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2020-06-11

FF7リメイクAmazonレビュー観たらボッコボコに叩かれててワロタ

普通に面白かったけどな

でも酷評レビューの内容については同意できる点もかなり多かった

それを差し引いても面白かったと感じるのは、自分で1万円近いお金を出してゲームを買ってない(実況動画を観ただけ)からかもしれない

原作FF7はまあ普通ゲームだよねって感じで特に強い思い入れはないから、改変されたっていう怒りもないし

おまけムービーや隠しボス目当てにFF7インターナショナル版を中古で5000円だか6000円で買ってプレイした時は、おまけ要素のあまりのショボさに金を無駄にしたと思って後悔したもんな〜〜〜

まりFFみたいな一本道のムービーゲーってもう自力で購入してプレイする時代じゃないのかもしれないね

2020-06-10

anond:20190318182236

私も同じ経験しました。

自力でできる方もいらっしゃるようですが果てしなくめんどくさいみたいで。

半分以上司法書士事務所がもっていきましたがそれでも結構手元に残りましたしね。

anond:20200610155327

無人島幼児をほっぽり出しても、トライアンドエラーでいつかは自力で火を起こしたり家を建てたりできるようになるかもね。

anond:20200610145414

そういう社会的スキルを持ってれば悪人にならなかっただろうし猫も苦しまなかっただろうね

短絡的な力技しかとれないのは今まで自力で生きてきたからかなとか思うと寂しい

拉致被害者問題って、相手側は死んだと言ってるわけで仮に今拉致被害者が生きてたとしても、

「やっぱり死んだと言ったのは嘘でした」と前言を撤回して返すメリットが何もない。

北朝鮮武力攻撃をして無条件降伏させることができたという極端な仮定をしたとしても、

そこで北朝鮮側が拉致被害者を帰すという選択をするメリットがない。

拉致被害者自力で逃げ延びるくらいしか帰ってこれるシナリオ存在しない気がする。

 

から拉致被害者問題の「交渉」は拉致被害者という言葉を使いながら

実際には何か違うことの交渉をしているはずなんだが、これ実際には何について交渉してんの?

頭が悪い俺にだれか教えてくれ。

2020-06-09

脇が臭いアラフォー女の話

前回までのあらすじ:

 偶然にも去年「使用済みバスタオル臭い」と同居の母に言われた増田は、希釈した塩素系消毒液にその都度タオルを浸すことで夏を乗り切ったが、今年もまた同じクレームが来たのだった

要人物紹介:

増田

アラフォー

両親と3人暮らしパラサイトシングル(就活資格取得の勉強中だけど進んでない)

母が言う、自分使用したバスタオルのニオイがわからない(嗅いでも何も感じない)

服とかについた、自分の汗のニオイはわかるので、ぶっちゃけ濡れ衣or母の感覚過敏を疑っている

増田

60代・体臭なし

無職だが、たまにボランティアなどする

増田使用済みバスタオル臭いと主張するが、服は臭くないと言う

増田

70代無職・汗臭さはないが時々加齢臭あり

ニオイに鈍感なので今回の記事にはあまり関係ないが、仕事メンタルやられて退職を決意した増田に「お前の就活絶対にうまくいかないし、お前はこの先堕落していくだけに決まっている」と言った前科あり

1.ねっとりと春が来た

 時期は4月後半頃だったと思う。増田母が「またタオルが臭くなってきたよ」と言ってきた。ついでに

ちゃんと腋にデオドラント使ってるの?」

「こんなこと、他人はわざわざ忠告してくれない。親しか言わないから、あんたのために言ってるのよ」

というダメ押しまで、去年と一言一句同じである。だが去年もそうであったように、増田には母の主張するそのニオイとやらがわからぬ。しかし、己の自己肯定感を下げる言葉に対しては、人一倍敏感であった。まして、ニオイとなれば今後の就活にも影響しうる要素である。これからの季節、発汗必至のスーツ姿で満員電車に揺られ、会場に入る前に毎回腋のニオイを確認するような就活は嫌すぎるし、何よりお祈りメールが届く度に「やっぱり汗臭かったのが悪いのかな」と自分を責めるような就活は嫌すぎる。タオルは家の外に出ないからいいとして、現在使用しているデオドラントその他を使ってもなお、人を不快にするような体臭があるのなら、手を打たなければならない。

 増田は新しいデオドラント石鹸を求めて、密林の奥地へと旅立った。

2.消臭、ゲットだぜ!しかし……

 幸い、密林で入手したアイテムは体質に合っていたらしく、増田からは「もう臭くない」というお墨付きを得ることができた。だが、おわかりいただけるだろうか……「(増田が使った)タオル臭い」というのは、あくま増田母の一方的な主張なのである増田自身にも、同居の増田父にも感じられない、たった1人だけの主張。しかし、そこのお前! 3人家族中1人の意見に含まれ発言力は、家の空気の約3割だぜ! まして、体臭のない『女親』からそうでない『娘』に対して放たれるその主張は、さながら「お前は女じゃない、私の娘じゃない」と言われているに等しく感じられた。まして増田メンタルやられてからの失職中であり、家の中でも外でも、何の生産性もない存在である。もうやめて! 増田自己肯定感はとっくにゼロよ!

 とはいえ、これは去年の夏にも通過した道。増田はできるだけ冷静に「臭いと言われると、正論であったとしても傷つく」旨を、増田母に伝えた。しかし、あくまで「あんたのためを思って言っている」というスタンスを崩さな増田母。

「においの問題なんて、親が言わなかったら、誰も言わないのよ? 誰にも指摘されないまま、嫌われてもいいの?」

それ去年も聞いたよママン。

 それではと、切り口を変える増田

「じゃあ、もし今のデオドラント石鹸が効かないくらい臭くなったら、ワキガの手術受けるわ」

 これなら賛成する……かと思いきや、何故か渋い顔をする増田母。

「そんなん、お金だってかかるし、痛かったらどうするの」

「でも、実際臭いんでしょ? なら、仕方ないじゃない。周りにも迷惑かけるし」

 すると、ここで何故か突然キレる増田母。

「じゃあ、言わなければよかったの!? あんたのためを思って言ったのに!」

 正直、首がもげるほど頷きたかった。あなたさえ余計なことを言わなければ、私は自己肯定感マイナスに突っ込ませず、せめてゼロのままでいられたんだよ、お母さん。

 しかし、それができないのがパラサイトシングルの悲しさ。あと、増田母は追い詰められるとガチ泣きするので、正直めんどくさい。

「じゃあ、せめて柔軟剤抗菌防臭のものに換えてほしい。お金も出すから

柔軟剤なんて、どれ選んでも同じよ! それに、今の買い置きがまだ残ってるのに!」

「わかった、じゃあ次に買う柔軟剤からでいいよ。実際に効き目があるかどうかはともかく、ニオイが出ないようにベストを尽くしたいから。お願い」

「だから、今は臭くないって言ってるでしょ!」

というわけで結局、増田母の怒りは収まらず、会話は何だかうやむやに終わってしまった。

3.増田には母の心がわから

 正直、増田母が言う「タオル悪臭」が本当にあるかどうか、増田には全くわからない。増田母は「自分のニオイはわからいからだよ」と言うが、着てた服を脱いだ時の汗臭さはちゃん自力で感知できるのに、タオルのニオイだけわからないということは正直ありえないと思う。何ならストレス認知症か娘憎さか、とにかく増田母の側に何らかの精神的な原因があっての言いがかり、もしくは幻覚(幻臭?)を疑うレベルであるしか増田が今、この自己肯定感マイナス状態で家を飛び出しても、セルフネグレクトを経て最終的に床のシミになる未来が見える。つまり増田母の主張するニオイが、実際にあるかどうか」という客観的事実は脇に置いて、とにかく「増田使用済みタオルには不快なニオイがある」という前提で、母のお気持ちに寄り添わなければ生きていけないのが現状だ。自分で書いていても情けないが、これは動かしがたい事実である

 しかタイトルの通り増田には、その母のお気持ち理解できない。「増田タオルに、不快なニオイがある」ことを「あくまで親として、娘のためを思って」指摘する一方で、それに対して増田が傷ついたことを表すと怒り出す。柔軟剤の交換や手術という改善案を出しても、これまた怒り出す。正直、怒られる側としては、メンタルが弱っていることも重なって「ニオイを抱いて溺死しろ」……もとい、「改善しなくていいから、黙って私に殴られろ」と言われているようにしか聞こえないのである(注:『殴られろ』はあくま比喩です。増田母は言葉の選び方が時々えげつないだけで、身体虐待を行う親ではありません)。

 これから梅雨に入り、夏が来て、汗臭さはいっそう避けがたい問題になるだろう。化繊のブラウスジャケットストッキング、あらゆるものがニオイを発するようになったら、実家から増田の居場所はなくなるのだろうか。ボランティア仲間に、よそゆきの声でLINEの使い方を手取り足取り教えている増田母の声を聞いていると、その情の一欠片だけでも、どうして実の娘に与えてくれないのかと虚しくなる。

 夏が、怖い。

2020-06-08

設定改変が分かってるメディアミックスを観るための準備運動



 観たら絶対自分は怒るだろうなと分かっている映画がある。原作小説がとても好きで、映画化の際に「そこは変えちゃ駄目だろ」と思うような根底の部分にドひどい改変をされた映画だ。予告CM開始3秒でそれが分かったので公開当時は絶対観ないと決めていたし、観るような気分になる日が来るとは思ってもみなかった。

 しか最近、「公式との解釈違い」のような文言を用いて苦しむ人々をよくSNS上で目にするようになってその映画存在を思い出し、いい機会だから観てみようかなと思った。何かコンテンツとの付き合い方における知見を得られるかもしれないし。原作版を大事に思いつつも、派生版も楽しんで愛せるような人間になれるならなりたいし……。

 観た後では感情が大きく動いて今の気持ち100%は思い出せないだろうから、観る前に今抱いている改変ポイントについての思いを書きとめておく。

 (ひとつその映画について鑑賞前から確実に言える腹立たしい点は、原作者が亡くなった途端にその映画が作られ、「映像化は不可能と言われていた名作が遂に!」みたいな売り文句付きで世に出された事だ。映像化を何度も断ってきていた作者だから余計に……今までは作者が止めていた設定企画を、もう止める者がいない+追悼とか言える勢いから好き勝手にやっただけではないのかと思う。せめて存命中の公開なら「作者はこの映画化を了承したんだな」と思えたし、そうしたらきっと作者は何かしらのコメント映画へ寄せるだろうから、それを見られればもうそれで良かった。原作レイプ(こんな言葉があったのを久々に思い出した)を通り越して屍姦みたいだ。大切な人の墓に立小便をされた気分だ。)

 映画タイトルは『悪童日記』と言う。原作小説も同題だ(海外文学の中では普通によく知られてる方だと思うので、勿体ぶった言い方をしてしまって少し恥ずかしい)。

 十年以上前、私は好きな作家たまたま雑誌でこの本に言及するのを読んで、高校夏休み中に手にとったそれに首ったけになり、ひと夏の間何度も何度も繰り返し読んで過ごした。だからこんな、映画を観るのに支障をきたすほどに思い入れが強くなってしまったんだと思う。

 しかそもそも映画化されたものをこき下ろしたい訳ではなく、映画映画として楽しめる作品にするためには原作からの多少の改変もやむを得ないというのは充分承知の上だ。だからこの作品についての改変もなんとか納得したいという思いから、今自分は何に納得いっていないかを整理して考えたく、文章に起こしている。

 (このカッコ内は余談なのでとばしてくれて構わないが個人的に、映画化された作品映画原作の順でふれた方が大抵の場合はどちらも楽しめるように感じる。原作映画の順だとカットされた箇所や改変部分が気になってしまって映画100%楽しめない事もままある。例えば私は『ジュラシック・パーク』に映画から先に入ったおかげでスピルバーグのあの映画メチャクチャ最高不朽の名作だと思っているが、もしも原作小説を先に読んでいてファンだったら、そこまで手放しで褒められたかは分からない。映画原作では構成人物もかなり別物だからだ。原作ではティムレックスティムの方がしっかり者の兄でレックスは足ばかり引っ張る幼い妹だし、Tレックスは二頭いて小さい方がかなりチャーミングだし、グラン博士最初から子供に優しいし、ハモンドさんはかなり嫌な感じの爺さんでコンピーに集られて無残に死ぬのだ。)

 改変箇所について書いていきたい。

 映画の予告から分かる改変箇所は主に「父親存在」「日記帳というアイテム出自」だ。私はこれがこの物語においてかなり重要パーツだと思っているので、予告CM開始3秒で見られる改変にガタガタ白目をむき憤死する羽目になった。

 原作小説主人公双子少年)の一人称「ぼくら」で書かれた日記形式をとっている。彼らが母親に連れられて小さい町の祖母の家に疎開してくる所から話は始まる。詳しいあらすじが知りたい人は原作wikihttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E7%AB%A5%E6%97%A5%E8%A8%98)でも見てくれ。ラストまでネタバレされてるから気をつけて。別にあらすじを知らなくてもこの文章を読むのに支障はないと思う。そういうふうに書けていることを願う。

 父親云々の話に戻ろう。

 主人公家族について、母親は冒頭から登場するし、すぐに主人公たちを置いて行ってしまうがその後、他の男の赤ん坊を連れて二人の前に現れ、どうこうなるくだりがある。二人が母親に対して色々思いを抱いていることが分かるような描写もある。

 描写があるという事は、書き手である主人公双子がそれを必要だと判断したという事だ。詳しくは後述するがこの日記はそういうルールの元で書かれている。主人公が無関心もしくは不必要だと判じたものは書かれず、必要ものけが書かれる。例えば作中の時代設定は戦争なのだがそれが一体いつの戦争なのか、年号国名地名人名などの固有名詞ほとんど出てこない。<大きな町><さな><解放者たち>などの言葉しかからない。関わる人々も名前はなく、ほとんど代名詞役職あだ名などでしか呼ばれない。双子自身名前も出てこない。彼らは大抵はあんた達、時に祖母からは雌犬の子などと呼ばれる。

 父親は出てこない。ラスト数頁まではほとんど。

 「父親の不在・不干渉」が、この小説(というか作者であるアゴタ・クリストフ作品はわりとどれも)に通底するテーマひとつだと私は思っている。そして出てこないということはそれは「書かない」という姿勢主人公たちの無関心を示しているのだから映画にも変にひっぱり出してほしくなかったのだ私は。しか作品の根幹である日記に関する部分で。一原作ファン気持ちを言わせてもらうならば。

 以下は物語終盤のネタバレとなるので、知りたくない人は読まない方がいい。

 原作の終盤、国境付近にある双子(主人公)の家に、国境を越え亡命したいという一人の男が訪れる。双子その男自分たちの父親だと気がつくが、父親は二人が自分の息子だとは気付かないまま、亡命の協力を頼みこむ。双子はそれを承諾する。国境までの間には地雷があちこちに埋まっているし、軍の見張りもある。双子は彼に地雷が埋まっていない道筋や、見張りの目の外れる時間帯などを教える。

 亡命決行の日、父親国境へたどり着く前に見事地雷を踏み抜いて死ぬ。すぐにその足跡の上を双子の片割れが辿り、その死骸も踏みつけて国境を越え、亡命を果たす。地雷国境と平行して並べられている。一度爆発した地雷国境を結ぶ線上にはもう地雷は無いので、先に一人立てるのが最も安全亡命のやり方だ。

 原作小説ではこの場面がラストだ。一人は父親の死骸を踏み越え国境の向こう側へ渡り、一人は残ってそれを日記に記録する。父親殺しと、それまで一心同体のようだった双子別離が同時に強く印象づけられて終わる。

 それなのに映画ではどうして、別れる息子達に日記帳を与えるような父親像に変え、それを受けて日記を書く子供たちに設定したんだ? 原作では双子自分たちの稼いだ金と自分たちの意志で紙と鉛筆を買い、自分たちの定めたルールの元で事実だけを、ただ必要と思われた事だけを淡々と記録し続ける。彼らは感傷感情は不必要とし、そういったウェットなものが取り払われ切り詰められた文体はこの作品の特長の一つだ。彼らの考えのもと自発的に書かれていくそ日記こそが『悪童日記』という作品となっているのだから日記帳というアイテムとその経緯は何というかかなり……成り立ちの部分ではないのか? この作品の根幹において、重要位置を占めるはずだ。

 それが映画はいきなり、別れる父親から最後プレゼントという陳腐でウェットなしろものとなる。双子は父の言いつけを守り日記を書き出す。制作側はそこに何の違いもないだろうと思ったのかもしれないが、違うのだ! と言わせてもらいたい。強く。

 日記帳は、それにものを書き続けるということは、戦時下に父とも母とも別離し粗暴で抑圧的な祖母宅に身を寄せねばならなくなった主人公双子が、初めて自分たちで選び獲得した、何かそれこそ父親教師代わり(彼らは学校にも行かない)のような、「この世界で生き抜く上で己の力になり、時に導いてくれる(と彼らが信じ掴んだ)モノ」だ。繰り返しになるがそれを「彼ら自身が」、彼らの面している世界であるところの小さな町で、そこの文具店で「身銭を切って」獲得した点が肝心なのだ。この話は平たく言えば庇護されない子供たちが、彼らの対峙する厳しい世界の中で、自身の力で何とかやっていこうとする物語からだ。

 「父親から与えられた道具」では過ぎ去りし想い出のよすがであるばかりか(感傷双子がつとめて日記から排除してきたものの一つだ)、それが上の者から与えられたという性質上、彼らにとってただの環境の一つに過ぎない。それでは全く意味が違ってしまう。そうでは無いのだ。彼らは道具がたまたま得られたから書くのでは無く、もちろん父親に言われたから書くのでも無い。書くことは彼らが生きるために必要で、だから彼らは道具を求め、書いた。「書くこと」自体彼らの周りには教えてくれる者がおらず、二人は一冊の聖書を使って独学で読み書きを学んでいった。

 「彼らが巻き込まれしかなかった環境に逆らって、初めて自分で望み獲得したモノ」であったはずなのだ、この日記帳は。「書く」という行為は。そういう意味合いがあったのだ、原作の中では……。

 そしてこれは作者の生い立ちや創作の源泉とも重なることが多いので(この作品を含めた彼女作品群は半ば私小説と呼べるものが多い)、私は映画でこんな改変をされた事について作者の気持ちを思うと、勝手にやり切れないものを感じてしまう。作者はもう亡くなっており、死者が尊重されないのは彼女作風からするとむしろ合っている事なのかもしれないが……。

 とりまとめて言えばまだ子供な上にただでさえ不自由が多い戦火の中、それが主人公たちにとっての武器であり糧であり強く生き抜くためのモノだった日記帳が、映画ではまるで父親から受け取った愛みたいなものに、ともすれば別れた父親を想って書かれているようにも受け取られるものすり替えられてしまった。かなりアイデンティティぶっ潰れではないか? どうしてそんなことをしたんだ? この日記は彼らの「書く」という意志のもとの話でしかないのにその根本を摘み取り別な物に置き換えたのは何故? 映画を観れば何か納得できる答えは得られるだろうか。頼む、納得させてくれ! 煽りではなく心からそう思っている。

 観たら本当にメチャクチャ怒り狂ってしまうかもしれないので心の準備をするためにいくつか映画レビューを読んだのだが、映画では日記帳パラパラ漫画が描き込まれている描写があるという。パ……パラパラ漫画!? と二度目の憤死をした。あの全ての無駄を省き贅肉を削ぎ落としたような原作文体淡々事実の記録しかしない所に物語的にも大きな意味が込められている事を知っているはずの制作側はどうしてそんな付け足しを? 主人公(ひいては作者)が定め、遵守してきたルールを踏みにじるような真似を……どうして……。

 

 もちろん、映画化された事によって現代日本の読者から想像もつかないような、主人公たちが生きた当時の暮らし風土感覚などを凄いリアリティで感じられる事などについては大変嬉しく思う。そういった映像表現についてはきっと素晴らしい映画であるだろうと感じられるのだ、予告からだけでも。

 主人公双子を演じる少年たちのビジュアルも、原作から受ける印象そのままと言っていい。もうそれだけでも十分以上のものだし、納得出来ない点があっても他に目を向けて感謝して観れば良いのだ……と思えるようになるまでに何年もかかってしまった。映画が公開されたのは2013年のことだ。

 私は本当にこの映画を観て納得したいし、納得出来なくてもそれはそれで良かったと思えるようになりたいと本気で願っているが、どこまでまっさら気持ちでこの映画を受け止められるかが分からない。願わくばこの物語に関する記憶を消して映画を観られたら、その後で初めて原作を読めるのなら、とても幸せなことだと思う……。でも、それは無理な話だ。

 だから私はこれから記憶思い入れも抱えたまま歯を食いしばってでも全部観て、自力で噛み砕いて納得するしかない。きっとそれはこの先の自分にとって有意義ことなんだろうが、こんな文章をジタバタ書いて整理しないと腹がキマらない位には苦しいものがあった。長くなってしまったが、読んでくれた方は本当にありがとう

 せめて映画ではラスト父親ちゃん地雷で惨たらしく死んで、主人公はその死骸を踏んづけてくれるんだろうなあ!? などとうるさく言いながら観ることにする。そういう観方でもしなかったら多分無理だ。その後言える感想があったら追記する。怒り狂っていたらすまない。

☆いきなり管を巻きまくってしまったが、小説悪童日記』はマジの名作の上にアッと言う間に読めるので、気が向いたら是非読んでみてほしい。もし面白かったなら続き(『ふたり証拠』、『第三の嘘』)もある。全三部作で、全て読むと分かる構成が本当に、本当に素晴らしいんだ。

2020-06-07

猫の体調が悪化した

猫は3年前から慢性腎不全で週1回通院して点滴していた。

腎不全は初期にわかたから数値もそこまで悪くなくゆるやかに進行していたけれど、食欲不振を何度か繰り返して元々細身の身体さらに小さくなり、先月とうとう2kgを切り点滴が週2回になった。

だんだん目が悪くなって耳も遠くなり、歩くのもゆっくりになって、時々アオーと大きな声で鳴いたり徘徊もしていた。

もう19歳だし老化は当たり前の事だからそんなに気にしていなかった。

はいつも全力で甘えてくる構ってちゃんだ。

私が帰ってくるとはやく膝に乗りたいと急かしてニャーニャー鳴き、膝に乗ると後ろ足で立って抱きつくように肩に両手を掛けてくる。

抱きしめて撫でながら頬擦りすると猫が小さな頭を寄せてうれしそうにゴロゴロ言ってくる。

机に乗って目線を合わせ、相手してと手を招き猫のように上下に振ったり私の頬をペシペシ叩いて来る。

今まで出会った猫の中でこんなに甘え上手でかわいいはいない。もう猫じゃなくて全く別の特別な生き物なんじゃないかと思うほどかわいい子だ。

長く一緒にいるのに猫の写真あんまり撮っていないし動画もない。

猫がカメラスマホ向けるとムッとした顔したりすぐに顔を反らすからほとんど寝てる姿しかない。いつも膝に乗ってるし。

本当にかわいい顔をしてる美猫なのに。

でもかわいい姿を知っているのは私達夫婦だけでいい。

子供がいない私には猫が大切な子供だ。

その猫が先月、急に風呂場に入りたがるようになった。

夫の後をついて回る事も増えた。

その日、いつものように病院で点滴して帰って来ると部屋中をひたすら徘徊し始めた。

無言で壁に頭をぶつけながらずんずんと歩き回り隅で固まってまた歩き出す。

抱っこして撫でて呼びかけても目は遠くを見ていて何も反応しない。

ごはん皿も水入れにも平気で足を突っ込みほとんど休まず歩き続けていた。

翌日また病院に連れて行き、痛み止めの注射をしてもらった。点滴で痛かったのかもという事だった。

少し落ち着いたけれど徘徊は止まらないし隙間に入りたがる。

横になる時も頭を真っ直ぐにして必死で寝ないように耐えていた。

抱っこして水をスポイトで飲ませると落ち着いて少しだけ寝るのに気づいてからなるべく抱っこして水を飲ませて撫でたりブラッシングしながらたくさん名前を呼んで声を掛けるようにした。

肉球がひんやり冷たくなっていた。

2日後病院先生に「実は今日猫に会えないかもと思っていた」と言われた。

体重が減っているため、いつ亡くなってもおかしくないらしい。

まだ全然心の準備なんて出来ていない。

6年前に手術後に2週間絶食状態になって、3.5kgだった体重が2kgまで落ちたけど強制給餌でまた食べてくれるようになり、3.4kgまで戻った。

がんばり屋の強い子だからきっと大丈夫だと思っていた。

病院で点滴して帰ると徘徊が再開し、所構わず粗相して目を離すと家の中の細い隙間に挟まる。

部屋の1畳分を柵で囲ってペットシーツを敷き詰めたスペースを作り、いつも寝ているベッドとキャリーケースを置いて猫にそこで過ごしてもらう事にした。

スペースの中でもぐるぐる歩き続け、柵をよじ登って抜け出そうとする。

猫は病院での点滴は怖がってじっとしていない。

いつも病院に行く時は必ず前日と当日に病院行くよと声を掛けていたけど、帰りはお疲れさま、がんばったね位しか声を掛けていなかった。

ほとんど目が見えなくなった猫はもしかしたら病院の行き帰りがわからなくて自分がどこに居るのかもわからパニックになっているんじゃないかと思った。

猫におうちに帰ったよ、大丈夫だよと声を掛けながら撫でた。

とにかく抱っこして声を掛けて撫でてブラッシングして、いっぱい褒めながらほんの少しの流動食を飲ませた。

病院先生は無理に食べさせたり水もあまり飲ませないようにと言っていたが、相談して少しだけ食べさせる事にした。

猫の様子が変わってしまってから6日後、朝起きて囲いを覗いたらしっかりした声でニャーと3回鳴いた。

よかったねと撫でたら小さくゴロゴロ言った。鳴き声もゴロゴロも久しぶりで夫と二人で泣いた。

水を入れた皿を口元に持って行ったら自力で飲んだのでまた泣いた。

それから様子がかなり落ち着いたけれど、歩き回り続けた事で体重が一気に減り1.7kgから1.5kgになってしまった。

病院での点滴は2日おき。猫には必ず病院行くよ、おうち帰って来たよと何度も耳元で声を掛けるようにした。

険しくなっていた顔つきは穏やかになって目の力も戻った。

猫は近づいたり撫でると子猫のようなかわいい声でニャーニャー小さく鳴いて少しゴロゴロ言うようになった。シッポもパタパタ振って返事する。

夜になると時々ニャーって呼んでくる。

また以前のようになった猫は天使のようでめちゃくちゃにかわいい

ミルクを飲ませるとチュッチュッと飲んでうれしそうにシッポを振る。

でも、流動食も水分もほんの少しがやっとですぐに疲れて寝てしまう。

もっとはやい時期からしっかり食べさせていれば良かった。

点滴だけでなんとか生きている状態から体力は日に日に衰えていく。

私は毎日不安になりながら仕事に行き、帰宅して猫の様子を確かめるたびによかったと泣いている。

病院で点滴すると猫は抵抗する力もなくうずくまり、しばらくぐったり寝ている。体重は1.4kg。細い細い身体になった。

点滴が重くて歩くのもつらそうだ。

このまま通院するのが猫のためと思っているのが猫の負担になっていて、どうしたらいいかからなくなった。

今朝は撫でたら小さく鳴いた。

ほとんど横になっていて、起きた時に少しだけ流動食を飲ませたらまた寝てしまった。

本当なら今日病院の予定だったけれど、よく寝ている猫を無理に起こすのもかわいそうで連れて行くのはやめた。

病院には猫の具合を伝えて様子を見ますと連絡した。

夫に抱っこをしてもらって、猫はうれしそうにシッポを振っていた。

今はゆっくりと息をしながら穏やかな顔でぐっすり寝ている。

毛布を敷いたベッドに寝かせ、ふわふわの毛を撫でながら話し掛けて、息をするのを確かめている。

手に触ると握り返してくれたり時々頭や手を動かしている。本当に強い子だ。

でも、そろそろお別れが近いかもしれない。

これでよかったのかな。

もっと出来る事があったのか、それとも猫に無理をさせすぎたのかそれもわからない。

anond:20200607002120

香港くらいの立ち位置が200年ばかり続いたあとならそのころは自力でなんとか解決できるだろ

香港のことはわすれてLBM?とやらに熱中できるネットの熱しやすく冷めやすバナナ人たちには無理かw

2020-06-04

anond:20200604071026

すでに出てるけど7119かな。

自分も強烈なめまいで立てなくなったときに7119にかけて、

話をしている間にちょっとマシになったんでいいです、

来てもらって大ごとになるのも気が引けるので、と言ったけど

素人判断はやめてくれ、出動しても大丈夫判断したらそのまま帰るし、

と言われて結局救急車呼ぶことになった。

結論から言えば1日中グルグルンして吐きまくってたけど、

重病でもなく原因不明で、まぁ自力タクシーでもよかったなって思ったけど

やっぱそれは後付けなんだと思うよ。

おまえらニートはいいけどひきこもりだけはやめとけよ

ニートはまあやめ時もあるだろうがひきこもりはいったんなったらなかなか自力で抜け出せないからな

あやめとけって言ってもなるときはなるけどね。

2020-06-02

はてブユーザー層が変わった原因はブロガーが抜けたこ

最近はてブって負のオーラがすごい」

https://anond.hatelabo.jp/20200601222620

同じこと思ってる。

最近はてブ一般感覚とは大きくズレた左寄りのコメで埋め尽くされる現象が起こっている。中には、本気なのかネタなのかわからない陰謀論トップコメを占めていることもある。

長くはてブを使ってる人なら感じてると思うけど、本当にサービスとしての雰囲気が変わった。明らかにユーザーが高年齢化しているし、もともと比率としては少なかった女性ユーザーさらに減った。そもそも右翼にしても左翼にしても、偏りすぎたイデオロギーネット上で発露する人間の多くはおっさんであって、今のはてブユーザーの平均年齢は40代前半と予想する。

おれは、はてブ10年ぐらい使ってるけど、さすがにここ1年ぐらいの状況はひどくて、はてブに変わるサービスを本気で探し始めている。

で、なんでここまで、はてブ左翼おっさんばかりの溜まり場になったのか?と考えたら、ブロガーアフィリエイターがいなくなったからだとわかった。

おれはアフィリエイトで月30万ぐらい稼いでいて、アフィリエイター同士のコミュニティにも属しているから詳しいんだけど、4,5年前ぐらいに、初心者ブロガーの中ではてなブログブームがあったんだよ。

アフィリエイトは、GoogleAdsenseで稼ぐにせよ、ASPで稼ぐにせよ、SEO上位表示させるのがマネタイズ王道だ。で、当時は今よりもはてなブログSEOに強かったこともあって、毒にも薬にもならないことを書く雑記ブロガーが、はてなで、たけのこのように生まれていた。

正直「ブログで好きなこと書いて稼ぐぞ☆」とか抜かしてぺらぺらの内容を書くアホばっかりだったので、あいつらも相当うざいんだけど、年齢層は若くて、意識高い系主婦が中心だったので、今中心になってるようなおっさんユーザーと混じり合ったときバランスが取れていたんだろう。

でもここ1,2年で、はてなブログに限らず個人アフィリエイターブロガーSEO上位表示させて稼ぐのが一気に難しくなって、プレイヤーの数が減る流れがある。具体的な原因は3つ。

1.企業や団体もWebメディアに力を入れたことで個人太刀打ちできなくなった

2.Google検索アルゴリズムサイト権威性や信頼性評価する諸項目(EATという)の重要度を高めた。

→この2つは本質的には同じで、個人が作る中身スカスカサイトブラック手法上位表示させるサイト駆逐するために、公式サイト企業サイト、あるいはネット上で幅広く言及されたり引用されるサイト優遇するようになった。

これで、個人ブロガーアフィリエイターSEO上位表示することが一気に難しくなり、初心者ブロガー離脱

ただ、ユーザーからすればこれは良アップデートで、Googleの「ユーザーのためのコンテンツを作ることが第一」という考えとも合致している。

3.SafariにITPが実装されてアフィリエイトリンクのCockie保持期間が最短1日になった

→わかりやすくいうと、前まではユーザーアフィリエイトリンククリックしてから30〜90日以内に購入や問い合わせのアクションを起こせばアフィリエイターの成果となっていた。でも、それが今はiPhoneSafariっていう、全体の過半数を占めるユーザー群が、最短で1日しかその潜伏期間がなくなった。

これで収益が激減したブロガーアフィリエイター多数。

そんな感じで、アフィリエイト業界全体でみてもプレイヤーの数が減ってるんだけど、特にはてなブログマネタイズ狙ってたやつらは、そもそも文章を書くことにも金を稼ぐことにも本気ではなく、なんとなく楽に稼げたらいいなと思って互助会に頼ってたような連中なので簡単に離れていった。

はてな運営も、はてなブログアクティブユーザー数が激減している原因がそこにあることはわかっているので、2019年9月公式に、はてなブログ営利利用を認めるリリースを出したけど、もう遅い。以前のはてなブログブームはおそらく二度とこない。

そのキラキラ層と呼べるようなやつらがここ数年でゴッソリ抜けたあとの状態が、今のはてなというサービスだ。

残ったのは「Twitter意見を出したら叩かれるのが怖くて、誰からも名指しされなくて済むはてブ陰謀論を流すおっさん」。

マジで終わってるだろこのサービス

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ブコメ見て追記

かつてのはてなブロガーはてブ使ってなかったっていう意見がいくつかあるけど意味不明。仮にクソ互助会が主目的だとしても、それ以外の、自分普通に興味ある話題には一切ブクマしないって考える方が不自然

そもそもブコメつけずに「あとで読む目的ブクマするやつだっているんだから結果的ブロガー連中が純粋に好む話題も、政治話題とかと並んで人気エントリーに表示されるだろう。

よしんば、はてブ使用率が他ユーザーよりも低いと仮定しても、当時のはてなブロガーの分母自体が多いんだから一定ブクマカとして活動してたやつはいるだろ。

実際、当時と今とでは明らかに人気エントリーに並ぶ話題が違うよ。ブコメでもあったけど、アニメテクノロジーは明らかに激減してる。いかにも、当時のブロガーが好みそうなジャンルだと思うけど。

【もうひとつ追記

何度もすまん。

マネタイズ目的はてなブログユーザーはほんの一部」「日記的に趣味ブログ書いてる人も沢山いる」みたいなブコメは間違ってると思う。

それをいう人はピュアすぎるよ。あなたが「この人はマネタイズなんて意識してない」って思ってるブロガーの8割はマネタイズしてるよ。世の中にどれだけ広告宣伝が横行してるかに気づいていない。

純粋ライティングが好きで始めた人や、承認欲求を満たすために始めた人は確かにいるよ。でも、その中でマネタイズ一切なし、AdSenseAmazonアフィや楽天アフィも貼らないっていうポリシーをずっと貫く人は、本当にごく一部。金がほしいっていう気持ちって簡単に人の信念を変えるんだよ。別にそれは悪いことじゃなくて、そういうもの

たぶん、ブコメした人は、WebサイトAdSense広告バナーが貼られてる光景に慣れすぎて、それが「ブログ主がマネタイズのために自発的タグを埋め込んだ結果表示されてる」っていうことを意識しないのだろうな(はてなブログ無料アカウント場合は、はてな運営自動で貼る広告もあるけどね)。

あと、読解力のないブクマカが、なぜかおれを互助会ブロガーだと受け取ってるけど、どんな読み方したらそうなるの?

しろ自力ユーザーのためになるコンテンツを考え抜いて、その結果Googleからも今でも評価されて真面目に稼いでる者として、アンチ立場とってる文章なのに。

当時のほとんどの初心者はてなブロガーが作るコンテンツゴミだけど、「政治に興味ないフツーの若者比較的近い感覚をもったブクマカ」として、はてブ政治トピック一色になるのを抑止する効果はあったってことを言いたいんだって

はてブ人気エントリーは枠が限られてて、相対評価順位が決まるんだからキラキラ層に押し上げられたトピックと、はてサが押し上げたトピックが混じり合っていたってこと。

互助会ブログなんてクソだから、無い方がいいに決まってるだろ。

2020-06-01

anond:20200601202254

増田として訂正するなら今すぐ先の書き込み自力で訂正していいんやで

日本国民として意匠法を訂正するなら国会議員になれやで

anond:20200601104906

私は両親ともに田舎高卒で、就職氷河期だったから大した会社にも入社できず、父親中小企業勤務のサラリーマン母親パート

金がかかるからって言われ高校まではずっと公立それから金銭面の問題浪人予備校行くのも許されなくて、

から参考書使った自力勉強で、現役で行けるレベル大学しか行けなかった。

そのつもりがないのかもしれんが親を dis ってるようにしか聞こえない。親御さんが不憫だこと。

低学歴の世界なんて本当にあんの?

はてなで色々高学歴の世界低学歴の世界について見たけど、本当に"低学歴の世界"なんて日本にいくつも存在すんの?超レアケースじゃない?って思っちゃう

私は低学歴でも高学歴でもないどっちつかず(一般家庭でいわゆるMARCH下位)なんだけど、高学歴の世界があるのは理解できる。

海外旅行バンバン行ってて当たり前のように海外のデパコス使ってるような人とか、付属校に推薦で入ったか受験経験したことない人とか、えらく金かかる塾にずーっと通い続けてた人とか、他にも「マジで?」って聞きたくなる境遇の人はたくさんいる。

私は両親ともに田舎高卒で、就職氷河期だったから大した会社にも入社できず、父親中小企業勤務のサラリーマン母親パート。金がかかるからって言われ高校まではずっと公立それから金銭面の問題浪人予備校行くのも許されなくて、だから参考書使った自力勉強で、現役で行けるレベル大学しか行けなかった。

中学別にレベル高くなかったし、高校部活で決めたか偏差値は低め。周りの友達にはFラン高卒と専門がたくさんいる。

ここまで書いたら分かってくれると思うんだけど、私は"低学歴の世界"で生きてた人間だと思うのね。だけどはてなにあるような"低学歴の世界"なんて見たことないし。

"低学歴の世界"がないとは言わないけど、超レアケースなのを大々的に喧伝してるだけじゃない?ってどうしても思っちゃうだって信じられない。

世の中"高学歴の世界"と"低学歴の世界"の溝とか考えて絶望ちゃう人間なんて滅多にいないんじゃない?私だって、そこまで恵まれ環境じゃないと思うけど両親も今の大学も好きだし。格差是正とか言われてもピンとこないっていうか。

あと関係いかもだけど、中卒とか高卒で働いて家族を養ってる人は立派だなぁって思うけどFラン大学生は皆嫌い。高い金を親に出してもらってそんなとこ行くなんて正気?って思う。

普通に勉強すりゃ日東駒専くらいはいけるでしょ……どんだけ効率悪い勉強してきたんだよ……

2020-05-31

anond:20200531094335

DQ11は3年の時に自力で裏まで全クリしたんだけどね

なんかどっかで引っ掛かってる模様(こっちはポケモンやらんので知らん)

単に頑張ってクリアするだけの情熱がないだけかも

2020-05-29

anond:20200529160617

艦これKADOKAWADMMとして育てた後にくっついてきたんだろ?

FGO自力で育てた後にくっついてきたのはある。

そりゃ最初は小さかろうが成長したら企業集まるし、人も集まるよな。

といってもあくま原作者二次創作込みで育てて強くなったところで大企業が庇を借りている程度。

で、アズレンは?後アマビエは?アマビエは権利の独占のしようがないか大企業からんでこないぞ。

結果的二次創作込みで育てたコンテンツ大企業が寄ってくる程度であって、はじめっから大企業に食らいつかれたコンテンツ使い捨てってことには変わりない。

はじめっから大企業に食らいつかれたコンテンツ使い捨てで短命で終わる。カゲロウプロジェクトとかどうなったっけ?

2020-05-28

10年積んだ長編RPG自力クリアした。

 先日の話になるが、10もの間積んでいた長編RPGをやっとクリアした。いや、本当に良かった。この良さというのは、今までにファンが散々語り尽くしているのではと思うが、特に作品全体に通っているであろう強いテーマと、それに対し思うところもあったので書いておきたい。基本の情報ばかりで大きなネタバレは無いと思うし、細かい内容を知らなくても分かるようにしたつもりだ。

 ゲーム名は「ゼノブレイド」。発売されたのは約10年前。当時としては最高峰の広大なフィールドが特徴的だった。ゲーム内要素や脇道も多く、そしてストーリーがとっても長い。その時、私はブラック企業に居たせいもあって余裕が無く、全然遊びきれないままプレイストップしてしまった。積んでいる間にやがて名作との評判が広がっていき、ゲーマーの中でよく挙げられるタイトルになっていた。発売日に買って、これは面白い確信していたのに、いまだにクリアできていないのが心残りだった。

 時は流れ、今度リメイクリマスター)が出るという。以前よりもホワイトな方向に職も変わった。余裕もできた。ステイホームだ。今しかない。GWを利用して、冒険を再開することにした。

 探索やクエストをしっかりやっていけば主人公たちは自然と成長していき、進行に困ることはないらしいのだが、メインストリーさえ追えればいいと寄り道をしなかったせいか、ところどころのボス戦ではまったく倒せずに足止めされてしまった。どうやらこのゲームでは、強烈な「レベル補正」が仕込まれているようで、相手よりもレベルが低ければ低いほど補正が働いてほとんど攻撃が通らず、攻略不能といえるような状況となってしまう。やむを得ずやや苦痛レベル上げを最低限して、ギリギリボスを倒し、少し先に進み、次のボスでまた詰まる、というようなことを繰り返した。早くクリアしてしまいたいと焦っていた。貧弱のまま最終決戦に突入し、とうとうラスボスフルボッコ。しっかりとしたレベル上げと戦略見直し余儀なくされ、かなり心が折れてしまった。連休の終わりが近づいてくる。正直、プレイ動画で済ませてしまおうと何度も頭をよぎった。ふとプレイ時間を見ると、60時間を超えていた。ここまで来ておいて他人プレイ動画に逃げると、この60時間無駄になってしまう気がする。意を決してレベル上げを続けた。攻略サイトを見て、パーティを変え、スキルと装備を強化した。何度かのチャレンジを経て、何とかラスボス撃破した。プレイ時間は70時間に達しようとしていた。

 後半から終わりまで一気にプレイして。「運命否定し、自分で道を切り開く」というテーマをひしひしと感じ、身にしみた。そのテーマ象徴するかのように、危険予知できるスキルを持つ主人公は、イベントムービーだけでなく、実際のバトル中でも即死攻撃回避することができたりする。このシステムが、よりいっそうコントローラーを持つ自分の手で「運命を変える」というテーマを感じることができていると思う。ここぞとばかりに盛り上げてくるBGMも、困難に立ち向かう主人公勇気を奮い立たせ応援してくれているようで素晴らしい。そして、平和になっていく世界自分プレイが報われた気がした。プレイ動画に逃げなくて、本当に良かった。

 レベルが低いとボスにまったく歯が立たないのも、裏を返せば、自分レベルボスよりも高ければ高いほどレベル補正こちら側の圧倒的有利となり、時間をかけてレベルをしっかり上げさえすれば確実に前に進めるということでもある。極端とも言えるバランス調整に疑問を生じたこともあったが、終わってみると、強大な敵は進行不能なほどの脅威となって立ち塞がるべきだし、そこで至らなければ鍛錬を積んで乗り越えていく行程がより強調されることとなるが、それが「自力運命を変えていく」というテーマ本質に合っており、これで良かったんだとも思える。

 そして、何より私の年齢が中年にさしかかっているのもあってか、ゲーム製作者の意図もよ~く伝わってきた。それは、努力すること、協調すること、そして若さへの惜しみない賛歌だ。「このゲームプレイしている若者よ。運命なんて無い。頑張れ。諦めるな。仲間を大切にしろ。これから未来自分たちで作っていけ。頼んだぞ」。そんな思いを込めて作っていたのではないだろうか。

 10年前、ブラック企業に勤めていた当時の自分最後までプレイできたら、未来は何か変わっただろうか。もしかすると人生が変わったのではないかと思えるほどだった。

 今回リメイクの発売で、また多くの人がプレイするかと思う。多くの実況動画もアップされるはずだが、興味があればプレイ動画だけで済ませないで、最後まで実際にプレイしてほしい。そして現在コロナで辛い状況にある誰かが、私が感じたこゲームテーマを同じように受け取り、何か少しでも救われることがあればいいのにと、製作者でもないのに勝手に、そして割とまじめに思ったりしている。

 追記ゲームタイトルなどを補足・修正しました。ごめんよFF7じゃないんだ…。

2020-05-27

anond:20200527140734

女性場合子供産んでも正社員で居続けられている、って時点で十二分に恵まれてる層なので…

つーか氷河期世代支援だって無職非正規対象であって

正社員だけどそれに満足してないか転職したいなんてのは対象外だろ

自力転職しろ

anond:20200527074452

動画か。

いいな、その視点はなかった。

かに0から自力想像しなきゃいけない文章のカタマリ読み始めるより、馴染んでもらうのが先だよな。

自分に自信がないと相手の気持を推し量ることすらできなくなるな。

広告を出すことも含めてできそうな施策を考えてみるよ。アドバイスありがとう

探している車

ネットで見かけて、かっこいいなーと思って当時は名前も覚えていたんだけど、今はもう思い出せない車がある。

最近になって車の特徴だけ思い出したんだけど、名前がわからなくて調べられないから、下記の特徴でわかる人がいたら名前を教えてほしい。

・おそらく30年以上前外車

ビートルみたいな形だったと思う

・車のリアの部分にエンジンのようなものが、丸出しでついている。

多分わかる人なら3つ目の特徴でわかるとおもうんだけど、自力では探せなかったので、わかる人がいたら教えてください。

追記

バハバクでした

ありがとうございます

探している車

ネットで見かけて、かっこいいなーと思って当時は名前も覚えていたんだけど、今はもう思い出せない車がある。

最近になって車の特徴だけ思い出したんだけど、名前がわからなくて調べられないから、下記の特徴でわかる人がいたら名前を教えてほしい。

・おそらく30年以上前外車

ビートルみたいな形だったと思う

・車のリアの部分にエンジンのようなものが、丸出しでついている。

多分わかる人なら3つ目の特徴でわかるとおもうんだけど、自力では探せなかったので、わかる人がいたら教えてください。

2020-05-25

anond:20200525174426

それはパワーカップルの発想

外注するだけの財力がない&自分労働力アップしてもそこまで稼げる見込みがない層は

自力家事育児しなきゃならないからそれを夫と平等に分担する方を求める

子供が働くことを前提に出産するのって邪悪じゃね?

ペット飼うときはさ、最後まで面倒みられるっていうのが最低限の前提とされるわけじゃん

イヌが80年生きるとなったら少なくとも独身者はなかなか手出せなくないか?世話できなくなっちゃうから

でも子供はどうよ 完全に自分らの都合で生み出すって点でペット飼うのと変わらんし、むしろ知能が高いぶんより慎重になるべきじゃん 大きくなって可愛くないからもう世話しきれないの!なんて抜かしたらボコボコにされて然るべきじゃん

ところが実際は、「20歳になったらもう子供じゃない」「いつまでも親に頼るな」みたいな言説が幅をきかせてる

これなんでなんですかね 犬5匹を助けるか人ひとりを助けるかって状況があったらたぶん人のほうを助ける人が多いじゃん 法的にも動物はいくら殺したって死刑にはなんないけど人はふたりも殺せばほぼ死刑 人間が一番大切って価値観で動いてるわけだ

そのわりに自分で生み出した人間の世話に関しては全然責任とらなくていいってことになってるのはなぜだ 80年生きる生き物を最初20年面倒みたら充分やったことになるってのはかなり異常じゃねえか?

ネコ20年くらい生きるとして、「5年育てたし、もう大きくなって独り立ちできるから!この子自主性に任せたい!」つって野に放つ奴がいたらどう思うかって話だ

親は子がニートになってもそれなりの暮らしを一生させてやれるもんじゃないといけなくないか?働かせることを前提に子供を産むのは残酷じゃないか

「生まれてきてくれてありがとう20年だけ面倒見て残りの60年は自力でやってもらうよ、労働頑張ってね」良心の呵責は生じないのか?

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