫画家はじめクリエイターが、同じ名義で結婚、出産、育児エッセイ漫画を発表する光景をよく見るようになったように思う。それが自分にはしんどい。
例えば漫画家なら、育児などを機にストーリー漫画を休みがちになってしまうのは残念ながらに仕方がないと思う。
だが、そちらをほぼ休載状態のまま、どこかでみたような育児コンテンツを発表するようになった日にはただただ悔しい気持ちになった。
これは子供を持ったひと一般に言えることで、元々オタクだった友人らが子持ちとなり、SNSが子育て一色になってしまうのはよくあることだ。
(これについても複雑な気持ちはあるが、こちらに関しては自分の僻みが9割だと思うので割愛する)
勿論、作家は発表したいものをアウトプットし続けられるのがあるべき姿であると思う。
自分は、あなたの内面にあるあなただけの世界を見るのが楽しみだったのだ。
つい、寂しく思ってしまう。
自分は未婚のオタクであり、ただ単に他人の結婚に僻みや羨ましさを感じているだけなのかもしれない。
このような場合はそっと離れるのが一番いいのだとは思う。
好きなものを好きでいつづけるのは難しい。
http://anond.hatelabo.jp/20160423184004
面接のテクニックとかじゃないけど、趣味を尋ねられたときにそれが余暇の過ごし方とかいうどうでもいいことを訊いてるんじゃなくて、
時間を割いてどんなものを得ようとしているか、実際に得ているものは何かを訊いているのではないかという思考に至るくらいの想像力は必要なんじゃないのかと思った。
自分の思考や価値観はどう変化したか具体的な本を挙げて言える?
それとも文学的とまではいわなくても、書や表現に関して何か体系的なところに興味があるの?
本を読んで得た知識で何か作り出したりアウトプット出してるの?
実は本を読んで終わりなんじゃないの?