はてなキーワード: 再現性とは
言葉を理解できず、自分の意見が周りに伝わらず、周りの意見も分からず、泣いてばかりいた私が日本でエンジニアになるまでにやったことをまとめます。
同じような状態からエンジニアになった知り合いも多くいるので再現性は高いと思います。
少しでも人の役に立てたら幸いです。
# 誕生
言葉もわからず、意思疎通もできなかったが両親や周りの環境のおかげで学校に通うことなく自然に日本語をネイティブレベルで習得する。
# 小学校進学
進学。
# 中学校進学
進学。
# 高校進学
進学。
# 大学進学
進学。
# 就活
# 社会人
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そういうめんどうな質問をしてくるやつに的確な返答が思い浮かばないから簡単な否定文を自己にあてることで反面の質問者と同じ行為をしてる感があるな
次そういう話になったらどう論破してやろうかではなくそういうやつはすぐに縁をきったほうがいい
一緒にいることで何の得もないというかそいつは他人とかかわらないことが最も効率的だと考えているはずだからなにかしてあげるすべてが損になる
自分はこうして人生大成功したのになんでみんなこんな簡単なことしないの?と同じ系統でそんなにラッキーなら目をつぶって横断歩道わたっても大丈夫だろうよ
再利用性や再現性に確度を高めなくてもいつでもそこにあるはずのものがいつまでもそこにあるとか必ずそうなるのは自分以外が手を付けない場所だけ
一般人は
皿は次に使うときにどの皿が何に使えるかという選択選別判断をいちいちしなくていいように洗っておいておくし
タオルを洗って毎回風呂上りが風呂上りであるようにまた風呂に入りなおす羽目になる確率にさいころをふらないし
ファスナーをしめることで予想外の出来事に自分の装備品をまず全部確認するという作業をしなくていいようにするし
除雪することで認識可能範囲での事故の予防や被事故の発見をすることでその手間よりも多い面倒ごとから回避するし
洗濯物をたたむことで時節にあわせた服装ができるようにする程度に再利用スパンが短くないし
しおりを挟むのは知恵がどうのということとは関係なく物理的にページをめくる動作作業を軽減させるものだし
新卒で入った会社を配属されてから1ヶ月でつまんないと感じて辞めた。
一般的にみたら落伍者、社会不適合者、ゴミ屑、なのだろうし、それは全く間違っていないが、それでも結構幸せに生きていけている。
僕が今回言いたいことは、「つまらないと思うことを努力してやって結果って出るんだろうか?」という話だ。
僕が今まで生きてきた経験上、つまらないと思うことを我慢して続けたことよりも、好きでやって努力を努力だと思わないでやっていたことの方が成果を出せた。
たぶん、誰だってそうなんじゃないだろうか。
つまらない高校の授業を、周りと同じように我慢して聞いていたことがある。
でもそれらが身になることはなく、身についたとしても、それが僕を幸せにすることはなかった。
だから僕は高校に行かなかった。でもとても勉強が好きだったので、家やらカフェで勉強していた。結果、東大に進学した。
東大では2度留年したが、好きな勉強だけをしてそれを論文にしたため、優秀な修士論文として学科長の賞をもらった。
新卒では東証一部の某企業に入社した。研修を終えて最初に配属された部署で振られた仕事があまりにもつまらなかったのでボイコットした。当時の給料は額面で月25万だったが、副業で月50万稼いでいた。
もとよりプログラミングが好きで、webサービスを作ることができたので、スタートアップのエンジニアとしてフリーで働いていた。時給4000-6000円で請け負って、会社を定時で切り上げて夜の11時くらいまでスーパー銭湯にこもってコードを書いていた。そちらの仕事の方が楽しかったので新卒で入った会社は配属されて1ヶ月で辞めて、しばらくフリーで働いた。
アフィリエイトの宣伝文句のようであるが、フルリモートだったので会社を辞めてからは海外旅行をしながら仕事をしていた。
最初のうちは調子が良かったが、フリーは仕事が常にあり続けるというわけでもないので、仕事がなくなりそうになった。仕事がなくなれば、そこでジエンドではある。でもそれでも、まあ結構大丈夫だ。
linkedinに登録していると時々転職エージェントから企業の紹介がある。フリーをしながらそういう紹介を受けて、冷やかしで面接にいった。僕の履歴書はめちゃくちゃであったが、好きなことだけしていれば面接で話せることは山ほどある。2度の留年や、会社を数ヶ月で辞めたことは帳消しになったようで、どこの企業からもオファーをもらえた。年収は、普通は前職考慮なのだろうが、こちらの言い値が通った。
これらのストーリーに再現性があるとも思わない。ただ、僕は自分の人生の方針は間違っていなかったと思う。
嫌なことを全て避けて、好きなことだけ興味のある限りやってみる。
その方が成果を出せると僕は思う。
英語を全く使わないメーカーのルート営業に就職。理由は金が良かったから。年500はあった。でも英語で採用された。
研修期間に遊びまくり試験成績が悪かったからか地方の田舎の営業所に配属。
毎日上司or客先の営業を兼ねた酒の付き合いで体調と精神を崩し、1年で退職。実家に帰る。
英語を使う仕事なら出来ると開き直り上京して未経験可のIT中小へ就職。客先出向でヘルプデスク。年収200万ダウン。
上京したテンションで前職で覚えた風俗とギャンブルにハマり借金を抱える。
このままではいけないと2年後に未経験可の社内SEに転職。完全にポテンシャルのみの奇跡の採用。年収が100上がる。
部長からやる気を買われ社会人大学院生として推薦される。学歴に自信が無かったのでロンダして転職出来るかなって二つ返事でOKする。
1ヵ月で生徒達のレベルの高さに入学を後悔。ゼミ、授業についていけず鬱になる。授業もディスカッション形式のものは的外れの事ばっかり言ってた。でもみんな優しいし気遣ってくれる、そんな出来た人間と自分を比べて鬱になる。
なんとか1年を耐えて二年次へ。
諸事情でゼミが変わる、と同時に実験再現性の無さから研究テーマの変更を勧められる。
新規テーマで書き始めるも仕事が忙しくなり研究をさぼり始める。
年末にまとめる予定だったが怠けて失敗。修論締切カウントダウンが始まるも全然書けない。教授からのコメントに震えて返信ファイルが開けない。有休を使い果たし論文を進めるも教授から意味不明とのコメント。とりあえずyoutube見て気持ちを落ち着かせて3連休終了。
バックれたいけどセットで会社もバックれるハメになり、借金だけが残って人生詰む未来が見える午前2時。
こんなの書いてるくらいなら論文進めろよ。
徹底して自己管理が出来ない人間が勢いだけで生きたら失敗した。
間違いなく将来を見据えて毎日勉強して技術力をつけてより良いところへステップアップすべきだし今時1つの会社にいるのはリスクだ的な事はわかるし俺もそうありたいけど。それって継続して努力出来る出来た人間だけであって、俺みたいな無能は目指しちゃいけなかった。
もしもうちょっと頑張れて卒業出来たなら程々の努力でちょっとずつそこそこの給料もらえるプレッシャーも少ない今の職場に感謝して定時退社して遊ぶことにする。
というかもし卒業しちゃったらなんちゃってMaster of Engineeringになってもっと調子乗っちゃうんじゃないの。
俺は研究して新たな成果を見出すことに何の興味も無かったんだな多分。
勉強するのは嫌いじゃないけど。
TOEICのせいみたいな書き方して風評被害すみませんでした。
自分の能力以上の評価をされて鼻の下伸ばして背伸びして生きてたら人生狂ったが正しいです。
900無ければ学歴通りのそれなりのところでそれなりの仕事して今のような苦労は無かったのかなと、でもそしたら違う苦労があるんですよねたぶん。
Procrastinationの動画を教えて頂いた方ありがとうございます。締切直前になってやり始める事を繰り返してたら、最近パニックモンスターが出てくるのが遅くなった気がします。
https://anond.hatelabo.jp/20191103163514
に対する反論。
要約:
反証可能性が無い理論というのは、例えば「 X は A であるし、Not A でもある」というような理論である。
「 X は A であるし、Not A でもある」を同時に満たす X は存在しないため、この理論は何も対象にしていない。
何も対象にしていない理論は何も言っていないのと同じであり、存在するとは言えない。よって、反証可能性が無い理論は議論の対象にならない。
反証可能性というのは「反論できるかできないか」なんてくだらない話ではない。
議論している対象は存在しているか?同じ対象を議論しているか?というただそれだけの話だ。
まず、プラトンの作った西洋哲学の基本的過ぎて誰も触れないルールとして「議論は必ず参加者共通の対象を取る」というのがある。
「饗宴」はソクラテスと友人たちが愛の神への賛辞を贈る話であり、各々が持論を述べるところはエリュクシマコスの言葉から始まる。
「僕たち一人ひとりが、左から右へ順番に、愛の神への賛辞を、それもできるだけ美しく、語ってみては、というわけです。」
ソクラテスたちはこれに賛同し、一人ひとり「愛の神はなぜ素晴らしいのか」を語り始める。ただし、「各々考える愛の神」の話を。
だがソクラテスは「わたしたち各人が、愛の神を、実際に賛美することではなく、いかにも賛美しているように見える話をしている」と断じ、
実際の賛美、つまり愛の神の真理=「参加者全員に共通の愛の神」の話をし、合意を形成しようとする。
つまり共通の対象である「愛の神」に対する共通の理論である「真理」の話をし、その合意を形成することが議論であるという事をプラトンは書こうとした。
そこで共通の対象は本当に存在するのか?という疑問が当然生まれるが、これを解決するためにプラトンが発明したのが「イデア」だ。
現在はもちろん「イデア」なんて破棄されているから理論の対象となる真理があるかどうかは実のところ定かではない。
だが、「仮に真理があるとして真理を目指した理論」は書いたそのままに存在するから、この理論を議論の共通の対象とすることで議論は成立する。
「理論」は議論の対象にし、反証反論を受け付けるために存在するのだ。
だから反証や反論は理論を否定するものではあるが、必ずしも理論を破却するものではない。修正することでより真理に近づくし、「理論に対する議論」も発展する。
ここまでは良いだろうか?そして最初に書いたように、反証可能性が無い理論は論理的に言って存在するとは言えず、
存在しない理論もそれを対象とする議論も意味があるとは言えないから反証可能性が無い理論は科学的には意味が無いのだ。
反証可能性が無い理論には他にも全く再現性が無い理論とかもあるが、単に手段が限られていたり再現するお金が無かったりするのは反証可能性が無いのとは関係が無い。
だから「反証可能性」ってのは便利そうな概念とかじゃないし、そう教わって納得したのなら貴方は教わったし知ったつもりなのだろうが知っていないのだ。
もちろん、私が書いたことをそのまま信じるのも愚かなことだ。だから考えたり他の誰かの考え方も聞いたりして見て欲しい。
存在しないもの、何も対象にしていない何も言ってない理論は議論の対象になりえるか?を。それこそ我々プラトン学徒が存在について考える理由なのだから。
つまり本質は「気に入らないものを叩いて叩いて社会に受容されたら大勝利」なんだな。
で、叩くにしても手に取る武器は人それぞれ好き勝手なわけで、それがインタビューだったり計量だったり法律だったりシンパを使って意味不明な恫喝だったりするのな。
とくにジェンダーはひどい。
フェミニストがそれをやりすぎた。
どんな仮説を立ててもそれを実証することは困難を極める。
「1990年代のオウム真理教とそれにまつわる報道がどんな社会的影響をもたらしたか」
なんて命題、再現性がないのは誰でもわかるだろう。タイムマシンを用意して過去に戻って何度もやり直すことはできないのだから。
だからこそ、研究対象については非常に繊細に扱わねばならない分野のはずなのだが、逆に「実証しなくてもいいんだな」とめちゃくちゃやりだしたのがラディフェミ一派。
だからオタク界隈は「うるせえ。疑似科学のスカタン馬鹿ども。親の金で大学まで行って疑似科学で遊んでんじゃねえ。疑似科学でオタクdisしてる暇があったらいまからでも科学の教科書を一から読みなおせ。疑似科学の手法など高校生でも知っとるわい」と反発してる。
「実証が不可能」だけど、大学教授がえらそうに雑誌に書けば学問の権威だけで真実っぽく世間に流布されるんだよね。それを、フェミニストたちは政治運動の道具として世界的に最大限に活用してきた。でも「実際には何の根拠もない」ってことがバレ始めてきた。再現性がないからって、適当に理論を組み立てて、適当に調査して(調査すらしてないこともある)、適当に論文を書き(論文すら書かない奴もいる)、適当にdisる。これで社会学者が名乗れた。でも最近はこの構図も崩れ始めた。
社会学者もあんまりにも「実証が不可能だし適当にかいてもいいだろ。キモオタ相手だし」と油断しまくって粗製乱造しまくったせいで、「初歩的な間違い」や「捏造」が白日の下にさらされだして、社会学自体がやばいんじゃね? と言われだしたからだ。
社会学自体はきちんとやればよい学問だが、なにぶん、構造上の問題で偽物がはびこりやすい。
当分ボコボコにされるのが良いと思う。根拠を求める批判に耐えられない学問など学問ではないからだ。
ブドウ糖でできたラムネは歯垢つかないし、吸収が早いので緊急時の糖質補給におすすめ。
実は頭脳労働よりも食事による糖質過剰摂取のほうが血糖値低下しやすい。食後急に眠くなるような状況では、血糖スパイク(急上昇と急降下)が起きて食事前よりも値が低下することがある。
パフォーマンスを保つためには、一食の糖質をトータルで80g以下に制限すること。カロリーの表記がある食品は糖質量も記載されてるので参考にするといい。コンビニ弁当をMyFitnessPalでバーコードスキャンしてログを作るのはかなり便利。
糖質摂取量基準は一日300g程度とされているが1食にに100gはおおいと思う。間食も含めての値と思って、1食の糖質量を少なくした方がよい。低GIとか糖質の種類を工夫するよりは、糖質量制限が再現性高かった。
あくまで、個人的に血糖値モニターした感想だから、かなり個人差あると思うけど各々いろいろ試してみてほしい。
ガチライフハッカー勢はフリースタイルリブレなんかで血糖値モニタリングするとカレーはスパイクするけどあまり眠くならないとか、新しい気付きがあるかもしれない。アマゾンで買えるよ。
ラムネでむし歯にならないわけではないな。ただ、簡易に糖質を補給するなら、多糖や砂糖より、歯垢ができづらい単糖のブドウ糖のほうが歯は汚れないし、う蝕原性も圧倒的に低い。
継続して摂取すればブドウ糖も代謝されて酸ができるし、ラムネにはでんぷんやクエン酸も少量含まれるので、注意。
因みに糖質80グラム以下っていうのは個人的な値。普段の習慣でインスリンの分泌量が変わるので眠くならない糖質量には個人差あるはずです。ロカボ食っていうのは30~40gぐらいを目標にするんだけど、毎回それを正しくまもるのは厳しい。パフォーマンスを気にするだけなら、眠気が起きない糖質量を自分で把握しておくといいと思う。
コンビニ食は全てカロリーが記載されているのである意味理想的。糖質少な目食物繊維多め、適当量のタンパク質を心がけると弁当でなく、惣菜を何品か買う形になるので割高になるのが玉に瑕。2週間くらいログをつけると、適正量が目分量でわかるようになると思います。
自分はFラン大学出身なんだけど、社会人4年目で業界ナンバーワンの大手に転職した。
大企業への就職なんて有能じゃないとできないと思うだろうけど、自分の方法は再現性が効くと思うからここに書いてみる。
自分がいる業界の情報を集めたブログを開設して、とにかく毎日のように更新して意見を書く。
2年くらいやっていれば、その業界の人にはそこそこ知られてるブログぐらいにはなれると思う。
SNSでも業界イベントに行くでも何でも良いけど、中の人と知り合いになっておく。
できれば仕事も一緒にしたうえで個人的に仲良くなるのがいいと思う。
いきなり相談したらそれが目的かと関係が気まずくなるだけなので、とにかく時間をかける。
飲み会やったり、バーベキューやったり。ため口になるぐらい仲良くなったほうがいい。
あとイベントごとのたびにプレゼントとか、会うたびにおみやげを上げるとか、そういうこともしておいた方がいい。
「こいつに便宜を図ってやりたい」と思われるぐらいにならないといけない。
もっと言えば「こいつがうちに転職してきたら楽しくなるだろうな-」と思わせなきゃいけない。
ブログの存在もかなり効いてくる。実績として提示しやすいから。
今ならブログじゃなくて動画じゃない? メルマガじゃない? といろいろ思う人もいるだろうけど、要は業界で存在を知られることが大事。
今回の東須磨での件もそうだけど、最近の教員は本当にやばい。やばくてキモい。
そんな教員がネット、特にTwitterには多数生息している。
職場への愚痴や不満とかを嘆くだけならまだ理解できる。しかし、最近は変にこじらせている連中が
承認欲求満たそうとしたり小銭稼ぎしようとしたりもしている。それがキモい。
素人レベルのくだらない実践の報告をし合って褒め合ったりwatchaとかいうくだらない講演会みたいなのしたりとか。
なんだよ「けてぶれ」って。再現性も信憑性も無い個人の思いつきが絶賛されてて、まるで宗教みたい。
でも、教員たちはそんな胡散臭いのをみんなで褒め合ってフォロワー増やしまくって…。
な~んかウェーイ系な香りのする胡散臭い連中が幅を効かせてて胡散臭い。
あげく、その幻想の信用を糧にしてみんなの職員室(通称『みん職』)とかいうオンラインサロンをしてみようとしたり。
いやいや、現実の職員室で上手くコミュニケーション取れてない奴らがネット上で何を学び合うんだよ?なんJかよ?
他にも、ビジネス本の受け売りというかオカモトのコンドームよりも内容が薄そうな本を出版してみたりとか。
(ひどいのになると他人の実践をパクったのを載せてたりとかもある)
で、さらに問題なのが、そういうった自称キラキラ教員たちはその実践や講演を批判した人に対して、
お仲間みんなで粘着なリプ送ったり陰湿な質問を送ったり、どころか個人情報を特定して晒したりするんだわ。
大事なメシのタネに傷つけられたり自尊心傷つけられたのが許せないのか、かなり陰湿なことしている。
そして、している側はそれが悪いことだとは認識してなさそうだし。
今回の東須磨の事件もそうだけど、そんな陰湿な人間が教育熱心な教員ヅラしてるし、称賛されてたりもする。
つまり東須磨の教員が特別なんじゃない。他者を攻撃する教員はそこらへんに潜んでいるのだ。
これは余談だけども、最近は変に承認欲求こじらせた女教師の中にはエロツイートするだけでなく脱いだりる人もいるし…。
オンラインサロン野郎に薄い本野郎に脱ぐ女と今の教員は本当にヤバい。
お笑いというのが人の失敗や苦境、容姿の差異についてそれを有益と認める方向の価値観ではないということを話題として伝播させる様式であることが多いのが問題
問題性としてはその方向性が多いため育成されるものがおおよそそういった表現方法しか知らない状態のまま収益活動に活用されること
収益活動に利用されて問題なのは、主たる目的の収益があがらなくなるということ
もとより他人の失敗を笑うと言うのは価値観を付与した情報の作成方法としてある
笑い話というのは伝聞を伝聞から作成するにあたって要所を個人が抑えやすく再編するにあたって再現性が低くとも主体が残されやすい
文脈と結果をセットにしているためでそのどちらかだけ再現しても笑いにはならない
オチを解説しなくてはならない状況になった時その笑い話は笑うという行動起因を欠いていることにならないためお笑いという形式に固めた情報伝達を行動によって得られる快感で伝播させやすくする
情報伝達媒体として人間関係を築くというのは相対的な人間の成り立ちという根本であるため伝達することやされることは栄養を摂取するに近い快楽を得られる
これを他人の苦しみや災難を笑うことで伝播するという形は発生事象を広め多角的に回避策を考察するためにまず拡散をするということにある
喫緊に解決が必要な状況や関係性でないため遅延して伝聞を拡散するという状況において笑うという感情を利用する
これがお笑いも役立つ教訓になりえ、さすがといわれる落語や関心される漫談になりえる
この伝達を目的とした情報の形成とその受動について作用する「笑い」のみ笑うことのみについてを目的とすると
これは差別的に特に特徴のない事象や小さな差異を大規模的に解決の方法を公募する形で伝達させることですら内容に含む場合がでてくる
差別や侮蔑というのは極小単位での差異を価値観にしたもので規模を広げれば希釈ができる
大阪ナオミが自宅に漂白剤をもっていないわけがない またなくとも自宅に洗剤があるのはとくに特異なことではないしなかったとしても解決方法を要する問題ではない
しかし文脈においてと分節単体においてその指摘する内容は「大阪ナオミに漂白剤を浴びせる」ということ目的としてる
これは笑えるわけがない 面白い要素がない いじめのドラマで中学生がこんなシーンを演じる台本があったとしても笑えるシーンにはならない
もちろんそういった行為が発現するという可能性がゼロではないためその情報を好んだり伝播単位にすることを行う人間も少数は存在するしそれをなくしては防護対策はできない
その特殊な思考の偏りについて発言するのは趣旨にそれるため面白くないという意見が情報を接種した人間すべてではないということに留めるが
「日焼けしすぎやろ」「外で運動しすぎやからな」「服の汚れとか汗がきになるやろ」「漂白剤がいるな」程度には範囲で希釈すれば漂白剤発言は問題にならかったかもしれない
そこまで観測対象を広げるとなにが異常でなにが問題点でそれを解決する知恵をかりたい 知恵が必要な問題点を見抜く視点をもっている有能さ として笑いを起動できるか
となるとその視野と思考の範囲では材料に対して「自分たちが会話をしている流れだけで楽しいこと」であることに気づかず自分たちが笑えた事実のみを基盤に
これは元増田が見た通り「出来るお笑い」を作れるコンビだったかもしれない その才能はあったかもしれない
しかし組み上げる方法や手段を持っていなかったりかのコンビが取得できるところにそういう伝播の情報形成における基礎的な情報がなかったのではないか
師事することやその見解について最低限ここに書いた事を受け継いだ人間に触れることで取るべき手段と選択すべき素材とをもっとよい結果につなげられたかもしれない
これは才能があるとするとその個性や特徴における評価について低いものではないとすると おかれている環境があまりに程度の低いものではないか
他にも連続して発生している「お笑い芸人」の不適切な発言問題をみると彼らを育成する土壌というのが根本的に肥料が少なすぎで粗悪な環境ではないのだろうか
またそのような環境を経てもテレビに出さえすれば収入を平均より大きくもらえるのではないかという自己の社会適応性と可能性を天秤にかけた結果
「お笑い芸人」を選ぶという好機を目指した選択について「人を笑わせる」がどういった引き金を用いてその才能だと思っていたのか研鑽したり
訓練する機会が急激に減っているのではないだろうか
自分が馬鹿なことをして笑いものになることで笑いを取ることができ、笑ってもらうのが好きなのでお笑い芸人になるというのであれば
解決すべき問題というのは自分自身で自分自身を社会的に抹殺してもらったり迫害してもらうために自分で情報を発信しているということなる
自虐ネタということでそれを作り上げる人間もいるわけでそれらを素人がいくつか見るだけでもお笑いとはどこで笑うべきかなにを笑うべきではないのかを充分に知りえるはずで
ネタを考えているときにコンビ二人がその常識から逸脱してしまったことに気が付けない知識の少なさ経験の少なさ
価値観の平均を知ることができなかった社会適合性とやはり経験 これを管理する側としては業界は解消すべき直近の問題ではないだろうか
このまま複数件同様の問題が続くようであれば これはもう芸人の個別問題ではないむしろお笑い芸人は笑われて捨てられる被害者なのではないかと考える
現在問題を機に排斥されたお笑い芸人たちがそれらに気づき反省し再度かえってくることがあれば充分にお笑いをたのしめるのではないだろうか
話がごっちゃになってる。天下りマネージャーが撲滅しようとしているのは開発途中のソフトウェアのバグ。一方でいじめは学校生活という本番環境で起きてるバグ。同列に扱おうとして破綻してる記事。
「じゃあ全く別の話だ」
というわけではなく、
「開発途中のバグを無くすことが不可能であるのと同様に、学校のいじめを無くすのも不可能」
という共通点がある
そして、
「不可能な目標を掲げると実態を隠すようになり、数字と実態が乖離し、適切な対策が行われなくなり、状況は悪化する」
という流れも同じ
現状ではただの周辺施設を表示する。「おもしろ」は主観的なものなのでまぁ難しいだろうけど、「ここ」が指し示す現在地情報と「15km」という位置情報を理解して、地図上から読み取るのは可能。だけど、これをできないのは単純に言語理解できていないから、もっというと「そういうコマンドが用意されていないから」と思われる。
現状の動作は未確認(音声は保存されるので)。「同級生」を知るにはユーザーの同級生を知る必要がある、OCRとか画像認識技術も発達しているので、原理的にはアルバム画像でも登録させれば覚えられるでしょう。そういったユーザーの背景を把握しておいて、「同級生」という言葉がそれら情報と結びついて、かつ、AVでは名前が変わっているので、ちゃんと顔で照合して、それらしい答えを見つける必要がある。
2019年のAIスピーカーは言語を理解していないので、音声->テキスト変換後、その文が事前に用意しているコマンドに合致している確率みたいなのを統計処理して、一番それっぽいコマンドを実行、って感じの処理をしてると思う。事前にどれだけ多くの「コマンド」を用意できるのかがAIスピーカーの能力の限界だし、これは直感的に使いみちが限定されるってのはわかると思う。当然「ピカチュウの顔が竜雷太になっている画像作って」みたいな、世界初の命令には対処できない。(たまたまそういう画像がネット上に存在すればヒットするけど)
どちらも、再現性のあるチューリングテスト合格が出来るようにならん限りできないので、10-20年以上先になりそう。でもディープラーニングみたいな技術革新出てきたらもっと早く出来る可能性もある。