はてなキーワード: 判別とは
うーん。残念ながら「ゾーニング」が適正に働くというのは、「ゾーニングすべきものが何か」について合意のある場合だけだと思うんだよね。でもって、あなたの言う「他者のまなざしを受けた時の反応で判別可能」という説明には納得がいかない。
「ミニスカートは不特定多数の男に受けたいから履いているわけではない」という人も、自分がいいなと思うミニスカ履いてて好みの男性に「かわいいね、似合ってるよ」と言われて「そんなことないですよぉ」とかニヤつくなら、それは十分「他者のまなざしを意識している」よね。本人が望む以上の人にまで届いたときに嫌なだけであって。巨乳絵描きだってもしファンミーティングでカニバリストに近寄ってこられて「あなたの描く胸は大変素晴らしい。食欲をそそります」と舌なめずりしながら言われたらちょっと引くだろうさ。両者とも「望むところには届くことを望んでる(つまり他者の視線を内面化している)」「望む以上のところにリーチしたら、少しはいやな気分になる」という点で、やはり同じだよ。
もちろん本気で「好きで履いているから他者の視線なんて関係ない」といって部屋着や寝間着として存分にミニスカを履いてるとしても(実際そういう人もいるようだが)そういう人はあまり外では履かないようなので、やはり、外で履いている人は「他者の視線を内面化」していると判断し得ると思うし、それなら巨乳絵描きと区別する点が見出せない。他人には一切絵を見せない巨乳絵描きだって山ほどいるしな。
https://anond.hatelabo.jp/20191110173815
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TwitterとYahoo!リアルタイム検索は想定通りのものができて概ね満足しています。問題はtogetterで…フィルタ機能入れてみましたがどうにもなりませんね。本当は作成者単位のまとめミュートもやりたかったのですが、作成者のアイコンしか表示されてなかったり(トップページ、まとめ内埋め込み)、そもそも表示がなかったり(ランキング)で誰が作ったまとめなのか判別できない。かといってまとめに割り振られたIDから概要を得るようなWebAPIが提供されているわけでもない。どうしてもというならまとめ自体にアクセスするしかなく、当然1ページ分まるまるhtmlを送ってくるので通信負荷が高すぎるうえ、View数にカウントされてしまって元も子もない。すぐに頓挫してしまいました。
コメントミュートにしても、もともとTwitterから来てるユーザ名なのにTwitterと連動しきれていないわけです。Twitter側で変更した後、togetterに再ログイン(再連携)しないと変更が反映されません。例えばAさんがhogehogeというユーザ名でtogetterと連携し、その後fugefugeに変える。togetter側がfugefugeに変わるのは再連携したタイミングです。ではAさんが再連携することなく、Bさんがhogehogeというユーザ名で(Twitter側ではぶつからないので使用できる)togetterと連携したらどうなるか?というと、Aさんに何の確認もなくfugefugeに変わり、Bさんは弾かれることなく連携できるという仕様です。もし古いユーザ名のままになっているtogetterアカウントを見かけたら同じユーザ名のTwitterアカウントを用意し連携することで勝手にユーザ名を更新することができます(特に意味はない。ちょっとした嫌がらせ?)。
また、Twitter側で凍結されたり削除したりしてもtogetter側は影響を受けません。当該アカウントのコメントは残り、作ったまとめもそのままです。それならばAさんがtogetterで古いユーザ名のままTwitterで凍結された場合、Bさんが同じユーザ名でtogetterに連携したらどうなるのでしょう?凍結アカウントにはアクセスできないのでAさんの現在のユーザ名を取得できず自動変更されないはず。そうするとBさんは連携できないのでしょうか?ぜひ、どなたか試してみてください。
おまけにtogetterはユーザIDを一切見せてくれないんですよ。DBには持ってるのでしょうがクライアント側に渡されるhtmlには書き込まれてない。ユーザ名が信用できない状態でも'アイコン経由'でユーザIDは取得する方法はありますが(コメント欄でもTwitterのアイコン画像を直リンしてるため)、それもアカウントが凍結されていれば破綻します。それなのにあそこのコメント欄、凍結アカウントが多い。やたらと多い。古いまとめになるとアカウント削除も多い。でもコメントだけは残ってる。これではまともにミュートが機能しない。という事情でコメントミュートはtogetterのユーザ名を使っているわけです。
togetterってつくりも思想もゆるふわですよね。Twitterと連携するだけでアカウントが作成されてしまうのに削除機能は公開されていない、反ワクチン・反標準医療・自殺関連のまとめでもなんの警告も出さない、著作権侵害による削除申請窓口どころかポリシーすら見当たらない等。個人的なことだけを言えば、はてぶ経由で見る(見てしまう)ことが大半なので各種フィルタを利用してtogetter.comを消してしまえば済む話です。でもね…と。
はてなNG代替品(はてぶフィルタ)に短縮URL展開機能を、Youtubeフィルタに右クリックメニューからの非表示登録機能を入れられたらいいなという気持ち
本日午前中から一連の増田が登録できずどハマリしてました。登録完了するのにどこにも日記がない。ネットワークを中心に散々疑ったものの全く関係なく、問題はtogetter。またおまえか。増田ってtogetterへのリンク貼れないんでしょうか?h抜いたら登録できました。エラーにならず警告も出ず単に無視されるって悲しいですね。あーもう時間無駄にした。
まずエンジョイ勢とは何か。ゲームを勝ち負けによらず楽しむ者くらいの雑なニュアンスしかされていないが、自分が楽しむためにゲームをやっている者だろうか? 勝っても負けてもゲームを楽しむ。間違っていないはずだ。
しかしこの解釈では基本的にはゲームをやっている者は皆エンジョイ勢になるはずだ。自分が楽しくないのにゲームをするはずがない。もしかしたら特殊な事情があってやりたくもないゲームをしてる奴もいるのかもしれないが置いておく。
対戦ゲームでよく聞くエンジョイ勢とガチ勢の確執というのはこれでは表せない。しかしここでガチ勢と表される人もエンジョイ勢と呼ばれる人も自分が楽しむためにやっていることは間違いない。では何が違うのか。私はそれを目的だと考える。
ガチ勢は『勝つこと』が目的である。勝つことがそのゲームにおいて自分の楽しいことであってゲームをすること自体が楽しいわけではない。だから勝つためには面白みがないような戦法や、強キャラなどを好んで使う。それが勝利の最短ルートだから。
この対立でのエンジョイ勢の目的は何か。『自分が楽しくなること』である。それだけだと何も悪くないように感じる。しかしここでいうエンジョイ勢、ガチ勢ではない中立の勢力の目的を明らかにすると見方が変わる。彼らの目的は『ゲームを楽しむこと』だ。
『ゲームを楽しむ』ということはそのゲームのルールに従って遊ぶということと同義である。ルールを守ってもつまらないゲームはゲーム側が悪いので置いておく。ルールといっても複雑じゃない。格闘ゲームだったら敵のHPをゼロにしろだとか、FPSだったら敵を倒せだとか。それだけである。その他は自由だ。一人用ゲームなら目的は様々だろうが、ことPvEやPvPに関しては敵に負けろ! とルールに書かれてることはない。なので基本的には勝つためにプレイすることになる。そこで知識量の差や腕前などが出てくることになり、勝敗がつく。しかし彼らは敵を倒せだとか拠点を防衛しろだとか、そのゲームの根幹を為すシンプルなルールに従い、結果的に勝ちを目指すことになる。それがゲームを楽しむということだからだ。試行錯誤によって人によってはわざと負けているように見えることもあるかもしれない。しかし本人がゲームのルールに従って勝つためにプレイしているのならば問題ないはずだ。
話を戻す。エンジョイ勢の目的である『自分が楽しくなること』はゲームの勝敗と関係ない。一人でやっているゲームならば何の問題もない。そこには一人しか人間がいないからだ。しかし対人ゲームは違う。特にチームゲームならば味方に迷惑がかかる。なぜなら目的が一致していないためだ。ガチ勢と中立層はゲームに勝つためにプレイするという点に置いて一致している。それが目的なのか結果なのかは違うものの、同じゲームにおいて勝利を目指すという点では変わりない。しかしエンジョイ勢は違う。彼らは『楽しくなること』を最優先にしているのでゲームのルールに囚われない。自分が気持ちよくなるようにプレイしつづける。気持ちよくなることが勝敗に関与していた時、それが勝つために繋がるならば問題にはならないが、負けに繋がるような行為だった場合、非難を喰らうことになる。他にはチート行為などが代表例だろう。気持ちよくなるためにルールをぶっ壊してニタニタ笑う。そんな行為が周りからどう思われるかは火を見るより明らかだが、しかしそんなとき彼らは言う。
例えるなら皆でサッカーをしている時に一人だけキックベースのルールで遊んでいるようなものだ。基本的にはボールを蹴っているが突然ボールを手で持ち敵チームに投げ放つ。ポジションを無視して走り回る。味方だったら最悪だし、敵だった場合も勝った気がしない。まさに害悪と呼べる。
対戦ゲームとは対戦が楽しいという前提があって成り立つものだ。相手が一人で遊んでいたら対戦は成り立たない。ゲーム体験自体が成り立たないので楽しさなどどこかに消えて行ってしまう。自分もそのエンジョイ勢ルールで遊べれば楽しめはする。しかしサッカーをしに来ているのに突然キックベースに変わり、それを楽しめる人は少ない。その試合を、引いてはそのゲームの対人戦自体の価値を貶めることにも繋がる。
昼前にこの記事でエンジョイ勢の批判をしたのだが、明確にタイトルをあげなかったこととガチ勢とエンジョイ勢の対立と書いたのはよくなかったと思う。例としてタイトルはleague of legend、csgoに代表されるようなチーム戦を想定する。そして実際のところ、本当に対立しているのはエンジョイ勢と真ん中のゲームを楽しんでいる層で、それはガチ勢と呼ばれる側も同じ構図であり、こちらは試行錯誤に対しての強制などにあるがそれはともかく。
この対立ではエンジョイ勢がゲームを楽しんでいる層をガチ勢に仕立て上げる。
「ゲームに何マジになってるの?w」
「人に強制すんなよ」
など。挙げれば枚挙に暇がないが、こうした発言によりガチ勢とエンジョイ勢の対立という風に変えようとする。しかし本当に対立しているのはゲームを楽しんでいる層なのだ。そしてうやむやにされてしまう。
この問題の悪いところは逃げ道が無数にあることだと思われる。例えばだが今までまじめにゲームをやっていた人間が、相手にうまいプレイをされて死ぬ。差ができてしまい、もう逆転できないと思って敵に殺されに行くようなプレイをし、次の試合に行こうとする。彼はエンジョイ勢に変化してしまった。なぜなら自分の気持ちよさを優先しているためだ。しかし本人にやめろと言っても俺はまじめにやっていると言われるとよっぽどプレイがおかしくない限り、追及が難しい。人の心を覗き見ることはできないからだ。
例以外にもゲームをやっていればわざと負けるためにやっているんじゃないかと思えるプレイヤーに必ず出くわす。これはレート帯に関係なく起こる話であり、そして彼らがエンジョイ勢かを完璧に判別する方法がないということがこれを難しく、あやふやにしている
今の時代に『男の子が活躍する話』はあっても『男の子向けの話』はない。
“少年”向け作品と女性関連の話題はまずここから始めるべきだ。当然逆もしかりなので、少女向け作品と男性の話にもなる。今後の話は全て男と女を逆にして読んでもらって構わない。
お便りは内容で判別されるべきで、送り主の性別で判別されるべきではない。女性のお便りだから意見を無視するというのは前時代的な差別だ。誰が送ったお便りだろうと、テーマと違う希望なら無視されるし、テーマに沿う希望ならひょっとしたら聞き入れられるかもしれない。
“お色気シーン”も少年漫画と女でよく問題にされるけど、これはなんか色々問題が細分化されるのでてきとうに言及しづらい。でもかつて『男の子向け』だった現在『子供向け』の作品にポルノシーンはどうよ?
ちなみに自分は音痴。音痴な人って声が悪いとかではなく、たぶん耳が悪い。聴力が低くて、それを表現できない。
自分は、本当に語学学習というものが苦手で、リスニングやスピーキングがまるでダメ。
ずっと疑問だったんだけど、最近、それの違いについて考えていてなんでかを考えていたら、「音痴だから」という結論に達した。
正確に言えば、おそらく究極的に耳が悪い。
聴力とかの問題ではなく、そもそもおそらく人より音を聞き分けられないことに気づいた。判別できない。
よくリスニングやスピーキングは音読だ!何度もフレーズを喋ることが大事だ!
といって自分でしゃべろうとしてもなかなかスラスラといえない。
練習不足といわれたらそれまでかもしれないが、そもそも特定の音が何度やっても出せない、つっかえる。
で、いろいろ自分の人生を振り返ってみると、やはり文字ベースで学習してきたことに原因がある気がする。
というか、教師の話は一切耳に入れようとしても入らず、理解できなかったため、永遠に教科書を読んで、問題集を解いてがんばってきた。
その後、大学で、音ベースのトンチンカンで不足だらけのパワポ授業に苦労した。
歌だってそう。何度も同じ曲を聴いて、声に出しても同じところでつっかえるし、そもそも覚えるのにものすごく時間がかかる。
なんで数回聞いただけでみんなサビのフレーズを口ずさめるの?
サビの雰囲気というか景色はわかるけれど、音やリズムや歌詞が全く思い出せない。鼻歌なんてものも無理。
そのかわり文字ベースの暗記は本当に負けないし、瞬間的に景色として覚えられる。
サヴァンってほどではないが、実生活でも便利なくらい役に立っていると思う。
と、まぁ言い訳をツラツラ書いてしまったけれど、外国人の友達と英語で話したいし、海外で働く夢を叶えたいから今日もオンライン英会話がんばるよ。
https://anond.hatelabo.jp/20191012161120
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本誌連載一話目からずっとアンケ出して単行本買って毎週感想や考察を楽しんでいたのにアニメ化してから本誌感想を検索するとアニメ新規原作未読勢の原作既読者への「死ね」とか「殺す」とか「クソ」とか罵詈雑言がすごくて気が滅入る ネタバレ踏んだまでは百歩譲るとしていや原作を買えやと許す気にもなれんが付随するのが死ね殺すだよ そこで読者への殺意が湧いちゃうんだ、原作の購入意欲じゃなくて…すごいな、僕にはとてもできない
「ネタバレ配慮しない人が多すぎ民度が低くて引く」「鬼滅で検索したら/二次創作漁ったらネタバレくらった」
被害者のような言動をしてるが単行本も本誌のバックナンバーも電子で買える今の時代に原作未読のまま原作読者のせいでネタバレ踏んだ!って騒ぐの、よくよく考えると分からない、謎だ、これってトリビアになりませんか?
消費者からすれば訳が分からないよな、なんできちんとお金を払って楽しんでいる側が責められなきゃならないんだ…? 理不尽な殺意地雷です
後半どんどん雑になっていくのはネタバレルートが自業自得むしろなんで被害を受けたと訴えようと思った?レベルに救いようがなくなっていくからです
地方だから入荷遅い? 電子あるだろ インターネット見てネタバレ配慮しろとぎゃーぎゃー喚いてるのに電子版にアクセスできないわけもないだろうし…分からない…
何のサービスでも検索したらその情報が出てくるのは当たり前だろ お前は分からないこと知りたいこと気になったことを検索したらそれについて詳しい情報が出てきたことがないのか
二次創作って基本原作を知ってる人間がやってるからそこに原作のネタバレがあるのは当たり前だろ 二次創作の二次って何の二次だと思う? 原作の二次なんだよな 一次情報である原作のネタバレが含まれているのは自明の理だと思いませんかあなた?
自業自得で勝手に苦しむのはいいが一人で孤独に苦しんでくれ あなたのせいでネタバレ踏みました!って逆恨み呪詛をばら撒くな 本誌ネタ感想考察二次創作のせいでネタバレ踏んだ死ねとか言ってるお前のことだぞ
そういう輩を見るたびにこいつは原作に金を落とす気のないキッズと判別できるのはいいがアニメ化を機にこんな精神低年齢者に目をつけられてしまった原作が不憫でならないんだよな 原作未読勢のせいで肝心の原作ファンが当初のように楽しめなくなってしまって本末転倒なんだよな 最初こんな言動取るのは中学生か高校生だろまあ仕方ないかと思ってしまったけど中学生高校生ごめんな、普通に18歳以上とか成人済みの発言だったわ、世も末 ネタバレを死のように恐れるならそもそもインターネットをやるな いやその前に原作を買え 宗教上の理由でできないのか? 購入厨に先越されると悔しくて泣けてくるのか?
最初は配慮してたけど4月から半年経っても原作漫画の一巻も買わない人間、ネタバレのせいで漫画見る気萎えた!とか言うけどこれどのみちなんだかんだ言い訳して公式に金を落とすタイプの人間じゃねえんだわ、もっと早く気づけばよかった
インターネットのせいでネタバレ踏みました配慮してください人間、原作を買ってないんだよな
原作を買う気のない人間のせいで原作買ってる人間が遠慮を強いられるのおかしな話なので無課金厨は配慮しろ
アニメ派に人権はあるけど自衛もしないできない無課金厨に人権はないよ
更に言うならきちんと購入して原作を支えているファンを加害者扱いしてキッズ呼ばわりする側の方が読者の人権を侵害しているよ
本誌も追わず単行本も読まずそのくせ自分からネタバレに繋がる検索をして死ねだの殺すだの不平を言って読者の足しか引っ張れないような奴は目を瞑ってどっか隅っこに挟まって口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きててほしい
https://anond.hatelabo.jp/20191012162403
というか円盤グッズ買ってくれるかもしれないしと配慮してきたよ
でも「お金ないから原作買えない、アニメのみで楽しみたい」って言ってる人間を見ていくらネタバレ配慮したところで原作漫画の一巻も買えない人間が漫画全巻より高い円盤を買ってくれるわけがないから無意味だと目が覚めた
とんでもない、ペドフィリアにしたって少年愛にしたって、内心にとどめるなら大いに受け入れられてしかるべきだと思う。
いやもちろん実際に手を出すのは普通にご法度ではあるが、それに関して言えば例えば僕がおっさんをレイプしたとしても逮捕とあいなるわけであって。
そういった層については、実際にその欲望を満たすとなると自分では手を出さないにしても「まだ事の重大さを判別できない幼い子供の裸の写真」とかが必要、という点があるから問題視されている。だから例えば萌えイラストを描くとか少女の姿をしたドールを使うとか、代用品でちゃんとコントロールして、かつ公共の場で大っぴらにその事実を見せびらかさない限り(LGBTでも一緒だよね)それを規制したり忌避するのは間違っていると思うよ。
はてな匿名ダイアリーにおいてパート2というのはアリなのでしょうか…? 文化が分かりません。もし痛々しいようでございましたら申し訳ございません。
以前投稿した記事(https://anond.hatelabo.jp/20190926105149)にて私見を交え自分の持つ症状について解説いたしました。が、「タイトルとイメージが違う」とのご指摘がありそういえば元々は自分の人生について書いてみようとしたのだということを思い出しました。前振りだけでいい具合にまとまったのでそれで良しとしてしまっていました。
というわけで本題の発達障害者である私の自分語りをさせていただきます。自閉症と多動症を持って生まれた私がいかように生活してきたのか、振り返って書き連ねていきます。詳しい症状につきましては省略いたしますので、不明点がございましたら上述の記事を参考にしながらお読みください。
出生の頃から追って話しましょう。さすがに私の記憶は流石に薄れていますが、当時から私が育てるコツのいる子であることは母には察しがついていたようです。
目を合わせて話さない。集団行動ができない。特定のモノに極めてこだわる。このような特徴が見られたようです。もちろんこれらは赤ん坊であるならば持っていても変ではない特徴も含まれますが、私の場合は幼稚園年長くらいまで続いていたらしく「他の子とは明らかに違っていた」と言います。
集団行動の苦手さを表す具体例としては、前回の記事にも書きました幼稚園から脱走していたことが主だったモノとしてあげられます。とにかく放っておくといなくなる。あまりにいなくなるものだから、見失わないように私だけ違う色の帽子を被せられていたり園長先生が抱っこして確保していたり特別な措置が取られていました。「差別的ではないか」と保護者会で話題になったとか。まぁ当の両親は正しい判断であると先生にいたく感謝をしていたようですが。
まぁ幼い子であれば”ひょうきん”だとか”手のかかる子”という表現だけで済むのです。迷惑はかけましたが面倒な問題にはなりませんでした。
ここであげておきたいことが”目を合わせて話さない”という点とそれに対する母の対策です。
子供は成長しながらコミュニケーション能力を身に着け、その一環で「目を合わせて話す」ということの重要さを学ぶものです。大人の真似をし、後々意義を理解するというのが発達の基本ですからコミュニケーション能力もそうやって身に着けるのでしょう。
ただ私はとにかく誰かが話しかけてもそちらの方を見ないし、私が誰かに話しかけるときもこちらを見ない。私には会話中に相手の顔を見るという発想がなかったらしいのです。おそらくですが、やる意味は分からなかったのでしょう。「そういうものだからそうする」とか「みんなそうしてるから」といった発想は私には薄いのです。ゆえに真似をせず、発達が遅れる。この性分が字のごとく発達への障害になっています。
今思えばこちらを見ずに話しかけるサマというのは、やや気味の悪いように見えたことは想像に難くありません。
この悪癖を放っておいたらいけない、と母が実践したことが「とにかく自分から顔を見て話す」ということ。
子は親を見て育つ、それで覚えないならもっと見せていくしかないという発想のようです。とにかくちょっとした会話でもしゃがみ込んで目線を合わせる。呼びかけられたら自分から私と目が合う位置に移動する。意図が分かりやすいよう、たまに口でも「目を合わせて話してね」と言う。母の行動は徹底していました。
そうしているうちに、私は目を合わせて話すようになったんだとか。
つまるところ、覚えが悪い子もちゃんと教え込めば理解できるようになるのです。特に口で言うことは大事です。「こっち見てくれないと誰に言っているのか分からないから」など理由もつけましょう。意義が理解できればやるようになります。言い過ぎると逆効果という例もありますから、難しいところではありますが…。
また今更なのですが、ハッキリ言って私は親に恵まれています。「うつ病ブログ見てたら”恋人が助けてくれて~”とか書いてあった」とか「食費節約の記事見てたら”米は実家から送ってもらって~”とか書いてあった」などに近い事案かもしれません。ご了承ください。うつ病患者にとっての恋人とか、米を送ってくれる実家みたいな存在に自分がなるんだという気持ちで知識をつけることにこの記事が役立ってくれるなら幸いです。
問題が徐々に起き始めるのはこの頃からです。先生から露骨に出来ない子という扱いを受け、いじめを受けたりいたします。もう”ひょうきん”で済む年齢は終わってしまったのです。
実際私は色々なことができませんでした。運動は大の苦手で、漢字テストは毎回落第し、常識はずれな行動も多く、そして正直に色々言い過ぎます。私としては何がなんだか分からないまま先生に怒られ続ける日々でした。本当に何がいけなかったのか分からないので、具体的な問題の例を挙げられません。ただ先生から見たらよほど出来の悪い子だったのでしょう。そんな私がクラスメイトに標的にされるのは自然なことでした。
いじめのトドメになったのは噛み癖があったことです。どうも私は触覚に安らぎを覚えるようで、自分のモノは噛みたくなるし顔にこすりつけたがります。鉛筆他色んな所有物をよくかじっていました。正直言って、これに関してはいじめられる側の原因と言えます。
私に触れることはアウト、私の触ったモノはアウト、しっかり拭けばセーフになる。他の生徒からはそのような扱いを受けていました。
さてまぁ壮絶な過去に見えますが、我ながらこの時期はずいぶん気丈に過ごしています。
まず絶対親にこのことを言いませんでした。というのも、大事な人が傷つくのは嫌だったのです。偉いとか優しいとかではなく、それが破ってはいけないこだわりの一つだったのです。
学校でいかように過ごしていたかと言えば、とにかくクラスメイトに話しかけました。嫌な顔をされたりするのは当然ですし、拒絶された記憶もいくつかあります。
なぜそんなことをしたかと言えば、話していい人と悪い人を判断するためです。クラスメイトが全員いじめに参加していましたが、それが全員の本心というわけでもないのです。心底私が嫌いな人、みんながやっているからいじめに参加している人、実はほぼ嫌悪感を持っていない人など色々います。なんというか、これが分かっていないと学校生活で困るのです。分からないことや授業中など、学校生活では会話は必ず必要になります。ですからこの人は話しかけていい、この人は絶対ダメという判別をする必要があったわけです。給食の配膳なども私が配るものを受け取る人受け取らない人がいるので、それも覚えていた方がスムーズでした。
それで大丈夫だったのかなんて思う人がいるかもしれませんが”私に触ることはアウト”なので殴る蹴るは絶対にされないわけで、だから私もこのような行動をとっていました。ちなみに話しかけていい人にも必ず距離を置いて話していました。これらのおかげで嫌悪感をぶつけられることも減りましたし、触らなきゃ話せる相手もできたので大成功だったと言えるでしょう。
今思うと自分でもやや呆れる行動ですが、このような割り切った行動ができるのは発達障害者の強みだと理解しています。
ちなみにダメージが無かったかと言えばまったくそんなことはなく、ストレスが振り切れて”触ったらアウト”をということを使って逆襲したりもしました。本気で泣かれたことがよりショックで私も泣きました。発達障害者も人なのです。無関心でいられるのはよかろうとも嫌悪は精神的に来ます。
はてさてそんなのが一年ほど続いて、私の噛み癖も抑えられた上にクラス替えでいじめがウヤムヤになった頃の話です(子供のいじめなんてそんなものです)。
いじめが無くなったとはいえ、私が色んな事が出来ない状況は変わりありません。未だ先生の心証は良くなかったようで、三者面談では母が怒りかけるほど小言を言われたそうです。
これではいけないと判断した母は育児について調べ初め、発達障害について知るやいなや私を児童精神科に連れていき、正式に診断を受けることになりました。診断結果を話した結果、先生の対応は一変。連絡帳を通してたくさんの配慮をしてくれるようになったそうです。
診断を受けるということは自分が症状を理解することはもちろん、相手に配慮を求めることにも役立つのです。
私の母などもそうですが、先生の態度について色々思うことがある人もいるかと思います。ただ実際にいじめを目の当たりにしてできることはあまりにも少ないですし、しつけのなっていない子が存在するのも事実です。ですからやはり自分で自覚して問題を起こさないためにも、ただ出来ない子と思われないためにも診断は大事なことなのです。診断には強い説得力があります。少なくとも小学校教師になれるほどの英才の方であれば、医師の判断の重大さは分かるはずです。
さて通院や教師の配慮を通して自分が他の子とは違うことを十分に理解し、列から抜け出さないとか家に勝手に帰らないだとか当たり前のことは覚えながら成長していました。大人の方はみなそうですが、私の問題を挙げても存在否定はいたしませんでした。今自分のことが大好きなのはこのおかげであると考えております。
中学生になった頃には自閉症的な特徴がプラスな要素になることも多くなっていました。他人に無関心という点などは特に強かったですね。
なにせ中学校はけっこう面倒な社会です。どこのグループにいて、誰と誰が喧嘩して、あいつはどこに受験して、あの先輩はあんなことしてて…などなど。面倒です。そして誰もが面倒と思っているのに、多くの人はこの面倒な風評を気にしてしまいます。ただ自閉症患者としてはこれは本当にどうでもいいことなんですよね。立ち位置とか気にするの面倒なのです。知らんわ。
そういうわけで私は特定のグループにいることはなく、基本的に面白い人なら誰だろうと話しかけていました。それのおかげか誰とでも平等に話すなどと評価されることが多かったです。よく気軽に話せるなどと言われました。あとは趣味に偏見がなかったのも大きいでしょうか。バント、小説、アニメにスポーツ、変わったところではジャニーズなどの話を聞いていました。自分が知っているわけではないものも多くありましたが、楽しく話せる分には何でも歓迎でした。しがらみがない人間というのは中学校においてはとても貴重な人材だったのでしょう。ゆえに”他人に無関心”はお気に入りなのです。健常者に自閉症マウンティング取れますね。
また他人からしてみれば強烈に個性的に見えるようでけっこう人気がありました。良くも悪くも目立つ人だったのでしょう。
さてかなり上手いこと発達障害を個性にできたと書けば見栄えは良いようですが、決して楽なだけではありません。
とにもかくにも自己分析を続ける日でした。「お前は客観視ができない」と両親からひたすら言われ、客観視とはなにかから始まり自分がどういう特徴があるのかズラズラ考え続けていたものです。あるモノにどういう特徴があるか知る時の基本は、他のモノと比較することです。障害の本もいくつか読みましたが、自分は平気でやるが他人がやろうとしないことを色々見て知ることが一番客観視につながったのだと今では思います。まぁおそらくそんなことは小学生の頃にやっておくのが一般的なのでしょうが…。
意義が分からない限りやらないのが私でございます。自分を理解しないと人に迷惑をかけることになると知って、ようやくこういったことを始めたのです。
まず自分が失礼なことをたくさん言う人であると理解いたしました。ウケ狙いとかではなく、何とも思わず指摘するのだからタチが悪い。特に女性の容姿については言うべきではないと学びましたね。
それに自分は集中すると周りが見えなくなるし、やると決まったことは徹底的にやるし、陰口は言いたがらないし、ツッコミで強く手を出しやすい方だし、婉曲な言い方が理解できない。こういうことをとにかくたくさん知りました。この記事を書くこと自体も客観視の一環ですね。
しっかり向き合ってみれば結構分かるものです。ただまぁ前回の記事の通り「~~という特徴であるらしい」とか上手く自覚の出来ない特徴も多くありますが。ただ、これを知るだけでも行動は変わるものです。怒られたり驚愕されることはずいぶん減りました。
月並みではありますが、大事なのはとにかく障害に向き合うことです。なんでも知っておけば「あっこれやったらダメかも」と分かるモノです。「これはしちゃダメ!あれはしちゃダメ!これはしろ!」といったようにルールを決めるのではなく、特徴を知ってその都度対応しましょう。ルール決めが必要な時があったとしても、第一優先はそこではありません。
ここまで書いて気付きましたが、中学校でのエピソードに欠けていますね。強いて挙げるなら友人がバカにされてハチャメチャに怒ったことでしょうか。
やけに他人を見下す阿呆がいまして、彼奴が私の友人を散々に罵倒したと聞いて教室に殴りこんだことがあります。結局ロクな解決にもなりませんでしたが、他人に無関心というのは「他人がどうでもいい」のではなく「自分が好いている人以外がどうでもいい」のだと知ったキッカケです。友人は他人に入らないらしく、むしろ思い入れが強いのかもしれません。
前回の記事で発達障害者がストーカーになったなどと反応がありましたが、なるほどと少し納得いたしました。
高校時代についても書こうと考えましたが、エピソード不足でありますし少し疲れたのでここで筆をおきます。
さて前回にて「アスペで友人がいるなど詐欺だ」などという反応がございましたが、実のところ私も不思議に思っていた時期がございます。おそらくはとにかく正直で、フラットで、好きな人にはそれなりの接し方をしていたからではないかと結論付けています。20年生きてきて分かりましたが、正直は美徳と言うわりにそういった人は案外少ないものです。外面を固めるのが上手い友人が私の前では豹変したようにドサドサとキツイ言葉を吐くサマは中々愉快でございます。私が楽しいから友人といるのと同じく、彼らも私といて楽しいからいてくれるのでしょう。友人への敬意と多少のユーモアがあれば、あとは個性として楽しまれるのではないでしょうか。
記事の中では母についてはいくつか触れましたが、父の出番はありませんでしたね。というのも父は私のことを本当に放っておいたのです。好きなことをしていればそれでいい、とそれだけは言っていましたが強く干渉することはありませんでした。実際に父も自分の好きなことをたくさんしていました。食事が大好きで今ではメタボなほどですが、誰の忠告も無視してまだ食べ歩きを続けています。子は親を見て育ちます。私が自分に正直に、好きなように生きているのは父が影響しているのでしょう。結局両親ともども私のために色々してくれたのです。
ご参考になれば幸いです。
最近見かけたとあるツイートを目にして、強く思った。内容は特に珍しくもないだろう、小説同人誌を書いている人を軽んじる内容の匿名メッセージ(正しくはそのメッセージに対して返答している人のツイート)
特に珍しくないと書いたのは、定期的にTL上で目にするからだ。残念ながら二次創作界隈では漫画やイラストを描ける人たちの方が圧倒的に格上として扱われている。同じ穴の狢なのに、とは思うけど、正直理解できてしまう。
文字って読むのに時間がかかるし、疲れてる時は目が滑ってそれこそ一文字も頭に入って来ない。生真面目な内容だと眠くなるし。
逆に漫画やイラストはするっと目に入ってくる。瞬時に脳に萌えが届く。萌えの特急便だ。
Aは胸をシャツの上からギュッと掴んだ。痛い。心臓が早鐘のように鳴っている。血が今までにないほど速く身体中を駆け巡り、身体が火照ってきた。
とかいう文章を読むより絵の方が脳直でAの状態が分かる。1秒で得られる情報量が違う。
時間が掛からないということは圧倒的に目に留めてもらえる機会が増えるし、それってつまり「人気」なわけだ。「視聴率」が高いわけだ。
あとこれは結構同人読者にとって大事なことだと思うんだけど、好みか否かの判別がすぐにつく。
ストーリーの好みじゃない。絵柄とか、文体の好み。文章だって、数行で分かるときもあるけど、基本文庫で数ページは読まないと判別出来ないんじゃないだろうか。
最近pixivで文字数検索出来るようになったけど2万字までは短編。2万字って読むのにどれぐらいかかるのかというと、pixivの計算だと大体40分程。
漫画の短編は何となく24〜40pぐらいかなと思っているんだけど、どうだろう。それって読むのにどれぐらいの時間がかかるんだろうか。
測ってみたことはないけれど、それでも40分よりは短い気がする。
私は小説を読むのが好きだけど、それでも読むときは気持ちの余裕と、一気に最後まで読めるぐらいの時間の余裕、どっちも必要になってくる。
個人的に一気読みしたいタイプなので先ほどの例で言えば40分何人たりにも邪魔されず、小説に集中したいから。
子供から大人まで疲れてると言われている昨今、時間をかけずに萌えを届けてくれる絵や漫画のほうが読者の母数が確実に多いのだ。
分かる。超分かる。
ただ、
アンソロジーに参加しようと
小説をわざわざ持ち上げて、小説ってなんて素晴らしいものなんだろう! 今まで読んでなかったなんて人生損してた!
と感じてくれなんて全然思ってない。
嫌いならそれでいいし、別に小説を読めだなんて言わない。合同誌でもアンソロでも、好きな作品、読みたい作品だけ読めばいい。無理やり読む必要なんて全く無い。購入者の自由だと思う。
だからどうかもう迫害しないで下さい。言葉で加害してこないでください。
と、これをまるっと文章で書いている以上、伝えたい人たちには届かないんですけどね。
分かってます。
現状に不満があるなら絵を練習すれば?
そうじゃない。絵が描けるようになりたいわけじゃない。あくまで私は小説を書いているのが好きだ。小説で私の好きな二人を描くのが好きなんだ。
これ以上目立ちたいわけじゃない。これ以上フォロワーを増やしたり、ちやほやされたいわけでもない。そりゃ本音を言えば自CPにハマったあかつきには自分の作品を読んでくれたらなぁとは思ってる。けどそれだって、無理にとは言わない。自CPが好きな人の数だけ自CPの解釈があるんだから。
発端のメッセージを送った方は悪気はないように思う。恐らく質問された内容に自分なりに答えたに過ぎないんじゃないだろうか。
だからこそ、いかに小説を下に見ているかが浮き彫りになっているんだろうと思った。
頒布費を抑えるためというならば漫画も小説も、1冊丸ごとDL販売したらどうですか? という提案のほうがしっくりとくる。
だって合同誌なんだから。個人誌をセット販売したいという話ではないのだから。
もう「小説同人誌は印刷代すら勿体ない」「資源の無駄遣い」とでも言われたかのような衝撃を受けてしまった。何でそこまで言われなきゃならんのだ!?
今まで何度も「小説同人誌って格下扱いされてんな」と感じてきた。けど別に小説を書くことをやめようと思ったことはない。
漫画を描いてみようと思ったことは、まあ無い事はないけど、それだって「この話は小説より漫画の方が絶対映えるうううう」となってそのネタを形にしたいがための手段として必要に迫られてなわけで、だからって誰かに頼むわけにもいかないし、なら自分でとチャレンジしてみて結局1週間ほどで諦めるやつ。
その点文章はもう定期的に吐き出していかないと駄目。溜め込みすぎるときっと爆発するんだと思う。
自給自足で生きていけるタイプの人間なので、毎日自作品に囲まれているだけで人生エンジョイ出来るから、「小説下に見られてるな」という話を目にしても、そりゃ悲しいし怒りも覚えるけど、それで書くのをやめようとは別に思ってない。
これからも思うことはないはずだ。
けど今回のはなぜかグッサリときてしまった。別に誰かと合同誌を出したこともないし、その予定もないのにね。何でこんなに落ち込んでるんだろ。私が言われたわけでもないのに。
今絶賛原稿中なのにモヤモヤが治らなくて書きなぐってしまった。
そういえば昔からテスト勉強の期間になると、普段はしない部屋の掃除を始めてしまうタイプだった。これも一種の逃避なんだろうな。
けど吐き出してかなり頭がスッキリしたので落ち着いて自CPの本に取り組めそう。
ウルトラハッピーでラブラブな二人を書きたいのでネガティブな気持ちは吐き出した方がいい。これ書いてる間に原稿3000字ほど進んだのでは? とか考えたらだめ。
終わり
※二次創作作品をDL販売することはそもそも駄目だけどここではその点は横に置いてます
※絵や漫画を書いている人を目立ちたがり屋だとか、ちやほやされたい、フォロワーをとにかく増やしたいと思っているんだろうなとは欠片も思っていません
[追記あり]
当方、歯科医師夫婦。長女が5歳の時に乳歯に虫歯を作ってしまいました。見つけたときはショックでした。
夫婦ともにそれなりに専門知識もありますから、元増田さんとおなじかそれ以上に気をつけていました。食器の共用はもちろん、ジュースなども他のお子さんより少ないか、ほぼ与えなかったと思います。歯磨きも毎日していました。
それでも虫歯はできていました。虫歯は臼歯隣接面と呼ばれる、奥歯と奥歯の間です。長女はその部分がくっついており、歯ブラシだけでなく、本来はフロスをつかって清掃すべきでした。この部分の虫歯はある程度大きくなって一部が欠けてこないと、普段の歯磨きでは気がつきません。
おきてしまったことはしょうが無いので、父親である私が治療をしました。長女は涙を流しながら、痛いのを我慢して治療させてくれました。
それから、子供の虫歯については永久歯に虫歯を作らないことを中心に治療、指導するようにしました。虫歯を作りたくて作る親はいません。ちなみに、3歳まで菌が入らなければ、、、と言いますが、現実はなかなか難しいですよ。
元増田さんも、歯科医院に連れて行ったのであれば、責任は果たしていいると思います。痛い治療はかわいそうですが、なんとか連れて行ってあげて下さい。
何歳のお子さんかはわかりませんが、「痛いけどがんばれ」と言って応援してあげてください。「すぐおわる」とか「痛くない」とかウソはだめです。痛い治療をがんばったということを褒めてあげないと続きません。
・両親で交代して行うこと。(磨き残しのクセがだれでもある)
・仰向けで明るいところでしあげ磨きをすること
・最低でも小学校6年生までしあげ磨きをすること
・フロスをつかって、引っかかったり、繊維がばらけるようなところがないか(あれば受診)を確認すること
を注意してください。
そして、定期的に歯科医院に連れて行ってください。(「虫歯がありそう」で構わない)
初期の虫歯は、明るいライトの下で、乾燥させないと判別できません。
こういうことを書くと「宣伝だ」と言われるかも知れませんが、虫歯になった時点で歯医者も親も本人も負け戦です。
[追記]
たくさんコメントを頂いたので、追記します。(10/5 0時頃)
多くの人にいっぺんに伝える機会も普段はありませんし、コメントもたくさんあったのでこの際ですから長くなりますが書きます。コメントに賛否があり、特に否定的な意見は普段の歯科医師対患者の会話ではほとんどありませんから、とても参考になります。
これはラットの実験で証明されています。ただ、人間を無菌で育てることは現実不可能です。どの段階で感染するかはいろいろな意見がありますが、教科書的な結論はないかと思います。
ただ、細菌を増やさない、細菌の餌になるショ糖をとらない、細菌のすみかであるプラークをなるべく早く落とすというのは虫歯予防の原則になります。
歯は生えた直後は柔らかく、虫歯になりやすい状態です。実際歯を削ってみても、80歳の歯と6歳の歯ではかたさが違います。食事の度に脱灰と再石灰化を繰り返して、硬くなるのです。このときフッ素は再石灰化を進めるため、乳歯や幼若永久歯に塗布することが推奨されています。
ただし、進行したう蝕には効果はありません。
歯を磨け、甘い物を避けろ、食器の共用はやめろとうるさく言うかというと、過去のこれらの啓蒙で子供のう蝕は明らかに減っているからです。1975年頃をピークに一人あたりの虫歯の数は右肩下がりです。これは歯科医師(業界)にとっては大きな成功体験なのです。虫歯が減って仕事がなくなったと憤る歯医者はいません。
虫歯になる子供を減らし、重症化させないためには、歯科医院にう蝕を主訴にきた子供と親に対しては、耳が痛いだろうなとは思っても言わないわけにはいかないのです。
例えば、4歳で右上の乳臼歯に虫歯がある子供がいます。いままでと同じ生活をしていれば、左上も左下も右下も虫歯になるのは時間の問題です。数回の治療で1本の虫歯を治しても、他の歯の虫歯が進みます。そうこうしているうちに6歳臼歯が生えてきて、使いもしないうちから虫歯になってしまうことがあります。治療ができるようになる3~4歳から、永久歯の生える5~6歳まで、思っているほど時間が無いのです。しかも、6歳臼歯は永久歯の中でも最も大きく、咀嚼に重要な歯なのです。
少しずつ治さないで一度にたくさんやればいいと思う方もあるかも知れませんが、そんなに長く子供は頑張れません。抜けばいいという方もあるかも知れませんが、麻酔をして抜歯をするのも小学生まではなかなか難しいのです。あまりに早く抜くと、歯並びが悪くなります。磨きにくくなって虫歯のリスクが上がります。
何度も何度も歯磨きを指導して、時には乳歯の虫歯の治療を一回休みにしてでも、永久歯を守らなければいけません。
「負け戦」という言葉に思いのほか反応があったので、言葉の選択を気をつけなければとも思いましたが、上記の様な例がまさに「負け戦」なのです。乳歯を犠牲にした撤退戦です。乳歯が犠牲ならいいのではと思うかも知れませんが、その間、子供はいつもどこか痛いのです。食べるたびに痛いのです。親は仕事の合間をぬって毎週のように歯科に通うのです。夜は歯が痛いと泣かれるのです。歯科医も顔を見るだけで泣かれる子供をなだめすかして、治療をするのです(これは仕事なのでたいした問題ではない)。新しく虫歯ができたり、進行するので、計画がなかなか立たない治療です。
小さい虫歯が1個2個なら負け戦ではありませんね。これは訂正します。
磨かないのに虫歯にならないという人は確かにいます。唾液の性状、歯の形、性質、食生活に個人差があるからです。(歯周病のリスクは別ですので、綺麗な歯が中年以降にぐらぐらになって抜けていく人は結構います。)だからといって、予防をしなくても一緒とはなりません。
しあげの歯磨きについて
6年生までやるの?→高学年になれば毎日出なくても良いと思います。適当に毎日やるくらいなら、しっかりを週1回です。
身長が170cmの6年生でも寝かせるの?→寝る場所でやればいいだけです。布団やベッドでやってください。立った状態で上の歯はみれません。
2歳の子供に咬まれます。→たぶんブラッシングの力が強すぎです。歯肉に歯ブラシが強くあたると痛いので咬みます。歯肉と歯の境目も磨くべきですが、優しく細かく動かしてください。。
口を開けてくれません。→まずは親が歯磨きするのをみせましょう。子供の前に座って歯磨きをしながらテレビでも見ててください。まねするようになります。立って磨くのは余りみせないほうが良いと思います。子供がまねをして、歯ブラシ咥えて歩き回り、転んで突き刺さることがあります。
歯磨き粉は?→子供用のフッ素入り低発泡のタイプが良いかと。いつも使う必要はありません。スッキリするので、磨けた気がしてしまいます。使いたければ、子供が自分で磨くときに少しだけつけて、しあげ磨きの時は歯磨き粉無しでよいかと思います。
歯ブラシは?→ギザギザなどがない普通の形のものを。開いたらすぐ交換しましょう。
「子供は自ら虫歯を予防することはできない」という点は明確な事実だと感じています。「虫歯にならないように努力をする」、「初期の虫歯で治療に連れて行く」というのは「交差点で飛び出さないように周囲に気を配る」程度の親もしくは周囲の大人の責任だと思います。「虫歯の1個や2個で大げさな」という意見もありますが、1個や2個ですまない事例を見ているからこそ、そうならないように指導されていると思ってください。取り返しがつく失敗だからこそ注意されると思ってください。
ちなみに、私の母とその父(私の祖父)も歯科医師でした。私の乳歯には1本虫歯がありました。母は「おじいちゃんが「じぃじあそんで」とうるさい孫を黙らせるために、しょっちゅうあめ玉をあげていたから、それで虫歯になった」と言っていました。時代としてはそんなものでした。
母親がしっかりしてさえいれば虫歯はなくせる(減らせる)というのはそろそろ限界に来ています。実際、減り続けていた子供の虫歯は近年横ばいです。ゼロにはなっていません。周囲の大人の責任ですという啓蒙をつづけることで、もう一段階減らせるのではと思っています。母親が自分の「息子」に「虫歯はお父さんが防ぐのよ」と伝えることで、次の世代につながると思います。
長くなりましたが、元増田さんのエントリを通じて、たくさんの人に自分のエントリが読まれたことを感謝します。元増田さんは子供を歯科に連れて行っただけでも責任は果たしています。あとは完治まで根気よく通ってください。