はてなキーワード: 社会福祉とは
生存戦略からするとさあ、非モテで結婚出来なさそう or 結婚しなさそうな人達がとるべき戦略は、他人をどんどん結婚させて
子ども生ませて、将来の自分の社会福祉の為の納税者を作らせるべきじゃないの?
ブコメより
社会的互助って奴がそーゆー単相の一対一だけで成立してるわけじゃないことぐらい分かれや お前は性格やルックスが悪いんじゃない、アタマが悪い
正論だけど的を外している。
元増田はその社会的互助の輪から自分が締め出されているように感じている、というより、信じている。
その確信の下、功利的に考えれば、自分への見返りの無い社会的互助に献身することを拒否するのは、合理的だ。
こんなやつでも、出生前は散々優しくされただろうに。
これ字面どおりに受け取るなら、元増田の母親が実際に社会的互助の恩恵を受けたかどうかはわからない、と答えうる。
が、このブコメの指摘するところはもっと深く、元増田も社会的互助の恩恵を受けているはずなのにそれに気付けないだけ、という点だろう。
電車というシステムひとつとっても、譲り合い等の社会的互助が働いているからこそ、円滑に動いているところがある。
もし皆が社会的互助を拒否したら、駅は今よりももっとずっと諍いの絶えない場所となっていることだろう。
元増田は、電車を利用するに際して、しょーもないケンカに巻き込まれずに済んでる、という点では、社会的互助の恩恵を受けてる、と言える。
世の中は割と、その場に居合わせた人間の善意だけでうまくいっている場面が多々ある。
が、元増田にはこう言っても信じないだろう。
自分の置かれている境遇が最悪だと信じ込んでいる者に「もっと酷くなる可能性を考えたら、今はまだマシ」という指摘は、何ら救いにはならないから。
金銭的であれ、制度的であれ、政治・社会が彼らの境遇を改善しようという態度を明らかにすることによってのみ、彼ら彼女らの不満や不安を解消できる。
「弱者男性」からのバックラッシュについて論議が続いていますが、自分の中で感じたことを吐き出してみる。
端的に言えば、
という話。
「弱者男性は、女性からの承認を求めている。」という想定に違和感を覚えたのが、以下の文章を書く動機。
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20150526/1432612495
なお、弱者男性として、30-50代の不安定な就労環境に置かれた独身男性を想定している。自分自身も弱者男性に近い立場である。
フェミニズム擁護側には多くの統計をもとに、今の社会がいかに「男性優位社会」かをしめしていただいた。
しかし、自分の給与明細・口座残高があまりよい状態ではないのもまた現実である。
今まで生活保護のお世話にならずに済んだがこれからどうなるかはわからない。
そんな状態で賃金格差などを示しながら「男性優位社会」を撲滅するということは、弱者男性の賃金・労働環境を悪化させる可能性があるといっているに等しい。
安定した環境で働いていて家庭を持っている男性にとって具体的なフェミニズムの影響は「家事と仕事の割合」とか「出世競争」といったところであろう。
しかし、弱者男性にとっては「よりブラックな労働環境」「非正規労働への転落」「失業」といったものを想起させる。
自分の今の地位さえ「男性優位社会」による下駄の結果だとしたら……ということである。
「流れ弾を当てるな」「ほっといてくれ」というのは、自分の生活環境を苦しくするなという話だ。
『「フェミニズムの実現」は未だ成っていない喫緊の課題であり、実現後を勝手に妄想して批判すべきではない。』
という批判はまっとうであると思うが、心情的に自分が不幸になるかもしれない運動を諸手を挙げて歓迎することは難しいのではとも思う。
『フェミニズムは「男性優位社会」を打倒する理論であり、男性の格差は感知しない。男性は男性で運動すべきである。』
というような批判はフェミニズム側からすれば当たり前の応答なのであろう。
フェミニズムは男女格差を解消する運動であり、その理論も方法も女性の解放に最適化されて構築されたものなのだろう。
女性が立ち向かう壁は「男性全体」であり、そこに「強者男性」「弱者男性」の区分はない。
それに対して「弱者男性からのバックラッシュ」も弱者男性の生活向上においてはひとつの最適化の形だと思う。
社会問題を体系的に考えるの素養がある人であれば「弱者男性の貧困問題は経済的強者に向かうべきだ。」と違和感なく考えることができるだろう。
しかし素朴にこの問題を考える時相手は弱者男性以外になるし、さらに悪ければフェミニズムの構図を引きずって「男女対立」の枠で最適化させてしまうかもしれない。
特にこの問題のフェミニズムおよびそれを支援するリベラルの応答においては度々”弱者男性は真の弱者ではない。”という言い方がされる。
コレは卑屈にとらえれば「弱者男性は男性優位社会でも優位に立てないクズ」であり「他の社会運動からの連帯を与える価値がない」と見える。
リベラルに見捨てられていると感じている弱者男性が、リベラルの提供するものの見方に乗っかってくれるかは怪しいのではないか。
弱者男性がたとえ卑屈であろうとも、彼らが感じている「貧困への不安」というものは本物であると思う。
本来このような弱者男性の不安に応えるべきであるのは、労働組合・労働運動であろう。
しかし、失われた20年の間労働運動は敗退を続けていた。労働組合は長らく既存の正社員の雇用を守るだけで精一杯だった。
非正規労働者であれば、労働組合を正社員の権利擁護団体としてみている可能性もあるかもしれない。
その一方で生活保護以上のセーフティネットが敷かれることも期待できない。
なぜなら財政問題によって社会福祉が充実することはなかなか難しいうえに、
もしこの先福祉が充実することがあっても、福祉の拡充に熱心であるリベラルは「弱者男性」を福祉の対象と見ていないからだ。
こうした状況の中で弱者男性が求めていることは『「社会問題上弱者男性をどのように扱うのか。」をリベラル勢力が明確にする』ことだと思う。
フェミニズムが伸長しても、弱者男性の生活が保障されることを確認したいのだ。
労働組合の復権という形であるのなら、20年負け続けた労働組合をどのように復活させるのか。
国によるセーフティネットを充実させるのか。そのセーフティネットは弱者男性も利用することが可能なのか。
本来であれば「リベラル政党」を自認する民主党に部分最適ではないロードマップを提示して欲しいのだが、あまり期待できそうもない。
いずれにしてもあくまでも「弱者男性が真の弱者ではない。」「それは甘えだ、自分で考えろ。」という態度をリベラル全体でとるのであれば、
マクドナルドの「時給1500円」で日本は滅ぶ。 (中嶋よしふみ SCOL編集長)(シェアーズカフェ・オンライン) - Yahoo!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150416-00010000-scafe-bus_all
この件に関して、はてブの100文字ではとても書ききれないので、ここに書きます。
たしかに、企業運営コストのなかで、人件費の占める割合は大きいので、
時給を上げると経営が傾いたり、他の色々なところに影響が波及するということは避けられないのかもしれない。
ただ、あのデモの言わんとしているtころは、個別の(自分が働いている企業の)給料を上げろと言っているというよりも、
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
という規定を実現させろということに他ならないと思う。
「嫌なら他の仕事につけばいい」とか「正社員になればいい」と簡単にいう人がいるけど、
それができないからこういう行動に及んでいるということが、分からないのかな。
私の話になって恐縮ですが、私は公務員試験に合格して、事務職の公務員として勤務していたことがある。
でも、ざっくり言うと上司からのパワハラに遭い、退職を余儀なくされた。
民間企業での実務経験なんてほとんどなかったし、公務員を辞めたような奴が民間企業で仕事できるのかと思われたりで、
今は身分上はアルバイトで、時給3ケタの生活に甘んじているけど、30代後半になって、それもさすがにきつくなってきた。
でも今から正社員で雇ってくれて、自立した生活を送れるだけの給料を払ってくれるところがあるのかと言われると、怪しい。
あのデモは、自分の努力だけではどうしようもなくなった人たちが、国や世間に対して、まともに生活させろということを言ってるにすぎない。
生活保護があるといっても、水際で止められるし、どうせ不正受給にばかり目がいくしで、あてにならないし。
ただ、世の中の不平不満をデモにぶつけるという方法は、アンチ原発にしても集団的自衛権にしても秘密保護法にしてもヘイトスピーチにしても、
多分実際おちる可能性の高い奴の方が反対している率は高い。
同性愛者への福音か、家族制度破壊か。同性カップル証明書 - Yahoo!みんなの政治
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 日本国憲法第24条第1項
純然たる「憲法違反」。法治国家としてあるまじきこと。ただでさえ守られていない憲法が、さらに形骸化し、諸外国の懸念を招くだけ。きちんと手続きを踏みましょう。 http://seiji.yahoo.co.jp/article/1665/
憲法は同性同士の結婚について規定をしていないだけで、違反じゃないでしょ。 b:id:knowspring0210
同性婚は、そもそも憲法で禁じられていない。http://lmedia.jp/2015/02/20/61845/ b:id:unifas
9条の解釈改憲と似た話。憲法制定当時では想定されなかったことについて、どのように憲法と折り合いを付けていくか。
「生物として異常」て、現にそうである人間や動物が存在するのに何を意味不明なことを言っているのか。もうちょっとものを考える癖をつけたほうがいい。 b:id:bitscreen
自然界で行われているから異常でないというのなら、性成熟すればすぐに性行為を行わないのも異常だし、ムラムラしたら手近のメスと性行為を行わないのも異常である。以上より、「生物として」異常か否かを議論することに価値はない。
同性婚を認めることによって、少子化に拍車がかかるのか。肯定論者の論拠が不明で、それ以上の議論の余地がない。
国家や人類の繁栄・存続を否定するものであり、個人の権利擁護の観点だけで議論すべきではない。個人の自由も大事だが、もっと大切にしなければならないものがあるのではないか? http://seiji.yahoo.co.jp/article/1665/
このような意見に対して、
反対意見で人類の存続だの国家の繁栄だの言ってる人は、子供を作らない異性夫婦の存在にも反対なのだろうか。 b:id:goturu
同性婚を認めない→現在少子化→同性婚を認めたら、少子化に悪影響!→???なんでだ?/結婚は個人の権利の問題じゃない、と仰る方が、どんな生活をしているのかすごく興味ある。長期独身者だったら苦笑いだな。 b:id:kirin_tokyo
というのは反論になっていない。「結婚とは子作りをするためのものである」という論者に対して、2つの主張は「そういう人がいてもいいよね」と切り捨てられるだけである一方、同性婚はこの目的に合致しない。
現政権は、社会福祉における自助の強化をはかっているんだから、その意味においては同性カップル証明書の発行をむしろ推進するのが筋かと思う。 b:id:OrangeBubalus
異性なら住民票をひとつにすることで事実婚扱いができるが、同性だと不可能。婚姻よりは弱いが、事実婚並の権利と保証を与えるのを可能にするのならいいんじゃない? b:id:Josui_Do
婚姻と別制度ってことなら好きにやったらいいんじゃん。既存の婚姻は子を産み増やせる関係性を優遇する制度ってことでよろしくな! b:id:oktnzm
「同性カップルにも異性婚と同等の権利を与えろ」というのは、「結婚とは男女でするもの」という「常識」の人たちに嫌悪感を与える。「同性婚に反対している人たちは「嫌い」というだけで論理的でない」と、軽々しく扱う人もいるが、嫌悪と言うのは中々根が深くて、論理でなんとかできない分、厄介である。
まとまらなかったので、(仮)としておく。
2015-02-09
先日のエントリでも書いたとおり、1月に共産党の志位和夫委員長と対談しました。
前回のエントリでは「共産党すごいね」と思えたポイントについて書きましたが、今日は自分向けの備忘録として、対談の中で印象深かったコトをまとめておきます。
対談の中で、党名変更を検討したことはあるのかと質問したところ、答えは「ないですね」でした。
これはけっこう意外でした。ベルリンの壁やソビエト連邦が崩壊して、「さすがにもう共産主義は終わりでしょ」って時期があったのに、党名変更について検討したことがないなんてびっくり。
あたしは(前回のエントリでも書いたように、主に)ブランド価値という観点から、党名維持は正しい判断だったと思ってるけど、そもそも議論もなかったという回答にはちょっと驚きました。
これって共産党の人にとっては「議論する必要さえ無いこと」だったのかな。ほんとに誰も「変えるべきでは?」と思わなかったの?
共産党の政策の多くは大企業に厳しいものなので、「もしかしてグーグルやアップルみたいな大企業がない国が理想なんですか?」と聞いてみたら、そーじゃないとのことでした。
大企業の存在自体は問題ないけど、彼らは十分に儲けてるし、もっと負担を増やしても国際競争に負けるなんてことはない、と思ってると。
後半はともかく、共産党も大企業の存在自体を悪だと考えてるわけじゃないのね、というのは確認できてよかったです。
これもびっくりしました。プレイボーイ誌にも載ってるように、志位委員長は「私たちは世代間で富が偏っているとは思っていないんです」と断言されたんだよね。
えー、そうなの!? あたしは「日本の問題の元凶は(多くの場合)世代間格差でしょ」って思ってるので、この点では全く意見が違います。
志位さんは、「どの世代にも豊かな人と貧しい人がいる」と言われていて、それはその通りだと思います。でも、だからといって世代間格差が存在しないとは言えません。
各世代の中で貧富の差もあるし、かつ、世代間にも格差はあるよね。そしてどっちが深刻かというと、(私は)後者だと思ってます。なぜなら、同世代の中での格差は経済力の格差だけだから。
経済的な格差は税制や社会福祉などの再配分政策で解決できます。でもね、世代間格差は経済格差だけじゃありません。雇用機会の格差であり、一票の価値の格差や投票率の格差でもあるんだよね。
全社員の定年を(65歳まで)延長しろとか、正社員を解雇したければ「その前に新規採用をストップし、非正規雇用の人を解雇しせよ」とかいう法律&判例は、構造的に中高年を守り、若者の雇用機会を奪ってる。
一票の格差においても、票の重さは地方と都市部で比較されることが多いけど、これを年代別に再集計すれば、高齢者の票の価値は、若い人の票の価値より、かなり重いはず。
ネットでの投票が認められないのだって、政治家になろうとする候補者が若い場合、圧倒的に不利だよね。スマホで投票ができるようになれば、若い人の投票率が大幅上昇して、この世代の政治力もグッと高くなるのに、そもそも国会議員に若い世代が少ないから誰も強力にプッシュしない。
というわけで、この点も意見は大きく違うかなと思いました。
4)低い方に合わせるのはどうかと思うけど、高い方に合わせる必要も無いでしょ
年金について志位さんは、「国民年金だと、月に 4万円しか支給を受けてない人もいる」と言われ、あたしは「教師の共働き世帯は、月に 40万円の年金をもらってる。
月 4万円しか年金がない人の支援に必要な原資は、働いてる世代から徴収するんじゃなくて、多額の年金を貰ってる同世代の高齢者から分けてもらうべきでは?」って聞いてみたところ、
志位さんの答えは「支給の水準を低い方に合わせるという考えはどうなのでしょうか」でした。
そりゃまーそーだけど、でもね、じゃあ、全員が「一人 20万円、夫婦で 40万円の年金をもらえる社会」を目指すわけ? それ、誰が原資を負担するの??
低い方に合わせなくてもいいけど、高い方に合わせるのも無理でしょ。お互いに歩み寄ればいーじゃん?? =つまり、月 40万円の世帯からちょっと出してもらえばいーじゃんと思いました。
対談内で志位さんは「内部留保の全額を取り崩せとは言っていない。1%から 2%の取り崩しでもかなりの賃上げができるはず」と言われてます。
そんなちょっとでいいなら、内部留保の取り崩しとか言わずに「法人税を上げろ」と言えばいいじゃん。経済的な効果は同じでしょ? と(私は)思ったのですが、これにたいする回答は、
「大企業にはそれができるだけの体力がある、ということを言いたいんです」
つまりね、別に内部留保でも法人税でも(実質的にはどっちでも)いいんですけど、「内部留保」っていう単語が、ものすごく「貯め込んでる」感じがする単語なわけです。
この単語を使った方が、「不当なお金を貯め込んでる大企業」というイメージが国民に伝わりやすいから、そう言うのだと。
なるほどなーーーーー!
これに関しては、私はずっと「なんでこんなワケのわかんないこと言うのかな」と思ってたのですが、そういう理由があったんですね。
それにしてもこういう言葉の選択が、前回も書いた「共産党、ホント上手だよね」な点なんです。
★★★
記事になってない部分でも
「志位委員長の後輩の東大生でも、最近は企業に就職せず起業する人も増えていますが、学生が最初から(労働者ではなく)経営者を目指す傾向をどう思われますか?」とか、
「学生時代の学びではなく、大学に授業料を払った対価として大学から得たもので、社会人になってから、一番役にたってる学びはなんですか?」など、いろいろ質問し、興味深い回答を頂きました。
そして、おそらく志位委員長を最もがっかりさせた私の質問は、「志位委員長はクラッシック音楽が一番の趣味とお聞きしてますが、それってちょっとブルジョア的じゃないですか?」という質問だったんじゃないかな。
委員長は「そんな心外な!」って感じの反応でしたが、「でもたしかにコンサートのチケットは高いですよね。もっと安ければ多くの人が行けるのに」ともおっしゃっていました。
で、ふと思いついたんですけど、共産党って貧しい家庭の子供たちを、毎年クラッシックの音楽会やミュージカルに招待するとか、そういう活動をやればいいのに。
反核とか反原発とか反基地だけだと、「やたらデモが好きだよね、左翼って」って感じになりがちだけど、貧困家庭の子供達を音楽会に連れて行けば、「文化や芸術にも造詣の深い共産党」ってイメージが打ち出せる。
せっかく無類のクラッシック好きの志位さんがトップに立ってるんだから、そういうこともやってみたら今後の党勢拡大に役立つのでは?
よく「経済格差が教育格差につながる」と言われるけど、日本は国公立の教育機関の質が非常に高いので、本気で勉強が好きな子が、経済的な理由だけで進学できないって例は少ないと思うんだよね。
ところが文化や芸術においては、勉強以上に家庭環境の格差が子供に影響を与えてしまう。だから共産党がそういう部分でなんらか「格差解消」に尽力したら、かなりかっこいい。
ということで、対談メモとしては以上。
最後に志位委員長は、(お会いする前からそうじゃないかと思っていたけど、実際にお会いしてみると想像以上に)誠実で寛容で合理的で魅力的な方でした。こんな方と対談の機会を頂けるなんて、ほんとにブログ書いてて良かった! って感じです。
中田考さん(イスラム法学者でムスリム)が叩かれてるようなので、ちょっとだけフォローしたい。
(なお自分はムスリムではないし、かの美しいと有名なクルアーン(コーラン)も注釈でしか触れたことがない)
六信五行なんて訳されることもあるが、ムスリムは義務としての決め事が多い。
判りやすいところでいくと、ザカート(Zakat)というのがあって、これは義務的な施しにあたる。
翻訳の難しいところで、これは税金として解釈されることもあるし、喜捨つまり寄付の一種と看做されることもある。
財産税による社会福祉と言うのが実体に近く、アッラーフに寄進して、それを皆が使う、という再分配機能になっている。
と、言うようにイスラームというのは宗教であるのだが、その根幹が社会制度になっている。
王様が世捨て人を経て悟った宗教とか、大工の息子が突如悟って国教になっちゃった宗教とは違い、
砂漠のど真ん中で戦国時代やってたような連中をまとめ上げてサバイブしてきた宗教なので、
政(まつりごと)やってる連中に好きに利用されちゃう宗教とは違って、
なので、イスラーム共同体を作り守り広げるぞ、いう感じなわけだ。
ウンマ・イスラーミーヤ(ummma islamiya)とか言われるものがそれになる。
で、ジハードのことを聖戦と訳すとまたややこしいことになるんだが、
「アッラーフのための奮闘努力」が多分一番近いニュアンスになる。
意外(?)な事に、大ジハードとは個人的な内面の戦いになる。現実の戦争とか小ジハードなのね。
ラマダーン(断食月間)だとか、宗教的に正しい行いをするのはより困難で重要である、というわけ。
これは、大体の法学者が見解を一致する数少ない部分でもあって、かなり重要な概念なのです。
宗教というよりは生活様式というかまんま国是みたいなものですというのを理解してもらった上で、
さらにムハンマドにもたらされたクルアーンは絶対、というのが義務として五行に組み込まれていて、
ムスリムはみんなそれを守るのは重要だと考えている、という前提をおいた上で、
ダール・アル=イスラームと呼ばれる、イスラーム世界というのがあるわけです。
ダール・アル=ハルブと呼ばれる、非イスラーム世界というのもあるのです。
自分たちのルールとは、違うルールを使ってる世界、というニュアンス。
すると、当然、自分の家を守るのは義務、ということでイスラーム世界を守るのは義務なわけです。
宗教は自由なので無理強いはしないけど、イスラーム世界のルールには従おう、みたいなのがあるのです。
結果、非ムスリムは許容するけど、非イスラーム世界をイスラーム世界に組み入れる努力を怠ってはならない、
という、ワリと複雑なことになっているわけです。
まあ、正確にはアラビア語のクルアーンを読むべきなんだけれども、
不信仰者の攻撃を受けて背を向けてはならない、戦略的撤退等を除いてはアッラーフの怒りを被り地獄に住むことになる、とか書いてある。
そうすると、非イスラーム世界からの攻撃に、ムスリムは防衛する義務があって、背を向けてはならないわけです。
そして、非イスラーム世界の代表例とも言えるのがアメリカ合衆国で、これに背を向けられないと。
ただし、害がない場合(イスラーム世界と和平を結びたがってる異教徒)には、和平を結んでも良い、とされている。
ムスリムである中田考さんの会見は、同胞であるムスリムに対する呼びかけになるわけですね。
イスラーム国をムスリムでないと断定できれば攻撃したり非難したりすることは簡単なんだけど、それは出来ない。
すると、非イスラーム世界と戦っている!と言われれば、背を向けよ、とは声掛け出来ない。
日本政府側には「ムスリムは異教徒と戦って背を向ける事は出来ない(地獄に落ちる)ので、戦うとか言わないで」とまず言ったと。
テロリスト、非テロリストという枠組みではなく、まずイスラーム世界と非イスラーム世界との枠組みの話ね。
で、トルコ経由で人道支援に限って渡すことも出来るよ、仲介するよ、と。
「日本政府の資金は、人道支援に限ってるよ(戦うために使っているわけではない≒非イスラーム世界だが敵対中ではない)」
「(君らも知ってると思うが、安部総理はトルコ・レバノンへ支援すると言ってるわけで)トルコ経由で渡すこともできるよ」
「双方にとって時間が短すぎるよ、そこはなんとかならんかね。自分もそっちに行くよ」
「ヤージディー教徒は解放したよね。そういう態度の方が、主張は通りやすいよ」
ムハンマドにもたらされたクルアーンは絶対、という前提のもとでは、攻撃に折れよとは絶対に言えないわけです。
ただ、テロリストとは交渉しない、テロリストに金を払わないという日本政府側の前提も曲げられないと。
すると、日本は非イスラーム世界だが、人道支援に限って金を出しているので敵対中ではなく、和平を望んでいると、
イスラーム国もムスリムなら、小ジハードを止めろとは言わないから、異教徒に寛大でも良くないか、
そもそも時間も短すぎるし、ちょっとムスリムの法学者たる自分が間に入るから話を聞いてくれまいか、
と、そういう声掛けになるわけです。
質疑応答でも、身代金を払うんじゃない人道支援だ、と繰り返し言ってるのが、板挟みの回答になってるわけですよ。
まあ、ワリと中田考さんはイスラーム国側に立った物言いしてるわけですね。どちらかと言うとメッセージになってる。
敵対すると同じ派閥であっても即処刑する人達なので、非難して即斬首とか困るわけですよ。当然ながら。
(もちろん、ムスリムがみんなこうかとういとそうじゃなくて、過激派は認めないとか、イスラムの名を利用した単なる侵略だ、とか言ってるトコロも多くある)
とういわけで、ワリと詰んでる状況で、譲歩を引き出す限界ギリギリのところだったんじゃないかなあと思うわけです。
だって、日本は米国と協調路線で、ガッツリ名前出してISIL壊滅の為にイラク政府に手を貸すとか言っちゃってるわけで。
本来なら政府はテロリストと交渉しないので、引き伸ばしつつ救出(奪還)作戦を展開して成功させないといけないわけで。
家族とか所属会社経由で身代金に応じるっていう裏取引(政府は目をつぶる)も、時間が短すぎると。
最近のホットエントリーを見ていると、妊娠とマタニティー・ハラスメント関連のものが目立つ。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1342512
・会社にとっては不利益かも知れないけれど、社会にとってはプラスである
・会社は社員を歯車としか見ていないのだから、社員も会社を利用すべき
といったところだろうか。
三つ目の意見に関しては納得がいくし、互いの権利を主張するというフェアな関係性で、それ以上言うことはない。
ただ、2つ目の意見に関しては少しばかりの苛立ちを覚える。
換言すると、自分は痛みを伴わないが、社会のために当事者の周りの社員や会社は痛みに耐えろという話である。
一人子供が生れるとして、その恩恵はどれほど当事者の周辺にもたらされるのだろうか。あるいはどれほど待てばそれは与えられるのだろうか。
20数年後の労働人口の増加が、四半期の決算や、一年ごとの査定あるいは当日の残業時間を考える人達にどれほどの影響をあたえると言うのだろうか。
確かに少子化問題は解決せねばならぬだろうが、社会のためにというのなら、そのための痛みは社会全体で分かち合うべきだろう。
まあそうなるよね。
んでもってこれが世界にテロが起きるほぼ唯一の理由だと思うよ。
人間は苦痛を感じそして絶望したときにテロを起こすよ。そういう環境の全員ではないだろうけれど、確率として起こすし、テロというのは事実上防げない。テロの被害を食い止めるコストは、テロをするコストよりも圧倒的に高い。数億倍のレバレッジだと思う。つまり、テロを起こそうと人間が本気で結審したらふせげないし、その被害はデカい。
それが俺が社会福祉政策に賛成するほぼ唯一の理由だ。俺は自分の身がかわいいのだ。
俺は多分一生生活保護を利用しない。俺が生涯のあいだ健康保険で受ける便益は健康保険に支払う金額を超えることはない。
それでも社会保障強化に賛成するし、その為に税金も払うし、毎年寄付もする。それは俺がテロの標的になりたくないからだ。
「人間は平等な権利があるから社会保障を強化してくれ」なんて言わないでほしい。
よく
「医療・年金・介護制度維持のために、とにかく出生率を早急に2.07回復させろ、人口1億人維持を目指せ」
と識者が主張し、政治家が主張する。
「出生率を回復させれば、医療財政や年金財政や介護財政の崩壊を防げる」のロジックは、一見正しいように見える。
しかし、このロジック、長期的には成立するも、中期的には残念ながら成立しない。
医療年金介護が「ヤバイ」とされるのは、いわゆる団塊世代がリタイアして年金受給側に回り、
その後後期高齢者側に回って医療負担介護負担が増えてしまうから。
団塊世代のリタイアは2010~2015頃に始まり、年金介護の負担増は、団塊が後期高齢者になる2025頃から急増する。
で、仮に
「出生率が異常に高騰し、1.4程度だったのが3とか4とかに上がり、出生数も100万人⇒200万人300万人に急回復した」
そういう高出生社会に転換したとして、それが「2025年問題」の解決に役立つのか?
答えは残念ながら「No」である。
かりに、2015年から、異常に出生数が増えたとして、その人々が「社会福祉に貢献し始める」のは、早くても2033年以降。
(2033年になって、ようやっと、2015年生まれが18歳になる)
実際には2040年以降だろう。
だから、今更出生数を爆上げさせたところで、「2025年問題の解決には、全く手遅れ」である。
(2015年世代が社会に出る2040年頃には、既に団塊世代の殆どが鬼籍入りしている)
むしろ、もし2015年から出生数を爆上げさせたら、2025年社会は
「後期高齢者の医療介護と、年少世代の扶養を、ダブルで苦しむ社会」ということになり、社会負担が増大してしまう。
逆に言えば、団塊世代の年金・医療・介護負担をさせるために、「2000年前後の出生数を増やしておくべきだった」、
団塊ジュニアに30歳前で出産させるべきだったのであり、「もはや手遅れ」なのである。
もっとも、今から出生数を急回復させることに意味がない訳ではなく、
「団塊ジュニアが後期高齢者入りする2050頃」の福祉の担い手を増やしておく、という点においては、意味がある。