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2019-01-02

仕事勉強に対するモチベーションについて

ここのところ、東大とか京大受験して合格した人々の投稿が続いているけど、それが何年前の話なのかはおいといて、細かく模試の成績とかを覚えていることに感心する。私は大学を出て就職してから25年以上も経っているので、あまりかいことは覚えていなくても仕方ないと思っているけど、勉強が出来る人、努力家の人というのはそのへんからして違うのかも知れない。

私はそこそこ進学校で有名な公立高校に通っていたわりには、受験勉強にあまり熱意がなく、浪人覚悟東大一本とか早稲田一本とかやってるクラスメートを横目に何とかMARCHとある学部滑り込み自分より成績のいい友人に「合格おめでとう」と言わせた記憶けが残っている。確か彼女は私が入った大学の中で一番偏差値の高いところを滑り止め(!)にしており、第一希望の国立大学に落ちたという理由一年浪人した後、東大合格した。

そういう人たちを見ていてすごいなと思うのは、とにかく努力であること。そして努力を続ける根性があること。私はあまり受験勉強に熱心でなかったので、私大文系にすれば数学理科受験しなくていいからと理系勉強ほとんどスルーし、保険のために第一希望と同レベル大学学部を何校も受けるようなことはせず、確実に受かりそうな大学しか受験しなかった。今思えば早慶ぐらい受験しておけば良かったかも知れないけど、うっかり合格してしまって大学生活で勉強について行くのに苦労したり希望の専攻に行けなかったりするとイヤなので受験料をムダにするようなことはしなかった。

だいたいよほどのエリートコースを目指さない限りMARCHぐらいの大学を出ていれば困らないと思っていたし、実際バブル崩壊直前に就職活動をした我々はそこそこ名の通った企業入社する連中が多かった。飛び抜けて成績優秀な先輩や後輩はキャリア組官僚になったり司法試験に受かったりしたが、さすがにそれは一握りのエリート限定でまぁそれが妥当な結果だろうと思える状況だった。

で、無事就職するところまで行ったはいいが、自分欠点として反省しているのは「(勉強でも仕事でも)ほどほどに足切りされない程度にやればいい」「完璧を目指して自滅するのはバカ」という認識がしみついてしまたこと。だいたい職場で優秀だと見なされる人間は、「結果を出すためにベストを尽くす」ことを旨とし、仕事のために自分時間犠牲にすることを厭わなかった。でも、優秀だと思われると激務ポストでいいようにこき使われ、嵐のような残業に耐えるわりにはさほど見返りがないので、全然そういう人々を羨ましいと思えなかった。

さらに私のやる気を失わせたのは、2~3年ごとに人事異動があり、異動のたびに前の職場で覚えた仕事がムダになることだった。結構専門的な仕事であってもきちんと研修が行われることは少なく、一所懸命勉強しても異動すればそれがパーになると思うと、自分必要最低限の仕事だけこなして極力定時で帰れる職場こそ最高だとしか思えなくなった。当然そんなヤツが上司にいい評価をもらえるはずはなかったけど、まっとうに出勤して最小限の仕事をしている限り、上司も私の給料を減らすようなことはできないのだった。逆に優秀だと評価されている人間でも、多少給料に色が付く程度で、むしろ収入の差は自分時間犠牲にすることによって得られる残業手当によるところが多かった。

一番つぶしが効くのは、新人女の子がよくやらされる「庶務担」というやつで、旅費や残業手当の計算をし、年末調整の時期が来れば書類を皆に配って書き方や必要書類指導をする仕事だった。一緒に福利厚生社会保険関係手続きもする。あとは経理系の仕事で、予算執行状況を見ながら消耗品を買ったり業者に支払いをしたりする仕事だ。私は今、勤続25年を超えてそんな仕事をしている。我ながら給料ドロボーな気がしなくもないが、どうしても仕事生活費を得るための手段しか思えないのでどうにもならない。仕事自体モチベーションを見いだせる人、「ベストを尽くそう」と頑張れる人がちょっとだけ羨ましい。

自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまったけど、「仕事でも勉強でもモチベーションを持って努力し続けられる人は偉い」「家庭の事情などが許す限り、勉強(スポーツなどでも可)はやれるところまで努力した方がいい」というのがまぁ結論なのかな。ただ、仕事に関しては「優秀な人に仕事は集中する」「頑張り屋だと思われるとどんどん重荷を背負わされる」というのが鉄則なので、自分会社過労自殺とかが出るようなところに勤務している人は無理しすぎない方がいいと思う。長文なのに大した結論じゃなくてごめんなさい。

京大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。

元増田と違い中学受験私立とは無縁で、片田舎公立中学公立高校卒業して京大入学した。

中学時代

勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。

一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿私立高に通って高いお金さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。

将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学工学部卒業し、自動車メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。

そんな自分に両親はとても優しかった。自分選択意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。

高校入学受験勉強まで】

結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅から公共交通機関アクセスが最悪だったかである

この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大ゼロ京大が1人いるかいないか旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さなさなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。

1年生の夏、家族京都旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威シンボルである時計台自由象徴する立て看板鴨川百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。

ここに入ろう。自分にはその資質がある。

本気でそう思った。

そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師OB地方でやっている個人塾だった。英語数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。

受験勉強受験まで】

高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立MARCH関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しか学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。

高3になると全国模試ランキング浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタル不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。

高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。

受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるとき不安でやる気を失いかけているとき鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。

試験

京大工学部センター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけがまれた。

私立早稲田慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。

京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝たかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。

当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学試験試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。


ところで、新年を迎えたこから自分の中のルールとして「前期試験不合格連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。

合格発表掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ち掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。

【その後】

入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。


【さいごに】

一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章わたし世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。

http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html

「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対無駄はらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから

恋でもいい。グラウンドの上でもいい。

そして、エンピツを握ってでもいい。

フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。


元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しか自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。

すべての人に受験勉強というプロセス必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。

センター試験まであと少し、全国の受験生に幸多からんことを。

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-12-31

anond:20181231091656

0円にして誰でも参入できるようにすると質の最低値が下がる

すべてを審査なんてできない以上、費用をもって「足切り」するのは現実的な回答だ


まあ、詐欺的な意味でのアプリ小金払っても割に合うからこれでは排除できないんだけどな

ゴミみたいな品質アプリの混入を、0円なら入ってきうる優秀アプリ可能性を潰してでも確保したいという感じだ

WindowsAndroid魑魅魍魎自己責任をみるに、一応アリかなという気はするのだ

2018-12-13

KKOが言ってるから暗黙の足切りも許されずにフルボッコだけど

女性が言ってたら最善の相で解釈されて許されてたろうな

2018-12-11

anond:20181211225531

はてなインターンが作っていったアプリあったよな。あれどうやってたんだろう。

ブクマが多くてブコメが少ないのが良い説もあった。

トラバ数。オリジナリティのある単語が入っている。あとはNGワード足切りしても良いかも。

東大に入るまで

なんか東大入るまでを書いたクソ長い記事がバズってるみたいなので自分も思い出して書く。ちなみに理Ⅰ現役。何年前かは秘密

一応小学生の頃から東大に行くと決めていたと思う。父親東大出身で、ずっと「親に負けるのだけは我慢できん」と思っていて、じゃあとりあえず東大に行くしかないなと。最初は塾に行かず家で市販の教材で勉強してたけど、頼み込んで東大生の家庭教師を付けてもらった。その先生から大学生活について聞かされて、楽しそうだしやっぱり東大行きたいと思ったのをよく覚えている。

中1から高校受験のために塾に通い出した。中学の授業はとことん肌に合わなくて(テストでどんなに良い点をとっても、蛍光ペンで綺麗なノートを作ってる女子に成績で絶対に勝てないと気づいてすっかりやる気を無くした)、比較システマチックに進む塾の講義が楽しくて仕方なかった。ただ、不安障害みたいになってしまって、途中から心療内科に通うようになってしまった。でも勉強を辛いと思ったことは無かった気がする。どの教科も楽しかった。

高校受験疲弊したので高1のはじめの頃はダラダラしていたんだけど、3ヶ月くらい経ってこのままだと堕落すると怖くなって、また塾に通いだした。ここも比較的肌に合った。同じ塾に通っている同級生自然ライバル関係になるので、塾の宿題以外にも勝手勉強していた気がする。ただ、勉強時間楽しい教科(数物化)にどんどん集中していってしまって、苦手教科をカバーするために高3で別の塾にも通い出した。今にして思えば親の金に頼りすぎていた。古文勉強苦痛しかたなくて、2次試験で落ちることよりもセンター試験国語のせいで足切りされることのほうが怖かった。

振り返ると、親に行かされた塾というのは一つも無いので、その点では自主性があったのかなと思う。行きたい塾は全部自分資料を集めて決めた。ただ、塾で勉強するのに慣れすぎて、大学入ってしばらくは勉強スタイル矯正するのに苦労した。当然ながら大学講義と近いのは塾の授業ではなく高校の授業なのだなと思った。中学の延長で高校の授業もどうせ碌でもないと決めてかかっていたところがあったけど、真面目に受けていれば楽しかったに違いないと今では思う。

親の金で苦労せずに東大に入ったとまでは思わないけれども、独学の人よりは楽をしていたという自覚はある。塾によって勉強のペースが良くコントロールされていたので、自分で長期的な計画を立てて学習するという能力が中高で培われなかったとも思う。

家庭環境に相当恵まれていたのは間違いないだろうけど、環境の面で一番重要だったのは、勉学で張り合える同級生が常に身近に居たこなのだろうなという感じ。

2018-12-07

anond:20181207012603

マジョリティ自由平等を声高に叫ぶくせに、

どっかのラインで「さすがにこのラインから向こうの奴には寛容になれないな」って足切りをする。

GBTはそのラインの内側に入れて、ペドフィリアラインギリギリ外側に残された。

結局決めるのは多数派の連中だ。

GBだって見方を変えれば、今までホモ差別対象だったのが、

マジョリティの気分が変わってホモフォビアが差別対象になっただけとも言える。

2018-12-06

anond:20181205230256

かつて俺も全く同じだった。とりあえず今言えることは1秒でも早く行動してほしい。

イケメンじゃなくても童貞卒業できる。受験と同じで足切りされないところまで自分を持っていくんだ。100点を目指すな。

安いのでいいかドラックストアかAmazon男性洗顔料化粧水乳液を買い、朝晩毎日洗顔して、最低週3でいいか筋トレしろ

ジムに行くのが面倒なら、筋トレ専用の有料アプリ課金しろ

これを半年続けて体脂肪率10%前半にして肌が人並みになったら、ユニクロシンプルで着回しが利く服を買え。

サイトに載ってるコーディネート例の丸パクリでいい。

その後、美容院眉毛カットまでやってくれるヘアサロンネット予約しろ。最短で行ける繁華街にあるところでいい。

4000円ぐらいでやってくれるはずだ。どんな髪にしたいかからなければ、面接があるとか適当なことを言って卒なく切ってもらえ。

ここまでやったら、マッチングアプリを使え。残念だが田舎職場出会いはない。でも、同じように出会いがないと嘆いている奴らは外にいる。

まず女性登録して競合となる男がどんなプロフィールをしているか調べろ、そしてお前が思うイケてる男のプロフィールを参考にして適当プロフィールを作れ。

写真タイムチケットというサイトを使うと数千円でプロっぽく撮ってくれるやつがたくさんいるから、そいつらに頼め。

間違っても雑に自撮りするな。

ここまで来たら有料課金してどんどんアプローチしろ。いいか、性欲丸出しにしたり会いたいを連呼すると引かれるからな。

がっつかず安心感を与えることを念頭に置きながら、実際に会えるよう距離を詰めろ。しょうもない駄話ばかりするなよ、飽きられるから

シミュレーションゲームをやるつもりで、何をやったら相手が反応するか、逆に反応がなくなるか、細かくPDCAを回しながら

出会いを楽しめるようになれ。ナンパ師にならなくていい。いい女と出会ったらアプリはやめて、これまでの時間を取り戻せ。

ここまで読んで面倒臭いなと思っただろうけど、俺はこれを30過ぎから愚直にやって1年で童貞卒業できた。がんばれ

id:nemuneta なぜそんなにしてまでがっつくのか。本当に理解できない

このまま誰にも自分を受け入れてくれず、死ぬしかないのかと夜中に絶望したり、気がつけば何もないまま徐々に体が衰えていっていることに気づいて叫びたくなったことが無いんだろう、お前には。

2018-11-22

anond:20181122204747

システム男女平等女性優遇」の話をしてんのに法や公共機関の話をしなくてどうすんの?

から資本主義社会なのに、システムを語るのに法や公共機関に限る必要は無いって言ってるの。アホ呼ばわりは見逃してやる。

ついでに言えば法で平等が定められたとて、直ちに平等社会が実現するわけではないぞ。それまでの不平等社会で築かれてきた固定観念格差是正しないとスタートラインにも立てない。

例えば「今後全国民自分資産株式投資信託運用して生活して行ってください」という御触れが出されたとする。金がある程度以上あればいけるだろうが、貧乏人は軒並み文無しになりかねないぞ。

お前の言ってる『男女平等』はそういうことだぞ。

お前女性専用車両を知らない?男女共同参画センターも?顔の傷について男女で等級差があることも知らない?

まあ話くらいは聞いたことはあるけどな。

それなら医学部入試での女子受験足切り問題とか、男性優遇と取れる政策だっていくつもあるわけでね。

2018-11-11

anond:20181111111509

受験合格100人程度のとこを2年で100人ほとんど女が不正足切りされ大学を落とされ賢い女ほど減点されバカ男ほど加点されるシステムで取り替えられる国で何を言ってるんだろう

もしかして35歳で足切りされてる?ヤバい」と考えて周りより一歩先に安売りセール始める見た目だけかろうじて若い敗残兵のような36歳の女が狙い目、ほんま婚活アプリ地獄やで

2018-11-02

女の育児休暇のために独身男性しかいない中小会社が潰される問題

女が下方婚しないことが全ての元凶なのだが、どうすればいいのだろうか。

やはり面接で夫の収入育児状況を聞いて足切りするしかないのでは?

2018-11-01

東京オリンピックボランティアJICAボランティア(いわゆる協力隊)を見習え

2020年東京オリンピックボランティア募集しているという。

しかし、ハード仕事内容にも拘わらず給与0円のゼロゼロ物件。これじゃ誰も応募しない。

一方、青年海外協力隊JICAボランティアの4部門のうちの1つであるが、同じボランティアでもこちらは有償

もともと英語ボランティアという単語有償無償があるが、日本では無償ボランティアのことを指すことが多く、すっかり和製英語になってしまっている。

実際、青年海外協力隊電通から見れば雀の涙ほどの拘束時間、具体的には実働2時間で週休3日とかもザラ。

長期休暇も無駄に多く、夏休み2か月間とかある。

それでいて大卒初任給生活保護ぐらいの金がもらえるとあって応募も多く、東大卒早稲田慶応卒もゴロゴロ

しか任期終了後はJICAの在籍証明書でもって就職大学院進学が有利になる。

内向きの若者が増えているとはいえ、こんな楽して金がもらえる制度を見逃す手はない。

話を戻して、東京オリンピックボランティアJICA協力隊に倣うとどうなるか?

1日8時間拘束なら日当3万円、交通費は別途支給

自宅から通えない人(JICA基準に倣い、東京都千葉県神奈川県以外に住んでいる人)は指定ホテル宿泊費全額支給

さらに、ボランティア間中医療費は全額主催団体が払う。

このような好条件なら応募は多いだろう。応募者多数の場合TOEICの点数による足切りを設ける。

2018-10-24

anond:20181024234513

たとえば動物園とかの環境で、他に相手もいない状況でも、ツガイにならないものはならないんよ。

淘汰によって洗練されてきた生殖メカニズムにおいて、たとえば私のような足切りライン下の人間というのが必要とされるのは、もはや種の存続が不可能となるほど致命的な状態となった場合であって、そうした状況ではどちらにせよその後、種は滅びるので、必要とされるような進化が起こらないんじゃないかな。

anond:20181024234252

ツラがツラい人は似たモン同士で恋愛できるわけで、そう考えると別に足切りラインなんてないんじゃねえかな。

anond:20181024233408

いや、顔なんていいとこ7割くらいじゃない?

足切りラインは5割くらいとして、下位1/3くらいに入るとほぼ顔だけで足切りラインの失点してて詰みって感じで。

2018-10-23

anond:20181023182257

はっきり言語化出来る人がどれだけいるよ?

からまぁとりあえず足切りの便利な言葉として使ってるんじゃないかな。

2018-10-14

anond:20181014004950

すまん

言うなら具体例見てみたいのだが

蘭が手足切り取られて壺で塩漬けされてたりすんの?

2018-10-06

なんで代議士って資格ないの?

行政書士とか弁護士と同じで、間違えてはいけない知っておかなければいけないことがたくさんある職業なのに

なんで代議士無資格でなれるの?

供託金にしたって、昔なら学力のないものお金もなかったか足切りとして機能したけどさ、

今じゃ少し宝くじにあたるかなにかすれば十分だせる。

立候補システム一つ変わってないのなんで?

世襲馬鹿息子を代議士にするために、法律そのままにしてんの?

2018-09-15

専門卒25歳手取り16万童貞プログラマー結婚とかできるのかなぁ。


同い年で子役時代からファンだった志田未来結婚したってニュース聞いてみて俺ももうそういうの考えていい歳なんだよなぁってなんとなく感じた。

金がない割に職場人達でもちょこちょこ結婚してる人達はいるけど大体は学生時代から普通に恋愛してたような感じのいわゆる性的に『まとも』な人が中心で、

まあ俺みたいな中学の頃イケてないグループに属してた感じの人はまあ皆金もないだろうし大体みんな独身

まあそりゃそうだよな、金もないイケてない男ってマジで魅力0だし。

今の職場給料じゃ現実的結婚恋愛も無理だろうなっていうのはなんとなくわかる。

年収プラカード引っさげて戦う婚活パーティマッチングアプリでもまあ足切りラインだろうなぁって。

学生時代にみんな受験戦争とか頑張ってたのってこのためだったのかなって、今になってなんとなくわかったよ。

きっとまともな頭持って生まれ受験戦争勝ち上がってきた高学歴の人は性的に魅力なくても収入でどうにかなっちゃうんだろうなぁ。

自分みたいなクソ野郎結婚したいとかガチで考えるとなると、やっぱり金が必要になると思う。

っていうことは上流SIer的なところに転職して残業代じゃぶじゃぶ稼ぐとかになるのかなぁ。

でもそういうところって採用フローとかちゃんとやってるから自分程度のエンジニアは落とされちゃう気がする。

面接で口八丁適当なこと言って騙して運良く入れたとしても続ける自信もない気がする。。。

じゃあもういっそフリーランスエンジニアの方がいいかなぁ。

自分程度の技術力と今の拠点相場観じゃ多分年収500万前後限界な気がするし手取り正社員基準じゃ低いんだろうけど、

婚活市場で掲げる年収プラカードには手取り収入なんて書かない気がするし。

うん、そうだな、年収500万稼げるくらいの見込みができたら『25歳で年収500万のエンジニアです!』って自称してマッチングアプリとかで気が合いそうな子探すかぁ。

ただそういう集まりにいるであろう性的にまともな人達と戦ってる自信は正直ない。。。

これでも最近ちょっと人生変えたいって思ってちょこちょこなんかやってるんだ。

筋トレ始めたし、コンタクトにしたし、パーマかけて茶髪にしたし、服だって学生時代カーチャンが買ってきたカーチャンチョイスの服全部捨てて最低限ダサくはならんもの20万くらいかけて揃えた。

まあ最低限二度見されるレベルの顔ではないと思う、ただまあ人生なーんにも変わらないね。まあそりゃそうだよなんにもアクション起こしてないし。

本当、僕みたいなのでも恋愛とか結婚とかできるのかなぁ。

もし神様がお前は恋愛なんてやるなって言ってるんだったらいっそ諦めて別の好きなこと探した方が幸せになれるかもしれないなぁ。。。

最近給料は大してあがってないけど自分より上の人たちが辞めまくってるせいでリーダー的な仕事もちょこちょこやってて人間としてちょっと自信がついたんだ。

一回くらいうまくいかなくても夢みたいなぁ、人並みの人生っていうの。

2018-09-04

anond:20180904224707

なるほど面白い声優オーディションの段階で容姿などを理由足切りされてしまうと、そこからつの問題が生じるということか。

もし声優業がずっと広い受け皿を持っていたら、意欲があるオーディション脱落者をお得に拾い上げることができる。適切な機会が与えられれば、潜在能力が高い個人も生き残りやすくなるだろう。紹介してくれた記事で言われていたように、新人が育つまでに十分な期間がないことも生存を妨げている。声優技能は訓練でおおきく向上するみたいだ。それは逆に育成には時間がかかることを意味する。声優ヒナたちをみな育てるまでに必要な数のアニメがない現状では、効率の悪い声優能力よりも、より即物的に見た目で判る、容姿などを重視するのは理にかなっている。

アニメの本数、需要が少ないのが理由みたいに述べたが、あるいは供給過多、声優志望者が多すぎるのが問題かもしれない。どうなんだろう。

そしてアニメ界における声優の現状がそういう過酷ものだったとして、さて声優アイドル兼業を当然のように要請することは果たして差別的か、というのは議論に値する問題だと思う。俺は、うーん、仕方ない派かな。環境過酷すぎるのはなんとかすべきだ。アニメはまだもっと増やしていいと思う。作画とかのクオリティは落としてもいいよ。たつき監督クローンしようぜ。

2018-09-03

希望する顧客層を得るのに価格を高くして足切りすればいいって意見は割と普通に見るけど

金持ち心理としてそういう理由で余計にお金払うもんなんかな

俺は原価厨だからどうしても納得いかない

金持ちってそんなにどんぶりで生きてるのかバカなのか

2018-08-23

anond:20180823215004

組織問題を起こさない最低限のコミュ力人間性を求めてるだけだよ

これらの足切りの次に、他の要素を必要としてるのでは?

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