はてなキーワード: ねじとは
たいていの作る側の人って「マイナーだけどいいものがある」って思い込んでいるんだけど、実際はよくないからマイナーなんだよね。
これははっきりと数字で出るし、マイナーなものをいくら広告してもコンバージョンが上がったりはしない。
あと自分がいいと思うものを作れば、他人もいいと思うはずだと思い込んでるやつ多すぎ。傲慢。
発表したい欲求はあるのに「人を楽しませたい」「人にわかるように伝えたい」っていう欲求がない。
注文も聞かずに勝手に作った料理を客の口にねじ込んで「文句は言うな!」みたいな感じ。
数字を追っていると「大衆には理解できないけどいいもの」なんてクリエイター側の自己満足、幻想、そう思いたいだけだってことがわかる。
永遠の謎 風呂に入って後悔したことない・20分もかからない・入ってから寝るまで心地よい・入浴後すぐは寝にくいので早めに入った方がいい などの事実をねじ伏せるめんどくささに毎日負けて寝る直前に入ったり朝入ったりしてる
上記の記事見て大筋は同意するけどちょっとずつ認識の違うところもあるので適当に書く
だから、片手間でやってる決済を普及させるために最優先事項を疎かになんかできない訳で
決済手段としての店舗の導入コストはいつまで経っても大して下がらない
初めから幅広く展開することを目的に立ち上がったPayPayに敵うわけがない。
関東でもSuica使えなくてPayPayは使える店なんて腐るほどあるが「Suicaサイコー!」な人達はそういう店に立ち寄らないんだろう
近所のスーパーとか行ってみると、沢山の人がSuicaを使えない店で買い物してるのがわかるよ
頑張って国際規格にねじ込んでも全然採用事例増えないのは規格自体が東京以外にはオーバースペックであるから。
決済事業がどうなろうがラッシュがある限りSuicaも死なない。
ディズニーの作品、マレフィセントやアナ雪なんかは、「同性の恋愛や、姉妹愛こそが至高」っていうメッセージが込められてるわけだ。
それだけならまだいいんだ。日本の漫画やアニメだって、そういうシーンは沢山あるし、だからと言って漫画やアニメを見た人が、ラディカルな思想に染まることはない。
でもおかしいのは、「異性愛」を敵に置いて、徹底的に嫌悪しているところ。
いや、こういう作品を見て喜ぶのって、「異常者の母親」つまり毒親でしょって思う。
この毒親ってのは結構な社会問題だと思っていて、奴らの頭の中はマレフィセントみたいなファンタジー妄想でいっぱいなんだよ。
「親子愛こそが優先されるべきで、異性愛は糞」みたいな。
この作品が一部の趣向に向けたならまだしも、世間はこれを「正しくて素晴らしい価値観」として許容しているわけでしょ?その捉え方はおかしいと思うのよ。
エドゲイン、加藤智大の母親ってのは、徹底的に異性愛を嫌悪してたんだよね。エドゲインの母親は男が嫌いで、自分の子供に対し性器に唾を吐かせたりさせてた。
結果的にエドゲインはその性癖の行き場を無くして、他者の死や母親、女になることに対して性的価値を見出してしまったわけだよ。
加藤智大も女と仲良くならないよう邪魔をして教育し、結果的に人本来の衝動が全て学歴や自身のコンプレックスに向かってしまった。
何が言いたいかっていうと、「大多数の思想を否定することを社会的に正しくするな」ってこと。
俺はヒーロー映画は好きだが、暴力で他人をねじ伏せる事を社会的に正しいと思っている世界には住みたくない。
ああいう映画は、同性愛が好きな人や毒親的なフェチを持つ少数派の為の映画であるべきであって、あれが正しいとなる社会は、社会が犯罪者の母親としての性質を持つのと同義だ。
https://togetter.com/li/1409562
こちらのたくさん本があったという話について、古本界隈で働いていたので書いておこうと思います。
別に隠れて投稿することもないかと思いましたが、業界の裏話的な内容なのでこちらにしました。
まず図書館への寄贈は、よほどの希少本でない限り基本的に断られます。
同様に病院や養護施設などへの寄贈も受け付けてないことが多く、内容についても精査されるので難しいです。
これまでの経験からひとりで保管できる最大がだいたい1万冊なので、ここでは仮に1万冊持っていたとします。
それを古本屋が買い取るとなると、トラックなどで往復する手間とそれなりの人手が必要です。
複雑な戸建てや高層階のマンションなどは運び出すだけでも数日かかりますのでここで数万円、場合によっては10万くらいの費用が発生しています。
価値があるかどうか、破れていないか、ペンなどの書き込みがないかをチェックしながら、販売用と転売用と廃棄用に分けていきます。
販売用とは自分で販売するという意味で、最も価値がある本ということです。
もちろん全部売れるわけではないので、利益が確定しているわけではありません。
転売用とは自分では売らないが他の同業他社が扱っているものです。
この基準は各店舗で異なりますが、例えばあるジャンルは扱ってないとか、破れやシミなどがあるものは扱わないとか、単価の安いものは扱わないとか、それぞれ独自の基準を持っていますので、自分が売らなくても他店で取り扱っているのであればそちらに回します。
破れていたりコーヒーがかかっていたりと商品としての価値がなくなったものはこちらです。
その他電話帳のような元々価値がないものや、販売が困難なものもこちらに入ることが多いです。
専門店でないと取り扱いが難しく、またそのような専門店に転売しようと思っても、それぞれに価値があるのかどうかの判断に時間がかかったりと、色々と手間がかかるのでそのまま廃棄処分となることが多いです。
廃棄処分の方法も地域によって違いますが、トイレットペーパーと交換したり、1kgいくらかで古紙業者に買い取ってもらったりします。
なおこれらの選別作業を買い取るときにその場で行う業者もあれば、冊数や重さなどで買い取る業者など色々です。
私のいた店ではその場でだいたいの価値を算出して買い取っていましたので、かなり高値で買い取っていたと思います。
コレクションの内容や保管状態によってバラバラですが、割合としては、販売が60%、転売が10%、廃棄が30%くらいだと思ってください。
過去には数万冊の本を買い取ったのに、あまりに汚いということで持ち帰ってすぐに全部廃棄処分したこともあります。
見た目が綺麗でも裏表紙に蔵書印が押されていたり、ネットカフェ経由の本はほとんど売れません。
ネットカフェのような乱雑に扱われることを想定している場合は、表紙が糊付けされていたり、ページが抜けないように本全体をタコ糸などで補強していることが多く商品としての価値がありません。
また多少のページの折れはいいのですが、変な形に曲がってしまってる本は全く価値がありません。
保管するときはブックエンドを使ってまっすぐ立てるか横にまっすぐ寝かせてください。
こうして販売用として残った本を販売できるようにする作業に入ります。
過去の販売履歴などから想定される価値を計算し、販売に値するか判断します。
ここで単価が安すぎるものや回転率が悪く自分の店で販売するには在庫リスクが高すぎるという場合は他店への転売に回したりします。
小説や実用書はそのままクリーニングにまわしますが、漫画の場合はシリーズがそろっているかチェックします。
本が少ないときはいいのですが、3000冊を超えると神経衰弱みたいで気が狂いそうになります。
10巻完結の漫画で1冊でも足りないとバラ売りになってしまいます。
最近の本であれば自分で買ってきて足せばいいのですが、数十年も前の本は簡単に買い足せません。
単巻で価値があるものはそのまま売りますが、揃わなかった多くの本は他店にまわします。
あと1冊でコンプリートするのに、という状態の長編漫画が山積みというのは業界的によるある話です。
また1巻は色んな古本屋で売っているが最終巻はどこにもない、ということはよくあります。
友達の家で読んだとか、途中で面白くなくなったとかの理由で最終巻を買わずに中途半端な状態で売る人が多いです。
あまり出回ってない漫画はちゃんと全巻揃えて売ると、価格があがったりしますので参考にしてください。
揃っている漫画はほとんどが販売されますが、雑誌やライトノベルはほとんど販売されません。
雑誌で価値があるのは特定のアイドルの写真が掲載されているとか、特別な理由があります。
私も学生時代にあるアイドルが掲載された1ページが欲しくて古本屋で汚い雑誌の抱き合わせの束を買ったことがあります。
激安にすれば売れるのですがそれでは商売になりませんので基本的に他店に転売します。
通常の小説でも単行本は販売される確率が文庫本の半分くらいですが、高値のつく確率が高めです。
単行本はコレクター要素があるので、本棚に飾りたいという需要もあるようです。
私も村上春樹の本を棚に並べていたりしますが別に読み返すことはありません。
ただ映えるという理由だけです。
多くの実用書は時代の流れで価値を失いますが、一部ジャンルの実用書は著者によっては下がるどころか価値が上がるものもあります。
たとえば囲碁、将棋、麻雀が該当します。また一部の経済本も価値が下がりません。
そのようないわゆるレア本は表紙がなくても高値で売れたりします。
この段階で半分以上の本が脱落します。
本というのは本棚などに長年置かれているため埃やシミなどが付いているのでクリーニングが必要です。
まずおおざっぱにタオルなどで埃を取ってから、専用の洗剤を付けた布でゴシゴシ磨いていきます。
その結果、力を入れすぎて表紙が破れたり、シミが取れなかったり、逆に洗剤によってシミが付いたものは廃棄処分となります。
ブック〇フのシールが貼られているような本は売れませんのでシール剥しを使って剥していきます。
人気のある本は5枚くらい貼られているのでイライラしながら剥します。
外に貼られているものは簡単ですが、中にシールが貼られている場合は手間がかかり、場合によっては剥すときに傷がついてまた廃棄処分となります。
なぜか多いんですよね、これ。
所有者によって本の扱い方に個性があるので、表紙が1冊折れていたら30冊あると思え、が標語です。
本はまっすぐ開いてください。もちろん開きすぎて開き癖が付いてもいけません。
また表紙がずれるのが嫌で表紙をテープで止める人けっこういますがおすすめしません。
経年劣化したテープはシミになってしまいまい本の価値が激減します。
こうしてクリーニングを突破できなかった10パーセントくらいの本が脱落します。
このような工程を経て実際に自分の店で販売されるのは買い取った全体の10%くらいになります。
他店に転売したときに多少の現金は入りますが、単純計算で1冊10円で買い取ったとしても1冊100円の購入経費がかかっていることになります。
また上記の選別作業やクリーニングに1冊2分くらいかかりますので、見えないところで人件費がかなりかかっています。
それらを考慮するとブック〇フのように100円で売っていたのでは儲けが出ないどころか赤字なのです。
ただ私のいた店では売りに出せばほとんど売れるという厳しい基準で販売していたため、他店ではもっと販売に回していると思います。
概ね9割が売れていましたので、売れ残った本が山積みになっている街の古本屋を想像してもらえれば、経営方針の違いがよく分かるでしょう。
色々と厳しい基準を書いていますが近年のお客さんはとても目が厳しいのです。
私の若い頃(それなりに年です)は古本屋の本といえば埃みまれだったりソースがかかって汚れていたり破れていたり雨に濡れてシワシワだったりと酷いものでした。
ですので新品同様になるように手入れをして、新品同様にならないものは売らないのです。
この流れはブック〇フが作ったといっても過言ではありません。
男女平等には2種類の平等がある。2種類とは、"性別による差を無視する平等"と"性別による差を補填する平等"だ。
日本の女性の多くは、"性別による差を補填する平等"を重視し、"性別による差を無視する平等"はあまり考えていないように思う。
でも、どちらの平等も重要で、使い分けるケースがあると思うのだ。
以下の記事を読んだときに、男性スタッフは仕事であるから"性の違いを無視"するように振舞った。これは男女平等の社会、多様性を許容する社会の上ではとても良い行動だったと思う。
"男性スタッフがレジで女性の下着のレジ打ちをするのにはやはり抵抗があるか??"
しかし、女性客はこの行動を拒絶して女性店員の対応を要求した。これは性別による差別だと思う。男女平等の社会、多様性を許容する社会の上では批判されるべきだ。
一方で、これは生理的判断としては正しいとも思う。つまり、"平等"とは本能や生理的な反応を否定し、理性でそれらをねじ伏せて行動することだ。男性スタッフは生理的には対応したくなかったが、理性でその感情をコントロールして対応した。これが平等を重んじる社会における正しい行いだと思う。本能を理性でコントロールすることは難しいしストレスがかかるが、平等を重んじる社会では皆がそれに立ち向かっていかなければならない。
さて、この記事へのブックマークを見ると、女性のほとんどが女性の店員がいればそちらに持っていくという。これは男性スタッフに失礼を与えはしないが、明確に性別による差別だ。このように日本人女性が"性別による差を無視する平等"について軽視していることは問題だと思う。
他方、アメリカでは女性が公共の場でトップレスになるのが6つの州で合法化した。また、ノルウェーでは40年前から女性が軍に志願できるようになった。これは、"性別による差を無視する平等"である。欧米は"性別による差を無視する平等"も重視していると強く感じる。
ここで、日本の女性が重視している"性別による差を補填する平等"についても述べたい。例として、産休や育休、つまり労働可能な時間が短くなる女性についてもある程度変わらない給与を支給するものがある。ある評価基準によって"能力"が定義され、能力は個体差がある。評価基準は何かの生産性に基づくもので、能力が高いということは生産性が高いということなので、能力が高ければ社会における待遇はよくなる。
一方で、能力が低くても一定の待遇は保証されるべきだという考えが"差を補填する平等"である。これも非常に重要な平等だが、こちらは無制限には行えない。なぜなら、"差を補填する"際にコストが必要だからだ。だからこれは"弱者が救済されるために"使われるべきだ。強者にバイアスをかけるようなコストは減らすべきだからだ。
欧州は弱者へのコストが膨らみすぎて、もはや国家の経済が存続できない国が現れた。それ故、コストがかかる"性別による差を補填する平等"だけを重視するのではなく、"性別による差を無視する平等"によって全体の調和を整えようともがいているのではないか。
産休や育休のような、"性別による差を補填する平等"は今まで以上にどんどん取り入れるべきだと思う。それによって豊かに暮らせる人や家庭が増えればよい。でも、これからの日本は"性別による差を無視する平等"も考えていかなくてはならないと思う。"差を補填する"リソースは無限ではないのだから。
さて、日本人男性についてあまり話していなかったが、日本人男性は"性別による差を無視する平等"を重視する世の中を望んでいると思う。理由は、"性別による差を補填する平等"で男性が利益を得るような制度がないからだ。でも男性の中には、タピオカドリンクを飲んでみたかったり、女装してみたかったり、女性向け漫画が好きだったり、主夫になりたい人もいるのだ。彼らは"性別の差による補填"を望むことはない。"性別によって差別"されたくないのだ。性別に関係なしに、自分の興味があることを試したり没頭してみたいのだ。
はてなでも男女平等について色々な議論が生じる場面があるが、いつも男女間で議論がかみ合わずに平行線になる。これは、女性が"性別による差を補填する平等"を重視している一方で、男性が"性別による差を無視する平等"を重視しているからだろう。それぞれの平等はどちらも重要だが、いっしょくたに考えてはいけないのだ。別々のものとして考え、どちらの平等が適したケースかを議論する必要があるのだ。
日曜に行われたアイルランド×スコットランドのレビューも望外のブクマ数をいただいて嬉しい。
W杯が開催された最初の3連休で増田が書いたレビューが多くの人に読まれ、ラグビーを楽しもうとするみんなの時間に少しでも価値を付け加えることができたのは、増田にとっていい休暇だった。
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そんな3連休最後の夜、豊田スタジアムでウェールズ×ジョージア戦が行われた。
随分と放送時間を割いてくれたNHKと日テレだが、現段階で日本と関わりの薄い両国の対戦は、さすがに地上波放送されず、ラグビー中継の楽しさに華を添えたい増田としてもレビューで価値を提供できるのか迷った。
しかし増田が個人的に両国に思い入れがあり注目しているのと、地上波放送がある29日のウェールズ×オーストラリア戦が当日の所用でおそらくリアルタイム観戦できないので、それならば「プレビューがあれば」との声に応えて、この試合を解説して今大会のウェールズがどうなのかという視点から29日のプレビューのような役割を果たしたいと思う。
また、異様に個性的な対戦国のジョージアが今大会どういったラグビーをするのかも観戦して確かめたい。
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ところで、前レビューで、おそらくより北半球事情に詳しいブクマカがアイルランド×スコットランドの通算対戦成績に関して教えてくれたが、増田は通常、南半球のラグビーを中心に追っており、北半球に関しての知識は主に近年のテストマッチから得ている。
TOP14などのクラブレベルでの情報はますます少なく、大型移籍くらいしか語れない。
なので、通年追っていれば、そういった素養として当然染み付いてくるはずの知識の分厚さが心もとない。
せっかく褒めもてくれたのだから、もっと知識があれば北半球の魅力を伝えられたのになぁと思う。
オールブラックス×スプリングボクス戦でモウンガの切なさについて語ったのに、22日のレビューでは選手でなく豪出身レフェリーのニック・ベリーさんの筋肉を取り上げたのはそのためだ。
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今日の出場する選手でも小ネタを知っているのは、前回W杯に第1スタンドオフの怪我で第2スタンドオフから繰り上がり、今回もまた怪我のガレス・アンスコムの繰り上がりで第1スタンドオフになったウェールズのW杯男ダン・ビガーと、増田が仕事の情報収拾でウェブサイトを見ていたらワイルドなイケメンとしてスーツの宣伝キャラクターに起用されていたダン・ビガーと、プレースキックの前に文字で表現するのが難しい独特のプレ・パフォーマンス・ルーティンを行うダン・ビガー位だ。
誰か、北半球について追っている人がいれば、みんなでより楽しくW杯を見られるのになあと思う。
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さて今日の話題、大相撲の力士、栃ノ心の出身国という以外、日本ではあまり馴染みのないコーカサスの国ジョージアだが、ジョージアの男は伝統的に体が強く、相撲だけでなくラグビー、レスリングなど取っ組み合いを伴う競技やパワーが決する競技を得意としている。
かつてはその異常なパワーを最大限に生かしてひたすら縦に前進する「幅5mでやるラグビー」などど言われていたが、近年はそれだけでは勝てないと展開ラグビーにも力を入れ、それが功を奏してランキングを上げてきていた。
それでもこの国の最大の強みは「スクラム」だ。
ジョージアにとっては、スクラムでの勝敗が自分たちのアイデンティティに直接関わってくる。
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正真正銘の優勝候補、ウェールズと並んで入場してくるジョージア代表。
昨日のアイルランドもどこかただ事でない空気をまとっていたが、ジョージアはジョージアでシャレにならない男臭さを放っている。
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試合は開始早々、ウェールズのキックオフをジョージアが落球し、いきなり注目のスクラムとなった。
ここからウェールズがくり出した攻撃を止めたジョージアだが、その過程で前に落球してしまい、再びウェールズボールのスクラム。
この後ろのディフェンスラインに隙間があり、ウェールズがそこをめがけて、さながら赤いロケットを発射するように大男を3人走り込ませる。
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コンバージョンキック前のルーティンが話題になったSOダン・ビガーだが、真ん中の超イージーな場合まではやらない。
5-0。
ウェールズは6分にもペナルティを得てダン・ビガーがペナルティキック。
流石にこれはルーティンをやったが、以前よりルーティンが小さくなっている。
独創的すぎる動きのせいで前回W杯以降、世界中であまりに弄れらたので修正が入ったのかもしれない。
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11分、今後はジョージアが得意のマイボールスクラムで崩しにいったがウェールズが動かなく、その後の処理を誤って相手にラインアウト与えてしまう。
そこから準備されたセットプレーにふり切られたジョージアはトライを食らう。
続く18分にもウェールズはラインアウトからの攻防で、またもスッポリ開いたディフェンスラインの穴を突きトライ。
ジョージアはセットプレーから一発の攻防で3連続のトライを許した。
ダン・ビガーがもうちょっと動きが大きくなったルーティンから正確なキックを放ち、22-0。
ウェールズは39分にもラインアウトから次々とランナーを走り込ませてトライ、最後のコンバージョンを沈めて29-0とした。
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ジョージアのパワーを跳ね返してセットプレーから前半だけで4トライをあげたウェールズ。
パワーで押しきれなかったことが点差以上に屈辱的だったジョージアはどう修正するか、このままでは引き下がれない。
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後半、キックオフ直後の41分、偶発的に起こったようなウェールズの反則で、ジョージアはラインアウトを獲得、そこからのモールの攻防を押し込んで初トライを奪う。
このトライは点差だけでなく「力押しで勝った」ことでジョージアに面目を取り戻させた。
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46分、ウェールズのラインアウトのタイミングでジョージアは一列目の3人を変更。
ラインアウトからモールを形成して押すウェールズにジョージアはたまらず崩してしまうが、この崩し方がよくなかったということで、イエローカードが提示され、いきなり投入した3人のうち1人、ジャバ・ブレグバゼを一時的に失った。
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54分にはウェールズが持ち込んで形成された密集を交代で入ったジョージアの18番レバン・チラチャバがパワーで捲り上げてボールを取り返し、続くスクラムでも押し勝って優勝候補に自分たちの強みを見せつける。
会場の雰囲気はジョージアへの期待に溢れ、点差は開いているのに感情の熱量が上がっていく。
62分の攻防でも再びウェールズのボールをチラチャバが密集から引っこ抜き攻守逆転。
ハーフタイムのジョージアロッカールームで一体何があったのだろうか、豊田スタジアムには球技というよりまるで決闘が行われるコロシアムのような歓声が上がった。
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すぐに切り返したウェールズがディフェンスラインの裏に蹴ったキックを走力でトライ、36-7とするが、68分、またもスクラムで押し勝ったジョージアはそこからの攻防で三度現れたチラチャバがボールを地面にねじ込んでトライ。
豊田スタジアムの観客はスタンディングオベーションで、あまりのことに勝っているウェールズのウォーレン・ガットランドヘッドコーチはお通夜のような顔になってしまった。
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完全にジョージアホーム状態の会場の中、なんとかジョージアの息の根を止めたいウェールズは75分、鋭いランで次々とジョージアのディフェンスをかわしてトライ。
この後点は動かずノーサイドとなった。
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43-14、数字だけ見れば完敗のように見えるジョージアだが、後半だけ見れば14-14。
列を作ってウェールズの選手の拍手で送られるジョージアの選手は3万人を超える観客に漢を見せつけた。
前3戦で戦術の話をして面白さを伝えようとした増田だったが、それをしようにも、今夜はなにかそれを超えるものの存在感が大きな試合だった。
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さて、この試合で若干の不安を見せた優勝候補のウェールズ、次はオーストラリアとの大一番に臨む。
今日後半に度々食らった密集でのターンオーバーは修正できるだろうか。
オーストラリアにはこのプレーの名手、デービット・ポーコックがいる。
29日の試合では、ウェールズがここを修正できたのかにも注目してほしい。
昨日のオールブラックス×スプリングボクスの試合レビューも好評で、なによりラグビー観戦が楽しくなったというブコメが嬉しくてたまらない。
増田としては、「わかりづらい」と言われたり、「興味ない」と言われたり、そうかと思えばどうも変な話題が注目されたりするラグビーの、その競技自体の楽しみを分かち合いたかった。
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今日22日は、日本と同じプールでやがて相まみえるスコットランド×アイルランドの試合が行われた。
もうすぐ戦う相手がどんなチームかを知れば、単純に「日本頑張れ、すげー、なにやってんだ」以外にもうちょっと違う楽しみ方を提供できるかも知れない。
この対戦のキーワードは「ストラクチャー」と「アンストラクチャー」、そして「雨」だ。
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「ストラクチャー」と「アンストラクチャー」は、敵味方の状況に応じた陣形の状態で、「ストラクチャー」とは攻守双方、準備万端ラインが整っている状態をさす。
対する「アンストラクチャー」は、ライン状態がグチャグチャで、攻めようにも綺麗にできないし、守ろうにも予測不能な状態を指す。
「ストラクチャー」はスクラムやラインアウトから、「アンストラクチャー」はハイパントの落下点の競り合いや、相手の攻めからボールを引っこ抜くなどターンオーバーから起こりやすい。
「ストラクチャー」は準備がモノを言い「アンストラクチャー」はしばしばアドリブ合戦になってしまう。
両国の関係でいうと、アイルランドは「ストラクチャー」に強く、スコットランドは「アンストラクチャー」に強い。
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ただここに要素を加えるのが雨で、アンストラクチャーからスピーディーなアドリブを仕掛けようと思うと、パスが速かったり複雑になりやすく、雨でボールが滑ると厄介なことになる。
ストラクチャーでも複雑なことはできるが、短いパスや力押しで極限まで単純に、遅く、確実にもできる。
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両国の力関係でいうと、アイルランドが圧倒的に強く、スコットランドといえばUK陣の中では身体が小さく、常に相対的弱者、いつでも工夫と諦めない姿勢でサバイブしてきた。
しかし今日の天候いかんで自分たちの強みを出しづらくなる可能性がある。
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キックオフ、試合の入りはスコットランドがキックを執拗に蹴って自分たち好みのアンストラクチャーゲームを演出、しかし5分、逆にその混乱から抜け出したアイルランドがパワーでねじ込んでトライを奪った。
アイルランドは世界最強のフィジカル軍団などと言われて、確かにそうなんだが、反応速度も個人のスキルも、戦術眼も高い。
スコットランドはそれでもキックで不確実性からチャンスを探すプランを変えない。
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両チームもスプリントが爆発的に早いので何が起きるかわからないスリリングな展開の中、14分、アイルランドがペナルティーを得て必殺のモールを繰り出し、2トライ目。
アイルランドの恐ろしいところは1人でも強いが、固まるともっと強いところ。
スクリングボクスはフィジカルこそ凄いが、どこかナイスガイみたいな素朴な感じがあるのに対し、アイルランドは暴力的なほど圧倒的なフィジカルで迫る上に、顔がシリアスでなんか怖いのだ。
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12点差を追うスコットランドは17分、自陣でモールをやり返す。
モールで前進できるのはいいとこ7〜8mほどなので、こんなにトライから遠いところからちょっと前進しても一見合理性がなさそうなんだが、そういうのがしばしば冷静になるきっかけだったりする。
それに、集団での力押しは合戦はラグビーでは自信や意地という面で象徴的な意味を持つ。
膂力で勝てないのが明らかでも、それを簡単に認めてはいけないのだ。
ここで一瞬流れを取り戻しかけた。
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しかし24分、ファンブルからアイルランドが大きく前に蹴り出したキックが、アイルランド陣ゴールポストに当たって、結局不利なリスタートが適応される状況になる。
スコットランドは攻めは決して悪くないのに、運が悪く、猛スピードで台風のように迫る怪力男だけでなく、運とまで戦わないといけない。
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その後、何度もスリリングな展開があったが、スコットランドは必死の抵抗でギリギリのところで踏みとどまる。
16点差をつけられたスコットランドは2トライ以上とらないと逆転できない。
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試合開始から双方蹴りまくるハイパントだが、その目指すものがアイルランドとスコットランドで違う。
アイルランドはハイボ後にタックルを食らって停止しても、ゆっくり前進すればいいし、落球してスクラムで力勝負になっても崩していける。
しかしスコットランドはできれば再獲得して、プレーを切らずに抜け出したい。
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雨という状況もあるが、キックの精度自体も全体的にアイルランドの方が高く、スコットランドは自分たちにうまくボールが入るキックを蹴れない。
スコットランドは、主にキックを蹴っていたSHレイドローを下げ、キープする戦術に変更した。
しかし、そもそもが展開でアイルランドのディフェンスを突破できないからのキック戦術であり、キープして走ってもやはり突破できない。
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それでも諦めないスコットランドは70分ごろ、FBスチュワート・ホッグがぬけだし、それを止めようとしたアイルランドが悪質な反則でイエローカード。
10分間退出で数的優位を得る。
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その後点は動かず、27-3でノーサイドとなった。
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パワーで勝り、技術も高く、ストラクチャー状況でも勝てるアイルランドだが、結局ほとんどの得点はスコットランドが仕掛けるアンストラクチャーからの切り返しであげた。
スコットランドとしては自分たちが賭けた不確実性をモノにできなかったのと、雨、そして爆発的なスプリント能力を誇る飛び道具のスチュワート・ホッグが完全に封じられたのが痛かった。
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この試合を通して、両軍が蹴りまくったハイパント、ブコメで「古典的な戦術だ」という意見があった。
慧眼のファンがいて嬉しい。その通りだと思う。
ただ、あの瞬間に何が起きているのか、みんながもっと楽しむために、増田にさらに解説を付け加させてほしい。
確かにハイパントは昔からあるプレーで、「弱者の戦術」と言われていた。
20年ほど前の大学選手権では明治や早稲田に挑む慶應大学がよく使っていた記憶がある。
ただ、近年活用方法が変わってきて、増田の記憶に残っている観測では前回のW杯直後にオールブラックスが採用し出した。
不確実性では同じだが、ハイパンを相手がとって着地した瞬間にタックルを見舞って止める、あわよくば誰かが落下点に走り込み競って直接再獲得、相手がファンブルした場合、プレーが止まればノックオンという反則で自軍スクラムだが、笛を待たずに自分たちで拾って継続すれば、自軍有利なのでプレーは継続される、その瞬間はディフェンスが崩れきっていて最大のチャンス!という確立された戦術に変化した。
これは、選手のアスリート能力の向上と、戦術分析を背景に、地上戦だけのディフェンス突破が難しくなった事に対する対応だった。
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今日の結果を見れば、アイルランドには隙がなく、スコットランドの方が相対的に与し易くも見える。
しかし、じゃあ、スコットランドをターゲットにして、アイルランドは負けても仕方ないよね、という損得勘定でスコットランドに臨んで勝てるだろうか。
理屈で言えばそうかもしれないが、増田はこの絶望的な状況でも諦めないクソ意地を見せつけたスコットランドに、そんな半端な精神性で挑んで勝てるとは思えない。
そもそもスコットランドは「相対的な弱者」であって、日本にとっては「強者」だ、「弱者の戦術を知り尽くした強者」ほど困った敵もいない。
「アイルランドを抜いて戦う分、スコットランドで必勝」などというヌルい精神状態を利用されない訳がない。
今日わかったのは「アイルランドは引くほど強い」「スコットランドはどんな状況でも諦めない」という事だ。
さて、日本はこの2国にどう挑むだろうか。
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最後に、レフェリングへの絡みについて質問があったので少ない知識でも答えられることを答えたいと思う。
ラグビーにおいて、レフェリーに対して長く会話ができるプレーヤーは双方のキャプテンのみ。
それも、レフェリングに対して「抗議をする」というより、レフェリングへの「解釈を聞く」というもの。
なぜそうなるかというと、そもそもラグビーはレフェリー不在で始まったスポーツであり、「ラガーマンとして恥ずかしくなく振る舞おうぜ」って具合に選手同士の話し合いで反則の適応を決めていたのだが、あまりに速く激しく複雑になりすぎて、「これちょっと選手同士じゃ無理だね、誰かに頼むか」と「判断をお願いする」形でレフェリーが登場した。
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そして「解釈」なんだが、ラグビーではあまりにもカオスなことが起こりすぎて、反則などについてきっちりしたルールを文字通りに適応すると、しばしば「あれ、反則もらったけど逆に損じゃん」という矛盾した状況が起きてしまう。
また、外から見るとわかりづらい状況でレフェリーによって、反則のラインが異なったりする。
典型的なのがスクラムで、あれは「故意に崩すと反則」なのだが、何をもって「故意」とするか、それにどっちが「崩したか」が非常にわかりづらい。
その判断はレフェリーに委ねられ、プレーヤーが「そりゃねーよ」と感じても「抗議」はできない。
せめて「あれアリですか?」「アリ」「どこでアリです?」「さっきのアレ」という感じで「解釈を聞いて活かす」ことしかできない。
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レフェリーはフィールドでは絶対権威なので、じゃあレフェリーは好き勝手に笛を吹いて選手は従うしかないのかとなるが、そこで問題になるのが「解釈の一貫性」で、解釈の線がブレると選手はレフェリーに振り回されることになる。
そうなると、「あのレフェリーって笛に一貫性がないよね」となり、あんまいい評価をされない。
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でも、多分、問題は「評価が下がる」ことじゃなくて、「そんな笛を吹いて自分に恥ずかしくないのか」という事だと思う。
他者が律するとこができない権威なら、自分で自分を律するしかないのだ。
選手がレフェリーのせいにしないように振る舞うなら、レフェリーもまた自分の笛に責任を持たないといけない。
ラグビーに関わるなら、選手もレフェリーも、すべての人が「あいつがああいった」とか「自分が偉い偉くない」とかそういうことではなく、それに「ほかの奴はああじゃん」とかそういうことでもなくて、「自分がどうなのか」ということなのだ。
あんなにクソ走るスポーツについていきながら、不可解な状況を判定し、その上一貫性についても責任を持たないといけない、ラグビーのレフェリーというのはスゲーと思う。
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ちなみに地上波放送されなかったイタリア×ナミビア戦では、スクラムを真横で見ていた豪出身のレフェリー、ニック・ベリーさんが、持ち出したボールでスクラムの真横を急襲しようとしたイタリアの8番に激突されるという一幕があった。
まあベリーさんは元ラガーマンで、レフェリーに転身してから現在も「その筋肉、いる?」って位にムキムキなので事なきを得たが。
もう一回いうけど、ラグビーのレフェリーというのはスゲーと思う。
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日本からは今回、アシスタントレフェリーとして、久保修平さんが参加している。
中継で名前を見つけたら探してみてほしい。
オレオレ解釈を理由にライセンスを作り、本来不要な場に無用な介入しているのが問題なんだ。
理念は正しいしやってることの正当性も有る筈なんだけど、その上で自分の介入が第一にあるせいで動きがねじまってるんだよ。
国内e-sportsのためにとか言いながらプレイヤー軽視で蔑ろ。
省庁と連携して動いているのは素晴らしいから頑張って欲しいんだが、動きが糞すぎて賛同できねえんだ。
でも従来男の世界と言われていたところに女性やその他のマイノリティねじ込んで華々しく活躍させろというのはポリコレ側の要請じゃん
じゃあ一体どうすりゃ満足なの? 何人いてどういう役割なら正しいとみなされるの? ゴーストバスターズみたいに全部乗っ取らないと許容されないわけ?
男グセの悪い奔放なフェミニストと、家父長制フェミニストが対立している。
どんどん性表現を行い、好きな男を他人から奪いながら寝て、社会的にも、やりたいように力でのし上がっていく。これが、与謝野晶子、市川房枝など、日本の伝統的なフェミニストである。一言で言うと元気でエネルギー溢れる黒いマッチョのゴリラである。現代でも、瀬戸内寂聴や、北原みのり、はあちゅう女史などにその傾向が見られる。
ところが、今はてなで見られるようなフェミニストは、それとは全く異なる。性的な表現や肌の露出を嫌い、社会や男性からの保護を希望し、困難さの責任は自分にはなく、自分より高齢の男性にあるとする。より正しいルールと、高い倫理観を好み、それに従うことを望む。これが笑えるのは彼女の発想が、実際はどう見ても保守派的である点である。
このように、フェミニストを自称する人々の中身が、革新派テロリストから、ゴリゴリ保守派に、いつのまにか、変質してしまったことが、議論のねじれの原因となっている。
正直なところ、タトゥーはしてほしくなかった。
推しはファッションセンスがないのでダサいタトゥーを入れるという悪い意味で予想どおりの展開だった。最悪。
もっと目立たない場所に控えめに入れればセンスある〜みたいになるかもしれないのに、手の甲て。推しのファッションセンスのひどさここに極まった。似合ってないしおしゃれじゃないので絶対こなれない。最悪。
あともともとの白い肌が汚れるのもったいない。
推しはとっても鍛えているのでがっちりしたイメージがあるのですが本来はとても骨格が華奢で手指も華奢で白くて薄い肌から血管が透けて関節や指先がピンク色になっててとても綺麗なんです。それがあのタトゥー・・・。
まじで入れるにしても手に入れるなよっていう。
いつかグループ解散して個人仕事するとしてテレビとかどうするんだろう。向こうの国はそういうのあんまり関係ないのかな。ドラマは無理だよね。でも推しはドラマ仕事は似合わないし本人も歌手以外の仕事を望んでなさそうだからまあいいってことにしよう。もうそこは知らん。
それに関連するけど、MVやスチールの撮影に影響は出ないのか。
スポンサー的にタトゥーがNGだったら?ポージングの幅が限られたら?
世界的な福祉団体のイメージキャラクター的なお仕事もしてますよね?
あなたの身体はあなたのものだけど、それは欺瞞です。商品です。
それがわかるメンバーが揃っているグループだから熱愛もスキャンダルも出ず成功したんだと思ってたよ。
自慢のプロ意識はどこいった。
それでいて彫った言葉はファンたちの愛称て。重いわ。重いしクソダサい。推しにはかっこよくいてほしいのに・・・どうしてそうなる。
重いし、ファンの愛称彫ることが反対派の文句のある種のねじ伏せみたいなかたちになってるのも嫌。そういうつもりではないのかもしれないけど。
推しは昔からタトゥーを入れたいと言っていて、別のメンバーが窘める意味でタトゥーに反対するファンに対してどう説明するかと昔聞かれたとき、愛しているといえば許してくれますよとクソ生意気なことを言ったあの場面を思い出した。もちろん今はそういう考えはさすがにないと思うけど。
自分たちの愛称を彫ってくれるなんて〜とか喜んでいるファンもいるけど、個人的にはむしろなんかもう怖い。彼にとってファンってとても意味深いものなんだろうけど、そこまですることない。人間は何かに依存しなければ生きていけないけど、何事においても依存しすぎるのは危険だと思う。
いろいろ不満を書いてしまったけど、推しが自分の思い通りにならないのがいやなんだろうな。
推しに勝手に母性感じてかわいいかわいい言ってるオタクなので、そういう「かわいい」対象としての推しがタトゥー入れることで本来の「かわいい」イメージと離れるのが嫌なんだろう。
ファンとしてこういうエゴを持っちゃったらもう潮時だな。っていう自戒の意味と、ファンとアンチが紙一重ってこういうことを言うんですね。っていう気づきを得たということで、ここに残しておく。
以前付き合っていた男が巨根だった。「俺でかいんだよね」と巨根であることを鼻にかけ、挿入さえすれば女は満足すると思っている輩だった。当然前戯は3秒で、濡れていないまんこに巨根をねじ込む上、遅漏なので延々と付き合わされる。ただただ苦痛だった。性の不一致からうまく行かなくなり、別れた。
包茎手術エントリ(https://anond.hatelabo.jp/20190830194755)を読んでこの男のことを思い出した。そのエントリの主題からはズレるが、外科的な処置を施してまでちんこを大きくしたい男がいる、というのは衝撃的だった。
もしこのエントリを、ちんこの小ささに悩む人が読んでいるならどうか自分のちんこを卑下するのはやめてほしい。大は小を兼ねるというが、ちんこに関しては小が大を兼ねる。小さいちんこでも女を満足させることはできる(※)が、大きすぎるちんこは凶器でしかないのだ。小さいちんこを誇ってくれ。そして、ちんこが大きい人は自分のちんこの危険性を認識し、よくよく前戯をしてから挿入してくれ。頼む。以上だ。
余談
※について反論がありそうなので補足しておく。私はバイなのでまんこにも詳しいが、多くのちんこが「まんこは奥を突けば気持ちいい」と勘違いしている。確かにまんこの奥にはポルチオという性感帯があるが、ここは開発を重ねてようやく気持ちよくなる、比較的マイナーな性感帯だ。まんこ内部で誰もが気持ちいいのはGスポットだ。Gスポットは恥骨の裏あたり、つまりかなり手前にあるので、小さいちんこでも余裕で届く。
ついでにGスポットの責め方についても書いておく。AVでズボズボと前後に手マンをしているが、あれはファンタジーと割り切ってもらいたい。Gスポットは膣の表面ではなく内部にあるので、肩もみをするように、指を腹側に押し込んでぐっ……と圧をかけよう。ちんこで刺激する時も同様に、前後にこするだけではなく上を意識すべし。女の子の下にクッションを入れて、まんこを上に向かせてもらうとやりやすい。よきセックスライフを。