はてなキーワード: 枕詞とは
http://anond.hatelabo.jp/20170204214653
増田がこういうことを言う前提には、「学校で学ぶことは実用的でない」という考えがあるのだと思うけど、必ずしもそうではないと個人的には思っている
(今のカリキュラムや指導法がすべて適切だということはないにせよ)。
「中学までの科学知識があれば」なんてことは偽科学批判の枕詞でよく使われる。
この前のトランプ大統領の就任演説なんて中学校までで習う単語がほとんどだったそうだし、
書店で「中学までの英語で英会話はできる」というような内容の本はよくある。
政治の問題で過去の歴史が引き合いに出されることなどいくらでもあるし、
逆に過去の例を知らずに出した「斬新なアイディア」がクソだってことは少なくない。
保健体育をきちんと学んでいれば、性感染症や望まぬ妊娠はかなりの程度避けられるはずだ。
そもそもの話として「学問は実用的でなければならないのか」という問題があるけど、それをさておいても
なんでこんなに多くの人が「学校の勉強は役に立たない」と口にするのだろう。ぱっと思いつくのは二つ。
一つは「教え方」の問題だろう。人間、習ったことで「試し斬り」をしたくなるもので、、
それが上手くいくことは学ぶことの動機付けの一つにはなる。恐らくそれが不足している
(でんじろう先生がもてはやされたのは、学校レベルではそのような実感がいかに乏しいかという傍証のひとつだろう)。
二つ目は、社会の不条理や不平等のはけ口として、平等に与えられる学校の勉強が槍玉にあがる、ということだ。
例えば、それなりの大学を出ても、お金持ちや権力者にかなうわけではない、だから「学校の勉強など無駄じゃないか」というわけだ。
それに加えて、学問ってのは個人の資質で下手するとスポーツ以上に到達度に差が出る。割と絶望するレベルで。
他にも恐らく切り分けて考えるべき問題が沢山あって、現実は複雑で、
教師だけ責めても何も解決しないってことは薄々みなわかっていて、
どこのスーパーマーケットでも買える食材を使ってうどんを作ります。ゆでうどんは安い。讃岐とか冷凍とか気取った枕詞が付いていないうどんはだいたい格安で買えます。どのくらい安いかというと近所のスーパーマーケットで確認した限りでは税抜きで18円です。税込みでも19円。とても安いです。
供給も安定している傾向があるけれども、閉店間際に行くと売り切れていることもある。とても安いがゆえに人気が高いことも事実です。年金生活の一人暮らしのじいさんやばあさんがこれを一つずつ買って売り切れたのではないかと思うと社会問題を提起したくなる。年金生活になったら、18円のうどんを毎日食べる日々。こんな世の中になることをみんな夢見て働いてきたのか。今を時めく政治家の方々にはスーパーマーケットのうどん売り場の前を一日中見張って、18円のうどん購買層の方々の悲哀を確認してみろ。と、気持ちの昂ぶりを抑えなくてはなりません。
ここでうどんの食べ方を確認しておきます。お店でかけうどんといえば、なみなみと注がれた汁にうどんが入っているこれがうどん業界での常識です。飲むか飲まないかわからないうどんの汁を大量に用意しなくてはならないブルジョワ志向。たくさんのおいしい汁を潤沢に用意することは庶民には高いハードルです。
名前を言ってはいけない元グループのメンバーの一人が宣伝マンをしている昆布つゆという商品があります。昆布の成分のおかげで糸魚川静岡構造線よりも西側の味がする一品。この瓶の裏のラベルには、かけうどんには水で5倍に薄めよと書かれています。さらに冷やしうどんのつけ汁には3倍に薄めよとの助言がある。ところが5倍に薄めると少し上品すぎてパンチが足りないと脳の中枢からの叫びが発せられます。この問題点を改善するために3倍希釈の濃度でかけうどん用の汁を作ると塩辛く、飲み干せない。この汁を捨てるのがもったいないと感じとっておこうと思うのか、いらない汁は使い終わったら下水道へ一直線に捨てることができるのかが貧困線の一つと思うのです。残った汁を保管し、次の機会に使うという行為を始めると家の中に無数のペットボトルやヨーグルトの容器が増殖を始める。うどんの残り汁の入った容器は台所を占領し、そのほかの生活空間をも脅かしていきます。ゴミ屋敷まっしぐら。兎に角も希釈したうどんの汁はその場限りで使い切らないとより不幸になってしまうのです。
ここまでのお話で、うどんが安いこと、薄めたうどんの汁はできるだけ無駄なく利用することが心の安定のために望ましいことがわかります。次にうどんの茹で方と鍋の使い方を話します。
駅の立ち食いそばうどん店やセルフ形式のさぬきうどん店へ行くとカウンター越しに厨房の様子を見ることができます。せっかく見えるのだから、ここから学ばない手はない。この様式のお店では、席の回転を上げるためにできるだけ早くうどんを提供しなくてはなりません。うどんを茹でる鍋と汁の鍋が別になっている点に注目。これはうどんを茹でた濁った汁に汁の素を入れていたのでは汁がうどんから出た小麦粉成分で濁ってしまうことを防ぐために考えられたうどん業界伝統の手法です。しかしながら、家の台所で鍋を2つ使ってうどんを作ることは不経済の印象が拭えない。せっかく安価な18円のうどんを調理するのにお金がかかっては本末転倒です。一つの鍋で沸かしたお湯で経済的にうどんを作ることがジャスティス。一つの鍋で作ることを考えます。茹でうどんはすでに茹でてあるため、温まれば食べれる。この性質は鍋での茹で時間が大変短いということです。手順を説明すると、鍋にお湯を沸かす。お湯をお玉で2杯すくい、どんぶりに入れる。どんぶりが温まったところで、お湯を捨てる。お湯を捨てたどんぶりに昆布つゆを大匙で2杯入れる。大匙を用意するのがめんどうな人は大匙2のラインにマジックで線を描いておくとよい。鍋からお玉でお湯を1.5杯入れる。このお湯の量の加減はお玉の容量によるとところが大きいので、各自工夫してください。ここまでの手順で、汁を温める鍋を準備することが省略されました。手順も片付けも半分になり大変経済的です。鍋のお湯は沸騰したままですので、ここにゆでうどんを投入し、20秒ほど温める。この時間は立ち食いうどん店での店頭でプロの調理人がその時間で茹でていたことに由来します。カウンター越しの学習はとても役に立つ。カウンター席のあるお店は知見の宝庫です。お湯を捨て、うどんを汁の中へ入れます。洗い物が増えることをいとわないのならば、湯切用のテボを使ってもいいのですが、洗い物が増えることは経済的ではない。ゆえに地味に箸でどんぶりに移します。
かけうどんの完成です。このまま食べても昆布つゆの開発者の研究心のおかげで家庭でもとてもおいしい汁のうどんとなります。味に変化をつけたいときは、「わさび」「からし」「七味」を使って刺激を与える。わさびとからしは、粉末タイプをおちょこで溶いて都度生成するのがおすすめです。「うどんにからし」に抵抗感がある人がいるかもしれませんが、豪雪のニュースで名前が出てくる越後の一地方ではからしでそばを食べています。そばに使える薬味をうどんに使わない手はない。ということでからしも薬味に加わった次第です。
さて、冒頭の見出しでは納豆うどんと銘打っているのに納豆が出てこない。ここまでの長文を読ませておいて、これはどういうことだと気が付いた読者は賢明です。納豆はなくてもこのかけうどんは完成する。完成するけれども、栄養面でこころもとない。このうどんをたべても野菜350グラムを摂取することができない不完全食です。できるだけ完全食に近づけるべく納豆を入れる。この時点でできているうどんもすでにおいしい領域に達しています。かけうどんと薬味で半分食べたところで、納豆を入れると食味が変わって、一粒で2度おいしい状態になる。うどんに納豆を入れるときは、汁が多すぎると納豆の粒を箸で拾いにくくなるので、あまり都合がよくありません。半分食べたところで汁を少なめにして納豆を入れるとうどんの中で納豆の濃度をとても高めることができより経済的に納豆うどんを味わうことができます。
ここまでで最低限の納豆うどんの説明はおしまいです。これだけの自炊行為で最低限の命をつなぐことができる。政府関係者から格安うどんをよりおいしく食べる方法として広報されてもいいと思います。
こんなこと、ジョジョ好き公言してるアカウントで書けないのでここで。
私はジョジョ4部がかなり好きではないし、特に最後が嫌いだ。アニメを観て本当につくづく思ってしまったんだけど、いまいち自分でも納得ができてない。なんでこうなった。
もちろん「ジョジョの中では」という枕詞がつくし、個々に好きなエピソードもある。その上での話。ただの感情論。まとまってない。
承太郎大好きと普段公言してるし実際大好きなのでなおさら言えないけど、4部って仗助が主人公(康一かと思うこともあるけど)なわけで、最後の最後はやっぱり仗助に締めてほしかった。
わかってるよ、展開的に無理だろうね、そんなことわかってるけど、だって仗助をずっと主人公として応援してたの!
康一君も大好きよ、最後にいいアシストしてるのすごいかっこいい!って思うよ。だけどさ、シアーハートアタック戦みたいに「ここは承太郎と康一君のターンです」ってわかる話ならともかく、最終決戦で最後の最後あのふたりにもってかれるのどうなの?
それでも康一君はまだいい、そもそも四部のキャラだし一番成長してるし、彼がかっこよく最後決めてくれるのうれしい。
でも承太郎、てめーはダメだ!3部で散々活躍したじゃん!最後決めてったじゃん!あんたのターンは終わってんだよ!仗助に活躍させろよ!!!その前に散々戦ってた?そんなことはわかってる、でも吉良と決着をつけるのは仗助でなきゃ駄目だろう!!!
もう、承太郎が好きなはずなのに、活躍してる姿もうれしいはずなのに、邪魔で邪魔でしかたなくて妙なジレンマに立たされるの理不尽でしかない。
なんでみんなあれで「4部最高におもしろかった!」みたいなこと言えるの?
仗助君ジョジョで一番活躍してない主人公じゃない?あれでいいの?満足なの?
うん、わかってる。そもそも4部は町の話だし、主人公を一番かっこよく描く、みたいな話でもない。作者もそう言ってたの知ってる。
杜王町の人々が侵食している悪に立ち向かう話なんだからそれでいいんだよ、と言われりゃ、もうまったくそのとおりだよ。
私だって正直仗助君がすごく好きなわけじゃないの。むしろジョジョ主人公の中で一番気に入らない。仗助君に活躍してほしかった、とかじゃないの。むしろそういう意味なら億泰にもっと活躍してほしかった!でもそういうことじゃないの!
承太郎大好きなのになんでこんなこと思わなきゃならんのだ!
だから6部もわりと冷や冷やしながら読んだ。ああいう流れで本当に良かったと思っている。悲しかったけど。
20161229
まさかこんな愚痴にコメントいっぱいつくと思ってませんでした。
たしかに誤解を招くと思ったりもしたので一応言っておきますと、何人かの方が推測されてたとおり、同人界の片隅で承太郎へのキャラ愛を公言してるアカウントではさすがに「承太郎うぜえ」とか言えないという話です。本当に個人的な愚痴です。
完全に私の感覚の問題で、「承太郎へのキャラ愛のせいで目につきすぎてかえって物語を楽しむことを邪魔してくるんだけど、なにこの理不尽!」ということだったんだな、と読み返してみて改めて思いました。あと、そもそもジョジョが好きな方にとってかなりアレな発言をしているのも気がつきました。気に障った方には本当に申し訳ありません。反省しています。
それにしても、長く続いてる作品だけあって、みなさん考察なりスタンスなりが確立されてるものなんですね。
やっぱりみんなジョジョ好きなんだなあ、読んでてとても楽しいです。ありがとうございます。
http://anond.hatelabo.jp/20161205001342
英語、日本語で行われる会議、外人だけ、外人日本人、日本人だけで行われる会議に参加して議事録起こす仕事してるけど、
そもそも会議でロジカルに根拠のあるディベートが行われてること自体が少ない。
議事録起こすとよく分かる。
質問されて答えられなければ、「少し角度が違うかもしれませんが...」という枕詞付きで自分が答えられる範囲だけを勝手に喋って答えた気になってるやつ、「それは....だと思います。」とエビデンスもないのに自身の思いつきをあたかも事実かのように答えちゃう奴。「この業界は差別化が難しいから競争力がどうこう」とか的外れな指摘をドヤ顔でしてくる奴。
飲み会とかでさ
雰囲気を壊さずやんわりと自分の意見を言ったり、話の肥やしや助けになると思ってちょっと知識的な補足をしたりすると
とたんに必ず、
「頭いいね」というヤツが出てきて
声がデカめで割とモテる系の人間とかは「俺頭悪いからよくわかんないけど」っていう枕詞を付けてしゃべるようになる。
その瞬間
いい子ちゃん堅物優等生:その他の明るく楽しい性格いい人々っていう構図が出来上がる
その人が別にノリもいいしイッキとかもするしばか騒ぎもするし下ネタもばんばん言うし空気も普通に読める人だったとしても
ほんのちょっと「知識的」な話題が出ると急に発言した人をやんわりと疎外するようなニュアンスを込めて発言するヤツがでてくるし、誰もそれを気に留めない
なんか変だ
そんなの関係ないんだわ
知ってようが知ってまいが
ただ
知らない事は悪ではないけど、知っていく事は善だ
と、俺は思う
そのくせ反核とか反戦とか言ってくるから痛々しくて何も言えなくなるんだよ
さっきまで「俺頭悪いから判んない」んじゃなかったのかよ
頭悪いヤツにそんなトピック勝たれるわきゃないんだよ
語る権利はあるけどさ
はてなにブログを複数展開していらっしゃる、人気アフィリエイトブロガー様に、
何と不肖私、取り上げていただきました!
どうもありがとうございます!
「嫌いなブログなのに読まずにはいられない理由」 - マリア様はお見通し
http://cantfoolme.hatenablog.com/entry/hater
もう、これほどのスターブロガー様に取り上げて頂いて、本当に光栄です!
http://girlschannel.net/comment/942100/192/
スターブロガー様の、とてつもない人気に嫉妬して、つい書き込んじゃいました、すみません
けれども、私を取り上げて頂いたこちらの記事について、何分自分にまつわるものなので、二三
まず、一つは、スター様、ご自分のことを書かれた内容について反駁するおつもりならば、
私が書き込んだ内容の全文が他の方にも伝わるよう、ズバッとリンクを貼るなりされればよかったでしょうに。
なぜ、ほぼ枕詞でしかないような取るに足らない一言にそこまでの反応を示されるのか甚だ疑問を抱かずにはいられません。
スター様がご指摘の通り、私は、あなたについて"前々から知ってる”とは書きましたが”(あなたについて)全てを知っている”とは
一言も書いてません。
過剰に反応しすぎだし、論点がずれています。何か、大人気(おとなげ)ないです。
思っていたイメージとはまるで違っていました。失望しました。残念です。
スター様の私に関する記事は、ひたすら「自分の書く文章が嫌いであるならば、読まなければ良いのに」という論理のみを中心に
展開されておりますが。
ご自分の書かれた記事に対して、ほんの通りすがり程度の批判でしかない文章にあれだけお怒りになるのならば、
「ご自分が思った通りに反応する方々相手にしか公開しなければ良い」
何であれ、あなたアフィリエイトで稼いでるなら尚更、「自分の文章にケチつけんな」みたいなこと言えた立場じゃないでしょ!?
しかも。
スター様の今回の記事、私に対して相当お怒りなのは分かるのだけども。
そこはかとなく、
「私について、こんな書き込みをするだなんて、あなた本当は私に対して憧れの感情が
強すぎて、やっかんで書いたんでしょ!?」
みたいな。
”ホントは私のこと好きなんでしょー?もー、こじらせちゃって!”みたいな。
自分のことを叩くのは、自分自身に興味があるから、と思い込むのは・・・・・
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
 ̄YYYYYYYYYYYYYYYYYYY ̄
あ、"真性ジブンスキー”っていうのは、こちらのスター様ご自身による造語です。
お時間あったら参照してみてください。
私もね、今回スター様のブログ読み直して知った言葉なのですけど、自分で使ってみて寒気がしちゃったお!
とにかくね、この人、センスがないのです。センスがない、っつのはさ、要は客観性がまるでないからですよね。
この方のことを、”前々から知ってる”と書きはしましたが、それは他の方のブログのリンクやらコメント欄を辿って
訪れたことがあって、という程度の意味合いです。私にとっては。
まぁ、”知っている人”という書き方をしてしまいましたが。
これまでに、何度か「あれ、この文章の感じ、前に読んだことある・・・かな?」という経験をした、というぐらいの感覚で書いたことです。
いわば推量ですよね。
なぜ、偶々訪れたブログをこの人のもの、と思ったか、と言えば、ただただ文章と内容の稚拙さが故、というところです。
ご自分のことをとかく尊大に書き表している割には、どうでもいいようなつまらないことでいちいち他人を叩いてばっかの人がいるなぁ、と。
記事の数が多い割には、内容が似たり寄ったりだし。掲示板に書いた通り、他人を叩くにしても、文章から受ける彼女への印象とそう変わらないような
事柄について、何度も何度も同じようなことを同じように書いていて。同族嫌悪でしょ、ただの。
やっぱり、よっぽど自分のこと好きなんだよこの人。
大した論拠を挙げられるわけでもなく上から目線だし。すぐ他人を見下して。
他人のことばっかネタにするのも、実際には"自分がなくて空っぽ”だから。
コメント欄にもなぜかこの人に「禿同!」みたいな意見ばっかなの。寒気がした。
まぁ、ここまで自分で自分を知らずにいる人に、真実はなかなか伝えられないもんよね。
私が友達でも、「あなた才能もセンスもないよ」とは言えないなぁ。てか、言わずに、ドンドン目立つところに出させておいて、後になって堕ちていくのを楽しんで見守る、かな。
日本でもとても元気。ブクマコメントでも行け行けGoGoである。
でも、日本で反ポリコレな人は米国のそれとは決別宣言をしておいた方がいいと思うのだ。
だって米国の反ポリコレってのは、日本のそれとは一線を画す過激さだから。
日本のだったらせいぜい、ちょっとエッチな萌え絵ポスターくらい別にいいじゃんか!というレベルだ。
だが米国では?
白人万歳!劣等な黒人は這い蹲ってろ!女は男を敬え出しゃばるな黙って咥えてろ!移民?難民?知るか野たれ死ね!殺人予告レイプ予告の何が悪い!
そんな発言を大っぴらに、公の場で言えるようにしたいんだ。
かつ、それを批判するのは決して許されるべきではないって考えてる。自由の抑圧ってわけさ。
当然だけど全員がそんな考えをしてるわけじゃないよ?でも元気が有り余ってて'やらかしそう'な連中はこう思ってるんだ。
日頃、反ポリコレを標榜してる人でも、これと同レベルの人は日本にはそうそういないだろう。
nekora?奴は死んだ。
予言しておくが、この先、米国ではヘイトクライムが従来の比でなく起こるだろう。
ともすれば、堂々と犯行声明すら出すかもしれない。「我々はポリコレには屈しない!これはポリコレへの反逆だ」なんて。
わかる。わかる。これは一部だ。ごく一部だ。だがそれで十分だ。レッテルが貼られるには。
俺達を差別するな俺達を抑圧するな、といってたのに結局本音は、差別したい抑圧したいそれに文句言うな、だったのか。
そう思われる。そうレッテルを貼られる。
今後の4年で、それは動かし難いところまでいくだろう。
トランプの後、反ポリコレというのは、今以上に表明し難い価値観となる。
ポリコレを批判したら雲霞のように批判批難が押し寄せる。そうなる。
将来の反ポリコレ勢の枕詞はこうだ。「別にポリコレに文句あるわけじゃないけども」。
日本の反ポリコレは米国ほど酷くない。政治家がチョンだのシナだの言ったら批判するだろう。決して拍手喝采を送ったりはしないはずだ。
だからこそ今のうちに決別すべきだ。俺らは奴らとは違うんだと。
トカゲのしっぽ切りと思われない、今のうちに。
あなたが休職をすることで、周りの人たちに仕事のしわ寄せがいった。
恨み言を言うような人間はいないが、それはその状況を仕事として受け入れただけであり、あなたの休職を是としたわけではない。
あなたを許している人などいない。
あなたが復職をすることで、必要以上にあなたに気を使わなければならなくなった。
言葉には気を使わなければならないし、重い仕事を振ることは避けなければならない。
あなたが精神的に弱いと主張するならば、あなたの行動は全く理解できない。
あなたは本当に傷つき、休まざるを得なかったのかもしれない。
それでも休んだときに他人に迷惑をかけ、復帰したときにも他人に心労をかけている事実は変わらない。
その自覚があるのなら、なぜ"精神的に弱い"あなたはそんなにも平然と過ごしているのだろう。
私達はあなたが休職したことで仕事が増え、そして復職したあなたに気を使い、消耗していく。
そして今後、あなたに重要な仕事を振ることはない。どうせ途中でまた休職してしまうのだから。
あなたが精神的に弱いわけじゃないのなら、環境が本当に悪いのだろう。
だけれどあなたは精神的に弱いから耐えられない、こんな私を社会が認めてくれないと言う。
ところで図々しく休み、図々しく復帰し、図々しく生きているあなたの精神のどこが弱いのだろうか?
教えて欲しい。そして退職して欲しい。あるいは、消えて欲しい。
私は精神病を否定するつもりもなければ、根性論を唱えるつもりもない。
自分で"精神が弱い"と主張しながら、このような強い精神を持たなければ耐えられないような行動を起こすあなたに問いたいのだ。
[追記]
結局自分も休職をしたいほど消耗しているが、その勇気すらなかったことから来る疎ましさが自分の中にあるのだと気付いたので、そろそろ病院へ行こうと思う。
私個人としては普通に接しているつもりであるが、それでも"私のせいで休職します"などと言われたらどうしようかなどと考えている間は、ブコメにあるように私が精神病なのだろう。
色々な意見はあったが、特に"休職は復職を前提とし、復職を否定するものではない"という制度を説明しただけの当たり前の言葉がとても考えさせられた。
まさにその通りで、当人は休職期間で無事治療を終えたから復職できたのだろう。
治療を終えたとはいえ、以前と同じような仕事の振り方であるとか、気を使わずに接するだとか、そういった行為は今後も不可能であろうが、私のような考えの元に"気を使っている"などと主張するのは明らかにおかしい行為なのだと気付いた。
ただひとつだけ、"精神的に弱い"は私の主観でも客観的な感想でもなく、休職した理由として今もなお盛大に本人自身が主張しているために引いた表現である。
読み返すと特にタイトルからその意図が消失していたため修正しておく。
新) 精神的に弱いために対人的な精神病になったと自ら主張し、それを理由に休職する人へ
---
進展があったので、補足も兼ねて再度追記をする。
また追記は下部に書いた方が良いという方々がいたため、移動させた。
まず補足から。
そもそも休職した人とは同じチームではなかった上、自席から見える程度の位置関係であったけれど、特別仲が良いというわけでも悪いというわけでもなかったと思う。
それが当人の復職後、私の元々所属していたチームに異動してきたことにより、現在は一緒に働く形となっている。
私の職業はとある専門職に分類され、私と当人はたまたま同じ領域であり、当人が休職中の間は私がそのチームの業務の一部を請け負っていた。
当人休職を受けた会社の対応として、上記の仕事の割り振りに加え、休職直後より増員のため採用強化を行っている。ただそう簡単に見つかる人材枠ではなく、当人の復職直前に一人採用が決まった。ただその人はまだ入社時期となっていない。
"当人を潰したのはお前ではないか"といった意見があったので言い訳がてら書かせてもらうと、元より潰せるほど大した交流をしていない。
当人が体調不良で休んだ時に運悪く緊急対応が発生し、私が処理をしなければならないこともあった。特に恨みなども抱いていない。
その逆はなかった。というのも単に私がまだ体調不良で欠勤したことがなく、長期休みも皆が同じ日程で取る企業であるからというだけである。
もし私が体調不良になっていたら、ヘルプをお願いしていた可能性は否定できない。自覚をしたことはなかったが、私自身、その点に関してはある種の安心感を抱いていたのかもしれない。
"発言に気を使うのは当然ではないか"という意見があった。当たり前であるが、必要以上に気を使うのだ。
同僚が有給を使って1週間の休みを取っていたため、"いいですね。お土産買ってきてください"と今までは当たり前のように言っていた一言を発した途端、当人が隣で泣き始め早退してしまった。
軽はずみな発言なのだろうか。確かに当人にとっては嫌味かもしれないが、そこまで制限しないといけないのだろうか。もう良く分からない
(それはそれで非情なのかもしれないが) 復職当初は同情も恨みも何も抱いていなかった。
休職中に発生した事案の説明や引き継ぎを行うため、当人にミーティングを申請したところ、"まだ精神的に弱くて仕事をする気分にはなれない"という言葉が返ってきてから少しずつ嫌悪感が増したのだと思う。
最近ではよく遅刻をしてくるが、"精神的に弱くて不安で眠れないんですよね"などと枕詞のように"精神的に弱い"という言葉が入る。
ここまで来ると"精神が弱い"は本人の口癖なだけなのかもしれない。またそんな人は他にそうそう居ないのかもしれない。
-
病院からは休職をするように言われた。無理でないなら会社と面談を行っても良いとの話だった。
要約すると、
"休職・復職の支援をすることが会社の責務であり、辞めさせることは不可能であるし、企業としては間違った行為であるためするつもりはない"
"ただし当人が十分な業務を遂行できない旨は把握しており、査定への反映や別チームへの異動が決定している"
"当人が '私にならできる' と休職時にチームメンバーへ言い残したため、プロジェクトの調整を行ってもなおどうしても外せなかったいくつかの仕事をお願いした"
といった話であった。
面談によって、当人が休職中の間、私がそのチームの業務の一部を請け負う形となった理由がわかった。
ただ要約の結果、当人に非があるように見える書き方になってはいるが、その意はなく、人員不足が影響していることは分かっている。
無視をすればいいという人達もいるが職種的に厳しいものがあり、会社が辞めさせられないという現状も理解はしている。
誰でもできる仕事であれば適当に人を増やせば事足りるが、それもできない。
"退職してしまったらもっと仕事が増えると気づかないのか"という発言があったが、その人がいることで生産性が下がり、業務に関係のない仕事や仕事ではない労力が増えるという経験をしたことがないのだろうか。
当人の生産性は目に見えて落ちている。今までやっていたはずの仕事をお願いしようものならその日は15時頃に"体調不良のため早退します"と言われる。必要以上に発言に気を使いながら、当人の面倒を見なければならない。
数ヶ月なら我慢できるかもしれないが、今後当人が存在する限り継続して続く現実が耐えられない。とはいえ会社を信じるならその現実は避けられるようだが、それでもやはり疑問が残っている。
"同情をすればいいのか、何もなかったように接すればいいのか、本当に分からない。本当に働いている人達はどうやって過ごしているのだろうか。何か正解はあるのだろうか。"
って5~6年後に普通に言われてそう。
現在のネット界隈のように「話題のWebサービスについていく」タイプの流行は去りそう。
今のネット界隈はスマホの爆発的普及の勢いだけで動いている感じだけど、
あと5年もすれば若者にとってのネットは、昭和世代のテレビと同じ扱いになるだろう。
歴史を紐解けば、電気が普及したての頃は「電気ブラン」が格好いいネーミングだったけど、今はそうでない。
そんな風に、将来の世の中はネットがあることを当然として、淡々と人間活動することが普通になっているはず。
今のように「ネットがー」「スマホの~がー」と余計な枕詞が出てくることは決してないだろう。
で、その未来の若者世代に対して、アラサーくらいになった今の現役若者世代が
「最近の若者は流行りのWebサービスに関心を示さない。内に篭ってばかりで、若者のネット離れだ」
とか、気難しそうな顔でほざいていそう。
なんか「エッジーなサブカルコンテンツですよ」的な取り扱い方やめてくんないかな。
あれだ、萌え豚どもがどんなに表面上取り繕おうが、全身からもうカウパー滴っちゃってるの見え見えなのと同じ構造なんだわ。
この中に不機嫌という意味を正しく説明できる人はどれほどいるだろうか。
機嫌という言葉の意味はとても曖昧だ。そもそも喜怒哀楽という感情の中にも含まれてはいない。
いつも怒っているようにも思えるが、不機嫌でも笑うことはある。逆に笑っているからといって機嫌がいいとも限らない。
このことが、自分が不機嫌であるということの自覚を遅らせる原因になっていた。
自分の回りにいる人間が、何故か自分に怒りの感情ばかりを向けてくるからだ。
わたしは自分から周りの人間に攻撃をするようなことはしない。しかし、相手からの攻撃があればその反撃は厭わない。
そうして気が付くと、事態が泥沼化していくことばかりになっていた。
それを避けようと人間関係に関する本も山程読んだ。そこには一様に笑顔でいることの大切さが書かれていた。だからいつも自分から接するときは笑顔を心がけた。
それなのに気が付くといつも自分が怒りの対象にされていた。自分が笑顔でいることで舐められているのではないかという疑いまで持った。
わたしは自分の容姿や人格にまで疑いを持つようになった。相槌や感嘆表現、オノマトペの使い方だって試せるものはとにかく試した。
しかし、状況は改善するどころか身の回りには気づくと怒りを溜め込んだ人間ばかりが集まっていた。
自分は自分を変えようと努力をしているのに、周囲が全く変わろうとしないことにストレスばかりが募っていった。
とにかく人と会う事自体が嫌になり、気がつけば一人の時間を欲しがっては、休みの日には部屋に閉じこもって一歩も出ないことが増えた。
それを解決してくれたのは10年ぶりに会った幼なじみの一言だった。
親同士の連絡がきっかけで食事に誘われたのだ。こんな状態で人に会いたくないと思いながらも、気分転換のつもりで誘いに乗ってみることにした。
彼女とは小中高と一緒だったが、引っ越しと就職とで疎遠になってしまっていた。
愚痴を言うつもりはなかった。でも、会えば愚痴をこぼしてしまいそうな不安もあった。
待ち合わせ場所に現れた彼女は、当時と全く変わらない天真爛漫な笑顔で声をかけてきた。わたしは努めて明るい笑顔で彼女の笑顔に答えたつもりだった。
それなのに、すべてを見透かしているかのように彼女は明るい声でわたしにこう言ってきた。
「何その不機嫌そうな顔。らしくないね」
あまりに意表を突かれた一言だった。わたしは笑顔だったはずなのだから。だけど、その不機嫌という言葉はわたしの胸にぐさりと刺さった。
愚痴らないと決めていた気持ちは一瞬で崩れ、目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
その涙の意味は自分でもよくわからなかった。ただ、自分はこんなにも頑張って来たのだ。今まで抑え込んでいたものすべてが堰を切ったように溢れ出てくるような感覚だった。
どうせ自分から笑顔で話しかけても、二言目には相手は文句や愚痴を言い始めるのだ。
それでも頑張って食い下がったこともあるが、結局相手は無神経な言葉を並べるばかりだった。
相手から話しかけてくるときは、決まって難しそうな顔で話しかけられた。
気を遣っているのかわからないが、相手の枕詞が増えれば増えるほど、わたしはそのまどろっこしさに不機嫌になっていった。
不機嫌とはどういう状態なのか。やはり言葉で説明するのは難しい。
喜怒哀楽に近いが、怒っていたり悲しんでいれば不機嫌かといえばそうではない。その逆もまたしかりだ。
心が閉ざされているとか、感情が感じられないだとか、どちらかというとそういうニュアンスのほうがしっくり来るように思える。
もちろん機嫌がいい時のほうが自然と笑顔になりやすい。そう考えてみれば順序が逆なのだ。
笑顔の人をみて機嫌がいいかどうかはわからないが、機嫌がいいかどうかは笑顔以外にも様々な様子から伺うことができる。
それに気づいてからというもの、上っ面の笑顔は捨ててとにかく明るく前向きに物事を考えるようにしてみた。
不機嫌の原因は相変わらず山のようにあるが、そんなことで自分の機嫌を悪くしていることが馬鹿らしくなってしまったのだ。
でも、まだあれからまだ1週間くらいだが、身近な人間から明らかに笑顔を向けられることが増えてきた実感がある。
聞けば、彼女は大切な人を鬱による自殺で亡くしてしまったのだという。
あの時自分が彼の笑顔の向こう側にもっと気づくことができていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。そんなようなことを言っていた。
わたしは彼女に救ってもらったのだ。次はわたしが彼女を支えてあげる番だ。
そのためにこんなつまらないことで悩んでいる場合ではないのだ。
吹き飛べ不機嫌!わたしの前向きを止めてみろ!
いやこれ真面目な話なんだけど
ホッテントリのブコメとか読んでると、良くid◯◯さんなら~みたいな内輪ネタあるじゃん?
他にもはてな村では~みたいな枕詞とか、特定の人物を指してそうな呼び名とかさ、村長、先生みたいな
どんなに少ない時でも1日に10記事くらい多い時は40記事くらい9年間、毎日読んできてる正直かなりのはてな-?だと思うんだけど
なんかはてなで有名なキノコらしい、しいたけ?に見える人とかもつい最近その存在を認識したし、精神科のホッキョクグマ?だっけあの人はまあブログが昔からよく上がってたから知ってるけど
ほんとそういうホッテントリ常連?で役職とかに特徴のある人くらいしか知らないわけよ
そもそもはてブってチャットする場所とかないでしょ、なんでみんなはてな村とか聞いてそうそう昔は~とか普通に会話できてんの?
もしかして自分が知らないだけではてな民の集会所みたいなスペースがどっかにあって夜な夜な寝る間も惜しんで、友情を育んだりしてるわけ?
もしくは皆、実はあまりよく分かってないけど、てきとーにノリではてな村は~みたいにコメントしてるとか?
そもそもはてな村ってどこにある村なんだよ
なんかはてなで調べたら、犬が支配してる村とか、高齢化が進む蜃気楼の村とか、ヨークシャーテリアが犬の後釜を狙ってるとか出てくるし
ホント教えてよ
中高6年で学んだ英語が話せないように。というのはよくある枕詞だ。
そこから後には、一朝一夕で物事はうまくいかない、とか、継続するにはやり方が大事、
と続く。
でも英語の例を出さなくても、日本語だって上手く話せるのか。書けるのか。
最近わかんなくなった。
っていうか、漠然と「俺はできてる」と思い込んで、一生失敗を続けるんじゃねえかな。
だって、楽器を弾ける=曲を書けるわけじゃねえじゃん?そもそも弾けないじゃん?
同じように、料理ができることと美味い飯が作れることは繋がらねえし、
生きてるからって役に立ってるわけでもない。
ウンコはしてるけど、正しいやり方でケツ拭いてるかわからねえ。
トイレットペーパーってどんだけ使えばいいんだよ。
でも、いざ完成系や正しさや人に受け入れられることを意識すると、
なんかできる気がするんだよなー。できないのになー。
だって、喋れるじゃん?書けるじゃん?ってなって、真剣になって1日も経たずに、
やめるんだよなー。
そもそも今までの人生で、話題の中心や賞をもらったわけでもないのに、
なんで何かをやればできると思ってたんだろ。
何かを始めたらだいたいこんなもんです、ってオチは、
今までの人生でもよくあったよなー
みんな働いてるからって、俺も働けるわけでもなかったし、
こんなので月に20万とか稼ぐやつすげえな。
一生役立たずなのかなー。
ベッキーが不倫報道で会見し、謝罪を繰り返したとのニュース。会見自体は見ていないけど、こういうケースでベッキーは誰に謝ってるの?川谷氏の奥さん?分かる。広告スポンサー?分かる。世間には?本来謝る必要なし。そもそも謝る理由が分からない。それでも世間に取り敢えず謝っておこう(日本だけなのかは知らないが枕詞のように謝っておいたほうが無難)というベッキー側の判断はまだ理解できる。ヤフコメ。ベッキーをボロクソ批判している。意味が分からない。何の道理があって無関係者が批判するのか。ワイドショーのコメンテーターも自覚がどうとか。何の自覚だよ。そもそもお前誰だよ。有名人の不倫発覚案件のたびに毎度不思議に思う。
婚姻も不倫も私人間の契約(登録という意味で国家も絡んでいるが)と違反であり、違反には違約金が課される。賠償額の実務も確立している。そこまでのことだよね。犯罪ではない。繰り返す。犯罪ではないのだ。何故無関係者が批判する道理があろう。
タレント芸能人はそれも含めて世間の話題の俎上となるのが仕事だという見方はあろう。ならばミュージシャンは?キャスターは?政治家は?大学教授は?会社員は?公人とか関係ないよねこの議論には。