はてなキーワード: 宝塚とは
ちょっと話がずれるけど、この不燃ゴミの人の意見だと、女性向けのファンタジーも規制しないと不味くないか?
浜田の黒塗りの件で、もしかして私は差別容認派なのだろうかと自分を信じられなくなっている。
番組自体は見てなくてニュースサイトで今回の騒動を知った。「一個人に扮した仮装でしょ?別にいいやん」が最初に思ったことだった。ミラクルひかるが宇多田ヒカルに、前田健が松浦亜弥に、コロッケが美川憲一に扮するのと同じように「浜田雅和のエディ・マーフィーのものまね」としてそれを受け入れた。
なんで叩かれてるの?と思ったらどうやら世間は「浜田雅功の黒人のモノマネ」としてあの姿を受け入れたらしかった。
今回の騒動に関連した宝塚についてのエントリが上がっててそれを読んだときも思ったけど、タカラジェンヌの人たちは舞台の上で顔を白く塗っている。もともと舞台化粧は派手にしてなんぼなところがあるんだろうけど、「演じる役柄が白人だから」というのも白塗りの理由の一つだと思う。でもそれが叩かれてるのは見たことがない。なぜならタカラジェンヌの人たちはその劇の中で演じる一個人・一役柄として観客に受け入れられているからだ。「日本人が白人の真似をして白塗りしている」とは捉えられない。
ドナルドトランプでもマリリンマンソンでもウディアレンでも誰でもいいけど、もしあのとき浜田が白人有名人の仮装をして白塗りしていたとしたら、ここまで叩かれていたのかな。もしもの話だから実際のところは分からないけど、多分そうはならなかったと思う。今まで数多く放送されたお笑い・モノマネ番組の中で、白人有名人の扮装をした人たちはたくさんいただろうけどここまで叩かれたことはなかったからだ。
もちろん「白人の真似をして付け鼻をするのは差別!」という批判の声があるのは知ってるしそういうデフォルメは糾弾されるべきと思う。「肌の色で人間をカテゴライズしてデフォルメ化するな」というのは分かる。分かるんだけど、今回の件はそれとは違うと思うのだ。一個人に扮してその人の肌の色を真似ることが駄目なら、個人の特徴をクローズアップしてそれをエンタメとする「モノマネ」というもの自体全てアウトなのではないか。
黒塗りにだけ反応して黒人差別を叫ぶ「あの子はかわいそうな子だから触れないであげて!」みたいな腫れ物扱いって、逆差別ではないのか。黒人の肌の色は悪いものでもなんでもなく個人の身体的特徴だ。身体的特徴を揶揄するのは悪い。それは分かる。あれ、じゃあ今回の件もやっぱり浜田が悪いのかな。でもあれって「揶揄するために」黒塗りにしたのかな。じゃあモノマネ自体が個人を揶揄する行為なの?じゃあモノマネは全部よくないの?とかなんかよく分からなくなってきて自分は差別的な人間なのかとか感覚が偏っているのかとか色々考えて自己不信になっている。
なんなのそりゃって、がっくりくるわ。
ポリティカルコネクトレスって、もともとは差別してる自覚も、差別に苦しむひとの声を聞く耳と理解しようとする姿勢のないひとたちにも分かりやすくと始まった目安じゃないのか?自分の記憶だとツイッターで映画ファンが映画の王道またはありがちパターン、こういうのって差別だよとイラストで連作したやつがネットのニュースで取り上げられていた辺りからだよね?
宝塚はまったくしらないので元増田にききたいんだが、宝塚に出てくる黒人というのは、皆馬鹿にされるためのポジションなのか?笑い者なのか?
黒塗りはNGとか単純じゃないし、申し出をする当事者はそんなワードにだけ反応するひとからしたら、きちがいじみた自問自答自責と自制を繰り返してもの申してると思うよ。
これなら黒人黒塗りとはぜんぜん別物だろう
http://blog.goo.ne.jp/air_cool2510/e/d4dbf467f22336633c18e279154b0efc
元増田だけど、黒塗りメイクを研究しました!っていうタカラジェンヌの話はちらほら聞くのでそんないい加減な気持ちでやってるのではないと思いたい。宝塚において化粧っていうのは歌やダンスや芝居と並んで研鑽すべき技術だから。
が、そのこだわりっていうのもまた問題で、黒人やラテン系のリアリティーの追及のみならず「男役としてカッコいいか」っていう点も重視されるのがどうなんだろうと思う。
宝塚の場合、そもそも嫁入り前の娘だけを集めて歌劇団をやるというコンセプトが、ポリコレ的に引っ掛かる可能性があると思う。
まあ歌舞伎は逆に女が舞台に上がれないわけで、どこまで伝統として許されるかという話になっちゃうが。
酒がドラッグ指定されないのと同様、既に存在してファンも利権もあるものについては見逃されるが、新しく同様の劇団は作れないかも。
「差別するつもりはなかった」が言い訳にも正当化にもならないのに、「宝塚の黒塗りは差別してるつもりないんで」っていう理屈はOKなんでしょうか。
別に黒塗りが無くなったって困らないでしょ、とのブコメをちらほら見るが私は…私は…どうしたらいいのだろうか。
お芝居の中で黒人役がある場合、タカラジェンヌはドーランで肌を黒く塗り黒人に扮する。代表的なのは『風と共に去りぬ』のマミー役だ。宝塚において『風と共に去りぬ』というのは『ベルサイユのばら』と並ぶ古典演目で、何度も何度も再演されてきた大切な作品だ。しかし、いくら名作であっても今現在のポリコレ基準で考えるとアウトになるんだろう。
つい最近も、花形スターが黒人役をやる演目があった。「うちの黒塗りは笑いにしてるんじゃなくてカッコイイと思ってやってるんだからいいんです」という理屈は通じるのだろうか?それって傲慢じゃないのか。
これが他所の劇団ならば、黒人の役者を引っ張ってくればよいのだろうが、ご存じの通り宝塚は大半が若い女性たちで構成される劇団である。そうした役者の制約のあるの中で国籍を問わず老若男女を演じなければいけない難しさはどう解決したらよいのだろう。
宝塚の黒塗り文化は芝居だけではない。ショーにもある。いわゆる「黒塗りショー」と呼ばれるジャンル。私としてはむしろこっちの方を心配している。黒塗りって差別的だよねっていうことを何となく理解してもなお、率直な気持ちとして宝塚から「黒塗りショー」が無くなったら心から悲しい。
ショーにおける黒塗りというのは、黒人というより褐色の肌をしたラテン系のイメージである。こちらの代表は『ノバ・ボサ・ノバ』。これも歴代のトップスターたちが演じてきた名作。私の大好きな作品だ。燕尾服やスーツでビシッとスタイリッシュに決めた男役もカッコいいが、裸足でオラオラとサンバを踊る男役のカッコよさも捨てがたい。
宝塚のお芝居はヨーロッパの歴史物が題材になることが多いので(特にフランス革命の酷使っぷりはすごい)、黒人役っていうのはそもそもかなり少ないのだが、「黒塗りショー」はジャンルとして確立されているので定期的に新作が生み出される。もしかしてこれってすごく危うい状況なのだろうか…。
宝塚はずっと昔から定期的に海外公演を行っており、今年も台湾公演が計画されている。劇場でもちらほらと外国人と思しきお客さんを見かけることもある。だから、日本の感性だけでいいっていう開き直りもなかなか厳しいよなって色々考えては鬱になってる。
普段は夢を見ないんだが、長期休暇で睡眠時間が長くなって眠りが浅くなったのか、今日になって初夢を見た。
これがまたえらくハードボイルドというか何というかで、幸先が良かったので書き留める次第。
夢の中で俺は25歳~35くらいの年齢だと思うのだが、今と同じく独身だった。
知らない街で中学の同級生の女性(名前は最後まで出て来なかった)と再会した辺りから始まる。
これが宝塚的なえらく男前な美女になってたんだが、婚活してて、俺も独身だからそんじゃ結婚するかって話になって、夢の中で俺は浮かれた。
で、その女性がテロリストというかレジスタンスというか日本赤軍というか、そういう組織の構成員(幹部級)だったんで、
俺もアジトでリーダー(おっさんとお兄さんの中間ぐらいの渋い男)に紹介され、加入はしなかったが入り浸るようになった。
ところが、そのアジトの情報が裏切り者から政府にバレたという情報が来て、リーダーと俺を含むメンバー(その時、彼女はいなかった)は大急ぎでアジトから逃げ出した。
思い返してみると、そのアジトは20年くらい前に取り壊された俺の祖父母の家の2階っぽかったが、まあ、それは良しとしよう。
逃げ出したその道すがら、彼女が待っていて「心配したのよ」的な事を言ってきたんだが、
リーダーは「おい俺を見くびるな。このタイミングでお前がここにいる意味は分かる。裏切ったのはお前だな」的なかっこいいセリフを吐いた。
俺は、彼女が裏切り者だったのに俺と婚約したのが何故なのか、最初からカモフラージュの為の婚約だったのか、ひどく混乱した所で目が覚めた。
細ーく、長ーく、ゆるーく、ヅカオタをやってる者だけど、昨今のニュースを見てジャニオタって大変そうだなと思ったことをつらつら書いていく。ジャニーズは全くの専門外なので、的外れなこともあるかもだけど大目に見てくれ。
・結婚という試練
宝塚は未婚の女性で構成される集団なので、贔屓(ジャニーズ界隈だと"推し"って言うのかな?)が結婚するという地獄を見ることがない。結婚する人は宝塚を退団しなければならない。これは絶対の掟だ。
しかし、AKBのように恋愛禁止といった規則はないので、お付き合いする自由はある。美しきタカラジェンヌたちに、彼氏がいたって何の不思議もないがバレることはほぼない。何せ、宝塚はニッチな世界だから、人気のジャニーズタレントのようにパパラッチに追いかけ回されて「交際発覚!!!」なんていうスクープとは無縁だ。
・目標が明確
宝塚の世界観はすごくシンプルだ。タカラジェンヌはトップスターという頂点を目指し、ファンはそれを応援する。目標が単純明確であるが故に、スターとファンの方向性が一致しやすい。AKBだと、総選挙の1位になるというのがこれに当たるのかな。
贔屓が三番手スターになり、二番手スターになり、だんだんと段階を経て、最後にトップスターとしてでっかいでっかい羽根を背負った姿を見た日にはファンは感涙にむせぶ。分かりやすいカタルシスである。
ジャニーズにもそういった目標ってあるのだろうか?でっかいドームでコンサートをするとか、ドラマや映画の主演とかになるのかなぁ。個人の仕事が上手くいっても、グループが活動休止や解散になってしまったら辛いだろうし、その辺のバランスが難しそう。
・終わりが明確
色々書いたけど、これが一番かな。宝塚にはご存じの通り(?)、「卒業」というシステムがある。ごく一部の例外を除き、全てのタカラジェンヌたちはいつか宝塚を旅立つ。贔屓の卒業という全てのヅカオタに訪れるXデー。全てはこの日のためにあったのだと言っていい、オタ活動の最高潮。夢に終わりが来るのは辛いが、終わりがあるからこそ熱狂できるというか。
そうした終わりがないジャニーズって大変だ。ずっと好きで居続けるってとても難しいことだ。
さて、ここまでジャニオタの大変そう(に見える)なことを書いてきたが、最後に、他の界隈のオタでは体験しないであろうヅカオタならではの地獄を挙げてみよう。
宝塚を卒業された男役さんの女性姿に戻るのを受け入れられないっていうのはヅカオタの間では珍しくない話ではあるが、スターさんは卒業が決まると、たーーーっぷりと最後の花道が用意され、ファンは精根(と金が)尽き果て成仏しやすい環境にはなっている。
しかし在団中に男役から娘役に転向した場合、そうしたフォローが一切ないのが恐ろしい。何の前触れもなくある日、突然「○○○○は娘役に転向いたしますので、お知らせいたします」などというニュースが公式サイトにぶっこまれるのである。え、ちょっと待ってあれが○○さんの最後の男役姿だったの!?なんて嘆いても時は既に遅し。次の公演から、あのカッコよかった男役さんは髪をのばしスカートを履き、男役さんをうっとりと見つめる娘役さんになるのである。
まぁ、娘役への転向ってファンもそれ程ついていない下級生時代の場合がほとんどで、男役として長年確立している人が娘役にっていうのはあんまりないんだが。でもそうなった時の衝撃ってすごい。応援してるアイドルの性別が変わるってやばい(いや、宝塚は全員女性だけれども)。
2017年1月、年が明けて3連休も過ぎた週末、私は宝塚大劇場へ月組公演を観に来ていた。11時からと15時からの公演を両方観る、いわゆる「マチソワ」である。本当は15時公演だけ観るつもりだったが、たまたまB席が空いていたので飛びついたのだった。
演目は、待望の再演と言われていたミュージカル『グランドホテル』と、日本初のレビュー『モン・パリ』誕生90周年を記念したショー『カルーセル輪舞曲』だった。
大変いい舞台を観たはずなのに、私は不快な思いをしていた。原因は11時からの公演で隣に座っていた女性の行動である。
その女性は「ただ今より開演いたします」というトップスター・珠城りょうさんによる開演アナウンスが流れたタイミングで着席した。
その後、彼女は上演中も一緒に観劇していた人と話をしていたのだ。開演前にも注意のアナウンスがあるように、上演中の話し声は非常に迷惑なものである。出演者の演技をちゃんと観ていたいのに集中力を削がれるのである。彼女の話し声のせいで私は観劇に集中できずイライラが募ってしまった。
終演後に劇場から出たところ忘れ物をしたので取りに行くと、その女性に声をかけられた。私は彼女に対して少し声を荒げてしまった。でも、「あなたはもう観劇に来ないでください!」と言わなかっただけ良かったと思った。彼女も観劇慣れしていなかったというか、初めての観劇だったかもしれない。そんな人に辛く当たったら「来なければよかった」と思われたらどうしようもないし、私も「そういうお前が観劇に来るな」と言われる。やりようがない思いを抱えたまま15時公演を観ていた。
その後私は地元に帰ってきたわけだが、以前から職場での就労環境や人間関係が原因でストレスを抱え込み仕事に出られない状態が続いてしまい、ついに2年間働いてきた会社を辞めてしまった。
私は、専門学校に入って就職活動をしていたが、卒業後も就職先が見つからず、その間アルバイトをしても失敗ばかりだった。このタイミングで「広汎性発達障害」の診断を受けた。
それからは、就労継続支援の事業所で2~3年ほど一般就労に向けて作業などに取り組んだ。そこから、職場実習をさせてもらったのがきっかけで会社に入ることができた。一応、株式会社と名乗っているが就労継続支援A型の施設である。前の事業所と比べて賃金が保証されている。一生懸命に働いて遠征費を稼ぐことができた。
ところが、去年から事業を拡大し始めたあたりで異変が起きた。少人数で捌ききれない業務量、他のメンバーのミスを訂正する手間、イライラを募らせる上司…。何度か職場に出られないことはあったが、今年に入ってとうとう壊れてしまったのだ。
それからは、もう一回観劇しに宝塚へ行ったりサカナクションのツアーに参加したりもできたけど、障害年金から3分の1ほど実家に入れるお金を差し引いた分しか使えなくなってしまった。
2017年12月、約半年ぶりに宝塚に来た。雪組・望海風斗さんのトップお披露目公演、ミュージカル『ひかりふる路』とショー『SUPER VOYAGER!』である。宝塚に来るまで、私はすっかり待ちくたびれてしまったし、心が何度か折れていた。
そこで私は隣りに座っていた女性に声をかけられた。彼女は大昔に観劇したことはあるが、宝塚歌劇ファンの方のお誘いで来たという。
私はショーの客席参加演出で使うポンポンを持っていたのだが、それを見て「こういうグッズがあるんですね」と声をかけていただいたのだ。「そうなんです!この公演限定ですけど」と答え、終演後も少し話すことができた。今まで一緒に観劇していた人と話をすることはなかったのだが、この時は「雪組さんありがとう!」と心から思えた。
私はまた来年春に月組を観に行く。それまではまた心が折れてしまうかもしれないし、どんな顔をしたら良いか分からないと思うこともあるかもしれないけど、またいろんな舞台を楽しみに生きていきたいと思う。
中学時代、BLを通じてセックスと言うものの存在を知った私は、暇さえあればセックスのことを考えてニヤニヤしていた。世の中にあふれるセックスに関する言葉、たとえば3Pやら駅弁やらという言葉を日常生活の中に発見してはニヤニヤしていたし、シャーペンの芯がHなことにすらニヤニヤしていた。名作野球漫画のH2にすらニヤニヤしていたし、「アナリスト」とかいう単語にたいそう興奮していた。
そんな私の当時のもう一つの趣味は宝塚だったのだが、当時から大好きで何度も見ている公演に、普通にセックスの隠喩があったにも関わらず、全く気づかず過ごしていたことが最近わかった。「エリザベート」という作品で、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフが、娼館をまるごと宮殿に取り寄せたシーンである。もうこの時点でセックスセックスなのだが、家臣が「女性を用意しましょう」みたいなことを言ってのことだったので、ぼんやりと、なんか美人を連れてきてお茶でもすると思っていた。あれだけ日頃セックスセックスで染まっていたのに、全く気づけなかった。
以下は、娼館のママが皇帝にバラエティ豊かな女の子たちから自由に選んでさあどうぞみたいなシーンの歌の歌詞である
遠慮せず気取らずに ささ召しあがれ
日本のミュージカルは、宝塚の人気演目とかでないとチケットがなかなか売れないんだ。日本ミュージカル界のスターみたいな人が出ててもね。
それでどうするかっていうと、広く知名度があったり固定ファンついてる人をキャスティングするのよ。暇な芸能人とか売れないアイドルとかね。声優の平野綾とか、松田聖子の娘の神田沙也加とか、イケメン若手俳優ね(本人の希望もあるのかも知らんけど)
そりゃべらぼうに歌うまいとか、バレエやダンスうまいなど技術があるならそういう道に進んで最終的にオーディション受けることで実力でミュージカル女優になれる。けど、今の日本じゃ、よほどの技術があってもそれだけで客を呼べるかわからない。たぶん呼べないだろうと思う。技術のあるやつより、少しでも知名度のあるやつ。キャスティング側がほしいのはそういう人材。悲しいけどなんかそうなっちゃってるんだ。
だから、ミュージカル女優になるのに地下アイドルってのはいい線いってると思うよ。歌やダンスが見ていてしんどいレベルなら難しいかもだけど、そこそこできるなら増田有華のようにチャンスがやってくる。増田有華だってAKB入ってなきゃ歌だけでミュージカルに出られたか?というと無理だろうからね。彼女めちゃくちゃ歌上手いけどね。そういうもん。ブロードウェイはまた違う
何故かっていうと、同じ部活に入っていた友人と、いつも冬場の電線に並んでコロコロしてる雀みたいにいちゃいちゃしていたからである。その姿が異常だとかいう事で、ある男子(仮にA男とする)が私に「レズ子」とあだ名をつけた。
けど友人の方はレズだという中傷はされず、攻撃されていたのはもっぱら私だった。友人はめちゃめちゃ腕っぷしが強くて男子でも殆どの子が敵わなかったから、弱い私だけが狙われていたのかもしれない。
しかし私は弱かったしA男はやたら執拗だったが、それでイジメを受ける事にはならなかった。
というのも私本人がレズ子と言われる事を気にしていなかったし、友人も「A男はしつけーな」位の感想しか懐いていなかったし、他の生徒達もだから何なんだって感じで、いくらA男が私を罵りまくり皆を煽動しようとしても、誰もノッて来なかったのだ。
別にイジメの全く無い清らかな環境ではなかったのだが、それはイジメのネタになる様なものではなかったらしい。
私が思うに、当時レズビアンやレズビアン的なもののイメージが良かったからなのではないかと思う。主に宝塚とセーラーウラヌス・ネプチューンのおかげで。
ま、そもそも女同士で冬の雀みたいに距離感ゼロで群れている光景なぞ、珍しくもなんともないのだ。
もしあの頃、保毛尾田保毛男みたいな、ヘンテコなレズビアンっぽいキャラクターが笑っていい者としてテレビに登場していたら、状況は違ったのかもしれないなぁ。
などという事を考えていてふと思ったのだけれども、保毛尾田保毛男って私も昔テレビで見てたが、あのキャラ本人は飄々として超然としており、どんな好奇や嘲りの目で見られていようがゴーイングマイウエイで生きている、一種の強かさのあるキャラクターなのだな。
強かだから、どこまで叩いたら折れるのかっていう好奇心でもって人々は保毛尾田に残酷な視線を向けていたのではないか。
しかし保毛尾田は柳に風とばかりに受け流す。
その姿は、あの頃執拗にA男から絡まれていた私にも通ずるものがある。
A男の私への攻撃は日増しに酷くなる一方だったが、最悪の事態にならなかったのは、幸運だったかもしれない。ブラウン管の向こう側の存在の保毛尾田は撲れないが、生身の私の事はやろうと思えばおもいっきりブッ飛ばす事が出来た筈だ。A男のなけなしの良心や自制心によって私は無傷でいられただけだ。
と、遠い昔の中学時代に思いを馳せたのは、保毛尾田復活騒動がきっかけではなくて、うちの娘の友人B子ちゃんのお母さんの一言のためなのだった。
B子ちゃんはうちの娘の事が熱烈に好きで、どれくらい好きなのかっていうと、ノー娘ノーライフ、それくらいに好きなのだとB子ちゃん本人談。
娘とB子ちゃんは、かつての私と親友の様に、電線の上で身を寄せる雀の様にコロコロといちゃついている。
そんな様子を見ながら、B子ちゃんのお母さんは言ったのである。
「あらぬ方向へ進まないといいんだけど」
そんな事が気になるのか。
別にいいじゃねーかあらぬ方だろうがなんだろうが。
しかし私の中学時代、いっくら私と親友がいちゃこらしていたって、同級生の多くは私達をあらぬ方向へ行っているなどとは言わなかったし、むしろ女子ってそんなもん、くらいの受け止めかたしかしていなかったのに、今は、「あらぬ方向」か。
単にB子ちゃんのお母さんが気にしすぎなだけかもしれないが。
なんだかなー。
学生時代、女友達に抱きつかれたり、冗談で胸を揉まれたりスカートをめくられたりしたことのある女性も多いことだろう。学校で友達同士のこういう光景は珍しくないし、アニメや漫画でもこういったシーンは平和で微笑ましいものとして描写され、特に男性向けの美少女アニメにはほぼ100%登場する。
しかし私はそんな女性からの過剰なスキンシップがどうも苦手だ。
もちろん他人が友達同士でやっている分には一向に構わないし、アニメや漫画に文句をつける気も更々ない。
ただ、自分がされるのはあまり良い気持ちはしないし、自分は友達にそういったことは出来ないしやりたくもない。
私がこの「女→女セクハラ問題」について考えるきっかけとなった人物がいる。大学のとある女性先輩である。
ある日私が大学内を一人でブラブラと歩いていると、突然背後から誰かにガッと胸を掴まれた。私がびっくりして振り返ると「おっ、E(カップ)くらい?」とにこやかな表情で笑いかける部活の女性先輩(以下M先輩とする)。突然の出来事に多少戸惑いつつも「凄~い!よく分かりますね~!」などと適当な返しをする私。
自分で書いていて思うが、わざわざ事細かに描写するのも馬鹿馬鹿しい、実に「よくある」光景である。
この出来事において私がまず引っ掛かったのは「M先輩と私は大して仲良くもない」ということである。このとき私とM先輩とは知り合ってから日も浅く、当たり障りのない会話くらいしかしたこともなかった。その程度の仲でこういった行為ができることにまず驚いたのだ。
M先輩は私と仲が良いつもりだった、あるいは仲良くなりたかったのかもしれないし、いずれにせよ彼女なりのスキンシップだったのだろう。
だが、仲良くなるためのスキンシップ、あるいは仲良し同士のスキンシップとしてもこれは少々危険ではなかろうか。
この一件でM先輩がまず私にしてきたことは「後ろから胸を掴む」である。
まず 後ろから、つまり誰か認識できない状態で突然こんなことをされたら相手が誰であれ怖い。正直「チカン!」と悲鳴を上げられ突き飛ばされても文句は言えない。実際ひどいビビりの私は心臓が止まるかと思った。
また身体的特徴は本人にとってコンプレックスである可能性だって高い。胸なんて最も分かりやすい例で、小さくて悩んでいる人もいれば 反対に大きくて変に目立つ・太って見えると悩んでいる人もいる。幸い私は胸に関してのみ言えば 自分のものに特に不満はない。M先輩は、私にはコンプレックスがないと思ってやったのかもしれないし、実際ないのは確かだが、そんなことは結果論にすぎない。しかし恐らくはそんなことまるで何も考えずにやったのだろう。そもそもコンプレックスがあろうとなかろうと、いきなり触られてサイズを外で言われれば愉快ではない。
ここでM先輩の人物像について言及したい。彼女は簡単に言うと「体育会系」の人間で、上下関係にうるさく、男勝りで、かなりハッキリと感情表現をする人だった。
またM先輩は女性にしてはかなりの長身かつショートカットでボーイッシュな雰囲気も相まって、特に部内の女性陣から「イケメン」扱い、例えるなら宝塚の男役スターのような扱いをされていた。
M先輩自身もその扱いに満更でもなかったからなのか、「可愛い女の子が好き」などとよく言っており、私を含む女性陣にハグをする・頬にキスをするなどといったボディタッチをしていた。一応補足しておくが、M先輩には彼氏がおり、同性愛者というわけではない。
そんな彼女からのスキンシップは、少なくとも女性陣の間では「王子様からのサービス♥️嬉しい♥️」という空気があった。
私はM先輩からこのスキンシップを受けるたび「も~やめてくださいよ~(笑)」というような態度を取るしかなく、結局最後までこういった行為は止まらなかった。
客観的に見れば「嫌ならはっきり本人にそう言えばいいじゃん」と思うだろう。しかし実際この立場に立ってみると、それがなかなか難しい。
私はスキンシップが苦手なだけであってM先輩のこと自体は別に嫌いなわけではなかった。M先輩も私のことを恐らく後輩として気に入って、そういう風に接していたのだろう。
そんな彼女に「実はあのスキンシップ嫌なんですよね」と言うのは結構勇気がいる。M先輩は話せば分かってくれたかもしれないが、彼女を傷付けてしまうかもしれないし、以前のような接し方をお互いにできなくなってしまう不安があった。
また、私以外の人が彼女のスキンシップをどう思っていたのかは分からない。
しかし私が感じた限りでは、当時の部内では、M先輩からのスキンシップは喜ぶべきで、下手に「やめてください」などと言えば、こっちが「好意的なノリを拒否してM先輩を傷つけた」悪者になりかねない雰囲気だった。
男性に同じことをされたら、(少なくとも大学内では)どんなイケメンの人気者だろうと躊躇なくやめろと言えるし、周りもこちらの味方になってくれるだろうに、相手が女だからということでそれが難しくなる。
結局この一件以降も私はM先輩と特別仲良くなることはなく、彼女が卒業し私も部活を辞めた今、私と彼女の接点はほぼないのだが、未だに部内では「イケメン王子様のM先輩」という風潮が残っており、私はこのことを愚痴ることもできず モヤモヤしたものを感じている。
日本のコミックがそこまで海外に読まれなかった頃はよしもとばななとか辻仁成がコンスタントに賞を取れてたのだが今はもう…。
春樹より近いとされた津島佑子は近年他界したし、石牟礼道子を出す人もいるがこの人は全ての賞を拒否している。(個人的には『苦海浄土』についてそこまでの作品だとは思わない。)
あとは現代詩で吉増剛造と谷川俊太郎が挙げられてるが、ボブ・ディランが獲った今スタイルを逆行するものを出されてもキツい。
演劇?歌舞伎役者と宝塚とジャニーズが未だに尊重される自体終わっておる。
ジャーナリズム?嘘しか書かない立花隆が未だに偉そうだしなあ。
なんかひょんなことから月蝕歌劇団の公演を観てきた。
『怪人二十面相 黒蜥蜴復活篇-ガス人間第二号とフランケンシュタイン-』
『ピーターパン 月蝕版』
自分にとっては初めての月蝕歌劇団。
忘れてしまわないうちに記憶を記録に変えるため、レビューを残しておくことにする。
(月蝕歌劇団を知らない人は目の前の箱でググってほしい)
.
■全体として
これ、過去の演目を見る限り、そう間違ってはいないはず。
自分のボキャブラリでいうと、ボルヘス、池澤夏樹、イタロ・カルヴィーノ、筒井康隆、このあたり(マルケスは積ん読状態なので知らん)。
『怪人二十面相』やら『ピーターパン』やら、もとからマジカルな舞台設定の既存作品をさらに2つも3つもカットアップ、マッシュアップして、"魔法世界の中で、さらに有りえねぇ超現実が起きる"ある意味なんでもありの“ごった煮”的な世界設定を作って、舞台の制約が許すかぎり絢爛豪華なスペクタクルに仕立てる。
で、そこに昭和風俗をまぜ込んで(たとえば突然、山口百恵のワンフレーズが出てきたり、吉本新喜劇的なシークエンスが乱入してきたり)、さらに'60年代新宿のアングラシーンの楽屋オチ、「唐十郎と李麗仙が~」みたいなネタをチクリ、チクリと混ぜ込めば月蝕歌劇団になる。
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あと、これはどうかな……はずれてるかもしれないけど。
60年安保、70年安保的な新左翼の臭いと、その文化の“祭りの終わり”みたいな寂寥感が通底しているような気がする。
自分が当時のアングラシーンの空気と政治的な空気を混同しているだけかもしれないけど。
でも、“岸信介”とか、“ロシア革命”とか、そういうワードはちらほら出てくる。
2演目とも、終盤クライマックスにマシンガンの乱射をきっかけに急速に話が収束するところも、かならず流血をみるところも、まあ、ほら、いろいろと。
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ともかく自分にとっての月蝕歌劇団はそんな感じ。
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あと、演目の間に『詩劇ライブ』というのがあって、基本は歌唱ショー。短い芝居と群舞。
キャストの紹介も兼ねている、のかな?
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良かったかって? うん、良かった。
ただね。
大正末期(1910年代)の冒険小説、明智小五郎シリーズが戦後(1945年~)に伝奇ロマン化したものをアングラ時代(1960年代)の空気感で舞台化しようとして、当時の若手(高取英、1985年)が古豪となって2017年に上演した作品世界に、どの時代の気分で接すればいいのか、混乱するところはあった。
寺山修司とかが登場する楽屋オチに、どの時代の気分で笑えばいいのやら。
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良かったところは……、
舞台は超現実的なんだけどプロット自体は、なんというか、それぞれの人物群が自分たちの課題の解決を目指して動くような、破綻も不条理も無いオーソドックスな作り。
ときどき舞台袖で狐舞が始まったりとか、解釈に困るような隠喩的な演出が入るほかには、ストーリーを楽しむのに支障はない。
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くわえて、これは自分が舞台観劇の初心者だからだろうけど、衣装と舞台と演技と、つまり色々と作りこんだ箱庭を見ているような感覚。
これが新鮮。
そりゃ、どんな超現実もCGでリアルに作ってしまうハリウッド映画はすごいけど、いっぽうで、いろいろと“作りもの感”のある世界を、19世紀の見世物小屋のパノラマのぞき窓みたいに見ている感覚が良い。
(どうしても想像できない人は、映画でいうと
あたりを思い浮かべてください)
同じビジュアルスペクタクルでも、モデリングとレンダリングが古びてしまったら一気に観る価値がなくなってしまうVFXではなくて、どんなに古びても観ていたくなる、吊り操演とミニチュアと火薬の特撮みたいな。
.
で、そこに少女歌劇団(厳密には若手女性主体の歌劇団)の、なんというか、キャッキャウフフ感がのっかってくる。
実際、終演後にはチェキの時間があったりと、アイドル公演的な。
(昨年だか一昨年だかに『アリスインデッドリースクール』を観たときにはチェキと握手会があったけど、そういうのって少女演劇のスタンダードなのか?)
というわけで、全体として
.
1)呪術的なストーリーテリング
2)箱庭的な幻想感
3)若い娘さんたちが頑張ってる感
.
が、それぞれX軸、Y軸、Z軸に広がって立体的にホンワカした気分になってくる。
これで役満。いい気分。
.
.
■岬花音菜
歌、ダンス、芝居、3枚そろって超人。
もともと彼女がアンテナに引っかかったから舞台を観に行ったわけで。
行く前は「ひょっとしたら芝居が弱いかなー」と思ってたけど、そんなことはなかった。
純朴ショタ(少年探偵団の小林少年)からガラッパチ女子高生まで演じ分けていた。
いま確認したら、全体の振り付けもやってる。スゲェよこの人。
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■白永歩美
上に書いた岬花音菜嬢がトップか一枚看板かと思ったら、すごい人がいた。
白永歩美。
OG客演なのか、現役トップなのか、よくわからん。(そもそも一般的な意味でのトップと、月蝕歌劇団の“ヒロイン”とか“トップ”の意味が違うのかもわからんが)
動いて良し、喋って良し、歌って良し。加えて舞台向きの強力な眼と唇、長い手足その他ビジュアル。
ピーターパンになって最後は飛ぶ(榊原郁恵ばりとは行かないけど)。
普段は何やってる人だ? 専属か?
.
■白川沙夜
コメディ、アクション、ストーリーテリング、怪盗紅あざみのパートはほとんど彼女一人で回していた。
アンサンブルも彼女が周囲をブン回している感じ。(いや、周りが抑制しているのか? そこまでの鑑賞眼は俺にはない)
イヤそりゃ紅あさみ役なんだから当然といえば当然なんだけど、そういう長時間の高負荷に耐えられるキャストなんだから、信頼性の高い人なんだろう。
.
■新大久保鷹
で、この人。
発声から演技まで、一人レベルが違った。
いや、レベルというのとは違うな。
キャラクターの性格と感情と現在の意図がわかりやすい、演劇らしい演劇をしていた。
キャリアの違いか。
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■河合瑞恵
この人というか、この人を見て思ったことを書く。
河合瑞恵さん、男役として帝国軍人とラスプーチンを好演。なんだけど、それとは別に幕間のライブで『夢は夜ひらく』(藤圭子)を歌っていて、これが実に良かった。
そこで気が付いた。
いや、大人の女性のキャラクターは出てくるのよ。でも、『二十面相』の誘拐少女の母親にしても、『ピーターパン』のアレクサンドラ皇后にしても、設定上の年齢よりは10歳か20歳は若いキャストが演じてる。黒蜥蜴も紅アザミも、おそらく。
少女とショタと男役とサポートの男優だけで構成されていて、大人の女性の存在がすっぽり抜け落ちてる、この劇団。
いつもそうなのか? そういうコンセプトなんだろうな。暗黒タカラヅカだし。
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■嘴音杏
上手い、凄い、空気も変わる。専業で本業なんだから当然か。
ただ、ほかのキャストが黒を基調にした演出で、おそらく劇団のストック音源をバックにJ・A・シーザーの幻想世界や女心とかを切々と歌ってるところに、パーソナルカラーの赤コルセットと赤ドレスで生バンドの高音質2MIXをバックにブルースをゴリゴリ歌って月蝕歌劇団を3分間だけ痴人倶楽部にしてしまった感じがする。
良いか悪いかは別として。
芝居は。んー、良しあしが言えるようなキャラクターじゃなかった。
政治的に正しくない、だけど、ある意味では由緒正しい戯画化された“インディアン”だったので。
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明智小五郎+α役。オフの顔を見たら、アラかわいいお嬢さん。ベテラン主体の劇団だったら、小林少年をやっててもおかしくない。
客演らしい。
「美丈夫ですか? やりますよー」といってこなせる彼女みたいな人が、実は隠れた高能力者なのかもしれない。
だってあれよ? 明智小五郎と黒蜥蜴といったら、つまり天地茂と丸山明宏よ? そういうダークで苦みのあるキャラを演じて象徴的にせよベッドシーンまでこなす。役者ってすごい。
そういえば高畑亜美さん。一緒に観劇した元同僚が「あの黒ボンデージの人は役者魂を感じる」と言っていた。
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■北條華生
緊縛師をエキストラで連れてきたのかと思ったら、そのままシレっと芝居を初めて、V・フランケンシュタイン博士を演じきってしまった。しかもうまい。
調べたら緊縛師ではなくて緊縛もこなす役者さんだった。みんな多芸なのね。
吊るしのとき、役者の影で見えなかったけど、1/2なり1/3なりのプルアップ・システム(滑車みたいに距離2倍、荷重1/2にするロープワーク)をやってるはずで、一瞬、芝居が停滞したように見えたけど、あれでも相当手際が良かったんだなと後から思った。
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■はるのうらこ
北條さんのロープワークもさることながら、吊るしというのは吊るされる方にも技量がいるわけで、ハーネスをガッチリつかんだまま気絶するという難しいことをやっていた。
男役。
悩める青年将校をきっちり演じきっていたけれど、華奢なのはいかんともしがたい。女性役であらためて見てみたいと思った。
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■中村ナツ子
な!に!も!の!だ!? こ!の!ひ!と!
Web/エディトリアルデザイナー、ライター、イラストレーター、Photoshopper。
チャラっと調べてみたけれど、原稿(というか体当たりルポ)もロゴデザインも依頼主のテイストに合わせて手堅くこなす。
役者で声優。前説もこなす。となりの知乃さんにも目配りしながら観客席と当意即妙のやり取り。
舞台にも立つ。しかも端役じゃなくてしっかりスポットのあたる役どころ。
これでJavescriptとSQLが書けたらホンマモンの超人や。
こういう人が一番まぶしい、そして怖い。
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足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。いやそうなんだけど、せめて南部十四年式拳銃は用意してほしかった。ポスターにもあるんだし。
ネバーランドの崩落シーン。大道具の意地と苦労がしのばれる。というか、そのための柱だったのね。
周囲の柱といい、中央の小部屋といい、随所に設けられたピットといい、演目に合わせて必要十分な空間の設計がなされていることに、いまさら感心する。
意地と苦労といえば、ピーターパンの飛行シーンも、無くても成立するだけに、「これをいれねば!」とウィンチを仕込んだ意地と心意気がうかがえるよなぁ。
ところで、いま調べたら、中央の小部屋は常設みたい。
なるほど、上手と下手のほかに中手があると、バーン! と登場するシーンとかに便利だよね。
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『絶対運命黙示録』『私の中の古生代』(←だったっけ?)しか知らなかったんだけど、「ほかにどんな曲があるんだろ」と思ってたところ、つまりはこれこそがシーザー節だった。
主旋律の音域を広く取ってロングトーン多用おまけに変拍子の幻惑的なスタイル。
これがそのまま歌手泣かせの難易度となって跳ね返ってくるわけで。ノリで合わせていたら絶対にロストする、ブレスで死ぬ、超絶覚えゲーみたいな世界。
こりゃ役者さんが大変だろうと思った。
あと音でいえば、既成の歌謡曲のダビングもの、J・A・シーザー氏の打ち込み音源、ボーカル無しで舞台で歌うもの、ボーカルありの既成曲で舞台でも歌うもの、マイクあり、マイク無し、古いローファイ音源と新しいハイファイ音源、とバラバラのチグハグだったのが気になった。
歴史の長い劇団だから地層のように多種多様な音源が混ざってるんだろうと想像するけど、どこかで専門家がDAWで新録して整理しないと、大変なことになると思う。
あとマシンガン銃声のポン出し、キャストにトリガーを渡せるような仕組みはないものか?
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……んー、こんなところか。
機会があったら、一度は観てみても良いと思います。そこでハマるかハマらないかは、あなた次第。
自分? チャンスがあったら、もう何回か行こうと思ってる。