幸せとは何か
幸せの形は人それぞれ、なんてことをよく耳にするがそれは一部正しい。
どこか(場所)でもない、何か(物)、でもなく誰か(人)である。
ただその誰かはAさんにとっての誰かや、Bさんにとっての誰かは異なる。
私は旅が大好きで、バイクで九州を一周したり、海外をパックパッカーとして旅をしていた。
そこで色々な絶景を見たり、美味い飯を食べた。
また、刺激的な体験をしたり、様々な人に会った。
そこで楽しかったと懐かしむ思い出はどんな絶景でも飯でもない、
そこで出会えた自分にとって心通じることのできた友達と過ごした日々であった。
そんな人に出会えた旅は最高の思い出になるし、そうでない旅はとりわけ心の底から懐かしむことはない。
私はフィリピンで一人の女の子に出会い、たった2週間という短い間であったが一緒の時を過ごした。
お金もあまりなかったので綺麗なビーチに行くことも、面白いアクティビティーを体験することも、とりわけ日本よりもうまい飯を食うこともなくただ至って普通の日常を一緒に過ごした。
だけれど、今、私にとってフィリピンはどんな刺激的な国よりも思い出深く、懐かしい。
それがアメリカであろうとタイであろうと日本だろうと、高級なスイートに泊まろうが、エキサイトできるアクティビティーを体験しようが、リムジンやハマーをレンタルしようがしまいが全く関係なかったと思う。
私は人生の全てに当てはまると言い切る。
その誰かの気持ちまでは。
年収と幸福度のグラフなんか見たことある人もいると思うがそれがいい例だ。
なのにこの世の中のほとんどの人がお金があればなんでか幸せになれると思っている。
また、お金を稼ぐ意識の高い人に「何のためにお金をたくさん稼ぎたいの?」と聞くと大体が決まってこう答える。
「色々旅行したり、いい家住んだり、美味いもん食えるし、遊べるじゃん」
もしくはとりわけ理由に困る人たち. .
いずれにせよお金があれば幸せ、楽しいとぼんやりしたイメージで生きる人たち。
私は幸せの本質は誰かだと思っているので、一緒に旅行する誰か、一緒に住む誰か、一緒に美味い飯を食う誰か、一緒に遊ぶ誰かが一番重要で、幸せも楽しさも「誰と一緒にそれをするのか」次第で決まると思う。
もちろん必要最低限生活できるレベルのお金は必要なのは知っているし、お金で買える刹那的な娯楽も時に確かに楽しい。
そしてもちろん、仕事やお金を稼ぐこと自体が純粋に楽しいのならそれはそれで羨ましいとは思う。
しかし、幸せとは何か、幸せの本質を考え、見抜くことのできる人間は多くはない。または考えが浅はかなゆえ的外れである。
ゆえに、みな幸せになるために日々動いているはずなのに、実際は幸せとは関係のない動きをする。
結果幸せになれたり、なれなかったりする。