昔から理解に苦しむ『不思議な』世の中の現象がいくつかあった。
明らかにクソな金融商品(保険や投資信託)を売れる営業やそれを買ってしまう顧客、頭の悪い発言を連発しているのに好感度が高い政治家とそれを評価してしまう有権者、どう見ても遊んでいるであろう男性と出会ったその日に一線を超えて、後から騙されたと後悔する女性。
数えるときりがないが、長年不思議に思っていたこれらの現象を説明できる概念を発見してしまったので備忘録的に書いておきたい。世の中には『印象補正』というものがあって、その個人差がメチャクチャ大きいんじゃないかということだ。
初対面の人の人物評価を考える。前情報からの期待値が60くらいだったとして、自分の場合、対面での印象がよければ+10、印象悪ければ-10くらいの評価に一旦補正されて、その後のやりとりで対人評価が上下していく感じ。世間の大多数も似たような人物評価をしてるんだろうなと生まれてからずっと思っていた。
ところが人物評価の物差しの個人差はものすごく大きいらしい。30年ほど人間やってきてようやく気がついたのだが、世の中には初対面の印象が良ければいきなりプラス補正で100点になったり、マイナス補正で0点になったりするような評価基準の人がいるらしいことだ。
この事に気がついてから、最初に書いた『不思議な』現象がよく理解できるようになった。自分の場合、印象補正のブレ幅が小さいので、クソみたいに手数料の高い金融商品の営業が来ても「手数料たけーな」と思うだけだけど、人によっては営業が知的な雰囲気で信頼できそうならば対人評価の印象プラス補正が大きいので「商品は微妙だけど、営業さんの人柄がいいから買いたい!」と判断を変える人が普通に存在するのだ。
「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている」みたいな発言を連発しても一定の支持を得られる政治家にしてもそう。対人評価の印象補正が小さい人は「アホやなー」で終わるけど、印象補正が大きい人は「なんかわからんけど、スマートな政治家先生がいうなら、ありがたい話なんやろ」みたいな感じで、なぜか高評価になったりするのだ。
他にも、仕事が対してできるわけではないのに、何故か上司の評価が高い人は、上司が印象補正が大きい人で、部下が印象を良く見せる技術に長けてるんだろうなとか、この概念を思いついてから世間の見方が少し変わってきた。
と、ここまで書いてきてふと思ったんだけど、体育会系の男性や、社交的な女性ってこういう気質よなと感じたり。もしかしてみんな思春期くらいからこの事に気づいて適応できるように振る舞っていた?
「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」という本がそんな内容だった気がする