優しい友達が、ずっと目をかけていた人と縁を切るらしい。
このとき、優しい人は、怒らない人はある日突然ぷつりと切れて冷たくなっていくという言葉を思い出した。
特に責めるつもりはない。成人をしてから、周りの人間関係は曖昧になった。かつて、大声で主張しあって、やれ絶交だ、親友だと人間関係に名前をつけていた頃のように、ぱっきりと線を引かなくなった。一緒にいたければいる、苦手だなと思ったらそっと離れる。
でも、私はもちろん、周りも取り繕うのが上手になってしまったから、人を信じるのが怖くなってしまった。
この子は今笑って話してくれてるけど、内心嫌かもしれない。明日にはLINEが帰ってこなくなるかもしれない。そう考えると、上手に甘えられない。さりとて甘えられなければ、信用されてないんだな、と思われて離れていってしまうこともある。
話は戻って、優しい友達のことだ。実に過去の私と似ているなと思ってしまった。甘えられないから、甘やかしてしまえばいいと、ターキッシュディライトのような、ふわふわのプリンのような言葉を沢山人に与えた。でも、言葉に実は伴っていなくて、だんだん依存されていく重さに耐えられなくなって、ふと手を離してしまう。
本当に優しいのだろうか。本当に優しい人は、多分もっと誠実で、責任を取れる優しさだけを与えられる、分別のついた人のことではないだろうか。
そういう人は、往々にして万人受けはしない。冷たいと取られることもある。その、誰かに嫌われる勇気が私にはなくて、今日も今日とて人にプリンをお出ししている。
かつてプリンをお出しして、手を離してしまった人と、分け合って連絡を取らなければいけなかった。自分本位で、連絡が遅くて、私の事なんてまるで考えてない、あの頃と変わらないメッセージが、好意が消えた今どうしようもなく気持ち悪くて、悲しかった。
私もかつて、プリンをお出しして、喜んでしまう側だった。その姿は、醜いことを知っているから、気を抜いたら今でも化け物になると知っているから、逆の立場にいる。