はてなキーワード: 社会福祉とは
そういやこの前、低賃金で非正規で働かせられるので雇用保険料減額しました〜なんでニュースになってたな
その前に雇用保険余ってんなら充実させる方法考えろやって思うわ
というか、財政出動??雇用保険にかけてる金を保育士に回すってなんやねん
もっと職業訓練に金使うとか失業時に支払われる雇用保険額増やすとかしてくれていいんだけど
超就職率悪いらしいし、そういうのきちんと改善した方がいいんじゃ無いって気がする
保育士に補助を出すんじゃなくて最低賃金を1500円にしてくれませんかね
いつだって誰かを身内として身分階級を作るコミュニティっぽい理屈で金が回るならむしろ全員その中に入れろや
特権階級じゃないんやぞ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm23488282
彼は社会学者としての立場から法律や改憲論者と論壇で登って答弁しているわけだが、オレには佐藤氏と古市さんとの間で話がまったくかみ合っていないように思える。
正直、この佐藤という人を含め、古市さんを叩いてる人にはマーケット感覚がないんじゃないか?と思うんだが、具体的にどうやってそれを示したらいいのか見えてこない。
山本みずき氏との論壇でも同様だと思う。山本みずき氏にはマーケット感覚がない。一方で古市氏にはマーケット感覚がある。
議論のレベルがかみ合ってない。山本氏も佐藤氏も、社会の泥臭い面や言葉通りにいかない部分が見えてない。古市氏の方が社会を間接的に知る手段が豊富で信頼できると思うんだが
同じように思ってる人はいないのかな。。。
一応個人的に考えてみた内容をまとめてみたので、知見のある方々の指摘や修正がほしい。
是非論駁してみてくれ。
個人的な思考なんだが、『佐藤氏』と『古市氏』のバックヤードに目を向けてみた。
ソースはwikipediaくらいしか簡単に示せるものはなく、佐藤氏のことはオレはほとんど知らないので、あまり知ったようなことは言えないんだが・・・
『佐藤氏』
『古市氏』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B8%82%E6%86%B2%E5%AF%BF
佐藤氏の両親は政治学者と弁護士。つまり歴史と法に重きを置く典型的な法学部タイプ。日本は法治国家で資本主義として成功した社会主義タイプなので、佐藤氏は典型的な右派で保守的なタイプ。
一方で古市氏は環境情報から社会学へと転向した。つまりバックヤードとなる知識や感性は科学者タイプ。
ゆえに、古市氏の論じる分野には必ず〝マーケット〟がある。お金と結びついて物事を考える発言がきちんと身についている。またそこに時価がある。
ここで勘違いしてはいけないのは〝経済〟や〝金融〟ではない、ということだ。要するに〝政治色〟が薄い。よく言えば庶民的。別の言い方をすると〝資本主義的〟。
また彼は友人に起業家を持っており、堀江貴文を含め、財界との繫がりも多い。ほりえもんちゃんねるなどにもよく登場する。
これを〝強い者に擦り寄る〟と表現するものもいるが、そのあたりの〝評価〟は置いておいて、マーケット感覚を得られる環境にいることは間違いない。
http://blogos.com/article/154867/
例えばここで古市氏は『すき家は企業が社会にもたらした社会福祉のひとつ』と述べたことで叩かれているが、なにが間違っているのだろう?と思う。
マイクロソフトをはじめとする新時代の新興企業の多くは、既存の制度を上手に利用して新しい形の報酬を従業員に還付している。
(※その代わり徹底的に税金を逃れている! ←善し悪しは置いておいて、事実そうである)
どの国に所属しているかよりも、どの会社に所属してその会社が与える福利厚生を受けられるか
ストックオプションを行使できるか、金融資産を持てるかどうかが豊かさへと直結する時代になったのに、いったい何故古市氏の述べていることが的外れなのだろうか?
シリコンバレーでは福利厚生を提供するサービスを行っている会社がYコンビネーター出身者によって起業されている。
ケータリングサービスやタクシーチケット、社宅システムなど、上げればきりがないと思うのだが・・・
http://asread.info/archives/722
日本に自衛権があることを古市氏は知らなかったと述べているが、これもある意味で間違っていないと思う。
実際のところ、実質的に自衛権を行使できなかったことには違いない。
・ミサイルを発射されながらもそれを撃墜できるのは日本に駐在している二機の米軍潜水艦のみであること。
・敵国が領空侵犯をしても命令がなければ撃墜できない。引いては物理的に〝敵飛行機を押す〟という意味不明な対処しかできない
これらの現行法の脆弱さをどれだけ学者やSEALsは理解してるのだろうか?
http://trafficnews.jp/post/46566/3/
自衛権は認められているが、〝実質的に言って認められていない〟ことと一緒。
であるにも関わらず、古市氏が『日本の自衛権って認められてるんだ…』という発言を〝知識がない〟〝教養が無い〟と評価する論調はいかがなものか。
一方で佐藤氏にはマーケット感覚が無いといえる理由はここにある。つまり法律や政治に関する学問を背景にしているところに問題がある。
この手の人間がやっかいなのは、やたらと知識や雑学は多く言葉に言葉を返すのは上手いのだが、思考回路に多くの前提条件や知識条件が抜け落ちていることが多い。
言ってしまえばマリー・アントワネットのタイプだ。
古市氏の発言が法学や政治に強い識者から叩かれやすいのは何故だろうか。
それは叩く者たちが〝歴史の変遷〟が、実は〝市場の変遷〟であること、をよく分かっていないからだ。
市場経済はより自然科学的だ。お金は政治や法律によって生まれたわけではない。自然に発生して、それが整備されて整えられた。実は人類が進化の果てに手に入れた概念だ。
軍事力と経済力のふたつは大国の力を現す両輪と考えられるが、実は歴史を手繰ると三番目の車輪があったことが分かる。その名も〝宗教〟。
鎌倉幕府の台頭に現れているように、歴史的に見ると既にこの頃から宗教の力は徐々に衰えを見せており、政治と軍事力の二つが世界を動かしていたと言える。
表の世界での政治はほとんどが宗教と密接に関わっており、もっぱらここが市民と政治の大きな接点であったと言える。
一方で軍事力は実質的な世界の掌握と統治を行う役割を担っていた。
少なくとも、日本においては明治維新でサムライが不要となるまではそうだったのだ。
しかし第一次世界大戦、第二次世界大戦に代表されるように、軍事政権は失敗を迎えた。
正しい仕方で行使されなかった軍事政権は、共産主義や社会主義を生み出したからだ。
一方で米国のような市場経済を中心として発展した国は一定の成功を収めた。士・農・工・商のうち、最後に勝ったのは商人というわけだ。
マーケットは〝国の力が弱まりつつある〟ことを明らかにしつつある。既に鎌倉幕府の時代から、政府が持つ立法の力は軍事力か経済力のどちらかを担保にしており、宗教はアイドルでありスケープゴートであったに過ぎない。
そして過去〝政(まつりごと)=宗教〟が中心だった国家は、現在政治の中心を〝経済〟へと移している。
軍事政権が実質的な掌握を行っていた政治は、現在では財界が実質的な掌握を行う社会へと変化した。そしてそれは加速していく。
実際、国が提供する福祉よりも企業が従業員に提供する福祉の方が優れている場合が多い。しかもマーケットに従った結果なので、相応の人材を兼ね備えており、無駄が無い。
パナマ文書にも代表されるように、国家の枠組みを超えた企業にとっては国境など存在しないも同然。
スターウォーズの通商連合のように、もはや国とは独立した別の政治形態と言って差し支えない。
戦後70年の間で形成されてきた常識などいくらでも覆る。今後の歴史は大転換を迎えると考えてまず間違いない。
その意味では、いまだに全時代的な歴史の踏襲と繰り返し論議を重ねる、マーケット論の無き法学者や政治学者が出る幕は実質的に言って存在しない。
宗教がその存在を弱めたように、政治もまた本質は思想であり宗教であるから、その実質である軍事力や経済力のいずれかに依存せざるを得ず、結果として時代に取り残される。
軍事力の台頭は世論が許さないだろうし、世界もそれを望んでいない。よって、これから重要になるのは、〝個人がどの市場経済に所属しているか〟である。
世界を牽引してきたのは技術革新と金融だ。宗教を背景にした政治はストーリーを創り出す力があったが、現代ではその力は失われている。
闇雲に政治を追いかけても歴史を追いかけても真実は見えてこない。
必要なのは産業界の歴史を追いかけること。経済史の発展と衰退の繰り返しの中に答えがある。
古市氏がどういう器なのかは知らないが、少なくとも歴史と現状を比較して将来を占う上で非常に恵まれた立場にいることは間違いない。
彼は川上の最新情報にアクセスできることが可能で、新時代のリテラシーも十分持っている。
法学者も歴史学者も、企業の間接部門でしかない。プロフィット部門ではない存在の者たちがとやかく言う論壇や議論に意味はない。
その点は古市氏も同様だが、彼は自分の立場が弱者であることを自覚している分、市場に対する的確な論壇を展開できる下地がある。
叩かれるのがその証拠だ。叩いてる奴らのほとんどはマリーアントワネットばかりなのだから、叩かれている姿を見てむしろ安心すべきだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160317035908
少子高齢化の進む日本は労働者人口が足りなくなってきてて、近い将来日本という国が偉いことになってしまう、だから政府も経団界も女性の活躍や移民などを想定してるわけで、「移民に寛容な俺」みたいな道徳性で話してはない
下層の人間としては経済状況を維持改善しつつ、税金を上げて社会保障を厚くしたほうが日本の沈没に付き合うよりまし
移民を考えないとじり貧しかないのだが、なぜか「現状のままでずっとやっていける」という感覚をもってしまってる、もしくは考えないようにしてるのだろう
そうなってしまうのは結局
移民による不安を回避するために日本のジリ貧化を選択してると言えるのだが、それに気づかないようにしている
問題を直視せずあらぬところに批判をし、注目を集め、よりいっそう問題解決から遠ざかってしまう
痛い腹を探られた残念な杉並区議のニュースを読んで、へえそうか、おもしれえ、と思って出てきました。
ご存じの方も多いでしょうが、2000年代初頭に規制緩和されるまで、民間で保育園を新しく作れるのは社会福祉法人だけでした。
ちなみに特養は今でも国・行政・社会福祉法人しか作れませんね。その代わり別の枠を作って株式会社が大いに参入した結果、絶賛規制緩和&老人虐待問題などが起こっていますね。
社会福祉法人は、社会福祉法という法律によって定義されてるんですが、この法律、WWⅡ直後に出来たものです。法律の成立背景はぐぐるといくらでも出てきますが、
ごく簡単に言えば、本来であれば政府がやらなきゃいけない社会福祉が、WWⅡで国が極端に貧しくなってしまったために手が回らなかったので
民間の相互扶助でなんとか乗り切りましょう、というための法人です。補助金を入れやすくするし税金も減免してあげるよ、その代わり営利目的はダメよ、となっている。
ちょっと前に「昭和の高度成長期は、保育園の役割は子育て支援よりも生活支援だった」というtogetterなども上がっておりましたが、
保育園や特養は、言葉は悪いけど「貧者向けの救済施設」という位置づけだったんでしょう。美しい国日本()は、ずっと昔から、自助が前提の低福祉国家なんですね。
話は戻ります。
それで、誰がその社会福祉法人を作ったかといえば、地元の名士、と言われる人たちです。戦災孤児院、病院、福祉施設などには広い場所と金が要ります。
必然的に代々続く地主や名主の家系の人たちが手を挙げたんですね。江戸時代から続く名主・庄屋制度の名残は明治大正昭和にかけても当然残っていましたから、
彼らからすると「民百姓のための施しをして当然」という感覚もあったんだと思います。
ノブリス・オブリーシュですね、と言えばそれでほっこりした気持ちになれる、というわけではなく、同時進行で日本では農地解放や財閥解体などが行われています。
名主・地主や地域で成功した名士などは、これらの打撃を受けて、没落する者は没落し普通の人になり、「うまいことやった」人たちは、平成の今でも名士として生き残っているわけです。
その「うまいこと」が、ひとつには社会福祉法人を脱税に使うというテクニックです(真っ当に事業をなして生き残った方も当然いらっしゃいます)。
詳しいことは省きます。というか、昔のことなのでよく知らないんですが、社会福祉法人の他に、事業法人や持ち株会社などを設立して
あれやこれやで収益を還流させて一族が飯を食い、保育園や孤児院や病院を運営してきたわけです。
一つ大切なのは、少なくない社会福祉法人が、本当にノブリス・オブリーシュを旨としているということです。福祉施設は、基本的にはろくに儲かりません。
(話は変わりますが、福祉分野で規制緩和に乗って大きくなった株式会社が不祥事を起こしているのは、「本来、儲からないもの」だからです)
ただまぁ、残念ですが、社会貢献よりもお金が大事な人もいて、そういう人が、やってはいけない・決してバレてはならねえ資金還流をやっている場合があるようです。
私が上司から聞いた話では、昔はよくやってたことで、実はそれほど珍しいスキームでもなかったんだそうで。
名士の家に生まれても、ごく真っ当な思考回路のお子さんだってたくさんいます。
潤沢に教育を受けさせてもらい親のコネで良い会社に入ったりして、金周りの良い一般人と化している人も多い。
地元の区議会議員になるとか、自分の親がやってる保育園の理事になる、なんて手合いは、残りカスか、山っ気と名声欲にまみれた輩かのどちらかでしょう。
言い切っていいのかという感じもしますね。素晴らしい方もいらっしゃるとは思いますが、私が出会った「そういう方」は全員、名誉欲にまみれた残りカスでした。
田中杉並区議のことは存じ上げませんが、まぁ、ご自身が既得権者側であり、権利を付与する側(社会福祉法人の設立認可は市区町村です)でもあるという
グレーゾーンにいることをすっかり忘れて「民百姓の便所の落書きなんて下らないことを、生意気な」と平気で言ってしまう程度の、
残念な能力とメンタリティであったとしても、まぁ、想定の範囲というか「あるある」だなぁという感想になりそうです。
彼らがこういうこすっからいことをする大義名分というか常套句が「GHQの農地解放で身ぐるみはがされて」というやつだったりします。祖父母世代から刷りこまれてきた呪詛でしょうね。
実際にはそれでも元手は残ったはずなので、何を甘えたことを言ってんだコノ、としか思えませんが。
元が地主だったりすれば、思考が保守的になるのも当然でしょうし、その天与を当然と思って差別的な言動をしてはばからないするのは、残りカスだからだったりもします。
一つ弁護してあげられることがあるとすれば、やはり福祉施設って苦労が多いわりに儲からないから、何をこのナマイキな!と思っちゃったのかもしれない。
だとしたら馬鹿ではあるけど、倫理の罪は少しは軽いかねぇ…程度の弁護ではあるけれども。
このような、社会福祉法人運営=地元議員=地主って、本当に日本中にあります。そして、同じようなことやってる人たくさん居るんですよね。
田中杉並区議がどういう素姓の方はは、当人のサイトを見ただけでは分かりませんが、杉並区には「田中家」という名家があるんですよ。
http://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1007945.html
なにか繋がりがあるのかなーと、真っ先に思い出したので。
だからええと、みんな、地方選挙なんてわからん面倒くさいって思っても、投票しに行った方がいいと思いますよ。
投票率が低いのと立候補者が少ないから、バカでも選挙に通っちゃうんですよ。
一度目に当選するのが結構大変だという人もいるんですが、地元の名士だと地元組織票が入るから。
社会福祉法人は、会計基準や運営基準に違反があると免許の取り消しや停止処分があります。
でも、いったん関係者が議員になっちゃうとさ、「悪い社会福祉法人」だったとしても、何だかんだで許可取り消しとかに持っていくのは大変難しくなりますよ。
結婚・出産できないのが問題ではなくて、恋愛すらできないのが問題なんだよね。
「金が無いから結婚できない」ということはあっても「金が無いから恋愛できない」というわけではないから、
本質的には「金があったとしてもキモいから恋愛できない」というコミュ力の問題でしかない。
こうなるともう社会でどうにか出来る範囲の問題ではないからどうしようもない。
http://anond.hatelabo.jp/20160315173658
「発達障害ってdisorderだし、失調だよな!発達障害だから障害者というのは間違い!」
←disorderもdisabilityも単なる使い分けでは?
失調ってあった能力が一時的になくなるのを指すけど発達障害は知能テストで元の能力を判別されるので失調ではない。
それにdevelopmentdisabilityとも言うから的外れだよ~
「うるさーい!知能テストってなんだよ!専門外がググっただけで偉そうに喋るな!」
←知能テストで診断してるのも知らないのに単なる失調と主張するとかクズかよ
←まるで青二才の粘着くんみたいだなーあの人も○○ってよく発言してるしなー
「僕がいつ○○なんてセリフを吐いた!」
「もう怒った!全部消してやる!なかったことにすればブログで誠実な議論を!とか言ってもバレないもんねー」
「でも悔しいから消しながら煽ろう!知能テストは関係ない!偏りなんて関係ない!」←イマココhttp://anond.hatelabo.jp/20160316072146
あとでギャーギャー喚かれても迷惑だし、ちゃんとした議論の流れを残すのが公益のためだね。
ちょっと個人的に「発達障害者支援法」の英語表記が気になったんで、厚生労働省の資料を調べてみたんだけど、「発達障害者支援法」は「The support law for people with developmental disorders」となっていた。やはり「発達障害」の「障害」あくまで「disorder」であって「disability」ではないんだよなぁ。「発達障害の自分は障害者」と言っている人がはてなでもけっこう多い気がするんだけど(ブクマカにも増田にも)、発達障害(developmental disorder)の「障害(disorder)」は、知的障害(intellectual disability)とか身体障害(physical disability)の「障害(disability)」と同じ意味ではなく、基本的には、不安障害(anxiety disorder)や強迫性障害(obsessive compusive disorder)など、精神疾患全般で使われる「障害(disorder)」と同じく「失調」というような意味合いだよね(※発達障害に知的障害を含めない場合)。「disorder」を「障害」と訳すのは誤解を招くので良ろしくない、「症」と訳しましょうという動きもあり、実際にDSM-5ではいくつかの疾患名で「〜障害」から「〜症」という訳に変更されている。知的障害を除く発達障害の場合でも、医学・医療の分野では「disorder」、福祉の分野では「disability」という捉え方になるのかな?誰か分かる人がいたら教えて欲しい。http://anond.hatelabo.jp/20160315170316
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/biblio/development002.html
“発達障害を指し示す概念には、“developmental disability”と“developmental disorder”の2つがありますが、“developmental disability”は上記の『機能障害(impairments)・能力障害(disabilities)・社会的不利(handicaps)』の全ての問題を包括する社会福祉・行政分野の概念としての意味合いが強く、“developmental disorder”は生物学的成熟(中枢神経系)の異常による『機能障害(impairments)・能力障害(disabilities)』に注目する臨床診断・医学分野の概念としての意味合いが強くなっています。”
障害か失調かというよりはおなじ障害でも分野による使い分けということなのでは。
“何らかの精神機能や運動機能が障害される『機能障害(impairments)』が原因となって、他の健常者が出来る課題が出来ないという能力の不足(欠如)という『能力障害(disabilities)』の問題が起こってきます。”
「発達障害だから障害者」というとき、障害者認定を受ける資格があるから障害者というだけでなく、能力障害として健常者が出来ることが出来ないという点における障害という文脈もある。
http://anond.hatelabo.jp/20160315173658
“「発達障害だから障害者」というとき、障害者認定を受ける資格があるから障害者というだけでなく、能力障害として健常者が出来ることが出来ないという点における障害という文脈もある。”(←“”の文は引用)その文脈は統合失調症や双極性障害なども同じと捉えていいのでしょうか?これらの疾患でも、認知機能が低下したり思考や気分の障害が起こることにより、健常者ができることができなくなると思うのですが。http://anond.hatelabo.jp/20160315185445
そもそも、その2つとちがってADHDじゃない発達障害はちゃんと知能テストして出た結果であり、知的障害との距離の方が近いわけだから失調という表現からは程遠いと思うけど。
失調(しっちょう)とは、医学用語で、ある機能が調節を失うこと https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E8%AA%BF
http://anond.hatelabo.jp/20160315205547
「ADHDじゃない発達障害」って具体的になんのことですか? “その2つとちがってADHDじゃない発達障害はちゃんと知能テストして出た結果であり、知的障害との距離の方が近いわけだから失調という表現からは程遠いと思うけど。”(“”の文は引用)「失調からは程遠い」のなら、なぜ神経発達症群の中に分類されている知的能力障害は「Intellectual “Disability”」で同じく神経発達症群に分類されている自閉症スペクトラム障害は「Autism Spectrum “Disorder”」とされているのかを知りたいのですが……。もしあなたが専門的な勉強や研究をされている方なのではなく、ネットでググった知識しか分からない当事者の方であれば、無理して答えてくれなくていいですよ。http://anond.hatelabo.jp/20160315212854
「発達障害(developmental disorder)の「障害(disorder)」は、知的障害(intellectual disability)や身体障害(physical disability)の「障害(disability)」と同じ意味ではなく、基本的には、不安障害(anxiety disorder)や強迫性障害(obsessive compusive disorder)など、精神疾患全般で使われる「障害(disorder)」と同じく「失調」というような意味合いだよね」
と言ってるバカが、発達障害が失調ではないという事実を理解できたようで何より。
disorderも障害なのにも関わらず、何が何でも失調と訳したがるバカからはそう見える、というのが理解できました。
つーかADHDでない発達障害って何?とか言いながら専門知識がない!とかよく言えるよな
あとついでに、Developmental disabilityという表現もあるということを知ろうな
http://anond.hatelabo.jp/20160316055341
発達障害の人の中には「自分は障害(disability)だから一生治らない、発達障害だから◯◯が上手く行かないのは当たり前」というふうに捉えてる人が一部にいるみたいだけど、症状は経過によっても環境によっても変動する。不変のものではない。そもそも過剰診断が起きている現状を踏まえると、発達障害の診断自体が誤診の可能性もある。はてなには特に発達障害を免罪符に使ってるとしか思えないドヤリングマンがいる。「発達障害にはこういう特性がある」という情報を見て、その情報に自分自身を当てはめて「寄せている」んじゃないかと思える人もいたり。もっと勉強するべきなのはあなたのほうかもよ。http://anond.hatelabo.jp/20160316061048
不変だとは誰も言ってないのに妄想で決めつけられても困る
そもそも先に出した能力障害という概念は将来的にずっと不可能を意味しないから
失調というのは医学的に「もともとある機能が一時的に損なわれている」状態を指す
発達障害の知能テストを知ってるならもともとある機能ではなく元からないものにどう対応して改善するかっていう話だってことくらい理解できるでしょ
要は専門的知識もないくせに(他の人が指摘してる通り)甘えだと決めつけたいだけのクズが結論ありきで偉そうに吠えてるだけってことね
http://anond.hatelabo.jp/20160316061913
ちなみに、こういう汚い言葉遣いも発達障害のせいなんですか?http://anond.hatelabo.jp/20160316062431
そこに別の増田
青二才の粘着くんみたいな奴に絡まれたな あの人も誠実な議論とか言いながら発達障害に関しては言い訳するな努力が足りない甘えだとファビョりまくるもんな
言い訳するなとか努力が足りないとか甘えだなどと一度も書いた覚えがないのですが。被害妄想? http://anond.hatelabo.jp/20160316062953
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/biblio/development002.html
発達障害を指し示す概念には、“developmental disability”と“developmental disorder”の2つがありますが、“developmental disability”は上記の『機能障害(impairments)・能力障害(disabilities)・社会的不利(handicaps)』の全ての問題を包括する社会福祉・行政分野の概念としての意味合いが強く、“developmental disorder”は生物学的成熟(中枢神経系)の異常による『機能障害(impairments)・能力障害(disabilities)』に注目する臨床診断・医学分野の概念としての意味合いが強くなっています。
障害か失調かというよりはおなじ障害でも分野による使い分けということなのでは。
何らかの精神機能や運動機能が障害される『機能障害(impairments)』が原因となって、他の健常者が出来る課題が出来ないという能力の不足(欠如)という『能力障害(disabilities)』の問題が起こってきます。
「発達障害だから障害者」というとき、障害者認定を受ける資格があるから障害者というだけでなく、能力障害として健常者が出来ることが出来ないという点における障害という文脈もある。
現在の生活保護制度は、日本国憲法の以下を完全に満たしていないと
考えられます。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
○2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
まず、健康な生活を営むには、最低限の医療制度の扶助も必要でありますが、
それだけではなく、普段から健康的な生活を営む権利も存在します。
その故、健康的な生活を営む上で、まず、食生活はある程度の制限があったとしても
ここ3,4年、健康的に過ごせる分だけの支給を受けている記憶は何ら存在いたしません。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/eiyou-syokuji.html
節約生活の為には、必要であれば適時野菜等の摂取も必要ですが、安価に容易保存できるものは皆無で、節約生活を満たすことが全くできません。
最悪、コンビニ弁当と野菜等の組み合わせで、ある程度は満たすことはできるものの、それでは高額すぎます。
また、一人で生活していると、節約生活のためにより多くの野菜を購入しなければならず、食べれない分は腐らせてしまい、結局捨てなければいけません。
それに、現在、精神科医から、肉、脂、卵を中心とした食事をするように指導されいます。
肉でしたら、余裕で冷凍保存は聞きますし、卵なら、賞味期限1か月すぎても食べられるには食べられますが
肉は、はっきりいって高価すぎます。それゆえ、食費を切り詰めることもできあくなっています。
※かえって、2人居住を仮定して、2人分の支給を受けたほうのが、使えずに捨てなければいけない食料が出てこなくなるため、かえって節約につながります。
例えば、キャベツ1/2 を2つ買うより、キャベツ1個を買ったほうが、安くなります。
お勤め品を買うという選択肢もありますが、特に野菜類のお勤め品はそう容易に出るものではなく、野菜類のお勤め品の長期保存は不可能に近いです。
海外製品を積極的に選択することで、以前は健康的に生活費の圧縮を行うこともできましたが、アベノミクスによる円安によって、約1.3倍に高騰しています。
例えば、同じ店の同じ品質のおにぎりが定価で29円であったのが、68円まで高騰しています。
また、海外情勢(途上国の経済成長等)や、ここ最近の世界的な天候不良の多発によって、世界的にもインフレが起きており、より安く入手可能であったはずの海外製品の価格が急高騰しています。
食料品によっては、これらが原因で従来より約2.3倍に跳ね上がったものも存在します。
しかし、実際は各社で安値で提供するためのプライベートブランド商品も発売されているものの、プライベートブランドの多くは惣菜やカップラーメン等であり、たとえ安く手に入ったとしても、それで十分に健康的な生活を送ることはできません。
長妻昭厚生労働相は14日の記者会見で、熱中症による死亡者が相次いだことを受け、生活保護受給者に、冷房費など夏場にかかる光熱費の相当額を「夏季加算」として、上乗せ支給する考えを示した。
とありますが、現状で具体的に審議された等のニュースを一切見聞きしておりません。
一般的にはエアコン代は夏より冬のが多いといわれていますが、頻繁的に熱中症になる私にとっては、いかなる対処をしても無理な話です。
確かに北海道に住めば、8月の平均気温は約22℃~25℃ですが、
2015年の千葉県の7月19日~8月15日の最高気温38.5℃、平均最高気温は34.7℃
1990年の千葉県の7月19日~8月15日の最高気温35℃、平均最高気温は32.6℃
1980年の千葉県の7月19日~8月15日の最高気温31.5℃、平均最高気温は27.8℃
一般家庭におきましても、特に高齢者の孤独熱中症死が増えているだけではなく、若年層においても熱中症が増えています。
他にも、震災、海外情勢等における、エネルギー輸入価格の上昇もあります。
※ただし、つい最近におきましては、中東諸国の影響により、急激に下がっています。
原発事故において、総合的に安価で電力を提供できていた原発が停止し、燃料を海外に依存することによっても、エネルギー輸入価格の上昇に跳ね上がり、最終的に電気料金が約1.5倍弱に跳ね上がったのもあります。
これらの上昇価格は、消費税高騰で3%上がったものの、それ以上のエネルギー費用の高騰をして、これ以上の節約生活が事実上不可能になってしまっている状況です。
エネルギー価格(特に電気代)が上がっている現状、節電商品を購入しなければならなくなります。
生活保護には、一般でよくある「ボーナス」というのがありません。
そのために、エアコン、冷蔵庫等、今現状で最低生活を行わなければいけませんので、古い節電基準を満たしていないエアコンを購入せざる得ない、または、使い続けなければいけなく、購入できるきっかけができず、かつ、電気代も高騰しているので、なおさら貯金が困難になり、温度上昇したものに対して熱中症対策を含めて冷房をかけるための電気料金に消費してしまい、悪循環となってしまっています。
※生活保護法においては貯金は認められていないものの、おおまか保護額の5倍程度までの貯金なら、黙認されていると、前市におけるケースワーカー含めて何度か聞いたことがあるだけではなく、貯金できるなら、するように指導されたこともあります。
また、これらの悪循環により、医療扶助額が余計に増えてしまうことも考えないといけないことです。
※医者に好きで行っているわけではないことも、合わせて申し上げます。
医療扶助額はこれらの要因によっても増えているとも聞いたこともあります。
根本のすべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活が行えることによっても、医療扶助額を削減できるとも考えています。
また、文化的な生活に関しても、上記の生活費の圧迫に対して、満たすことも困難になってしまっています。
本当に文化的生活というのは、何かというのも考えていただきたいと思います。
それだったら、人を殺人して、それで得られた肉を自分の食糧にしたほうのが
ずっとマシです。
上記エアコンや冷蔵庫も該当しますが、文化的な生活を行なうには電化製品等も必要になります。
しかし、それらを購入する上で多くの方は、同じ商品であっても、安くて粗悪なサポートの店より、ある程度高くても安心サポートの店を選びます。
最終的に同じ商品をできる限り長く使ったほうのが、最終的なコストが安くなるのですが、生活保護の算定において、価格.comの粗悪な最安店を選定しているとのことを聞いたことがあります。
http://kakaku.com/item/K0000776061/
あなたは、聞いたこともない「EC-JOY」「ディーライズ」「m-tact」「PREMOA」
近くにもあり、有名な(柏ですと)高くても「ビックカメラ」、「ケーズデンキ」「ヤマダウェブコム」で購入するかと思います。
それ故、粗悪なサポートな店舗による購入を選ばざるえなく、かえって後のメンテナンス費用(修理代)がかかってしまうわけです。
これらを、柏市長に対して代表して訴えさせていただきますが、実際には
現在のこの経済状態で、最低生活を営むには、最低でも1秒でも早く生活保護費を1世帯あたり2~5万円/月上げるべきである。
現在のアベノミクス不景気によって、いわゆる最低賃金も、生活保護認定額も
大幅に減っています。
最低生活をせざる得ない日本人を、合法的に苦しませて殺人するために、これだけひどい物価高騰にも関わらず、生活保護費を引き下げている現状におきましては
すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を受けられていないものと考えています。
この健康というのは、物理的な健康ではなく、倫理的な健康、すなわち精神面も含まれていると考えます。
以前、確かに生活保護でありましたが、それなりの貯金をすることはできていました。
しかし、これらの物価急高騰によって、貯金すらできなくなっています。
また、市役所に何らかの連絡をする必要がある時、以下のような手段を取らないといけません。
・市役所に直接出向く 市役所に出向くための体力を温存するために必要な食事代が必要になる、地域によっては相応の交通費がかかる。
それゆえ、もともと、精神的な安定も含めて、インターネット(固定料金)を使用しているので、無料で送信できるe-mail等で連絡してよいか?という質問に関して、全て拒否をされています。
ケースワーカー自らが節約生活をしなさいと指導しているにも関わらず、このような発言に関しては非常に遺憾に感じます。
本当に健康で文化的な最低限度の生活を行うのに際して、現時点での実情は誰も聞いてくれるわけではありません。
そのために、代表して、柏市長が代表して、貧困生活を約3か月ほど体験していただいて、これらのことも考慮していただく存じます。
そのために、日本国憲法第25条を生活保護制度が満たしていないことにより、費用の徴収に対し、不服を申し上げるとともに、生活保護の基準額を全国的に至急引き上げることを強く求めます。
これによって、生活保護の基準額があがるだけではなく、日本国内の経済も
これらの不服に対して応じて頂けなければ、柏市長自らの手で私を殺してください。
それなら、最も迷惑な方法で私自身が自殺したほうのが、私の分の生活保護費の支給額分
全ての日本国民が、きちんとした文化的生活を送れるようにする必要が
あるかと考えられます。
そういう無駄な税金を、いちはやく日本国憲法第二十五条に沿うような形で
全ての国民に等しく健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するという形で
常識のことではないでしょうか?
安倍晋三に真の所を突き止めたいところです。
経済成長のはかり方はいろいろあるんだけど、おおざっぱに国民総生産だとすると、まさに字義通り国民の生産の総和なわけだ。
ってことは、たとえばある人がどこかの企業に入社するとき「この会社の売り上げを増大させるつもりはありません」というならば、そりゃとうぜん「経済成長させる気がない」わけだよね。「自分のもらえる給料を増やすつもりはありません」も同じく「経済成長させる気がない」わけだ。
そういうひとは「経済成長させる気がある人たち」である、例えば投資家や資本家、経営者から、忌避されても仕方ないよね。ここでいう忌避ってのは、要するにリストラや、入社お断りってことだ。
そしてそういう人が多くなればなるほど、社会福祉においては逆風が吹くことになるよね(彼らはフリーライダーなわけだから)。
つまり、結果としては「経済成長いらねえです」ってうそぶく人は、弱者切り捨て型の社会を招いていることになるわけなんだけど、そういう自覚あるのかな? もしかして無自覚なのかな? それとも「大半の馬鹿なお仲間弱者は切り捨てられるが、俺は要領よく寄生してやるぜ」とでもおもってるのかな? という質問。
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そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶 グードルン・パウゼヴァング
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Three Essays on the State of Economic Science Tjalling C. Koopmans
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11/22/63 上 スティーヴン キング
システム×デザイン思考で世界を変える 慶應SDM「イノベーションのつくり方」 前野隆司
追われ者―こうしてボクは上場企業社長の座を追い落とされた 松島 庸
グロースハック 予算ゼロでビジネスを急成長させるエンジン 梅木 雄平
To Repair the World: Paul Farmer Speaks to the Next Generation (California Series in Public Anthropology) Bill Clinton
☆社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書) 小坂井 敏晶
Making the Modern World: Materials and Dematerialization Vaclav Smil
高校教育のアイデンティティー―総合制と学校づくりの課題 (「教育」別冊 (9)) 小島 昌夫
☆名作はこのように始まる〈1〉 (ミネルヴァ評論叢書・文学の在り処) 千葉 一幹
グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換 [DIPシリーズ] ニコラス サリバン
☆天涯の武士―幕臣小栗上野介 (1之巻) (SPコミックス―時代劇画) 木村 直巳
ぐいぐいジョーはもういない (講談社BOX) 樺 薫
LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲 シェリル・サンドバーグ
鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! 村崎 百郎
男性論 ECCE HOMO (文春新書 934) ヤマザキ マリ
http://anond.hatelabo.jp/20151019063108
元増田へのコメント見ても、当人の気質の問題に帰結させようとする人が見受けられるけど、ぶっちゃけノンキなもんだなあと思いますわ。貧富の格差が広がってきてるのに富の再分配が適切に実施されていない社会では、元増田のようなメンタリティの人が増えていく―自分は他人にも社会にも優しくされたことなんてないから、自分も他人や社会に優しくする義理はない!って風潮が蔓延していくんだぜ?
電車つながりで思い出したけど、隣に座った見知らぬ乗客に突然殴られたって話が少し前あったじゃん。あれは極端にしても、そういう殺伐とした社会の実現へと着実に向かってるのが今の状況でしょ。妊婦だのベビーカーだのが公共交通機関を利用するのはどんどんハイリスクになっていくかもしれない。少なくとも、車内でウトウトする乗客なんつー牧歌的な情景は、今後10年で見られなくなるかもしれないわな。
けっきょく”あいつらの性根が腐ってるから”って切断処理したんじゃ済まないんだよ。”あいつら”と同じ社会に生きていく以上”俺ら”の問題なわけ。
貧困層を犯罪者予備軍扱いすると左巻きのはてなーは激怒するかもしれんけど、置かれた状況や立場が人の衝動や行動を左右することは社会心理学なんかでもうわかりきってて、そりゃ個々人で見れば己の良心で踏みとどまる奴もいるだろうけど、総体としては貧すれば鈍ず人々なのですよ。そしてもはや、社会互助やら道徳やら説くだけでは、そんな人々の行動を変えることはできないわけでしょ。”あいつらの性根が腐ってるから”って糺すポーズで自分の品位の高さアピールして悦に入ってる場合じゃないだろっていう。事態は既に、社会福祉orモヒカンって状況よ?社会互助を尊ぶ人々こそ”あいつら”をどう救済するのか考えないと、社会互助が成り立たなくなる時代がすぐそこまできてるんだって危機感を持てよ。
いや、俺が知らないだけで、もしかしたらみんな既にゲーテッドコミュニティに移り住んでるのか、それともトゲ付き肩パッドの準備が万端なのかもしれないけど、そのいずれでもない連中が元増田に石投げてるんだとするとホントにノンキだなとしか思えなかったからさ。