2017-04-04

自分を売り込むことにおこがましさを感じる

自己アピールなり、自己推薦なり、自己紹介なり、自分を売り込むときが必ずある。

そんな瞬間がたまらなく辛い。

自分には堂々と出来るような実績も、証明も、肩書きも無いかなのだろうか。

それだけじゃない、「自分でこれだけの事をやった」と言い切るような気持ち自体不快感がある。

結果が出ること自体タイミング次第で変わったりするもので、それを自分の実力だと言い切れる確信すら得られない。

周囲の助けがあったり、環境の変化、時勢柄、理由を挙げたらきりが無い。

そんな点が繋ぎ合っているだけの現状を、「自分はこんな結果を出した!」と言い切れる事ができない。

通り魔に刺された被害者を横目に、「自分は日頃の行いが良かったから助かった!!!」と誇らしげに語っている様でならない。

たまたま助かったことをさも「自分の実力」と胸を張ることと同じような感覚に陥ってしまう。

自分にとって結果と行動のバランスはそんなもの

周囲から評価を貰ったときも、自分の中では腑に落ちない。

「なんでこの程度で褒められるのか?馬鹿にしているのか?」と思ってしまう。

言わないだけで自分目標点みたいなものもっと上にあると信じている。

目標値まで着いてないのに評価されても、「自分もっとできるはず」という気持ちがあって素直に受け取れない。

そんな気持ちが染みついているからか、自分を売り込む時が来ると途端に弱くなってしまう。

なにを売り込んで良いのかわからない。

自分がやっていることなんか誰でも出来るようなこと。

たまたま成功した事例を経験したこと。

それだけとしてしか認識できていないので、アピールなんて到底出来ない、している自分が情けない。

結局の所、自分の力なんかじゃ無い、偶然の連続


だが現実は如何に売り込んだかで立場が変わっていく。

当然、人の目につくかどうかが需要に変わっていくわけで、出来ないものは淘汰されていく。

仮に実力がある者だろうと、主張しなければ日の目を見ず終わる。

それが現実

確かに自分も変わりたいし、売り込みたいのだけれども、どうしても染みついたこ感情を捨てきれない。

語らずとも評価され、行動のみで主張が出来る、そんな立場を目指せば良いのだろうか…?

そうだとすると、まだまだ実力が足りないのだけなのか。

尚のこと、単なる弱者なのだと痛感してしまう。


自分を売り込めるのはいつになるのだろう。

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