はてなキーワード: 枕詞とは
例えタッチしていなくともそいつが自主的に発言できるってことは
やり取りを確認できる立場であり、何かがあれば関与するっていう前提があるからだろ
最初から予期されていた状況になったからそいつが絡んできたわけで
参加者全員が予め承知していたことをわざわざ横から失礼しますとか馬鹿すぎる
じゃあ最初の合意形成はなんだった?むしろ関係者全員馬鹿にしてんのかと
後から参加したにしても参加した時点で紹介くらいしてるだろうし
マジで初見なら自己紹介もせずに「横から失礼します」で済ます方が糞失礼なんだが
まあ自分がさも重要人物であり音を立てて入室しないと気が済まないクソバカなケースと
とりあえずときとば弁えず例え月の裏側でも言ってれば心象悪くならないと思ってる典型的な勘違いアスペケースはそりゃあるけどさ
周りは何も言わなくてもこれ枕詞にしてるやつは使ってないやつから内心初々しいなと鼻で笑われてるから
緊張して声が震えてる新人ならギリ許されるかなくらい
じゃあ「大多数の」という枕詞をつけておく。
二次元にも飽き、童貞を拗らせた勢いで、ふと今まで見る気もしなかったAVとやらを見始めてみた。
SFの世界では「SFを語るなら最低1000冊読め」というし、AVも取り敢えず100本程度見てみるかということで気付いたら200本ほど見ていたので、気付いたことを纏めてみたい。
DMMの発売日カレンダー http://www.dmm.co.jp/mono/dvd/-/calendar/ を見て欲しい。10月の一ヶ月ではなく、10日間分でこの数である。
エロゲのように月末金曜日に集中したりせず毎週まとまった数が出ている。これだけ出るということはそれだけ儲かるということなのだろう。
やはりエロゲ同様、AV業界もコピー対策で特典を付ける時代なのかと思ったのも束の間、特典付きがあるのはほんの極一部の作品に留まる。
しかもエロゲとは違い、特典付きであっても価格は特典無しと同額である。
特典として付くのは直履き(ということになっている)下着とその着用チェキ、生写真などが多く、いずれも外付けによる添付となる。下着はどう見ても3つセット1000円みたいなエロくもなければ高級感もないもので、やはり特典に金を掛けられない背景が伺える。
収録時間約120~140分程度で価格は2500~3000円程度。10本買っても3万円で足りてしまう。
エロゲでは登場キャラが増えるとそのコストが価格に反映されるわけだが、AVでは登場する女優が増えても価格は変わらない。つまり、女優一人あたりのギャラを下げている(=企画女優)という事実に何とも言えない闇を感じる。
広告の1枚でもあるのかと思ったが大半には何も無い。メーカーによって葉書か広告が入っているぐらいで、小物に拘るオタク向け商品との違いを感じさせる。
映像作品にも関わらず未だにリリースの中心はDVDで、BDはヒットが狙える大物女優向け、となるようだ。BDのプレス代はDVDの数倍以上と聞くので、AV業界といえどもそうそう手は出せないらしい(このためBD-Rを利用したBD版をリリースするメーカーも存在する)。
HD画質に慣れてしまうと、DVDの映像は非常に汚いとしかいいようが無いが、HD版を見たければネット配信版を見ろと言うことになるらしい。なるほど道理である。
発売日当日に売価の半額ならまだマシ、1/4以下に買取値が下がることもままあるエロゲ業界の常識と違い、発売から一ヶ月経過しても60~70%買取を謳う中古屋が幾つか存在する。
これを利用すれば1枚1000円程度で最新作を次々と流し見ていくことが可能なので、何かの課題や統計でAVを200本見たい時には便利だと思われる。
既に廃盤となった作品でも見られるのは良いが、DMMの配信は全てDRM付きで専用プレーヤかブラウザ再生になる。モバイル環境では専用アプリだが、やはり評判がよくない。
まともなプレーヤの開発力がない会社は下手なDRMを付けるのは止めて頂きたい。
タイトルに「4時間」とか入っているアレ。一見、お得そうに見えるが実態は旧作からの寄せ集め再編集であり、一定のポリシーで集めたといっても重要なのは量より質なのだ。
間違っても手を出してはいけない。
発売される全てのサンプルをチェックするのは不可能なため、どうしてもジャンル分けに頼らざるを得ない。が、各通販サイトのジャンル分けは恐らく人力であり、ジャンル分けが正しい保証は何処にもない。
パケ裏に掲載されるサンプル画像には二種類ある。動画からの切り出し画像と、カメラで撮影したサンプル用画像の二種だ。前者の場合なら同じシーンが本編に存在するはずだが、無い場合がある。またシーン自体は有っても、汁を後から書き足したというケースもあった。切り出し画像のままでは見えないので致し方ないとはいえ、世が世なら捏造と叩かれてもおかしくない。
いわゆる汁系作品の場合、どうやら「偽汁」を使っているのではないか?という疑念が持たれることが多いようだ。これに対する製作者側の回答は、スタジオに定点カメラを設置し早回しした映像を「本物証明」として本編末尾に追加というものだった。モザイクの生んだ弊害と言える。
さすがにエロゲのように半年単位で飛ぶことはなく、精々一ヶ月か二ヶ月程度である。逆に、一部メーカーは発売日一週間前に入荷してそのまま販売されることから発売日に関しては割とルーズな業界らしい。
業界の大御所みたいな適当なイメージで、どうせ万人向けの無難で面白味の無いものを出してるのだろうと勝手に思っていたが、むしろ他メーカーにはできない、金の掛かる企画ものを積極的に手がけているように見える。特にスタジオセットに関しては、雰囲気作りを含めて他社とは一線を画すものが有る。コストダウンを図るなら真っ先に削られる箇所であるだけに、ここに金を掛けられるのは大きい。
年の頃でいうと25、6あたりだろうか。コスプレ感はあるが、JK制服を着れば大概それらしく見える。対して男優はどういうわけか、オッサンが無理して学生服着てるとしか見えなくて見苦しい。若手の男優であっても、全く似合わない。これが三次元の限界らしい。
「熟女イコール30代だけど見た目は殆ど20代」という二次元感覚とのギャップが最も大きく、白髪が交じり始めた年代の女優も当然のようにいる。熟女ジャンルはまだ私には早かったようだ。
いわゆる巨乳を売りにした女優の場合、その重さを支える相応の身体もまた必要なのは自明の理と言える。現実は非情である。
若手もしくは新人に近い女優の台詞はほぼ棒読みなのに対し、年齢が上がるか出演数が多い女優はきちんと演技としての声が出ている。嬌声を上げる演技はみんな上手いのにね。
プロ中のプロなのだからてっきり、誰もが普通に飲めるものだと思っていたがAVにおける演出を鑑みるに普通は飲まないらしい。これは二次元の弊害だろう。
熟練クラスと思われる女優の場合、アクロバティックな体位を取りながらも腰の動きから声を上げるタイミング、カメラの回り込みを意識した視線まで男優と完全に息を合わせており、奈良は中谷堂の高速餅つきを思わせる。
目に付くというと語弊があるが、10本見て3~4本に一人はいる感覚だ。もちろん、桜吹雪のような刺青では無く、鎖だかシダ植物だかのような小さいものを足や腕に入れているだけだが、イメージの問題で余り良い印象は無い。できれば隠して貰えないものか。
男優の名前とかは全く知らないが「またこの人出てる…」になった男優が2人できた。そのうちの1人は何処かの尊師を思わせる容貌で、特定ジャンル作品には引っ張りだこのようだがあまりにインパクトが強すぎて日常生活で特定されないか他人事ながら気になる。
(設定上)言葉ではオラついてる男優でも、激しいプレイの場合は途中明らかに力を抜いたり休めたりしていて、当たり前だが女優を労っていることが伺える。
実写であっても映画のようにCGや特殊効果による激しい刺激に慣れすぎた目には物足りなさを覚えてしまうわけだが、これは実に恐ろしいことだ。
気付きたくも無かったが気付いてしまったので一応。いわゆる素人の汁男優と違い、本職は下の毛を短めか無いぐらいにまできちんと手入れしているようだ。
あのマッサージ器、世界で一番、本来の用途で使われない製品だと思われる。
先ほどの発売予定リストを見ても分かるようにラノベ並に長い作品が多い。状況や台詞、シチュエーションをそのまま入れている為だが、もう少し考えて欲しい。「胸糞注意 中学卒業後そのまま土建屋に就職して現在同棲中のギャル彼女をネットビジネスとやらで成功して超絶金持ちバブリーになった奥村君に圧倒的な経済力の差を見せつけられカネの力でクドかれてねとられてしまった時の話です 夏樹まりな」とか「彼女にフラれた僕を不憫に思った母ちゃんとコンドームをする約束でセックス!無反応だった母ちゃんがコンドームをこっそり外して生ハメしたら痙攣して何度も絶頂「すぐ良い娘が見つかるわよ」から「誰にも渡すもんですか」に態度が豹変し腰振り騎乗位が止まらない 推川ゆうり」とかはタイトルではなく完全に文章だ。
そんな長いタイトルも決して真に受けてはいけない。シチュエーションに関する内容なら未だしも、プレイ内容に関する文言は注意を要する。具体例を挙げると「エロ痴女ナースは口内射精がお好き」という作品シリーズ、ナースというシチュエーションは正しいが後者の口内射精自体は皆無(全て舌上射精)という有様だった(有名な地雷らしい)。その他、体位を示す語がタイトルに入っている場合も同様に注意を要する(全てがその体位であるわけは無く、酷い場合は途中5分だけだったりする)。
各ジャンルについて。AV業界も「右向け右」というやつなのか、売れたシリーズがある場合は各社同様なものを出す傾向らしくだいたいのジャンルで似たような作品が出ているようだ。
エロゲ業界でいうところの近親もの的なジャンルのようだが、エロゲでは滅多に見かけない姪っ子という辺りがAVらしい。やはり男優の年齢(「お兄ちゃん」とは言い難い)によるのか、DVD購入層の主流が50代と言われる正に姪がいそうな年代なせいなのかは定かでは無いが、興味深い。
上記の姪っ子ものともやや被るが、スレンダーな女優を起用してローティーンに見せかけたジャンル。ジャケ画像を見ると物凄く幼く見えてお巡りさんを呼びそうになるが心配ご無用、静止画特有のトリックです。髪型、衣装、メイクを駆使しても、やはり顔つきというものは特徴があり、表情や角度でやはり大人に見える。身長140cm台の女優を起用して体格差による演出も見られるが、やはり疑似としか言いようが無い。ちなみにこの手の作品に出る女優はだいたい目星が付くらしく、名義を変えていても熟練の変態紳士に聞けば成人女優であることが容易に確認できるようだ(尚、某団体が某報告書で低身長の成人女優による演出を批判していたようだが一体何が問題なのか全く謎である)。
ジャケ画像で用いられるトリック(?)として、オイルを塗りたくるのはなかなか上手いと感心した。肌の質感がオイルによって誤魔化されるので、何となく若々しく見えるようだ。
各社が毎月、いや毎週、AVデビューを冠するAVを出すって大丈夫かこの国はと思っても無いことを口にしそうになるシリーズ。さすがに一度デビューした女優が他社で名義を変えて再デビューということは無さそうだが、女優一人一人にあれこれ売り文句や設定を考えて売り出すのだからまあ大変そうである。
尚、枕詞に付く「元看護婦」「元声優」「元コスプレイヤー」「元地方局女子アナ」についてはいずれも設定で、事実確認できる例は殆ど無いらしい。「元芸能人」「元国民的アイドル」については(定義によるが)事実らしいが。
素人と新人AV女優の違いとは何か?と問われたなら、作品に対する姿勢であると私は答えるだろう。
素人に求められるのは女優に無い文字通りの素人感であり、新人AV女優に求められるのは擦れてない新鮮さなのだ(AV女優になる時点で擦り切れているのはさておく)。声の出し方一つとってもやはり女優は女優、素人は素人なのだと教えてくれるジャンル。
増田は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の監督を除かなければならぬと決意した。増田には情事がわからぬ。増田は童貞である。マスを掻き、右手の友と遊んで暮して来た。けれどもコスプレに対しては、人一倍に敏感であった。
AVのコスプレものと言えば「コスプレなのに何で脱がすんだ」「は?今時脱がすコスプレものなんてねーよ」というやり取りが昨今の定番らしい。幾つかのシリーズ物を見る限り、最後まで脱がさないものと最後に脱がしてしまうもの、それぞれ確認したためどちらの主張も正しいと言える。
王道(?)のコスプレイヤーもの(序盤に適当な撮影会風シーンが入る系統)の他に、最近ではオタサー姫もの(テンプレみたいなオタク風男優がコスプレさせる系統)が台頭しているらしく、やはり各社似たようなものだ。
しかし、敢えて言いたい。
AV女優のコスプレであるならまあいい。が、コスプレイヤーという設定でコスプレされるのには妙な腹立たしさをつい覚えてしまう。ウィッグ被って服を着てカラコン入れたらコスプレだろ?という考えが透けて見える。否、断じて否。コスプレ特有の、キャラに似せようと盛ったメイク無しに何がコスプレか。どんなに似合って可愛く見えても、一般女性的なメイクのせいで台無しであるのが非常に勿体ない。是非とも制作陣には、コスプレメイクあってのコスプレであることを理解してほしい。
これはDMMでのジャンル名だが、要は二次元の同人誌や漫画のAV実写化ものを指す。たまにサークルが宣伝してたなあという記憶はあったが予想外に多く、原作不足というやつなのか二次元からの流入を期待しているのかいまいち狙いが読みづらい。試しに見た限り、やはり「メディアの違いを理解せよ」案件と思われる。
山林や海岸といった「まあ不可能では無いな」ものから、明らかなスタジオを利用したもの、さらにどう見ても本物の店舗を利用しているとしか思えないものまで多彩だが手間が掛かるためか少数派ジャンル。
どうやって撮影しているのか全く分からず以前、増田で聞いた(https://anond.hatelabo.jp/20170506185119)作品もこれに当たる。
もう書いてしまうと「爆乳J-CUPロリっ娘こにたんとイク ガチさすらい露出ゲリラ紀行 小西みか」 http://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=ktkp00025/ のことだった。
サンプル動画冒頭に出てくる場所は池袋のここ https://goo.gl/maps/yR1t8cB6cLM2 であることを特定し、ラーメン屋の実在も確認できるがどうやって撮影したのかがやはり疑問だ。
IVについて。当初IVはエロの無いAVみたいなものだと思ってしまっていた。200本は見ていないが、20本ほど見たことで大凡を理解できたと思う。
最も大きな違いは完全主観(男性の登場は皆無かあるとしても手ぐらい)、モザイクは徹底して無し、の二つだろう。特に前者は大きく、傍観者としての立場になるAVとは完全に異なる。AVにも主観ものは存在するが、その性質上、下半身等がカメラに写ってしまうため違和感がある。後者については、僅かでも透ける可能性があれば必ずモザイクをかけるAVとはやはり対照的で、ギリギリでも見えなければ良いんだろうと全力で主張している。
IVの良さはモデルの身体を文字通り舐め回すようなカメラワークで女性的な魅力を映す点で、逆にAVの良さはやはり情事を中心として成立している点だろう。
しかしIVもまた奥が深く、IVという呼び名は極めて大きな括りであることを痛感した。研究途上だが、IVは大きく3つに分類されるように思われる。
男性(の性器)が登場しないAV、が適切な表現と思われる。乳首は普通に見え、女優もグラビアモデル等の20代後半から30代?ぐらいだろうか。大人の玩具も当然のように登場するし、疑似性交的なシーンもある。
(数年の鯖読みを考慮しても)ハイティーンに見え得る女優だが乳首は徹底的に隠す。これでもかという程に隠す。ここまで隠されると何故かそれが物凄く価値のあるものに思えてくるから巧妙な心理戦と言える。着エロのような直接的な表現はなく、運動と称したシーンが中心。バランスボール、バナナ若しくはアイス等の棒状物体舐め、水着、謎の液体マッサージ、と何かの教科書にでも載っているのかという程に構成も表現も似通っており、女優自身の魅力を引き出せないと苦しい。
「笑顔なんて、笑うなんて、誰でも出来る」と言ったアイドルがいたが、特にこのジャンルでは笑顔が本当に重要だということを教えてくれる。撮影者との信頼関係が醸成されていないのか明らかに緊張して固まっていたり、笑えてはいてもあからさまな作り笑いで擦れた感が出ていたりすると途端に見るのが辛くなる。
それだけに、一定以上の可愛さと自然な笑顔の上手さがあると非常によいわけだが、やはりと言うべきか何故かというべきか、普通以上に可愛いと思われる子ほど早々に引退する傾向があるようだ。
恐らく一番誤解を受けているだろうジャンル。子役として売り出す中で作成されるようだがイメージを損なうようなシーンは全く無いようだ。
推測になるが、グラビアアイドルに年齢詐称を駆使することでジュニアアイドルと称し、本来重なるべきでは無い二つのジャンル境界を曖昧にして暴利を貪ろうとした一部業者が諸悪の根源のように思われる。
過去の作品を調べると、ある時期から年齢を入れたタイトルが途絶えていることが伺え、自滅というか正に策士策に溺れる状態だったのではないか。
いかがでしたか?
たぶん、ここ数十年で幾度となく繰り返されてきたであろう話題。そして、これからも何度となく同じ話をして行くであろう話題。だけど、この先に幾星霜の年月を重ねようとも、決して人類が回答を得ることはかなわないであろう話題。
「このような増田を書く際には適度な自分語りが必要である」との先人の教えに倣い、私も自身の人生を少し顧みる。
とは言え、特にこれといって語れるような、起承転結、栄枯盛衰の激しいエピソードはない。期待に沿えず申し訳ない。
私は、凡庸な働き者である両親の下に産まれ、大学まですべて可もなく不可もなしと言ったレベルの国公立で通し、東証一部ではないが倒産寸前でもないと言ったどこにでもある企業に就職し、今に至る。要は平和を謳歌していたわけで、「幸せかどうか」という尺度で測れば、私は十二分に幸せなのだろうと思う。
先日、同級生の友人らと一席設ける機会があった。私の交友範囲は、狭いようでいて結構広い、まあ所謂「普通」の範囲内だ。私ほどの年齢になると、このような場でだいたい出てくる話題と言えば、増田諸氏にもお馴染みの「子供の話」である。
子供の習い事は何がいいか、今どきは中学受験をさせるべきか、保育園になかなか受からない、・・・語らいの場を彩るには事欠かない。
私自身は独り身だが、そう言う話題は端的に言えば好きである。同級生の、愚痴のような自慢のような我が子の話を聞くのも好きだし、独りやもめが一丁前に進言することも吝かではない。
だが、そう言う話題をしていると避けて通れないのが「増田は結婚しないの?」「増田の子供、見てみたいよ」等の友人の無邪気な言動である。
もう何度となく聞かれたので回答が半ばトークスクリプト化しているが、私自身は結婚する気が全くない。子供を作る気もない。
友人らの結婚式に持参した祝儀袋は50枚ではきかないし、友人らの華燭の典の末席に私の椅子を加えてもらえるのは悪くない。幸せのおすそ分けがあった数年後に、友人らの間に生まれた新しい命に触れる栄誉に浴した機会も両手両足では足りないだろう。
そんな友人達の子供の相手をするのも、また楽しい。先日も友人宅で友人の子供たちとゲームで盛り上がった。そういった私の姿を見てきている友人達はいつも怪訝そうな顔をして、お決まりの言葉を投げかけてくる。
しかし、残念ながらそんな姿を友人たちに見せる機会は、永遠に実現する事はないだろう。なんだかこちらが申し訳なくなってくるが、こればかりはどうしようもない。
結婚出産をしない事の仔細については伏せさせていただくが、私自身はLGBTという訳でもないし、病気等によって子供が作れない身体という訳でもない。過去に交際した異性がいない訳でもないが、結婚するというビジョンは当初から皆無だった。
・・・さて、長々と私の宴席話を綴ってしまったが、ここまでが枕詞である。以下より表題の件となる。
最近発生したとある些事によって、私は自身の今後の人生を考える機会を得た。それは老後の事であったり、貯蓄の事であったり、人間関係の事であったりする。
不思議と不安はない。「少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」と言ったのは太宰だったか芥川だったか。或いは川端だったかも知れない。
老後を一人で支えていく貯蓄は作れる。今現在のところは十分な資産が無い為「ある」とは胸を張って言えないが、仮に70歳定年制度が導入されようとも、食べていけるだけの資産を形成するだけの資力はあるものと自負している。
加齢による孤独との付き合いも、それなりにこなしていくつもりだ。とは言え、老境に達した事もない若輩が悟ったような事を口にするのも軽々しい。鋭意努めるといった表現に留めておこう。
そのような事を独りごちること数日、ようやっと私は「自身に生きている理由がない」と言う平々凡々な結論に至った。
却説そうなると困ってしまう。理由もないのに生きていくには、あと数十年という年月は些か長すぎる。排泄物を生産する装置として延々と過ごしていくには動機づけが心許ない。
人生に対しての意味を考えるのは、数多く存在する宗教という団体が約二千年ほど前から継続して取り組んでいるようだ。詳しくは知らない。
彼の団体が世に出している成果物を拝見したこともあるが、私には意味を見出すだけのものはなかった。
理由も無い、意味もない。そうなると次の段階として「可及的速やかに、かつ周囲の迷惑を最小限にとどめる形で自殺する方法を考察する」ということになるが、私にはそれを実行するだけの胆力が備わっていなかったようである。自ら命を絶つという行動を想像するとき、自身の玉袋が萎びていく感覚が如実にそれを証明している。
安田講堂で演説をぶった後に割腹して果てたのは誰だったか。筋骨隆々とした当時の写真を見るに、グラビアモデルか何を生業としていた人だと推察しているが、どうだろうか。職業はともかく、その胆の据わりようはまさに驚嘆に値するが、私には到底真似のできない所業である。
理由も無く、勇気も無い。理想も無かった。願望もこれといって無かった。意味のある無しは私自身が決定するものではない。後世の人間が理由付けしたものが意味だ。
かと言って「無い」状態を維持していくのも据わりが悪い。回答でも解答でも一向に構わないのであるが、「ある」状態にしたい。ふとそう思い至って有休申請をしたのが昨日の午後、目の前のキーボードを叩いては嘆息する作業に飽きてきたのがつい先ほどの話だ。
先人の知恵を生かす事こそが人類であり、その事を辞書で引くと即ち「英知」である。ならば私も人類の英知の恩恵に与ろうと「はてな匿名ダイアリー」なるサイトの中に設置されている検索窓で「人生 理由」と入力してENTERキーを叩いたところ、検索結果は0件だった。平日の昼間から「人生 理由」や「人生 意味」といったワードで検索をかけている中年男性という絵面も大変に珍妙ではあるのだが、ここで膝を折るわけにもいかない。
Google検索で「人生、宇宙、すべての答え」で検索すると「42」という解が得られるというのは割合に有名な話ではあるが、できれば証明過程のほうも見せていただきたいので、「人生 理由」や「人生 意味」などのワードでGoogle検索をかけても、有象無象が多くて選り分けるのに四苦八苦しているうちに時間だけが過ぎ去っていく。回顧するに到底建設的な所作とは言えない。
※ちなみに、「人生 理由 anond」等とGoogle検索すると、先人への英知に到達する作業が捗ったという事実も申し添えておく。
・・・結局、特段の進歩もなく、たまっていた有休を消化して終わるだけの一日となりそうだが、髪の毛一本分、まさに寸毫ほどの厚さだけでも遺物があれば、後進増田諸氏の灯台となり得る可能性はあると考えた。
可能性に賭けることは好きではない。そもそも賭け事が嫌いだ。だが、この愚かな人間がしたためた理由も意味もない駄文が、誰かにとっての灯火となれば幸甚である。
大海原の中のマッチ一本分にも満たない、本当に小さな灯り火であるが。
ここまでお付き合い頂き、かつ増田諸氏の人生の貴重な時間をも少々頂けた事に深謝する。増田諸氏の人生に幸多からん事を祈念して、ここで筆をおく。
BMIで言えば確実に痩せ型である。あと背は165センチくらいで脚が長い方。顔は普通~ブス寄りで貧乳だけど、自分で言うのもなんだが、とかいう枕詞にすら飽き飽きするくらい体型を褒められる。
Aカップで貧乳コンプレックスではあるのだが、褒めてくれる人にしてみればそれすら「スマートな体型」の一部なのかもしれない。
でもまあうぜえんだよなーって感じ。
会う度に何回も何回も何回も何回も脚ほっそ脚なっが腰の位置たっかーいいないなー私短足デブだからーってとかそれしか言えねーのかお前らと。あいさつのつもりか?それとも嫌がらせか?
まあそこまでしつこく言われるのはいくつか属しているコミュニティのうち一つでのことなので、そこで自分がそういうキャラクターとして(いじられキャラみたいな)定着しちゃっている部分はあるんだとは思う。
でもそんなんどうでもいいし関係ねえ。ただただうぜえ。あ、太れとかは論外だし筋違いだからやめてね。
いやいやわかってる、望んでも私のような体型を手に入れられない女たちよ、ごめんね。でもそういう話じゃないじゃん。
さっきも貧乳コンプだって書いたけど私だって他にもコミュ障だわ自分の顔が嫌いだわおしゃれに自信ないわ、いろいろあるよ。そこはお互い様じゃん。隣の芝は青いんだよ。私だって他人が羨ましいわ。
まだね、身長とか脚の長さはともかくも、私が努力してこの体重を保ってるんだったらまだいい。むしろ積極的に誇りに思うわ。でもね、私ダイエットとかしたことないんだよね。むしろ小学生の頃から細いねって言われて生きてきたよ。
そもそも太りにくいし、太るほど食べないの。もちろん好きな食べ物はあるけど空腹がおさまる~軽く満腹になるくらい食べられたら十分。栄養バランスとか抜きにすれば、空腹になる度にちょっとだけ食べるみたいな生活を送りたいと思ってる。
お腹いっぱいになると苦しくなるじゃん。あれが嫌いだし、一人でご飯食べることが多いから食事に時間かけたくないんだよね。ていうかよほどの好物でないと食事めんどくさくない? 人と食べるご飯なら一緒に食事を楽しんだり会話したりするから全然いいけど。
まあ正直にこんなこと言ったらムカつくのはわかる。だから増田に書いてるんだけど。悪いこと・欠点はもちろんだけど、良いことでも本人にどうにもならないことグチグチ言われたってね。
せめて自分がデブが嫌いでなければリアルの知り合いに力説したってかまわないけど、実際デブがマジで嫌いだから困る。病気とか諸々のどうにもならない理由で太っちゃってる人には特に申し訳ないんだけど、感覚的にうわってなっちゃうし、生まれてこの方デブったことがないのでその他のどうにかなる理由で太ってしまうことが理解できないから。
努力せずに痩せてるくせにデブが嫌いとか客観的に見てムカつく女でしかないじゃん。だからなんかリアルの知り合いには愚痴りにくいんだよね。
ある場所での会話について考えたこと。
私+男女2人(A男とB子とする)で話していた。
高笑いしながら他人の口にチューブわさびをねじ込むようなことをする。
そこまでの流れは省くが、B子の見た目の話になって、彼女自身が
「私の顔って平安顔」
みたいなことを言い出した。いわく、化粧をしないと能面みたいな状態らしい。
それを受けて、A男が
という発言をした。
そこで私が
と言ったところ、A男から
「お前後で殺されんぞw」
と言われた。
B子がけなされたと受け取って僕を殺すかもしれないという意図だというのはわかる。
その場ではあははみたいな感じで会話は流れていったが、帰宅後以下のような反省会を始めた。
なるほど確かに、平安時代なら、という枕詞を付けたのは失礼だったかもしれない。
しかし、自分の顔面sageをしだしたのはB子自身だし、私は褒め(フォロー)こそすれ、けなす意図で発言したわけではなかった。
さらに私を腑に落ちなくさせているのは、この一連の会話を別の場所で聞いたC男から
「失礼だろw」
と一刀両断されたこと。そんなに失礼だったろうか。
平安時代ならモテにモテると言っているわけで、現代でモテないとは一言も言ってない。
「だから現代でもてないんでしょうね」とでも発言していたなら話は別だが、けなすような内容の発言を私は一切していない。
それとも、平安時代ならみたいな反実仮想をしだした時点で、褒める意図の「モテる」っていうのは効力を失って、結果的にけなす意図に取られるものなのだろうか。
う-ん。
ある場所での会話について考えたこと。
私+男女2人(A男とB子とする)で話していた。
高笑いしながら他人の口にチューブわさびをねじ込むようなことをする。
そこまでの流れは省くが、B子の見た目の話になって、彼女自身が
「私の顔って平安顔」
みたいなことを言い出した。いわく、化粧をしないと能面みたいな状態らしい。
それを受けて、A男が
という発言をした。
そこで私が
と言ったところ、A男から
「お前後で殺されんぞw」
と言われた。
B子がけなされたと受け取って僕を殺すかもしれないという意図だというのはわかる。
その場ではあははみたいな感じで会話は流れていったが、帰宅後以下のような反省会を始めた。
なるほど確かに、平安時代なら、という枕詞を付けたのは失礼だったかもしれない。
しかし、自分の顔面sageをしだしたのはB子自身だし、私は褒め(フォロー)こそすれ、けなす意図で発言したわけではなかった。
さらに私を腑に落ちなくさせているのは、この一連の会話を別の場所で聞いたC男から
「失礼だろw」
と一刀両断されたこと。そんなに失礼だったろうか。
平安時代ならモテにモテると言っているて、現代でモテないとは一言も言ってない。
「だから現代でもてないんでしょうね」都でも発言していたなら話は別だが、けなすような内容の発言を私は一切していない。
それとも、平安時代ならみたいな反実仮想をしだした時点で、褒める意図の「モテる」っていうのは効力を失って、結果的にけなす意図に取られるものなのだろうか。
う-ん。
ある場所での会話について考えたこと。
私+男女2人(A男とB子とする)で話していた。
高笑いしながら他人の口にチューブわさびをねじ込むようなことをする。
そこまでの流れは省くが、B子の見た目の話になって、彼女自身が
「私の顔って平安顔」
みたいなことを言い出した。いわく、化粧をしないと能面みたいな状態らしい。
それを受けて、A男が
という発言をした。
そこで私が
と言ったところ、A男から
「お前後で殺されんぞw」
と言われた。
B子がけなされたと受け取って僕を殺すかもしれないという意図だというのはわかる。
その場ではあははみたいな感じで会話は流れていったが、帰宅後以下のような反省会を始めた。
なるほど確かに、平安時代なら、という枕詞を付けたのは失礼だったかもしれない。
しかし、自分の顔面sageをしだしたのはB子自身だし、私は褒め(フォロー)こそすれ、けなす意図で発言したわけではなかった。
さらに私を腑に落ちなくさせているのは、この一連の会話を別の場所で聞いたC男から
「失礼だろw」
と一刀両断されたこと。そんなに失礼だったろうか。
平安時代ならモテにモテると言っているて、現代でモテないとは一言も言ってない。
「だから現代でもてないんでしょうね」都でも発言していたなら話は別だが、けなすような内容の発言を私は一切していない。
それとも、平安時代ならみたいな反実仮想をしだした時点で、褒める意図の「モテる」っていうのは効力を失って、結果的にけなす意図に取られるものなのだろうか。
う-ん。
◯元記事
朝鮮学校のいま 「在日」生徒たちの胸の内 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/feature/586
◯ブクマ
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/feature/586
◯メタブ
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/feature/586
ってことでご質問いただきましたので。はてな記法をほとんど使ったことなくあってるかわからないので、間違ってたりこうしたらなおよしってのあれば教えて〜〜。
必要なスペックいるなら追記するけど15年ほど前に卒業。幼稚園から高校まで朝鮮学校だよっ!
http://b.hatena.ne.jp/entry/333956559/comment/akihiko810
id:Eizo0000 朝鮮学校に行くことは親の意志で決められるんですか?それとも自分の意志? あと普通の大学と朝鮮大学校に行く割合てどれくらいですか? 挑戦大学行くとその後の進路は韓国?日本の会社なんですか?
「学校に行く」っていうのが段階にもよるから後でパターン分けるけど、ほぼ100%親の意志かな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%AD%A6%E6%A0%A1
大学は東京にひとつだけ、高校は都道府県にひとつあるかないか、中学校はひとつの都道府県に0〜5個、小学校は一番多い東京で9個。
イメージでいうと、小学校から高校まで同じ場所で一貫してるパターンか、あるいは小学校がいくつかある都道府県なら、小学校がいくつか合併するような形で中学校になって、その中学校が合併する形で高校になって、みたいなかんじ。だいたいはエスカレーターで小→中→高に進んでいく。
ってことでスタートはほぼ小学校(or幼稚園)なんだけど、どの小学校に行くかってほぼ親の意志だよね。「おれは慶應幼稚舎に行きたい!」ってなる6歳とかいるのかな。
中学校や高校から朝鮮学校に編入ってパターンは少なくて、ひとつの学校で1学年にひとりいるかいないかぐらい。ほとんどが小学校で入ってそのまま高校まで。
で、逆にあるのが、小学校は朝鮮学校に行って、中学や高校から日本の普通の学校に行くパターン。
普通に受験して入るんだけど、このパターンはだいたい塾とか行ってて成績がいい生徒たちかな。偏差値高い中学や高校に行ってそのまま東大京大やら早慶に行くのもいる。数は少ないけど。
「自分の意志」が出て来るのはこのタイミングかな。だから意志が入ってくるのは朝鮮学校に行くタイミングじゃなくて日本の学校に行くことに対して働くかと。
当時の体感でざっくりだけど、高校を出るタイミングで半分は就職、半分は進学。
進学の中には、日本の大学(受験組もいるしスポーツ推薦とかも結構ある。スポーツ強い。)やら短大やら専門学校に行くのもいれば朝鮮大学に行くってのもいるんだけど、朝鮮大学に行くのは全体の1〜2割ぐらいじゃないかな。
http://www.sankei.com/politics/news/160410/plt1604100008-n1.html
1学年に600人ってことかな。単純に10個の高校で割ると同級生で60人なんだけどってそんなにいるかな。どうだろ、いたかもしれない。当時で60人なら2〜3割ぐらいか。わからん。
※誤字そのままにしてごめんやで。引用って形で。
朝鮮大学に行ったあとの進路については詳しくないからわからないけど、特殊なのを除くと普通に日本の会社が多いんじゃないかな。
日本の会社ってのにも在日が経営してる会社ってのもあるので、それを日本の会社か韓国の会社かどっちに括るかはわからないけど。まぁ日本の会社でよいかと。
で、特殊っていうのは、朝鮮学校(小学校〜高校)の先生になるか、総連系組織の職員になるってのもあるかな。
組織ってところで変なの想像するのはダメよ、やんわり言うとコミュニティセンター的なかんじ。在日同士関わり持とうぜってかんじで集まる場所なイメージで。大きな都市で、区にひとつあるかないかぐらいかな。この辺りは説明が難しい。まぁでも危ないやつではないよ。
ってかんじかな。他もございましたら。
あとどうでもいいけど、PCは全文読めてスマホは「アプリで続きを読む」しか無い元記事マジでやめてほしい。UX考えろ〜〜
(追記)
http://anond.hatelabo.jp/20170428112309
ネトウヨ系まとめサイトによくある反日教育ってほんとにやってるの?
前提として、ベーシックな授業の内容は教科書の文字と話す言語が朝鮮語ってだけで、内容は普通の英語とか理科とか日本の教育と同じ。be動詞+ingで現在進行系ですね、とか。
で、オプション的にというか、日本の学校に無い授業では金日成の歴史とか、朝鮮の歴史とかが週に一コマあるかどうかだったかな。
ちとどう受け取るかで意見分かれるところとも思うんだけど、ファクトとしては、その朝鮮の歴史の授業なんかで、「植民地になりました」的な記述だったり植民地時代に日本やアメリカの兵士が云々みたいな記述はあるね。
ただまぁ今の日本に対する反日教育ってのはたぶん無いと思うよ。当時の〜〜、ってかんじ。それをどう受け取ってどう現代に昇華させるかはまた個人の問題になっちゃうんだけどねぇ。
国レベルで歴史認識がすれ違ってるところだからどっちがどうとかでも無いとも思うけど。
で、"ネトウヨ系まとめサイトによくある反日教育"ってのがどういうのがあるのかわからないんだけど、ちょいググって
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1318.html
ってのを見たところ具体的な記述は
>「(朝鮮学校は) 金日成 を崇拝しない人は人ではないと教えている。限度を超えた民族教育に国税を投入するのはいかがなものかと思う」と疑問を呈した。
とか
> 故 金日成 主席と金総書記の写真が随所に掲載され、必ず「敬愛する」「偉大な」という修飾語をつけた上で、その業績が賛美して描かれる。
かな。
両方文字通り読んだときに直接「反日」って読み取れる人がいたらすごいとも思うんだけど、まず前者の「金日成を崇拝しない人は人ではないと教えている」ってのは、うーん、あったかなぁ、人ではないって言うのがいるかどうかわかんないけど、まぁ金日成すげぇぜ!、ってかんじの教えではあるね。まぁ国つくった人だし。
> 故 金日成 主席と金総書記の写真が随所に掲載され、必ず「敬愛する」「偉大な」という修飾語をつけた上で、その業績が賛美して描かれる。
これは逆枕詞みたいなもんかな。
「あをによし」って来たら「奈良」って来るの古典で習ったと思うけど、その逆、「金日成」の前に「偉大な」ってセットで来るだけ。
ってところかな。もうちょい「反日教育」の具体例教えてくれたら回答できるかも。
民族的なイデオロギーで「日本という国はは嫌い」ってのがどれぐらいいるのかは疑問かな。ゼロじゃないとは思うけど少ないと思うよ。
そういうのじゃなくて最近の国会ウォッチャー氏の増田とか見てて、日本やべぇなおい、って考えたりするのはまぁ普通の日本人と同じぐらいじゃないかな。
明日は日本史上初のプレミアムフライデーだが、この制度に政府、自民党、経産省、経団連が込めた真意を説明しておく。
ポイントは2つ。
1つ目は、制度策定に厚労省が一切絡んでいない、財界主導の制度であること。
月末の金曜日という時期は、普通の会社員なら月末事務とかでかなり忙しい時期である。そう、普通の会社員ならば。
しかし、そうならない層がある。
大手企業の幹部以上や、上級官僚を始めとした「上級国民」層だ。
例えば、多くの大手企業が、月末の金曜日の午前中や昼過ぎに、当月の業績を振り返る「経営会議」を行っている。この経営会議に出席するような幹部層は、月末までに完了しないといけない「作業」は一切持たない「口を動かして人を動かす」人達なので、月末金曜日は経営会議が終われば暇になる。遅くても15時までには。
だから、プレミアムフライデーは15時からに設定している。
プレミアムフライデーの15時を過ぎたら、同日の23時59分までに終わらせないといけない仕事が残ってる「普通の」人達を横目に見つつ、「お前らも早くこういう立場になれよ」と彼らに声を掛けながら、晴れやかな顔で繁華街に繰り出す…そういう制度なのである。
言い換えれば、近年向上心がなくなってきたという調査結果も出ている日本人に対して、向上心を喚起させる施策なのである。手を動かす作業者ではなく、口で人を動かす上級国民を目指せ、と。
高橋まつり事件を受けて、作業の外注化が進んでいる。ビッグコミックスピリッツの「気まぐれコンセプト」でも描かれていたが、広告業界では、事件後、夜にまたぐような作業は下請けに投げ、自分たちは遅くても20時には退社するように、仕事のやり方を変えている。勿論、下請け業者はその分残業が増えるが、売上は増えていない。
厚労省が絡むと下請けの人達ガーとなるので、始めから厚労省は除外して制度設計を進めているのだ。
つまり、元請けの立場に居て、口で人を動かす立場に居られる人達を愛で、彼らのような人になりたいと普通の国民に思わせる制度が、プレミアムフライデーなのである。
父よ
いま一人親で私を養ってくれていることは感謝している
家事の面やお金の面、雨風の強い日でも凍えず眠れるのは貴方のおかげである
しかし
ひとつの例外、特殊例を持ち出して私に当てはまることを強要しないではいただけないだろうか
母よ
私を産んでくれたことや父に相談できないこともフランクに聞いてくれることには感謝している
しかし
父との離婚についてはもう少し迅速に行ってくれても良かったのではないのか
自分で言うのは甚だおかしな話であるが 私の中学・高校生活を犠牲にするほどの価値が6年間の離婚訴訟にあったのだろうか
大人たちよ
多く問題を起こした私を見放さずに現在まで見守ってくれたことには感謝している
しかし
私の話をきちんと聞いていただくことを、約20年間で一回くらいはしてくれても良かったのではないか
私の話をいったん聞いた上でどこがおかしいか、ということを教えてほしい、話し合いたい10代だった
頭ごなし、「聞く気も義務もないから聞かない」ではなく、子供としてではなく、「人生の後輩」として扱ってほしかった
友人たちよ
しかし
私のいないところで私のことを叩くのはやめていただけないだろうか
目の前で言われることに耐性があるわけではないが、口裏を合わせ物を隠したり捨てられるよりは改善する気持ちになるものだ
悪意がないとしても嫌である、という旨を説明しても、盗撮して、SNSにアップロードするのを繰り返すことをやめていただけないだろうか
私は貴方たちに小ばかにされるために趣味を楽しんでいたわけではない
皆よ
私を生かしてくれることは冥利に尽きる
しかし
私の主張を一切受け入れる必要はないから、理由をもって否定していただけないだろうか
顔も、体型も、頭脳も、性格も、能力も、器量も、扱いやすさも、何もかもが人様に劣る私であるが
落ち込むことを
足踏みすることを
主張することを
許してほしい
私には、一点の長所と一点の短所を相殺させるという発想にこれまでの人生で至ることはなかった
「飛び降りれば万事解決」の思想にはどうしても至らないのである
ではなく
「車酔いになる人を極力減らす運転をできれば完璧ではないのか?」
「完璧でなくとも、理由をつけて短所をなくそうとする努力を惜しむことはダメなことではないのか?」
と 考えてしまう
この問いについて私の意見を抑圧せず
なぜだ
やはり
誰も私と話をしたくないという
裏側で言われていた通りのことなのか
一生受け入れられない異端児なら、そのように自覚して生きるしかあるまい
決意しなければ
ああ