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はてなキーワード: 物差しとは

2023-11-17

コスパって自分の中の尺度としては使うかもしれない。でも他人と共有するのは難しいと思う。

コストって誰にとっても同じ。マックチーズバーガーは誰が買っても200円。そこに趣味嗜好思想信条を挟む余地はない。でもパフォーマンスはそれが全て。どう受け取るかなんだから

ベジタリアンか潔癖か肉が好きかジャンクフードか嫌いか。痩せたいからと低カロリーを好むか、金が無いからより高カロリーものを求めるか。エシカルコンシャスネスみたいな点ではネオリベレイシスト共同体主義者かどうかだって無関係じゃないだろうし。何を求めるかもバラバラならコスパだって不揃いになる。

まあハンバーガーならシンプルに味が一番の興味になる事が多いだろうけど、味なんて好みの分かれるもの代表例だろうし。評価物差しすらも常に共有されてる訳じゃない。

車とかならまあ分かりやすいかもしれない。単に移動手段と割り切る人は少なからずいるだろうし、それなら車体が安く燃費も良い、操作性が快適で安全性も高い、そういうのがコスパの優れた車って事になると思う。

ただそれは単なる移動手段目的を定めた場合であって、そのコスパをもってしてカッコイイ車を求める人を非合理的だとなじるのはナンセンスだし。

都市部/地方に住むか、車や家を持つ/持たないかブランド品を身に着ける/身に着けない事のコスパを論じるのってインターネット大人気だけど、それは相手自分と同じ目的でなければコスパ議論なんて始まらないし、人間が全員同じ目的で生きてるなんて事もない訳だし。

相手自分と同じ思想信条を共有していると断定した上で「コスパの悪い生き方をするバカ」みたいな事を言う人もいるみたいだし、宗教時代って全然終わってないなって思う。

2023-11-16

anond:20231116122806

その常識は合ってると思うよ、相手の書いてることに自分物差しつかって中身を変えて解釈してるのが頭悪いってだけ。

anond:20231116121854

相手の「結婚して幸せになるかは未来予知しないとわからないのは、反射と結婚した場合も一緒」

勝手自分物差しで「岩井との結婚反社との結婚と同レベル」って変換しちゃったわけか。

なるほど。

2023-11-15

anond:20231115170150

現代司法は「因果応報」的なものを目指していない。

「殴られたら殴り返せ」「殺されたら殺しかえせ」ではなく、罪の重さを懲役罰金に変換した上で、加害者の「反省」「更生」を目指している。

懲役はどのくらいの長さがよいか罰金をどのくらい課すのが適当か、を議論してる延長上に、いきなり「死刑」が出てくるのは特異だろ。

懲役」や「罰金」という物差しをどれだけ伸ばしても「死刑」には到達しない。

単純に、殺したら反省も更生もできないし、殺したところで被害者が蘇るわけでもない。

何のメリットもない。

国家殺人に加担する意味がない。

2023-10-18

anond:20231014203526

まず「~やめろ」→「やだよ」で終わる話。

そもそもの話をすると言語は伝播するもの方言フォロワー不快ってなるのは

メタ認知能力に欠けたアホ

自分が該当することを考えたほうがいい。

方言アレルギー起こすよりもネット蔓延っている現実人間相手には言えない様々な罵倒語に対して反応起こしたほうが幾分か建設的だと思うんよね。

ちなみに自分は育ちはほぼ東京だが広島出身祖父母バリバリ、母は語尾やイントネーション広島弁からこれは元増田的にセーフになるのか?

こう考えるととても馬鹿らしい物差しだよな、方言はその地域出身者じゃないと話してはいけないってルール

2023-10-09

幸せになるには自分物差しで生きること、他人評価基準に生きてると幸せになれない みたいなことはよく言われるけど

ここしばらくの自分生活を振り返って、そういわれるとそうかもなと実感はする

自分コントロール出来ることに焦点当ててると、当たり前だけど思い通りにできる体験も増える できないことももちろんたくさんあるけど、最低限やろうと思った行動を始める、くらいはできる

できない原因も、やらなかった理由も、全部内側にあるので納得もできる 対策もとれる

これが外側のなにか、特に人の評価なんかを基準にするとヒット率も当然落ちるし、評価理屈も多くの場合は分からない 明確な対策が分からないまま挑戦を繰り返し、疲弊していく

メンタル安定させたいなら、自分物差し確認して自分に集中するのが良いなと改めて

自分にとっては、掃除や片付けだったり、資格試験勉強だったり

当たり前なようで面倒で続かないこと

そんなことを日々ほんの少し、気をつけるようにしてきた

それが自信になった気がする

2023-10-02

anond:20231002112216

ジャパンカップなら日本馬が絶対勝つよ

東京競馬場で、スピード決着なうえ、最後の瞬発力勝負になれば日本馬が最強

でも日本馬にあわないロンシャンで勝ちたいって話だから

一応参考レースとしてはこれ

今年3月中立地のドバイで行われたドバイシーマクラシック、今回凱旋門賞で勝ったエースインパクトに2馬身差近くまで迫った2着ウエストオーバーに、3馬身半つけてちぎって勝ったのが日本のイクイノック

凱旋門ドバイも2400mと同距離

ウエストオーバー物差しにするとエースインパクトとイクイノックスはほとんど同等と思える

ジャパンカップじゃなくて有馬記念エースインパクトきたら、エースインパクトもかなり好走しそう

2023-09-14

これに「このアニメです!」と書き込んでるやつは単にアニメを見てる本数が少なすぎるだけ

アトム時代ならいざ知らず、現代において「10年に1度の傑作」なんて言えるアニメ誕生することは絶対にない。

その年度において圧倒的に面白いアニメはあっても、それらを5年分5作(豊作の年も考えると10作)ほど戦わせて見てどれが一番かが決まることなんてまずないのだから

人間が持つ物差しがそれぞれに歪んでいる以上は、創作物の良し悪しの比較なんてどんぐりの背比べにもならない。

たとえば「けいおん」と「まどマギ」と「SHIROBAKO」のどれが一番面白いかを決めろと言われたら、多くの人がそんな質問をしたバカを鼻で笑うだろう。

各年を代表するアニメ1本ずつでさえもきっとまともに決まらないのに、その10年を代表するようなアニメが絞れるはずがない。

10年おきに区切って「その10年における一番オモシロイと思ったアニメだって、その10年間にアニメを300本以上見ている人間に聞けば「決められるはずがないだろ……日替わりとはならなくても来月に聞かれたらまた答が変わってると思うよ」と答えるだろう。

「これは10年に1本だ!」なんて言う連中なんてせいぜい10年の間に5本程度しかアニメを見てないようなハイパーニワカだよ。

そんな奴に聞いて意味のある答えが返ってくるはずがない。

「10年経ったけど同じ系統としてカテゴライズ出来るアニメが1本も生まれなかったと言っても過言ではない」というアニメだったらいくつか存在するけどな。

lain

マクロス7

正解するカド

これぐらい挙げれば分かると思うけど、これらの「10年に1度出てくるかどうかのアニメ」っていうのは、それが本当に刺さりまくった人からすれば「その10年における最強アニメ」になるかもだけど、多くの人にとってはただの珍しいアニメしかいから。

メジャーじゃない作風にはマイナーになるに足る理由があるよ。

商売だって馬鹿じゃないんだから


これは10年に1度クラス…!と思える面白いアニメ

2023-09-11

anond:20230911111954

少なくとも善悪違法性を同じ物差しに乗せるような知性の欠如よりはマシだな笑笑

anond:20230911111348

刑事起訴できるかどうかと、倫理的問題があるかは別の問題だろ、善悪違法かどうかが同じ物差しの上にあると思ってるの頭悪すぎて笑えるわ。

甘利明が不起訴からといって、甘利明が潔白になるわけでも倫理的問題ないことにもならんのはわかるか?

わからんのだろうなぁ。

2023-09-09

anond:20230909004742

女性共感する生き物()っていうのは、あくま自分物差しに当て嵌めて共感できるかどうかってことで、自分とは違う他者境遇理解したりや許容したりはできないからな。

2023-09-02

人(男)の価値年収で決まると大真面目に考えている人は本当にいるんだという衝撃

女が結婚相手年収で見るのは百歩譲ってわかる。

男同士で他人価値を語る時、年収物差しになってる人がいてちょっと衝撃だった。

そういう人はいかに年収を上げるかに苦心しているし、それに人生を費やしている。

もはやゲーム感覚なんだろう。

ゲーマーゲームに取り組むがごとく年収のために仕事に取り組む人というのは本当に存在する。

しかもそれが父親だった。たしかに極度のワーカホリックだった。

平日の朝6時半から11時の間に家で父親を見たことはなかった。

自分としてはその人が何が出来るかどんな長所があるかが人の価値だと思っているので、

親の会社名ばかり取締役年収1000万円より、年収300万円の絵が上手い漫画家の方が価値があると思ってる。

2023-08-26

anond:20230826174237

美人ブサイクって物差しが消えたら、女は生きやすくなるのになぁ、とは思う。

2023-07-26

anond:20230725231257

おもしろミステリとは何か」を語るなら、まず「ミステリとは何か」を定義する必要がある。私は以下のように定義をしている。

 

 

倒叙ミステリ」のように犯人側が殺人を犯す心理を描いていく作品もあるのだが、本エントリではとりあえず上記定義を厳密に適用し、倒叙ものミステリではないとする。また東野圭吾容疑者Xの献身』のように、犯人側と探偵側の視点が入り混じり、その構造自体が読者へのサプライズになるような高等テクニックを用いた小説もあるのだが、こういうものも一旦ミステリではないとする(古いミステリファンならご存知だろうが、実際に『容疑者Xの献身』が本格ミステリなのか否かで、大議論が起きましたな)。

 

面白いミステリとは何か

ミステリとは〈謎を追う構造を持つ物語である。その謎には、大きく分けて二種類がある。〈人間の謎〉と〈トリックの謎〉だ。

ブコメでも出ているが北村薫の「私」シリーズ典型的な前者で、日常の中で発生する何らかの謎を解いていくと、その謎に関わった人間ドラマに突き当たるという構造を持つ(ざっくりと説明しているので、多くの例外を切り落としている)。ストーリーミステリ構造が使われていて、サプライズも用意されているものの、最終的には人間ドラマを描くことが主眼の小説と考えていい。

翻って「トリックの謎」というのはいわゆる〈本格ミステリ〉と呼ばれるジャンルで、絶対不可能方法殺人などが行われ、犯行に使われたトリック自体面白さで読ませるものと考えればよい。綾辻行人十角館の殺人』はもろにこちらに当てはまり、実際にトリック自体が斬新で衝撃があったため、名作としていまに至るまで読みつがれている。

ミステリを巡ってしばしば問題になるのが〈人間が描けていない〉という件だ。平たく言うと、トリック小説人間ドラマとの相性が悪いのだ。人を殺すならば夜道で後ろから刺せばいいだけで、わざわざ密室を作ってその中に閉じ込めたり、アリバイトリックを仕掛けて警察を欺いたり、クローズドサークルの中で大量殺人チャレンジしたりなど、コスパの悪い行動を取る必要はない(実際に、現実世界本格ミステリのような事件存在しない)。トリック小説としての面白さを作り込めば作り込むほど「こんなことをする人間がいるわけないやん」という問題が浮かび上がり、リアル人間ドラマからは遠ざかる。これは構造的に仕方のない問題であり、謎解きミステリ文学賞レースで弱い理由もここにある。

増田は〈トリックの謎〉に特化したミステリに対し〈キャラクター描写ストーリー偏重〉する読みかたをしており、こう読まれるといかに名作といえどつらいものがある。アダルトビデオを見て「ストーリーがめちゃくちゃじゃないか」と言っているようなもので、〈トリックの謎〉系の小説を読む際はモードを変えなければならない(とはいえ十角館の殺人』が小説として稚拙すぎるというのは私も同意するところで、いかトリックが斬新であろうともこんなもん評価できるかという増田の主張は、理解できる面もある)。

まとめると、ミステリには二つのタイプがあり、それぞれ別の軸で評価しなければならないということだ。〈人間の謎〉を描くタイプミステリでは、ミステリとしての驚き + 最終的に描かれる人間ドラマの深度が評価ポイントとなり、〈トリックの謎〉を描くタイプミステリでは、ミステリとしての驚き + トリック面白さが評価ポイントとなる。「面白いミステリ」とは、その作品が属するジャンルで高いポイントを得たものといえるだろう。両者をごちゃまぜにして測るべきでない物差しで測ってしまうと、価値を見誤る。

殺戮に至る病』は読んだのが昔なので覚えていないのだが、構造的にはサイコサスペンス + ラストに驚きがあるという作品だったと思うので、ここではミステリとしては扱わない。

上記2作はミステリとして何が優れていたのか

上述の通り。

自分ミステリを楽しむには何に着眼すべきなのか

キャラクター描写ストーリー偏重〉するのであれば、〈人間の謎〉を主眼に置いた作品を読むのがよいかと思う。とはいえ十角館の殺人』以降、綾辻行人はぐんぐん小説が上手くなった人なので、例えば代表作『時計館の殺人』なんかだと、あくまトリック小説ではあるのだが、小説としてのエグみは『十角館』よりもだいぶマイルドになっており増田も楽しめるかもしれない。

おすすめ作品

米澤穂信『王とサーカス

米澤穂信ミステリ構造を使いつつ、それを深みのある人間ドラマと融合させていくことに長年取り組んでいる人で、『王とサーカス』は代表作のひとつでもある。2001年カトマンズで起きたとある政変テーマとなっているが、殺人事件の謎を主人公女性記者が追っていくにつれ、〈報じるとはなにか〉という現代的なテーマが浮き彫りになる。磨き上げられた体温の低い文体も素晴らしく、読んでいる最中カトマンズの街を旅している気分になる。

島田荘司『奇想、天を動かす』

人間の謎〉と〈トリックの謎〉は相反するというようなことを書いてきたが、それをムリクリ融合する試みも過去何度も行われており、島田荘司はそれを最高レベルで達成した作家のひとりである。『奇想、天を動かす』では作中で大トリックが使われているものの単なるトリック小説ではなく、読むにつれ戦後日本という巨大なテーマが立ち上がってくる。

連城三紀彦『宵待草夜情』

連城三紀彦は〈人間の謎〉を描くことに主眼を置くタイプミステリ作家で、吉行淳之介を思わせる優れた文体をもっているのだが、そういった文芸調の作品にやけにハイコンテクストで作り込んだミステリ様式を持ち込むあたりがユニーク作家である。『宵待草夜情』はいずれも重厚人間ドラマが描かれつつ、そこに作り込まれミステリの要素が投入されていて大変面白い最高傑作と呼ばれる「花虐の賦」も収録されている。

2023-07-22

ダイエット情弱を救う方法

ダイエット情弱を救う

まりおかしなダイエット広告に騙されないようにするには

別に痩せなくても良い」と発想を変えてもらえしかない

 

痩せると良いことがたくさんあるが

痩せるのはめちゃくちゃ大変なんだ

個人差はあるけど

大抵の人はつらい作業なんだ

裏技は無い、無いというのだけ情弱に信じて欲しいけど

情弱情弱からまあ無理だろうな

 

めんどくさいのは、ダイエット成功体験記だ

あいつら「俺は出来たか方法を教えてやる」とか上から目線で言うけど個人差というもの無視している

 

例えば東大入った奴が「東大入る方法はこうやる」とか

年収1億な奴が「年収1億稼ぐ方法

とか言っても、重度の情弱じゃない限り信じないと思うんだが

ダイエット成功させる方法」には割ところっと騙される

ダイエットに対する物差しがないのかもしれない

 

俺は3回10kg以上のダイエットしたことがあるけど

それより沢山失敗もしている、あれをメソッドとして定義するには無理がある

から早く諦めてぶくぶく太れ

2023-07-21

娘よ、パパは小学校が嫌いだった。

今年、娘が小学生になった。都内公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。

娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度先生が嫌いになっていった。

平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較若い住民が多く、大きな電機メーカー工場などが集積していたので、所得教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。

その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。

カルチャーショック

この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。

1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子女子関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。

2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。

こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。

小学校先生たち

3年生当時

30歳前後/女性

とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスいじめられている子がいて、僕は転校生クラスヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。

4年生

40代後半前後/男性

この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋趣味将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。

5,6年生

30代半ば/男性

この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザー理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。

決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語算数理科社会通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。

ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。

それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。

全く意味がわからなかった。

学校簡単テストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。

ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかい広告問題全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。

何故嫌いになったのか

当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。

まず第一に、制度問題日本公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用無駄な不平等を生み出している。

そして先生問題先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。

しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。

考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校教員大学教員になった奴はいても小学生相手をしている奴なんて殆どいない。

そんなことを考えると、子供私立小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。

娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。

2023-07-18

印象による好感度補正個人差の大小について

から理解に苦しむ『不思議な』世の中の現象がいくつかあった。

明らかにクソな金融商品(保険投資信託)を売れる営業やそれを買ってしま顧客、頭の悪い発言を連発しているのに好感度が高い政治家とそれを評価してしま有権者、どう見ても遊んでいるであろう男性出会ったその日に一線を超えて、後から騙されたと後悔する女性

数えるときりがないが、長年不思議に思っていたこれらの現象説明できる概念発見してしまったので備忘録的に書いておきたい。世の中には『印象補正』というものがあって、その個人差がメチャクチャ大きいんじゃないかということだ。

初対面の人の人物評価を考える。前情報から期待値が60くらいだったとして、自分場合、対面での印象がよければ+10、印象悪ければ-10くらいの評価に一旦補正されて、その後のやりとりで対人評価上下していく感じ。世間の大多数も似たような人物評価をしてるんだろうなと生まれからずっと思っていた。

ところが人物評価物差し個人差はものすごく大きいらしい。30年ほど人間やってきてようやく気がついたのだが、世の中には初対面の印象が良ければいきなりプラス補正100点になったり、マイナス補正で0点になったりするような評価基準の人がいるらしいことだ。

この事に気がついてから最初に書いた『不思議な』現象がよく理解できるようになった。自分場合、印象補正のブレ幅が小さいので、クソみたいに手数料の高い金融商品営業が来ても「手数料たけーな」と思うだけだけど、人によっては営業知的雰囲気で信頼できそうならば対人評価の印象プラス補正が大きいので「商品微妙だけど、営業さんの人柄がいいから買いたい!」と判断を変える人が普通に存在するのだ。

「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている」みたいな発言を連発しても一定の支持を得られる政治家にしてもそう。対人評価の印象補正が小さい人は「アホやなー」で終わるけど、印象補正が大きい人は「なんかわからんけど、スマート政治家先生がいうなら、ありがたい話なんやろ」みたいな感じで、なぜか高評価になったりするのだ。

他にも、仕事が対してできるわけではないのに、何故か上司評価が高い人は、上司が印象補正が大きい人で、部下が印象を良く見せる技術に長けてるんだろうなとか、この概念を思いついてから世間見方が少し変わってきた。

と、ここまで書いてきてふと思ったんだけど、体育会系男性や、社交的な女性ってこういう気質よなと感じたり。もしかしてみんな思春期くらいからこの事に気づいて適応できるように振る舞っていた?

麻雀 is 人生

人生大事なことは麻雀で学べる。

小学校の必修科目にすればいいのに。

2023-07-16

anond:20230715174621

そもそも「なるほど」と「ですね」がくっついて一つの文になるというのが初耳だった。

おそらく「なるほど」で納得感を表し、「ですね」がつくことで「納得の行く説明ですね」ということを表したいのかな?

これが不快感を招くというのはまずこの日本語としての奇妙さというのがあるだろう。

ただしもっと根本的には、「お前が納得するかどうかって物差しで俺の発言評価するなよ、なんで上から目線なんだよ」というのもあるだろう。

さらには「なるほど」の根っこには、「どうしてそんな奇妙なことをするのかさっぱりわからなかったんですが、あなたの中には私には想像もつかないようなそんな俺ルールがあったんですね。だからそんな奇妙な振る舞いをするんですね」というようなニュアンスがあって、文脈によってはそれがはっきり伝わってしまうことがある。

こういうのが全部積み重なって、相手に嫌な感じを与えてしまうんじゃないか

2023-07-11

TATSUROの罪は何か、「正しい」以外は失敗になる社会について

つらつらと今のネット社会について思ったことがあるので、前者を話の出汁にして及第点を許さない・許すことが出来ないネット社会構造について書き散らしたいと思う。なお、筆者は別にTATSUROのファンではないしCD等も持っていない。また本件の松尾氏に対する言及については主題と外れるので取り上げない。

TATSUROのラジオでの発言について

まだ内容を知らないなら、radikoタイムフリー(一週間以内)で聞いてくるかニュースサイトの書き起こしを見て欲しい:

さて、その上で次の質問を投げかけたい。果たしてTATSUROは「ジャニー喜多川の性加害」を擁護しているのか。それともしていないのか。しばし、お考え願いたい。

答えが「している」の方はハズレ。そして「していない」の方もハズレ。正解は「本当なら問題だと考えるが、自分が把握していないのでコメントできない」。つまりノーコメントだ。

自分が考えるに、これおそらく次のような建付けで説明できると思う。

1. TATSURO本人はその噂は聞いたことがあったが、真実であるかを判断するほど情報を持っていない

2. ジャニーズ事務所も今に至るまで創業者による性加害を「あった」と認定していない( https://www.johnny-associates.co.jp/news/info-700/

3. よって会社代表するアーティストとしては「あった」ことを前提としたコメント出来ない。

これに対して、過去裁判で加害の事実が認められているではないか! 卑怯である! という反論が予想されるし、個人的にはTATSUROの発表には最高裁での判決を知った上でのコメントが足りていなかったと考える。ただ、今がトレンドジャニー喜多川の性加害問題について多くのメディアでも盛んに取り上げられているが、ならば現在、彼や事務所取引があった組織がどれだけ氏の所業について声明を出しているだろうか?

念の為だが、だからTATSUROの対応も許されるということではない。吉田豪氏が ヤフコメ で指摘していた通り、薄っすらと業界全体が共犯関係にあり、うかつに声を上げられないところが問題なのだろう。さらには現ジャニーズだけではなく、独立した元SMAP新しい地図)や元TOKIOなどにも延焼しかねないし、事務所を辞めたジュニアの人にすら風評被害が出てしまうかもしれない。松尾氏が口火を切って声を挙げたことは偉大ではあるが、個人ではなく会社組織となるとそう簡単には動けないのだ。当然、松尾氏もそれは想定した上で、声を上げようと呼びかけているのではあるが……

自分としては、だからジャニーズ事務所本体が早急に創業者による加害を認め、外部委員会や透明性のある組織改革看板の付替えなどで心機一転し、責任を持って業界全体を巻き込んで芸能界清浄化に取り組むのが筋であるとは考えている。)

次は、ならばTATSUROはその加害について言及する必要があったのか検討したい。

TATSUROとしての説明責任。ただのヒラ作曲家なのか音楽業界の重鎮なのか。

私見ではあるが、ジャニー喜多川の性加害について説明責任が発生するのは現段階ではジャニーズ事務所および加害に関与した者のみであり、それに関与せず単に所属タレント活動関係していた作曲家振付師などには発生しないと考える。

そこで、もう一度番組での発言に立ち戻りたい。もし時間が許すならば彼の発言をもう二回「イチ音楽家」および「長年に渡り音楽業界を引っ張ってきた重鎮」の言葉として読み直して欲しい。

いかがだっただろうか。思うに、前半と後半の論調の違いに違和感を覚えたのではないだろうか。そう、このコメントは、前半はスマイルカンパニー代表として会社代理、そして後半は一介の音楽家としてジャニー喜多川およびジャニーズへの想いの吐露という構成になっている。そう、TATSUROという唯の音楽家としての、だ。松尾氏の契約解除にジャニーズへの忖度が疑われているなか、なんでそんなことするんじゃいと頭を抱える行為だが、音楽家としての彼はジャニー喜多川の功の部分について語らざるを得ないのだろう。

ここで重要なのはあくまでのTATSUROはあくまでも音楽家として「私」を語っているつもりであるということだ。そして不幸なのは週刊誌などの好奇心の徒が興味を持っていたのがジャニー喜多川音楽を通じて縁があったことに対する反省・釈明であったことだ。なぜあんなにも大量の性被害を生み出したジャニー喜多川の肩を、今やシティポップで海外にも名が轟くTATSUROが持つのかと。

そう、求められていたのは、TATSUROという音楽界を生き抜いてきた重鎮が、責任感を持って性加害問題言及することであり、それによって歩みが鈍いジャニーズ問題に進展が見られることだった。筆者も正直その方向性声明を期待していたところがあるので肩透かしであったし、前述したように最高裁による裁判結果という事実は参照するべきであったと考える。

さらにここからラジオ聴き個人としての意見だが、自分にとって先日のサンソンはTATSUROの生き方をそのまま出力したようなものに感じた。週刊誌等の俗事な話題を厭い、一身上の理由のみ告げる。なので、全く持って現状の炎上状態対応するには未熟で不適切であると同時に、(氏の中で)一貫して筋は通っているな、と感じた。特にファンではない自分がそう感じる程なのだから、曲を聞き続け、ライブにも通っていた氏のファンのアンビバレンスは想像に難くない。

期待された正しい振る舞いが得られなかった場合に、高度情報社会ではその反応が画一化してしまうことについての懸念

ここからが本駄文の本題。

ここまでにグダグダと書いてきたように、長々6分も使ってラジオで述べたTATSUROの対応は、ジャニーズ事務所のゴタゴタに端を発する松尾氏のスマイルカンパニー契約解除事件のものとしては上手いものではなかった。そして連日のように彼のどこがマズイか諸々記事が生み出され、はてぶでを騒がせている。首肯するしかない理性的な論説もあれば、偏見に基づいた単なるアンチが皮を被っただけのゴミもある。しかし、一貫しているのは彼は失敗したという前提だ。つまり、何が大衆の心を逆なでし、何が更なる炎上を招くのか。これはネット社会では数多くの物事炎上してきた結果、その都度に識者がなぜ炎上したのか解説記事を書き広めてきたことの成果だ。

これによりネット民炎上リテラシが向上し、やれ謝罪文テキストではなく画像だ、検索クローラ拒否している、被害者に対する謝罪が条件付き謝罪だ、などなど「正しくない」炎上の型が言語化がされてきた。これ自体社会全体の知識の向上であり当然ではあるのだが、最近は「正しくない型」にハマっているとそれ自体が罪とされているような感覚がある。本来はそれらは当事者の間で決着を付けることで十分なのに、ネット民が「型」を定規のように振り回し、それがいかに正しくないかおもちゃにして遊ぶような。

そしてこれは謝罪文だけに限らず、どんな事柄に対してもSNSで尤もらしい解説批判が一斉に広まって、そしてフォロワーがそれを縮小再生産して再びばら撒く。これが正しい知識である場合問題ないし、歓迎することでもあるとは思うのだが、ただそれなりに長くネットをやっていて感じるのは、結局はそれは知識として深く根付くことはなく、単なる善悪物差しとしての判断基準になっているのではないか専門家専門家足るのは状況に応じて適切な対応が取れるからなんだが、単なるSNSユーザである我々にそれ程のものがあるのか。

そう考えると、松尾氏とTATSUROのこの問題は、突き詰めるまでもなく当事者間の契約問題の話であり、外野がそれを酒の肴にして相応しい相応しくないと論じるのはなんだかなあと感じている。

個人的には週刊誌ゴシップ記事情報源が曖昧ものが多くあまり好まないのだが、最近はてぶでは多く見かける気がしている。文春による調査報道週刊誌記事エントリーすることが多くなったからだろうか?)

2023-07-10

anond:20230710122636

スケールする

スケールする」とは、物事プロジェクトの規模を拡大するという意味ビジネス用語ベンチャースタートアップ企業の界隈で用いられる日本ビジネススラング。「スケールアップ」。

もともと英語の「scale」は、「規模」「目盛り、物差し、定規」「尺度」といった名詞意味しか持たない。しかし、「規模の経済性」を意味する和製英語の「スケールメリット」の言葉使用が広まり日本語としての「スケール」の言葉自体に「規模が大きいこと」のニュアンスが含まれるようになった。それが動詞化したものが「スケールする」である

事業規模が拡大することを「スケールする」、規模が拡大せず維持停滞することを「スケールしない」などと表す。システムネットワーク用語「スケーラビティ」をビジネス用語転用した意味類似する。対義語として、縮小することを「シュリンクする」という。

2023-07-09

anond:20230708121255

讃岐うどんとか宇都宮餃子とか特定都市特定食べ物の店が多くて競争が激しくなればハイレベルの争いで生き残れない店が淘汰されていって都市内全体の質が向上することは起こり得る。

実際、関西は(納豆食わない文化というのもあって)一人当たりのパン消費量関東と比べて全然高いし、パン屋の数も西高東低から競争が起こる環境としては西のほうが高いと思う。

ただし、どんなパンが美味しいかなんて好みの差でしかないし、菓子パンからフランスパンまで範囲広すぎて優劣つける物差し自体の違いがでかすぎて評価自体評価者に依存し過ぎるところはあるので増田のような意見も当然あるだろう。

例えばバターオンリーで、どんなバタールが美味しいかについての共通認識が仮に持てていたとしたら、比較的白黒の決着は納得性の高いものだと思うけども、ヤマザキパリジャンみたいなのが好きな人もいれば、昔ながらの固いバタールが好きな人もいるわけで単一種のパンのみを対象しても物差しに差が生じるのに菓子パンが売りの店とバタールが売りの店をおんなじ土俵比較しても議論に決着着くわけがない。それを分かっててワイワイやる楽しみはあるけれど、関西のほうが関東よりも消費量が高いかレベルが高い可能性はあるよねくらいの結論しかでないよ。ラーメンと全く同じ。

2023-07-06

anond:20230706105647

世間で言う人気と円盤人気はそりゃ別物よ。円盤なんてそうそう買う人おらんし。

しろそういうコアな人気度合いを測る物差しだと思うわ。

2023-06-30

名画の凄さって何よ?って言うと、歴史的位置けがスゴイんだという人もいれば、理屈抜きの迫力があるという人もいるらしい。

おれが超うっすら聞き齧った方法論に、作者の意図に基づいて作品に設定された目的を想定して、その達成の度合いをなるべく客観的吟味しつつ出来を評価するって考えもあるらしい。妥当といえば妥当な感じもするし、この理屈のもの自明さを考えれば果たして客観的と言えるのかとも思う。

そもそも美術って明確な目的を持つ道具でしかないのかよ。そんな割り切っちゃっていいのかよおれたちはよ、みたいな素朴なアレも感じる。

この間どっかで贋作展みたいなのがあったらしいけど、純粋に絵としてのスゴさなるものがあるなら、精巧な偽物をまじまじと眺めた時の感動は本物から得られるそれと変わらないはずだよねって思う。

それはそれでスノビズムから距離を置いて感覚的なものと向き合っている感じがするし、どこか誠実にすら思う。ただその光景に一切マヌケさを感じないかと言えば嘘になるし、この違和感が名画の名画たる所以へのヒントの一つかもしれない。

金という物差しを持ち込むのも無粋だけれど、純粋イラストのもの物質としての絵にだけ価値があるのならオリジナルコピー品も同じ値段がついてないとおかしいしね。

ただこれは名だたる画家が直々に絵の具を乗せたキャンバスという物質込みでの話で。更に周縁を捨象して、純粋視覚情報?にまで抽出した時、絵の価値を問うたらどうなってくるんだろう。

全然詳しくないけどNFTってこういう話をしてたりするんだろうか。

まあ素人がぱっと見でスゴイ作品だと思えるほどの何かを秘めているのなら、ゴッホだってもっと早く評価されてたでしょって思うよね。

素人が、とは言ったけど絵の専門家でもあんまり変わらないんじゃねって思う。

自分で絵を描いているから、沢山の絵を見てきたから正確な審美眼を持つ、というのは単に技術面における話に留まると思う。何を感じ取るかは鑑賞する主体問題、客体との関係性が噛んでくるから、単に絵が持つ特性だけでは語りきれないものになるだろうし。この絵はこの辺がこうだという叙事的なディスクリプションまではある程度客観に立てても、名画かどうかまで踏み込めば一個人の感想になってしまう訳で。

絵の技法歴史に詳しいから、真に感情を揺さぶる名画か否かのジャッジにも正当性があります。ってのは理屈としてあんまり成立してないよねって思う。これはおれが勝手に名画の要件を決めちゃってるけど、じゃあ誰が決めれば正当なんだよって話で。

ナイトホークスを見て「人をブチ殺して回りたいという作者の情熱を感じました」と思うのはズレてるかもしれんけど、孤独を感じるのと心安らぐ静けさを感じるのではどちらが正解とも言い切れんと思う。

素朴に良い作品だなと思えるか、そういう感覚的な部分以外で絵を語るのってなんか無粋な感じがしてあんま好きじゃない。言葉の先を期待してるからこそ言葉以外の媒体表現しているのだろうし。

でもそうなってくると自動生成の絵も人が描いたものと全く対等で、やたら時間をかける分人間の方がカスですって話にもなるのかもしれないな。今まさになってるのかもしれんけど。

そう考えると、おれは人の手のヌクモリティがさァ!と言いたいかもしれない。歴史を踏まえた斬新さとかにあんま興味ないけど。

カメラ写実主義とかで色々あった頃とかも新しい道を模索したんだろうし、今後も人が絵を描く事の意義というのは問われ続けていくんだろうか。

おれは別に絵を描かんけど、他人にどう言われようが本人にとって描く事に意味があると信じられるなら、それだけで価値がある事だと思う。その価値はその人だけのものだけど、人生なんて自分の信じる価値に従えるかどうかが全てだろうし。

そういうスタンスが好きという話であって、そこから出力された絵をつまんねーと思う事も当然あるだろうけどね。

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