2015-07-16

ハッピーバイブス

幸せとは何か

幸せの形は人それぞれ、なんてことをよく耳にするがそれは一部正しい。

ただ私は全人類幸せとはざっくり同じだと思っている。

単刀直入に言うと幸せとは、「誰か」である

どこか(場所)でもない、何か(物)、でもなく誰か(人)である

ただその誰かはAさんにとっての誰かや、Bさんにとっての誰かは異なる。

私は旅が大好きで、バイク九州を一周したり、海外をパックパッカーとして旅をしていた。

そこで色々な絶景を見たり、美味い飯を食べた。

また、刺激的な体験をしたり、様々な人に会った。

そして帰国してふと旅の記憶を思い出す。

そこで楽しかったと懐かしむ思い出はどんな絶景でも飯でもない、

そこで出会えた自分にとって心通じることのできた友達と過ごした日々であった。

そんな人に出会えた旅は最高の思い出になるし、そうでない旅はとりわけ心の底から懐かしむことはない。

私はフィリピンで一人の女の子出会い、たった2週間という短い間であったが一緒の時を過ごした。

お金もあまりなかったので綺麗なビーチに行くことも、面白いアクティビティーを体験することも、とりわけ日本よりもうまい飯を食うこともなくただ至って普通日常を一緒に過ごした。

だけれど、今、私にとってフィリピンはどんな刺激的な国よりも思い出深く、懐かしい。

間違いなくそ女の子がいたからだと思う。

それがアメリカであろうとタイであろうと日本だろうと、高級なスイートに泊まろうが、エキサイトできるアクティビティーを体験しようが、リムジンハマーレンタルしようがしまいが全く関係なかったと思う。

これは一部の旅の経験からくる考えに過ぎず、

私は人生の全てに当てはまると言い切る。

人を幸せにするのはその人と幸せになれる誰かであると。

また、場所物質的豊かさなほとんど関係がないと。

そして、その誰かとは決してお金で買えるものではない。

その誰かの気持ちまでは。

まり幸せお金はそんなに比例しないと。

年収幸福度グラフなんか見たことある人もいると思うがそれがいい例だ。

なのにこの世の中のほとんどの人がお金があればなんでか幸せになれると思っている。

また、お金を稼ぐ意識の高い人に「何のためにお金をたくさん稼ぎたいの?」と聞くと大体が決まってこう答える。

「色々旅行したり、いい家住んだり、美味いもん食えるし、遊べるじゃん」

もしくはとりわけ理由に困る人たち. .

いずれにせよお金があれば幸せ楽しいぼんやりしたイメージで生きる人たち。

私は幸せ本質は誰かだと思っているので、一緒に旅行する誰か、一緒に住む誰か、一緒に美味い飯を食う誰か、一緒に遊ぶ誰かが一番重要で、幸せも楽しさも「誰と一緒にそれをするのか」次第で決まると思う。

もちろん必要最低限生活できるレベルお金必要なのは知っているし、お金で買える刹那的な娯楽も時に確かに楽しい

ただ、それと幸せ本質とはまた別の話だ。

そしてもちろん、仕事お金を稼ぐこと自体純粋楽しいのならそれはそれで羨ましいとは思う。

幸せになりたくない人を見たことあるであろうか?

私はない。これも全人類共通してそんな人はいない。

しかし、幸せとは何か、幸せ本質を考え、見抜くことのできる人間は多くはない。または考えが浅はかなゆえ的外れである

ゆえに、みな幸せになるために日々動いているはずなのに、実際は幸せとは関係のない動きをする。

結果幸せになれたり、なれなかったりする。

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