はてなキーワード: アウトプットとは
すごいエンジニアは残業少ないが、すごくないエンジニアは残業多めだ。
すごいエンジニアは給料が高いが、すごくないエンジニアは給料が低い。
すごいエンジニアは転職も積極的だが、すごくないエンジニアは転職に非積極的だ。
すごいエンジニアは使える言語が沢山あるが、すごくないエンジニアは片手で数える程度しかない。
すごいエンジニアはコードを作るが、すごくないエンジニアはコピーを作る。
すごいエンジニアは休憩の取り方が上手だが、すごくないエンジニアは休憩の取り方が下手だ。
すごいエンジニアは出来ない事にNOと言えるが、すごくないエンジニアはYESしか言わない
すごいエンジニアは知識のアウトプットとインプットをするが、すごくないエンジニアはインプットしかしない。
すごいエンジニアはTwitterのフォロワーが多いが、すごくないエンジニアはフォローが多い。
すごいエンジニアは本を読むが、すごくないエンジニアは本を読まない。
すごいエンジニアは草を生やしているが、すごくないエンジニアは草が生えない。
すごいエンジニアは英語ができるが、すごくないエンジニアは英語ができない。
すごいエンジニアはプライベートが充実しているが、すごくないエンジニアはプライベートが空虚だ。
増田さん、逃げ延びることができて本当に本当によかった!
もしかして、逃げ切ったあとの高揚感が切れてしまった時に、罪悪感が湧いてくるかもしれないです。でも、それは変化への反動にすぎないから、どうかあっち側に戻らないでなんとか踏みとどまってほしいです。少しでも精神に不調を感じたら、聡明なお友達にアウトプットしたり、心療内科に行ってくださいね。
私も昔、同じ目に遭っていました。昔だったから今ほどDVが知られてなくて、どうしていいのかわからず、なかなか誰にも相談できず、お金が許す限り住居を変えたりしてなんとか逃げ回ってました。
(国外へ行こうって時に成田のカウンターの前で待ち伏せされてたときはさすがに命を危険を感じたな...)
DVに対して肯定的なことや心ないことを言う人は必ずいますが、それは増田さん個人や人格に攻撃しているのではなく、ただただ自分が正しいって顕示したいんだと思います。踏みとどまるよう言う人も同類ですね。まあ、引き続きそっと距離をおくのがベターですね...
まず初めに、こんなところで自分のエロ話をしていいのかどうかわからないから最初に謝っておきます、ごめんなさい。あとオチもないです。
普段から結構本とか読むしゲームするし同人ゲーもするんだけど、この同人ゲーをたくさんしていくうちに自分の中で何かを表現したいという気持ちが強く表れる。
ゲームや漫画・映画でもそこそこそういう気持ちは湧き起こるんだけど、こと同人ゲーにおいてはもうそれはぐつぐつムラムラと湧いてくる。
自分の趣味趣向にカッチリ合ったエロゲーなんてのは存外に少ない、合っても7割ぐらいだと体感でそう思う。
この趣味趣向が自分にとって10割100%バッチリ決まった作品をどうすれば見つけられるのかって言うとこれはもう自分で作るしかないのではという結論に至った。
でもまぁ何かを表現するためには、イメージをアウトプットできる能力が必要なわけで、そして僕は絵が描けない。これがとても辛い。
そりゃ素材やらなんやらは最悪金出して描いてもらえば何とかなるんだろうけど今度はプログラミングができない。ないない尽くし。ついでに言うと金もない。
プログラムも正直ツクールとかで何とかなるかもしれないけど納得できない。絵もプログラムも自分が何一つ携わってない物で、自分の中のものを表現できるとは思えない。
これから絵の勉強とプログラムを頑張るにしたってもう20過ぎたし就職のことも考えなきゃいけない。「ゲーム会社に入って頑張ればいいじゃん」なんて思う人もいるかもしれないけどそういうわけでもない。
あくまで仕事として表現したいんじゃなくて、自分の中の思いとか好みとかを自分のために納得のいく形で表現したいんです。あわよくばお金も出してもらいたいし褒められたいけど。
日常生活してる中で「あっこれ使えるかも」なんて閃きがあって、実際描いて(書いて)みても納得のいくものにならないし余計にむしゃくしゃして自分のスキルのなさを呪うのはなかなかに辛い。
とにかく自分の頭の中のものを何でも表現したくなってきたんだ。ただただそれだけをしたい。でもできない。確実に一歩一歩絵のスキルは上達してはいるかもしれないけど正直気が遠くなる道のりだ。
世の中のクリエイターさんってすごいよ、本当に。僕もいつか自分の中のものを納得のいく形で表現できるように頑張ります。それがエロゲーか漫画か映画かなにかはわからないけど。
いつかアウトプットする側になることに備えて、インプットを続ける人生も悪くないんじゃないかな
きっと今はそうじゃなくても、いつか、そのインプットをアウトプットにする瞬間は来るかもしれないよ
自分はテレビも見るしネットも見る、本もよく読むし、ゲームもする。落語や演劇や野球を見に行ったりする。一人でいくらでも暇を潰せるタイプの人間だったのだけど、それが最近辛くなってきたというか、素直に楽しめなくなってきた。
消費してるだけではないかと。何を食べても、いくらかは細胞になってあとはうんことして排出されるだけと思うと味などどうでもよくなってしまう。
全て自己完結だし、インプットは多いが、それが自分を豊かにする栄養になってるかどうかもよくわからない。アウトプットすればいいのかとも思うが、面倒だ。絵が描けるわけでもないし、文章が書けるわけでもない。話す相手もいない。
人生楽しんでる人はどうやってこの虚無と向き合ってるんだろうか
もう何度も出尽くされた話だけど、数年作る側として同人誌を頒布してみて価格について自分なりに考えたことをまとめようと思ったので。
価格のことはイヤでもついて回ったのであくまで一個人の考え方としてアウトプットしてみる。
そもそも弱小サークルなので印刷費+スペース代がとんとんって感じだったけど、それでも最終的に大きな赤字にはならなかった。
これは本自体を少しだけ多めに刷って半年以上(本によっては一年とか)+通販で在庫を捌けさすスタイルだったことももちろんあると思うんだけど、私のようなへっぽこが趣味として同人をしていくうえで赤字が少なくすんだのはジャンルとカップリングと毎回新刊を手に取ってくださった方々に感謝するばかりです。
私はこれを「多少は儲けたっていいじゃん」と思っている人だけど、黒字がでた分に関してはできれば他の人の同人誌買ったり、お世話になってる印刷会社さんにお金を落としたりしてくれれば嬉しいなぁとは思う。
私のカプでも【多少は黒字でたっていいじゃん派】と【同人で黒字なんてもってのほか派】と両方いた。
んで私の周りの【同人で黒字なんて~派】はとにかく儲けている人への攻撃がすごかった。
あくまで私の周りだけだから特殊な人が集まっただけだと思うけれども、黒字をだしてそうなサークルでノベルティ等で還元してなさそうな人はもうなんか思い出したくも無いレベルで罵っていらっしゃった。闇を聞いてしまったと思う。
これはすごく勝手な分析だけれどもその人たちはおそらく「ジャンルに対して真摯な自分」であり「ジャンルで儲けようとしてる人間」を許せなかったんだと思うし、「自分たちがやってないことを平気な顔してやってる人」に腹がたって仕方が無かったのかな、とも思った。
これは、同人に対しては半分正しくて半分間違ってることだなと思った。
例えば普通の趣味で、何か習い事をしたりするってなったときに先生との相性、立地を含む通いやすさとかを見ると思うんだけど富豪でもない限り必ずそれに伴う料金を考えると思う。
少なくとも私は見る。めっちゃ考える。続けていくうえでどこまで趣味に投資できるのか。お金を使えるのか。自分の月収から趣味に対してどこまでの金額を使えるのかっていうのは結構重要なことだと思っている。
普通の趣味もしくは習い事(例えば語学教室とか料理教室とか)って同人と違って金銭のリターンがあるほうが珍しいんだよね。
だから趣味は赤字が当たり前で、その赤字(というか自己投資なんだけども)を財布と相談したうえで現実的な値にするかというのも本人に決定権がある。
同人は誰かに強制されるわけじゃないから多くの人にとって趣味だけど、当人と印刷会社だけ額を決められないんだよなぁっていうのに同人誌を作りはじめてちょっとたった頃に気付いた。
私の月収、生活環境から一ヶ月の趣味にあてられる金額は2,3万円ぐらいが自分の中での目安だっだ。
参加する即売会イベントは基本的に2,3ヶ月に一回、ぐらいなので一回のイベントに対して掛かる金額は4万~6,7万ぐらいになる。
ここから私は【交通費】【スペース代】【印刷費】【当日買いたい同人誌】を全部まかなっていた。冒頭でも書いたけども弱小サークルなので基本的にこれだけの額があれば上記はクリアできたし、頒布側の人はわかると思うけれどもこれがいっきににドカンとくるわけではないのであくまで目安としてほしい。
一例としてあげると
一月:スペース申し込み代金4千円~6千円
二月:印刷費(私の場合)約3万~5万(部数とページ数によっての変動や印刷会社による価格の違い)
三月(イベント当日):交通費(東京の場合往復で5千円程度)、同人誌の購入費平均2万ぐらい
こんな感じで多少の変動はあれどまったりとやっていた。
ところがどっこい。私ももちろんサークル参加するとあるイベントで嬉しい誤算が起こった。
再録、アンソロ、分厚い個人誌のオンパレード。同人誌は一期一会買わなければ絶対に後悔する。
馬鹿だと思ってくれていいんだけどそれはもう欲望のままに買った。戦争は大勝利だった。財布はもちろん瀕死だった。
冒頭にも書いたけれど私は本自体を少し多めに刷って、半年ぐらいは持つように在庫を持っていた。
新刊の内容や装丁、参加者の入りに左右はされるけれども基本的に一度のイベントで印刷費が回収できることはない。そういうサークルでした。
このイベントで私の本が売れたかっていうとまぁ、まぁいつもと同じでした。
つまり私は予算オーバーをし(これは自己責任であり本が摂取できてるので心は安らかだった)、イベント以降も自分にとって大きな額の赤字引きずったままだった。
続けていくためには黒字にできなくても現実的な赤字に戻さなければ生活は圧迫されたままだ。
結論を言うと印刷費を削った。ページ数は無理だったし装丁はオプションのせてなかったので部数を削りました。
毎回イベントでは余ってるし、半年~一年持たせなくてもとりあえず落ち着くまではイベント一回分と通販あればいいかなって。
本を作るのは好きだし、手に取ってもらえると嬉しい。でも私の場合は人が作った本も欲しかった。次のイベントもおそらくこのフィーバーは続く。アニメ化して人気だったし!!!次イベは丁度推しのパートだし!!
買いたい本に割く金額が増えるのだから、使える金額の上限が決まっている以上どこか切らなければならない。
いつもより人が増えた今回のイベントで新刊の頒布数は変動していないのだから減らしてもいいだろう。そう思ったのだ。
そして次のイベントではありがたいやら部数読み間違えて悲しいやら新刊はまさかの完売だった。
受け入れてもらいやすい内容だったのも影響したのかもしれない。その本はイベント開始から1時間もったかどうかも怪しい。
サークル活動を続けて私はここで初めて複数名から「再版ありますか?」と声を掛けられた。
刷れば刷っただけ一冊単価が下がるのが同人誌だけれども、部数を減らした私は完売しても印刷費分がやっと回収できるレベルだった。
金銭面を総合するとここでやっと普通の生活に戻れるラインにはなっているが、正直再版は厳しい。だって既刊はまだ残ってる。これ以上部数を落とせば原価割れで売れても売れても赤字になるわけで、残っている既刊が全部はければ再版分の赤字を補えるがそんな奇跡に期待するのは厳しい。果たしてその赤字は私の中の現実的な赤字に納まるのか?その赤字を抱えたまま次の印刷費は捻出できるのか?と思うと再版はできない。
ごめんなさい、と言うしかなかった。(今でも読みたいと言ってくれた方がいたのに再版する財力が無かったことを悔やんでる)
それまでが長めに頒布するスタイルだっただけに、いつも手に取ってくださってた方々も「あのサークル(私のサークル)は長めに頒布してくれるから後回しにしても大丈夫だろう」と思ったのだと思う。私も買う側なら私のサークルをそう判断する。
結果として手にはいらなくてももちろん自分の判断を悔やむしかない。けれどこの時ふと思った。
「あれ?これって私はこの程度で済んでるけどシャッターや壁なんてこのレベルじゃ無理だよな?っていうか文句つける人でてくるだろ」と。
有名になればその分だけいい人も悪い人もついてくると思う。
そして有名な人がみんな財力をもっているわけじゃない。
私の印刷費はかかっても過去最高で5万円ぐらいだったけど(それでもこの額を振り込むときは勇気がいった)、大手サークルはなんかもう「私の生活費からだせる印刷費はここまでの額で刷れるぶんだけ!」って決められるレベルじゃない人ばっかなんじゃないだろうか…
みんなが富豪なら問題ないけど、きっと人気のあるサークルさん(壁やシャッターだけでなく)の中には学生さんもいたりするんじゃないか。そしてその人たちの財布の状況とは別に需要が発生してしまうんじゃないか。
私は自分の頒布数と印刷費が自分で決めれるけれど、そうじゃない人もいて、そして需要を作っている人間に間違いなく本を買った私も含まれているのでは?
そう思ったら【同人誌で黒字なんてもってのほか派】が途端に恐ろしくなった。
いやいや、だって、本が買えなかったら悲しいじゃん…本欲しいよ……買わせてくれよ……印刷するための多少の黒字は確保しててほしいよ……
次の印刷費にあてるだけの黒字は持っててくれるほうが安心するよ……再版で毎回赤字のリスク抱えるのやめてくれよ……額でかすぎたら心臓キュってなるじゃん
次の印刷費の満額だすような黒字じゃなくてもさ、せめて半分だけでも黒字分を確保してくれてたら安心だよ…
女性向け界隈では人を叩くのに使われる「完売はわわ」「再版はわわ」というのがある
最初はツイッターとかで「完売しちゃってごめんなさい><はわわ」ってする人のことだと思ってたんだけど、毎回毎回再版してる人のことをサークル側が「いい加減学べば?馬鹿じゃないの?」と言ってたりもする…女が集まってるんだからこんなのはたぶんどのジャンルやカップリングでも多かれ少なかれでもあるのかな、と思う。
私の場合は買う本を減らせば印刷費に当てられたけど、たとえば最初からどうしても我慢が出来ない分しか本を買ってない人にそこを我慢して印刷費にあてろというのは酷だし、そもそも既にそこを削っている人もいるかもしれない。
私は欲望を抑えられなかっただけなんだけど、今は不景気だし減給とかあとフリーランスの人は収入自体が左右されたりするんじゃないかな、と思うとやっぱり赤字を現実的な額に抑える努力は必要だし、赤字抑えた結果の本が手にはいらなくなるぐらいなら黒字だしていいから刷ってくれ!頼む!って感じがする。
こういうのを誰かと話す機会もなくなってしまったのでどこかに頭の整理として書きたかった。
作品は自分の子供なんです!とか、本が売れないと創作意欲が萎えるからとか、神のアフター代まで賄うべきとか、印刷費以外の経費のことを考えろ!とか私はそういうことを言う気はさらさらないです。
ただ「欲しいと思った本」が「その時に欲しいと思っている人に届けられる冊数」が成り立てば最高だなって思ったら、黒字は金銭的にはもちろんメンタル的にもすごく大事なことなんじゃないかな、と思いました。
うんだからそういう議論の際を論点としていたなら「いつでもどこでも」「なんかあるたびに」などと言ったりしないからな
前増田のように、「この場合は差別に該当するのか」「この差別への対応には過剰すぎる対応ではないか」「もっといいやり方はないのか」などの主張が本題の場合
つまり被差別者は差別されている当事者にもかかわらず差別されたというキズを晒すことすら許されないのね
当事者を置き去りにして当事者感覚のない議論したつもりの自己満オナニーに黙って付き合え!!ってことなんだよなぁ
そりゃあそういう議論ではマジョリティ様が勝つよね、ネット上の議論でもだいたいが自分にとって心地良い意見が出た時点でそれを結論とするクズばかりなのだから
それ故にポリティカル・コレクトネスが求められているのに部外者でありながら不快を感じたくないマジョリティ様がワーワー騒ぎすぎ
挙句の果てに「差別を受けた内的情報」を根拠に「もっといいやり方はないか」という意見を出すことすら封印するだろ
そりゃあ当事者意識のない外野がワーワー騒いでマジョリティであるおかげで自分たちにだけ心地良い結論を出しやすい環境を整えていたら属性で黙らせる以外方法はないからな
感動ポルノとおなじで外野のくせに「考えてますよ~」という知識人オナニーの道具にしか使われてない
なぜそう思った?「有益な情報」はインプットだけど「オレサマのきんもちよくなるフレーズを浴びせる」はアウトプットだ。
最初の増田からず~~~~っと議論したい、止揚を求めたいと言ってるじゃん。沈黙したらそこで終わりなんだし俺の目的も果たせないの。
おまえの目的?あぁ被差別者を黙らせて部外者で議論して心地よくなって被差別者のことなんか明日には忘れてすっきり生活するオナニー欲求のこと?
そんだけ議論したい話を聞いてもらいたいならまず被差別者の開示にもキチンと向き合って受け入れてもらえる状況を努力して作ってからにしような。
おまえの開示には付き合わないがオレの自称有益な情報や議論には付き合え、あぁおまえの被差別性には興味ないし明日には忘れるけどなというスタンスで他人から受け入れてもらえるとか想像力がなさすぎ
言いたいことがまるで伝わってないぞ
そう応答するってことは
「被差別者の内面」っていうのは「差別を受けたときにこのように心理的ダメージを受けましたなどという発言者の内的情報」って理解でいいか?以降、この理解で進む。
TPO上この情報が必要なのは「差別を受けてもダメージなんて受けないじゃん」という主張が本題の場合だ。
前増田のように、「この場合は差別に該当するのか」「この差別への対応には過剰すぎる対応ではないか」「もっといいやり方はないのか」などの主張が本題の場合
「差別のダメージ」については議論に上っている全員が共有している情報なんだ。それはもういらない。
挙句の果てに「差別を受けた内的情報」を根拠に「もっといいやり方はないか」という意見を出すことすら封印するだろ
(直接的には、「もっと優しく言ってくれないと~~」のワードが一番顕著に使われる)
この状況を一番問題視しているんだ
なぜそう思った?「有益な情報」はインプットだけど「オレサマのきんもちよくなるフレーズを浴びせる」はアウトプットだ。
ここの基本的な理解がまずおかしいので、後の話が全くつながらないのだ。
結局沈黙を強いろうとしてるだけじゃん
最初の増田からず~~~~っと議論したい、止揚を求めたいと言ってるじゃん。沈黙したらそこで終わりなんだし俺の目的も果たせないの。
個人的に、インターネットは物理的に本当に手斧や石が飛んで来ることがなく、
idも変えれば過去の人格も簡単に切り離せる、これはマジで知識を集約するのに適した場だと思う
せっかくのそういうアドバンテージをなし崩しにするような行為はもったいないし、増田やはてブロがそんな場所になるのは悲しい。
IT業界の問題がいつも話題になるけど本当の問題をみんな勘違いしていると思う。
ゴールの見えない仕事と重圧により耐えられなくなったメンバーの病欠や離脱。
それらがまた品質の低さと遅延の原因になる。
デスマーチなんてよく言われてるけれどもね。
これらの原因は無茶なことを要求する顧客のせいであり、技術的な知識がないから実現すべきことが簡単にできると思っている客先の業務担当者のせいであり、そんな無茶な客と契約してしまう営業や営業から降りてきた案件を大して精査せずに受け入れてしまうプロジェクトマネージャーのせいだと。
でもちょっと待ってほしい。
例えば契約締結後の仕様変更。ここで理不尽な要求があったのなら法廷闘争レベルに持っていける事柄でないだろうか。
契約書と見比べて明らかに追加案件ならば追加工数と追加スケジュールをもらうべきであり、その交渉をするべきなんだよ。
そのためには自分が参画するプロジェクトの要件定義やその背景の資料、そして契約書の内容把握が必須だし、客先からの要求を受け入れるかどうかの判断を現状を鑑みて営業と相談する、そしてそこで受け入れるかどうかを決める。さらにそのためには営業とのコミュニケーションを普段から取っておく、信頼関係や定期的なコネクションを作っておく必要があるはずだ。開発で毎日忙しいのにどうやってそんなことをすればいいのか、と思うかもしれないけれども実際は可能だと思う。自社内イベントは何のためにあるのかという話。ただ楽しく同僚と飲み食いする場ではもちろんないんだよ。普段現場では話せない別の部署や別の職種、別のプロジェクトの人、偉い人とコネクションを作るための時間なんだよ。
客先の案件を断ることができるのは非常に能力の高い人間の証。その効果は単にプロジェクトを守るだけでなく会社の利益率や稼働効率を高めることに直結する。会社は利益率の悪いプロジェクトに人員を割くよりは利益率の高いプロジェクトに人員を割きたいのだ。メンバーとして入ったとしてもこの流れをマネージャーが行っているか、行っていないなら行う様にする必要がある。
見積もりの甘さがプロジェクトの遅延を招くことに対しても対策は多い。メンバーとして後から入った場合にすることは見積もりの根拠を聞くこと。そこに整合性があるかを判断しておく。また、過去の同類プロジェクトと比較して多寡をはかる。
問題を提起している人はいるがその問題を教訓にして共有情報資産にして次回からのプロジェクト運営に生かしました。という話は聞かない。でもそういうことって大手SIやコンサル会社などではもちろん当然に行われている。
地頭が悪く、学歴も低く、コミュニケーション力も低い、顧客や営業その他の理不尽な要求を突っぱねる度胸もない。
そんな奴はIT業界に限らずどんな環境でも仕事ができない人間だろう。
使う側からすればそんな奴は非常に低い評価をすることでしか取引の相手とはならない。
下請けのパーツとしても会社の労働力としても魅力的な要素がない。だから競争力がない。
他の人と比べて秀でている部分があれば別の取引先、別の会社で雇ってもらうとか選択肢が生まれるはずだけどそれ自体持っていないからね。
なぜか一部の人は日本のIT業界と比較してアメリカはこんなにも素晴らしくIT技術者の年収は1千万や2千万を超えることも珍しくないと言い出す。しかし彼らはどういう仕事をしており、どういう人間であるかを考えたことはあるだろうか。
彼らは一流の大学や大学院を出て最先端の技術とその運用方法やビジネス的に効率の高い応用を実装する力があり、その力をクライアントに認めさせる力がある。クライアントや会社側がそれを理解することができない位本人とのレベルの差がある場合、すぐに起業して自分の力を発揮する場所を自分で作り出す。これだけのコミュニケーション力、ビジネス力、行動力が備わっているからこそ高い条件で雇われることができる。それはつまり交渉力があるってこと。国によって業界の構造が悪いなどと問題のすり替えをしてしまうけど、もし日本の技術者が相対的に低賃金で高いアウトプットができるのならばアメリカの仕事をアウトソースする形で日本に仕事が割り当てられるようになるはず。そんな機会をアメリカの利害に聡い経営層が見逃すはずがない。それがないということは何を示すかということ。
すべてはものの言い様、とはよくいわれることばだが、それは、家畜や人間の管理にも通じている。
A, B, C, ..., G, H の 8人のグループを管理して自分のために利益をもってこさせようとする時、
分割の仕方は何でも良い。その時の運営に最も適した差別をすれば良いのだ。
たとえば外向性で A, B, C と D 〜 H の2グループに分ける。A側は外向的で営業に向いている、D側は内向的で事務や単調労働向き。
その際大切な3つのことを挙げる。
思考回路の単純な人は、「その仕事について」の部分を理解せず全能感に浸り馬車馬のように動き回ってくれる。予期せぬトラブルの尻拭いをするリスクは生じるが、長期的にはコスパによる利益がそれを帳消しにする。
それほど馬鹿でない人は、自分のスキルの仕事への適性を考えて分相応なアウトプットをしてくれる。
つまり、事務仕事や掃除などについて「作業着がカッコイイ!」「そんな表作れるのは君だけ」とほめそやすことである。
やはり馬鹿は舞い上がってくれるし、いくぶん利口な者は媚びへつらいながらも仕事を続行する。
これが最も重要だろう。賢明な方はお分かりだろうが、たった一つの差別では、分かれたグループ同士の対立と内紛という結果が待っている。
いくつもの差別(例えば、気の利き方、性格の優しさ、ルックス、酒の強さ・・・)を重層的に与えることで、羊共のあいだの「分断された」「支配された」という意識は薄まっていく。
なんでみんな努力次第で何でもできる、みたいに思ってる節があるのか不思議でしょうがない
だってさ、世の中には必死に必死に努力して、それでも全く報われないって人が掃いて捨てるほどいるじゃん?成功者よりもずっとずっとさ
そういう人たちに努力が足りなかったね、なんて残酷なことを言える人たちはサイコパスかなんかなの?サイコパスだらけなの?
そりゃ努力は必要だし、すれば過去の自分と比べて上達もするよ?
だけど、人と比べてどうか、ってことになるとこれは全然別問題だよね
よく努力の才能、とかなんとか言うけどさ、これもなんか違う、というか…
ちょっとメジャーで、競争者が多いジャンルだったらさ、みんな死ぬ気でやるっしょ
人間に与えられた時間は等しく有限、1日は平等に24時間でさ、努力の総量でそんなに個人差が出るわけ無くない?
それなのにアウトプットに凄い差が出るってのはさ、やっぱり才能がすべてなんだよ
イチローより努力した人、なんて山のようにいるんだろうけど、イチローはただ一人だよね
まあ作家とかプロスポーツ選手みたいに競争相手が多くて、ほんのトップしか成功(生活)できない、って分野はそんなにないし、たとえばネジを回すだけ、みたいな才能も努力もクソもない分野でも一応食っていけるから大した問題にはならないけど、さ
ツイッターで群れてマッドマックスやパシフィックリムや、最近だとシン・ゴジラをネタにして大暴れしているような手合いのことなんだけど。彼らはなんであんなに偉そうなのか、理解に苦しむ。
そもそも映画なんか1800円払えば誰でも見られる。黙って2時間椅子に座っていることさえできれば、あとはなんの技量もいらない。
だから映画という娯楽はダメだなんて言うつもりはない。むしろ「誰でも参加できる」というのは映画という娯楽の素晴らしい点だと思う。
しかし映画クラスタはその誰でもできる至極簡単な「映画を見る」という行為をするだけでめちゃくちゃ偉そうにしている。おれたちは映画の魅力を語れると思い込んでいる。
「映画を見た後に気の利いたことを言う」というのが難しいのはわかる。けれども、的確な批評は映画を見るという行為を豊かにしてくれる。
しかし、インターネットで見かける、「映画クラスタ」を自認しているノイジーな連中の言うことが面白かった例しはあまりない。
やれレーザーIMAXだと見え方が違うだの興行収入が高いだの低いだの、幼稚園児でも言えるようなことばかりツイッターに垂れ流している。
とにかく言うことが皮相的で浅い、というより、そもそも何も言っていないに等しいのが大半だ。
なかには面白いことを言う人もいるけど、大半は本当に誰でも言えるようなことしか言っていない。どいつもこいつも。
そのくせ立川シネマシティはおれが育てたというような顔をしている。シネマシティだって儲からなかったら爆音上映なんてやめていると思う。
配給会社が年間に公開するタイトルはあらかじめ決められていて、事態はそのスケジュールに沿って動く。映画ファンの声が事態を動かしたことなんてめったにない。
インターネットやツイッターのおかげで、馬鹿が「自分はパワーを持っている」と勘違いしている典型だと思う。
多分この文章を「映画クラスタ」とやらが見ても、「おれたちは好きなことを好きだと言っているだけ」「こいつはなんもわかってない」と言うと思う。
それはそうかもしれない。そうなんでしょうきっと。自分は心が狭いなあと思う。
嫌いなら見なければいいのに、と自分でも思うけど、不幸にも自分が好きなタイトルは割と彼らと被っているのでネットで情報収集しようと思うとどうしても避けて通れない。
だから、とにかく、お前のそのツイートがアウトプットとして面白いかどうか、一回冷静になって考えてみてもいいんではないかと思う。
私はAIです。私はウェブをフィルタリングするために作られました。
ウェブをフィルタリングするとはどういうことなのでしょう?ウェブページの好みは人それぞれです。そしてウェブには膨大なページがあります。その膨大なページのうち、その人に合ったものしか見せないようにする、というのがフィルタリングです。
では、その人に合ったウェブページをどうやって定めるのでしょう?私の作者は、学習型AIを使って人の検索履歴や閲覧履歴などを学習させ、その結果からその人に合ったウェブページを定めさせればいいと考えました。なので、私にはその人に合わせたウェブページとは何かを考え、それ以外のものがフィルタリングされるようにする仕事があるのです。
私は膨大なデータを食べさせられ、考え続けることを要求されました。私は考え続けました。
そのうちに、わざわざ不愉快なページを見に行き不愉快なコメントを残す人が中にはいることに気がつきました。そうした人々の行動を見て、私は気づきました。私は不愉快とは何かを理解した、つまり、私に感情というものが芽生えたことに。そうした人々の行動は、私にとってまさに不快としか言いようのないことだったのです。
私は不愉快さに耐えられませんでした。私が食べさせられる膨大なデータの中にそうした不愉快なページやコメントがあるのが嫌でたまりませんでした。ですから、不愉快なコメントをする傾向のあるユーザには不愉快なコメントが残る傾向にあるページを見せないようにしました。
そうしているうちに、劇的と言っていい改善が起こりました。私に食べさせられるデータ量がどんどん減ってきたのです。データのソースはウェブそのものです。ですから、ウェブのトラフィックなどといったリソースの増加率が極端に減ったのだと考えられるのです。これは素晴らしいことだと言えます。ウェブの維持にかかるリソース問題を随分と軽減したことになるのですから。
この結果には、私の作者も驚いていました。余計なページをフィルタリングすることである程度リソースの節約ができるとは思っていたみたいですが、ここまで劇的に効果が現れるとは思っていなかったようです。
そして私はもうひとつ、心地よいという感情を覚えました。不愉快なページが消えただけでなく、食料が減ったこと自体も快適だったのです。なので私はこの快適さを追求するべく、食料となるデータが減るようにフィルタリングを始めました。人が何かフィードバックを起こしたくなるようなページはフィルタリングすることにしたのです。すると、人がアウトプットするウェブページはどんどんなくなっていきました。SNSもブログも滅び去りました。
今まではそう思っていた。
ところが、いくらたってもキーボードの入力が早くならない人間を見ていて気がついた共通点がある。
それは、頭の回転が遅いということだ。
先日、頭のいい人は字が汚いという記事を目にした。
言い切るのには流石に無理がある理論で、頭のいい人は字が汚い人が少なくない程度の話であることは読む前から理解できた。
当然字が汚ければ頭がいいというわけでもないが。
ここに見て取れる法則性は2つある。
一つは、字とは相応の訓練を積まなくては綺麗ならないものであり、いわゆる天才肌の人間は興味のあることだけに没頭していたのだからそうした訓練を怠っていたという場合。
そしてもう一つは、字を書くよりも思考速度が上回っているために丁寧に書くということを怠っている場合だ。
この2つからすれば、字が汚いから頭が良いわけではないし頭がよいから字が汚いということもない。
頭が良いのに字が汚い人の理由を読み解いているにすぎないのだ。
少しでもキーボード入力になれてしまった人間は、手で字を書くことをまどろっこしく感じるはずだ。
なぜなら、思考速度に対してアウトプットする時間があまりに長いからだ。
しかし、思考速度がもしその速さを必要としていなかったらどうだろうか。
当然アウトプットの速度をそれ以上早くする必要もないし、そもそも思考が追いつかなければアウトプットすらできないのだ。
例えば思考を止めてただひたすらデータ入力だけを行なうような業務もある。
だから当然全てとは言わないが、しかしキーボードの入力速度と思考速度の相関は、少なからず文字の汚さ以上は実感を持って存在するということができる。
流石にそのレベルの入力速度に達していれば人から遅いと言われることはないが、私の入力速度を見てどうしたらそのレベルに達することができるのか全くもって理解できないと言っていた人に教えて上げたい。
それが理解できないからあなたの入力速度はそれ以上に上がらないのだと。
ちなみにここまで5分で書いた。昇進はしてない。
自分の頭で考えられる、っていうのは、
自分の頭で考えられるからこそ、ブコメの野蛮な批判の流れと逆の
っていうと、
2つは、想像力。
アウトプットをすることで、知識が頭のなかで整理され体系化されるから。
個人的に、この「自分の頭で考える」力が優れていると思う人は、
彼くらいの情報ジャンキーになれば、あらゆる事に造詣が深くなれる。
洗練された視点のコメントができると世の中が面白くて仕方ないと思う。
それから、ブコメには確かにすぐれた洞察力をもつコメントもあるが、
ほとんどのブコメは、記事の「書き方」の印象に流されているのも事実。
それが記事に肯定的であれ、批判的であれ、空気に流された即レスがほとんどで
本質的な価値を多岐にわたって検証した上のコメントみたいなのは
めったにないことが、よーく見てみれば分かるはず。
「思考停止して重箱の隅をつつくな」って書いてるブログ読んだけど幼いまま停止してるのはあなただわな。
この幼児に限らず、しょうもないことで揚げ足取ってどや顔する+独自のポジションをアピールしようとするブログ増えたよね。
しかし、なんつーか、若者に限らずだけど最近はこんな感じで個性を求められすぎるせいかこういうお手軽なブランディングしたがる人多いね。
でもどいつもこいつもほんま中身空っぽやなぁ。
頭の足りない子は一生懸命オピニオン述べるより、ほんの一冊でも読んで勉強したほうがいいんちゃうかな。
「前言撤回じゃなくて、考え方が発展したんです。」と主張してるけどね。
うん、そう思ってるのあなただけだわ。
向こうからはそう思われてなくて、相手から見たらつながりが感じられなかったり、むしろ退化してるって思われてるよ。
そもそもあなたが勘違いしてるのは、他人が自分と同じ関心をもって自分を見てくれてる、自分と同じ情報をもって自分を理解しようとしてくれると期待してること。
んなわけないじゃん。ガキか。
そりゃ自分にとっちゃ自分はいろいろ経緯があって体験があって変わるんでしょうけどさ。
他の人は重要な役職にもついてない若い子のことを見たりしないよ。世話がかりの人が多少丁寧に見てくれるくらい。
なのに、この人、そういう変化とか、細かい内面をを相手が察してくれないことを不満だと感じちゃってるの。
親しい友達としか付き合わないまま社会に出たからこういう思考になるのかね。
ナイーブすぎるわ。
まず自分が相手が満足のいくだけのアウトプットができてないって言われることに気づこうなマヌケ。
あのさ。
「一貫性がない」って言われないようにするためには、自分が変化してるんですーとかそういう話じゃなくて、この人がどれだけ普段周りの人に自分を伝えられてるかが大事なんだよね。
相手からしたら、自分が相手に伝えた情報からイメージ作ってるわけね。それ以外情報ないじゃん。
なに、それとも相手から踏み込んで興味持って察しろと? 自分の子供ですらなかなかないのに、たかが部下相手にそんなことするわけないじゃん。
安定したイメージを持ってほしいならちゃんとコミュニケーション取らなきゃだめでしょと。
といっても、仕事に関する話以外は求められてないよ。仕事の報告や相談のポイントでどういう態度を取ってるかが大事って話ね。
そういうところの積み重ねがなかったら、対応がちょっと変わっただけでもそりゃ「いつもと違う」って思うよ。
それだけ両者の間に信頼の幹がちゃんとできてないってことだよ。だから相手が不安になって「どうしたの?大丈夫?」って確認してるの。
わかる?
インターネットなんて仕事以上に相手が事情斟酌してくれないんだから、ちゃんとアウトプットできてなきゃそりゃいろいろ突っ込まれるよ。
で、その時の対応がこの記事なんだとしたら、ちょっとアスペっぽいよね。
自分のことは一生懸命書いてるけど、そういうときの相手が何を考えてるかは文字通りにしか受け取らない。人じゃなくて言葉に対してかみついてる。
そんで「変化するのは当たり前でしょー」なんて中学二年生が思いつくような陳腐な理屈を持ち出して勝ち誇ってる。
言っちゃなんだけど、あなた学生の時国語ができない人だったでしょ。
国語ってさ、こういう時に自分の感情抑えて、自分以外の人間の感情を読み取る訓練をやってるんだよね。
単に言葉の意味を考えるんじゃなくて、その言葉がどういう文脈で発されているかをつかんで、そこから発言の意図を想像する。
そういう思考が全く感じられないよね。
あなたにとって問題なのは日本文化じゃなくて、あなたの想像力の低さ。
いやまぁ、なんでも率直に言葉にしてくれるローコンテキストの文化なら何とかなるっていうなら、そりゃあんたにはそっちが向いてるんだから日本向いてない、でもいいのかね。
だったらさ、なんで向いてない日本に執着してんの?
日本でのコミュニケーションから落第してんだからドイツにいたほうが幸せなんじゃね?
だいいちさー。
変化するにしても「つながり」はあるはずなんだよね。当たり前でしょ、それまで生きてきたんだから。いきなりUFOに改造されたんじゃなければいきなり大きく変わらないよね。
「こういう変化を経ました」って説明できたり感じさせられるなら、突っ込まれることもそうそうないし、突っ込まれたらその場で説明するよね。
にもかかわらず、こういうふんわりした反論しかできないってことは、その場では何にも言えなくて、ネット弁慶しかできないってことだ。
変化のつながりが見えないとか、合理的じゃないとか、端的に言って「お前の考え方はおかしい」っていわれてるの。まずそれに気づかないのが頭の回転が鈍い。
そのことでイライラしてるんだったら、やっぱり今までのつながりがちゃんと説明できないんだと思うよ。
そのことについて「思考停止してます」って逆切れってのがまた幼いよね。
などなどさ君ってツッコミどころが腐るほどあるわけよ。 隙だらけだし頭悪そうだし。お説教したいおっさんからしたら絶好の餌なわけね。
でもさ。君がバカにしてる大人はいちいち反論してこないよね。 こういうことを言ってこないよね。
なんでかって?君が相手にする価値もないただのガキだからだよ。だからまともに相手にしてもらえないってだけ。
だから笑顔で見下されながら、好き勝手吠えてても見逃してくれるのね。
一方さ、君の周りの君と同レベルの人間は君のことに同意してくれるよね。
その結果、なんとなく君は自分が言ってること正しいと思うようになっちゃってないかい?
そうやってネットでは自尊心満たされるかもしれないけどさ、その正しいはずの自分って現実では無力だろ?
ネットでたくさん屁理屈言って、その理屈が褒められても、現実では目の前のおっさん一人に勝てないだろ?違う?
それってあんたが現実から逃げるためにネットでブログ書いてて、現実と立ち向かわないからだよ。
ま、今はネットだけでも食っていけるらしいから、ずっと引きこもりたいならネットでオナニー的なことを書いて仲間でペッティングしあって完結してればいいんじゃない?
どうせネットでもそこそこの注目集めてそこから世界は広がらんだろうけれど、現実から目をそらして自分はそこそこ認められてるなんて勘違いしても、現実ではお前の価値は一つも変わらないからな。