はてなキーワード: 土木工事とは
俺自分用に古墳造営しているんだけど、ちょっとアドバイス欲しくて投稿する。
農業系の自営業。経営者をしている。好きに使える金とユンボとかがあるから、生前から墓を造っている。
空閑地を買収して土木工事させている。5世紀ころの個人的に一番いいと思う時期(でかくていいのだ)の前方後円墳。
大きさはそこまで大きく出来ない。ある有名古墳をトレースして半分くらいの大きさにして造営している。
ええと、古墳名出さなくていいよね? よくオタクが作品をぼやかして語ることあるだろ。それとおんなじだ。
皇族が眠っている可能性が高いから、実名を出したくない。大きさを小さくしたのもそのためだ。
もちろん、諸研究が明らかにする通り、被葬者は在地勢力の可能性もあるし、王朝が変わっている可能性もあるのだが。
んで相談てのが葺石どうするのか? って話だ。
他の人はどうしているんだろうか。
基底石を用いるパターンかそうでないか以前の問題で(俺はそこはどちらでも構わない)、
日本中、河川を護岸工事したせいで、河原の石が変容を遂げてしまった。
北海道とか行けばあるんだろうか? 古墳造った人やその親族がいれば教えてほしい。
日本人は無宗教です仏教は形骸化して人々はクリスマスやバレンタインデーを適当に楽しんでいます、みたいなよくわからない無宗教信仰が昂じてしまってこうなってしまった。
公の仕事の講師謝金には上限があり、国の場合1日17,700円。そのせいで、高額な謝礼を必要とする講師を呼びたかった文部科学省の官僚が監督下企業におねだりしたニュース。
https://www.asahi.com/articles/ASLDL5QBTLDLUTIL045.html
行政の末端に関わる仕事をしている立場で言うと、これが行政の不正を生むという意味で批判されるのは当然だと思うが、上限を単純になくせばいいわけではない。
記事にもあるが、今回の講師は議員からの紹介である。つまり、上限を無くして莫大な講師料を渡せるようになると、今度はバックマージンなどの腐敗が発生する土壌を作ることになりかねない。講師の質よりも紹介者の政治力が優先されることになれば、金額が大きいだけ国民の損失も更に大きい。
では、その講師が適正であるか無いか審査すればいいだろうか? すぐ思いつくことだが、審査するコスト自体が莫大である。
今回の件を公金で支出するには、「講師を呼ぶところまで含めた委員会の設置・運営自体をアウトソーシング」する方法がある。つまり、土木工事のように丸ごと1件で見積もり・入札させることによって、過剰な支出に歯止めをかけるやり方だ。土木工事ならそれもいいだろう。しかし、教育のように、日々その内容が変化し、コストもその効果の検証も難しいケースでは、これもあまり現実的ではない。
正直、教育予算の場合には、「固定費はいくらいくら、変動費については総予算の○.○パーセントとする」と決めておいてくれたらよいのではないか。不正は不正で糺すべき。だが、予算の効率的運用に支障を来しては本末転倒である。
東京国立博物館や地域の博物館とかで経塚やそれに関する遺物を見かけることは多い。
経塚は、昔の人が末法の世になってもお経が伝わるように、地面にお経を埋めたものだ。
経文と共に仏像なんかも安置される。
埋められた経文を埋納経という。金属などで出来た容器は経筒という。
埋めたものが何かの拍子で出土することがあるのだ。
埋める際には、当然末長く伝わることが目指された。
経筒を密封することはもちろんだが、まわりを石で作った入れ物でさらに封をする場合が多い。
お経は紙で、溶けてしまって今に伝わらないが、後世にはお経を石に掘って埋めたり、石に墨書して埋めたものもある。
いつまで仏法を伝えればいいのか? それは56億7000万年後だ。
弥勒菩薩が現れて再び衆生を救済するまで、末法の世は続くのだ。
経塚関係資料を見ながら、埋めた人々の想いはいかばかりだったかと想像する。
色んな苦しみが今よりずっと多い時代。
拠り所とするお経というか仏教がなくなるかもしれない。伝わらないかもしれない、という想い。
金と権力がある人が示威的にやっている側面ももちろんあるだろうけれど、それだけで切りとれない要素もある。
未来に向けて伝える、という何か意気込みのようなものが実物資料から伝わってくる。
ところで、私たちは銅鐸の使い方を知らない。
多分こうだろうというのはあっても、精確なところは解らない。
銅鐸に限らず弥生時代の祭祀具は、使い方がわからないモノが多い。
さらに前の縄文時代の祭祀具(と思しい)考古学的資料も、やっぱり精確なところの使い方は解らない。
皆忘れてしまったのだ。歴史のどこかの段階で、忘れてしまった。知る人が一人もいなくなってしまった。ある種の絶滅だ。
銅鐸に替わって登場する祭祀具は鏡だ。こちらは解る。今も神社に奉納してある。ご神体のような使い方をする。伝わっている。
このあたりから、何となく使い方が実感としてわかる資料が出てくる。
例えばいきなり経塚から石板に刻まれたお経が出てきたとして、その名前や考古学的な背景が解らなくとも「うわなんかお経が書いてあるぞ」くらいはわかったりする。
あるいはそこまで行かなくても、「何か文字が書いてあるぞ」とわかる。
この辺りで「これは何か重要なものかもしれない」と多くの人は感じとることができるだろう。密封されてもいるわけだし。
専門的な仕事に携わってなくとも、例えば土木工事や農作業で経塚が今に姿を現したら、「なんか仏教関係ぽいのがでてきた」と思えると言うわけだ。
私たちは仏像なりお経なりを見たら、直観的にどんな分野のものであるか理解できる社会に(今も)生きている。
科学が発展しようが、未だに路傍には地蔵があり、葬式でなんだかわからんままお経を唱えたり、する。
仕組みを何となく掴んでいる。
そ私たちは仏教になじんでおり、仏教を今から未来に伝える一翼を担っている。
銅鐸とはここが違う。
そういう意味では、古えの人々の想いは伝わっている。
平成が終わろうとしているが、その時代にあっても仏教にまつわるものだと素人でも判断できる社会だからだ。
難しいけど、科学が発展した時代だけれど、こうした直観でわかる宗教的バックグラウンドは大切なものと思う。
今はかなり色々なことがわかる時代だが、そうじゃなかった時代に人々の心のよりどころになった考え方とその資料。
常日頃、「物が売れない、これでは景気が回復しない」とか「景気刺激のため公共事業をバンバンやるべし」とか言ってる連中は、公立校のクーラー設置を全力で後押しするべきではないだろうか
猛暑がきびしい各地の小中学校の教室にクーラー設置してれば、電機メーカーも電機店も大儲けである
「公共事業の土木工事をやったって、儲かるのは大手ゼネコンだけじゃん」と言うと、「いや、土建屋に落ちた金が他に回り回って景気刺激になるんだ」と返される
だったら、金を落とす先が土建屋ではなく電機メーカーと電機店でも良いではないか?
しかも、需要はものすごく膨大にある、何百億、何千億の金が動くかわからない
普段「日本経済のため、みんなバンバン物を買え、消費しろ、金を使え」とか言ってる連中は、今こそ一致団結して公立校のクーラー設置を後押しするべきじゃね???
そうならない理由は何なのか?
この仕事、まだ新しい分野でもあるので撮影の方法は三者三様。自分の場合は人を雇えるほどまでは行ってないので基本、撮影は1人で入る。
そして山の中はトイレがない。これがキツイ。土木工事などは山の中と言えど、必ず簡易トイレを併設するが自分はそんなことはできない。
今日、僕は景気付けに二郎系ラーメンを昼に取り、山の中へ撮影へでかけた。
道中、そろそろどこにもトイレがないぞというところでお腹にちょっとした違和感を覚えた。油マシマシか。油マシマシがマズかったか。
ここで折り返すか、そのまま突き進むか。僕は突き進んだ。
誰も来ない山の中へ入り、お腹に多少の違和感を覚えながらドローンを飛ばす。いい景色、いいアングル。最高だ。これはお客さんに喜んでもらえるぞ。
まずい。撮影を続けるか、どうするか?
いよいよやばい。
ドローンを急いで戻し、バックパックにつめる。かがんだ瞬間下半身になにかを感じた様な気がした。
バックパックを背負い、車に向かう。車まで遠すぎる。仮に車に乗っても最低1時間はトイレのある場所までかかってしまう。
先日ホッテントリに上がっていた単著持ち増田のエントリを読んで、そういえば自分も増田が原因で本を書いたんだったと思い出した。
数年前、初めて増田に文章を投稿したら2000ブクマ付いた。「文才がある」「物書きとして食っていける」とか言われたので、24万字の文章を書いてKindleで出版した。ぜんぜん売れなかった。人の言うことを安易に信じてはいけないと思った。
そのあとまたホームレスになったので(2年ぶり3回目)しばらく福島で除染作業員として働いた。除染と言うと何か特別なことをしているように聞こえるけど、実はただの土木工事である。肉体労働は久しぶりだったけど、小難しいことを考えず黙々と目の前の作業に打ち込んでいると、頭の中の不純物が取り除かれていく感じがした。
そうだ、僕は物書きになりたいなんて思っていたわけじゃない。そんなものは誰かから押し付けられた「物語」でしかない。いままでも「元ホームレス→成功者になる」みたいなステレオタイプな物語を押し付けられたことは何度もあったけど、いつも心の中で蹴り飛ばしてきた。なぜ今回に限って勘違いしてしまったのか。
福島では相馬市の松川浦という観光地にある旅館に住んでいた。国からの補助があるので宿泊費はかからなかった。旅館だけあって飯がめちゃくちゃうまかった。直前までわりと本気で食うや食わずの生活をしていて、就業前の健康診断で「就労可能です」のハンコの横に「貧血症――経過観察お願いします」とか書かれるレベルだったけど、1か月で元の体重に戻れた。
そしてこういう現場に集まる人間というのは基本的にろくでなしばかりである。入ったばかりの給料を数日で飲み代やパチスロに使ってしまい、すぐに前払い制度を利用するはめになるような、そんな人間ばかりだ。同じろくでなしとして、とても居心地がよかった。やはり自分はこちら側の人間だと思った。
そんなわけでしばらくここに居着こうと思ったけど、東北の夏は意外と暑かった。僕はそれまで日本の東側に来たことがなく、東北の夏なんて京都盆地の夏に比べたら余裕だろとか思ってたけど、ぜんぜん余裕ではなかった。しかも仕事中は半袖作業服禁止で、手袋は三重、さらに安全長靴にヘルメット、高性能防塵マスクというフル装備で、炎天下の中、延々と作業するのだ。このままでは干物になってしまうと思い、涼を求めて北海道へ行くことにした。
割のいい仕事をしたおかげで金はそこそこあったので、JRの青春18きっぷを使って道内をしばらく旅した。
旅の途中、いろんな人に出会った。日本一周中のライダーやチャリダー、本州でこういう人に出会う機会は少ないけど、北海道ではさほど珍しくない。彼らには独自の文化があるようだった。こういった旅人向けに格安で宿を提供するライダーハウスの存在も教えてもらった。ライダー専用のところもあれば、旅人なら誰でもウェルカムみたいなところもあるようだ。
美瑛にある「蜂の宿」というライダーハウスはめちゃくちゃ居心地がよくて、しばらく沈没してしまった。同じように沈没中の旅人が多く、宿を出るときは少しバツが悪くて、朝早い時間、夜逃げのように出発した。稚内の飲み屋では一人旅の女性客に「函館に住んでるから着いたら連絡してね」と電話番号を渡された。でもいざ函館に着いて連絡しようとしたらだんだん死にたくなってきたので忘れてたことにして函館を後にした。小樽のライダーハウスではなぜかオーナーに気に入られて「上の階の空き部屋に住んでいいよ」と言われたけど、結局置き手紙だけ残して去ってしまった。
そんないつも通りのあれこれがありつつ、最終的に札幌でクソボロいマンスリーマンションを借りて住み始めた。
石狩平野はドカ雪が多い地域で、昨日まで普通だった街の景色が、朝起きたら突然、一面の銀世界になっていることも珍しくない。人の背丈より高く積み上げられた道路脇の雪。凍った路面をすいすいと歩いていく人たち。数センチの積雪で大騒ぎになるような地域に住んでいた僕には、すべてが新鮮だった。海外を旅したときも自分がいかに世間知らずかを思い知らされたけど、同じ日本でも住む土地が違えばこんなに空気も文化も違うのかと思う。
そうだ、僕はあまりにも世界を知らなさすぎる。ホームレス経験があるからなんだというのだ。「なんでも知ってるゲンさん」みたいなステレオタイプなキャラクターはどこにも存在しないということがわかっただけじゃないか。インドや東南アジアを旅したからなんだというのだ。日本の近所をちょろっと見てまわっただけじゃないか。アメリカにもアフリカにもヨーロッパにも行ったことがない。政治も経済も科学も宗教も、本当に何も知らない。
もっと世界を知りたいと思う。いままで自分ひとりで知識や経験を積み重ねてきたけど、もう限界だと思った。独学には「体系的に学べない」という決定的な限界がある。だから大学へ行こうと思った。もっと世界を知るために、僕には高等教育が必要なのだ。
しかし僕は中卒なので大学へ行こうにも受験資格がない。まずは高認(旧大検)を受ける必要があった。とりあえず過去問にざっと目を通してみると、文系科目は特に対策しなくても合格点を取れそうだったけど、理系科目は壊滅的だった。数学なんて問題文の意味さえわからない。やべえよ。
コールセンターでWindowsのテクニカルサポートの仕事をしつつ、参考書と格闘する日々が始まった。途中で何度も心が折れそうになったけど、数学が扱うのは実体のある数(かず)ではなく、数(すう)という概念なのだということがわかってから、唐突に理解できるようになった。数を感覚的に扱えるようになり、数式の手ざわりがわかるようになった。
勉強時間の半分くらいを数学に費やしたおかげもあってか、本番の試験では90点を取れた。分数の足し算すらあやしかった状態からここまで持ってこれたのだから、まずまずの結果だろう。国語は無勉強で満点取れたので、読解力は普通にあるようだ。他人の評価は主観が混じるので話半分に聞くけど、こういう機械的な評価は信用できる。英語も無勉強で満点取れるかと思ったけど、2問ほど間違えた。どちらも穴埋め問題だ。自分でも文法力が足りてないことは自覚していたけど、やはりその通りだったようだ。他の教科もなんとか70点以上をマークし、無事、高認に一発合格した。
これで大学受験の資格は得た。学力はまだぜんぜん足りてないけど、土台部分は構築できたはずだ。これからさらに何年かかけてこの上に知識を積み重ねていくとして、次に考えるべきは資金の問題だろう。無給で4年間大学に通うなら最低でも800万、できれば1000万は貯金しておきたいところだ。しかしこの額はさすがに札幌の労働単価では厳しい。やはり稼げるところに行くべきだと思い、住んでいた部屋を引き払ってまたホームレスになり(2年ぶり4回目)今度は東京へ向かった。
ちなみに僕には家族も友達もいないので、こういうときバックパックに入りきらない荷物はウェブ管理可能なトランクルームに預けるようにしている。ダンボール1個分の荷物を月数百円で預かってくれて、いつでもウェブから出庫できるので、こういう生活スタイルにはとても便利な存在だ。
いままであちこちを転々としてきたけど、東京に来るのは初めてだった。西成で暮らしていたときに山谷の話は聞いたことがあったので、まずはドヤで当面の寝床を確保する。西成みたいに1泊1000円前後で泊まれればしばらくそこで暮らそうかと思ってたけど、2000円前後が相場のようだったのでドヤ街からは早々に引き上げ、少し北上して南千住駅近くにあるシェアハウスの一室を借りて住み始めた。
次は仕事だ。自分の持つスキルの中で最も金になるのは、やはりプログラミングだろう。上京する前にリハビリとして最新技術はひととおりさらっておいたし、その経緯を文章にまとめてQiitaに投稿しておいた。なぜかその記事は「文学作品」という評価を受けたけど。技術記事なのに……なんでや……。しかし職探しのときにその記事をポートフォリオとして使ったらめちゃくちゃウケがよかった。東京はエンジニアが不足しているとは聞いていたけど、これほどとは。仕事も多ければ単価も高い。いままで自分が住んだことのある都市と比べると、京都・札幌の倍以上、大阪の1.5倍以上の単価だと思う。
そんな感じで生まれて初めて金に困らなくなった(!)ので、まずは渋谷に引っ越した。JR渋谷駅のホームまで徒歩5分のマンションなので、主なオフィス街は自宅から30分以内で行けるし、渋谷にある会社ならもちろん徒歩圏内だ。ジュンク堂(東急)まで徒歩10分くらいで行けるのもすばらしい。近くに庶民派スーパーがないことだけが難点だけど、西友のネットスーパーに助けられている。いつも配送ありがとうございます。
次にPCを買い換える。生活スタイルの問題もあってここ数年はずっとノートPCを使ってきたけど、東京には腰を据えて何年か住む予定なので、ハイエンドデスクトップPCを買うことにした。WindowsとLinuxどちらも使いたかったので、これまで通りデュアルブートにしようかと思ったけど、切り替えが面倒なのでWindows上の仮想マシンとしてLinuxを動かすことにした。開発は基本的にその中ですべて完結させるので、仮想マシンの中でさらに仮想マシンを動かす場面も出てくる。こういう使い方だとそれなりにスペックが必要だろうと思い、CPUはi7-7700K、メモリは64G積んだ。どうせハイスペックにするならいっそVR Readyにしようと思い、グラボは1080Tiにした。そんな感じでいろいろぶっこんでいったら最終的にPC本体だけで40万かかった。さらにDELLの34インチ曲面モニタ、東プレの変荷重キーボード、HTC Viveとデラックスオーディオストラップ、等々、もろもろ合わせて最終的に総額60万以上かかった。半年かけて海外を貧乏旅行したときの旅費を軽く超えててさすがに草生えた。
2017年末になってもVR市場は未だ揺籃期の様相を呈している。キラーコンテンツとなりそうなゲームはちらほら出始めているものの、起動直後の「おお! VRすごい!」からその後が続かないものが多い。
そんな中で僕がハマったのはQuiVrという弓ゲーだった。ゲーム中で何度も繰り返す矢を放つ感触がとにかく素晴らしく、現時点で250時間プレイしている。まだアーリーアクセスだけど、毎週コンスタントにアップデートが続けられていて、次々と新しい要素が追加されていくのも飽きない理由だと思う。でもその分バグが多く、プレイしていてだんだん腹が立ってきたので、Discordに乗り込んでバグ報告しまくっていたら、いつまにかベータテストに参加するようになっていて、いまではランキング上位プレイヤーのひとりになっている。
Rec Roomもおすすめしておきたい。ユーザーコミュニティがとても活発なソーシャル系VRゲームで、RedditやDiscordを覗くと、運営とユーザーが一丸となって、いいゲームにしていこう、いい場にしていこうと努力している様子がうかがえる。そのおかげか、マナーの悪いプレイヤーが非常に少ない。ハラスメント行為等はほぼ皆無と言ってよく、Fワードを使っている人さえあまり見かけないほどだ。ゲーム自体も、チーム戦のペイントボールやレーザータグ、協力プレイのアクションRPG風ゲーム等、無料とは思えないほどのクオリティの高さなので、VR機器を持っている人はぜひやってみて欲しい。
そしてそのRec Roomよりさらにコミュニティが活発なのがVRChatだ。もはや活発という次元を超えてカオスと言っていい。半年前に初めてログインしたときは10~20人くらいのユーザーがHub(ログイン直後のワールド)で適当にダベっていて、他のワールドにはまったく人がいない、みたいな閑散とした状況だったのだけど、今月初旬に同時ログイン数が1000人を超え、Discordオンラインメンバー数は2000人を超えた。現在は同時ログイン数3000人を超し、Discordオンラインメンバー数は4000人を超すような状況だ。どうも有名なYoutuberや、Twitchの有名生主といったインフルエンサーが最近こぞってVRChatを取り上げているようで、この爆発的なコミュニティ拡大はまだ収まる気配がない。デスクトップモードがあるので参加するだけならVR機器が不要だというのも大きいか。
Rec Roomとは違いVRChatはコミュニケーション主体のソーシャル系VRゲームだ。ミニゲームは前者に比べて見劣りするものの、ユーザーカスタムのアバターやワールドが自作・公開可能で、これが海外のオタクたちの創作意欲を刺激したのか、黎明期のニコ動を彷彿させる盛り上がりを見せている。こういった事情によるためか、もしくは別の何かが彼らをひきつけたのか、実際のところはわからないが、VRChatのユーザーはほとんどが日本のアニメフリーク・漫画フリークだ。ユーザーカスタムのアバターはそれらに影響を受けたものが多く、美少女キャラやロボットやモンスターが目の前を行き交う様は、まるで攻殻機動隊の電脳空間のようだ。とはいえ現状では4chan的な文脈そのままの著作権ガン無視状態なので、前述の爆発的なコミュニティ拡大にともなって近いうちに問題になることが予想される。なんとかソフトランディングして欲しい。
しかしこの未来感すさまじい仮想現実の世界にいると、なぜか昔のインターネットを思い出す。特にテレホーダイ時代の2ちゃんねるのことを。夜の11時を過ぎると一気に人が集まり、どこの誰とも知らない人たちと一晩中バカ騒ぎをして、朝になるとネット全体が静まり返っていた、あの懐かしきオールドインターネット。VRChatをやっているとあの頃の記憶が蘇ってくる。ドイツ人にドイツ語を教えてもらったり、サウジアラビア人にアラビア語を教えてもらったり、台湾人に3Dマーカーペンで中国語を書いてもらって「おおー、漢字の意味なんとなくわかるー!」とか感動したり。そんな多種多様な国籍・人種の人たちとアニメについて語り合ったり、アニソンをみんなで大合唱したり。MMDナイトクラブというワールドでMMDモデルのダンスが見られるのだけど、ステージ上で踊る初音ミクを囲んで、みんなで一晩中踊り明かしたりもした。マジでなんなんだこのカオスな空間は。しかしこれだ。これがインターネットなのだ。夜明け前の静けさと、どこか熱に浮かされたような興奮。それらが齟齬なく同居する、この奇妙な感覚。久しく忘れていたこの感覚を、強烈に思い出す。
でもいちばん印象深かったのはラノベの朗読会だ。ある日、いつものように適当に外国人たちとダベっていると「いまからショーが始まるから来ない?」と誘われた。開かれた転送ゲートをくぐってみると、その先は100人以上収容できる劇場のワールドで、さまざまなアバターの人たちが観客席に座っていた。舞台上の主催者とおぼしき人は「みなさんお好きな席にご着席ください。いまから『転生したらスライムだった件』の朗読を行います」とか言っている。え、どういうこと? と思う間もなくショーが始まる。やたら渋い声で、VRならではの身振り手振りも混じえて、感情表現豊かに読み上げられていく、まだアニメ化すらされていない日本のラノベ(正確にはウェブ連載版の英訳版)。ああ本当に世界は広いんだと思った。自分の知らないことなんて星の数ほどあって、そのすべてを知ることは絶対にできないんだと、少し胸が苦しくなった。
と、最近はVRの世界にどっぷりだったのだけど、遊んでばかりいたわけではなく勉強もしていた。特に英語だ。いままでリーディング、リスニングについてはそれなりにできていたのだけど、文法力がないのでライティング、スピーキングに関しては壊滅的だった。しかしVRを始めてから英語圏のコミュニティで英文を書いたり、VRゲーム内で英語を話したりする場面が増えてきたので、文法を基礎からじっくりとやり直した。二十代の頃に文法をみっちりやったときは死にそうになるくらいしんどかったけど、今回はそうでもなかった。やはり目的があると吸収力が段違いだ。そのおかげか、ライティングに関しては文法間違いがかなり減ったように思われる。スピーキングはいまでもだいぶあやしいけど。客観的かつ機械的な判断が欲しいので、来月久しぶりにTOEICを受ける予定だ。10年前に受けたときのスコアは680だったけど、今回の目標は800に設定している。2年後くらいには900を目指したい。ここまで英語力を上げておけば、大学受験の際にかなりのアドバンテージになるはずである。
あとはやはり数学だ。英語の勉強が一段落したら、数Iの復習から始めて、数IIへ進む。僕が受験しようとしているのは文系(経済学部)なので必要ないかもしれないけど、余裕があれば数IIIに関してもどんなものかくらいは頭に入れておきたい。前回の勉強のときに、数学は小さな理解と小さな納得を積み重ねていくしかないということが身にしみてわかったので、この科目に関してはじっくり腰を据え、時間をかけて少しずつ勉強していくつもりだ。
国語に関しては受験前に赤本で少し対策すればいけそうなので、あまり心配はしていない。その他の科目は最悪捨ててもいいけど、時間があれば知識を少しずつ補填していこうと思う。
こんなやり方で本当に大学に行けるのかはわからない。すべてが手探りだ。たとえ行けたとしてもその先のことはわからない。この歳で「大学を目指している」なんて言うと、先のキャリアを見据えてのことなんだろうと勘違いされることが多いけど、僕の場合、本当に何も考えていない。大学で政治や経済を学んで自分が何をしたいのかなんてまったくわからないし、それが金になるとも思えない。卒業したあと食い扶持が稼げなくて野垂れ死ぬかもしれない。その可能性は決して低くない。以前と比べれば多少はマシになったように思えても、やっぱり基本的に僕はバカなんだと思う。
でも同時に、それでいいとも思う。行動に理由なんていらないのだ、と。行動の理由なんて事前にいくら用意したところで、たいていの場合、それは建前やこじつけでしかなく、本当のところは後になってからしかわからない。ミネルバのフクロウなのだ。後になってからしかわからないなら、後になってから知ればいい。いまは行動するだけでいい。そう思う。
先日、久しぶりにKindleのストアページを見てみたら、あの24万字の本へのレビューが1件増えていた。
やっぱり僕はこれでいい。こうして増田で誰に宛てるでもなく近況報告をしたり、Steamに長文レビューを投稿したり。誰が読んでいるかもわからなくて、でもたまに反応があったりして、それが少しくすぐったくて。
特別なことなんて何も起きなくていい。夢も希望もなくていい。
人生に物語は要らない。
「真実はいつも一つ」といったとしても、私は、ジーザス・クライストでも、工藤新一でもないから、事実認識のなかからその真実が見極められるというわけではない。
(徳川武家慣習が依然とする)封建国家の日本では、長幼の序とか、男尊女卑とか(女ですら劣後させられるくらいだから、ゲイとかトランスジェンダーとか……)、教師は聖職で絶対権力であったり、先輩が絶対的に偉かったりする。少なくとも戦時中まではそれが当然だった。
同じ日本人であっても、徳川時代以前からの和人の方が先輩だから偉いわけで、後から編入させられた沖縄人や、北海道開拓使で征服されたアイヌ人とかは、差別されていたわけで。(いわゆる「純粋の日本人」とはそういう差別的表現だ。)
ましてや、日韓併合で日本国民の端くれになっていた韓国人の扱いなんて、最下層であるわけで。
やっぱり身内である日本人がかわいいから、危険職種は身分の低い人にさせたいと思っていたわけである。同じように、いわゆる穢れ仕事もそうだ。
例えば土木建設工事なんかでも、現場で命がけで肉体労働をする層にはいわゆる外国人労働者を使う。事故なんかで災害死しても、日本人が死んだとなれば立派な慰霊碑かなんかが建ったり、新聞報道で実名が載ったりした。それに対して、韓国人労働者だとかが災害死しても、およそまともには扱われなかった。
今のように機械やエネルギーを贅沢につかってでも人命最優先ということは、当時は不可能だ。だから、「使い棄て」が要り、死人が出ることもいわば「必要悪」かなにかと思われていたのだろう。例えば北海道の開拓には、刑務所の受刑者が従事して沢山死んだ。少なからぬ土木工事に「タコ部屋」もあった。
かつて「江戸にもない」景気の江差でニシンを獲ったのは、出稼ぎの季節労働者の「ヤン衆」で、(身分が低いし、教養もないし、将来のことなんか考えないので)資産を溜め込めないからパアーっと遣うので活況になったのは当然だ。ヤン衆を雇う網元が最も儲かり、資産を貯蓄しても非難されない。
炭鉱の採掘にしても、危険職種で死ぬことも多い、死ななくとも身体がやられるのだが、賃金は出る。生命と身体と引き換えに稼いでいるというのが実際だ。いわゆる「軍艦島」なんて、当時では物凄く贅沢な暮らしができていたようだけれど、多くの時間を島の中で閉じこもって生活するわけだから、自由は少ない。
「トリクルダウン」(おこぼれ)で「恵んでやる」ということだ。つまり明らかな社会的格差があって、強者が弱者にチャリティーで恵んでやる。そういう社会。
日本社会では身分の低い層であれば、出稼ぎしてでも稼ごうと思う人は多いわけで、甘言で騙すなどということもそれはあったとは思うけれども、たとえ騙しじゃなくたって、被差別層(社会的弱者)は事実上、穢れ仕事でもせざるをえないことに往々にしてなりがちだ。
たとえ徳川時代からの日本人が同じ職種に就いたとしても、日本人の方が優遇されるというのも明らかにあったわけであり。
あとは、言うこともないだろう。
その社会的事実を、どのような価値観に基づいて主観的に評価するか、そういう問題が「歴史認識」と呼ばれているようだ。主観的評価なのだから、一つにはなれない。
参考になればと思います。
奄美空港にはボーディングブリッジがあったが、何らかの理由(おそらく他の機体が使用中)で使用できなかったとのこと。
奄美空港は改修中でボーディングブリッジの増設工事中。今年11月から運用可能とのことで、以降はバリアフリー対応となる予定。素晴らしい!
http://amamishimbun.co.jp/index.php?QBlog-20160923-2
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/28/news109.html
バニラ・エアは関空ー奄美間ではボーディングブリッジが使えないため、WEBサイトで以下のようにアナウンスしていた。
奄美空港施設要件にともない、おからだが不自由なお客様/車椅子ご希望のお客様の安全確保およびSTEP利用時の不意の事故を未然に防ぐために、お客様ご自身またはお連れのお客様の補助を得てSTEPを昇降いただけるかの事前確認が必要となります。事前のご確認は予約センターまでお問い合わせいただきますようお願い申し上げます。
バニラ・エアは上記アナウンスによる事前確認があった場合について、以下のように説明しています。
「車椅子ごと担いだり、利用者の体を抱えたりしてタラップを乗降することは、大変危険なので安全上の理由から認めていない。関空-奄美線では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には、搭乗をお断りしていた」
「お断り」が搭乗拒否なのか、お願いしていただけなのかはよくわかりません。ここはメディが確認すべきだと思います。後述しますが、問答無用で搭乗拒否していたのなら明確な違法行為なので同情の余地なくアウトだと思います。
階段昇降用のストレッチャーという介助器具があります。バニラ・エアは用意すべきだったという方がいます。有名なところでは乙武さんもそう主張されています。
http://www.huffingtonpost.jp/hirotada-ototake/post_15315_b_17326010.html
ただ、障害者を介助する側からするとストレッチャーは使いたくないのです。快適じゃないし、危険だからです。車椅子からストレッチャー、ストレッチャーから車椅子への乗り降りが大変だし、階段でのストレッチャーは事故が多い。それに、ストレッチャーに乗るのは恥ずかしいという方が多いのです。
現状、積極的にストレッチャーの使用を勧める航空会社はないだろうと思いますし、ストレッチャーと聞いたらほとんどの障害者とその同行者は諦めると思います。
ストレッチャーはほとんどの障害者にとって無意味であり、かえって不快なもの(新たなバリア)だと理解してもらいたいです。
タラップ(階段)には電動階段昇降機がついていませんでした。この点も批判されています。
もちろん電動階段昇降機があるのは良いことです。介助者が人力で動かすストレッチャーよりは安全性は高いです。ただ、障害者目線だとストレッチャーよりはマシというだけで、あまり解決にはなりません。
車椅子との乗り換えが大変ですし、目立つことが恥ずかしいというのもあって、かなり多くの障害者は使用を拒否します。「これに乗せるのか」と怒り出すひともいるくらいです。
これも新たなバリアを作り出す装置だと理解してもらっていいと思います。
電動階段昇降機があるからバリアフリーかといわれると、違うと思います。
パッセンジャーボーディングリフト(PBL)という特殊車両があるようです。
http://www.love-narita.com/entry/2017/06/boarding-support
これを用意できればよかったかもしれません。しかし、特殊車両なのでかなり高価ですし、奄美大島に輸送する手間を考えると短期的な使用のために用意するのは現実的とはいえないでしょう。特にLCCの運賃、利益を考えるとここまでの投資が必要なら路線開設を取りやめるという判断になるのではないかと思います。
普通の障害者が旅行で飛行機に乗るなら段差を解消したボーディングブリッジ以外の選択肢はないに等しいのです。階段って聞いたら諦める人がほとんどなのです。なので、一日も早くボーディングブリッジを用意してほしいというのが障害者の願いだと思います。
ただ、ボーディングブリッジはとても高価で、簡単に用意できるものではありません。土木工事が必要で、億単位の投資になります。公共施設なので予算をつけて設計、施工、年単位の時間が必要です。一日も早くと願いますが、現実は待つしかありません。
奄美空港は11月には新たなボーディングブリッジが運用開始予定です。おそらく3月に就航した関空ー奄美を受けての増設を決めたのでしょうが、予算、設計、施工などを考えると可能な限り最速で対応したのだろうと思います。奄美空港関係者の努力は素晴らしいと思います。
K氏は高校時代にラグビー中の事故で脊椎損傷した障害者ですが、障害者と言ってもその障害の程度は千差万別です。
K氏は腕で階段を昇り降りできるなど、障害者の中ではかなり「健常者に近い」行動ができる人だと思われます。普通の健常者より元気なんじゃないかと思うくらいです。しかし、K氏のように行動できる障害者はとても少ないです。車椅子競技をしているアスリートなど、年齢が若く鍛えている人だけです。普通(多数派)の障害者はとてもじゃないけど自分の腕で階段を昇り降りなどできませんし車椅子の乗り換えが苦痛です。
普通の障害者なら上記の空港設備を聞いたら諦めるでしょうが、K氏は「健常者に近い」行動力があるので突破しようとしたのでしょう。良く言えば積極的、悪く言えば無鉄砲。気持ちは分からないでもありませんが、やはり良くないと思います。事前連絡のない状態だと現場でできることには限りがあり時間のない中で正しい判断ができるとも限りません。多数の乗客を乗せ安全に定時運行をしないといけない飛行機ですので、二度とすべきではないと思います。
バニラ・エアはストレッチャーや電動階段昇降機を用意していなかったわけですが、他方で障害者対応をするつもりがなかったとは思えません。11月にボーディングブリッジが使えるようになるのでそれまでは申し訳ないけれども我慢してもらうという姿勢だったようです。
これは多数派の障害者にとっては理解できる話です。ボーディングブリッジがないなら他があってもあまり意味がないし、ボーディングブリッジを建設するには時間が必要なので完成まで待つしかありません。
しかし、K氏のような行動できる障害者にとってバニラ・エアの対応は許せないでしょう。ボーディングブリッジがなくても自力もしくは介助者の力を借りて搭乗できるからです。ストレッチャーくらい用意してほしいと思うのはよくわかります。行動できる障害者を想定していなかったのではないかと思います。バニラ・エアはストレッチャーを用意して事前にアナウンスしておくべきでした。大いに反省すべきだろうと思います。
なお、バニラ・エアはバリアフリーに対応する法的義務があります。条文は引用しませんが、障害者が利用できるように「合理的配慮」をしなければなりません。ストレッチャーを用意してほしいという要望は合理的配慮として義務付けられるでしょう。仮に事前に要望があったにも関わらずストレッチャーを用意せず搭乗を拒否したのならば、それは違法です。糾弾すべきです。
一般論として、事前連絡は障害者にとってとても重要です。とくに高齢障害者のようにストレッチャーや電動階段昇降機を使いたくない人にとってはすべての経路にエレベーターかスロープがあることを確認するのは必須です。また、航空会社に特に配慮してもらいたいことなどを伝え、航空会社からの要望や注意点を確認することはスムーズに飛行機にのるために必須です。事前連絡しない障害者は極めて少ないと思いますし、対応ができずに搭乗を断られても仕方ないと思います。
今回、K氏は事前に何も言わず、突然、空港カウンターに現れてトラブルになりました。事前連絡すると搭乗を拒否されるからと主張しています。
http://www.kijikiji.com/self/vanilla.htm
バニラ・エアは搭乗を「お断り」していたと言っていますので、事前連絡すると最初は断られたと思います。
ただ、バニラ・エアはバリアフリーに対応する法的義務があります。(内容証明郵便などの書面で)ストレッチャーを用意するように要望すればいいだけです。それを拒否することは明確に違法なのでできないでしょう。
仮に拒否された場合も、国交省や鹿児島県島に改善を求めるための窓口がありますし、記者会見等で世論に訴えることもできます。(実際、K氏は事後にそのような対応をしています。)
事前にバニラ・エアにそのように話をすればストレッチャーの用意を拒否するという対応には出ないでしょう。話せば解決できたと思いますし、話す時間がない急ぎの旅行でもないようです。
今回の騒動はアマチュアが知らずに引き起こした話ではありません。
K氏はバリアフリーのプロとしてコンサルや講演活動などで生計を立てているプロです。プロであるならば、法律と知識と経験を武器に話し合いで解決すべきです。
奄美空港の設備や今後の整備予定、自分が登場するために必要な道具や人員など、詳しいことを調べる能力もあるはずです。飛行機に乗り慣れているようですので航空会社や空港の決まりにも詳しいことでしょう。
そういう人が法律や規則があることを知りながら事前に話し合いもせずにいきなり実力行使に出てはいけないと思います。
企業も人が運営するものだから間違いはあります。間違いを正すことは大切ですが、それはまずは話し合いによるべきです。実力行使は話をつくしても理解されない場合の最終手段であるべきです。いきなり問答無用でやると必要のない波風が立つだけです。とても残念に思っています。
世論と法律が変わり、今、驚くべきスピードでバリアフリー対応が進んでいます。実力で戦わなければならなかった時代も理解していますが、しかし、今はもうそういう時代ではありません。法律がありますので話し合いをすればほとんどのことは解決します。
活動が先鋭化して大衆の支持を失うようなことになれば障害者やその家族、ひいては社会全体の損失です。そうならないことを願います。