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はてなキーワード: 宝塚とは

2018-03-18

[]2018年3月17日土曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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頻出名詞

人(240), 自分(167), 女(107), 増田(104), 話(94), 今(86), ー(82), 好き(82), 時間(78), 男(72), 仕事(69), 人間(69), 前(59), 問題(59), こんな(54), 女性(53), 必要(50), 同じ(50), 気持ち(50), 感じ(50), 最近(49), 日本(48), 関係(47), 安倍(46), 子供(45), あと(44), 相手(43), https(43), 普通(42), 意味(40), 無理(37), 頭(37), 気(37), 社会(37), 他(36), 結婚(35), 目(35), 漫画(35), 全部(35), 会社(34), 世界(34), 金(32), ネット(32), 場合(32), 最初(31), 存在(30), 言葉(30), いいん(30), 今日(29), 学校(29), 人生(29), 理由(28), 理解(28), 可能(28), com(28), 子(28), 心(28), 記事(26), お金(26), 昔(26), 家(26), 生活(26), 顔(26), 結果(26), 時代(25), 発言(25), 総理(25), 性(25), 情報(25), 男性(25), 絶対(25), レベル(24), 別(24), 内容(24), 奴隷(24), 個人(24), 場所(24), 説明(24), 嫌(24), http(24), 勉強(23), 企業(23), 一番(23), 先(22), 自体(22), 親(22), www(22), 趣味(22), 作品(21), ~(21), 大学(21), 判断(21), 手(21), 教育(20), 無駄(20), コメント(20), 労働(20), 自民党(20), 勝手(20), 毎日(20)

頻出固有名詞

増田(104), 日本(48), 安倍(46), 自民党(20), 森友(14), 晋(12), キモ(11), 東京(9), 財務省(9), 麻生(8), アメリカ(8), article(6), 名古屋(6), 関西(6), 佐川(6), 宝塚(5), カス(5), 自衛隊(5), 韓国(5), 昭恵(5), スマート(5), 自社(5), Web(4), 毎日新聞(4), 大阪(4), 前川(4), モン(4), 朝鮮(4), 中国(4), マスダ(4), 国税庁(4), 産経新聞(4), AF(4), gt(4), 毎日(4), 直人(3), どん(3), ユニ(3), 横田(3), 近畿財務局(3), 東大(3), 九州(3), 喜平(3), 鈴木(3), 千葉(3), no(3), blog(3), 法務省(3), 鳩山(3), dp(3)

2018-03-17

anond:20180317124529

いや宝塚が嫌いとかではなくて

宝塚ガチ勢は美意識が独特なんだよね

金遣いも荒いし、信者っぽい人が怖い

カジュアルヅカファンには思うところは何もない

anond:20180316000039

な~にが「私の愛する愚かで狂った世界を、外部の正しさで変えられたくない」じゃボケ!!

それ甲子園相撲にも言えんのか? 言ってんのか?

何も知らん年端も行かない子供を集めて、狭い場所に押し込めて、そこでしか通じない価値観を植えつけて、

そんでその価値観適応しないやつをいじめて潰すか追い出して、それで得るものはご年配(笑)の好事家どもの満足だけ

お前の好きな宝塚って甲子園相撲となにが違うんだよ

「私の愛する愚かで狂った世界」ね(笑

そんな偉そうなことはそれが好きな大人だけでその世界構成してから言ってくれよ(笑

お前らは自分趣味のためにガキから青春搾取して満足してるクズ

自覚しろボケ

2018-03-16

anond:20180316000039

「○○さんは宝塚卒業したら、家庭に入って幸せになって欲しいわ」こういうことを言うファンがいる。こういうのを聞くたび、暗い気持ちになった。結婚幸せという価値観うんざりするのか、それとも、私たちファンタジーのためにそういった人生選択肢を諦めているのではないかという恐怖なのか。

そもそもそういった価値観を嫌という程体現している世界観舞台でもシステムでも提供しているのが宝塚

数々のストーリー男役が主役で娘役はなれない、強い女や主役が女の場合はあえて男役が演じる

組のトップ男役しかなれない、女役だけ「娘役表記等々・・・

ファンの時点でそういった世界観を受容できているのだから、女だけの世界一見ポリコレ風でも

伝統的な女の幸せ価値観に基づいてファンがいろいろ言うの当たり前では。

それでもあのキラキラした世界が好きなんでしょ

女向けってだけでポリコレ的誹りを免れると思ってる無邪気さが怖い

当方、女。とあるオタク趣味にかれこれ10年近くつかっている。根強い人気を誇り、それなりに経済規模がある界隈ではあるが、一般的趣味とは言い難い。人によっては気持ち悪がられることもある。奇異な世界から。なので私も「○○が好きなんです~♡」とはカムアウトしていない。

その界隈は基本的に女で構成されている。クリエイターも女、受け手も女。女の女による女のための界隈。男性で興味がある人は1%いるかどうか。

界隈は、知的な人が集まりやすいのか何なのか(単なる私のフォローの傾向かもしれない)、ポリコレ意識がやたら高い人が多い。はてなーを煮詰めたような人たち。フェミ系。

私の尊敬するオタ仲間のKさん。いつも感想文にはお世話になってます。私のちんけな視点解釈では至らない、世界の深みに連れて行ってくれる方。

しかし、そのKさんポリコレツイート最近げんなりしてきた。男の性欲がなんちゃらかんちゃらの表現は~って…。

その理屈ってさぁ、私たちにも当てはまりませんか?私たち表現だって女の性欲に直結したものじゃん…。性欲っていうと大げさな感じするけど、萌えとかトキメキってそういうことだよね。

女性を抑圧する?いやぁ、私らの表現でもバリバリやってますやん。それどころか男性に対しても抑圧やってますよね。

ポリコレを盾に、ある種のフェチズムを矯正しようとしたり、人目のつかない場所においやって経済合理性のもとに消滅させようとする姿勢は恐怖だ。

私は嫌だ。私の愛する愚かで狂った世界を、外部の正しさで変えられたくない。生きがいなんだ。世間から石を投げられたとしても無理だ。今更、足を洗うなんてできない。

はいいかもしれない。女向けは活動家ターゲットにはなりにくいだろう。でも風向きなんていつでも変わる。次は私たちかもしれないんだよ。怖くないのかあなたは。

追記:何かおっさん疑惑をかけられたり、名誉男性扱いされてるのが不愉快なので、ぼかしたけどこの際、全部ぶちまけます。私の好きなもの宝塚です。トラバで当てた人、お見事。

クリエイターが女って書いちゃったかBL言及が多いけど(宝塚パフォーマーと言った方が正しいがフェイク入れました)、私はBLは嗜んでいません。ただBL槍玉にあがった次はうちだろうな、ぐらいにはシンパシーを感じている。宝塚BLの相性はいいので。

こっからは、雑な自分語りなっちゃうんだけど、宝塚ファン代表してとかではなく、一個人葛藤だと思って読んで欲しい。

私は、一時期愛する宝塚から離れたことがある。というのも自分宝塚の生徒を搾取してるのではないかと苦しくなったからだ。

10代、20代、30代の期間を、ファンのぶつける男役というファンタジーを生きてくれる。

「○○さんは宝塚卒業したら、家庭に入って幸せになって欲しいわ」こういうことを言うファンがいる。こういうのを聞くたび、暗い気持ちになった。結婚幸せという価値観うんざりするのか、それとも、私たちファンタジーのためにそういった人生選択肢を諦めているのではないかという恐怖なのか。

そういう感情がないまぜになって離れた。でも結局戻ってきた。私はやっぱりこの世界が好きだ。

2018-03-11

anond:20180301125408

誤解しているようだが

2.5次元というのはベース俳優オタ向けのコンテンツだろ?

宝塚と一緒

若い俳優フレッシュさとキャラオーバーラップさせて楽しんでる

キャラ萌え要素もあるにはあるんだろうが根本俳優を眺める為に行くところなんじゃないか自分は思う

増田原作にのめり込んでる人ならそりゃまあ2.5次元嫌悪感を抱いてもおかしくはないか

2018-03-05

anond:20180305111639

だいたい同意。ただ女性専用車両で争う、というのはうまくなくて、どちらかというと「女性への依存を減らす事」で女性価値を減らしている、の方が効果的だと思う。

変な話なんだけど、10年前は婚活なんて無かった。

今は、そんなにリアル女性コスト裂かなくてなんとなく和むことができつつある。

今の女性バーチャル比較される存在になりつつあるんだよ(女性観点でも宝塚とかBLある)

2018-02-16

テレ朝昼ドラ越路吹雪物語』が面白いからみんな見て!

みんなが求める昭和大河

宝塚がメイン舞台女の子同士のキャハハウフフ

主演も朝ドラやってた瀧本美織から安定の演技

この手の女の子同士のドラマってはてなでもあまちゃんとかひよっことか中心に朝ドラはよく話題になるが今回は余り目立たないテレ朝昼ドラから見てる人が少なすぎる。

もう中盤だけど絶対おもしろいから見てみて!

テレ朝サイト過去放送も有料だけど全話配信されてるから!(最新話は無料配信だよ!)

 

ドラマ劇場越路吹雪物語』|テレビ朝日

http://www.tv-asahi.co.jp/koshiji/

2018-02-12

anond:20180211170822

ダウト

パリ女子パリジェンヌ(parisienne)

宝塚女子タカラジェンヌ(takarasienne)

はてな女子はハテニェンヌ(hatenienne)

のはず

語頭のhを無音のhと解する場合

「アテニェンヌ」も可

2018-02-09

結婚しても苗字を変えたくない

今年の冬に結婚することになっている

夫となる人は自分にはもったいないくらいの素晴らしい人で、結婚できることをとても嬉しく思っているし、今からすごく楽しみにしている

けれど自分苗字を変えなければいけないというその一点だけがとてつもなく嫌で嫌で仕方がない

幼い頃から下の名前とセットで「綺麗な名前」「かわいい名前」「宝塚みたい」と褒めてもらうことが多かったのも原因のひとつかもしれない

自分苗字にそこまでこだわりがなかったらこんなに嫌だとも思わないんだろうか

あとはなんかやっぱり、変える方が「下」みたいな感覚がある

そう思ってるってことは自分にそういう差別意識があるってことなのかもだけど

彼氏と一度結婚後の苗字について話したことがあるけど、やはりと言うべきか、「申し訳ないけど(私に)変えてもらうことになると思う」と言われた

その言い方になんかすごくモヤった

申し訳ない」と思っていることを「そうしてもらうことになる」の一言で片付けるのかよと釈然としなかった

かと言って私は彼氏に私の苗字に改姓して欲しいわけではないのだ

苗字を変えるという面倒さや、アイデンティティーにメスを入れるようなこと(と私には思えてしまう)を、相手押し付けたくはない

今の会社は面倒な手続き抜きで結婚後も旧姓が使える

各種機関への変更手続きも、まあそもそも引っ越しで住所が変わるんだしどのみちやらなきゃいけないことだと思うし

ハード面では、別段そんなに変わることはないのかもしれない

でもソフト面というか、自分の心との折り合いという意味ではちゃんと納得できるかわからない

このままだと日常生活の中で新姓で呼ばれたり書いたりする度にモヤモヤしそうだ

たぶん結婚前は私のように思ってて仕方なく改姓したという女性結構いると思うんだけど、そういう方も毎日過ごしてく中でいつか吹っ切れるもんなんですかね

どっかの会社社長さんか選択夫婦別姓選べるようにって裁判起こしてたけど、ほんと全力で応援したい

今ある選択肢にもうひとつ選択肢を加えるってただそれだけなのに、どうしてそこまで反論する人がいるのか理解に苦しむ

別にこっちは夫婦同姓に文句つけてるわけでもないのに

彼氏選択夫婦別姓には賛成らしいので、もし認められたら真っ先に手続きに行きたい

でもたぶん自分みたいのは子供が生まれたらどっちの苗字にするかでもめそうな気がするんだけど

2018-02-05

タカラヅカ世界に入った私がしたのは、いわゆる「会」に入ることだった。劇団非公認のジェンヌさん個人FC。噂の「会」というものがどういうものであるのか、潜入してみよう。そんな興味本位そもそもの始まりだった。

しかし前提が茶の間なのでそんなに現場に出ることは出来ない。一公演にほんの数回の観劇が精いっぱいの私にとって、「会活動」とはどんなものであったのか。未知のものとの遭遇はとてもスリリングでエキサイティングだった。好きな人の前に立って、私はあなたファンです、と合法的に言えるということにとっても興奮した。初めて勇気を出したのはある日の公演終わりの楽屋出待ちだった。急遽お稽古待ちスタイルに変更になって、私はバス時間ぎりぎりまで待機することにした。会からのお知らせでスタンバイ場所は聞いてはいものの、他の会との兼ね合いがさっぱりわからず、スタッフさんに電話で泣きついて待ち合わせてもらった。当然一番乗りだったのであれよあれよという間にお隣歩きというものをすることなった。今思い返してみてもあれは怖いもの知らずならではの蛮勇だった。今の私は機会に恵まれてもお隣を歩くことを固辞してほかの方に歩いてもらうことにしてる。あんなに恐ろしいこと、二度とする気になれない。あの時のお隣歩きは、今も大事な思い出になってる。遠くからたことをアピールする私に私の好きな人はやさしく笑って、遠くからありがとうございますと言ってくれた。幸せだった。それだけでいい。それ以上なんていらない。そう思ってその思い出を大事に抱えて一生を生きて行こう。そう思った。

無事に初めてのお稽古待ちとお隣歩きを済ませた私は、少しずつヅカオタとしてステップアップしていくことになる。

公演の入り待ち出待ち、会総見に、親睦会。現場に出られないながらも少しずつ経験を積んでいった。そしてチケットを買えないからこそ、現金を振り込んだ。タカラヅカには好きな人に直接現金を送ることができるのだ。応援するなら金をくれ。身も蓋もないシステムだけど、そこには真理しかない。現場に出られないならお金を送ればいいじゃない。ささやかな額ではあったけど、毎月決まった口座に振り込むということは「贔屓」という言葉を実感させてくれる行為だった。私の贔屓。そういうプレイを楽しんでいた。

そして大人会の入会案内が届いた。参加条件がどういうものなのかは分からなかったけれど、私に送られてくるくらいだから単に年齢のせいなのかなって思った。ただ、現場に出ることのできない私にとってお食事会というイベントはとても魅力的だけども参加が難しく、会費だけを払うことも考えたけど、それはあまりにも不相応、私の身の丈には合わないと、散々悩んで入会は見送った。大人会がどういうものであるのかを覗き見ることができるかもしれないというのはとても魅力的だったのだけれど・・・!そしてこのことが後々尾を引くことになる。

いろいろあったけど、ピークはディナーショーだった気がする。宝塚ホテルの公演はキャパが小さくて、チケット難が予めアナウンスされていた。限られたパイを分け合う時、タカラヅカではどれだけお金を出したかで分け前が決まる。そういう世界だ。知ってる。多くを出したものが欲しいものを得る権利を持つ。自明の理だ。単純なシステム。当時の私は持てるものをすべて出した。やるだけのことはした。なんとかパイの欠片は与えてもらえた。ホッとした。

そして迎える退団公演。最後からといつもは現場に出られない私も私なりにチケットを申し込んだ。初日も。千秋楽も。大劇場最後に大階段から降りてくる姿が見たい。そう思った。最後からと今まで頑なに行かなかったお茶会にも申し込んだ。他の会の方から連れて行ってほしいという申し出を受けたりもした。嬉しかった。彼女ファンということで私のことを思い出してくれる人がいるという事実が嬉しかった。実は私も初めての参加なのだとは言えなかったけれど。千秋楽には白装束と言われる全身白コーデのファッションで入り出もして、そしてフェアウェルパーティに行くんだと意気込んでた。まず最初の躓きは、フェアウェルパーティ足切りだった。FC会員なら全員参加できるものだと呑気に思い込んでいた私は冷や水を浴びせられて言葉を失った。ショックだった。条件は、大人会に入ってること、もしくは去年一年間で入出の回数が規定数を満たしていること。お金を出している人もしくは現場に出ることの出来る人、それが条件。ああ、大人会・・・!現場に出られない私にとって大人会が救済措置だったのに、私はそれを自分の手で握りつぶしていた。ショックだった。フェアウェルがどういうものなのかは噂でしか知らないけど、ファンとして最後のお別れができる場なのだととらえていた。ご本人よりもファン同士で別れを悼むという意味合いもあるのかなと思っていたので、孤高の茶の間おひとりさまの私にはハードルが高いなぁって若干尻込みはしていたんだけど、それでも最後からとぎゅっと握り拳を固めていたところだったのに。

過分なことを望んでいたんだなぁってようやく自分立場自覚した。私はお金時間も費やしていないただの茶の間なんだから現場に出ないでも楽しむことができると嘯いてたタカラヅカ世界において、一番の底辺だということを思い知らされた。卒業最後に立ち会えない、そういう人間なんだって。分かってたつもりが全然分かってなかったんだと。ファンというざっくりとした括りの中に私は含まれていないんだなって全力で拗ねた。応援してくださってありがとうファンの皆様の力が支えとなっています、そんな定型文を耳にするたび、自分に対する言葉じゃないんだって心が荒んだ。私は私の好きな人世界存在していなかった。ただ遠くから眺めるだけの人間だった。いや、それが茶の間の正しい姿だし、清く正しい茶の間であることが私の誇りだったはずだ。少しのぞき見をしてしまったばっかりに、自分が内側にいるかのような錯覚をしてしまった。大いなる錯誤。なんたる勘違い。私は大好きだけど、でも彼女の設定してる「ファン」の中に私はいない。まずはそこに立ち戻ることにしよう。

そして千秋楽チケット難のお知らせ。ここでも、今までの貢献によってチケットを配分しますとアナウンスがあった。またか。もうたくさんだ。うんざりだった。

私の中で何かが失われた瞬間だった。

もう千秋楽なんて行かなくてもいいや。白服も買わなくていいや。そうだ、だって、私、ファンじゃないんだもん。

大の字になって真っ白な天井を見ながらやけくそなことを思ったらちょっと落ち着けた。自分の出来ることをできる範囲でやるだけ。現場に出なくても楽しいことはたくさんある。それが茶の間の正しい姿。それなのに、ちょっと現場に出ると欲が出てしまった。私も何かになれるんじゃないかと思ってしまった。とんだ思い上がり。茶の間大人しく茶の間に戻るだけです。楽しかった。最後にはままならないことに泣くことになったけど、それも含めていい想い出になるんだと思う。さよなら、大好きな人。ずっと大好きな人。どうか幸せに。

2018-02-02

サブカル女の憂鬱日記

当方サブカル女です!!!!!スキルビレバンバンドスタバです!!!

先月終わり頃、友人とサンキューマートに行きました。私はサンキューマートに来たことがなかったのでとても楽しみでした。「このポーチもここで買ったんよ〜」と楽しげに教えてくれる友人は、足早に店の奥へ進んでいきます入り口付近の派手なサングラスの試着もほどほどに、二人で奥の方まで入りました。

「みてー!」友人の高い声が響きます。「これこれー!」彼女の手にあったのはDr.スランプアラレちゃんポーチでした。そんなに好きだったっけ?と私が聞くと、彼女は「ううん〜色づかいかわいいから」と私に手渡してくれました(実物はサンキューマートでググってみてください)。それは薄い水色とピンクの、いかにも“夢かわいい”の象徴でした。思わず私はキャラじゃないし…と言って棚に戻しました。「そっか〜残念だね」と、彼女は少しだけ笑って、何も買わずに二人で店を出ました。

そのあと近くのスタバに入って、しばらく話をしました。友人は余程そのポーチお気に入りらしく、それにまつわる話をしてくれました。

「この前このポーチ学校に持っていたらさあ、Rちゃん(友人です)って夢かわいい系だよね?って言われて、でも私majoccoさんとか好きだからiPhoneケースも買ってるんだけど、これって夢かわいいなのかなあ?私がそうだったら増田ちゃんもそうやんね?夢かわいい同盟だ〜」





そんなわけねえだろ!!!!!!!!!!!!!!




何が夢かわいい同盟だよ!!!!!!!!



サブカル女にとっては“夢かわいい”が一番同類になりたくねえタイプだよ!!!!!!!!!







サブカル女人生は戦いなのである。「少数派でイキリたい」「オサレポエムブリーチ二番煎じ)」「ブラックコーヒー飲めちゃうアタシ」「マイナーバンドオタク」などと心無い言葉の数々を否定できず生きる日々。ならば宝塚女子のようにかっこよく生きられるのかと言われればそうでもなく、インスタ映えもしない顔面で、メンヘラほど生き辛くもなく、またキラキラ女子になれるほど明るくもなく……。

そこはかとなくオタクで、なんとなく周りと好みが違ってて、でもはみ出せるほどの勇気もなければ、程よくみんなと同じがいい。

自分をどこにもカテゴリ分けできない苦しさ。というより、自分わがままさなのか。いっそ夢かわいいになれたらどんなに幸せなことか!!!!私だってピンクの似合う女に生まれたかったよ!!!!!!

実際友人には彼氏がいる。こういうのをみてると、やっぱり男も、サブカルより夢かわいい女の子が好きなんだろうなあ、と思う。それが多少メンヘラ入ってても、可愛かったらいいんだろう。ちょっと儚げで、守ってあげたくて、“愛され”るような女の子。結局そういうことなんだよな。宝塚系は宝塚系で、自信があってキラキラしてるから、そういうところに惹かれる人はきっとたくさんいる。何の取り柄もないサブカル女今日スタバ通いやめられそうにない。

宝塚ポーの一族演出がクソ嫌い

原作ファンだけど評判良いしとても楽しみにして見に行った。

結果はタイトル通り。何を見せられたのか分からなくてしばらく呆然としてしまった。青春時代に愛したポーの一族とはあまりに違った物語だった。

村の民衆市場ホテルの客、生徒達が楽しく歌うシーンの多さが果たしてポーの一族必要だっただろうか。少しはあってもいいだろうが長い2幕の劇においてあの明るさは過剰すぎた。またホテル降霊術のシーン、あれがどんな意図を持って挿入されたのか分からない。訳の分からないオカルトによって現れるキングポーによって前半の厳かな一族描写台無しにされてしまったし、物語空気が軽くなってしまった気さえする。しかも長いし典型的オカルトキャラたちが邪魔すぎ。なんでそんなギャグキャラ出してきたんだ?

高速メリーベル回想パートもあまりにヤバすぎた。わざわざオズワルド一家を出して高速退場させる必要あった?なんかあまり馬鹿っぽいし初見の人がついていきづらい内容だろう。サービスのつもりならやめてほしいし、軽い説明にとどめて欲しかった。

物語説明役の4人もいる意味がわからない。無理やり時系列にするための配役なのだろうが、正直喋りが上手くなくて混乱を呼ぶだろあんなの。キャストでなくて脚本のせいだ。

また、メインキャラクターの登場するシーンを大幅に捏造するのは大変にしんどかった。エドガーが妹の前で恩着せがましく誓うシーン、その後も執拗に「妹のため」と繰り返す台詞を吐く。またバンパネラになった後でさえ、苦悩を元気よく叫びヒステリックに走り出すエドガー。私の知らないキャラクターエドガーの姿で歌い踊っていた。館で覗き見をした直後のシーン、エドガー自分が殺されることではなく、メリーベルバンパネラにされてしまうのだけが怖かったんだということがあの台詞回しでは全く伝わらない。何を思ってあの脚本になったんだろう。

またエドガーアランメリーベル創作シーン。メリーベルの「だってこの人まだ未練がある!」で完全に萎えしまった。なんなんだそれ。寂しさを抱え誰とも相互理解のまま生きるバンパネラでありながら明るさを失わないメリーベルにそんな安っぽい台詞を言わせるな。

ラストシーンアランエドガーについて行く理由付けにしたかっただけなんだろうが、そんなのアランの家庭描写で分かるしあまり安易だった。

キャストの歌やダンス、外見、表情の作り込みは素晴らしくてそれだけで見に来た価値はあったと思っているが、少し期待しすぎてしまったのだろう。ショーの部分はとても楽しめたし宝塚オリジナルの劇は好きだったので、今後は原作が好きなものは極力見に行かないようにしたい。

2018-01-30

anond:20180124190357

舞台を高尚な文化として捉えすぎじゃない?

それに、これは2.5次元舞台に限った話ではないし。宝塚レビューとか知らない?最近だとる・ひまわり舞台とか知らない?刀ミュなんかよりずっと昔から舞台はショーだよ。もしかして最近舞台ハマったばかりで「高尚な趣味にハマったアテクシ」気取りしたいだけ?

「新しさはいつも否定と拒絶を生む」2.5次元作品について思うこと

2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。

そのことについて思うところがある。

誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。

私は、ペンライトうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイル作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである

作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。

ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。

ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台ミュージカルではないとも思わない。

うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。

客席に降りてきたキャストファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトカラーはすぐに揺らいで、軽率ブロマイドを買ってしまう。

界隈にはよくいるオタクだ。

ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。

あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解共感ができてしまうのである

例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。

なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。


先ほど、この応援スタイル作品は苦手だが、舞台ミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイル出会っていたのが根源にあるのではと思う。

舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感あるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。

例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。

1部と2部で分けられた構成で、似たようなもの存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。

それから四季マンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。

カーテンコール熱狂ぶりは、一度体感して欲しい。

2.5次元作品名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。

劇作家であるピーター・キルター作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。

これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。

ペンライトを持ってくることについて公式からアナウンスがあった)

少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。

歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。

例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。

こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。

ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルコンサートと一体化しているようなものが乱立している。

からとても目立つのだ。

2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。

おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台コンサートイベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るものなのだ

ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。

から舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出ひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。

少々暴力的言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。

要は、酢豚パイナップルなのである

あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。

けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっと要求までされているのものから困惑するのだろう。

どうして、と思う。

そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。

パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店パイナップル入りばかりを提供しているのだ。

こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである

私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。

2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。

パイナップル酢豚しか見つからないなら仕方ない。

回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。

けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画アニメ作品が、うちわを持って応援するスタイル舞台になってしまったら。

楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。

きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。


とにもかくにも、最近このドルステタイプ作品が多いのは紛れもない事実だ。

少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルストレートかといった分類だったように思う。

それを証拠に、ある作品舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。

最近では、うちわは有りなの?なんて言葉をよく見る。

新たなジャンルが生まれているのだなあ、と感じる一端だ。

この新たなジャンルは、確かに舞台作品範疇ではあるが、独特な応援スタイル存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。

2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。

テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?

はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。

そんな始まりだったが、千秋楽の頃には満員御礼

けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。

決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることな3rdシーズン

その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。

今この時代チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。

そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。


先日放送されていた情熱大陸松田さんが仰っていた。

映画などとは違い、舞台初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。

当たり前だが、その通りだ。

先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。

実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。

私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。

公演前の宣伝番組で、内容が示唆されていたのかもしれない。

だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。

出演者ではなく作品ファンというなら尚更だ。

少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。

そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。

苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラキャスト応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。

知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元アイドル応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作プロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイル舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま

舞台を観たことがない人を、いか劇場に来させるか。そんなことを、制作から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。

きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである

からそろそろ、この新しいスタイル演劇名前つけませんか。

そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。

これを当たり前にするために。

オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式市民権を得たミュージカルのように、いつかこスタイル演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。

2.5次元も嗜むしがない舞台ファンからの、ただひとつの願いである。

anond:20180124190357

きっとこの文章を書いた方は、古き良き商業演劇スタイルというのをご存じないのでしょう。大御所俳優さんや大物演歌歌手の主役公演だったり、それこそ宝塚だったり…こういった日本商業演劇というものは昔から【一部お芝居・二部ショータイム】という形が定番です。

このスタイル若手俳優舞台に取り入れて成功させたパイオニア的な作品が、制作会社“る・ひまわり”さんの祭シリーズだと思います。そこでペンライトうちわの持ち込みを許可し、一部でお芝居をしていた面々と二部のショータイムPVなんかも作ったりして一緒に楽しむということが、若いお客さんにはある意味アイドルコンサートみたいで斬新で、でも昔から商業演劇スタイルで…だから成功したんだと思います。ここからは私の憶測ですが、るひまさんが成功しているのを見て、2.5次元ミュージカルでもそのスタイルを「取り入れた」だけなんじゃないかな?と。古いのに新しい。

話は逸れますが、宝塚を見に行って、一部のミュージカル(それこそ今ではアニメ原作のものを上演したりしていますが)だけ見て、二部のレビューはいらないって言う人はあまりいないように思いますし。二部まで見て、一つの舞台が完成しているように感じます。このスタイルを採る2.5に於いてはどうかわかりませんが、両方合わせて一つの舞台…そうであってほしいです。

恐らく、この方はこういった商業演劇スタイルが苦手なだけでしょう。だから最近の2.5が狂ったわけではありませんよ。何せ、冒頭で述べましたとおり、古き良き商業演劇スタイルなのですから

《追記》

もう少し考えてみた。先述の件は、ショータイムだと“キャラクター”ではなくなるが、2.5の場合だとそのままキャラクターとしてショーに出演し、声援を送ることになる。だから、もしかたらこの方はそこに一番違和感を覚えるのかもしれない。

2018-01-27

山中捏造報道朝日新聞謝罪

宝塚山中伊藤律氏」 無精ヒゲ、鋭い眼光 ”潜入の目的は言えぬ”


1950年9月朝日新聞は、レッドパージ逮捕状が出て潜伏中だった共産党幹部伊藤律

山中単独インタビューしたとのスクープ記事を載せた。

これが記者の完全なでっちあげ作文で、山中で会っていたとの時刻に記者は宿におり、

伊藤自身山中ではなく東京に居て、迫真新聞記事を読んで吹き出したという。

3日後、朝日新聞謝罪訂正の社告を出し、縮刷版から記事が削除されている。


Sanchu for reading.

2018-01-26

積み重ねていない人生に負い目を感じる

もう何年かタカラヅカオタクをしている。

ご贔屓(他ジャンルで言うところの推し)の私設ファンクラブに入り、入り待ちに行き、公演を観て、出待ちに行く。

お疲れ様です、と言いながら、並んでお手紙を渡す。

もはや一つの公演を10回以上観るのが当たり前になっている。

でも、特定の贔屓を持つヅカオタは、だいたい同じくらい観ていると思う。

宝塚はいい。

夢だ。煌びやかなイルミネーションや、ディズニーパレードを見ている時と同じ気持ちだと思ってほしい。現実を忘れて、ただうっとりする時間

なのに終演後、幸せ気持ちで1人帰路につくとき無性に虚しくなる瞬間がある。

彼女たちは美しい。

美しいだけでめちゃめちゃ偉いのに、加えて努力している。

これは応援する側のスタンスの話でもあるが、宝塚というのはアイドル的要素もあって、舞台自体完璧じゃないことも多い。

入団1、2年目のド新人が抜擢されて、大きな役を演じることも多々ある。なんだこいつは!?ズッコケることもある。

それも含めて宝塚。我々は完璧舞台を求めているわけではなく、成長していく彼女たちを観に行っている。私たち応援して支えるんだ!というファン心理を上手くついたビジネスである。実際、入り出待ちに数人しかいないような日は、私が支えているんだという気持ちになってくる。

ただ、ときどき、私には彼女達が眩しすぎる。

夢を追って、もしくは夢を叶えてキラキラしている。常に上を目指して努力している。大勢のお客に作り上げたもの披露し、大きな拍手を貰っている。

勿論、表に見せない様々な悩みや困難はあるだろう。でもその困難に向かって頑張っていること自体が、私にはひどく眩しい。彼女はいろんな経験をして、ひとつひとつ積み上げて、成長していく。

私には何もない。

私のような虫けらがフェアリーと肩を並べようなどと考えたことはないが、ときどき無性にそう思う。

結婚もしていなければ恋人もいない。

毎日会社に行き、趣味に費やす為のお金を稼ぐ。それだけ。

宝塚が私にくれるのはひとときの夢であって、私の人生ではない。

普通社会人なら、いや仕事を頑張れよと思うだろう。

でもそこまでの情熱が、どうしても持てない。なぜか。1番やりたいことではないからだ。

私にもかつて夢があったが、20歳そこそこで無理だと気がついた。このまま続けても、恐らくバイト暮らしの夢追い人になる。夢を叶えるには才能が必要で、どう足掻こうと無いものは無い。それを得るだけの果てしない努力も、人生を投げ打ってまでやり切れる自信がなかった。

私は全てを諦めた。

そして就職した。

そして、今、タカラジェンヌ応援しながら生きている。

ここで宝塚とは縁もゆかりもない、むしろ一番かけ離れた漫画の話をぶっ込みたい。

最強伝説黒沢」という漫画をご存知だろうか。かの有名なギャンブル漫画カイジ」の作者、福本先生漫画である

中年の冴えない土木作業員日常を、独特の台詞回しで哀愁たっぷりに描いた名作だ。

だいぶ前に読んだきりだったが、第1話の冒頭に忘れられない台詞があったので、調べ直した。

主人公黒沢が、仲間たちとテレビサッカーW杯の中継を見ている場面。黒沢日本勝利歓喜し涙するが、一方で彼のモノローグは以下である

「感動などないっ…!

あんものに……

オレが求めているのは……

オレの鼓動… オレの歓喜 オレの咆哮

オレのオレによるオレだけの……感動だったはずだ…!

他人事じゃないか…!

どんなに大がかりでも、あれは他人事だ…!

他人祭りだ…!

いつまで続けるつもりなんだ…?こんな事を…!」

今になって、あぁこれだなぁ、と思った。

タカラジェンヌは私に人生の楽しみを与えてくれる。

でも、確かに他人祭りだ。

私の感動ではない。

証拠に、近い将来贔屓が退団した時に、私の手元には何が残るだろうか。

しかった思い出。それだけだ。貯金は恐らくゼロだ。

ところで、宝塚歌劇団に入るには、宝塚音楽学校卒業しなければならない。

入学倍率は毎年20倍以上。

そこで振るい落とされた女の子は、今何をしているんだろう?

新しい夢を見つけられただろうか。

黒沢はどうしたんだったっけ?

みんなのお弁当アジフライを詰めて、モコッとさせていたことは覚えている。

私も、私だけの感動があればいいのに。

ドチクショウ。

ヅカオタは続けるだろうが、とりあえず黒沢続きを読む

2018-01-09

anond:20180109194928

あとinumashさんのセクサロイドの話でアレ?と思ったのは

「人を模する何かが出て来た時に、その属性の人に理想像押し付けられる」みたいな側面があり、それは悪だ( 今回は女性を模するモノ )

とした場合

例えば宝塚理想男性像を描いているし、実際にそれをもって現実男性より上だという主張もある( http://takaradukas.net/boy-543 )んだけど、こういうのも非難されるべきなんじゃないの? 昔から宝塚ファン現実男性より男役の方がかっこいいって言って男性を落としてる( 別にこれはこれで嫌じゃないし割とどうでもいいんだが )

あと少女漫画内の男子描写とかさ。inumashさんの主張を正しいとした場合女性向けファンタジーも同様に男性へのプレッシャーになる。セクサロイド宝塚も異性へのファンタジーはあって良いと思うのだけれども。

anond:20180109201349

そうなんだよね。意外とみなさんダブスタがありで好きなものには甘い。

面白いなー、と思ったのは、こないだの宝塚の黒塗りの件、ブコメが「全てをポリコレ判断するのはおかしい」とか「ラテン系メイクをすると金色の衣装が映える」とか、単純に「自分の気に入らないものを叩く」ってだけなんだよね。

他には女性向け性的コンテンツもある。中年女性向けのハードな奴やBLの一部には政治的な正しさが無い。ので衝くと一旦、政治的な正しさへの議論が止まるんだよね。

あとは専業主婦も同じ構図がある。専業主婦仕事はしてるし大変だが政治的には正しくない。そして(全てでは無いが)進んで専業主婦希望する女性もいる。

男性から専業主婦叩きや上方婚叩きが強くなると、一定数、そういったフリーライダー擁護する意見女性から出始める。徐々に保守によってくんだよね。

元増田の「どうやって正義マン(あるいはウーマン)を黙らせるか」だけど「お前の正義でお前の好きなものを殺せるか」って言い続ける事かなー、とも思った。

2018-01-08

anond:20180108084050

君が誠実で聡明な事は分かる。ただエロマンガエロゲーでもファン内での評価とは異なる評価が『全くの外部から』なされた。コミュニティー内部の人間感情とは別に政治的な正しさは求められてきた。女性コンテンツにも政治的な正しさが求められるようになってきたのは男女が同じ視座に立つという意味有益だと思うよ。宝塚運用が変わっても楽しいコンテンツを作りつづければ良いんじゃないかな。

最近問題とりあえず結論メモ

童貞いじり」や「出身地いじり」はその属性を持つ人を馬鹿にしようとするメンタリティ問題

差別」は人の属性によって対応を変えようとするメンタリティ問題

ってことなんじゃなかろうか

問題視されるべきは行為者の心の有り様

よって宝塚は何の問題もない

(追記)

できるだけ無くしていくべきは人の属性馬鹿にしようとするメンタリティ

無自覚ハラスメントはまた別で、そちらに必要なのは「これ嫌なので止めて」と言われたら対話した上で改めようとする素直さ

(止めて欲しいという要請にすぐに従うよりかは対話することで妥協点を探る方が良い気がする

要請にすぐ従うことにしてしまうと文句付けたもん勝ちになってしまうので良くない)

anond:20180108143935

でもコント白人役やるのに金髪カツラダメなんでしょ?

白人役やるのに金髪に染めるのはどう?

宝塚黒人メイクは?

黒塗りメイクのもの日本人金髪に染めるのは同程度に身体的特徴をあげつらってない(または身体的特徴をあげつらっている)と言えるのではないかな?

2018-01-07

anond:20180107213043

エロゲー買わない人が、エロゲー非難するケースもあるのよね。

で、コンテンツ制作側に配慮が求められる。

今回の宝塚も同様。いままでリベラルが求めてきた『政治的な正しさ』って別にコンテンツを購入したか?』に限らず非難できてた訳で今回も同様。

今回はたまたま女性向けユーザーが多いコンテンツってだけだけど、別に対応を変える必要は無く配慮するような変化が必要って事だろう。

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