はてなキーワード: ハマーとは
hammertime
米国のラッパー、MCハマー(MC Hammer)が自分の歌"U Can't Touch This"で叫ぶ歌詞の一部。
意味の解釈は本場の米国でもマチマチなので、以下に代表的なものを挙げる。
・『手を止めなさい。ハマー様の時間ですよ』(ハマー様が歌うのだから、働く手を休めて俺の歌を聞きなさい、という意味)
・『オークションはこれまで。ハンマーを叩くよ』(本物のオークションでは、会場から買値がかかってこれで決まりという時には
ハンマーで机を叩くことになることから、「ハンマーを叩く時間よ」といったもの)。
・『ただ意味なく叫んでいるだけ』(本当は意味はないという説。実際には「Break it down」のところで彼独特の変な踊りが始まり
「Stop! hammertime」のところで踊りを一旦止め、ラップの次のパートが始まる。その彼独特の変な踊りを「ハマー氏の時間」と
呼ぶとの説もあります。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10141857030
https://answers.yahoo.com/question/index?qid=20070604024303AAkvK2F
MC Hammer - U Can't Touch This
子どもの頃、アメリカのテレビドラマに夢中になった時期があった。
今のみたいにオシャレな自称「マイナーなドラマを嗜んじゃうアタシってばかっこいい」っていうような いけすかねえ女が観るようなやつじゃなくて、
『ナイトライダー』『特攻野郎Aチーム』『エアウルフ』『俺がハマーだ』みたいなB級なやつね。
毎週毎週、絶体絶命の危機を、身の回りにあるモノを使って解決する。
恥ずかしながら、具体的なものは全く覚えていないのだが、毎週わくわくしながら観ていた。
そのマクガイバーが、来週から放送されるのだ。BS の DLife で土曜 21 時から。
何十年も前の作品なので、古臭さを感じるかもしれない。
8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。
サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイートが散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。
Call Me By Your Nameは1983年の北イタリアのとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年のあいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。
http://m.imdb.com/title/tt5726616/
この映画は2016年5月に世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である。
そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。
あまりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。
ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももがやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。
しかもネタバレ見ると死ぬタイプのオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭、8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである。
笑ってほしい。
かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間前から長蛇の列である!
席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。
2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。
それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。
そんなことより映画だ。ここからはネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。
劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲、ギター、オリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック、家族が耳を傾けるラジオやレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初の楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。
そしてオリバーが現れる。イタリアの太陽である。明るい陽光は主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。
エリオを演じる当時弱冠20歳のティモシー・シャラメは終始少年の健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。
アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリアの太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場面一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画の世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。
エリオがオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオがオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。
野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりのうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。
しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。
短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリット太ももがあることだろう。
マイフェイバリット太ももはとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分が多数派である自信はない。これについてはまたあとで。
オリバーは原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。
原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバーの大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである。
(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーはエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督の言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。
(アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作のエリオの言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)
そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーのオリバーは原作を読みながら夢想していたオリバーにほとんど完璧に一致していた。
この結論にはアーミーハマーのじつに感情ゆたかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライド・トルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつのクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。
もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラがオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分がエリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。
目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。
ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的に脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオの面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)
だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画からは小説に通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。
まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。
さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。
トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。
かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。
ただ、エリオ家食卓でのとあるシーンについては国内の映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオとオリバーの官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)
こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。
ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要な役割を果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。
10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死で真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。
そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉を脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。
一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。
じつは原作を読んだ時から、自分は最適な読者じゃないと思っていた。
小説として心から好んではいるものの、「この物語は自分の物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。
この映画が現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。
『キャロル』がそうであったように、相手の性別が特別なのではなく、ただその相手が特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。
そして、『ムーンライト』があまりにも普通の恋愛映画であるという事実が特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameのエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通の青少年が悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。
自分はこの映画をクィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。
10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。
現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。
何かが起こったこと、そして何が起こったか、から目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語を破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。
だからこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画の肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。
キャストをきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優や物語やファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。
ちょうどこのレビューを書いている最中(8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#
もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。
アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。
お願いします。
邦訳本もどうぞよしなに。
デーデデデ、デデッデデッ
ブブー!!!
そんな昨晩の夜更け、
そっとベッドの横に置き眠りにつくはずだった。
急に入った一報で私は目が覚めた!
なんか昨日はゲットワイルド界隈で、
どえらいことが起こったらしくって、盛り上がってたようね。
あーあ、
私もコンプリートゲットワイルドアルバム買っておけばよかったわ。
まあ、後の祭りね。
ゲットできなかっただけに。
うふふ。
変わり栄えしない定番、
これがあれば充分。
リッチな超ショックね!
朝はまだ寒いかしら?
気分によって、
煮出したり、水出しにしたりして
テイストを変えるの。
口当たりが違うから、
いろいろ比べると面白いわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
3,4回目の再読。10年ぶりくらい。
前半はすごく鬱屈してるけど、普通の女子高生が異世界の理不尽に慣れて悟るっていうのを描くにはこれでも少ないくらいなのかも、と思った。
逆にこれだけのボリュームで、異世界に孤独に置かれた普通の女子高生の心の変化・成長をよくぞ描けたと感嘆する
前半のストレスを吹き飛ばすように3/4くらいからはすごくカタルシスのある展開になる
図南の翼と違って王だとわかった後も少しお話が続くのがうれしい
続刊で語られてはいるんだけど
物足りないって思わせるくらいがうまいのかなあ
漢文調の最後の記録も、こんな冒険が歴史書になるとたったこんだけになっちゃうんだなあとか、
もしそうなら中国の歴史書もめっちゃ簡単に書かれてるけど、ほんとはめちゃくちゃドラマあったんだろうなあとか、
そういえばキングダムも著名な戦いの後に、シンプルに歴史書に書かれてる一文だけを載せたりしてるなあとか、
いろいろ思った。
あと今回読んで初めて思ったのは、
・ジョウユウって冗祐ってかくけど、オウムの上祐が饒舌なのに比べるとこっちは対局だなあと思ってなんかおかしかった
・ネズミがキーのキャラになってるのはゼノギアスのハマーとつながるところあるなあ
あと記憶違いとしては
・ネズミがヨウコにいい待遇でいいよって言われるけど自分は普通にべんきょうできればいいんだって断るのは別の巻だったか
ってのがあった
うーんやっぱりおもしろいなあ
図南の翼含め世界観をある程度知った上で読むと、言葉が通じてるのも王の素質だし、苦労はあったとはいえなんだかんだでそれがいい巡り合わせにつながるのは鵬翼だったのかなあと思う
今回は昇山じゃないから、いろいろ途中で騙されたり襲われたりしたのか
書いててよーやく気づいた
街の明かりが ♪ とてもキレイね、ヨコハマ ♪ ブルーライト・ヨコーハマー ♪
明かりがキレイではなくて、暗くなると視力が落ちる、鳥目というヤツですよ
スマホのブルーライトという怪しい光をオーラや血液型性格判断くらい怪しいものとしか考えていなかったが
半年ごとにメガネを作り変えているとこのまま失明するんじゃないかと思って、スマホで増田さ卒業と思っていた矢先
対向車のライトが目に入ったあと、路面に視線を落とすと暗くて凸凹が見えない
明暗順応ってヤツだね
スマホの使用量に比例して目のピントを調整する筋肉も固まるそうだ
視力が落ちると同時に、明るいところから暗いところへの切り替え応答が鈍くなる
誰だ!あんなところに縁石おいた行政は!?フルスピードで前輪から突っ込んで前転しながら投げ出された
よろよろ、何か大変なことになった、あごと肩が痛い、しこたま打ったようだ、恥骨あたりも痛いぞ
しばらくしたら、ふらふらは収まったが腕が上がらない
近くに幸いなことに外科の看板下げている医院があったので応急処置してもらってタクシー呼んでもらって帰る
自宅に戻ってパンツを下げたら恥骨のあたりが腫れている、というか内出血のようにタプタプ
人間の体は良くできている、恥骨がガードとなってチンコを守るのだ
救急隊が入ってこられるように、今日は鍵かけずに寝よう。意外と観察深く冷静な私
で会社休んで整形に行ったら上腕骨の肩側のゲンコツの付け根にヒビが入っているって
恥骨は無事
ちなみにチンコは皮の部分が腫れてドス黒い赤に、でも先っちょの亀さんは変わらずピンクです
すいすい水曜日ー
ラノベ原作アニメとしてはキャバルリスクの被りっぷりが話題になっているけども、鎌池和馬原作『ヘヴィーオブジェクト』の酷さも相当なものであると思う。
ヘヴィーオブジェクトのアニメを見た、まともな人間はこう思うはずである。
喋りすぎだ、と。
この点に関しては、同原作者による禁書目録の主人公、上条さんの長台詞=説教を参照して「鎌池だから仕方ない」という意見が少なからずあるようだ。
しかし俺は、上条さんの説教は「味」として楽しむことが出来るのに対して、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は単に冗長なものとしか思えない。
本稿は、上条さんの長い説教は「アリ」なのに、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は「ナシ」なのはなぜかということを考察するものである。
ちなみに俺は禁書目録は数年前に十数巻あたりまで読んで、ヘヴィーオブジェクトはアニメ3話まで観てから原作1巻の該当部分を読んだだけなので、思い出補正とかが作用している可能性は大いにある。
ヘヴィーオブジェクトアニメ3話までで最も問題になるのは、2話の「お姫様救難信号出してるのに長々喋りすぎ問題」と、3話の「敵基地に潜入してるのに大声で喋りすぎ問題」である。
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ヘイヴィア「だったらお前は、あのオブジェクトと戦えんのかよ! あの化物にたった一人で立ち向かって、お姫様を助けだすとかそんなのできたら最高だよ!! でも実際にどうにかできんのか! えぇ!? 人間なんか、レーダーに補足された瞬間に塵になっちまう。もう俺らに出来ることなんかねぇんだよ」
クウェンサー「あのお姫様は、そんな化物と戦ってくれてたんじゃないのか? 大の男がこれだけ集まっても震え上がるような、照準合わされただけでショック死しちまうような、そんな化物から俺達を守るために、たった一人で戦ってくれてたんだろうが!! 貸せ!! 貸せ!! そのライフル!!」
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この部分は原作だとこうだった。
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「だったら、テメェはあのオブジェクトと戦えんのかよ!?」
「綺麗事だったら誰でも言える!! あの馬鹿デカいオブジェクトにたった一人で立ち向かってお姫様を助け出すとか、そんなの出来たら最高だよ!! でも、実際問題どうにかできんのか!! あんなもん、レーダーで補足された瞬間に生身の体なんか塵も残さず吹き飛ばされちまうじゃねえか!!」
ボロボロになったヘイヴィアに両肩を掴まれ、クウェンサーは思った。
(……ちくしょう)
どうしようもない、恐怖だった。
(怖いに決まっている。誰がなんて言ったって、どれだけ希望的な観測を並べたところで、度胸なんか湧くかよ。オブジェクトなんて化物だ。あんなもん相手に真正面から立ち向かうなんて間違ってる。少しでも近くにいたくない。ヘイヴィアの言う通りだ。どんなに綺麗事を並べたところで、この気持ち悪さがそうそう簡単に消える訳ないだろ……)
だが、クウェンサーの足は退却するためには動かなかった。
「……あのお姫様は、そんな化け物と戦ってくれていたんじゃないのか?」
「ッ」
「大の男がこれだけ集まっても震え上がるような、ちょっと照準を合わせられただけでショック死してしまうような化物から!! 俺たちを守ってくれるために、たった一人でオブジェクトに乗って戦ってくれてたんだろうが!!」
そう。
たとえオブジェクトなんて馬鹿げた兵器に乗っていたって、怖いに決まっている。あんな化物と立ち向かうのに、恐怖を感じない訳がない。
あの少女は、出撃の直前にこう言っていた。
勝てるかどうかは分からない、と。
特に真剣な調子ではなかったから、深い意味などないのだと思っていた。だが違う。もしもあれが何気ない表面にまで噴出してしまうほどの、大きな不安を抱えていたせいだったとしたら。とにかく誰にでもいいから言葉を放って、少しでも不安を払拭したいだけだったとしたら。
クウェンサーは思う。
自分はここでどう動くべきだ。
「……貸せ」
怪訝な顔をするヘイヴィアにもう一度、
「貸せ!! そのライフル!!」
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長い。長すぎである。アニメが原作の台詞を助詞レベルまで削っていたということがわかる。
しかし、俺は原作を読む最中はアニメほどには「喋ってないでさっさと行動しろ」と感じなかった。
それは恐らくセリフに輪をかけて地の文と括弧書きの心内文が長いためである。
地の文と心内文に関しては、どれほど長くても読者は東京大学物語のごとく(その間0.1秒)などと都合よく解釈することができる。特にここで描かれるような緊迫した場面では尚更である。
そのプロセスを経て文字数に対する時間感覚が混乱した状態であれば、長台詞を発語するための時間も無視することができるような気がしてくるのである。
この小説マジックを用いたシーンをそのまま映像にすれば「何くっちゃべってんだ」と思われるのは当然であり、これは脚本と監督の落ち度である。
では、作者に落ち度はないのか。
そんなことはない。以下はアニメ3話で「敵基地に侵入しているのに大声で喋りすぎ」と言われた部分の原作における描写である。
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「タイムオーバーだぜヒーローッ!! 三〇秒でここから出ないと袋の鼠だ!!」
「一分待て!!」
「何をゴソゴソやってんだよ! 爆破できねえのは分かったろ!?」
「あと四十五秒だ!!」
多くの足音が近づいてくるのを、ヘイヴィアは耳にした。恐らくクウェンサーは、目の前で取り上げられそうな希望にすがろうとして、冷静な判断能力を失っている。もう殴りつけてでもここから脱出しようかと考えたその時、ようやくクウェンサーがヘイヴィアのところまで戻ってきた。
「行こう。まだ間に合うか!?」
「どっかの馬鹿が道草食ってたせいでスリリングなことになってるよ!! こっちだ!!」
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アニメだとここは全力で叫んでいる。だが、少なくとも声優は悪くない。語尾に「ッ!!」が付けられていたならばそれは叫び台詞であると考えるのは当然である。
ただ、この部分を読んだだけなら、ニコニコのコメントが言うように「※実際は小声で話しています」というフォローが辛うじて出来ないでもない気がする。それを掬い取れなかったアニメスタッフが悪いのだ、と。
しかし原作はそんな幻想もぶち壊してくれる。原作では、小声の台詞とそれ以外はきちんと区別して表記されているのである。
以下は原作では35ページ、アニメでは1話にあった、和服上官に呼びつけられた時の二人の会話の原作における記述である。
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「(……どうするんだよヘイヴィア! だからやめようって俺は言ったんだ!! これならレーションどころか三日間雪の塊だけ頬張ってた方がまだマシだったんじゃないか!!)」
「(……うるせぇな畜生!! くそ、ほんとに一八歳かこの女。今時の洗浄に生身の兵隊は必要ねえとは思ってたけどよ、あいつに限って言えば握り拳でオブジェクトと戦えるんじゃねえのか!?)」
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この台詞はアニメでもきちんと囁き声で演じられている。他にアニメ3話の敵基地で捕縛されたシーンでも「(……俺が飛び出したら伏せろ。そっちに除雪用のトラクターあるだろ)」などと書かれている。
要するに、原作に従えば主人公たちは敵基地で相手の足音が聞こえる位置にいても実際にお互い叫びあっていたのであり、アニメスタッフはそれを忠実に映像化しただけなのである。
では、ヘヴィーオブジェクトにおける長台詞は、上条さんの「説教」と比べて何がダメだったのか。
俺はその原因を「鎌池の長台詞癖と、主人公をペアで行動させることの食い合わせの悪さ」に求めたいと思う。
上条さんは基本的に一人で行動するので、その長台詞=説教の相手は、自分がまさに直面している相手≒敵(ステイル、御坂、アクセラレータ等)であった。
無論その場合も、「うるせえ話長えよ(グサ」となる可能性はあるのだが、その可能性はむしろ「殺される可能性と引き換えにでも相手を全力で説得しようとする上条さん馬鹿だけどカッケー!」という評価に繋がっている。
しかし主人公をペアで行動させると、その長台詞=説教が敵ではなく相棒に向かってしまうために「馬鹿だけどカッケー!」ではなく単に「こいつ馬鹿じゃね?」というシーンが出来上がってしまうのではなかろうか。
禁書目録と毛色を変えたかったのは分かるけど、主人公をペアで行動させたければ、鎌池の説教体質も変えなければならなかったのではないかと思う。
バブル期の話するとジジイとか骨董とかおっさんとか閉経とか言われそうなので避けたいのだけど、あのころはテレビCM自体が面白かったり格好よかったりしたのです。
スピーカーのコーンがぶるぶると震える前て踊るMCハマーのダンスが印象的なパイオニアのコンポのCM
『ホンダ(↑)ホンダ(↓)ホンダ(↓)ホンダ(↓)♪...』のコールが印象的だったホンダのクルマのCM(車種は忘れた)
マイケルジャクソンが金隠しポーズで『ポー!!』とかやってるあのダンスを、ジジイがまるパクリした挙句速攻で放送中止になったCMとか。
このころのCMは海外の要素を多分に取り入れつつも、どっかバタ臭い和の昭和臭がただよっていて、スッっと入ってきた感がある。
でもってCMそれ自体が子供らはもちろん大人の間でも共通言語だったりしてたのです。
そしてそして私のそのCMをみて、無理してパイオニアのコンポかってみたりしたのです。
売ることがメインで、視聴者を楽しませる話題性にかけることこの上ない。
キラキラしてないのよ。
そんな感じ。
テレビドラマやバラエティの劣化が叫ばれて久しい昨今ですけども、一番酷いのはCMなんだ。
悲しいよ。
幸せとは何か
幸せの形は人それぞれ、なんてことをよく耳にするがそれは一部正しい。
どこか(場所)でもない、何か(物)、でもなく誰か(人)である。
ただその誰かはAさんにとっての誰かや、Bさんにとっての誰かは異なる。
私は旅が大好きで、バイクで九州を一周したり、海外をパックパッカーとして旅をしていた。
そこで色々な絶景を見たり、美味い飯を食べた。
また、刺激的な体験をしたり、様々な人に会った。
そこで楽しかったと懐かしむ思い出はどんな絶景でも飯でもない、
そこで出会えた自分にとって心通じることのできた友達と過ごした日々であった。
そんな人に出会えた旅は最高の思い出になるし、そうでない旅はとりわけ心の底から懐かしむことはない。
私はフィリピンで一人の女の子に出会い、たった2週間という短い間であったが一緒の時を過ごした。
お金もあまりなかったので綺麗なビーチに行くことも、面白いアクティビティーを体験することも、とりわけ日本よりもうまい飯を食うこともなくただ至って普通の日常を一緒に過ごした。
だけれど、今、私にとってフィリピンはどんな刺激的な国よりも思い出深く、懐かしい。
それがアメリカであろうとタイであろうと日本だろうと、高級なスイートに泊まろうが、エキサイトできるアクティビティーを体験しようが、リムジンやハマーをレンタルしようがしまいが全く関係なかったと思う。
私は人生の全てに当てはまると言い切る。
その誰かの気持ちまでは。
年収と幸福度のグラフなんか見たことある人もいると思うがそれがいい例だ。
なのにこの世の中のほとんどの人がお金があればなんでか幸せになれると思っている。
また、お金を稼ぐ意識の高い人に「何のためにお金をたくさん稼ぎたいの?」と聞くと大体が決まってこう答える。
「色々旅行したり、いい家住んだり、美味いもん食えるし、遊べるじゃん」
もしくはとりわけ理由に困る人たち. .
いずれにせよお金があれば幸せ、楽しいとぼんやりしたイメージで生きる人たち。
私は幸せの本質は誰かだと思っているので、一緒に旅行する誰か、一緒に住む誰か、一緒に美味い飯を食う誰か、一緒に遊ぶ誰かが一番重要で、幸せも楽しさも「誰と一緒にそれをするのか」次第で決まると思う。
もちろん必要最低限生活できるレベルのお金は必要なのは知っているし、お金で買える刹那的な娯楽も時に確かに楽しい。
そしてもちろん、仕事やお金を稼ぐこと自体が純粋に楽しいのならそれはそれで羨ましいとは思う。
しかし、幸せとは何か、幸せの本質を考え、見抜くことのできる人間は多くはない。または考えが浅はかなゆえ的外れである。
ゆえに、みな幸せになるために日々動いているはずなのに、実際は幸せとは関係のない動きをする。
結果幸せになれたり、なれなかったりする。
幸せとは何か
幸せの形は人それぞれ、なんてことをよく耳にするがそれは一部正しい。
どこか(場所)でもない、何か(物)、でもなく誰か(人)である。
ただその誰かはAさんにとっての誰かや、Bさんにとっての誰かは異なる。
私は旅が大好きで、バイクで九州を一周したり、海外をパックパッカーとして旅をしていた。
そこで色々な絶景を見たり、美味い飯を食べた。
また、刺激的な体験をしたり、様々な人に会った。
そこで楽しかったと懐かしむ思い出はどんな絶景でも飯でもない、
そこで出会えた自分にとって心通じることのできた友達と過ごした日々であった。
そんな人に出会えた旅は最高の思い出になるし、そうでない旅はとりわけ心の底から懐かしむことはない。
私はフィリピンで一人の女の子に出会い、たった2週間という短い間であったが一緒の時を過ごした。
お金もあまりなかったので綺麗なビーチに行くことも、面白いアクティビティーを体験することも、とりわけ日本よりもうまい飯を食うこともなくただ至って普通の日常を一緒に過ごした。
だけれど、今、私にとってフィリピンはどんな刺激的な国よりも思い出深く、懐かしい。
それがアメリカであろうとタイであろうと日本だろうと、高級なスイートに泊まろうが、エキサイトできるアクティビティーを体験しようが、リムジンやハマーをレンタルしようがしまいが全く関係なかったと思う。
私は人生の全てに当てはまると言い切る。
その誰かの気持ちまでは。
年収と幸福度のグラフなんか見たことある人もいると思うがそれがいい例だ。
なのにこの世の中のほとんどの人がお金があればなんでか幸せになれると思っている。
また、お金を稼ぐ意識の高い人に「何のためにお金をたくさん稼ぎたいの?」と聞くと大体が決まってこう答える。
「色々旅行したり、いい家住んだり、美味いもん食えるし、遊べるじゃん」
もしくはとりわけ理由に困る人たち. .
いずれにせよお金があれば幸せ、楽しいとぼんやりしたイメージで生きる人たち。
私は幸せの本質は誰かだと思っているので、一緒に旅行する誰か、一緒に住む誰か、一緒に美味い飯を食う誰か、一緒に遊ぶ誰かが一番重要で、幸せも楽しさも「誰と一緒にそれをするのか」次第で決まると思う。
もちろん必要最低限生活できるレベルのお金は必要なのは知っているし、お金で買える刹那的な娯楽も時に確かに楽しい。
そしてもちろん、仕事やお金を稼ぐこと自体が純粋に楽しいのならそれはそれで羨ましいとは思う。
しかし、幸せとは何か、幸せの本質を考え、見抜くことのできる人間は多くはない。または考えが浅はかなゆえ的外れである。
ゆえに、みな幸せになるために日々動いているはずなのに、実際は幸せとは関係のない動きをする。
結果幸せになれたり、なれなかったりする。
ここから先はかなりこの論理を突き詰めた考え方になってしまい、うまく説明する自信もないし、誤解も生じるだろう、またやや刺激が強く、理解するのも簡単ではないかもしれないのでそのつもりで心してほしい。
話を元に戻すと、幸せとはどこか(場所)でもない、何か(物)、でもなく誰か(人)である。
その誰かを探すことである。
お金を稼ぐことよりも、社会的に成功することよりも、幸せになることが当然みんな重要度が高いはずなので、その誰かを探すべきである。
道で気になる人を見つけたら勇気をもって声をかけてみよう。
出会い系サイトで真剣に誰かを探してみる、いいじゃないですか。
だが人びとはなぜ仕事のために、合間を縫って本屋でマーケティングやデキる会話術の本を熱心に読み勉強できるのに、日々の出会いに対しては大分運任せなのか。
なぜ人生で一番重要度の高いことなのに、そこを偶然や自然の流れに身を任せてしまうのか。
結局、言いたいことは出会いをもっと求めろかよって薄っぺらく思われるかもしれないが、実際この幸せ理論を行動に移すとなるとそうなる。
流通とかはわからないのでもしかしたらもう手に入らないやつもあるかもしれないけど。
メジャーなやつというよりも、一度飲んでビール観を広げてほしいというやつを紹介する。
BrewDog Tactical Nuclear Penguin
パンクIPAで日本でも有名なブリュードッグが出す32%のビール。
もともと株主優待用なので出荷数が少ない。去年は日本に来なかった。
一昨年は一本8000円ちょいだったと思う。
キワモノ系かと思いきや深みがあるというか、濃くておいしい。
酔いつぶれたけど。
これもキワモノ系。
俺が飲んだのはブードゥー チョコレートラズベリープレッツェルってやつだけど、
ほんとにチョコレートとラズベリーとプレッツェルの風味がするんだよな。
21th amendment / Hell or High Watermelon
これもキワモノ系かな。でもすいかの味が水っぽくなく濃すぎずちゃんとビールの中に収まってる感じですごいおいしかった。
でも好みは分かれると思う。濃いめのビール。
同社のアールグレイを使ったGunnamatta IPAもお勧め。
Fine Ales / Finebank
度数も低く軽めの味わいながら、スモーキーさが微かに感じられて不思議な爽やかさがある。
赤ワインに使われるカベルネ・ソーヴィニヨンを使ったビール。
関東だと手に入りにくいかも。
同じラインで甲府のアウトサイダーブリューイングで作ってるベリーAを使ったビールもおいしいかも。
ココナッツの味がすごい。柔らかくてまろやかでべたつかない甘さ。
瓶ではしばらくでないと思う。佐倉に行けばわりと飲めるのかな?
たぶん最終工程でゆず入れてるっぽくて、ココナッツとは逆にゆずの酸味と爽やかさがスタウトのコクにとてもよくマッチしてると思う。
この手のビールはとかくベタ甘になりがちななか、しつこくないから何杯も飲める。
そのほか定番の味わいで飲んでみてほしいやつ順不同
ラグニタス リトルサンピンサンピン
イネディット
○朝食:なし
○夕食:ドリトスとカマンベールチーズ(要するにツマミで腹一杯)
○調子
久しぶりに祖母と会い、楽しく団欒をした。
人と触れ合うと、気持ちも落ち着くのか、気分がだいぶと楽になった。
○Fable2
といっても、貸した金が帰ってきただけ。
だまされると分かってて、だまされるのは自由度が低いなあ。
これ以上、年をとると自分でプレイするのが嫌になりそうだからね。
これは面白いなあ。
なんだかエヴァのラストのような人類補完計画じみた「理想的な世界」が描かれ、
姉との思い出を断ち切って、ラスボス戦!
と思いきや、銃で一発で終了。
と拍子抜けし、最後の選択では今回も家族を救う「愛」を選択した。
なんだかんだで、寄り道をほとんどせず一本道ゲーとして楽しんでしまった。
序盤は用意された自由度(不動産や結婚)を楽しんでたんだけど、その自由度が何か得をするようなものになってないから、中盤からはほとんど無視ししてしまった。
さて、次は何のゲームをやろうかなあ。
○朝食:なし
○調子
普通。
5pbのXboxOne向けゲームタイトル発表会を大興奮しながら見ていた。
うんうん、九月の発売に向けて熱気が高まってくるのを感じるね。
僕が360を買ったのは、シュタインズゲートがキッカケだから、こうして科学ADVシリーズがONEでも出てくれるのはとても嬉しい。
ただ「みんな持ってるスマートフォンで体験版出すよー!」って言ってるときに、WP向けには出ないのが残念だなあ。
WindowsPhone8の日本展開はまだなのかなあ、気になります。
○Fable2
ハマーとの感動的な別れと共に、監獄のようないにしえの塔に潜入することに。
そしてあーだこーだあったのに、十年!?もの年月を重ねて、ようやく、ウィルの英雄を救出。
ハマーやテレサと再開し、三人パーティーとなり、クエストを攻略。
となったのもつかの間、二人とは離ればなれになり、クエストをこなすことに。
途中、懐かしのオークベール村(1の主人公の生まれ故郷)を通ったりしたりなんやかんやあって、
が、彼を仲間にするには、相当な名声ポイントをためなければいけないらしく、足止め。
今日はこの辺りで休憩とする。
○朝食:なし
○夕食:ナポリタン
○調子
よくはない。
自傷行為はとりあえず辞められた。
共同作業者にお願いして、今週はお休みすることに。
だったが、連絡がうまくいっておらず、もう一人の作業者から作業依頼がきて、仕方なく作業をした。
やっぱり、向いてないのかなあ......
○Fable2
久々に再開。
しかし、攻略後、修道長はルシアンに殺されてしまい、娘のシスターハンナはハマーとなり仲間になった。
亡霊の変わりに彼氏を誘惑し、プロポーズ直前まで行った所で振るという筋書き。
すると彼氏まで自殺してしまい、二人は亡霊のまま愛し合うことに。
なるかと思いきや、復讐劇はバレ二人はバラバラにまた成仏できない亡霊が一人増えただけの悲しい結末。
うーんなんとも洋ゲーっぽい。
二人目の英雄の所に到着する間際にルシアンに英雄を拉致された。
○朝食
○薬
いっぱい飲みたいけど我慢
○昼飯
○夕飯
怒られたので、オムライスカレーを食べにいった。トマトが入ってて美味しかった。
○調子
ちょっと家族ともめてしまったせいで、心のバランスがまた崩れてしまった。
あと手当金の話が上手く進まずちょっと苦しい。
でも、以前のような死にたいとか、薬バカ飲みとか、消えたいとまではいかない。
とりあえずランニングしてチョコ食ったら、することないからゲームしよ、と思える程度には回復できた。
○ハッピーウォーズ
今まで対人専門だったんだけど、協力プレイも意外と面白いことに気づけた。
とはいえ、一周してやめた。
正直飽きてきたなあ。
ボス戦を数戦し、主人公達の村の人たちと合流できた所までプレイ。
ディスパッチャーの内容を今ひとつ理解していなかったのでサンプルコードを読んだり、本を読むなりした。
実装はできるんだけど、細かい所までは理解が追いついていなかったので、少し前に進めた感じがする。
こういう終わりがないゲームをどこまでやり込むかは難しいんですが、
とりあえずレベル50を目指そうかなあ、へっぽこの自分にはかなり遠い道のりになりそうですが。
Haloは1、2、4しかクリアしてないので、これをクリアすればナンバリングタイトルはとりあえず終えられるかな。
今日は「ステージ1 アライバル」(ムービーみるだけ)と「ステージ2 シエラ117」を攻略。
ビギナーなので、実績は解除されず。
でも難しいのよりもストーリーをちゃんと追いたいのです。
「たやすいことではない」とか「女の子とは約束しちゃだめ、出来ない約束はね」とか「集合場所は?」「戦場よ」とか、どれも痺れる決まってる。
目標もなくダラダラやるのが限界にきたので、自分の中のForza目標を決めて、それが達成されたら
その目標とは、シャーマンキングでX-LAWSが使う「天使」こと「スーパーカー」をゲーム中で可能な限りそろえ、自分が満足するレースをする。です。
いきなりなんのこっちゃと思われるかもしれまんせが、私の車の知識は本気でこの漫画程度しかないのです(※シャーマンキングは車漫画じゃそもそもありません)
なので、そこに登場する天使ことスーパーカーを集めて並べて満足する、それがForzaの僕の楽しみ方、ということにします。
○Forza2のやり込み度合いについて
まず自分は車の免許を持ってなく、車に対する興味や知識が全くと言っていいほどない。
まだレースゲームは対戦する楽しみがあるからいいものの、Forza2のオンラインは過疎っており、対戦が出来る状態にもない。
ならそもそも、どうして始めたのかというと、XboxOneで自分が好きなゲームを増やしたいから。
つまり、Forzaシリーズを自分なりの楽しみ方を見つける必要が有る!
そして、思いついたのが、僕が大好きな漫画「シャーマンキング」に登場する「天使」ことスーパーカーたちのことだ。
シャーマンキングに登場するX-LAWSという組織は、スーパーカーを武器に戦うのである。
それがいたく格好よく、ハンドルネームの元になった漫画のロボットと似ていることもあり、僕は彼らが大好きなのだ。
というわけで、Forzaでも彼らのスーパーカーをすべて所有し、満足いくまで運転したら、次のナンバリングに進むという自分ルールを制定した。
以下はそのメモ
マルコ、ミカエル、フェラーリ92年型、フェラーリ、イタリア(92年型はなかったので年代が近い91年型で妥協しよう(そういうもんでいいのか?))
リゼルク、ゼルエル、ロータスエリーゼ、ロータス、イギリス(いっぱいあってよくわからんから、適当にデザインで選ぼう)
ジョンテンバット、ラファエル、アストンマーチン・DB4、アストンマーチン、イギリス(DB4がないからDB9で代用しよう(いいのかなあ?))
ラーキ・ディラック、ウリエル、フォード・GT40、フォード、アメリカ(Mk2ってのがあったからこれでいこう、もうこれでいいのです。)
ポーフ・グリフィス、サリエル、ポルシェ・911、ポルシェ、ドイツ(なんか山ほどあるけど、どうしよう)
クリス・ブンスター、メタトロン、ハマーH1、ゼネラルモーターズ、アメリカ(この会社はForza2で見つけられなかった)
ケビン・メンデル、レミエル、メルセデス・ベンツ 300SL、ベンツ、ドイツ(この会社はForza2で見つけられなかった)
ミイネ・モンゴメリ、ガブリエル、ジュリエッタSZ、アルファロメオ、イタリア(この会社はForza2で見つけられなかった)
というわけで、フェラーリとロータスエリーゼとアストンマーチンDB9とフォードGT40MK2とポルシェ911を買って、
で、Forza3でも同じことをやって、Forza4でも同じことをやって、ゲーム性が違うホライゾンは普通に楽しみます。
○購入記
アストンマーチンDB9(金がない)
フォードGT40MK2(ロックされている)どうやらレベル39まで上げないといけないらしい、今レベル23でかなり飽きかけてるんだけどなあ(汗)
ポルシェ911(金がない)