はてなキーワード: ももちとは
携帯へ送信されたメールを全て、永久に、私の目の届くところに保存しておきたい。
これを実現するためには着信メールを自動バックアップできる機能が必要です。
手動でももちろんかまいませんが、手間がかかるので自動がいいです。
つまり、keitai@auのメールをケータイで受け取ると同時に、
GMailの容量(2GBだっけ?)を超えそうになればPCのメーラから全部ダウンロードして
保存すればいいんです。これならちゃんと検索とかもできるでしょ。
ということで、私の目的はauならストレスなく実現できることが分かります。
docomoだと、メールの転送先がドコモWebメールというのに限られます。
そして、ドコモWebメールからgmailなどへ転送することはできません。
また、POPとかIMAPに対応していないので、パソコンにダウンロードすることはできません。
有限の容量(2GB?)を使い切ると昔のメールは削除されてしまいます。
これじゃあ困る!!
というわけで、docomoでは自由に自動バックアップすることはできないということですね。
でも、携帯電話を操作して、miniSDカードに全件メールをコピーする→
パソコンに取り込み、パソコンで認識できる形式に変換し、重複した分を取り除く→
この手順を定期的に忘れずに行わなければなりません。
忘れたら終わりなのに、携帯電話に保存できるメールの件数は1000件程度なので、
忘れやすく面倒です。
私はスマホ持ってないのでよくわかりません。
「最近X件だけ保持し、残りはメールサーバに置いておく」なんて実装なのでしょうか?
これだとドコモの場合、1000件以内or1ヶ月以内のメールしかサーバに残らないはずなので、
ここで、私の主張をまとめると。
それは「docomoは早く任意のアドレスにメールを転送できるようにしてくれ」です。
まあここでも読んどけ。
http://neta.ywcafe.net/001138.html
筆者流に今北産業で言うと、 .jpドメインの事実上独占的管理者である株式会社JPRSが .netとか.comドメインのようないわゆるgTLDの販売も始める予定ということをGMO社(お名前.comのお膝元)の社長が事前キャッチして「.jp独占で結構高い値段で売ってるくせにさらに俺のシマまで荒らすのか汚ねえよ」と牽制球投げたつもりになってたら「ですよねー、.jpドメインの価格はヘンに高いですよねー」と太鼓持ちが一斉ツイート。 そこへさくらインターネットの田中社長いわく、「驚愕のウンコ設計でDNSをこかして国内のトラフィックを数十時間も殺した前科持ちのうえに肝心の業界会合にも出て来ねえわまともな技術的意見も言えねえわの素人はすっこんでろ。だいたい.jpドメインが年間数千円だろうと数百円だろうと普通に仕事してる奴から見れば屁のような額でしかないはずで、もっと安くしろっていう話はそれは押さえただけの未運用ドメインや乗っ取った廃棄ドメインへのわずかなhttpトラフィックから細々と広告収入を得ようというみみっちぃ商売してる輩のビジネスモデルが実はドメイン運用費が数百円レベルである前提に立ってるからなんじゃねえのかww。まあそれにしてもJPRSももちょっと立場をわきまえてほしいけどな。」 という話です。
しかし、農家の出の俺がアドヴァイスしてやろう。よーく聞いとけ。
基本的に、そーいう家の女ってのはだな、長男の嫁以外に人権が与えられない。いや、長男のヨメでも相当怪しい。
これ重要、赤線引いとけ。農家ってのは世界人権宣言に批准してない。マジ土民。
その上、「マトモに稼げない実家パラサイトのダンナにくっついてきた嫁」なんて、最早人類として遇されない。
俺から見ると、「三男に農家の実家」ってのは超ヤヴァイレベルの粗大ゴミだが、
そこにあなたが出向けば、あなたは「生きてるだけで害悪」レベルの有害ゴミとして遇されることは確定的に明らか。
そりゃ、もちろん例外はある。どっかに例外はあるかもわからん。俺の世界ももちろん狭い。
しかし、俺が飛び出して来た農村コミュニティというのは概してそーいうモノだった。周囲から聞いた話も概してそうだった。
そんな俺の経験に即して。
「農家の三男(稼ぎナシ、主夫)」の実家に嫁入りなんて、人生賭けた罰ゲームはマジやめとけ。
まー、そういうこったね。
現状、ド底辺に無駄なコストかけてるよりはこっちの方が合理的って考え方もある。
あと、「賢い底辺」が生まれてくる可能性ももちろんあるよ。
例えば、10人以上でBIの収入を基に地方に一軒家(あるいは集合住宅)を購入し、
そこで共同生活する。病気のリスクや働けなくなるリスクを当分割りする。
ある種の家族回帰が起きる可能性が高い。地方在住の人間にとっては福音になり得るかもね。
あと、単純にガキ生めば産むだけ収入が増えるので↑とのコンボ技で田舎での出生率増大の可能性もある。
なんにせよ、最低限の生活収入はあるわけだから。まぁ、乳児死亡率が今より結構上がるだろーけど、分母が増えれば殖えるだろう。
これはこれで、悪くは無いよね。どーせそんなもんだったって考え方もある。
http://anond.hatelabo.jp/20101219174222
クリスマスカラーの単行本が世にあふれたころ、たしかわたしは理系の女子大生で、
世はバブルで前髪がとびでた眉毛の太い、肩パット入りスーツきたお姉さんをよそ目に
(実験が毎日深夜に及ぶため家族をまたせたくなくて3万円弱のをようやく借りた)を
往復するしかなくて、
かなりネームバリューのある大学生だからできるわりのいい家庭教師アルバイトさえ
土日のあいた時間しかできなくて、ある意味なんだかサラリーマン生活の前借だった。
その私がノルウェイの森を読んで思ったことは、そうちょくちょく人に親切を施しては
セックスなりふれあいで回収できるほどヒマで金余りな大学生が世にいるんだなという呆れみたいなことでした。
私にも統合失調やっちゃった親友がいたけれど、見舞いにさえいけず、
手紙や電話で連絡しようとしたらその子の親にもう出してくれるなといわれた(病状のためにも、だったかも)。
たぶんそれを押して学業ほっぽりだしてたら?
電車代にも困っていたのに無理だとおもうけれど、もし借金する知恵でもあったら、
今度は自分の親にその子が悪役にされ、それはたしかにそのとおりだったろう。
それにわたしには上野ちづこさんふうにいうと1本あれば便利なチンコはついてなかったからそれを利用した慰め方も(壊し方も)できなかった。
で、私はその後めでたく結婚して生まれた娘も2歳のころから活字中毒で3-4歳からひらがなは完全黙読
(お友達いわく「**ちゃんさいしょは本いっぱい読んでくれたけど最近声ださなくてつまらない」)、
小学校に入る前に薬局の「薬」をみて「たのし!」と読んでいた。
その子が五年生の担任と日記で愛読書を告白しあうにいたる。子供は文庫本の「しゃばけ」シリーズを挙げた。
こともあろうに担任はノルウェイの森をあげた。(この人アメリカ文学かぶれのイケメン50歳なんである)
実家にももちろん文庫版のそれがころがっていて、子供は青い鳥文庫といっしょに夏休みにもらってきた。
母こと私が気づいてすぐとりあげて139ページあたり読むともうこりゃダメだと。
短くはあるけれど直子と何したかそこまで正確?に描かなくてよろしいと絶望。
娘11歳の手に取るやいなやの読書は110ページあたりまでだったらしくてぎりぎりセーフ。
とりあげたついでに最後までよんだけれど、ことさらセックスだけが悪いんじゃない。
とにかくそのあともずっと周囲の人/間が自/殺しまくる話だと理解。
指折り数えていたがキヅキもナオコも遊び/人の先輩もその美/人の彼女も「自/殺した」。まるでよほど喪失をかかえたイケ/メン遊び/人主人公かまたはキヅキがそれほどうらやましいみたいじゃないか、そんな主人公も今頃は、無駄な団/塊ジ/ュニアは給料もらいすぎ、キャ/ンプいってダッ/チオー/ブンでも焦がしておけ、俺たちは車も買えないんだっていわれてるころじゃないか。なにがうらやましかろう。
なんというか、主人公は本質的によい人間なんだろうし、価値観は理解できるけど
今も昔も別にすすんで理解してあげたくない。
自分が完全に無駄な食い扶持であるという立場にきずつかない同世代の男は私をいらいらさせる。
まあ当時他にそういう小説がなかったというならそれはそのまま存在すればいいけれど。
私の旧友は紆余曲折あって結婚してネット書店をはじめていてくれた
(文芸部のワープロうちもできなくて私にまかせていた子だし、今もネットは勉強中だといっていたが)。
生きていてくれてありがとう。
追記 クソhatenaキーワードのせいで白字ネタバレ回避が利かなかった。
読んじゃった人ごめん
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1291970584/
9 :陽気な名無しさん:2010/12/10(金) 20:00:20 ID:yHfn9CYIO
腐マンコ規制は当然よ?
腐マンコは最大のゲイフォビアのくせに、ここでゲイを味方につけたいマンコはどういう神経してんのかしら。
29 :RF:2010/12/11(土) 13:51:28 ID:EjiXViR2Q
>>26>>27
この板のスレ「だけ」を見たら、ゲイ=女嫌い=差別に見えるかもしれないが、
腐女子や鬼女に長い間被害を被ってきた前提があるんだよな(現在進行形)。
「アッー」とか「ウホッ」を連呼してるアニオタももちろん同類。
41 :陽気な名無しさん:2010/12/11(土) 22:56:55 ID:a9Meu2ik0
ヤオイは男性同性愛をさらし者にして同性愛者の人権を脅かす存在だものね。
48 :RF:2010/12/12(日) 00:09:42 ID:Njssqd+DQ
いや、これ以上ないくらい見下してると思うよw
>>42
マジ?世界進出してるのか!嫌すぎるw
>>44
やっぱ万国共通なのか、腐れってのはw
成り立ってるってのに、どの面下げてゲイに
関わろうとするんだろう。しかも理解者面して。
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1272324717/
1 :陽気な名無しさん:2010/04/27(火) 08:31:57 ID:+zjUwFDb0
こうした小さな努力を積み重ねて、わかりもしない同性愛をオモチャにする危地害腐マンコが
一人も住めない社会へ一歩ずつ近づいていきたいですね\(^o^)/
79 :陽気な名無しさん:2010/04/30(金) 15:33:19 ID:s6iJcukU0
105 :風と木の名無しさん:2010/04/29(木) 23:08:56 ID:is3qmaGa0
>>85
間違えてBLを読んだ男の子が悪い攻に籠絡されるとでもいうのか
あと、別の個人サイトで「女子が集団でイケメン男子2名を誘拐して脅すなどして
無理矢理やっそんさせる可能性もゼロじゃない」って書いてあるのを読んだことがあるよ
ああBLを理解していない人が書いたんだなあと思った
173 :風と木の名無しさん:2010/04/30(金) 08:50:11 ID:8wvKUPEg0
>>105
ボーイズラブを読んだ中高生が同性愛に目覚める可能性があるから、
そもそも同性愛は絶対的に許されない行為なのであるから、表現すらも規制すべきだとかなんとか。
規制派は同性愛についてどう考えているか知りたいとか言いながら、
反発されていることが理解できていない。
腐女子が集まっている801板でも、頓珍漢なゲイ理解でBLを読んでいる。
そして、こんな↓腐女子がよくいる。
腐女子は、ゲイたちがBLや腐女子の態度になぜ反発しているのかを
少しくらい考えて、学ぼう。
【アニメ漫画規制】「納得できぬ」 東京都の姿勢に不満…角川書店が国際アニメ出展中止★
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1291910117/
672 :名無しさん@十一周年:2010/12/10(金) 03:34:43 ID:JKfuNzht0
>>663
判ってないな
735 :名無しさん@十一周年:2010/12/10(金) 03:51:55 ID:JKfuNzht0
>>706
文盲乙w
http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/801/1290621868/
681 :風と木の名無しさん :2010/12/02(木) 22:14:58 ID:HxMqEXX/0
>>675
こういうのは知ってたが、腐嫌いとか以前に規制の危険性わかってないね
知っているということが
それが、すなわち、あらゆる生命なんだ
何かを残してくれただろうか
残してくれていただろうか?
おじいちゃんは、紛れもなくおじいちゃんだったのに
彼らがいなくなってしまったことで悼んだのかすら覚えてはいない
オレは決して、哀しみでは泣かない
涙は絶対に流れない
絶対に、いったいどれだけ哀しくても、決してない
くやしさや、いかり、この世の無情さ、また誰かのいたみに涙することはあっても
自身が哀しくて涙をながせることであれば、うらやましくすら思う
それで少しでも楽になれるのならな
命ってなんだ?
彼女や、おじいちゃんや、お世話になった友達のおかあさん
いまでも思い出のままだ
言葉を交わしながら、思い出の中にいるようなものだ
世の中には、無数の心があるが、その終わりは誰もわからない
あらゆるふれあいが、いったいいつ終わるのか、当人たちもわからないのだ
オレの周りには大切な人が何人かいて、大切ではない人ももちろんいて
そのいずれかは既に終わっているかもしれない
それが生命の終わりとは限らないが、
会いたいのに、会えないということは、数え切れぬほど転がっている
みえるだろ
まだまだたくさん、会いたかったのに、もう会えない、二度と
まだまだたくさん、話したかったのに、話すことはもうできない
いや、話すことはできた
できたにもかかわらず、しなかったことが続いていくうちに、
気づけば終わっているんだよ
終わるだなんて思っていないんだから、そういうこともある
責められやしないよ
でも考えてみろ
世の中には、会うことだってできるのに、会わないこともあるんだよ
まだ会えるのに、もう会わないこともある
まだ話せるのに、もう話さないことだってある
いつ、片方が死んでもわからないだろ、そうだとしても、
しない、だから哀しむことすらできない形もあるんだ
目の前にいても、いなくても、同じなんだよ
だから、じつは、死ぬためには準備が要る
考えれば当たり前のことだ、人間は生まれたときから死にはじめてる
充分な準備をおえて、さあ、死ぬぞとはいかない
大切にすること、いかに美しく生きるかというところにその準備があたり
彼は、その点、オレにとって美しかった
彼はしんでしまったのだ
ほんとうに
いってしまった
ほんとうに
知ったのは一週間とすこし前だが、
彼は本当に、オレにとって美しかった、ただの一度も
もし彼に準備をする余裕があり
オレがその準備に応えることができるとしたら?
頼むから
ありがとうと言わせてくれ
でもそれもできなかった
誰もできなかったのだ
でも、残されたものもある
卒業してから疎遠になってしまったことを悔やむのは、やめにしたい
言いきれなかった事を並べたてるのは、やめにしたい
後悔するのは失礼な気がするのだ
オレはなくなった心をむやみに肯定するようなことは
人の誇りを守るという意味で、なにより大切なことだと思っている
誠実さなしには何も誇れないのだから
それでもとにかく彼はいなくなり、
学生生活のように日々を共にしているわけでもなければ、
お互いがお互いの生活をもっているいまとなっても
かなしくて
かなしくてしょうがないのだ
彼がしななければいけない理由も、
どこにもないのだから
それなのにオレは、普通に笑いはするし
食事もすれば、お酒ものむ
誰かを笑わせることもできるし、他の誰かのために哀しむことだってできる
一体オレはどこまでおもしろくなれるのか、試したくらいだ
日々を越えて、お墓の前に立ち、目の前をくもらせながら
何を祈ればよいのかもわからない
彼のための思えばよいのであれば、それは日々だ
何故かなしいのに、笑えるんだろう
自然体って、なんだっけ?
これは書くべきではなかったのかもしれない
でもこれが、もし届くならば、もし未来のオレに示すことができるならば
彼女や、おじいちゃんのように、悼んだことすら思い返せなくなってしまったとき
何かがよみがえるならば、オレにはこうするしかない
帰り道、いよいよ現実感を失いながら、日常に戻るための努力をした
ユニクロで買い物をしながら、袋をもって、歩いて家に帰る
涙がながれていることをのぞいては
教えてはくれない
ただ、そこにあるのだ
いや、元々ないのかもしれないが、
それでも美しい思い出は残る
そして、これから先いつの日も、我々は誰かにとっての彼であるように生きるのだ
それがおそらく生命だろう
呼吸は関係ない
石原の「(同性愛者は)どこかやっぱり足りない感じがする」発言について、報道された記事のブコメ見てるとさんざん皆叩いてるけど、
でもどうせ叩いてる人だって、"人に対して性愛を持てない性指向"であるAセクに対しては「人を好きになれないなんてどこかやっぱり足りない感じがする」って思うんだろうな。
性別を男女の二種類とするなら、それだけで、本人の性別に関わらず
・男を好きな人
・女を好きな人
・両方を好きな人
・両方を好きじゃない人
の性指向があって自然なのにね。
実際は性別自体が二種類とは言えないし、性指向も曖昧な人もいるし、もっと多種多様なのに。
同性愛に関しては、そういう人がごく自然に存在する、ということはもうある程度の理解を得られているし、だからこそ石原の発言に同性愛者じゃない人も憤慨しているのだろうけど、異性愛者でも同性愛者でもない人に対する理解はまだまだされていない。
だからAセクは「同性愛を差別しない人」からも、石原と同レベルの無意識の差別発言をされたりするんだよね。
人間に対して恋愛感情が抱けないだけで、普通に親子の情も友情ももちろんその他の感情もあるっていうのに、心ないだとか格好付けてるだとか厨二病だとか言われたり。
前にブコメでちらりと書いたことがあるけれど、
心の性も体の性も性指向もグラデーション状であり、それぞれが必ずしも一致しない、という事が、一刻も早く常識になればいい。
混同している・画一的であると思い込んでいる人が、世の中には多すぎる。
石原と五十歩百歩の人がはてなーにも沢山いるだろうに、たまたま分かりやすく石原が「差別しちゃいけない人達」への差別発言をしたからといって、自分を棚に上げて叩きまくるのって、なんか違うよね。
なんで君はこんな遅くになって、こんな手紙をよこすのか、そう君は思うのだろうね。理由は単純だ。君が自己満足の為に僕に書いて、僕によこしたように、僕も自己満足の為に書いて、君に送る事にするよ。それにあたって、ただ一つお願いがある。どうか返事を書かないで欲しい。僕にとって君との関係はキラキラとした美化され、風化された思い出というよりはむしろ、呪いや呪縛に近いのかもしれない。僕は君との関係を思い出す度、罪悪感に苛まれるんだ。この行為は別の言葉に変えるならば、償いに近いものかもしれないと思う。無論、こんな自己満足の手紙を送った程度で、僕の行いは贖われるとは思わない。
最初に謝っておきたい。僕が非常識な行いを行ったのは重々に承知しているし、そのことを忘れた事なんて一度もない。あれは責められるべき事だったと思うし、君がそう判断するのももっともだと思う。君は疑問に思うだろう。なぜ何もしなかったのかって。率直に言うと、君の中に抱いている僕と、実際の僕自身の落差に驚き、その砂上の楼閣を維持すべきか逡巡したあげく、何も選び取ろうとしなかった、つまりは自分が傷つきたくなかった、そして君に対して臆病だった。
僕は確かに、友情以上の意味を込めて、好きだ、と言った。そんな言葉を言ったのは生まれて初めてだった。その時の君の表情の移り変わり、春の穏やかな周りの風景、部屋のオブジェ、机に彩られた食事。全てを色鮮やかに思い出すことができる。君の手を握ったときの、ちょっとひんやりとして、僕よりも小さな、可愛らしい手の形や、僕の一挙一動にあたふたしてこじんまりとした小動物のようにコミカルでコケティッシュな君の仕草は、今でもまるでそこでの一部始終が8ミリビデオで撮られていたかのようにを鮮やかに思い出すことができる。そこで僕は確かに好きだと言った。しかし、本心では無かった。僕はしばしばそういった必要もないのに、そういった類の愚かな過ちを犯す事がある。しばしば、僕は人に嫌われたくないと思う余り、本心から乖離した行動をとってしまう事がある。そしていつも後悔する。学習しないのだ、僕は。それにしても僕はあまりにも軽率だったと思う。
君との関係を継続していく気がなかったと責められていても仕方がない。僕は君が思うほどに倫理的な人間でもない。君が思うほどに、自分が何か価値のある人間だなんて今の際まで思ったことは一度もない。世界からある日突然僕が消え去ったとしても、多分何の変哲もなく世界というものはそれまでと変わらぬ歩みを続けるのだろう。君はそんなことないって言ってくれたのは、とっても嬉しかった。それでもこの考えは変わらない。でも、あんなにたった一人の人について想いを巡らせたのは、初めてだったと思う。僕の周りの人間は、喩えて言うのであれば旅の途中にふとすれ違う、街角の風景みたいなもので、人生の短い時間を共有しては、時間という川の流れに押し流されるような、刹那的な存在だった。僕はそのまま、生涯孤独のままに生きていくのだろう、そう思っていたし、君に会うまではその考えは揺らぎすらしなかったんだ。それは僕の土壌の中に大きく根を張って、巨大な木へと成長していた。
君みたいな人間は初めてだった。君とのメールでのやりとりはとても楽しかった。君からメールが来る度に、思わず口笛を口ずさむほどに嬉しかったし、この時間が永遠につづけば、なんて今考え直すと陳腐な事を考えた。傍から見たら馬鹿げているのかもしれない。でも僕にとって君と僕との関係は、それこそ実存をかけた問題だったし、真剣だったし、真摯にとりくまねばならないことだった。君みたいな素晴らしい理解者を得られた事は、多分神様の贈り物だったんだって心から思うんだ。なんでそんな得難い関係を保っていた君から僕は離れていったのだろうか。聞くに耐えぬ理由だと思う。君はそれを聞いたら怒るどころか呆れるだろうから。無論、なんの矛盾も抱えていない人間は世の中にはいないだろうけど、それにしたって限度がある。僕は矛盾した人間だとこの時ほど思ったことはない。
僕はあれほどまでに苦しめた僕に対する過剰な信頼と、敬意と好意と愛情を・・・失うのが怖かったんだ。だから僕は結局言うに言えなかった。だってあんなに手酷い別れになったにも関わらず、最後にこんな綺麗で美し過ぎる手紙を受け取っては、返そうにも返事が出来なかった。それを行う事は、恐ろしく酷いことのように思えたんだ。知らなくて良い事もある。もちろん、率直な想いを打ち明けるという選択肢もあったけれど、僕はそれを選べなかった。これが君に対するせめてもの償いなのか、それとも病的な利己心のなせる業なのか、僕には分からない。ただ君はとても悲しんでいるに違いないだろうし、その上に辛辣な言葉を浴びせる事は、もはや暴力であり、君に対する最大級の冒涜なんじゃないかと躊躇してしまったんだ。
君の言動に違和感があったわけじゃないんだ。君はメールのやり取りを介して、僕が想像した以上に君らしかった。どこか、違うだなんて違和感を感じた事は一度たりとて無かった。ああやっぱり、まさか君はそんなことで僕が君を諦める、なんて思わなかったんだろうね。だからこそこの言葉を言うのが辛い。一年以上もの間、君に返事の一通さえも出せなかったのは、とりかえしの無い事をしてしまったという罪悪感と、なんて空疎な事に時間を費やしてしまったんだろうという虚無感から逃れるためだった。
誤解しないで欲しい。君が空疎だとか、薄っぺらいとかそういう意味じゃない。むしろ逆だ。無邪気で純粋な君に接しているうちに自分のどうしようもなく矮小な部分や目を覆い隠したくなるような恥部を覗かれる恐怖に怯えて、逃避しただけの哀れな男なんだ。
恐ろしく動物的で、独善的で醜い。僕は自分自身のそういったどうしようも無く、醜くて矮小な自分自信を受け入れることができなかったんだ。だから僕は君との関係を拒否した。逃避した。切断した。逃げ出した。
僕は君と付き合う、その可能性ももちろん考えた。それは一見とても素晴らしい事のように見えた。だって僕の短い人生の中で、これほどまでに心を通わせる人なんていなかったから。君を失ってしまう事はとても辛いことのように思えた。でもそれは出来なかった。僕の心が拒否していた。君は僕といつまでも過ごしていたかった、そう言ったね。でも僕はそうじゃなかった。あの空間がとても-そう、とても重苦しいものに思えたんだ。心に重石が乗っかったようだった。いつまでこの狂った芝居を演じなければならないんだろうといっぱいいっぱいだった。帰りの電車の中では今までに経験したことのないほどの疲労感が襲った。
君がセクシャルマイノリティであることや、君の家庭環境とかに、違和感を感じていたわけじゃない。そういう人間がいたって可笑しくないとは思うし、僕はそこまで差別的思想に凝り固まっているわけではない、と信じたい。理由はもっと別のところだ。多分、僕がもっと思慮深く、善良でもっと本質的に物事を考えられるのであればこんなことにはならなかったと思う。しかしながら実際の僕は君が考えているほどには素晴らしい人間ではなかった。
しかしながら、結局のところ差別主義者と誤解されざるを得ないような酷い最後になってしまった事については、釈明のしようもないと思う。君を尊重すべきと考えるならば、それは絶対やってはならない類の行動であったし、今でももっといいやり方があったんじゃないかって思ってる。結果が似たようなものであれ、それに至るまでの課程が全く違うものであれば、たぶん、君もこんなに傷つくことは無かっただろう。
君がとても辛い人生だったのは察するに余りある。出来ることなら傍らにいて、君といつまでも一緒にいられれば良かったのだけれど、恐らく僕では分不相応だったのだろう。あのときは悲しみに暮れていたかもしれないけれど、僕なんかよりきっと素晴らしい伴侶が見つかる事を確信している。君の本質に触れれば、君ほど繊細でピュアな心を持ち、尚且つ魅力的で素敵な人間なんて早々いるものではないということを理解できるだろうから。この手紙が自己満足なのは言うまでもないが、君の幸福を祈る気持ちだけはどうか理解してもらえたらと思う。君の存在は唯一無二のもので、僕にとって特別であることはこれからもずっと変わらない。これからの君の人生が幸溢れるものでありますように。
使えない人材ってどうすればいいんだろう。クビにする?育てる?
いつまで経っても(と言っても3ヶ月ぐらいだけど)言われたことを忘れる、指示が理解できない、先読みももちろんできない。仕事が遅い。話が通じない。新しいことをなかなか覚えない。
そんなことができるのは優秀な人だけだから、普通の人をうまく使えないと運営はできないと思って育てようとしてきたが、やはりどうもダメそうだ。全く役に立ってないわけではないんだけど、期待にはほど遠いのでうまくいかず苦しい。
と言ってもうちみたいな金のないベンチャーに優秀な人を引っ張り込むことは難しい。やはりこういう将棋で言うと歩しかないような状態から、みんなスタートしてるのかな。
平沢唯ちゃんが誕生日を迎えて、ネット上ではたくさんの人が改めて「けいおんとはどういう物語なのか?」を語っている。
美少女所有願望を充たす為の物語であったり疑似青春体験装置であったり自己投影の対象であったり。恋人の代わり、娘の代わり、友達の代わり、現実よりも愛されている自分、元々手にしてない幸せの代わり。そんな話。
じゃあ私にとってけいおんがどういう物語なのか?っていうと、友達の代わりってのは確かにあると思う。私には律っちゃんに似た友達とムギちゃんに似た友達がいるので、けいおんを観ているとあるあるwってネタが多くて楽しい。
でも、でも、それ以上に私にとっては「終わらない日常を生きていくんだ」って事を理解する為の教材みたいな作品だったと思う。
バンド始めたからって武道館でライブできるわけじゃないし、劇的な何かが起きて人生観がすっかり変わるような事もないけど
毎日楽しく笑って、友達とおしゃべりして、ときどき喧嘩もして、小さな事で失敗して、反省して、友達に慰められて、努力ももちろんして、それで少しずつ成長していって、高校三年間が終わる頃には目を見張るような成長があって
この友達とはずっと友達なんだろうなぁってなんとなくだけど確信してて、そんな信頼があるから勇気が出て、新しい一歩を踏み出していける。
そんな、友達を大切にして、毎日を楽しく過ごす為に努力する事を良しとする人生観を、私はけいおんから学んだ。
と、昨日サウスパークを観ていて考えた。
サウスパークs11e14「The List」という話の中で(以下ネタバレ)、
カイルという少年がクラスのイケメンランキングで最下位にされて、人生に希望が見出せなくなって落ち込んでいると、夢の中にリンカーンが現れてこんな話をするんだ。
「クラスで一番のイケメンに選ばれた子は浮かれて女の子とのデートにばかり夢中になりなんの努力もしなくなり、40を過ぎた頃には美貌も衰えなんの価値もなくなる。でも不細工はそのぶん努力するから大人になった頃には立場が逆転してるよ」
と、ピアノの練習をしている不細工を見せながら言うんだ。
なんか、、、違くない?違うよね?絶対違うよね!不細工がピアノ練習してもあんま意味なくない?ピアノでプロになれる確率なんて天文学的な数字でしょ。プロになれるような才能あれば不細工だろうがイケメンだろうが関係なく練習するよ。
不細工だからとか、好かれないから、そういう負のエネルギーで頑張っても、大人になる頃には挫折するんじゃない?コミュニケーション能力がどうとかいってさ。
コミュニケーション能力ってなんだよ。周りの人間みんな嫌いだったら、嫌われてると思ったら、まともなコミュニケーションなんてとれるわけないじゃん。
だから、さ、不細工で、嫌われてる子供がするべき事は、大人になった時に役に立ちそうな勉強とか特殊技能の習得よりも先に
今、好かれる為の努力をして、友達を作って、人を好きになって、遠い将来に夢を託すのではなく、今の生活を楽しめるように最大限の努力をすること、なんじゃないのかな。
今の生活の延長が将来で、楽しいを作るためには努力が必要。そして、楽しむ事は悪い事じゃない。
こういう事を言ってくれる物語は少ないけど
【話題】 女性が男性に対して一番幻滅を感じるのは、「マナー違反」をしたときだ!
http://tannsokuvip.blog54.fc2.com/blog-entry-2386.html
私は、男性が女性をを追い詰めたり、貶めたりする姿を見たり、受けたりしたときに感じる。精神的肉体的暴力を振るわれるのではないかと、どうしても思ってしまう。
このようなことをある女性がされている姿を見て、その横であなたにはそんなことしないよ、と言われたときに、頭が真っ白になってしまった。そして結局、私もこの女性と同じ目に合ってしまった。(恋愛や結婚などの深い付き合いではない)
ずっと疑問に思ってるのだけど、本当にずっと。純粋に。
みんな生きてることが楽しいですか?
22年生きてて、
恵まれてる方だし、世界基準でみたら宝くじ並みにラッキーなんだろうな、とも思うけど。
人生を肯定しようとすることに疲れてしまった。
なんにもない平凡な日を幸せに過ごせない。
生きてることが辛い。悲しい。不幸せに感じる。
ずーっと、ずーーっとそうだった。
幸せじゃない日のふつうの瞬間に、生きてることが嫌になったりしない?
わたしは辛い、ずーっとずっと辛い、幸せじゃない瞬間が悲しくてしょうがない。
生きてることが嫌になる、眠ったまま目覚めたくない。
いつかきっとましになるって小学生の頃からそう念じ続けてがんばってきたけど、
もう何も変わらない気がして、もうほとほと嫌になってしまった。
こんな人はやっぱり少数派なのかな?
もしも同じような人がいるなら、どうやって日々生きていくのか教えて欲しい。
**追記
だれかの返信にも書かせてもらったことなんだけど
『うまく説明できるか分からないけど、
幸せなとき、ふつうのとき、不幸せなときあると思うんだけど、この「ふつう」のときが悲しくて辛い。
幸せならプラスで、ふつうならゼロ、不幸せならマイナス。そういう風に普通の人は気持ちが上下するのかな?って考えてるんだけど、
自分の場合、「ふつう」の状態がすでにマイナスなんだよね。で悲しいと絶望感さえ感じる。』
って感じるのは私だけですか?ってことを聞きたかった。
日々を良くする努力はずーっとしてきたけど、
努力した結果、できることは増えたし、日常の中の幸せな瞬間は確かに増えたけど、
逆にだからこそ、この感じ方が変わらないことが根本の問題なんじゃないかなって気づいて、聞きたくなったんです。
(ついでに毎日を幸せな瞬間だけで構成するのも無理だってことにも気付いたわけで)
**追記2
「甘ったれてる」「恵まれてるから出る、甘言だ」という指摘について。
もっともな指摘で、甘ったれていて傲慢なことを言ってると思います。自分でも。
でも恵まれてたら幸せなんでしょうか?(生意気でごめんなさい)
親がガンを発病して恐怖したり、祖母の痴呆で家族が崩壊しそうになって心細かったり、
学校でうまくいかなくなって修学旅行が一人きりになって悲しかったこともあるけれど、
幸せの感じ方は今とあんまり変わりませんでした。
恵まれてることを幸せに感じられるかな、と思って
色々努力して、アフリカの村へ行って働いたこともあるのですが、
幸せの感じ方は今とあんまり変わりませんでした。
要は感受性の問題なのかな、と思います。
でもこうやってここにいるのは、たくさんの人に助けられてるからで、
辛いけど生きたいなぁと思ってるので書いてみました。
若いうちの特有の妄言なんだろうな、と楽観的に構えつつ、
悲観的な感受性を変えていく努力をして、生きていきたいと思います。
twitterにおいてクラスタってたしかに存在してるけどいまいち掴みどころが無いものだよね
それが良いっていう考え方ももちろんあるんだけど、もっと明示化できないものかと思って考えてみた
けいおんクラスタなら @k-on_cluster みたいな形で作る
そのクラスタに参加したい人は@k-on_clusterをフォローする
そのクラスタ内の人をフォローしたかったらすれば良いし、したくなかったらしなくても良い
で、けいおんクラスタ内の人に言いたいことがある人はreplyの形で@k-on_clusterに向かってつぶやく
例)
@k-on_cluster みんなどれくらい午後ティー買った?
そうすると@k-on_clusterがその発言を公式リツイートする。自動で#k-onみたいなハッシュタグを付与しても良い。
そしたら@k-on_clusterをフォローしてる人は全員その発言が見れて、それに対して反応することが出来る
荒らしが来たら@k-on_clusterがそいつをブロックすれば良い
もっとマジメな使い方も出来る
@reflation_cluster みたいな
で、同様のシステムにすればリフレ派の内部で議論をすることが出来る
例)
@reflation_cluster 自分はリフレ派だけど日銀の国債引き受けには反対。格付けの低い社債やREITの購入でマネーを市場に供給するべき。
みたいにつぶやいたらそれが公式リツイートされるので、それについて意見があれば自由に投稿すれば良い
公式リツイートなので同じ発言が複数回流れることも無いし
なによりこのクラスタの中心になってるアカウントをフォローしてる人たちは似たような性向の持ち主だから
その中からもっとフォローする人を増やせば良い
嫌になったらアンフォローすれば良い
こういうシステム いかが?
http://anond.hatelabo.jp/20101023212121
元増田です。
一人で抱える限度を超えてるんです。
20過ぎた学生とは言えなんで担任の仕事をしてるんだろうってことも有ります。
ちゃんと自分のことを並べるとこうなるのです。
20歳過ぎの定時制高校に通う高校生。(現在3年生・4年制高校)
私生児・母親に遺棄された経歴を持つ天涯孤独人。(育ての親の祖母は鬼籍の人)
小学・中学の苛めによるPTSDと性犯罪被害のPTSDを主に症状として持つメンヘラ。手帳持ち。
田舎は色々(私生児やら母の素行不良やら叔母が統合だの私の性犯罪被害など)で村八分されてたので田舎を16で捨て18ぐらいで上京。
高校での役割と言うか状態。
①何故か担任補佐時々担任代行。
②んでもって1~2年は学級委員、今でも何故かまとめ役を押し付けられ気味。
③文芸部副部長、体育委員会副委員長。(※全員どこかの委員会に所属義務がある)
④一応クラス半分ぐらいのグループをまとめていた過去もあったりしたわけですが今は孤立状態。
⑤と言うわけで上級生・先生方にはには3年うるさいのゴミ箱はけ口役、クラスではめんどくさいもの引き受け役
⑥一部には先生に相談できない人生相談と言うかいのちの電話のカウンセラー役をやる羽目になったり、一緒にファミレス入って財布忘れた!をかまされお金を貸す役割とか…
何でこんなことやってるんだろ。疲れた。→投げ出したい。今ココ
で、無職で家ももちろん一人暮らし、保障関係で家追い出されそう。
でも前職・前々職解雇理由が「高校生って残業できないから」(前々職は解雇数ヵ月後、会社が破産しました)
そういうことも有り、基金訓練で乗り切ろうという感じなのと、手に職資格を取ろうと躍起になってる最中。
なんか今日のツイッターのTLをチラ見してたらFacebookがやたらHOTになってたので一言。
なんでかって?
ミクシィ()笑があるから。
GREE()があるから。
なんでかって?
一部のネットジャンキーや情報強者様達は新しく生まれてくるウェブサービスやトレンドに敏感で、
それらに飛びついては居心地が良いところを探し、一定以上定着すると次を探し求めて行く。
一方で情報弱者な日本の一般ユーザは、マスメディアで取り上げられて、話題の的にされたものじゃないとまず使わない。
ツイッターも最近になりようやくマスメディアに取り上げられることも増えたけど、それでも日本でのアクティブユーザが
爆発的に増えたかというとそうでもない。そしてコア利用者層と違い、それらの人々はクライアントを使わない(クライアントの存在を知らない)
ツイッターはクライアントがあって初めて使いやすいウェブサービスとなる。正直ウェブや携帯ウェブからは使いにくい。
けれど、最近のメディアの流行に乗せられて始めたような人はウェブや携帯ウェブから利用している程度である。
日本の一般ユーザはそれを「使いづらい」ままだと認識し、しばらくすると彼らはそのまま去っていくだろう。
クレームを入れる人もいるかもしれないが、サポート画面やサポート問い合わせ先が英語となるとそこで躊躇して
送るのをやめるものもいるだろう。
先ほどのmixiやGREE、モバゲーはマスコミの力を利用しつつ、さらに日本の一般ユーザがよく利用するシーンに合わせて、それらから
より最適に使いやすいように最適化したものをサービスインタフェースとして提供している。
さらに、日本企業が経営しているので、サポートももちろん日本語、クレームも言いやすいのでバンバンクレームを入れる。
日本人の一般ユーザにまだまだIEユーザが多いように、日本人はデフォルトのまま、慣れたものを利用しようとする。
その中でさらに使いやすいものを取捨選択していくので、海外のサービスは日本の一般ユーザまでになかなか浸透しづらい。
そうすると、Facebookが日本でも流行るという流れは、ごく一部については一時的に流行るだろうが、そこまでにとどまり、
広く一般には広まらずに沈下していくのではないかなと言うのが今の考え。
生命の目的が子孫を残すことだ、っていうのは実はちょっとおかしな話なんだよね。
だって、じゃあ自己複製型の増殖をする生命は『子孫』を残すんだろうか。生物のスタートラインはむしろこっちだったはずで、
自己のコピーが際限なく継続することを「子孫を残す」とはちょっと言わないよね。
その過程の中で「無性生殖は遺伝子のヴァリーエションに乏しいんだよな」っつーことで有性生殖が出て来た。
自己の反復・継続が主目的だった生命がある程度自己を捨て去って多様性にシフトしてる。
この時点で「あれー、生命ってなにしたいねん?」って話に普通はなる。だって、幾ら遺伝子の一部が残るとしても
それは自己じゃない。単性生殖生命は明らかに自己の保存を重要視してる。
そこで、不意に母性の話なんだけれども。
最近の研究で「母性本能」っていうのは神話に過ぎないことがわかっている。
ちょっと面倒な言葉を使うと「遺伝由来ではない」じぇねりっくえんどうめんとじゃないんだよね。
あれは、高等な生物(サル以上くらい)に於いては社会生活によって形成されるもので、遺伝子上からはデリートされてる。
社会由来の生態なんだ。人間にしてももちろんそうで、実は人間にアプリオリな母性本能なんてものはない。
教えてもらわなきゃわからないことなんだ。
そういうわけで、「子孫繁栄」ってのは人類にとって生物としての要請ではなく
「社会的要請」なんだ。固体の要求ではなく、社会的存在としての人類が要求しているってこと。
だから、「子孫を残す」ことは生物としての勝ち負けではなくむしろ人類としての勝ち負けなんだ。
子孫を残したいという欲求は、本能ではなくむしろ制度に近い。ディシプリンという奴だ。
生物学という神話と結びついて強固化された制度に過ぎない。「直観的」とどっかの増田は言ってるけど、それは先験的なものでは全くなくモダン以前の人類史によって形作られた制度なんだ。どっかのハゲたホモがそう言ってた通り。
しかし、最近になって人類は増え過ぎた。地球のキャパを越えて増え過ぎる我々は社会的要請より「多過ぎるわボケ」って
ことに問題を感じたりすることもある。まぁ、わが国は少子化なんだけれども。
要するに、人間の生存に「個体数」が大きな影響を及ぼさなくなってきてるんだ。少なくとも、先進国の中では。
では、元来が社会的要請であった「子孫を残す」もっといえば「殖える」っていうは、現在になってそれほど大きな要請じゃない。
子供作んなきゃ全滅しちゃうよ!誰が畑を耕して獲物を狩るんだよ!なんてコミュニティはあんまりない。
なにが言いたいって全ての生命を貫く大きな目的論なんてないんだよね。
もちろん、ガイア仮説からさらに引っ張った「人類は地球の精子だ、人類は宇宙に出て行く生殖細胞だ、地球は大きな精子バンクだ」みたいなトンデモ仮説を出すことは出来るんだけど。生命の目的論なんてのは結局確定できない。誰に聞いてもわからない。
そういうわけで、もっとずーっと階層を落として考えると、生命の「目的」というか明らかに共通する「目標」みたいなものはある。
それは欲求の充足ってこと。メシを食うとか性欲を満たすとか(≠生殖。同性もオナニーもアリ)そういうこと。こればっかりはどんな生物もあんまり関係なくある。もっと高い階層の欲求、社会的な欲求も含めて。
これをカッキリ満たした人が勝ち組なんじゃないかなぁ、生物学的に考えて、と俺は思う。だって、これくらいしか生命の共通する価値原則ってないんだから。だから、美味しいもの食べて楽しく生きて満足して死ねば勝ち組だよ、生物学的に考えて。
まとめ。
・「子孫を残す」っていうのは生物学的な要請ではなく人類史的な社会的要請だよ。
・社会的要請っていうけど、それはちょっと古い時代のことで現在ではそんなに要請されてないよ。
今回の討論会の件はなかなかガッカリ展開だった。
何が残念かって、討論会の内容そのものじゃなくて、いやそれも残念ではあったけど、それよりも、極めて断片的な、または誤った情報しか与えられてないことをいつまでも理解せず、どういう文脈で出た話なのか前後関係を想像することもなく、いもしない仮想敵を作って難癖つけてる一部の奴らに。
自分も現地行かずに津田に頼った口なので現地であったことは未だによくわからない。
そして津田でリアルタイムに伝わって来た情報は確かに酷いものだったと思う。
しかし、その後、あれは正確に伝わってない、そういう文脈じゃない、かなり誤解がある、と、話を取り持とうとしている人が何人も出てきてるのに、その話に耳を傾けずに今度はその人に対して噛みつきだす奴ってなんなの? バカなの? 死ぬの? 逆にその人が謝り出したりしてるけど、本来逆だろ?
一部の奴が無内容な妄想を投下し続けてるのは今に始まったことじゃないけど、今回はさすがに呆れた。
朝日の記事も確かに今回は残念なところはあったと思うけど、そんな終わった記事のことで記者に噛みついてる奴なんなの? 噛みつくと何か良くなるの? 追加修正記事でも出るの?
ひろみちゅも当日ついDISってしまったことで引っ込みつかなくなったのか、屁理屈を上塗りしては痛いところを大屋に突かれる始末…。
彼、普段言ってることの99%は正しいと思う。この問題における一連の調査にも脱帽した。尊敬してる。けど、うっかり人をけなしすぎた後それを取り繕おうとして無理な屁理屈モードに入ることが時たまあるように思う。でも、人間誰しも間違うときはあるんだから、少なくとも自分なんかよりは遙かに正しくて世のためになる活動してるんだから、小さい間違いはさっさと忘れて次の有意義な行動に移った方がいいと思うんだ。
とにかく今回は不毛なことしきりで残念だ。
今まで(間欠的に出没する天然荒らしを除けば)みんな同じ方向向いてたと思ったのに、それがこんなつまらないことでバラバラになるとはね。
まあ、現地に行かずグダグダ言ってる奴だけが悪いわけではなくて、津田った奴にももちろん不満はある。
不正確でいかにも誤解を招くような実況をした挙げ句…、いや難しいことをやってたんだからある程度不正確になってしまうこと自体は仕方ないと思うけど、それを見てみんなが「ええっ!?何かの間違いじゃないの??」と困惑している中できちんと補足や修正を入れずにフェードアウトした津田もどうかと思ったよ。「入れなかった」のではなく「入れようとして失敗した」のかもしれないけど。
けど、津田ってくれただけでも有り難いという気持ちもあるので、そっちはあまり非難する気になれないんだわ。もし自分がやったとしたら力不足で同じ状況に陥った可能性も否定できないし。
そんな中「だからUst希望と…」とか言ってた奴には呆れたよ、何様のつもりだよ。
え? 「現地にも行かず津田にクレクレしてただけのお前が言うな」? ごもっともですすみません。
結局何が言いたいかというとだな、みんな、いもしない敵を作って戦うんじゃなくて、前向きな活動しようぜ。
それと、三菱電機とMDISと図書館と警察と検察と裁判所が悪いということは99%間違いないと思うけど、だからって極論や屁理屈で貶めるんじゃなくて、一般世間に受け入れられるような公平・公正な批判をしようぜ。
聞く耳持たない態度の人が言うことは他の人だって聞く気にならないぜ。